紅兎と名誉と侮蔑2
気配り上手な護衛剣士は、心なしか萎(しお)れた見えるひよこ毛の親友を宥めすかして、背筋を伸ばした綺麗な後姿の軍人に後ろ髪引かれる様子でいるのを、漸く連れ出したのは、つい、十分ほど前の事だった。
「なんだ、アッシュを探してたのか?」
「…うん。ジェイドがアッシュの奴に訊いてきたい事があるからって…」
「あー…、まーなぁ。
アイツが何か握ってるのは間違いないんだろうが、ちっとも肝心な部分を言わないしな」
ヴァンの理想と野望を阻み、世界を消滅の未来から救うという目的を、等しくするにも関わらず、アッシュは常に非協力的だ。いや、その表現は的確ではないかもしれない。幼き頃の過酷な運命が、誇り高き聖なる焔を宿す青年から、『仲間』や『友』、そして『家族』といった関係性を根こそぎ奪い尽くした。
誰よりも世界に愛され、望まれ――そして、死ぬことを義務付けられた悲しい魂には『頼る』や『協力する』といった概念自体が、存在していないのだろう。
うーん、を眉を下げて唸る金髪の優男に、ルークは意外そうに隣を見上げた。
「アイツ、ガイにも何にも言わないのか?」
「ん? なんで?」
しかし、逆に不思議そうに訊ね返され、つぶらな翡翠の瞳が戸惑いに揺れた。
「え、あ、やッ…。
その、なんとなく――なんだけど。アッシュのヤツさ、ガイの前だと大人しいじゃん」
「んー? そうかー?」
天邪鬼が服を着て歩いているような、もう一人の幼馴染みの普段の様子を思い浮かべて、ガイは苦笑を浮かべた。
「そりゃ、お前に対する態度の悪さに比べたら、誰でもマシに見えるだけだろ」
「そんなんじゃねーって。
アイツ、ガイの前じゃ、やたら素直だし…それに――」
そうかぁ? と胡散臭そうに眉根を寄せる爽やかな風貌の剣士に、ルークはバツが悪そうにしながらも、続けた。
「俺さ、アイツの…レプリカだろ。
だから、時々アイツの記憶とか意識とか共有してる時があるんだ。アッシュが見たり聞いたりしてる事をハッキリ認識出来たのは、魔界脱出の一度きりだけど――、それ以外にも漠然とだけど感じることがあって」
第七音素で形成された完全同位体である故の特殊な状況なのだろうが、不便なんだか便利なんだか、と感心するガイをルークは真剣に見据えて、
「アッシュのヤツさ。なんだか知らないけど、ガイといるときだけ…苦しそうなんだ。こう、…巧く言えねェんだけど…罪悪感、っていうのかな。
俺が――アクゼリュスを崩落させた事を思い出す時と同じ気持ちがするんだ」
「…ルーク」
鉱山の町で起きた――いや、この世界がユリアの預言によって定められているのならば、起こるべくして起こった惨劇については語るだけでも心を抉られるだろうに、必死に意思を紡ぐ姿に、ガイは掛けるべき言葉を失った。
「けど、それだけじゃなくて…。
ホッとしてるっていうのか――、ガイといるときのアイツって、すげー安心してる」
「アイツが、か?」
真摯に想いを伝えるルークのそれを疑うワケではないが、どう贔屓目に見ても、自分のこれまでの態度がアッシュに好かれるものであったとは思えない。寧ろ逆だ。所在も分からぬ苛立ちから、顔を合わせるたびに、ついつい真綿に包んだ皮肉や厭味を口にしてしまっていた。
「ん…。だから、ガイだと色々話すんじゃないかって思ったんだけど」
「全然、そんなことないぞー?
さっきも、アッシュと話してたけど。アイツは相変わらず勝手で何考えてるんだか、サッパリだしな。目的は同じなんだから、もー少し協力的になってくれてもいいと思うんだがなぁ」
「え、アッシュと会ってたのか?」
ぱちくり、と無垢な輝きの翡翠に見つめ返され、ガイはおいおい、と苦笑を深めた。
「変な勘繰りするなよ? 唯のグーゼン。たまたま立ち寄った店にアイツが居たんだ。多分、もういないだろうから。今日のところはこのまま宿に戻ろうぜ」
「――ガイ!! アイツ何してた? 怪我は大丈夫なのか? 何か言ってた? 今、どうしてるって? 宝珠はどうだって!?」
「おわっと…、ちょ、落ち着け。ルーク」
掴み掛からんばかりの勢いで矢継ぎ早に質問をぶつけられて、流石の落ち着いた雰囲気の青年もたじろいでしまう。ランバルディア王家の血筋を受け継ぐ赤毛達は、良くも悪くも一途で純粋だ。その、何処までも真っ直ぐな刃が、己自身に突き立てられたとしても、信念を曲げることは無いだろう。
――正直、現・キムラスカ・ランバルディア国王は決して賢王とは言えない。確かに、穏健で民に寛厚、内外的に武力による短絡的な支配を慎む思慮深さは、一定の評価に値する――が、それらは所詮全て、ユリアの譜言と教団の意思通りに行動しているだけに過ぎない。ただの傀儡ならば、阿呆でも務まる。
人柄は兎も角、王としての器はマルクトのピオニー陛下の足元にも及ばない――とは、少々言いすぎかもしれないが。王家の正統なる志を受け継ぐにしては、多少――かなり、いや全く甲斐性が無さ過ぎる。辛口評価には、無論私情も含まれているが、そこら辺は勘弁願いたい。
(まーったく、ルークやアッシュのヤツは逆に王家の悪習に染まらずに済んでよかったよなぁ。二人して、今の王家のやつらのような性格だったら――きっと、我慢出来なかっただろうしな)
付け加えて言うならば、当人には気の毒な話ではあるが――ナタリア王女。彼女も、此方の私的な意見だけ言わせてもらえれば、寧ろ、キムラスカの血筋を受け継いでいなくて良かった。勝手な言い草であるので、無論、誰にも明かしたりしないが。
「怪我は――、あの様子じゃ大丈夫だろ。
今は、宝珠探しで飛び回ってるみたいだな。相変わらず、手がかり無しってカンジで、イラついてたな」
何時もの事なんだがな、と付け加えてガイは両手を挙げる降参ポーズでおどけた。
「…そ、っか。やっぱ、宝珠は見つかってないんだ。俺があの時にちゃんとローレライから受け取れてれば、アイツに苦労させずに済んだのにな」
目に見えて元気を無くす赤毛のひよこに、ガイは、景気づけとばかりに強めに背中を叩いて喝を入れた。
「ほら、しっかりしろよ。過ぎた事をどうこう言っても仕方ないだろ?
それにお前は、自分の役目をしっかり果たしてる。例え、相手がアッシュでも、どうこう文句言われる筋合いは無いんだからな」
「……ん。サンキュ」
認められるのは嬉しい。
ユリアの譜言を覆す為の身代わりとして、定め通りに『死ぬ』事を目的に創られた仮初の人形でしか無かった時分には、狂おしい程に望んだ――のに。今となっては、歓喜と共に、小さな小さな棘を呑み込んだような痛みを伴う。
「さ、早く宿に戻って、その砂埃だらけのカッコなんとかしなきゃな。ルーク?」
「…う、確かに」
唯でさえ乾いた砂が舞う土地柄で、単に外を歩くだけでも全身が砂まみれになる。今回は五人の無頼漢相手の大乱闘の後だ、指摘されて気付けば、素材の良さが際立つオートクチュールの裾から砂が入り込んでいた。髪も、片手で触れてみると、ザリッとした不快な感覚が。
「服も、洗濯した方がいいんじゃないか。
ピオニー陛下に貰った服あっただろ。アレにでも着替えてさ」
「そうだな。分かった」
破天荒で型破りな性格の隣国の皇帝と、彼から贈られたワイルドセイバーの服を思い出し、あの格好なら涼しそうだしな、とルークは頷いた。
「おかえりなさい。用事はもう終わったの?」
砂まみれの赤毛のひよこを風呂に押し込んで、公爵殿の特注の服を丁寧に洗い終え、部屋の中に干し終えたところで、とうに宿に戻っていた仲間――魔界(クリフォト)の歌姫ティアに声を掛けられた。
「ああ、まぁね。
君たちは? 荷物は重くなかったかい? 何かあるなら手伝うよ」
「ありがとう。でも、問題ないわ。ナタリアは部屋に戻って弓の手入れをしていたわね。アニスはイオン様に手作りプリンを食べさせるとかで、厨房よ」
クス、と冷徹そうな容姿の中に、たおやかな微笑を浮かべて、ティアは答えた。
「アニスは相変わらずイオンが好きだな」
「そうね。導師の護衛として、心からイオン様をお慕いするあの姿勢は、私も見習いたいと思うわ。あの年で立派な心掛けよね」
「…いやぁ、そうなんだけど。そうじゃなくて…、な」
「? 何? 私、何かヘンな事言ったかしら?」
魔界(クリフォト)という特殊な環境で育った所為なのか、幼少より神託の盾の一員となるべくして教育された為なのか、抜群のスタイルと魅力的な美しさで無意識に周囲を視線を浚う罪な歌姫は、事、恋愛の機微においては、ランバルディア王家の担う王女や公爵並みに鈍い――いや、ここは言葉を選んで、天然というべきなのか。
「それより、君は今から何を――?」
「私は、アニスの代わりにイオン様の護衛をしてたわ。でも、イオン様がアニスの様子を伺ってきてくださいというものだから、プリンの進行状況を視察に、ね」
教団の最高責任者という立場故なのだろう、年に似合わずに随分と達観してる導師にしては、珍しい、年相応に可愛気のあるお願いだ。思わず和んでしまう。
「なら、引き止めちゃ悪いな。
俺とルークは部屋に戻ってるから、何かあったら来てくれ」
「ええ、わかったわ。
――って、ルークと二人? 大佐は戻ってらっしゃらないの?」
「ん? ああ、旦那はちょっとこの町の軍の連中に用があって、もう少ししたら戻ると思うんだがな」
「…そう。町中だし、大佐の事ですもの、問題ないとは思うけど…。
余りに帰還が遅いようなら、迎えに行きましょう。連絡を貰えるかしら?」
死霊使いジェイドの名は伊達じゃない。
おそらく――現在のパーティの中でも、誰よりも強いのが大佐だろう。単純な戦闘スキルだけの話ではなく、譜術や槍術、智謀を兼ね備えた総合的な安心感が、段違いなのだ。そんな男に対してであるので、流石にルークとは違った意味で箱入りなティアとて、心配はいらないと判断するらしい。
「ああ、わかった。じゃ、俺はこれで失礼するよ」
「ええ、また後で」
部屋に戻ると、風呂で汚れや砂を落とし、小ざっぱりとしたひょこが、赤毛をわしわしとタオルで乱暴に拭いていた。
「お、もう上がったのか?」
「…ぷはっ! あ、ガイ。何処に行ってたんだ?」
何故か、髪を拭う際に呼吸を止める癖があるルークは、大きく息を吸い込むと親友である甘い金髪の青年に視線を向けた。
「お前の服を干しにな。明日には乾くだろ」
「そっか、サンキュ」
「いいって。ああ、そういえばそこでティアにあったぞ」
「ん? なんだ、ティアとナタリアはもう戻ってるのか?」
「ああ、二人とも戻ってるみたいだ。で、アニスはイオンのためにお手製スペシャルプリン作り」
特性とは聞いていないが、あのアニスが導師の為に手作りするおやつだ。腕によりをかけることは、想像に難くない。大げさな言い回しをして説明すると、ルークは案の定――魔界の歌姫と似たり寄ったりな反応を返した。
「あ? アニスがプリン作りぃ? なんだよ、もしかして玉の輿計画にイオンもカウントされてンのか?」
「ははッ。手厳しいなー、ルークは。
イオンに関しては、あのアニスも形無しだからな。ま、玉の輿云々は兎も角。今回は、純粋な好意だろ」
「アニスの純粋な好意って――、ジェイドの笑顔と同じくれー、胡散臭い」
「うまいこというなー」
神妙な顔で反論してくる公爵様を、ガイは朗らかに笑い飛ばして、ストンと椅子に掛けた。
「なんにしろ、今日は疲れただろ。夕飯までは時間もあるし、休んどくか?」
「う…ん」
「どうかしたか?」
歯切れの悪さを気に掛けて、ガイは物言いたげに揺れる対の翡翠を覗き込んだ。
「いや、その……。ガイさ――」
「うん?」
「あの、さ」
「なんだ、らしくないな。気になることがあるなら、ガツーンと言えばいいだろ?」
水臭いなぁ、と苦笑する護衛剣士に、ルークは――長くしていた髪を切ってから、よく見せるようになった仔犬のような表情で、目線を上げた。こう言ってしまうのはなんだが、可愛い。性的な意味合い云々ではなく、ペットの動物に対する愛玩の意味合いではあるが。アッシュにも、こういう可愛気があればと考え、上目遣いで不安そうに見上げてくる六神将・鮮血のアッシュの姿を想像し、鳥肌が立った。馬鹿な事を考えるのは止めておこうと軽く頭を振ると、漸く決意を固めたらしい赤毛のワンコが、伺うように切り出した。
「あのさ。気のせいだったら、ゴメンな。さっきの話の続きなんだけどさ。
ガイ――って、アッシュには何となく…棘のある態度をとるよな? お前って、基本的に誰にでも優しいだろ。昔の俺って、絶対、人から好かれるよーな性格じゃねーじゃん。他人に傅かれるのが当然みたいに、人の好意とか愛情の上に胡坐を掻いて、さ。なのに、そんな俺でさえ、見捨てずにいてくれただろ。それなのに、なんでアッシュにだけ、あーゆー態度なのかな…って」
子どもだとばかりに気を抜いていた相手からの、思わぬ奇襲に、ガイはすっかり堂にいった苦笑を浮かべた。眉は八の字に下がり、弱ったなぁと頭を掻く。また、そんな姿が妙に似合っている。パーティ一の苦労人と囁かれる所以である。
「ルークにまで見抜かれるなんざ、俺もまだまだだな」
「俺にまでってのは、どういう意味だよッ!」
納得のいかない子ども扱いにルークはあからさまに機嫌を損ねて、頬を膨らました。
「あー、悪い悪い。失言だった。
じゃ、お詫びに、質問に答えてやるよ」
「…え?」
キョトンと大きな瞳を瞬かせるのも、断髪後からの愛らしい癖だ。
「俺が、ホドの復讐を誓ってランバルディア王家に下男として入り込んだのは、もうお前も知っての通りだ。
その後――、俺は賭けをしたと言ったよな? 覚えてるか?」
「あ――、…う、ん」
水の王都グランコクマでの一件を思い出し、気まずそうにルークは頷いた。その反応を、ンな表情(カオ)するなよ、と笑い飛ばして、ガイは続ける。
「記憶を失ったお前が俺に言った言葉――『失った過去だけを見ていても仕方が無い。前を向いて生きるしかない』ってな。それを聞いて俺は、お前が真実、俺の忠誠に値する人物に育ったなら、この復讐は諦めようと決めたんだ」
「……ゴメン。俺、すっげー偉そうな事言ってたよな」
決まりが悪そうに照れ笑いで場を繕う赤毛の子に、ガイは殊更優しく諭した。
「謝ってもらう必要なんかないさ。寧ろ俺は、その時のお前の言葉で救われたんだ。あのまま、復讐に手を染めていたら、今頃俺は――…」
ヴァンデルデスカと同じ道筋を辿っていた事だろうと、確信する。暗澹とした深淵に取り残された空恐ろしい心地は、きっと、おそらく、ヴァンの忠臣である六神将達ですら、等しく理解する事は不可能だ。
あの悲しみを。
あの苦しみを。
――そうと気付かぬまま、卑しく捻じ曲がった世界に対する絶望を。
あの時あの場所で同じくして惨劇を味わった者にしか、決して理解し得ない。
「でも――な、」
「ガイ?」
「俺を救ってくれた言葉をくれたのも、実際に、忠誠に相応しい人間になってくれて、俺の復讐を諦めさせてくれたのも――。全部、お前なんだ。ルーク」
透明度の高い空色の眼差しに息も詰まるほどに見つめられて、おろしたての服に着替えていた子どもは思わず姿勢を正した。いい加減な気持ちで受け止めてはいけないと、本能に近い場所で、そう察したからだ。
「俺は別にアッシュは嫌いじゃない。寧ろ、あーゆー真っ直ぐな性格のヤツは好きだし、面白いとも思う。けどな…、それは六神将・鮮血のアッシュに対するそれだ。公爵――聖なる焔として生まれたアイツに対してのケジメが、俺の中でまだ、な」
「…ケジメ…」
たった三文字の言葉の重みを繰り返し、ルークは表情を曇らせた。
「やー、我ながら女々しいとは思うんだけどな。それに、アイツだって好きで聖なる焔として生まれてきたわけじゃない。だから、恨むなんてお門違いだ。ちゃーんと、頭では分かってるんだけどなぁ」
柔らかな色合いの金髪をした護衛剣士は、決して激情家はではない。無論、薄情な性格でもない。ただ、長年己を押し殺す生活を強いられていた為か、感情を抑える術に長けていて、聡明で穏やかだ。大概の辛酸は、物分りの良い大人の顔で飲み込んで来た。なのに、何故か今回のアッシュの件に関してだけは、抑えきれぬ苛立ちが募るのだ。
「ガイ…。お前、まさか――アッシュに殺意があるとか言い出さないよな?」
ルークにとって、アッシュは現存する中で最大の贖罪の対象だ。謙虚を通り越し卑屈に近いそれで己を卑下するお子様は、己のオリジナル体である青年の身を案じて、翡翠の眼差しを揺らした。
その意外すぎる発想に、俊足を活かした戦法を得意とする剣士は、空色の瞳を丸くした後――、
「ハハハ、そうくるとは思わなかった。
ないない。ソレはないから、安心しろ」
と、明るく笑い飛ばした。
「あのさ。爽やかに言い切られると、なんか、俺一人でバカみたいじゃん」
余りにアッサリと否定されたものだから、自分の早合点が急に居た堪れなくなり、ルークは、むー、と唇を尖らせた。
「ああ、悪い悪い。別に馬鹿にして笑ったわけじゃないぞ?
それに、実は俺がアッシュの事殺したい程憎んでます。って言い出すよりマシだろ」
「…それはまぁ…」
そうなのだが。
「まぁ、アッシュの事は俺自身が決着をつける問題だ。心配しなくても、アイツとはちゃんと向き合おうと思ってる。だから、お前は自分の事だけ考えてればいいさ」
「…う、ん」
気の置ける友人の態度に、腑に落ちぬものを感じ取りながらもルークは素直に頷く。ほんの少し前と比べ、随分と素直になった聖なる焔のレプリカに、ガイはふと、それを口にした。
「ルーク。さっきのジェイドの態度、そんなにショックだったか?」
「――…え?」
「ずっと、暗い顔してるぜ。旦那と別れてから」
「あ…――」
見透かされた気まずさに、嘘を吐く事や表情を装うのが苦手な赤毛のひよこは、翡翠の双眸に悲しそうな光を灯して伏せた。
「う、…ん。正直…ショックだった」
「旦那は職業軍人だぞ。――必要なら、人だって殺す。
それが受け入れられないなら、旦那の事は諦めたほうがいい」
「ッ…! そんなの分かってるッ!!」
幾ら見た目が成人に近い姿とは言え、ルークの思考はまだ幼い。稚拙ではなく、無垢。死霊使いの名で世界を震撼させる美しい軍人が、過去から今に至るまで、数多くの命を屠り続けてきた事実を、正しく、知り得ていなかったのだ。
人から『そう』と伝え聞くのと、己が目で見るのとでは、天と地ほどの違いがある。
「分かってる。――…分かってるんだ…。ちゃんと」
追い詰められて震える幼い赤毛の子に、ガイは己の言葉を過ぎた口出しだったと悔いた。おそらく、パーティの中でも誰よりも一番人の『死』に対して敏感なのが、ルークだ。他者の命を奪う重み。過去も未来も絆も、全てを無慈悲に断ち切る業の深さを、身に沁みて理解している。
「――悪かった。言い過ぎたよ」
「…いいんだ。俺が考えなしだから。
だから、心配させるんだよな。ゴメン、ガイ」
「…――ルーク」
大人しくて可愛気のある性格に変わってくれたのは結構だが、しかし、ここまで後ろ向きだと却って扱い難い。無論、我侭坊ちゃまの頃に比べて現在の健気な姿の方が何倍も好ましいのは確かだが、余りに厳しく己を律しすぎる。もう少し、自身に寛厚であってもいいだろうに。
「あー…、そういや、ほら。ルーク」
「?」
高貴な輝きの翡翠の眼差しが悲しみに翳るのを見ていられずに、ガイは、殊更明るい素振りで話題を変えた。
「旦那が持ってた、あの譜銃な。弾は込められて無かったらしい」
「――!」
パッ、と弾かれたように顔を上げる幼馴染みに、ガイは優しく微笑んだ。
「つまり、ジェイドはアイツ等を本気で撃つ気は無かったってコトだ。
流石の旦那でも、空砲じゃ人は殺せないからな」
「…そう、なんだ」
明らかな安堵の表情に、本当にこのレプリカの子どもは純粋で綺麗な魂の色を秘めているのだと、好青年を地で行く護衛剣士は空色の眼差しを優しくさせた。
「――けど、珍しいよな」
「? 何が?」
唐突な話題の内容を汲み取れず、ルークは無垢な輝きの翡翠を瞬かせた。
「んー、いや、旦那の事だけど。
幾ら公衆の面前で陛下の事を貶められたからといっても、旦那の性格じゃ、報復はもっと陰湿に執拗に確実に、だろ。あーゆー派手なパフォーマンスは好みじゃ無いだろーに、よっぽど、腹に据え変えたのかと――…」
物凄い言われようだが、ここで驚嘆すべきなのは、死の遣いとまで言われる戦場での絶対的な存在――死霊使い・ジェイド・カーティスに対する酷評に、一片の悪意も含まれていない事だろう。
「ん、まぁ…。ジェイドらしくねーなーとは思ったけど」
金髪碧眼というオールドラントの御伽噺に出てくる王子のような、甘い風貌の親友から洩れる疑問に同意を示しつつも、ルークはキッと表情を険しくさせた。
「でも、アイツ等ッ! すっげー、ムカついた!!
ジェイドの事、何も知らねーくせにッ!! 陛下の、あ、愛人とかッ!! ジェイドにアイツ等殺して欲しく無かったのも本当だけど。でも、アイツ等、ボッコボコにしてジェイドに謝らせてやりてェ!!」
「おいおい、落ち着けよ。ルーク」
既に相手を拳で黙らせて置いて言う台詞じゃない。確かに、連中は大層な事を口走ったようだが――、
「ん? あれ? 旦那が揶揄られてた時、お前も一緒に居たんだよな?」
当たり前の事を、今更ながらに訊いて来る青年に、ルークは不思議そうに小首を傾げた。
「に、決まってるだろ。で、ムカついて、こー」
ぶんっ、と左腕が空を切る。剣を抜かなかっただけでも偉いと誉めればいいのか、微妙な処だ。
「いや、お前は何にも言われなかったのかなー、と」
旦那からは、『皇帝の愛人』やら『処理の相手をしろ』だの連中が下賤な口を利いたのだと伺ったが、ルークに関しては何も言ってなかったと思い出す。冷静に考えれば、年若い、如何にも上流階級出身という雰囲気を纏う赤毛のひよこなど、格好の揶揄の的ではないか。
「言われた――けど」
「けど?」
「意味わかんねーし」
「…あー、まぁなぁ」
七歳の子どもに、卑猥な単語の理解は難しいだろう。赤子同然の十歳の子どもに、散々苦労して、日常生活に問題が無いように必死に日常言語を覚えてもらったのが、昨日の事のように蘇る。低俗なスラングは、二種類の言語の特性を知り、尚且つ、俗世の垢に足を踏み入れていなければ、なかなか聞き慣れないものばかりだ。
「ちなみに、なんて言われたんだ?」
まだ水気が払いきれない赤い炎のような髪を、手触りの良いタオルで丁寧に包んで、ガイは興味からそう尋ねた。
「ガイ、いいって。髪くらい、自分で――」
「いいから、甘えてろって。で?」
下男生活が長かった所為か、ついつい、目の前の公爵様を構ってしまう。既に、習い性の域に到達しているため、今更直しようもないし、直そうという気も無い。己に染み付いた気質に苦笑を零しつつも、他人の世話を焼くのがそう悪くないとも感じる青年だ。
「ん、っと。若いのとしっぽりやるのか…? とか? 筆下ろし? とか…??」
ルーク自身は、連中の口汚い罵倒の中の、一体どの辺りが己に向けられたものなのか、それすら判別が難しいのだろう。しかし、ガイには正しく意味が伝わった。体質的な問題で悲しいかな経験は皆無だが、この年になれば、それなりに知識だけは増えるものだ。
「ハハハ。意味分かんなくてよかったなー、ルーク」
「なッ、なんだよ! どういう意味なんだよ!!」
「んー、あんまり口で説明したい内容じゃないんだけど、な」
何より、ルークからのお願いだしなと、何時もの困り顔でガイはそっと回答を耳打ちした。別に誰に聞かれるというわけではないが、こういうモノは密談が基本だろう。
そして、素直に耳を傾ける赤毛のお子様は、親友の金髪の青年の言葉に、みるみる赤く熟れたのだった。
その様子を見て、この愛すべき公爵様の恋路を影ながら応援する護衛剣士は、旦那が戻ってくるのが楽しみだと、少しだけ意地の悪い――けれど、年上然とした優しい笑みを浮かべたのだった。
紅兎の続きです。カプ話というよりも、ルークとガイの仲良し話
そして、アッシュとガイの確執をルーク視点から見たものです。
色々複雑なものを抱えてますから、アッシュもガイも、大変ですよね。
でも、なんのかんの言っても、ガイはアッスが可愛いといいです