影と焔に縋るは愚か・1



「………」
 奇妙な程頭が重い。
 軽い眩暈と吐き気。
 指先の感覚が遠い。
 まるで、長い間魂と肉体が切り離されていたようなカンジだ。
 実際そのような不可思議現象が起こり得るはずもないのだが。
「ここ…、何処だ?」
 自分が石畳の上に座り込んでいるのは、分かる。
 今が、夜――それも、深夜なのだという事も、薄々察せられる。
 背中に当たる鉄製の柵の間から望む向こう側は、暗く広大な――闇の海。
「アクゼリュス…じゃ、ねぇ…よな」
 鉱山資源の豊富なアクゼリュスは山間に位置しており、海など見えるわけが無い。
 ならば、今在る場所はアクゼリュスでは無いということになるのだが。
 では何処であるのか――、いや、そもそも。
「なんで俺…、こんなトコにいるんだ…?」
 自分に向かい一言だけ詫びを言い残し、今まで目にした事も無いような必死の形相で、例の如くの俊足で走り去った幼馴染みは、一体、何処に消えたのだろう。
 確か――、そう確か自分達は瘴気に苦しむ鉱山の町を救うために、親善大使としての名目で王都バチカルを後にしたはずだ。そこで自分は瘴気を消し、人々の窮地を救い、英雄になるはずだった。
「! そうだ、師匠(せんせい)は――…ッ」
 漸く師匠の存在を思いついて、ルークは混乱の中にも立ち上がった。如何な困難があろうとも、あの人だけは自分を認めてくれる、導いてくれる――だから――…、
 その期待を裏切る事だけは、何があろうとも、絶対に嫌だ。
「こんなトコでぼーっとしてる場合じゃねェって!
 早く、師匠(せんせい)と合流しなきゃ……!!」
 辺りの建物に見覚えは無い。少なくとも、キムラスカの中心・王都バチカルでも、目的地である鉱山の町アクゼリュスでも無いようだ。取り合えずは誰でも構わないので、旅の連れを探さなければ、と周囲を見回して――、愛らしい声がけたたましく響いた。
「あっれー! ルークじゃん。何、一人でフラフラしてんの?」
「シェリダンは乾燥地帯ですから夜は冷えますよ、ルークさん。如何されたんですか?」
 広場の仄かな外灯に照らされるのは、三つの影。
 それぞれ、ツインテールが跳ねる小柄な少女と、健康的な色気のある肢体を凛々しいパイロットスーツが引き立てる女性、最後に長身痩躯、青の軍服が異様に似合う軍人、という一見何の共通点も無い奇妙な組み合わせだ。
 ――その内の二人には、確かに見覚えがあった。
「アニス…、…ジェイド…」
 何処か、狐に摘まれたような不思議な表情でいる赤毛の子に、ジェイドは一早く異常を感知した。この反応から察するに、既に『アッシュ』の精神は分離したようだが、一種の精神融合とも言えるレベルでの精神感応の影響が出ているのだろうかと、不安を抱く。
「ルーク、どうかしましたか?」
「!」
 おもむろにルークに近付くと、心配そうに眉根を寄せたまま――右の手袋を唇で噛んで外し、呆然と立ち竦む愛すべき子の額に触れさせた。
「――…少し、熱がありますね。
 宿に帰りましょう。歩けますか?」
 余りにも自然に差し出された綺麗な手には、何とも抗い難い魔力が込められていた。
「……あ、あぁ」
 意外すぎる行動に面食らうばかりのルークは、完全に毒気を抜かれ、素直に手を繋ぐ。こんな事をしている場合ではないのでは、と一瞬だけ憧れる師匠の顔が脳裏を掠めるが、直ぐに眩暈すら覚える程の幸福感に胸が満たされて、何も、考えられなくなった。
「もー、大佐ってば、ルークに甘々。
 そーやって甘やかすと、すーぐに付け上がりますよ。お坊ちゃまなんだから」
「アメとムチを効果的に使い分けるのが、調教のコツですよ」
「……調教、ですか」
 何とも自然に漏れた少々過激な内容の単語に、生真面目なタチのアルビオール二号機操縦者は、困惑気味にはにかんだ。
「おや、失礼。言葉を間違えました。子どもの躾、ですかね。この場合」
「大佐が言うと、躾も調教も同じ意味合いにきこえまーす」
「おやおや、それは可笑しいですねぇ。
 でしたら、何処がどう違うのか体験してみますか。アニース」
「お断りデース☆」
「残念ですねぇ」
 肩を竦めておどける何時もの道化めいたポーズに、違和感など無い。確かに、目の前の彼らは自分が知る『ジェイド・カーティス』と『アニス・タトリン』だ。それぞれ、マルクト軍第十三師団大佐と、ローレライ教団最高責任者の導師護衛役という、大層な肩書きを持っているが、その人間性には少々疑問が残る連中でもある。
 ――連れの、もう一人の女性に関しては全く面識が無いのだが、最強伝説を築く二人と笑顔で付き合えるからには、やはり食わせ者には違い無いのだろう。
(……急いで、アクゼリュスで師匠と合流しなきゃなんねーのに…)
 優しく繋がれた掌の温もりと、引かれる腕の強さを、振り解く気にはなれない。
 相手は、『あの』死霊使いジェイド・カーティスだ。冷酷非情の王。凄惨な光景が広がるばかりの戦場にて、躯を貪る獄界の悪魔。人智を超えた絶大な音素を繰る最強最悪の譜術士。到底、人並みの優しさを持ち合わせているとは思えないのに、この扱いは何なのだろう。実はコレは、ジェイドの偽者だったりするのだろうか。
(……在り得る。つーか、それしか考えられねェ…。
 だって、フツーに考えてみろよ。あのジェイドだぜ。嫌味で性悪で最悪サイキョーの死霊使いだぜ。心配して、熱を見て、具合がわるそーだからって、手ェ繋いで、…なんて)
 そこまで考えて、ルークはぶわっと肌が粟立つのを感じた。筋金入りの世間知らずで箱入り育ちな公爵様だが、流石に『今』が異常事態である事は判別出来たようだ。

 パシッ。

「……ルーク?」
 前触れも無く振り払われた手に、亜麻色の髪と深紅の瞳が麗しい軍属は、心底意外そうに振り返った。厭味な程の長身が鼻に付く軍人――大佐に、ルークは挑戦的な視線を向ける。その瞳には――敵意さえ籠められており、困惑する年上の代わりにアニスが口唇を尖らせて抗議した。
「ちょっ〜と、ルークってば。どーしちゃたワケ。
 態度悪いんですけどぉー」
 腰に手を当てて牽制するポーズは、未だ幼い少女の癖のようなものだ。少しでも自分を大きく見せ、相手へ威圧感を与えるのが狙いなのだろうが、寧ろその仕草は愛らしい。
「…知るかよ。つーか、ここ何なんだよ。
 アクゼリュスはどうなってンだ。師匠は!? 何、呑気にしてンだよ、お前ら!!」
「……はぁ?」
 まるで子どもの癇癪のように怒鳴り散らす赤毛の剣士に、ツインテールの人形士は眉を顰めて不審気な声を上げた。
「はぁ? じゃ、ねーよッ。
 急がねーと、師匠を待たせちまうだろ!!」
 ぶん、と左手を大きく振りかぶり、些か苛立った様子で言い募るローレライの意思を受け継ぐ存在に、今度こそアニスは本気で首を捻った。
「ちょっと、何言っちゃってんの。ルーク。
 アクゼリュスなんて、もうとっくの昔に魔界(クリフォト)に――…」
魔界(クリフォト)? アクゼリュスがどうしたのかよ?」
「…――、ルーク…アンタ…」
 事件後よりは痛ましい程に真摯な生き方を己に課すようになった、身代わりの『死』を定められし悲運のレプリカ・ドールの、明らかな異常に少女は神妙な面持ちで口を閉ざし、背後で無言のままにいる、天空にかかる下弦の月の如く麗しい軍属を視線で窺った。
「大佐…、…ヤバくないですか、これ」
「そうですねぇ。さーて、どうしましょうか」
 やれやれとおどけて見せる残酷な美貌の死霊使いに、完全に蚊帳の外な扱いを受ける親善大使な子爵様は、すっかりご立腹状態で自棄気味に叫んだ。
「ぜんッぜん、わかんねーよ!
 お前等、俺に解るように説明しろよ!!」
 今にも地団駄を踏みそうな勢いに、重ねた苦労の分だけ実年齢よりも大人びる人形士(パペットマスター)は、鼻白んで見せた。
「……うわ、マジでドン引きする」
「あの…、ルークさん、どうかされたんでしょうか…?」
 かつての公爵家の箱入り息子なルーク・フォン・ファブレの姿や、今に至る経緯に精通しないノエルは、ひたすら心配そうに成り行きを見守っている様だった。確かに、事件後の『ルーク』しか知らぬ彼女からすれば、己の運命に真っ直ぐに向き合い、その健気な生き様で人心を動かす、年若い剣士の突然の豹変振りは、到底理解の及ばぬ異常なのだろう。
「アホに拍車がかかってるだけだから、気にする必要ないない。
 それより大佐〜、どーなっちゃってるんでしょ。コレ」
「さて、私にもサッパリお手上げですね。
 取り合えず、放ってはおけませんから、宿には連れて帰りますよ。
 アニスはノエルを自宅まで送ってあげてください」
「りょ〜かいでっす。じゃ、ホラ。行こう、ノエル!」
「えッ、…ええ。けど、アニスさん…」
「アニスでいいってば! さーさ、遅くならないうちに帰ろッ!」
「え、え、でも…」
 常に元気ハツラツな十三歳に強引に腕を引かれて、二人を心配そうに見遣りながらも、ノエルはその場を立ち去ったのだった。



「――…さて、私達も帰りますよ。ルーク」
「…何処にだよ」
 強めに手を振り払ったバツの悪さからか、不貞腐れる親善大使殿は視線も合わさない。ただ、不機嫌そうに短く返してくる子どもに、亜麻色の髪を肩で揺らし、月光に映える白皙の肌が麗しい軍属は密やかに苦笑を漏らした。
「なッ…! なんだよ、急に!」
「いえ、失礼。まるで幼児返りだと思いましてね」
「だッ…、はぁ!? ワケわかんねーよ! マジで!!」
 高貴な王族の輝きの翡翠の眼差しで、ファブレ公爵家が一子は無礼な軍人をキツク睨み付けた。ここがバチカルの屋敷で、相手がマルクト皇帝の懐刀と名高い男で無ければ、即刻、王室侮辱罪で独房に叩き込んでやるところだ、と憤りを露にする。
「分からなくて結構ですよ。それより、夜中に騒ぐのはマナー違反です。静かになさい」
「………ッ」
 天上天下唯我独尊を地でゆく子爵様だが、育ちの良さから、それなりに躾は行き届いている。自身の行動を非常識だと窘められて、素直に耳を貸すあたりは賞賛に値する。
「いい子ですねー。
 それでは参りましょうか。ルーク『様』」
「……ッ、テメ…!」
「はいはい、これ以上騒がないで下さいねー。ルーク『様』〜?」
 明らかに揶揄の意味合いでワザとらしく付け加えられた敬称に、ルークは咄嗟に眼鏡の軍人に掴みかかろうと息巻くが、間髪いれずに釘を刺され、出鼻を挫かれた。
「……この、性悪」
「いやぁ、お褒めに預かり光栄です」
 腹立たしさは収まらず、口をついた悪態は、全く歯牙にもかけぬ態度で一蹴された。



 全く状況を把握していない赤毛の子どもを置き去りにするのは、かなり良心が痛んだが、背に腹は変えられないと、俊足を誇る悲劇のホドの剣士は宿へ急いでいた。
 アルバート流剣術は盾を使わぬ攻防一体の神速の技――刀身と鞘の部分を巧みに操り、俊敏な動きで敵の攻撃を捌く、スピードと技巧を重視した剣術であり、よってその使い手でもある青年も、かなりの身軽さと速さを自負している。
 ――…だがそれでも、宿までの道のりは遠かった。
「……く、そ…、にげられ…た、かっ……」
 流石に相当の距離を全力疾走したお陰で呼吸が忙しなく、肩も大きく上下していた。
 飛び込んだ部屋からは、大輪の咲く朱牡丹のような髪色が美しい、想いを告げたばかりの幼馴染みの姿は忽然と消え、触れた寝台に残る仄かな温もりが――胸を締め付けた。
「……全く、アイツときたら…勝手だよ……」
 甘いマスクの中で爽やかに煌めく空色の瞳が、物思いに耽り、暗く沈む。
「ジェイドの旦那じゃないけど、これじゃ…ホントに深窓の姫君だな」
 乱れたシーツの表面を愛おしそうに辿り、気障な容姿の青年は、嘆息した。
 そして――…、
「〜〜〜ッ、くぁっ! ダメだ、思い出したら照れてきた…」
 人目が無いのをこれ幸いと、その場にしゃがみ込んだ。パーティの年長者であるジェイドとはまた違った意味で、常に冷静沈着に事態を見守る事を信条としている青年にしては珍しく、耳裏は愚か、襟足まで真っ赤になり両腕で頭を抱え込むという狼狽ぶりだ。
(……キス、しちまってるし。
 つーか、ルークのカラダだってわかってんのに…。
 がっつき過ぎだろ、ダメだろそれは)
 ひたすら自己嫌悪に陥るガルディオス伯爵家の嫡男は、そこに至り、漸く或る事を思い出す。
「……しまった。ルークのヤツ迎えにいってやんないと」
 バチカルの公爵家で意に染まない軟禁生活を送っていた頃とは違い、今はもう、ルークとて一端の剣士でもあり、世界も全くの未知のそれでは無い。幾度と無く訪ねているシェリダンでまさか迷子になる事も無いだろうが、それは長年の下男生活の習い性故でつい過剰なまでに世話を焼いてしまうのだ。
「慌ててたからなー、ロクに説明もせずに置いてきちまった…」
 どうにも下男気質の抜けきらない見目の良い青年は、やれやれと背筋を伸ばして起き上がり、ベッドを丁寧に整えると、名残を惜しむように部屋の中に一瞥をくれて、扉から出て行ったのだった。



「だーから、ちゃんと説明しろッて言ってンだろ!!」
 癇癪を起こして騒ぎ立てる高貴なる血筋を受け継ぐ親善大使殿に、譜と鉄の大国マルクト帝国が誇る最強の譜術使い、帝国第十三師団師団長は、何処か艶を帯びた仕草で振り向いた。
「…やれやれ、もう何度も説明したはずですが。
 ルーク『様』には多少難しすぎる内容でしたか、これはこれは気がつきませんで」
「お前の厭味な講釈はいいんだよ! それより、状況を分かるように説明しろ!!」
 全身から不遜さを滲ませる高圧的な為政者の卵は、妙に焦燥した様子で食ってかかっていた。記憶に空白が存在しているのだから、不安を覚えて仕方無いのだろう。すっかり元の我侭な子爵様に戻ってしまった赤毛を見遣りながら、ジェイドは眼鏡を押し上げた。
「アクゼリュスの件は既に片付いています。私達は別件で今は動いていて、ヴァン『師匠』とは別行動になっています。これ以上私から説明することはありませんよ」
「そんなんじゃ、全然わかんねーだろ!
 つーか、なら俺はヴァン師匠のトコに行く!! 場所を教えろよ!!」
「誠に残念ながら、居場所は私達にも分かりませんねぇ」
「……ッ!! くそ! バカにしやがって!! ……って、あ」
 悔しそうに歯噛みする我の強い青年は、ハッと何かを見つけて分かりやすく喜色を浮かべた。満面とはいかないが、安堵の様子が見て取れる子爵様に、カンの鋭い軍属は直ぐに理由を察した。
「ガイ!」
 心なしか声すらも弾んで聞こえる呼びかけに、ファブレ公爵家の嫡男であるルーク・フォン・ファブレの護衛役として長年勤めてきた甘い顔立ちの剣士は、迷わず向かって来た。
「ルーク! ジェイドの旦那も…。何を騒いでるんだ?」
 訝しむ青年にルークは自分から駆け寄り、一気に捲くし立てる。
「つーか、俺を置いて何処に行ってたんだよ! ああ、それはもういいけど、アクゼリュスは? 師匠は? 何で俺達、こんな知らねー街にいるんだ!?」
「……は? ちょ、どーしたんだ?」
 ハトが豆鉄砲を食らった顔、とでも言うのだろうか。端整な甘いマスクを間抜けにさせ、呆けた台詞を吐く幼馴染みに、ルークは焦れったそうに地団駄を踏んだ。
「だーかーら! ああもういい!! 取り合えず、師匠はどーしたんだよ!?」
「せんせいは…って、ヴァンの奴は今は行方を眩ましてるだろ?」
「はぁっ!? なんで? 師匠に何かあったのか?
 つーか、ヴァン師匠の事呼び捨ててんなよな。ガイッ」
 憧憬と尊敬の対象である人物を軽視するような発言に、師を盲信するファブレ公爵家の子爵は、あからさまに機嫌を損ねた。普段ならばヘソを曲げたお子様のフォローを行うのが勤めな親友だが、このときばかりは眼前の異常に無言で眉を顰めて、場に居合わせる怜悧な軍属を見遣った。
「……旦那?」
「貴方は賢明ですからねぇ、大方予想通りですよ。
 全く、お子様には手がかかるばかりですね。困ったものです」
 脳裏に浮かんだ、寧ろ外れてくれればよいと、一縷の望みをかけた予測を即座に肯定され、苦労性なパーティの世話係りは、次々と沸き起こるトラブルに頭を抱えたのだった。



 前日のゴタゴタから一夜明け――問題の当事者を除くパーティメンバーが一同に介し、役一名を覗く全員がそれぞれ困惑した顔つきで意見を交わしていた。
「…それで、どうしますの?
 今の状況のルークを戦闘に駆り出すのは危険では無くて」
 ランバルディア王国の寵姫、太陽の眷属の如く美しい金の髪の気高き王女は、おしとやかな仕草で溜息をついた。
「そうね。私も、同意見よ。
 ここは――…、一度バチカルのお屋敷に帰すべきではないかしら」
 血縁である兄を――暗殺する使命を抱き、苛烈な運命に翻弄されながらも、気丈に立ち振舞う女性は、冷静に妥当と思われる意見を述べた。
「アニスちゃんも、さんせー。
 だって、今のルークってチョーウザくて最悪だし。一緒に居たら、トクナガでボッコボコのグッチャングッチャンにしたくなるカンジィ?」
 愛くるしい容姿と少女らしいカン高い声で不穏な台詞を吐く導師護衛役に、我侭放題の子爵様のお守り役でもある青年は苦笑を漏らした。

「おいおい…、勘弁してやってくれよ」
「勿論、ジョーダンですけどぉ〜。ねー、大佐ぁ〜、どーしますぅ?」
 最終的にパーティの決定権は年長者であり、最大の実力者でもあるマルクト皇帝の懐刀、ジェイド・カーティス大佐に一任されている為、アニスは余裕の姿勢を崩さない軍属を見上げた。
「そうですねぇ…。
確かにあんな役立たずで世間知らずでワガママで自分の始末をロクスッポ出来ないどころか他人をアテにしまくってヌクヌクと生きてきて二言めには師匠師匠と騒ぎ立てるだけの傲慢かつ理不尽なお気楽極楽天下泰平のお子様に一緒に来られても、迷惑甚だしいだけですから、ここはとっとと、バチカルの屋敷に捨ててきましょう」
 ――…立て板に水を流すような棘のある台詞に、周囲が目を丸くした。
 らしくない、それが全会一致の感想。
「あー…、だ、旦那?」
「なんですか、ガイ」
「い、いや…」
 他者に対し申し訳程度の興味しか持ち合わせの無い大佐が、ここまで饒舌に相手を酷評するなど珍しい。しかし、裏を返せば、それだけ腹立たしく感じているという事でもあり。周囲どころか自身の予測以上に、この綺麗な軍人は赤毛の子に心を砕いていたようだ。
「その…、ルークの事なんだが――。
 少し言い難いんだが…、アイツは今レプリカ問題で屋敷内で立場が微妙なんだ。そんな状況で今の暴れん坊ルークが戻れば…問題が起きかねないと思うんだ」
「…ふむ」
 長年バチカルの屋敷でルークの面倒を見ていただけあり、細かな事情に目端の利くガイに胸中で感心しながら、ジェイドは頷いた。
「ならば、貴方の屋敷は如何ですか?」
「ああ、俺の屋敷に迎えるのは全然構わないんだ。ただ、ルークの事だ。誰かが見張ってないと屋敷を抜け出して、ヴァンを探すために勝手な行動を取るに決まってる。
 出来れば事情に精通した、腕の立つ人間を護衛と見張りに付けておきたいんだが――」
 言葉を濁すのは、そんな都合の良い人間がそうそう居るわけが無いから、だ。
「ぶっちゃけ、ソレってガイが適任だと思うけどぉ、そうすると戦力ダウンだもんね。
 前衛剣士が居なくなるのは、イタ過ぎだしぃー」
 話し合いの場に飽きたのか、トクナガを手の中で伸ばしながら言う少女に、ガイはそうだよなぁ、と軽く同意した。
「けど、マルクト・キムラスカ・魔界の夫々の代表的立場にある旦那とナタリア、ティアは抜けられないだろ。それにアニスもイオンの護衛があるしな」
「では、やはりルークにはバチカルに戻ってもらうしか無いですね。
 居辛かろうと、あちらでしたら護衛の役人は山といますし、屋敷から逃走する心配もありませんしね。これ以上の足止めは、私達にも芳しくありませ――…、おや?」
「皆さんッ!!」
 慌てた様子の足音の後、バンッ、と勢い良く扉が開け放たれ、血相を抱えた導師が場に飛び込んできて、ジェイドは話を中断した。
「イオン様ッ! どーしたんですか、慌てて。
 っていうか、走ったりしちゃ駄目ですよ! 具合がお悪いんですから!!」
「すッ、すみません、アニス…、でも大変なんです!
 ルークが…ッ、ルークがノエルを脅して、強引にアルビオールをアクゼリュスに向けて出発させてしまって…!!」
「はぁッ!!? 何やってんの、アイツ!!」
 その時その瞬間の脱力したようなアニスの叫び声は、その場に居合わせる全員の心情を的確に代弁したものであった。



 アルビオールという名前の、空を飛ぶ便利な乗り物を、その操縦者である女性を武力で威嚇し――男として最低だとは思うが、あくまで『脅し』の範疇ではある――アクゼリュスに向かわせた赤毛の青年は、眼前に広がる光景に――唖然と、していた。
「…なんだよ、ここ…」
 端が見えぬ程大きく抉れた大地は底すら見えない奈落となり、風が人の嘆きのような唸りをあげていた。
 異様な光景だ。絶対的な譜言の預言者でもあるユリアの紡いだ歴史どおりに歯車を進める人類に、このような災害があろうかと目を疑う程の、惨状。
「おい、お前ッ! ふざけんなよ!
 俺はアクゼリュスまで連れて行けって言ったんだぞ!! なんだよ、ここは!?」
 背後の少し離れた場所で心配そうにキムラスカ王国の聖なる焔の青年を見守る女性に、ルークは憤りをぶつけた。すると、快活で健康的な色気を振り撒くパイロットは辛そうに言葉を濁した。
「ここが…アクゼリュスがあった場所、です…」
< 「ここが!? 地面にどデカイ穴が開いてるだけの場所が? バカ言うなよ!!」
「嘘じゃありませんッ!! アクゼリュスは…崩落…したんです」
 非難がましく責め立てられ、ノエルはその綺麗な瞳を悲しみに染めて必死に言い募った。
「崩落……? 落ちた…? 何処にだよッ!?」
「――…私たちの大地の下…、魔界にです…」
「大地の下…、クリフォト? 何言ってンだよ、そんな作り話で俺を騙せるとでも――」
「作り話でも、嘘でもありませんよ。ルーク『様』」
「……ッ! ジェイド!?」
 この場に居るはずもない人物の登場に、親善大使の看板を背負う青年は、驚きのままに青の軍服姿の死霊使いを見遣る。
「…大佐、どうやって此方に…」
 アルビオール二号機は自分が操縦してきた。一号機は、兄であるギンジの下にある。幾らジェイド・カーティスという人物が、あらゆる意味で卓越かつ超越した存在であるとはいえ、瞬間移動の法でも無い限り、シェリダンから遠く離れた鉱山都市跡――大地の傷跡に来られる理屈が存在しない。
「ちょっと無理を言いまして、二人乗りの飛行艇を貸してもらいました。
 ただ、近距離専用でもう燃料がありませんので、帰りは宜しくお願いいたします」
「ご自身で操縦されたんですかッ…!?」
「まさか。そこはガイにお願いしましたから。
 でも、流石にこの距離は無理があったみたいで、あちらでガイが必死に修理をしてますよ。手伝って貰えますか?」
「あ、はいッ。分かりました!」
 大型飛行艇のアルビオールと違い、小型の飛行艇はさほど操作は煩雑では無いが、それでも素人に即時に扱える代物では無い。元々の譜業に関する強い関心と知識、そして好奇心。更に言うなら、手先の器用さと頭脳の明晰さも必要になる。
 それを――、確かにシェリダンに立ち寄るたびに小型飛行艇を興味深そうに眺め、場合によっては色々といじり倒して、場合によっては試運転も行っていたが、この距離を飛ばし続けてきたとは、恐れ入る。と、率直な感想の後にノエルは駆け足で立ち去った。
「さて、此方が念願のアクゼリュスな訳ですが。これで満足ですか、ルーク『様』。
 なら、このままバチカルまでお送りいたしますから、ご同行お願いいたします」
 胡散臭さを滲ませた満面の笑みで申し出てくる、容姿だけは掛け値なしに良いと言える綺麗な軍属を、ルークは強く睨み返した。
「…ざ、っけんなよ!
 どいつもこいつも俺をバカにしやがって!!
 ここがアクゼリュスだとか、魔界に崩落したとか、ンなホラ話で俺を担ごうとしたってなぁ!!」
「――…本当ですよ。ルーク」
「……ッ」
 不意に――それまで、あからさまな作り笑いを浮かべていたマルクト軍人の雰囲気が一変し、酷く冷えた――けれど、真摯な響きのそれで答えられ、ルークは息を呑んだ。
「アクゼリュスは私達の到着後直ぐに、地盤沈下を起こし、崩落しました。
 原因は不明です。究明しようにも、この惨状ですからね。とても調査団を派遣できる状況ではありません。あなたはそのときに崩れてきた岩盤で頭を強く打って、記憶を一時混乱させているんですよ」
「……記憶が…、混乱して、る?
 なら、ヴァン師匠はッ! 師匠が行方不明だって――…!」
「彼は、今はローレライ教団の密命で行動しています。
 ですから、私達にもその動向は知らされていないんですよ。用事が済めば帰ってきますよ。何せ、ヴァン奏長殿は弟子である貴方を溺愛していらっしゃるようですし」
「…そう、なんだ。
 そっか、じゃ、バチカルに帰んなきゃ、な。
 先生が戻ってくるだろうし。アクゼリュスがこんなんじゃ…親善大使もなにもねーし…」
 幼き頃の記憶障害という体験故だろう、記憶の混乱という言葉を鵜呑みにして、聖なる焔の運命を押し付けられた青年は、力なく呟いた。
(…なんだよ…、折角――英雄になるんだって…、クソッ。
 大丈夫、だよな。師匠は俺を見捨てたりなんてしないよな……。待っていれば、ちゃんと迎えに来てくれるんだよな…?)
「納得いただけましたら、帰りましょう。
 ひとまず、シェリダンまで戻りますが、そこからバチカルの屋敷までお送りしますよ」
「…わーったよ。大人しくかえりゃー、いいんだろ。帰れば!」
「ご理解頂けたようで、何よりです」
 得たいの知れぬ、しかし、確かな違和感に釈然としない思いを抱えながらも――真実を得る術も無い非力なキムラスカ・ランバルディアの王家が子は、憮然としたままで、悠然と歩き出す軍属の後を追ったのだった。



わんこが、長髪バージョンに戻りました。
長髪時代は、師匠とガイラブで、全くこれっぽっちも
意地の悪い軍人なんか好きじゃないです。
けど、ジェイドにとっては、既に可愛いワンコ
このあたりの、もやもやがテーマになるといいな。