虚ろな未来へ・2





 鞘と刃の変則二刀にて華麗に剣戟を捌くシグムント流剣術を極めては戦闘に活躍し、また場の空気や人の心の機微を読む術に長け、恵まれた社交性と豊かな話術によってパーティの潤滑油となっていたガイ・セシルなる人物の離脱には、女性メンバー各々に思う処がありかすかに難色を示したものの、暫定的にマルクト帝国が誇る秀逸な軍属フリングス少将を迎えるとの話に、ひとまずは了承を得た。
 事情に精通する死霊使いは無論反対するわけもなく、寧ろ、不足分の戦力を補うべく褐色の肌がエキゾチックな印象を与える清楚な顔立ちに銀の髪がよく似合う軍属を一人、予め皇帝へ陳情していた。その根回しの良さに他の年若いメンバーも押し黙るしかない。メンタル面はともかく、純粋な戦力的な意味合いだけであれば、腕の立つマルクト軍属の参加で補完出来ているからだ。
 愛しい人の判断に反対する理由も無ければ、十年来の親友の望みを無碍にする必要性も感じない赤毛のワンコは、コミュニケーション能力の高い銀色の髪の将軍にやたらと懐いていた。
「なぁなぁ、フリングス、将軍?」
「はい?」
 マルクト帝国皇帝が膝元、水の帝都グランコクマにて次の作戦の為に買い出しや新しい武具の調達など、各々自由に行動している時間を持て余して、ルークは当座の荷物を纏めて宿の部屋へやってきたフリングス将軍を呼び止めた。
「…ゴメンな、急に突き合わせて。フリングス将軍もホントは色々忙しいんだろ。少将なんだしさ」
「忙しく無いとは言えませんが、それを言うなら大佐の方が余程ですよ」
 謙遜では無く心底そう思っているのだろう。荷物をベッドの脇へ運びながら、フリングスは人当たりの良い頬笑みを浮かべる。
「…ジェイド?」
「ええ。帝国軍人として、天才科学者として、それに最強の譜術士として、何より我らが偉大なる賢帝ピオニー・ウパラ・マルクト九世の懐刀として大佐に課せられている激務は私など比較にもなりません。大佐不在では何も進まない計画や実験が幾つもありますから、本当に私たちにとって――いえ、陛下にとって何よりも得難い人材だと思います。何より、お二人の間には確かな信頼がありますから、最高に有能で気のおける右腕なんて、そうそう容易く手に入るものではありません。あの方は、本当に万物に愛されてお生れになったのだと実感しますよ」
 不意にフリングス将軍の口から出た人物の名前に、ルークは僅かに黒い気持ちを感じて、その正体も分からぬまま眉根を寄せた。不貞腐れたようにベッドの上に胡坐を掻いて、唇を尖らせる姿は、拗ねた仔犬のようだ。
「…の、さ」
「はい?」
「…その、フリングス将軍って、」
「アスランで構いませんよ。この旅の間だけでもそうお呼び下さい。ルーク」
「……ッ」
 例えフォミクリーの事実が明らかになったとしても、目の前の赤毛は十年間バチカルの屋敷の中で大切に育て上げられたランバルディアの希望の象徴だ。それを気安く呼び捨てるなどと、フリングス将軍の性格を考えれば考えられない――よって、逆にそうする事は『仲間』として共に在りたいと願い出ているのと同義であり、それを断るなんて勿体ない事をするわけがない。
「ん。わかった、アスラン。これから宜しくな」
「此方こそ、宜しくお願いいたします。決して、皆さまの足手纏いにならぬよう、心掛けます」
「アアハハッ、そんな畏まらなくていいって。むしろ、俺の方が迷惑かけると思う。その時はごめんな」
「このような少数精鋭のパーティであれば互いを補い合うのは当然ですから、迷惑と感じるはずもありません。それより、何かご質問があったのでは無いのですか?」
「あ、忘れてた」
 一の物事に集中しない自分の子どもっぽさを暗に指摘されたようで、キまずそうな照れ笑いの後、ルークは褐色の肌に銀髪の映える帝国の将軍へ真剣な眼差しを向けた。
「…アスランから見てさ、その、二人ってどんなかな」
「? お二人? 陛下と大佐…ですか?」
 質問が完全に予想外だったのだろう。見事に虚を突かれた様子で紺碧の瞳を大きく丸くするアスランに、ルークは少々バツが悪そうな様子で、しかし引かぬ姿勢で返答を求める。
「そう。ゴメン、変な事聞いてるのは分かってるんだけど。その、教えてほしい事があって…」
「私に答えられる事であれば、なんなりと。
 そう、ですね。とても強い信頼関係を築いていらっしゃるように見受けられます。本来、国を違える貴方へ話すべき内容ではありませんが、我が国も決して一枚岩ではありません。その中で、陛下にとってあらゆる意味で史上最強と謳われる大佐の存在は何よりも得難いのことでしょう。陛下の傍に大佐がいらっしゃる限り、謀反も造反もなかなか難しいでしょうからね」
「……ジェイドってホンキで優秀なんだな」
「ええ、それはもう。それに、敵対勢力への非情ぶりは徹底していますから、あの方へ牙を剥くには相当の覚悟を要します。陛下はあの通り寛容な方ですから、大佐のような人物が右腕として仕える必要があるんです。そう考えると、理想のお二人だと思いますよ」
 ――同じ帝都軍属への称賛を嬉しそうに受け止めるフリングス将軍の笑顔に、一切の世辞も含みも無く、本当に素直で心の綺麗な人なんだと感心しつつ、ルークは次の言葉に迷う。――そんな『いい人』に、こんな事を訊いてもよいものかどうなのか。
「あの、さ」
「はい」
「その…、えと、あの」
「……聞きにくい事ですか? 口では伝えにくいのであれば、紙に書いて頂いてもよろしいですよ?」
「――ッ、」
 こんな気遣いが出来る辺り、本当に大人なのだと――…何故か焦燥に近いチクリとした棘を胸に感じて、ルークはブンブンと大きく頭を左右に振った。
「ゴメンッ、ちゃんと言うよ。
 あのさ、本当にヘンな事聞くから。もし、困るんならそう言ってな」
「畏まりました」
 柔和な態度、穏和な口調を崩さずににこやかに応じる見目の良い軍属に、敵わないなぁと白旗をあげつつ、まだまだお子様ではあるが、一人前に恋に悩む赤毛の子は思い切って口を開く。
「ジェ、…ジェイドと陛下って、その、…主従を越えた仲だったりしない、よな」
 言った後で激しい羞恥に襲われて、ルークは頬を赤くしながら俯いた。率直過ぎる質問。それはつまり、自分があの極悪性悪冷徹眼鏡に惚れている事実を露吐するのと同義だ。
「ふふ、そんな事を心配されていたんですか。安心してください。それはありませんよ」
 しかし、意外にもと言うか、流石と言うべきなのか、ルークの言葉にも微塵も動揺を見せず、アスランは普段通りの優しげな微笑みを浮かべて、赤毛の子の不安を杞憂だと否定する。
「…ホント、に?」
「ええ。陛下の偉大なお心は私では図りかねますが、少なくとも大佐にそのような気持ちは無いようですよ。あの方たちはとても親密でいらっしゃいますから、そう見えてしまうのも致し方ありませんが」
「なんで言い切れるんだ?」
 人一倍責任感や正義感の強そうな、軍属の鏡の如き誠意溢れる青年の言葉を疑うわけでは無いが、他人の生活等把握し切れるものでは無いだろう。何故、そこまで断定出来るのかと純粋に不思議に思い、きょとんとした表情でルークは尋ね返した。
「大佐自らそうおっしゃっていましたから。帝国軍の一部では有名な話ですよ」
「――は?」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というのだろう。
 全く思いも寄らぬ言葉に翡翠の瞳を皿のように丸くして固まる赤毛に、マルクト帝国が若き少将は穏やかな微笑みを浮かべ、先を続ける。
「貴公には少々刺激が強い内容になりますが、宜しいですか?」
「あ、…ああ。構わないから、教えて欲しい」
「では、――…失礼」
 腰を据えた話になるのか、フリングス将軍は手近な椅子に座り、ルークへ向きなおった。
「戦役中の軍隊にとって重要な事に、何があるかはお分かりになりますか?」
「え――、…っと。そりゃ、水? とか、食糧? とか?」
「ええ、正解です。水や食料――つまりは物資の供給。これが断たれては戦う事は愚か、軍隊としての機能を失います。それに衛星管理。疫病で兵が倒れてはどうにもなりません。そして最後に性欲処理。戦場に大した娯楽はありません。戦の恐怖を少しでも忘れさせてくれるのが、SEXです。――特に、郷里に待つ人のいない若い兵は、欲望だけを追うSEXに溺れがちでしたね」
「………」
 上品な顔立ちに洗練された立ち振る舞い、優雅な口調から躊躇も無く謳われた露骨な単語に、ルークは顔を赤くして身を縮めた。何と答えたものやら悩みこんでいる様子に、微笑ましさを感じてフリングス将軍は口元の笑みを深くした。
「…見目の良い兵はすぐに『対象』にされます。軍既定で兵同士の諍いは禁じられていましたから、概ねは互いの合意の上での行為であったようですが、軍法違反者は常に存在していました。そんな中、第三師団師団長として任命された大佐を『そういう対象』として手を出そうとした…なんというか、ツワモノがいまして」
「え、えええええ!!?」
 仰天するお子様に、フリングス将軍は堪え切れずに忍びやかな微笑を洩らす。
「ふふ、驚きますよね。大佐が師団長に任命された頃はまだ『死霊使い』としての戦場の華名もありませんでしたし、多くの兵があの方の恐ろしさを知らない状態だったのですよ。
 一部の兵には陛下の寵愛を受ける愛人が遊び気分で戦場にやってきた、と受け止められたと思いますよ。既にカーティス大佐への陛下の信頼の厚さは軍内部で有名でしたし、あの美しさですから、そう見えても致し方ありませんしね」
「…でも、マジで命知らず過ぎる」
「当時、短い間でしたが私は大佐の補佐の任を拝命しておりましたから、一部始終を目撃しておりまして。今でもあの事件は忘れられませんよ。無論、愚行に及ぼうとした兵は全員大佐に返り討ちを受けまして、捨て台詞に大佐へ『陛下の姫姓のくせに』と罵倒したところ――…」
「こんにちは、フリングス将軍ンん〜〜♪」
「うわ、アニスッ!?」
 ノックもそこそこに部屋に飛び込んできたツインテールの少女に、ルークは何事かと飛び上がった。そんな仲間へは目もくれずに、金の亡者な元気印の人形師は褐色の肌をした、有能、二枚目、家柄良しと三拍子揃った獲物へ猫被りモードでキャピキャピと話しかける。
「短い間ですが、宜しくおねがいしまーす。私はぁ、導士イオン様付きの護衛やっちゃってます、ローレライ教団、信託の盾騎士団所属導士守護役アニス・タトリンでぇ〜〜すっ♪」
「こちらこそ、宜しくお願いいたします。アニス・タトリン殿。
 年若くいらっしゃるのにとても優秀だと、評判はかねがね伺っております」
「きゃわぁ〜〜〜ん! 若くて可愛いなんてぇぇ〜〜〜♪♪ アニスちゃんこまっちゃーう♪」
「…言ってねぇし。ったく。おい、アニス」
「はぁ〜い。なんですかぁ〜?」
 これ見よがしに『アスラン・フリングス玉の輿作戦』発動中な、くせ毛が可愛らしい黒髪の少女に、かつて同じ態度で接せられた子爵は、はぁと大仰な溜息を吐いて、一応釘を刺しておく事にする。
「言っておくけど、アスランはお前の本性知ってるからな。コナかけようたって無駄だぞ。無駄」
「うわっ! マジで!? 余計な事言わないでよ、バカルーク」
「ばっ、バカってのはなんだよッ!!」
「ウッサイな! アンタが記憶落っことしてる間、大佐がどんだけ――…っと、」
 しまった、とばかりに口元を押さえて後退するアニスに、ルークはぴんっと犬耳を立てて、ベッドから身を乗り出した。完全に攻守逆転の図である。余計な一言を後悔しつつ、背中にぬいぐるみのトクナガを背負った少女は、一歩、二歩と足元を確かめた。
「あ、あはははー。アニスちゃん、イオン様に用事があったんだったー。それじゃあ、また後でぇー」
「ちょ、ンな訳ないだろ! 今戻ってきたばっかだろ! コラ、逃げんなよ、アニスッ。今のちゃんと訊かせろって!!」
「しーらないっと!!」
 脱兎の如く身を翻して部屋から飛び出してゆく小柄な少女を追って、赤毛も反射で剣を手にして、一目散に追いかけてゆく。まるで嵐の過ぎ去った後のようだと、苦笑を零しつつ、アスランは深く息を吐いた。
「…私も興味があると言えば、教えて下さいますか? 大佐」
「謹んでお断りさせていただきますよ。フリングス将軍」
「ふふ、本当に貴公は彼に甘いですね」
 ずっとそこにいたのか、それとも途中からなのかは定かでは無いが、部屋の扉の影から現れた長 身の軍属に、アスランは驚きもせずにさも当然のように話しかける。
「…泣く子には勝てないというものですよ。他意はありません」
 優美な微笑みに溢れる愛おしさを抱きながらも、社交辞令のような言葉を口にする死霊使いに、アスランはやれやれと瞳を優しく細めた。軍属として礼を尽くし、義を通すべき彼らは、こんなにも不器用で拙く、臆病だ。そしてそこが愛おしい。生涯を賭けて忠誠を誓える主に出会える事は、軍人にとって最高の栄誉であり幸福でもある。
「それより、無理を言っておいてなんですが、本当に同行して頂いてよろしいのですか?」
「問題ありません。それに、事の重要性からすれば、何よりも貴公等を優先すべきでしょう」
「――助かります」
 レンズの薄い眼鏡を中指で押し上げ、マルクト帝国第三師団師団長である麗しき軍属は、謝辞を述べた。確かに、正直世界の命運を握っているのは自分達の行動だ。マルクトやキムラスカの行為はあくまで支援行動に過ぎず、キムラスカ・ランバルディア王家が一子ルーク・フォン・ファブレ率いる一行が、神託の盾の主席奏長の肩書を持つ男の狂気を止めきれなければ、言葉通り、世界は終わる。いや、正確には『人間』という種とそれらが紡いできた歴史が終焉を迎えるのだ。
「…しかし、敵将とは言えヴァン・グランツ謡将と言えば智慧、武勇共に名高い名将。
 到底、このような凶行に至る方には見受けられませんでしたが」
 直接面談した事は無いが、神託の盾の六神将を従える勇壮なる姿は、アスランとて何度か遠目にした事はある。聡明にて勇猛果敢、冷静沈着ながらも大胆な戦術を巡らせ最大の戦果をあげてみせる。謂わば、マルクト帝国における死霊使いジェイドのような存在である。
「――…優れるが故に、彼の瞳には違う景色が映っているのかもしれませんね。しかし彼の思惑がどうあれ、我々が生き残る為には、ヴァンを止めるしかありません」
「確かに。私も尽力致します」
 マルクト帝国でも屈指の有能さを誇る少将の頼もしい言葉に、ジェイドは宜しくお願いします、と皮肉も嫌味も含まれない珍しい姿勢で頭を下げた。



 音素が集中する場所はセフィロトと呼ばれ、世界に存在する最大数も場所も決まっている。しかし、その他にも中規模の音素集中地域は幾つか存在するが、それらは全て流動的であり、一定の場所で留まる事が無い為、どの研究組織も完全なる把握には困難を極めている。
 その中規模音素集中地域はセフィラルと呼ばれるのだが、普段、音素など全く意識もしていない人々の中の認知度は低い。よって、一般常識には程遠い知識になる。そんな単語を知っている自分は幸運なのかどうなのかは、非常に微妙な判断だと、ギンジは溜息を吐いた。
「うーん、心配だなぁ…」
 レギンヌ渓谷の奥地にセフィラの存在を感じ取った雇い主から、秘境の地へ航路を取るように指示を出されたのには何の不満も無い。大空も譜業も愛しているし、それらを充分に感じさせてくれる今の雇用主には満足している。何より、自分の力が世界の救済に役立てられるなんて幸福だ。戦時中なら、きっと人の命を奪う道具として扱われていたに違いない飛空艇で、人々の笑顔を守れる手助けが出来るなんて、技術者冥利に尽きるというものだ。
「あの二人…気まずくなってないといいけど。
 なんだか、ガイさんと一緒だと、アッシュさんはヘンにピリピリするもんな…。
 ……仲が悪いわけじゃないんだろうけど、なんでだろ…?」
 あの金髪の二枚目剣士は、雇い主――アッシュと名乗る赤毛の男の幼馴染だと少しだけ聞きかじっていたし、何より、命の恩人だ。恩義のある相手の頼みを無碍にする訳にもゆかない。それになにより、その瞳は真剣そのものだった。あれだけ必死に頼み込まれて怖気ずくなど、男がすたる。
「ま、僕が心配してもしょーがないよね!
 さて、今のうちにエンジン調整とか…やることは山積みだだー。何時でも迎えに行けるように調子を万全にしとかないとね!」
 長年愛用している色あせた板装の工具箱を片手に、ギンジは威勢良く掛け声を上げたのだった。



 レギンヌ渓谷は人類未踏の場所と呼ばれるだけあり、微塵も人が分け入った気配が無かった。
 道なき道を手元の方位磁石と太陽の位置だけで探り行く二人だけの強行軍。これだけ険しい自然の中では魔物すら生息が困難であるのか、生命を拒絶する絶壁の谷肌を頭上に見上げながら、光の中で優しく輝くハニーブロンド持ち主である護衛剣士は、ひたすらに前を目指す黒と赫の背中の後を追っていた。
「………」
「………」
 直ぐ傍で下流へと落ちてゆく清流のせせらぎと、荒れた土地を規則正しく踏みしめる二人分の足音だけが響く、静寂の世界。十年もの長期間に渡り、仇敵の懐で息を潜めていただけあり、ガイ・セシルなる青年は決して騒々しい性質では無いが、それでも、今のこの無言は気詰まりだった。
 暫くの同行を申し出た此方に対して、かつての幼馴染みは流石に驚きはしたものの、否とは言わずに、勝手にしろと吐き捨てただけだった。何と断られようとも孤高の愛し君の傍へ寄り添おうと決意を固めていただけに、かなり拍子抜けではあったが、それから口をきくどころか、目も合わせようとしない頑なな態度に――正直、焦れてはいた。
「………」
 無残に踏み締められる度に、大地は惨めな音で啼く。
「………」
 互いの間は決して遠くは無く、しかし、近くも無かった。
「………」
 伸ばした腕、指先が、安易に触れられるような距離で、迷い続ける。
「………」
 神託の騎士にて不動の地位を誇る六神将。その中でも、特攻隊長として名を知られる『鮮血のアッシュ』。本来の聖なる焔の光――ルーク・フォン・ファブレ。大国の公爵家に生を受け、永久の繁栄の約束の代償として、ユリアの予言に捧げられし祝福の子。悲劇のホドの戦災者であるガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵にとっては、胸の内に燻り続ける憎悪を向ける対象でしか無いはずの、仇敵が一子。
「………」
 憎しみが無いのかと問われれば、即座に否定するだろう。
 黒く淀んだ情念は、確かに胸の窪み静かに存在して、ふとした瞬間に牙を剥く。
 今だからこそ冷静に振り返られるが、もしあのまま複製ルークとのすり替えが無く、聖なる焔の輝きとして生まれついた『ルーク』がキムラスカ・ランバルディアの王家の正統なる後継者として、ナタリア王女と幸せな未来を描いていたのなら、おそらく疼く復讐心を抑えられなかっただろう。過去に囚われず、未来への道を模索してみようと思わせてくれたのは、十年間親友をやってきたあのバカで手が掛かるルーク坊ちゃんであって、ルーク・フォン・ファブレ子爵では無い。
「………」
 ――けれど、憎しみを抱くには、仇敵の子は余りに辛い宿業に苛まれていた。
「………」
 如何に利発で才覚のある次期王位継承者とは言え、当時はたったの七つの子どもだ。卓上で得た知識だけで目にした初めての世界は、酷くいびつに歪んでいただろう。幼い時分の『ルーク』の事を忘れたことなど無い。そう――ルークと入れ替わる以前の『ルーク』の姿の方がより鮮明に記憶に刻まれている。
 ――…これが、仇敵の息子か、と。滾る憎悪に視界が緋色に染まったような錯覚を覚えた。
 虚弱な体質であるが故、思うように我が子を構えぬ反動か、慈悲深く愛情溢れる母。大国を支える重鎮が一人であるが為に、滅多に情を顕わにはしないが、無垢なる幼き瞳には、充分誇らしく映えたであろう、父。そして、何より――将来を誓い合い、未来へ繋がる愛を紡ぎ合った婚約者。
 かつての『ルーク・フォン・ファブレ』は、いっそ、羨望を抱かずにいる方が困難である程に、人が、人であるが故に望む全てに恵まれていた。ただ偶然にキムラスカ・ランバルディア王国の王位継承者に生まれついた、それだけで、幾千幾万の民草の血涙を知らぬうちに靴裏で踏みつける無知なる傲慢の子を、その父に、その国に、全てを平等に冷徹に無残に奪われた無幸の少年が、赦せるはずも無かったのだ。
「――……、……」
 しかし、あらんばかりの祝福は十年前のあの日、赤い髪の王家の子の手を取り、孤独という奈落へ突き落したのだ。いや、よしんば当時の事件が無かったとしても、ユリアの秘預言(クローズド・スコア)通りに鉱山の街アクゼリュスで命を落としていただけで、どうあろうとも、『聖なる焔の光』の運命は――偉大なる歴史の始祖、音率士ユリア・ジュエによって呪われていたのだ。
 ファブレ公爵にも、キムラスカ・ランバルディアという形はあれど捉えきれぬ巨大な仇敵にも、今だ憎しみは消えない。胸の中で燻る熱は、やがて緩やかに形を変えてゆくのだろうが、決して無くなりはしない。戦禍の後はただ悲しみに満たされて、それから、絶望に世界が色褪せ、そして――、
「………」
 はぁ、と盛大な溜息を吐いたのを聞き咎めてか、前を往く黒装束の騎士の肩が小さく反応した。
「…疲れたのなら、そこで待っていろ」
 振り向きもせずに吐き捨てる声に、感情は籠められていない。
「これくらいで根を上げるような鍛え方はしてないさ」
「………」
「それより、お前こそ大丈夫なのか?
 お前が元に戻った後、ルークの方は一時的な記憶障害が起こって、ひと騒動あったんだが」
「…問題ない」
「そっか。なら、良かったよ」
 会話らしい会話もせずにいただけに、端的な内容であっても言葉を交わせるのは有難いと、ガイは安堵に少しだけ胸を撫で下ろした。
「………」
 無言で足を踏み出した神託の騎士が誇る特攻隊長『鮮血のアッシュ』に、口伝のみで次代へ伝えられるアルバード流剣術を自在とする有能な護衛剣士は、やはり、溜息を零した。
「……なんだ」
「――え?」
 途端に、不機嫌そうな声音で主語も述語も無く問われ、ガイは面食らって蒼の瞳を瞬かせる。
「…溜息。」
「あ、や、――…なんでもないんだ。気に障ったんなら、気をつけるよ」
「………」
 本来、行動を共にするべき仲間達から離れてまで『敵』の傍に居るのだ。これで本当に何も無いのなら、底抜けの莫迦としか言いようがない。そして、ガイ・セシルなる人物は決して愚かと評されるような粗末な人間では無い事も、またひとつの事実だ。
「……お前は一体、何のつもりでここにいる」
 歩みを止めぬまま問われるそれは、様々な意味で複雑な立場にあるホドの青年にとって、慎重を必要とする内容だった。
「…確かめたい事がある。
 ――それを、確かめに来たんだ。お前に」
「なら、とっととそれを言え。そして、サッサと仲間の処へ戻れ」
「…そんなに俺と一緒にいるのは嫌なのか。アッシュ」
「………」

 無言。
 こんな生命の匂いの無い孤独な場所でも、遥か高く見上げる空にだけは、高山地域の気候を好む全長の大きな野生の鳥が飛びまわっていた。その鳴き声を遠く耳にしながらの静寂は続く。
 アッシュ――、本来の『聖なる焔の光』である青年は、決して迂闊でも粗忽でも無い。どちらかと言えば慎重派で、熟考を重ねた上で、事を運ぶタイプの人物だ。常日頃は、荒々しい口調や横暴な態度が前面に押し出されている為に気付きにくいが、全て計算あっての事である。今も、ただ此方の言葉を無視しているように思えるが、思うところがあって口を噤んでいるのだろうと、容易に予測出来た。そして、そんな幼馴染みの邪魔をする程、無粋では無い金髪の青年も、黙り込んで返答を待つ。
 ――本気で、心の底から拒絶されたのなら、潔く身を引こうと。
 ただし、その身を案じるくらいは許して貰おうと。
 己の中に決意と覚悟を決め、何時でも最後通告に備えるホドの生き残りである青年に、アッシュは背中を向けたまま、ボソボソと言葉を紡ぐ。
「…嫌だなんて…、言ってねぇ」
「だったら、どうして追い払おうとするんだ。俺はお前といたいから来たんだ」
「……ッ。
 お前達はお前達の動きがあるはずだろ。剣士が一人抜ける痛手は少なくない」
「それは当面問題ない。フリングス将軍が当面パーティに加わってくれる事になっててな。ジェイドから陛下に頼んでもらったんだ」
「………」
 フリングス将軍――、マルチな能力の高さと申し分の無い家柄によって、異例の早さで少将にまで登り詰めた非常に優秀な軍人だ。老いたる卓上将軍や権威だけのお飾り将軍とは違い、真に実力を備えた軍属である。確かに、アスラン・フリングス将軍であれば、戦力的には左程見劣りしないだろう。無論、常識人でありパーティの良心。そして、レプリカ・ルークにとって最も近しい理解者であるガイ・セシルの代わりを完璧に演じてみせるのは、如何な実力者であったとしても不可能な事ではあるが。
「…帝国がよくあのフリングス将軍を貸したものだ」
「ピオニー陛下は寛大な方だ。何より、ジェイドの旦那の頼みなら大概は断らないさ」
「……賢帝、か。
 フン、秘預言(クローズド・スコア)に詠まれる最後の皇帝の分際で――…」
 有能だ。
 預言に操られるだけの臆病で無能な為政者達――その最たる人物は、キムラスカ・ランバルディアの玉座へ坐する、愚かなマリオネット・キングであるのだが、彼らとはあらゆる意味で次元が違う。破天荒過ぎる思考や行動には賛同しかねる点も多々存在するが、水の王都へ君臨するピオニー・ウパラ・マルクト九世は、寧ろ、立憲君主制の現状では無く、絶対君主制において如何なくその能力の全てを発揮させるのだろう。
「…アッシ――、!」
「………」
 不意に黙り込んだ黒の背中が、まるで泣いているような錯覚を覚えて呼びかけた声を――顔つきを険しくさせて、呑み込んだ。ヴァンデルデスカに拉致されてからの十年間を騎士として過ごしてきただけあり、アッシュもいち早く異常を察知しており、岩肌に張り付くようにして周囲を伺う。
「……敵か?」
「――…いや」
 ――肌を刺す獰猛な気配は、けれど殺気では無い。
 『殺気』とは、人が意図して他人を殺めようとするが故に周囲へ漏れ出る悪意の塊であり、今先ほどに、静謐の世界を震撼とさせたそれは、原始的な欲望だけで形作られていた。つまり――餓え。捕食者としての獲物を食らいたいという本能に起因した衝動。目的が明確なだけに、直接的で純然たる恐怖に囚われやすい。
「…人、じゃねぇな。魔物の類だろうが――…」
「――…そうか。なら、やり過ごすのが無難だな」
「ああ。出来るだけ無駄な戦闘は避けたい」
 言って、霧の出始めた峡谷の底で慎重に周囲を見渡すアッシュに、ガイは少し先を指刺す。
「なぁ、あの辺り――横穴があるように見えないか?
 ずっと歩き詰めだし、休憩のついでに少し身を潜めよう」
「…分かった」
 赤毛の六神将は神託の盾でも対外戦闘に特化しており、荒々しいイメージが強いが、その実、冷静で的確な状況判断を行う。幼き時分に育まれた『王』としての資質は、今を以ても確かに聖なる焔の光である青年の中に息継いでいた。結果的に『ルーク』の場所を奪った偽物(レプリカ)には辛辣な態度を取る事が多いが、本来は理知的で合理的、先を予見し可能な限りの最善かつ最良の道を選択しようとする冷静な人物だ。よって、例え不本意な同行人からの提案であったとしても、その判断が適正であると判断したのなら、無闇に逆らう愚行を起こすはずもない。
「……雨だな」
 ガイが見つけた岩肌には確かに身を潜められるだけのスペースの横穴が存在していた。当然ながら人の手に寄るものの分けが無いので、自然の洞窟ということになる。奥へ進めばまた別の危険に遭遇する可能性があるため、二人は向き合う形で入口付近に腰を下ろしたが、丸く切り取られたような外の景色に、空から不規則に落ちてくる雨粒を認めて、ガイは呟いた。
「…フン」
 雨の中の強行軍は好ましく無い。
 例えば奇襲攻撃であったり隠密行動であったなら、雨という特別な気象条件を利用する事もあるが、今回の音素ポイント探索――ひいてはローレライの鍵の捜索という活動に於いて雨天下の行動を無理に押し進めるメリットは皆無だ。雨が長く続くようであれば出直して日を改めるのが的確な判断と言えるだろう。
「こう霧が深いと、上の天気も分からないな。
 ひとまずここで様子を見るか?」
「ああ。無駄に動いて体力を消耗するなんざ、バカのやることだ」
「了解。じゃ、少し休ませてもらうとするか」
 大人二人分程の縦幅のある洞窟の中で大きくノビをして、ガイは背中を岩肌に預けた。邪魔になる剣は鞘ごと右脇に置きなおして、背負っていた道具袋を伸ばした両足の上へ乗せて中身を物色し始める。
「………」
 何をしているのかと不審そうな翡翠の視線に気付くと、優しい金髪に爽やかな夏の空のような青の瞳といった甘い容姿の護衛剣士は、微苦笑を漏らした。
「ンなに警戒してくれるなよ。別にお前の不利になるような真似はしないさ。
 ホラ――、食えよ。
 そろそろ小腹が空いてきた頃だろ」
 気さくな言葉と共に投げて寄越されたのは携帯食としてメジャーなおにぎり、だった。反射的に受け取ったものの、半透明の保存袋に包みこまれたそれをどうしたものか、眉間の皺を深くして悩みこむ相変わらずな幼馴染みに、ガイは半ば呆れ気味に食事を促す。
「そんなに悩むような事じゃないだろ。
 安心しろ、俺は料理もそこそこうまいから、マズくは無いと思うぞ。
 チキンをバジルソースであえたものと、照り焼きにしたものも入れてあるから、食えよ」
「…ああ」
 知らぬ間に些か手の込んだ食糧を用意していた同行人の手際の良さに感心しつつ、アッシュは一口、白米を齧る。仄かな塩味が知らぬうちに疲弊と空腹を訴えていた身体に染み入った。中身は、今しがたの解説にあったチキンのバジルソース和え。上品なスパイスが効いた握り飯は確かに美味い。気苦労ばかりの伯爵はその性格からか器用貧乏で大概の事ならソツなくこなす事が出来る。
(……うまい…)
 携帯用の水ボトルを片手で開けながら、アッシュは受け取った食事を無言で片づける。そんな赤毛の幼馴染の様子を、まるで野生動物の餌付のようだと、それと分からぬように苦笑を漏らし、陽だまりのような輝きの髪の青年は、小雨に濡れる世界へ目を向けた。
「…直ぐ止めばいいけどな」
「ああ」
「ここからセフィラルまでは後どれ位掛かるんだ?」
「…おそらく二時間弱だ」
「まだ先か。待つ方が無難だなー」
 大粒だった雨は直ぐに小雨に変わり、何時の間にか霧状のそれとなっていた。然程濡れる心配も無いので強行に進む事も出来なくは無いが、元々薄くあった靄と混じり合って霧の濃度が増している。渓流に沿って遡るだけなので、余程方向に疎く無ければ迷いはしないが、濃霧の移動は危険が伴う。特に、厳しい景観の地であれば一寸先に切り立った崖という事も有り得るのだ。
「ああ、下手に動き回るのは得策じゃない。
 ――ここで休養だ。一晩待って止む気配が無ければ、タイミングを測って一度帰艦する」
「りょーかい」
 時折渓谷に吹き付ける横風に煽られて、霧雨がサァっと儚い音で流れてゆく音と、普遍に流れ続ける渓流の音だけが、静まり返った洞窟に届いてゆく。まるで世界が深く穏やかにまどろんでいるような幻想的な錯覚に、ガイは食事の手を止めて、詰めていた息を吐き出した。
(…こうしてると、全部ウソみたいだな…)
 オールドラントと呼ばれる外殻大地の崩落も、全を呑み込む悪魔と化した泥の海――(いにしえ)の大地である魔界の存在も、フォミクリー技術による複製人形(レプリカ)も、ユリアの破滅の預言(スコア)も、ホドの消滅すら――そう、何もかもが悪い冗談だったと肩を叩かれれば憤慨と共に、心からの安堵に包まれるのだろう。
(…全部ウソなら。アッシュとルークは双子の兄弟ってトコか。
 ――ははっ、コイツら仲悪そうだなぁ…)
 少々破天荒でお転婆ではあるが聡明なナタリア姫はどちらの皇子の手を、未来の伴侶として選びとるのだろうか。妥当に考えればアッシュだろが、誕生の順であったり、将来の指針となるユリアの預言に左右される点を考慮すれば、一概には言い切れない。
(…でも、そうだな――、
 もし全部がなかったことなら、俺は…――)
 どうしていただろうと取り留めも無い事を考える。
 ホド島の領主であった家督を継いでいたとは思う。姉上は気丈で勝気な方だったが、女性らしい嗜みや慎み深さも同時に有していた。弟の自分が言うのもなんだが、とても美しい方であったし、家柄も申し分無いとくれば、今頃引き手数多の求婚者に胸を躍らせ――…、いや、あの姉上だ。そんな可愛らしい反応をするわけがない。軟弱な貴族の求婚者を片っ端から袖にしている姿の方がしっくりくる。言って効かない相手には剣を振り上げて凄んでそうだと、肩を震わせた。
「……何を一人でニヤニヤしてやがる」
「ああ、悪い。…なんでもないんだ」
「………」
 当然の如く連れには不審そうにされ、ガイは緩む頬を必死で引き締めながら、片手をひらひらと振って見せた。充分に納得した様子では無いが、それ以上の問答は不要と切り捨てて、アッシュは手元の水を煽り――、
「…確かめたい事ってのは、何だ」
「――…唐突だな」
 面食らう長馴染の戸惑いを構わず、アッシュは淡々と言葉を続ける。
「どうせ他にする事も無い。お前の用件が話だけなら、今済ませておくのが合理的だ」
「…まぁ、そうだけどな」
 情緒もへったくれもない片恋の相手に苦笑が漏れるばかりだ。ここ最近になって理解したのだが、この深紅の髪の子爵様は結構本気で天然だ。そんなところが――可愛いと――思ってしまう位には、この手の掛かるもう一人の赤毛に惚れている気苦労の青年である。
「んじゃ、腹も膨れたことだし。単刀直入にいくか」
 佇まいを正して――静かに長く息を吐く。今更の緊張に指先が震えて、そんな自分の弱さに苦々しさを覚えながらも、柔らかな金髪の剣士――、ガイ・セシルは覚悟を決めて、口を開いた。



告白&チュウとかされていながら
あまりにも何でも無い素振りをするアッシュ☆
照れているんじゃなくてどうしたらいいか分からないから放置
そんな天然がカワユスだと思うのです
全く関係ないですけど、アッスは眼鏡が似合うと思います
分厚い専門書とか読む時にかけてたりするとキュン死出来ます