紅兎と名誉と侮蔑





 世界でも指折りの貿易中継都市、砂漠と隣り合わせに建設された商人の街は、今日も喧騒と活気に満ち溢れていた。
 ケセドニアは商業の中心だけあり、他では手に入りにくい物資を比較的安価で買い付ける事が出来る。また、武器防具も良質なものが揃っている。ただ、商品を取り扱う人間達は良くも悪くもクセが強く、よく見極めて購入していかないと、簡単に粗悪な商品を掴まされてしまう。
 十年間公爵家の屋敷で箱入りに育てられた身ではあるが、生来の無頓着も相俟って、残念ながら審美眼の能力がマイナス査定なルークは、少し目を離すと、要らないものを押し付けられてくる。よって赤毛のひよこは、砂塵と人いきれに燻るケセドニアでは、常に保護者代わりのガイか、ジェイドとの行動を義務付けられていた。
 法の番人、天下のマルクト皇帝の懐刀と名高いジェイド・カーティスは、この街では特に有名だった。
 それもそのはず――膨大な量の商品を日々世界中に流通させるケセドニアでは、一部の商人達の間で不正なやり取りが行われていないか、マルクトとキムラスカの軍が定期的に監査を行っているのだが、マルクト側の監査の総責任者が、このカーティス大佐ということらしい。
(ジェイドって、ホントすげーよな…)
 容赦なく照りつける砂漠の陽射しから逃れるため、商店の繋ぎ幌の下に避難して、ルークは少し離れた場所で食材屋の店主と何やら話し込む、すらりとした立ち姿の軍人をぼんやりと見ていた。
(…足、長ぇ…)
 爪先から背中、首後ろから頭の先まで。
 まるで、一筆書きに、上から下まで真っ直ぐ線を下ろしたように、綺麗なライン。
 とても三十五歳軍人とは思えぬ、極悪性悪美人な旅の仲間を見やって、その脚の長さにルークは一人で不貞腐れた。
(確か――百八十六、センチだよな)
 何を、というまでもない。身長の話だ。己のギリギリ七十台滑り込みの身長から差し引き、……差し引いて。
『そんな身長では、残念ながら、大きいとは言えませんねー』
 わざとらしい嫌味な台詞が脳裏に甦り、ぐ、とルークは拳を握りこんだ。
(ぜってぇー、追い抜かしてやるッ…!)
 今に見てろ、と決意を新たに顔を上げると、思わぬ程の間近に迫る闇紅の譜眼。
「う、わっ!?」
「うわ、とは失礼ですねぇ」
 その場から飛び退くようにして後ろに後ずさるルークに、艶やかな美貌の持ち主――三十五歳のおっさんに使う言葉ではないとは思うが、しっくりくるのだから仕方がない――は、愉快そうに肩を揺らした。
「び、びびび、びっくりするだろッ。ジェイド」
「おや、私はそんなに驚かせてしまう程、男前ですか? まぁ、当然ですけどねー」
 常に胡散臭い笑顔を浮かべる年上に、言ってろ、と毒づいて、ルークは体裁を整えた。
「話、済んだのか?」
「ええ、お待たせしました。暑かったでしょう」
 そう言って、ジェイドは赤毛の子どもの火照った頬に右腕を伸ばして、そっと撫でた。その行為に一瞬身を竦ませたルークだったが、心地よい冷気を感じ取り、ぱたぱたと尻尾を振る。
「うわ、キモチー。なんだこれ、譜術?」
「ええ、音素をコントロールして掌の周囲の温度を下げています。
 他の皆さんには秘密ですよ。特に、アニスあたりが『大佐〜、ずっるーい』と騒ぎそうですからねぇ」
「……ジェイド、それキモいって」
 幾ら見た目が綺麗過ぎるとは言え、三十五歳の軍人(♂)が、十三歳の女の子のキャピキャピ口調を真似るのはどうだろう。此方がドン引きしてしまう事すら、完全に面白がっているタチの悪い大人に何を言っても無駄ではあるが。
「少し、体温が上がっていますね。
 砂漠の街では特に水分補給に気を回さなければなりません。脱水症状で簡単に人は死ねますよ。注意なさい。いいですね、ルーク」
 何時もの年上然とした口調で言い放ち、若くして『大佐』まで上り詰めた有能過ぎる死霊使い殿は、片方の手に隠し持っていたグラスを、透明度の高い翡翠の眼差しをくりくりとさせる子どもに、すいと差し出した。
「そこでついでに貰ってきました。飲んでおきなさい」
「…うん。ありがと」
 素直に両手で冷たいグラスを受け取る仕種が、妙に可愛らしい。とても、齢も十七となった男子とは思えないが、実年齢を考えれば相応なのだろう。
 そんな、まるで仔犬のような、聖なる焔の存在を好ましく思いながらも、ジェイドは続けた。
「いいですか。私やガイ――おそらく、アニスも問題ないでしょうが、貴方やナタリア、それにティアはこういった外の劣悪環境には殆ど耐性がありません。それは、育った環境に起因するものですから、仕方が無い事です。徐々に慣れていくしかないものですしね。ですから、辛い時に我慢し過ぎるのは良くないですね。休める時には体を休めておくことは、とても重要ですよ」
「…うん、わかってる」
 ホンキでガキ扱いだなーと、悔しさと嬉しさが交じり合った複雑な気分になる。
 優しくされるのは――嫌いではない。寧ろ、心地よくすらある。己の罪を顧みれば、とても他人の愛情を受け取る資格は残されていないのだけれども、それでも、こんな自分を大切に想ってくれる人たちを、掛け替え無く感じる。
 と、同時に、唯でさえ離れている年の差を見せ付けられ、埋めようの無い距離を改めて実感させられるようで、一抹の寂しさと歯痒さに心は揺れ動いた。
(結局――、アレについて、何も言ってこねェし…)
 つい、三日前の件を思い出して、ルークは鼓動が跳ね上がる自分を自覚した。
 肉の薄い――けれど、意外なほど柔らかい綺麗な弧を描く唇に触れて、吐息を感じた。良き兄貴分も兼ねる親友からの知識によれば、恋愛感情という色合いではなく、どちらかというと、親愛の情を表す種類のそれらしいので、そういう意味に取られていないのかもしれないが。
 しかし――同性同士の間でのキスは一般的ではないと付け加えられた。それに、あの天に名高い死霊使いジェイド・カーティスが、他人に見返りも無く触れさせる訳が無いとも。
「飲みましたか? コップはあちらに返してきて下さいね」
「…う、うん」
 冷えた水が喉を潤して、ほうと息をつくと、見計らったように声を掛けられた。
 その言葉に素直に従って、ルークは商店の恰幅のいい主人に飲み終えたコップを持って行く。
(…ジェイドって、あーゆー性格してるから。
 イヤな事はちゃんとイヤだって言うよな…? それに、ムカついたら倍返しだし)
 造作の良い顔立ちに完璧な作り笑顔を浮かべて、捕らえ処無く、周囲を翻弄する年上は、常に『何を考えているか分からない』と称される存在だが。――実際、付き合い始めの当初は全くそう思ったものだが、意外と行動基準は単純明快だったりする。ただ、その思想が、一般的な道徳観念や世間通念から多少外れてしまっているだけで。
(や、そこが問題なのかもだけど…)
 出会いからの今までの時間は決して長くも無いが、命懸けの旅は、仲間同士の心を浮き彫りにし、それによって共に過ごした長さに関係無く、互いの理解は深まる結果となった。
 ルークが知り得る限り、意に染まぬ行為に対し、『あの』死霊使い殿が報復行為に及ばぬはずがないのだ。それを思えば――よく我が身が無事に済んでいると、感心せずにはいられない。
「なぁ、ジェイド」
 食材屋の商店から駆け足で戻るルークを待って、ジェイドは身を翻した。華奢な背中を追って隣をキープすると、赤毛のお子様は口を開く。
「なんですか?」
「さっき、商店のおじさんと何話してたんだ?」
「ああ、タダの情報収集ですよ。道端の商店の人間なんて、一日中人の流れを見ていますからね。不審な人物がいなかったかとか、不穏な噂を聞いていないかとかね。そんなことを聞いてただけですよ」
「ンなの、軍の連中に聞くなりすればいいんじゃねーの?」
 ケセドニアは独立した中立貿易都市ではあるが、有事に備えて軍が配備され、マルクト軍も駐屯している。皇帝の懐刀として、現在の『大佐』という肩書き以上の絶大な力を有するジェイドなら、街の様子を伝えるよう一言命令するだけで事足りるのでは、と。子どもらしい素直さでルークは訊ねた。
「それは楽チンでいいですね〜」
 明らかに面白がる口調で軽く受け流されて、王族の証である聖なる焔を随分と短くさせた悲しき運命のレプリカは、不服そうにする。
「なんだよ、カンジわりーぞ。ジェイド」
「おやおや、ご機嫌を損ねてしまいましたか? 子どもの扱いは難しいですねぇ」
「ガキじゃねェ!!」
 ムキになって否定すれば、私の身長を追い越したら一人前に扱ってあげますよ〜、と更に茶化すそれが。完全に遊ばれているのは分かっているが、こういう時の子ども扱いは、どうにも辛抱がならないルークだ。
「くっそぉ、今に見てろよッ! ぜってぇー、ジェイドを追い越してやる!!」
「それは楽しみです」
 赤毛のひよこに突っ掛かられる三十五歳は、普段からの両肩を竦めるおどけたポーズを取り、整いすぎた風貌に取ってつけたような笑顔を貼り付けた。それだけでも、完璧にルークが舐められているのが、窺い知れるというものだ。
「ああ、ルーク。すみません。ちょっと、ここで待っていて下さい」
「え? あ、うん」
 唐突に待てを言い渡された、聖なる焔の完全同位体である子どもは、途端翡翠の双眸を不安そうに揺らした。意識しての仕種では無かろうが、その様子は酷く庇護欲を掻き立てられる。
「…そんな顔をしなくても、直ぐに戻ってきますよ」
 効果の程は絶大で、戦場にて屍肉を屠る魔物として、畏怖と畏敬の念により『死霊使い』の二つ名を持つ男ですら、この通りだ。まるで、従順に懐いた犬の仔を置き捨てていくような心地にさせられ、妙に落ち着かぬ気分にさせられる。
「え? あ、ごめッ。俺、ヘンな顔してたか?」
「ええ、とっても」
 にっこり、と外面ばかりを取り繕った微笑みで返されて、なんとなく面白くない赤毛のワンコは、サッサと行って来いよ、とワザと邪険に意地の悪い大人を追い払う。そんな様子に苦笑を漏らし、青の軍服が赤茶けた砂漠の街に鮮やかな大佐は、歩いていった。
「くっそー、マジで追い越してやる…」
 身長に関しては、元・婚約者のナタリア王女の意外な背の高さもあり、密かなコンプレックスでもある。ただ、それまで公爵という立場にあったことと、バチカル最上階の屋敷で厳重な警戒の下、軟禁生活を送っていた事から、他人からおおっぴらに突かれる事など皆無だった。それを、あの三十五歳はッ――!
「今日から、毎日牛乳飲んで、あの陰険メガネを見返してやる!!」
「おやおや、彼女に身長のことで何か言われたのかい?」
 うがー! と、両手を振り上げ、ぶんぶんと振り回すと、丁度斜め後ろに露天の妙齢の女主人に、笑い声の混じったそれで話しかけられたルークである。
「え? あ、いえ――ッ」
 独り言を聞き咎められた気まずさから、赤毛の剣士は上にしていた両手を降ろし、赤くなった顔の前でわたわたとさせた。
「まー、年頃のコはそういうコトで悩むもんだからねぇ。
 身長に関しては、アタシは力になってやれないが。どうだい、このアクセサリーを見ていっちゃ。値段は格安だが、どれも本物の宝石だよ。こういう土地柄だからね、粒が小さすぎたり、欠けたりしちまって正規品として出せないヤツを回してるのさ」
 そういって、ケセドニア独特の民族衣装を身にまとった恰幅のいい女性は、自分の店の商品を誇らしげに紹介した。――種類別に見やすいよう配列された装飾品は、どれもこれも、緻密で繊細な細工が施してあり、小粒ながらも美しく輝くジュエルが使用されていた。
「――いや、俺は…」
 とんでもない勘違いにルークは口ごもり、その場を離れようとした――が、一列に並ぶ装飾品の中に一際目に留まる輝きがあり、じっと魅入ってしまった。
(赤――、ジェイドの譜眼みてぇ…)
「おや、コレかい?」
 流石は商売人。目聡く、客の目線を追ってその先にある商品――銀色の指輪を丁寧に取り上げた。細めで上品な銀細工のそれは、耳が垂れた可愛らしいウサギが描かれており、丁度、瞳の部分に赤い宝石があしらってあった。
「お客さん、目の付け所がいいねェ。
 これが、特別上等なブラッドルビーを使ってあるんだよ。正規品じゃ、こんな値段じゃ絶対手に入らないね。デザインもシンプルで可愛らしいしね。どうだい、彼女に買ってあげないかい? 絶対、喜んでもらえると思うねぇ」
「…幾らなんだ?」
 やたらと愛想のいい女主人から告げられた値段は、成るほど、良心的であった。



 衝動買いしてしまった指輪を懐に忍ばせて、ルークは戻ってきたジェイドと並んで歩いていた。もう大抵の用件は済ませてしまっているので、宿に帰るだけなのだが――、
「なぁ、アッシュのヤツ、ホントにいるのかな」
「さー、どうでしょうねぇ。
 情報が本当だったとしても、もう店を出てしまっているかもしれませんし」
 ジェイドが収集してきた情報の中に、六神将である鮮血のアッシュらしき人物の姿を見かけた、という内容が含まれていたらしく。証言を元に、該当する店へと足を伸ばしている最中というわけだ。
「アイツ――、いっつも一人で行動して。寂しくねーのかな」
「本人に訊いてみたらどうですか。まぁ、会えたらですけどね」
「…俺がンな事言ったら、どーせ。『寂しいか、だと? ふざけるな、このクズがッ!』って答えるぜ、きっと。ホント、取り付く島もねーんだから。アイツ」
 くりくりとしたつぶらな翡翠の眼を、両の人差し指で吊り上げ、ルークは常に沸点の低い天邪鬼な六神将様の声真似をする。同位体同士であるので、基本的に体格も声質も同じなのだ。見事にソックリな言い草に、ジェイドは細かく肩を震わせた。
「確かに、あの怒りんぼうの天邪鬼じゃ、そう言いそうですねぇ。
 ガイ辺りに心配されたなら、違いそうですけど」
「――ガイ。ガイかぁ…」
 金髪に甘いマスクの完璧なフェミニスト――の上、女嫌い。もとい女性恐怖症という難儀な業を背負う、幼馴染み兼親友の姿を思い起こして、ルークは腑に落ちなさそうに呟く。
「そーなんだよな。アッシュって、ガイに対しては妙に大人しいよな。
 こう、借りてきたネコ状態っつーか…、アイツ等、昔なんかあったのかな?」
 天然百パーセントの鈍感成分で出来ている赤毛のお子様は、時々、意外な程の鋭さを見せる。おそらく、天性のものなのだろうが非常に洞察力に優れているのだ。普段は、その高い能力をイマイチ活かしきれないだけで。こういうところは、流石にランバルディア王家の正統な血筋を継いでいるのだと、感心する。
「まぁ、人間関係は繊細な問題ですからね。余り、詮索するものでもありませんよ」
「…う、うん。ゴメン」
「私に謝る必要はないですよ。さ、急ぎましょう。今は、情報が少なすぎます。アッシュには聞いておきたい事が沢山ありますからね。ここで捕まえておきたいところです」
「分かった」
 常に単独行動を取るアッシュとは連絡を取りにくい。向こうからは此方の都合もお構いなしに、勝手に回線をつなげて意思を伝達させてくるのだが、残念ながらルーク側からは難しい。それが、フォミクリー技術による複製品の能力の劣化によるものなのか、アッシュ自身が意図してルークから呼びかけを遮断しているのかは、不明な処ではあるのだが。
「わ、ととっ」

 ドンッ。

 足早に人通りの多い表道を進んでいると、前方からやってきた集団の男の一人が足をもつれさせ、ルークの肩にぶつかってきた。
 日々の戦闘で一人前の剣士として鍛えてはあるが、やはり体格的な問題で、ヨロめいてしまう赤毛のお子様に向かい、己の過失にもかかわらず、男は酒気を帯びた息で管巻いてきた。
「オウ! なに、ボーッと歩いてンだ、ボーズ!! 余所見してんじゃねーぞ!!」
「な…! そっちがぶつかってきたんだろ!!」
 当然、謂れの無い批難にルークは抗議する。すると、その態度が気に食わないと、男はますます道理の通らぬ難癖をつけ始めた。
「なんだァ。随分、威勢がいいガキだなぁ、をい!
 一遍、痛い目ェ合わねーと、わっかんねーか? んぁ?」
 カッチ、ン。
「やれるもんなら、やってみろよ!」
 酔漢をまともに相手しても時間の無駄だ。酔っ払いは、精神異常者と等しい、と常から切り捨てているジェイドは、やれやれと肩を竦めるばかりだが、ルークはそうはいかない。
 聖なる焔として、ランバルディア王家の正統なる後継者として、蝶よ花よと屋敷の中で大切に扱われてきた世間知らずのお子様は、下卑た連中の愚昧さや低能さを知らないのだ。例えば、ヴァンの裏切りも世の中の裏面ではあるが、寧ろヴァンデルデスカの悲壮なまでの野望は、高潔ですらある。世界には心底、不必要な輩が存在していることを――この愛すべき王家の子は、知らない。
「ルーク。そんなのは放っておいて、行きますよ。時間の無駄です」
「だ、だって! コイツ等が勝手に絡んできたんだぜ!」
「それに、今の貴方の実力では弱いものイジメになってしまいますよ。幾ら、バカが相手とはいえ、大怪我をさせてしまっては面倒です。さ、行きましょう」
 確かに、頭に血が昇った今の状態で乱闘すれば、手加減などしてやれないだろう。
 的確な指摘を前に、返す言葉に詰まったルークは、渋々ながらも綺麗で博識な年上の指示に従った。
「おうおう、なんだァ? 随分、ナメちゃてくれてンなぁ」
 しかし、完全に出来上がっている酔いどれに、状況を正確に判断する思考など残されていないようだ。
「ばーか。お前がンなさけくせー息してっからだよ」
「あんだとぉ、こらぁ!!」
「ひゃはははは、ちげぇねー」
 仲間内にまで冷やかされ、男は全くもって、手の施しようの無い位に血圧を上げた。
 柄の悪い連中に絡まれる華奢な軍人と、小柄な剣士という組み合わせは、第三者から見れば十分旗色が悪い。周囲の通行人は足早にその場を去るか、道の端にまで避難して様子を窺っている。徐々に場の緊張感が増してゆくのを肌で感じ、ルークは小声でジェイドに相談する。
「どーすんだよ。ジェイド。向こうはヤル気満々じゃんか」
「やれやれ、困りましたねぇ。急いでいるというのに、全く…」
 マルクト軍人という立場上、自治区のケセドニアで余り騒ぎを起こしたくないのだが、これは不可抗力ということでやってしまうのが最善だろうか、と、物騒な結論に至ろうとしたとき、更に酒に溺れた連中が口汚く囃し立ててきた。
「しかしまー、俺等を、雷獣組と分かってて喧嘩売ってンのか? アン?
 特に、そこの美人な軍人さんは、エライ言い様だよなァ」
「んぁ…、おい待てよ。コイツぁ…カーティス大佐だぜぇ」
 総勢で五名の酔漢連中の一人が、ジェイドの風貌をまじまじと観察し、そう言い放った。大佐、の名を聞き、馬鹿が色めき立つ。流石にジェイドの名を聞けば、少しは懲りるかと。そう考えたルークの予想は、全く外れてしまうことになる。
「あっはっはっは、こりゃぁいいや!
 あの、カーティス大佐様とはなぁ、どーぉぉりで、美人サンだと思った」
「アンタ、マルクト皇帝の『コ・レ』だって?」
「今から、そのボーズとしっぽりヤるってかぁ? がっはははははは」
 下世話な野次に沸き立つのは、痴鈍で浅学な連中の仲間だけだ。何やら不快な事を言われているのは話の流れから察するものの、流石に七歳のお子様には、不可解過ぎる状況であった。
「? 『コレ』って、何だよ?」
 男の小指を立てる仕種を真似て、ルークはきょとんと翡翠の双眸を瞬かせた。
 赤毛のひよこの壮絶な生い立ちを知る者であれば、知らぬのも無理はないと苦笑する場面ではあるが、無論、酔漢共の反応といえば――、
「ッおいおい、じょーだんは止してくれや。
 兄ィちゃんも、そういう年頃だろ? まさか、ホンキで分かンねーのか?」
「だから聞いてるんだろッ!」

 む、と。
 頭ごなしに馬鹿にされ、先ほど覚えたのとは違う種類の苛立ちに、ルークは吼える。不服を唱える顔は幼く、その言葉が本心からのものだと理解させるには十分で、一斉に周囲の酔いどれ連中が腹を抱えて笑い出した。
「あっはっはは、こりゃいいや。
 大佐殿は、なーんにもしらねぇ坊ちゃまの筆下ろしでもしてやるつもりかい」
「かーいそーになァ。このまま食われちまうのも哀れだから、教えてやるよ。
 そこの大佐殿は、マルクト皇帝ピオニー陛下の愛人なんだとよ」
「まさに、懐刀――。いやぁ、アレか。突っ込まれる方だし、懐穴かぁ?」
「おっ前、それ、ロコツすぎ」
「いやぁ、でもあの皇帝を骨抜きにしちまうんだゼ。
 是非、俺もお相手願いたいもんだ」
「ばっか。テメェの粗末なモノなんざ、大佐様の名器に食い千切られちまうぜ」
 流石に――ここまでハッキリと口に出されれば、その手合いの知識が致命的に欠落しているルークでも、その侮辱の意味が正確に把握出来――と、同時に、左拳は空を切り脚は乾いた砂の地面を蹴りだしていた。



 現場は大変な乱闘騒ぎになっていた。
 気が荒い連中が集まる組織、過激派集団としてケセドニア辺りの砂漠の地域を闇で牛耳る『雷獣組』の名前は聞きかじった事くらいはある。その厄介さが何処にあるかというと、簡潔に言い表すなら、『見境いが無い』。一般人が居ようがどうしようが、譜業装置による爆弾や砲撃を行ったり、周囲の被害を全く念頭に入れずに強力な譜術を街中で放ったり。
 単純に組織力だけならば、他にも有名どころは幾らでもある。個々に能力の突出した者を有している、という訳でもない。単純明快に、本当に、後先を考えずに暴れるだけのならず者達の集団が、雷獣組なのだ。
 その悪名は無論ケセドニアの人々の間でも響き渡り、彼等が暴れだしたとあって、逃げ惑う人々で周囲は普段の非ではなく、騒然としていた。通報を受けたマルクト軍も恐慌状態に陥った人々の対処に追われ、肝心の事態の収束に向かう事が出来ずにいるようだった。
 一斉に騒ぎの中心から逃げ出す人々の流れとは逆走し、俊足と俊敏な身のこなしを最大の武器とする金髪の護衛剣士は、その場所へ駆けつけた。
 そこで見たものは――案の定、見覚えのある赤毛。オートクチュールの白の装束の裾が、軽快な動きに合わせて、ヒラヒラと視界に踊る。
「やっぱ、ルークだったか…。
 何がどうなって、連中と揉めたんだ?」
 相手はお世辞にも品行正方とは言えない集団だ。九割九部九厘、アチラさんに非があるのだろうが、と、親友と護衛も兼ねる精勤な青年は溜息と共に後頭部を掻いた。
 既に地面にダウンしているのが二人。疲労困憊なのが三人。ルークはまだまだ余裕の表情。この様子であれば危険物を取り出してくる事もないだろうと、喧嘩が終わるまで見物を決め込んだガイは、腰のモノから手を放す。
「あれ…。そーいや、旦那は何処に…」
「はいはい、呼びましたか?」
「のわぁっ!!!」
 気配を消されて直ぐ背後から耳元に息を吹きかけられたのでは、アルバート流剣術を伝承する護衛剣士といえど、奇声の一つや二つ上げてしまうというものだ。完全に背後を取られた状態となり、それなりに腕に覚えのある身としては、心中複雑ではある――が、旦那は特別だしな、と己を納得させる。
「旦那、コレはどういう事なんだ?」
 突如として背中に湧いて出た性悪極悪な大佐殿に、ガイは何処か憔悴した様子で溜息を吐いた。
「いえ、あちらが急に難癖をつけてきましてねぇ。
 私としては面倒は避けたいところでしたが、ルークがプチっと、ね」
「プチ、って…」
 アイツ等何を口走ったんだ、と爽やかな風貌をした剣士が訊ねると、大した事じゃないんですけどね、と一呼吸置かれてから――、
「私がピオニー陛下の愛人だとか、イイ感じだろうから犯らせろだとか、名器だとか。そういう頭の足りない内容の台詞を吐きましてねー」
 マルクト皇帝の懐刀として、その名を対外に轟かせるその人、ジェイド・カーティスの言葉に、人好きのする甘いマスクの金髪青年は、ギ、シッ、と錆びた音響いてくるようなぎこちない動きで、未だ争いの渦中で拳を振るっている親友を見遣った。
「あ〜……、それはそれは…」
 切れるわな。
 惚れた相手を性処理道具として侮辱されて、激怒しない奴がいるなら、是非お目にかかりたいものだ。騒ぎの原因は理解した。した、が――、
「アイツ等も度胸あるなぁ…。ジェイドの旦那にそういう口をきくなんて」
「天才とは何時の時代も嫉妬と羨望の対象になりますからね。こればかりは私の有能さに因るものですから、どうしようもありませんねぇ」
「ん、まぁ…。そうなんだけど、な」
 表面だけの付き合いではなく、数多の戦いの中で共に死線を越えて来た仲間だから、言わずとも分かることがある。正直、このやたらと姿形だけ綺麗に整った死霊使いは、不必要な存在に対しては、酷く手厳しい。そして、冷静に見えて意外に大人気無いのだ。自分だけであれば兎も角、陛下への不敬な発言を赦免してやるだろうかと不審にさえ思う。
「――…ッ!!」
 と、公爵のレプリカとして生命を受けた赤毛の子どもを一人戦わせて、悠長に構えていた大人組みは、同時に不穏な気配に感づいて視線を鋭くさせた。
「ガイ! あそこです!」
「おう!!」
 見れば、音機関を利用したカラクリで造られる譜銃を構えた男が、建物の影からルークに照準を合わせていた。ジェイドが声を上げるのと同時に、既に黄砂の混じる土を蹴ると、左手にした鞘の部分で銃身を跳ね上げる。余りに俊敏で無駄の無い体術に、男は己を倒した剣士の姿すら知覚出来ずに昏倒した。
「ジェイド! 預かっといてくれ!!」
 地面に落ちた譜銃を器用に鞘で跳ね上げて、そのまま後方待機中――というか、単に楽しているだけの三十五歳に向かって大きく打ち上げる。丁度の位置で落ちてきたそれに、大佐殿が、年寄り扱いが荒いですねぇ〜、などと戯言を溢しているが気にしたら負けだ。
 そのまま、最後まで粘っていた奴を叩き潰した赤毛の勇者に、ガイは陽気に片手を上げて挨拶をした。
「よ、色男。凄い騒ぎになってるぞ」
「え?」
 目立った怪我は無いが――というか、そんなもの出来る程苦戦しているなら、このお子様に甘い旦那が黙って物見高くしているわけが無い――流石に、一対複数とあって息を切らしているルークは、言われて初めて、周囲の様子に気がついたようだ。
「……う、わ。
 これって、なんかヤバかったりするのか?」
 それまで活気ついていた通りは閑散と、熱心に声を張り上げていた露天は、商品もろとも主人も消え去り、かなり遠巻きに野次馬連中が様子を不安そうに窺っている。
「いや、旦那がいるから。まー、大丈夫だろ。なんたって、大佐だぜ」
「あ――、そういやジェイ…、……ど?」
 奇妙に台詞の言葉尻が高くなり、ビシッ、と固まった赤毛の子どもは、今度は見る見る真っ青になっていった。そのあからさまな変化に、長年ルークの護衛を務めるガイ・セシル。悲劇のホドの生き残りの青年は首を傾げた。
「ん、どうかしたか? ルーク」
「じぇ、じぇ、じぇ、」
「ジェジェジェ?」
 どうやら視線を追った方が早そうだと背後に向き直れば、今しがた拳で黙らせた悪漢連中が、どういう仕組みかは想像もつかないが、全身を硬直させて起立していた。意識もハッキリとしているようだが、その脅えた顔色からするに、指一本動かせぬ様子だ。
 ――そして、憐れな捕らわれの酔漢共の正面で、淫蕩な色香を燻らせて、酷薄な嘲笑を浮かべる――美しい軍人(ひと)。その手が、愛おしそうに黒光りする銃身を撫で回す。
「さて、と。お仕置きの時間ですよねぇ?」
「な、なにしやがったっ! テメェ!!」
「くっそ、動かねェ…!」
「動けるわけないでしょう? 捕縛用の特殊な譜術がかかってますからねぇ」
 殊更優しげな、ジェイド・カーティスを良く知る者ならば、まず身の毛のよだつ猫撫で声で、知的でいながら艶やかな美貌の主は、撃鉄を起こした。
「丁度、五人。コレに籠められる弾丸は六発。実際に籠めたのは一発。
 さて、これから何をするか当てて見ますか?」
 それまで威勢よく怒鳴り散らしていた男共が、不吉な紅の瞳をした悪魔の意図を汲み取り、一斉に青黒くなった。
「ま、まて! じょ、冗談だよなッ? あ、アンタ軍のおエライさんなんだろ? ンな非人道的な真似するわけねーよなッ?」
 媚び諂った笑みで命乞いをする男に、それはもう、華が咲き乱れるように嫣然と、
「思い違いは困りますねぇ。上、だからこそ、揉み消せるんですよ」
 見惚れる程の甘い毒を含んだ微笑みで、
「安心なさい。死体は私が有効活用してあげますよ」
「ネ…、ネクロ――マンサー…ッ」
 男の表情が見る見る恐怖で凍り付く。
「旦那ッ、幾らなんでもやりすぎ――…、ッ、ルーク!?」
ジェイドから冷裂な本気を感じ取った護衛剣士は、魔道の所業を止めるべく、飛び出そうとしたが――彼よりも早く、ひたむきな翡翠の瞳をした子どもが走り出していた。
「ジェイド!! 駄目だッ!!!」
「ルーク…」
 そのまま手折れそうな細腰に背中から抱きついて、泣き出しそうな声で訴えた。
「駄目だ――、殺さないで済む命は奪いたく無いんだ。
 そりゃ、ジェイドの事あんなに言われて、すっげームカついた。でも、…頼むから…」
「………」
 ジェイドは無言のまま空いた左手で、緻密な音機関技術による譜業装置である眼鏡を、優美な指先で押し上げた。最早、殺気は無い。犯した大罪と命の重さを知る優し過ぎる子どもに毒気を抜かれ、冷徹な紅眼の悪魔は『人』の気配に戻った。
「仕方ありませんねぇ。
 マルクトの駐在軍も駆けつけてきましたし、この辺で勘弁してあげましょうかね」
「…ジェイド」
 ほ、と無垢な翡翠の(まなこ)に安堵を滲ませて、ルークは戒めの腕を解いた。
「私は軍の人間に事情を話して彼等を引き渡してきます。
 貴方は先にガイと一緒にアッシュを探してください」
「…う、うん」
 背中を向けたままの愛しい人の姿に一抹の不安を覚えながらも、聖なる焔の複製としての宿業を負う赤毛の剣士は、ゆっくりと青い軍服を手放した。
 ――懐に収めた小さな小さな兎のリングが、何故か酷く重いなるのを感じて、いた。





ルークはあっすより感情派です。
大好きな人を侮辱するのは許しません。
それが、恋愛感情でなくても、ジェイドは大切な仲間。
ピオ陛下も、少し苦手だけど、良き理解者。
悪くいわれて、キレてしまういい子なルークが好きです。
そして、ジェイドは綺麗で残酷なのが似合います。