虚ろな未来へ・3
「――下らんな」
かなりの決意と覚悟を以て口にした言葉はにべもなく吐き捨てられ、流石にガイは唖然とした。
「…って、お前ッ…」
「余他話に付き合うつもりはない。
お前の言う『確かめたい事』がそれなら、もういいだろ。今回の探索が済んだら、ギンジにグランコクマまで送らせる。後は、マルクト皇帝になんとかしてもらえ」
「…待てよ。まだ答えは聞いてないぞ。
ジェイドが言っていた『ドッペルゲンガー現象』。それがお前に起こってるんじゃないのか? 大丈夫だっていうなら、俺は素直にルーク達の処へ戻るよ。答えてくれ」
「……始まってる。俺自身でも後どれ位保つのかは分からない」
否定されるかと思えば、過酷過ぎる預言に定められて生まれてきた王家の青年の口からは、アッサリと肯定のそれが返されて、問い詰める側としては拍子抜けしてしまう。と、同時に一瞬の内に胸が黒い重い何かで押し潰され、次の瞬間には堪え切れずに次々と溢れ出ていた。
「ッ…お前、そんな簡単にッ!! 乖離ってのは――、乖離ってのはお前がいなくなるって事なんだ。分かって無いわけじゃないだろ! ヴァンの奴を止めるのは俺達で何とかする! だからお前は大人しく――…」
「…大人しく、生き延びる術でも探していろっていうのか」
「……ッ」
先手を打たれるように鋭く切り返され、ガイは言葉を失った。
元より見識深く先見の才も備える聡明な人格だけに、気苦労ばかりの幼馴染から掛けられる言葉など想定の範囲内といったところなのだろう。そして、それを打ち砕くだけの回答も既に用意済み。
「お前達と行動を共にしているあのクズが充分に俺の能力を継いでいて、乖離を止める手立てが既に解明済みなら大人しくするのも考えただろうな。けれど、現状は絶望的だ。クズではヴァンの野郎を止めるに役不足、ドッペル現象を食い止める手立ては今のところ皆無。こんな状況で大人しくしていられる程俺はバカじゃないつもりだがな」
「…アッシュ…」
悲しみに沈む声に後ろ髪を引かれながらも、漆黒の甲冑を隙も無く着こなす神託の盾の特攻隊長である青年は、淡々と事態を分析した。そうするしか、自身の冷静さを保てそうに無かった。
「お前達が大所帯でヴァンの野郎のケツを追い回してくれるお陰で、俺の方はマークが甘いんだよ。別行動にもそれなりにメリットと理由があるんだ。だから、お前はサッサと温いお仲間トコロへ戻れ」
「……アッシュ」
「なんだ」
愛しく想う赤毛の子からの思わぬ拒絶と告白に暫し沈み込んでいた様子の青年は、静かな口調で問い掛けた。戻れ、帰れの忠告を無碍にするわけでは無いが、仲間に迷惑を掛けてまで自分の我儘を通した上で成果の一つも無い帰還は情けな過ぎるというものだ。
「俺の告白は覚えてるか」
「………」
沈黙は肯定の証と受け取って、ガイは切々と語りかける。
「俺は冗談なんかであんな事は言わない。わかってるだろ?
あの時は――この戦いが終わった後でいいから考えてほしいって言ったけどな。どうやら悠長に構えている暇は無さそうだしな。本当は長期戦で口説き落とすつもりだったんだけどな」
「……良識を弁えたお前の言葉とは思えないな」
華奢で見目麗しい美少年というのならまだ兎も角、齢十七にもなった青年男子に真剣に口説こうとするなんて、正気の沙汰とは思えない。――いや、男性同士の恋愛や結婚は文化として根付いている国家や地域があるために、破天荒な思考と言い切るのも暴挙ではあるが。それでも、ガイ・セシル程の容姿と人柄に恵まれた人物ならば、懸想する女は爵位も与えられた今、それこそ星の数だろうに、何を好んで――…。
「…『良識』か。残念ながら、そんなものとっくに失くしたさ。
じゃなきゃ、暗殺対象相手に保護者気どりなんて、無理な話だと思わないか」
「………」
暗殺――…軽口に紛らわせているが、元来『ガイ・セシル』――いや…『ガイラルディア・ガラン・ガルディオス』の名を冠する青年は人に愛し愛される陽溜まりのような人物だ。人の命や人生が安易に踏み潰される動乱の時代において、暗殺や復讐といった血生臭い単語がこれ程似つかわしくない男も珍しいだろう――、ペンより重い物を持ったことが無い深窓の令嬢でもあるましい、刀身と鞘を巧みに操る変則二刀流の使い手でありながら、世界の闇とは全く無縁のように感じられるから不思議を通り越して、最早怪奇現象だ。
「…お前は」
「ああ」
アッシュの言葉を一言も聞き逃すまいとするガイの姿勢は何処までも真摯だ――、心の奥底を暴く青い瞳は、光の道標も生きるべき指針も失った幼い時分に憧れた、遠い空と同じ色のまま、で。
「俺とアイツをすり替える計画に関しては、報告を受けていなかった。…そうだな?」
「……あ、ああ」
今までの話とは全く関連性の掴めない脈絡の無い質問に戸惑いつつも、爽やかな容姿の護衛剣士は正直に答えた。かつての臣下であるヴァンデルデスカ・ムスト・フェンデの狂気の集大成とも言える人類レプリカ計画は全くの秘密裏に進められていた。六神将の中でも限られた者にしか、その全貌は明かされていなかったのだ。同郷のよしみか、自身やピエールを辛うじて救済リストに名を挙げ連ねてくれていたのは、流石の忠義と感嘆すべきところなのだろうか。今を以ても『主』として膝を折ってくれるのならば、此方の声と願いに耳を傾けて、世界へ向けた刃を収めてくれはしないかと、未だに淡い望みを胸に抱いている己の認識能力の低さには今更ながら嫌気が差すところだ。
「…知らなかった、は免罪符にはならないけどな」
ともすれば自嘲に傾きかける流れを無理やりに是正し、それで――と、ガイはアッシュへ真意を問い正そうとした。
「…お前は、ヴァンの野郎の行動を把握して無かった。レプリカ計画における一連の事件は全てあの男の独断によるものだ。――なら、俺の答えは決まってる」
「…決まってる?」
既にその関係は過去の遺物と成り果てたとしても、主の身でありながら臣下の非人道的行為に対し、制止を掛けるどころか把握すら出来ていなかった自分を許せないのだろうかと、ガイは不安に駆られ眉根を寄せる。摩り替え事件の真相を見抜けず、レプリカ・ルークを本物と思い込み傍に在り続けた件を持ち出されたのなら、言い訳も立たない。
「答えはもう返したはずだ。後は勝手に判断しろ」
「え、ちょッ…?」
ガシャリ、と耳に障る金属音と共に、目許も気配も鋭い神託の騎士の特攻隊長である黒鎧の青年は立ち上がる。自然が生み出した洞窟は人が休むには少々窮屈で、うっかり後頭部を打たないように片手を天井に添える姿が妙に微笑ましいが、今は、そんな仕草に魅入っている場合では無く。
「お前はここに残れ」
「…ッ、アッシュ…」
前だけを見据える激しい輝きの幼馴染に倣い起き上がり掛けた姿勢を制され、悲劇の連鎖のただ中に有りながら温もりを失わない優しい青年は、眉を下げた。本気で拒まれれば強行な姿勢は取れないのがガイが、ガイたる所以だ。如何なる結末になろうとも、最終的に相手の意思を尊重するだけの懐の深さを持ち合わせている。そう――、それが例え諸刃の剣であったとしても、だ。
「――…そんな顔をするな」
どんな表情をしていたというのだろうか、ふ、と――…アッシュが、今や泣く子も黙る無慈悲の将軍であるはずの深紅の髪も麗しい孤高の青年が、完全に無意識なのだろうが、酷く甘い声で囁く。その哀愁を湛えた微笑みは激しく胸を突かれるものであった。
「……ッ、アッ」
シュ、と続けようとして、拒絶の無い優しい困惑の視線に言葉を呑み込むしかない。
「…問題無い。元々、今までも一人でこなしてきた。
それに中規模音素ポイントの探索は、独りの方がいい。お前のような強い気配は傍にあるだけで、探知の邪魔になる。大まかな方向を掴む位なら然程影響は無いが、正確な探知は困難だ」
「………!」
己のエゴが知らぬ内に相手に迷惑を掛けていたのだと思い知り、ガイは目を見張った。すまん、と謝罪を声にするのも力が無い。結局は何もかも空回りだ。世界から生を否定された哀しい存在を、誰にも理解されぬ孤高を往くしかない愛しい修羅の子を、全身全霊で守りたいを決意したのに、どうにもならない現実を見せつけられる。そんな中で、しかしならば――…と、最低限の矜持が鎌首をもたげた。
「なら最初から言えよ。幾ら何でも本当に邪魔になるなら自重くらいするさ」
「……フン」
何処か拗ねたような子どもっぽい響きに、アッシュは微苦笑を洩らした。先程までの冷えた拒絶の気配は薄く和らいで、こうしているとまるで『ルーク』のようだと、纏う可愛気にガイは見惚れる。無論、熱を伴う欲望を手向ける対象はあくまで神託の騎士を名乗る六神将・鮮血のアッシュであって、親友の『ルーク』では無いのだが、そんなことは当然ながら理解済みだ。
「…返事を思い出すには十分な時間だろ。有効に使え」
「って、そんなの何時――…」
残念ながら、思い当たる節が全く無い。
第一、今回の件の返事というからには告白の後という事になるのだろが、あれからマトモに顔を合わせたのはこれが初めてだ。互いに世界中を飛び回る身でもあり、また聖なる焔の光として偉大なる始祖ユリアに生誕の祝福と死の呪いを予言まれた『ルーク』は世界を心底より忌諱しており、キムラスカやマルクトといった、世界を代表とする国家の全面的な協力を請ける王家の子やユリアの縁者から成る一行も激しく否定していた。接点らしき接点も無い中、思い出すのは悪態と中傷、それに時折見せる寂しげな横顔――…、くらいだ。
「帰るまでに思い出せないようなら、俺もお前の告白は忘れる」
「! ちょ、それは無いだろッ、アッシュ!!
俺がどれだけの覚悟でッ…、いやまぁそれはいいとして、せめてヒントくらい…、」
バツの悪さから途中でもごもごと口籠るアルバート流の使い手である護衛剣士に、如何なる状況であっても決して己の信念を曲げない高潔の魂を抱く青年は、ふと目許を緩めた。
「……昔だ。ずっと、昔だ。思い出せないなら、無理に思い出す必要はない。――忘れた方がいい。それが賢明な判断だ」
「…むかし…?」
忘れた方が良い、などと形式通りの忠告に想いを諦められる位なら、こんな苦悩は無い。振り払おうと、忘れようと、無かった事にしようと、そのどれも思いつきもしなかった。幼くして国家や世界といった大人達の都合に左右され続けた聖なる焔の光――、無上の輝きの存在。それは余りにも、
「…昔って、何時頃――、って、おい…!」
考え込んだ一瞬の隙に赤毛の姿は最早視界には無かった。相変わらずの行動派だ。こうと決めたら即行動。即断即決の姿勢は、臆病の冠を着せた何処ぞの無能とは大違いだと毒づく――自身に気付き、緩く己を窘めた。あれはあれで良い処もある。何より、王女への愛情深さは好ましい。ホド島の滅びはユリアの預言に詠まれていた。特定の者だけを責められる程、世界の理屈は単純では無い。理解しているはずなのに、時折激しく燃える己の内の炎だけは、今を以ても御し難い。
「…全く。勝手だよ、お前ってヤツは」
胸を黒く塗り込める程の憎悪を手向けたはずの幼い赤毛達が、今は、こんなにも愛おしい。それぞれに抱く想いの違いはあれど、二匹のひよこはどちらも酷く可愛い。自身が天涯孤独の身である故に家族愛に飢えているという事もあるのだろうが。
「…全く、二時間で何を思い出せってんだ…」
溜息をひとつ、そして消えた背中を追う事を諦め腰を落とす。今現在の最優先事項は、アッシュの『返事』を探す――思い出す事だ。一応、ヒントは残してくれたものの、昔、の単語だけで思い出せとは何とも意地の悪い謎かけだ。いやそもそも、アッシュとしては此方が思い出すのを望んではいないのかもしれない。
「…昔…、ったって…」
十年前の誘拐事件以来傍に在ったのは『ルーク』であり『アッシュ』では無い。なら、事件前に遡れという事なのだろうか。十年と言えば結構な時間だ。それに当時は自身も幼く記憶も曖昧で、思い出せと言われてそう簡単に行くものでも無い。
「……大体、俺に懐き出したのは記憶を失くした後だしなぁ…」
確かにアッシュにも『傍付きの護衛』としての一通りの信頼を得てはいたものの、決して主従の関係を越えたものでは無かった。現在の『ルーク』と築いている親友という関係は『ルーク』だから成り立ったものであり、キムラスカ・ランバルディア王家の第一王位継承者ルーク・フォン・ファブレとは無理だったと断定出来る。寧ろ、復讐の刃を小さな命へ突き立てていたかもしれない。
(……俺が復讐を決行してたら…)
ユリアの秘預言はどうなったのだろうか、と考えるだけ無駄な仮定への疑問が生じる。キムラスカ・ランバルディア王家の繁栄――、ひいてはオールドラントを生きる人類全てへ半恒久的な黄金期、未来永劫の栄華を約束する預言は狂ったのだろうか。
「…いや、きっと無理…かな」
ユリアの預言が詠む未来は絶対と言い換えても過言では無い。それは、大繁栄への預言を忠実に擬えようとする管理者やローレライ教団の存在もあるが、それらは所詮は人が人に対し揮う力であり、同じ次元の生命体である人に越えられぬ訳が無い。しかし、ユリアの預言は違う。強大な求心力、抗い難き行使力、何千年という歴史の流れの中にあり、最早彼女は『神』へと昇華した存在。その意思に逆らうなどと、マトモな思考の人間ならば恐れ多い反逆の思想に考えも及ぶまい。
「…俺は、ヴァンの手を取ってやれば…良かったのか…?」
全人類を滅ぼす殺戮者、そしてレプリカ達にとってみれば世界を生み出す『神』――、ユリア・ジュエの預言を覆す為には同じだけの力が必要だ。同じ――『神』としての力場が必要なのだろう。全く残念な事に、理屈も思想も理解出来る自分が居る。分かるのだ。狂気の沙汰としか思えないヴァンデルデスカ・ムスト・フェンデのいっそ崇高ですらある残酷な未来への途。共に歩んでは貰えないかと膝を折り頭を垂れ、そして手を差しのべられていたのならば…――。
「ホド消滅時の俺なら頷いただろうなぁ…」
絶望は容易く人の心を歪める。そして希望は決して全ての人の心を救う事は無い。
「…とりあえず、決死の告白を無かった事にされるのは困る。うん。
どーにか思い出さないとなー、んー、でもなぁ…。
そもそも、事件前のアイツと話した事なんて殆ど――…」
無い。私的な会話は皆無と断定出来る程、接点が無かった。
「だったら事件後…? いやでも、……うぅーん…」
色々な意味で無慈悲な赤毛の幼馴染が戻るまで、二時間――いや往復なので四時間程。時間の猶予は有難い事に十分だが、如何せん確信に触れる要素が少なすぎて既にお手上げ状態だ。有り余る天恵を与えられし件の軍属であれば過去の僅かな記憶さえ手繰れるのかもしれないが、当然、此方は平凡な人の身。そんな人並み外れた芸当がホイホイ出来るはずが無い。
「だーーーーっ、どうしろってんだよ。アイツはッ!!」
ガシガシッ、と聊か乱暴に前髪を掻き回して、ガイは自然物らしく不規則な凹凸が続く低い天井を、恨めし気な瞳で見上げたのだった。
謎掛けなんて馬鹿な真似をしたと後悔しても、もう後の祭り。
皇帝に近い爵位を継ぐホド出身の貴族青年の想いはしかし、幾ら口先ばかりの否定を繰り返したところで諦めてはくれないだろう。それは苦々しい現実だった。何がと問われれば、躊躇わず差し伸べられる手、惜し気なく注がれる愛情、幼き日に無心に嘱望したそれらを、拒絶しきれない己自身の未熟さを振り切れない事が、だ。
「…覚えているはずもないのにな…」
音素の気配を慎重に探りながらも、額面通り『人生の全て奪われた』青年は、当時の記憶が凪ぐ波のようにゆるゆると寄せては返すのを感じた。
決死の覚悟でヴァンの手下の元から逃れ、必死で辿り着いた栄華の王都バチカルは、何一つ変わってはいなかった。公爵家の名に恥じぬ偉容な佇まいの屋敷、色とりどりの花が咲き乱れ薄紅の羽の美しい蝶が舞い踊る豪奢な中央庭園。利発な容姿とは裏腹に、まるで赤子そのものの『ルーク・フォンファブレ』を囲んで優しく微笑む、その人々は――…、
屋敷の警護は常に厳重であるのに、その日何故か門番が不在で、冷たい感触の門の格子へ縋りつくようにして、崩れたのを未だに鮮明に覚えている。
言葉など、何も、何一つ、出てこなかった。
ヴァンの手勢に見つからぬようにと目深にしていた外套を尚更、手繰り寄せるようにして、被り直す。世界が褪せると同時に一気に迫り上がる痛みと嘔吐、ふらり夢遊病のような足取りで門から離れたのは、無意識下の行動だったのだろう。どうしてかその場を逃げ出したくて仕方が無かった。あんなにも必死に焦がれて取り戻そうと足掻いた温もりだというのに。その光景を目の当たりにした瞬間に、血が――…凍りついた。
「…どう、し…て…」
幼き子が紡ぐには酷くやるせない、絶望にうちひしがれた力無き啼き声は、ただ俯き折る膝元へ転がり落ちるだけで。
「あら…、」
七つの子ども小さな掌で縋るには大きすぎる鉄柵の向こう、女性の不審な声が響く。次いで、屋敷の奥からガシャガシャと金属音混じりの複数の足音。俄かに騒がしさを増した門の向こうに不穏さを感じ取る。翡翠の眼差しを迫る危険に瞬かせると、王の血脈である少年は唇を痛む程に噛みしめ、俯いていた視線を上げてその場を駆け出した。
膝はまだ震えを止めてはくれなかったが、それでも、如何な苦境に在ろうとも、少年は聖なる焔の光――ランバルディア王家の誉れとなるべき、赤き髪の男児である。決して、その魂は折れず――…ひたすらに昂みを目指す高貴なる翼、崇高な精神は強靭且つ柔軟であった。今、自身が行うべき最善の選択肢を慧眼を以て見通し、実行に移すだけの能力の高さは、七歳という実年齢を鑑みれば、驚嘆の他は無い。
遠く――、おそらく自分を不審者として探しているのだろう男たちの硬質な声が届き、反射的に身が竦みそうになる。
(……エレベーター…は、まだ使えない。ヘタに動けばきっと捕まる…)
物陰に身を潜めつつ、辿り着いたのは国立森林公園。日の昇る間は一般市民にも開放される憩いの場所だ。小さな子ども達がはしゃぐ声と母親らしき女性達の井戸端会議。平和を切り出してきたかのような光景を横目に、赤毛の少年はフードを目深にしながら木々の間へと滑りこんだ。
「………」
空と大地の恩恵に立派に育った古木の太い幹を背中に、ルークは膝を抱えて座り込む。じっと息を潜めていれば見つからない。こんな森の奥深い場所まで、誰も来ない。ほとぼりが冷めるのを待って、母子達に紛れてエレベータで城下町へ降りればいい。それだけの事だ。
(……、どうしよう――…)
ぎゅ、と益々小さく膝を抱え込んで、隠れた目許が不安に揺れていた。
幼き知恵と勇敢さを以て悪漢の手より逃れて辿り着いた還るべき場所は、最早、己を待つ場所では無かった。見知らぬ『自分』が、一人分しかない陽だまりを独占していたのだ。
「………」
『アレ』が何なのか皆目見当もつかないが、唯一、はっきりと理解したのは、もう『戻れない』という事だけで、これから先どうすればいいのか、何をするべきなのか、考える気力すら手酷い現実に根こそぎ奪われた。
「…ははうえ…」
心細さに思わず零れた声は庇護を求め震え掠れて――…、
「…えっと…、どうかしたのか?」
優しい、穏やかな、気配。
気遣う声音。
茂みを掻き分ける仕草すら、控え目な。
「大丈夫? 気分でも悪いのかい…?」
振り返られるはずが無かったが、それでも、その『声』を聞き間違える訳が無い。四歳年上の世話係。庭師のペールの孫として二年前から屋敷に住み込みで働いている。二桁を数え始めたばかりの齢ながら、既に剣士としての頭角を現しており、子爵の護衛剣士という志に恥じぬ才華を閃かせる少年だ。
どうしてこんなところに、という疑問と、不審者の探索をしているのか、という疑念が同時に鎌首を擡げた。事態を見誤れば状況は悪化の一途を辿る事になるだろう。最悪、栄えあるランバルディア王家の次期王位継承者である子爵の偽物として、国家反逆罪の罪に問われ極刑も考えうる。今、己の潔白を証明するものなど、何ひとつとして、この手には無いのだから。
「えと、おかーさんは? 迷子、かな?」
気遣う声音に不審者を咎める険は感じられず、ひとまず胸を撫で下ろしながら、ふるりと首を左右にする。ここで母親を探すだとか余計な事を言い出されては面倒甚だしい。なんとか穏便に追い払う手立ては無いものかと思い巡らせ、一つの妙案が浮かびあがる。
「………」
国立『森林』公園と銘打つだけあり一帯は過分なまでの自然で覆われており、探すまでも無く、折れた小枝は視界に入る。枯れて質量を軽くさせた薄焦色のそれを拾い上げ、外套に全身を眩ます子どもは、地面へ文字を書き付ける。
「…え、と?」
戸惑いながら小枝の先を追い描き出される意思を拾おうとする様子に、緊張が増す。
『 ひとを まっています おきづかい なく 』
地面を引っ掻いて丁寧に書かれた文字に、ファブレ家の住み込み使用人である少年は得心したように頷いて、しかし直ぐには傍を離れようとしなかった。よっこらしょ、と年寄り染みた掛声と共に疎らに生える草の上に腰を落とした。
「そっか。下から来たの?」
「…この街は、好き?」
『 すきだと おもい ます 』
「そっか…」
「………」
ただの暇潰しの他愛無い言葉の遣り取りの中に言い表せぬ違和感を感じ、幼き不遇の子は一瞬の逡巡を振り切って、ガリッと地面を掻いた。
『 あなた は きらい ですか 』
一文字ずつ形を成してゆく文字の意味を理解したタイミングで、少年――ガイ・セシルは柔らかな苦笑を漏らした。それは、十一歳という年にはとても似つかわしくない哀愁を帯びたもので、今しがた感じ取った歪さは、最早己の思い違い等では無いと確信させる。
「…嫌いなように見えるかな」
『 すき には みえません 』
「鋭いんだな」
見透かされて、参ったとばかりに太陽のような輝きをした髪の少年は、両手を上げた。
「ここに来たばかりの時は嫌いだったかな。今は、少し好きになってきてる」
『 このまちの ひとでは ない のですか 』
「うん、バチカルの人間じゃないよ。俺は。
ちょっと事情があってね。こっちに来たんだ」
『 じじょう ? 』
余り他者の内情に立ち入るべきでは無い事は既に理解していたが、――興味が湧いた。庭師のペールの孫だと言って屋敷で下働きをするこの少年は、常に明朗快活で真面目な上に義理堅く礼儀正しい、道徳心の塊のような人格の持ち主だ。己の内に一切の闇を抱かぬ人間など存在するはずが無いが、四隅まで正確に測られた真四角い小綺麗な箱庭で育てあげられたような――面白みは無いが堅実に生きる善良な一市民。それが、今までの印象だったが…――、
「うーん…。ちょっとな。
…帰るところが無くなって、さ」
「………ッ」
―――帰る場所を失くした。
自身よりも幼い子どもに語る口調は優しく道化めいたものであったが、真意は表層とは程遠く、深く深い悲しみに満ちていた。『喪失』は『痩失』でもある。失えば痩せる、文字通り身も心も削られてゆく、消えてゆく、崩れ落ちた『形』は二度と元通りには戻らない。だから人は失わないように必死になる。足掻きもがいて、それらを全力で護り通そうとする。
人は、――しかし人は、預言が描く譜面の中で、ひどく無力だ。
飛晃艇アルビオール。
ロストテクノロジーの結晶である垂直離着陸機は、救世の為世界中を駆け回る一行にとっては、無くてはならない移動手段となっていた。安全性・快適性共にお墨付きの天駆ける翼だ。無論、飛行及び戦闘へ特化する為、内部施設は機能性を重視した造りとなってはいるが、さして不自由さを感じさせない――のは、自身が軍人であり、無骨な軍艦に慣れているからなのだろうかと、マルクト帝国第壱参師団師団長であるジェイド・カーティスは、手元の聊か厚みのある報告書を目で追いながら、口の端を上げた。
暫定的にではあるが新しい仲間として迎え入れた帝国の若き将軍の元へ懐いていった赤毛の仔犬は、まだ戻らなかった。一人の時間は有難いが、少し物足りない気もする。報告書を机の上へ丁寧に置きなおすと、譜業技術の粋を凝らす眼鏡を外し高く整った鼻梁の根元を軽く揉み解した。
「…少し、疲れましたね」
日中は探索に伴う戦闘を、夜になれば情報収集及び報告書作成、そして今後の行動への作戦立案。それぞれ責任と立場を以て居合わせてはいるものの、年若い者ばかりが集うパーティの中にありマルクト帝国が誇る最強の軍属は、責任者的位置にあった。リーダーを問われれば、キムラスカ・ランバルディア王家の赤毛の子がそれにあたる。如何な困難にも真正面から立ち向かう勇敢な姿は、皆の士気を高め勝利へと導く英雄である。しかし、実質一行の旅の舵を取るのは最年長者であり確固たる社会的信用を築くカーティス大佐の役割であった。
決して、負けられない戦争(は、最初からアンフェア過ぎた。相手は言わずと知れた名将、ヴァン・グランツ謡将。配下に率いるはローレライ教団が誇る六神将の面々。人間的な欠落を抱く者も擁するが、能力だけに焦点を絞る評価であれば申し分の無い手足だ。何十年も前から周到に用意された舞台(ステージ)、推敲を重ねられた台本(、選び抜かれた役者(。満を持して仕掛けられた人類滅亡へのカウントダウンは、刻々と残り時間を削ってゆく。
「常に後手後手ですからねぇ…。
相手の情報が少なすぎます。全く、厄介ですよ」
せめて元・六神将の鮮血のアッシュが情報提供に応じてくれれば、違った展開も期待出来るのだろうが、アレはアレで御し難い。全人類の滅亡と己の矜持と、比べるべくもないそれだが、あの天をも貫く高さの自尊心の持ち主には、そうでもないらしい。
「………」
一口、冷め切った珈琲を啜る。
後味に残る苦味に溜息が洩れた。
「…少し、意地悪過ぎましたかね。ドッペル現象…――だなんて」
今頃、想いを自覚した金色の髪をした薄倖の青年が、もう一人の赤毛の傍で孤軍奮闘しているところなのだろう。もう猶予が残されていないと知れば後は体当たりでぶつかるしかない。結果を恐れて二の足を踏んでいる内に全てを失うなどと、愚の骨頂だ。互いに想い合うくせに、臆病が躊躇いを生む。下らない。これからも共に在れると、未来を無条件に信じられる傲慢な人間の考えだ。
「まぁ、これくらいの意趣返しは構いませんよね」
一人掛けのソファに深くかけ直して背凭れに背中を預け切る。腫れぼったい瞼の上に両の掌を落として、ジェイドは軽い溜息を吐いた。
ドッペル現象――伝承にあるもう一人の『自分』に擬えた呼び名だ。そういう現象は確かに存在する。加減も線引きも無く実験を繰り返していたフォミクリー研究最盛期には珍しくも無い光景だった。素体の構築情報を無理に剥がし抜かれたオリジナルが乖離を起こし消滅する。まるで、レプリカに『存在の資格』そのものを簒奪されたかのように。けれど、それは数年もの年月を越えて起こる事は無い。この時点に至っての乖離現象であれば、寧ろ――…、
「……ィド、……ジェイ、…ジェイドッ!!」
――――!
不意打ちの距離で翡翠の眼差しが不安に揺れているのを捉える。
――…知らぬ間に眠り込んでいたらしい、自陣での事とは言え恐怖の代名詞とさえ謳われる天下の死霊使いが実に情けない事だ。
「ジェイド…、大丈夫? 疲れてるのか?」
まるで見知らぬ街で主人と逸れ、濡れた鼻を鳴らす仔犬のような所在無さげな表情に、実年齢で数えれば二十八も年上になる彼岸の瞳も妖艶な死霊使いは、霞んだ思考の中、無意識に腕を伸ばし、雛の産毛のような感触の赤毛をぐいと引き寄せ、無造作に唇を重ねた。
「!」
途端に石のように固まる世間知らずなお子様の初心な反応に気を良くしながら、色事の仕掛人であるカーティス大佐は、抉じ開けるなんて無粋な真似はせず、強請るようにチロチロと、性に疎いレプリカ・ドールの戸惑い震える口唇を舐めては、優しく食む。
「……ッ、――…、……」
促されるまま、おそるおそると固く引き結んでいた赤い唇を解くルークに、褒美とばかりに濃厚な接吻を与える。色に不慣れな子どもをリードするのは悪くない。赤ひよこの実年齢を考えれば、この行為は最早性的悪戯と責められても当然だ、しかし同意の上ならば問題はあるまい。第一、今更常識や良識に拘る真人間を気取っても仕方ない。
「……っ、じぇ、いど…」
息継ぎの方法も分からず呼吸を苦しげに乱す拙さに微笑ましさを感じ、濡れて赤みを増した薄い唇を啄みながら解放してやると、潤んだ声で名を呼ばれた。そんな愛しい子どもの純情に釣られて、タチの悪い戯れのはずが、ついつい熱を煽られそうになる。
「…全く、可愛い反応をしてくれる」
「か、…かわいい、って――…」
初めて聞く――敬語じゃない、普通の話し方。
それは、淫猥な色香を醸す甘い低音と相まって、尊大で高圧的な印象を与える――のに、不快には程遠く、背筋に甘美な痺れを残した。
「……大丈夫。疲れてなんていませんよ。
少し気を緩めてしまっただけです。こんなザマでは死霊使いの名折れですね。
貴方に声を掛けられるまで人の気配に気づかないなんて、失態です」
常から淫魔の夢の如く凄絶な艶を帯びるマルクト皇帝の懐刀は、ふ、と自嘲気味の笑みを浮かべ、不自然な姿勢のまま寝入ってしまった全身を解す為にソファから立ち上がった。足元が多少覚束無い。まだ脳の覚醒に対し全身の神経反射が追いついていないのだろう。片手を飾り気のない木目だけの机の上にとん、と軽く置いて、重心が傾くのを支えた。
「…っ、ジェイド?」
虚を突かれる形で仕掛けられた接吻の感触を反芻してか、未だ可憐に頬を染め上げたままの聖なる焔の光の写し身である子どもは、青の軍服を隙無く着込んだマルクト帝国第三師団師団長の肩書を持つ有能な人物を心配して、声を乱した。
「…大丈夫です」
差し出された一端の剣士の腕をやんわりと断ると、彼岸に咲き乱れる緋華の如き鮮烈な美貌の軍属は、彼にしては無防備にベッドの上に背中から倒れ込むと、目許を覆い隠すように左腕で表情を隠し、はぁと疲れを滲ませた息を零した。
――『大丈夫』とは程遠い様子に、ルークは流石に不安を駆り立てられて、想い人である年上の傍へ近寄って、同じベッドの縁へそっと腰を落とした。微かに軋むスプリングに、何かを求めるかのように開かれた滑らかな指先が、ほんの少しだけ揺れる。
「…ジェイド…。大丈夫って感じじゃない、よな? 具合悪い?」
「問題ありません。少し、眠たいだけですよ。
それより、アスランのところへ行っていたのでは無いのですか?」
「あ、うん。でも、もう遅いから戻ってきたんだ。
明日からは、湿原探索の予定になってるしさ。戦闘スタイルとか、必要な事は聞いたし」
「そうですか。…戦闘中の彼は普段からは想像つきませんよ。
味方であればこそ頼もしい限りですが、手綱を誤らないように十分に気をつける必要があります」
「? それって…?」
世界へ生まれおちてまだ七年。しかも、その僅かな時間を光の王都バチカルの最上階に位置する公爵家の屋敷の中で蝶よ花よとの軟禁生活で育てられた為に、呆れる程の世間知らずだが、己の未熟が導いた未曾有の悲劇に対し軽々しく贖罪の言葉を口にしない程度には、大人になった赤毛の仔犬が、パチパチと愛らしい翡翠の眼(まなこ)を瞬かせるのに、ジェイドは意味深な微笑みを浮かべた。
「ルーク」
「は、はいっ??」
悪戯っぽい響きで名を呼ばれて、何となく居住まいを正してしまうお子様に、ジェイドは麗しい面を半分以上隠していた腕をのけ、ごろりとルークの方を向いて横になる。妙にご機嫌な様子が、嬉しいけれど、ちょっと怖い。二律背反する思い等知る由も無いオールドラントの歴史を紐解いたとしても、おそらくは最強と位置付られるであろう譜術使いは、穏やかな声で問いかける。眼鏡を外した表情は見慣れなさと眠気の為の不安定さもあって、何時もより幼いというか――可愛い。凶悪に可愛い。もうこれは反則技じゃないかと、思春期真っ只中のお子様は悶々とする。
「私の戦場の名前は知っていますね?」
「え…、『死霊使い』…だろ?」
何を今更という反応に、満足そうな吐息。その無駄な色香に逐一動揺してしまうのは、若さ故か。
「正解です。お利口ですねー」
「…ばかにしてるだろ」
これは子ども扱いとかでは無く、単純に茶化されているだけだと気付いて、ルークは頬を膨らませた。そんな子ども染みた仕草は、仔犬のような容姿と相まって赤毛の子の愛らしさを増すだけで、迫力の欠片も無い。
「そんなことはありませんよー。
さて、ここからが本題ですが、アスランの戦名(を知っていますか?」
「え?」
そんなものがあったのか、と言わんばかりの素直な反応に、ジェイドは密やかに背中を揺らす。
「軍の中でも一部の人間の中の呼び名ですから、知らなくても当然ですけどね」
「へぇ…、どんなの?」
「『反逆騎士(』」
「……ええ?」
反逆――主への裏切り者を指す蔑称にルークは目を丸くした。あの、忠義と忠信が服を着て歩いているような若き将官に、最も相応しく無い呼び名ではないかと、首を傾げる。その疑問に答えるかのように、心地良さ気にシーツへ沈む華麗な軍属は、熟した蜜の如き音を紡ぐ。
「そうですね。マルクト帝国の現皇帝である、ピオニー・ウパラ・マルクト九世。つまり、国の元首が国民の安寧を顧みず血と暴力の恐怖政治を行ったとしましょう。もしそうなれば、躊躇わずに国王の首級(みしるし)をあげるのが、アスラン・フリングスという人物です。彼の忠誠は国家の安泰へ捧げられるものであり、妨げとなるのであれば――国王であろうとも、容赦なく断罪しますよ」
「……マジで?」
首を竦めて怖々聞き返してくるルークに、ジェイドは面白がる口調で答えた。
「大マジですよ。まぁ、そんな処が気に入ってると豪語していますがね、何処ぞのお気楽皇帝は。全く、呑気というか後先を考えないというか…」
何処のお気楽皇帝とは、十中八九マルクト帝国の玉座へ片足を組み上げ肘掛に頬杖をつく、滅亡の秘預言に詠われし終焉の皇帝、ピオニー・ウパラ・マルクト九世その御身を指しているのだろう。流石、幼馴染だけあり批判は手厳しく容赦が無いが、その一方で温かみも感じる。こんな何気ない会話の端々にさえ如実に顕れる【絆】は、くだらない大人の事情に左右されずに過ごした幼い時間、優しい思い出を共有するからこそ、なのだろう。
「………」
「どうかしましたか?」
折角アスランの話で邪推を振り払ったというのに、また余計な勘繰りや醜い嫉妬をしてしまいそうで、ルークは慌てて己の中の惨めな疑念を振り払った。
「ゴメン、なんでもない。やっぱ、陛下ってすごいんだなって、そう――思っただけ…」
取り繕ったような笑顔に――、易々と騙されてくれる程年上の想い人は甘くは無い。怪訝そうに美しい柳眉を潜めた後、蕩けるような誘いの笑みを刷いて、優しく、甘く囁いた。
「…ルーク。もう一度、しましょうか」
「…えぇっ!?」
「おや、お嫌ですか?」
乞われるように、石榴の甘実の如く妖しく肉質に艶めく双眸が瞬くのに、ルークは慌てて首を左右に振った。嫌な訳が無い。寧ろ、此方から三つ指揃えてお願いしたい位だ。唐突な申し出に面食らうものの、断る理由など何処にも見当たらない。
「…い、いいい、いやじゃない! いやじゃないっ!!」
「おやおや、随分必死に否定して頂けるものですねぇ。
そんなに私と――したいですか?」
揶揄の響きを孕む意味深な科白に、ルークは項まで真っ赤に血を廻らせて、言葉に詰まった。気恥しさの為か彷徨う翡翠の瞳は忙しなく方向を変えてゆく。決して目線を絡めようとしないのは、嫣然と花弁を乱す婀娜花に囚われ溺れぬ為の苦肉の策か。
「……それは…、」
心身共に健康な男子に性的欲求は備わるのは生物としての至極当然な節理であり、何ら恥じるべきものでは無い。しかし、十代の多感な年頃の子であればそれこそ、己の色欲を指摘されるのは何とも心地が悪いものだ。
「上手にお願い出来たら、もっと先も考えてあげてもいいですよ」
羞恥に困る姿がまるで犬の仔のように可愛い――、と。
そう思えてしまう程には、この真っ直ぐな赤毛に絆されてしまっている自覚はある。
「さっ…、さき、…って、え、ええっ」
「言葉通り、キスから先です。興味、ありますよね?」
無防備に横たわる年上の軍属からの思わぬ誘い文句に、ルークは顔から火でも噴きそうな勢いで赤くなり、少年らしい柔らかさを残す耳に馴染む王家の声を見事に裏返し狼狽えた。
「……や、な、なくは…ないけどっ…、でもそのっ…」
目を白黒させて口籠る赤毛の子の反応を面白がっているのだろう、亜麻色の髪を白のシーツへしどけなく流したまま、ジェイドは麻薬のような抗い難さで姦淫へと誘う。色恋の真似事を演じたいわけでは無い。好けば心も体も欲するのが摂理だ。例え、己が身が理に背く存在であったとしても――、けれ、ど。
「………」
冷たくて狡くて酷くて悪魔のような想い人は、それでも、人として生まれ落ちた。
いずれ、そう遠くない未来に存在の欠片すら残せずに消えてゆく自分とは違う。
定められた時の流れを歩み、生命の流れに抱かれるように地へと還る。
――…出来そこないの自分(とは、違う…。
「…俺――…、ッ」
「失礼します」
慎ましやかなノックに続く密やかな呼び声に、ルークは咄嗟に呼吸と言葉を呑み込んだ。
「…もうお休みになりましたか?」
控え目な声の相手に無理に呼び出そうという意図は感じられない。返答が無ければ、そのまま立ち去ろうという姿勢なのだろう。もう一度、コンコン、と指の関節部分で軽く扉をノックが響く。急ぎで無いにしろ何らかの用件で出向いたのだろう扉の向こうの人物――が、誰であるかを漸く認識した赤毛の子は慌ててベッドから腰を浮かし掛けて――…、
「……え、」
グイ、と抵抗を感じて後ろを振り返ると、白い上着の裾が上品な指先に甘えるように捕えられていた。無理に振り払おうと思えば可能な、酷く弱々しい拘束に戸惑い翡翠の瞳を瞬かせる。
「ジェ…、イド…?」
吐息だけの声で大切な人の名を呼べば、愛おしそうに微笑まれてドキリと胸が大きく波打つ。しぃ、と軍属とは思えない華奢な指を悩ましい唇へ寄せる仕草は何度目にしても小悪魔的で可愛らしくて、眼鏡を外した普段よりも若く見える横顔との相乗効果で、もう目のやり場に困る程だ。
「…ジェ、イド…、アスランが…」
綺麗で優秀で聡明で――…、惚れた欲目も世辞も無く手放しで見惚れてしまう想い人は。
じゃれるような愛らしい仕草で、くぃくぃと捕まえた裾を軽くひっぱる。近付くようにという意思表示なのだろう。呼ばれ乞われるままに姿勢を低くすれば、空いた左手でするりと頬を撫でられて、手袋越しの感触に焦れったい、もどかしい、そんな感情が湧く。
ペットを可愛がるような手つきで優しく頬を行き来する掌にほぼ無意識のまま鼻先を寄せて、接吻。それから――、指先を甘噛みして、微かな余剰部分を歯牙で掴まえる。それらは酷く獣じみていて、咲き乱れる華とも劣らず佳麗を競う怜悧な軍属は、可愛い捕食者に、ふ、と熱の上がった吐息を漏らした。
「…ルーク…」
キチ、と布を食んだ歯先が軋む音。そのまま、肘近くまで丈のある軍用手套を、ぐ、と引く。平常・戦闘時を問わずに身につけているだけあり、指先までよく馴染むそれは意外にも柔らかな質感で、抵抗も少なく指先からするりと脱げた。
「…ジェイド。――好き…、だ」
募るばかりの想いを囁けば食んだ手袋がぽとりとベッドの上に落ちる――が、最早構う余裕など欠片も残されてはいない。
「……本当に、…すき…なんだ」
キュンキュンと鼻を鳴らして懐いてくる毛並みの良い仔犬を、遮るものを失った素の手のひらで可愛がれば、無防備な指先に丁寧に口唇を寄せて幾度も幾度も、触れるだけの拙い接吻を繰り返してくる小さな命が――、ひどく、……。
扉の向こうの気配が離れてゆくのを、感じる。
部屋の中の密度の高い空気を察したのか、それとも就寝中である事への気遣いなのか。
「…すき…だ」
今にも泣き出しそうな表情で全身全霊を以てぶつかってくる子どもへ――、世界を甘美に蹂躙する最上の悪魔は痛みを甘受するかの如く籠絡した。
ガイアシュ編なのについついでてくるルクジェ
なんというかジェイドは実はもうルークにめろめろなんだと思います
けれど、ツンデレなので、パッと見はそうでもないんですけど
やっぱり、キュンキュンなんだと思います
そういえば、テイルズのwiiの最新作(タイトル不明)
メガネアッス(違)出ますね
ヤツのためにwii買いそうな自分が憎い