金色の羽根、太陽の翼 3
「…うわ、マジ寝してる」
オールドラントを二分する強大な軍事国家マルクト帝国を統治するは、ピオニー・ウパラ・マルクト九世。その偉大なる賢帝の私室において、憔悴と疲労の影を顕著にする自分と同じ横顔を、まじましと見下ろしながら、ルークは小さな呟きを漏らした。
レプリカである己の血肉の『元』となった素体『ルーク』は、随分と深い場所まで意識を落としているのか、直ぐ傍に人の気配があるというのに、微動だにせず寝台の上で昏々と眠り続けていた。見慣れた普段の警戒心と猜疑心の塊のような姿からは、想像もつかない安らかな寝顔に、思わずルークは見入ってしまう。
(惑星の意思――、プラネットストームの激流から抜け出したって言うから、よっぽど疲れてるんだろうな…。じゃなきゃ、今頃とっくに起き出して『この屑が!』とか罵倒されてそーだもんなー)
求められる責務同様に重苦しい黒と赤の騎士団の特務師団長の上着は、椅子の背もたれに無造作に掛けられているが、人類の滅亡とレプリカによる新世界の構築。預言(スコア)からの永遠の解放を謳うヴァンデスデルカ・ムスカ・フェンデと雌雄を決する際に、鍵となるべきローレライの剣は懐に抱いたままだ。
マルクト帝国の皇帝陛下の私室という鉄壁の守りを誇る場所ですら、こうなのだから――…。
誰ひとりとて信用ならない、出来るはずもないという痛みばかりの預言(スコア)に英雄としての"死"を詠まれる聖なる焔の、その生き様を眼前に突き付けられるようで、今更の罪悪感に、ルークは小さく肩を落とした。
(……ロイドの話じゃ、ガイは一緒にいなかったみたいだけど…)
人格形成に多大な影響を与える『環境』の違いから、顔つきの鋭さや、語気の荒さ、信念の在り方など細かい性格の相違は勿論存在するが、遺伝子レベル――いやありとあらゆる物質の根源である音素(フォニム)レベルでの完全同位体である、聖なる焔の光(ルーク)。
戦火という名の惨劇に故郷も肉親も思い出すら蹂躙された十年来の親友は、十日程前に彼――オリジナル・ルークへ、どうしても確かめる事があると、パーティから離脱していた。十年前の惨劇を齎(もたら)した最大の怨敵へ向けられた復讐の念は、既に形を変えたと穏やかに語ってはいたが、それでも思うところがあるのだろうと、詳細については踏み込まずに送り出した。
(……まさか、合流出来て無いとか…。いや、それは無いよな。なんたってガイだし)
剣士としての腕前だけではなく、料理や掃除等の家事全般を含む、下男としての細々とした雑用は言わずもがな、完璧な出来栄えを披露し。
マルクト帝国が現皇帝陛下直属という立場上強制参加となっている、貴族諸侯の介する催事等に於いても、委縮する事も無く堂々とした気品を纏う。
しかしながら、あくまでも己の立場を弁えた位置に傅く、出来過ぎた如才の無さを天から与えられているのが、ガイ・セシルなる人物なのだ。
唯一の泣き所である【女性接触恐怖症】さえ無ければ、まさしく完全無欠の王子様、といったところだろう。
そんなガイが本気を出せば、"アッシュ"を捕まえられないはずがない。
(…ガイの用事って、もしかしてキムラスカへ戻るように説得…とか、かな?
なんか、俺が言えた義理じゃねーけど。
アッシュのやつ、このまま家に戻らないつもりかな…?)
容赦無く罵詈雑言を浴びせてくる割に、『ルーク』の名前も立場も居場所も、既に自分の所有物(モノ)では無いと吐き捨て、権利を放棄し投げ寄越してくる、ユリア・ジュエの預言(スコア)に詠まれる真の聖なる炎の光――…、を冠する古の血脈に連なる王族。
(…俺がいるから戻ってこれないとか、そういう繊細なタマじゃなさそーなのになぁ…。
それに――…、)
乖離
今はまだ文字面をなぞるだけで、消える事への恐ろしさも、死への実感も湧いてはこないが。
不完全な写し身、出来そこないの模造人形(レプリカ・ドール)、同じ素養の音素は互いに引かれ合う、生身の人間とは違い不安定な『第七音素』だけで構築される肉体は、ローレライの意思に統合される運命にある。例えば、片翼剥がれし鷹が空を自在と飛翔(と)べぬように。例えば、燃え盛る炎が尽きて灰塵と化すように。決して逃れられない、果ても無い絶対の不文律。
(…憎まれても、恨まれても当然だ。俺はそれだけの事をアッシュにしてる。
だけど…、それももう少し。…もう少しだから。ゴメン、もう少しだけ…生きる事を許してほしい)
まだ、遣り残した事がある。
それを成すまでは、まだ、この模造の生命を失うわけにはいかない。
「全部終わったら…、お前は――『ルーク・フォン・ファブレ』を取り戻すべきだよ。異物である俺が消えれば、何もかも上手くいくんだ。けれど、それでも『ルーク』の名前がお前にとって煩わしいなら、自分の手で伯父上に返上してくれよ…。俺には…、多分…出来ないから」
何時まで、生きていられるかな。
目蓋を伏せ、未来の境界の在処を自身へと向けてみる。
次いで脳裏を掠めたのは、今し方に隠避な魔物に仕掛けられた不埒な悪戯。
行為を反芻するかのように、そっと自身の口唇を指先で辿ると、ぶわっと頬を染め上げてルークは俯いた。
(………背伸び薬とかないのかな。ディンの店とかで扱ってそうだよな…)
当座の目標は、ジェイドの子ども扱いに対抗すべく、長差を埋める事だ。こうも一方的に不利な体勢に追い込まれるのは、きっと目線の高さが問題に違いない、と。ガイ辺りが聞いていたら、それだけじゃないぞー、と的確な突っ込みを入れられそうな勘違いを胸に、ぐっと決意を新たに拳を握るルークだった。
譜業大国マルクト帝国第九世皇帝陛下、という地位は存外に多忙である。
単なる偶像としての傀儡の王、虚構権威だけの空洞政権であれば、ただ決められた通りに執務をこなせばよいのだろうが、意欲的に国政へ取り組み、不正を厳格に取り締まり、市井に広く門戸を開く、まさしく賢帝として謳われるピオニー・ウパラ・マルクトの治世は、皇帝自身のたゆまぬ努力によって成されていた。よって、忙殺具合も尋常では無く、執務室だけではなく私室にも書類の束が多く積み上がる様子は、最早、皇帝付きの家臣には見慣れた光景だ。
「……あの、すみません。ジェイドさん」
「なんですかー、陛下」
「そろそろ、休憩してもいいでしょうか」
「駄目です」
「……鬼。」
「…おや、まだへらず口を叩ける元気があるんですねー」
「すみません。勘弁して下さい。マジで」
旅の剣士と自身の身分を名乗った二刀流の鳶色の瞳の少年の話を聞き出す間中、ピオニーは帝国一の実力者である容赦無い幼馴染みの厳重な監視下において、執務を行うように言い渡されていた。死霊使いの(ネクロマンサー)との不吉な戦名で世界を震撼させる男に逆らっては、明日の朝日を拝めるか危うい。渋々ながらも、山と積まれた書類に目を通していたマルクト皇帝は、ぐったりと私室のデスクにうつ伏せた。
「…仕方有りませんねぇ。なら、少しだけですからね」
「……ハイ」
これでは、どちらの立場が上なのか分からない、と嘆きながらも、漸く筆を置く許可を貰えたピオニーは、よろよろとソファへ移動してドサリと背中から体重を掛けて座り込んだ。
「あー…、しんど」
「おっ、つかれさん。ピオニーさんって、王様ってマジだったんだ」
「おー。てか、王様じゃなくて、こーてい。皇帝な」
「……? 似たようなもんだろ? なんか違うのか?」
「や、まぁ、似たようなモンだけど。文化の違いっつーかな」
「同一民族によって築かれた国家の統治者や、宗教的な意味合いの支配者が【王】。他民族の集合体が国家として成り立ち、それを治める者の呼び名としては【皇帝】とされていますよ」
イマイチ説明する気力が無いらしく、もごもごと言い詰まる頼りの無い君主の代わりに、的確な模範解答が禁忌の紅瞳も美しい軍属から返されて、ロイドは素直に感心してみせた。
「それよりも、これまでの話ですが。貴方がどうやら違う次元からの異邦人である事は理解しました」
「サンキュー。ジェイドさん」
「ジェイド、で結構ですよ。ロイド」
「んじゃ、ジェイド」
「はい」
「俺としては、勿論元のトコに戻りたいんだけど。さっきも言ったけど、もしかしたら連れもこっちに来てるかもしれなくて。なんとか、確認する方法とか無いかな」
「…そうですね」
中規模音素集中地域――セフィラルの音素暴走についても気に掛かるところではあるが、その件に関しては実際の現場を確認しない事には、判断も対処も難しい。今はそれよりも、異次元からの迷子に対しての検証を行う方が、余程有意義ではあった。
「その、お連れの方の名前や身体的特徴について教えて頂けますか?」
「名前は、ゼロス。ゼロス・ワイルダー。見た目はナンパな優男って感じで、明るいウェービーヘアの赤い髪に、ちょっと灰色ががった水色の目をしてる。ちょっと釣り目がちかな。で、すっげー節操無し。女と見れば片っ端から口説いて回るから、よくトラブルに巻き込まれる」
「おや、随分と積極的な方のようですね。今の話からすれば、悪目立ちするタイプのようですが」
「そりゃもう、迷惑な位に目立つ」
「で、あれば。主要の都市に尋ね人の通達を出しておけば見つかる可能性もありますね」
ふむ、と一人ごちて、ジェイドはロイドに向き直った。
「もう少し、詳細まで教えて頂けますか?
情報を纏めて、マルクトの支配下にある都市へ通達をしておきましょう。
運が良ければ、それでうまく見つけられると思いますよ」
「わかった。ありがとう、ジェイド」
連れの赤い毛並みの仔犬と同じ年頃ではあるが、真っ直ぐに人を信じる事が出来る純粋さは、実年齢よりもロイドを幼く見せていた。しかし、それだけでは無く――…得体の知れないプレッシャーを対峙する相手へ感じさせる。見かけ通りの、ただのお人好しな剣士というわけでは無いのだろう。能ある鷹は爪を隠す、という言葉が脳裏で警戒するように瞬いており、ジェイドはあくまで一定の距離を保った態度で接していた。
「お安いご用ですよ。さて、後はセフィラルの問題ですが――…。
実際の現場を目にしない事には、どうにもなりませんね」
しかしながら、問題となる場所の正確な位置については、残念ながらアッシュ以外に知る者はいない。となると、キムラスカ王家の片割れの目覚めを待つ事以外に、現在のところ打つ手は無い。
「ひとまずは、アッシュが起きるのを待ちましょう。話はそれからです。
――というわけですから、ロイド」
「ん?」
「ルークを呼んできて貰えますか?
どうせ、待つ以外にする事もありませんから、ルークと一緒に城下の見物でもいってらっしゃい」
にっこり、完璧な営業用スマイルで次元の迷い子である少年へ楽しげな提案をして見せた。
マルクト帝国、皇帝陛下の膝元である水上都市グランコクマは『首都』の名に恥じない栄華の都である。水資源の豊富な帝都は観光目的で訪れる者が後を絶た無い程、美しく整備された街並である。
特に都市全体網の目のように張り巡らされている、譜業を応用した荘厳にて華麗なる水路の数々は、芸術的価値だけではなく技術力の高さから各地の譜業技術者達の評判を呼ぶ代物だ。また、その他にも周辺の豊か海の恵みである海産物の数々は、美食家の舌を唸らせる。商業の繁栄が国と民を潤す、との思想を掲げる皇帝の理念を得て、商に掛かる税金もかなり安く、それが商売の活性化にも繋がっている。
――よって、観光の中心である首都の中央部へと、足を運んだルークとロイドは、手始めとばかりにイカ焼きと貝柱のタレ焼きを、ミネラルウォーターを片手にほおばっていた。
「あっつ、あつあふ。でも、うめー!!」
「…元気だなぁ」
「ンだよ、食べないのか?」
「食べるよ」
促され、ガブリとイカに噛み付くルークは、随分と意気消沈しているように見え、ロイドは首を傾げながらも、パック入りの貝柱へとフォークを突き刺して口へ放り込んだ。
「…そういうルークは元気ないよな。兄弟の事が気になる?」
「まぁ…、アッシュの事も気になるけど…」
ぐむぐむ、とまるで紙でも噛むように難しい顔でイカを飲み込んで、ルークは大きく息を吐き出した。確かに、アッシュの事は気に掛かるが、それ以上に――…、ジェイドと陛下が二人っきりという事の方が重大事だった。
ちなみに、ルークとアッシュについての関係は、双子の兄弟という説明をしてある。込み入った事情で兄弟仲は決して良好とは言い難く、アッシュの前ではルークの話は余りしないように、とも。
「ンな、くよくよしたってしょーがねーじゃん! なっ!!
ほら、次はあそこの焼き鳥食おうぜ! あ、向こうは大道芸やってるし!! ほらっ!!」
二人分で買ったはずの貝柱を一人できれいに平らげて、ロイドは悩み多き青少年の腕を引っ張り上げた。その以外な力の強さに、思わず前のめりになるルークを片手で支えて、全開の笑顔で鳶色の双剣使いの剣士は、奥の噴水広場を指し示した。
「……ロイドは無暗に元気だよな。その、ゼロスって人の事心配じゃないのか?」
衝撃で落っことしそうになったイカ焼きを持ち直して、ルークはやや呆れ口調で尋ねてみる。
「んー、心配は心配だけどさ。ゼロスの事だから、ま、だいじょーぶなんじゃないかな、って」
楽天的な事だと、ルークは半ば呆れつつも感心した。
今まで自分の周囲にはいなかったタイプの人間で、当然ながら、相応の興味心やら好奇心が次々と湧いてくる。
「…あのさ、ロイド。そのゼロスって人と、ロイドってどういう関係なんだ?」
焼き肉串を取り合えず六本程頼んで焼き上がったばかりのそれを嬉しそうに受け取ったロイドは、唐突な質問に、へ? と鳶色の双眸を丸くさせた。
「うーん。何て言えばいいのかな。少し前に色々あって、その時に一緒に旅をした仲間なんだ」
ミネラルウォーターを煽りながら、ロイドは記憶を探り言葉を選んだ。世界再生の旅について詳細を語れば長くなるし、面倒な事になる可能性もある。第一、うまく説明出来る自信も無い。
「へー、友達なんだ?」
「そーだな。ちょっと変わってて臍曲りだけど、イイ奴だぜ」
「だ・れ・が、臍曲りの変人だってー? ロイドくぅーん」
「えっ!?」
ぐっ、と襟元の飾り紐を引かれて後ろへつんのめったところを、懐く仕草で肩に顎を乗せてきた人物に、ロイドは面食らって声を失った。視界の端でふわりと揺れる華やかな赤い髪。語尾に微かな媚びが滲む、カラメルのように甘く、舌に残る苦味を感じさせる美しい声。誰よりも耳に馴染んだ、それ。
「! ゼロスぅ!?」
「よっ、ハニー。おひさー」
今し方、腰を据えて探索に掛かる必要があると覚悟したばかりなのに、向こうからのこのこと現れた探し人を前に、我が道を行くっぷりに定評があるロイドも流石に唖然として見せた。
ずる、……り。
ずる…… 、 り。
べ、 ……ちゃ
何かが、それの表面をぬめりながら、剥げ落ちてゆく。
それの欠片は、本体から切り離されると同時に霧散して、痕跡すら残さない。
『 、 ラ ダ 』
べちゃ、 ずる べちゃ
『 ヨ 』
黒い靄を纏うそれは、地面を這うようにしてグランコクマの街並みを、一心腐乱に進み続ける。
猫程の背の高さしか無いが、大きめの水たまりの広さがあるにも関わらず、擦れ違う人々の目には留まらない。
ずる … べちゃ
『 コ 』
世界を二分する大国の首都であれば当然ながら人通りも多く、交易の町・自治区ケセドニアに次いで商いが盛んであるだけに、忙しなく過ぎる商売人や運び手の労働者で裏の大通りは賑わいを見せており、『それ』は、蹴られ、踏まれ、潰され、と。しかし『それ』は全く意に介した様子も無く、耳障りな水音をさせながら、壁は擦り抜け、水に潜り、段差は壁を這い、じわじわと前に進み続ける。
「おい、誰だこんなところに腐ったリンゴの木箱を置いたの」
「はぁ? それは今日入荷したばっかのエンゲーブ直産品だぞ」
「ったって、実際腐って…、うわっ! 箱も腐ってんじゃねーか。オイ、仕入れ管理誰だよ!」
ず、る … ずるる
「なんだぁ、これ。なんか引き摺ったよーな」
「お前! ちょっと、手を貸してくれ!! 急に人が倒れたんだ!!」
「お、おう! 分かった!!」
人の隙間を擦り抜けてゆく黒の靄は、ゆっくりと、ゆっくりと、肥太してゆく。
触れたものの器を腐らせ、心を喰らい、魂を呑み込む。
それは、遥か昔に 『贄』(ニエ) と呼ばれた悪魔、だった。
「…にしても、派手っていうか。なんか、凄いな。ゼロスって」
「あーゆーヤツだよ。アイツは」
――…あれから。
突然過ぎる再会に吃驚しながらも手放しの喜びを顔に出すロイドと違い、ゼロスは直ぐに身を翻して、露天で売り子をしている女性へ軽やかに声を掛けにいってしまった。次々と飛び出る甘い口説き文句を前に、客商売という立場とゼロス本人の華やかで色気のある容姿も合間って意外に好感触なのがまた、ロイドには非常に面白くない。
「……全く。結構すっげー心配したのに。ゼロスのアホ。くるくる巻き毛。女好きの色魔」
先程までの屋台食べ歩きでの上機嫌は何処へか。憮然とした様子で中央噴水の縁に腰を下ろし、頬杖をつきながら、首都グランコクマの色白女性達の間を飛び回る赤毛を睨みつけており、立ち上るドス黒いオーラに気圧されつつも、ルークは必死で会話を繋ぐ努力をした。
「え、ええ、…っと。そ、その、ロイド」
「んー?」
ひらひら、ひらひら。
色とりどりに咲く可憐な花々の間を飛び回る蝶のような後姿を、じとーっと睨みつけたまま生返事をするロイドに、精一杯の話題を振ってみる。
「ネギマ、食う?」
「食う」
ルークが差し出したピリリとした味付けが一層旨いヤキトリの串を、躊躇無くそのままパクリと口に運んで、少しだけ機嫌を直したロイドに、人の悪意にひどく打たれ弱い赤毛のワンコは、ほっと胸を撫で下ろした。
「悪いな。すっかり、驕ってもらちゃってさ」
「いいって。大した金額じゃないし、第一、コッチの通貨なんて持ってないだろ?」
「そうそう。流石に無一文は心許無いよなー。
もし元の世界に戻るのに手間取りそうなら、何か、稼ぐ方法考えないとなー」
自分達が本来在るべき世界――テセアラと言うらしい――へ帰れる事を大前提として話を進める辺り、筋金入りの能天気か、それともとんでもない大物なのか。晴れやか健やかな前向き発言に感心しながら、ルークは何気なく尋ねた。
「普段はどーしてたんだ?」
「そうだなー。あんなだけど、アレって一応俺達の世界では有名人でさ。
『神子様』に善意の宿や食事を用意してくれる人が沢山いたから、食いっぱぐれなかったな。
他には、ギルドの依頼を受けたりとか…。俺、こーみえても手先の器用さには自信があるから、ちょっとした修理雑用で小遣い銭を稼いだりとかしてたけど……。
んー? あれ? どうしてたんだっけ? なんか、金に困った記憶が無いや」
「の、呑気だな…」
旅人の生き方を選択した人々にとって金策が死活問題である事は周知の事実だ。特注品のオートクチュールを身につける王族出身のルークでも、外の世界を数ヶ月味わっただけで、そうと理解出来る程深刻な問題であるにも関わらず、随分と余裕のある発言だと呆れてしまう。
「ま、いいじゃん。んな細かい事さ! それよか、俺もルークに聞きたい事あるんだけど」
「へ? 何?」
「アッシュとお前って、なんで仲悪いんだ?
お前の兄貴って、ツンケンして嫌な感じの奴だけど、でもプラ…、ンター? ファーム? とか言うなんかすげーのに巻き込まれた時に、俺を助けてくれたからさ。自分だって危ないよーな状況でだぜ。だから、そんな根っから悪い奴じゃないと思うんだよな」
「……プラネットストーム、な」
「あ、それそれ。その、プラネッタロータム!」
「…もういい」
「あ! なんだよ、その諦めた感!! 大体、長いんだよ。その、プラなんとかっての」
たかが九文字程度の文字列に本気で文句をつけているのなら、自分の名前だって満足に覚えられないんじゃないか、と真剣に考え込むルークに、ロイドは妙案とばかりに、実に誇らしげな笑顔を傍らの襟足の癖っ毛がチャームポイントな赤毛の青年に向けた。
「そーだ! 改名すればいいじゃん! 人と環境に優しく、短い名前に変えればいいんだって! 俺ってアッタマいー!」
「は?」
「うーん…。ここはやっぱり、あれか。元の形を残しつつ、しかし分かりやすく…」
「おい、ちょっ…、ロイド?」
「よっし、決定! プラムでいいよなっ? この絶妙な長さ。親しみ易いネーミング。完璧だぜ!」
「………」
「ん? どした? なんか難しい顔して」
「……なんでもない」
「そっか?」
神子、という役割を担っているというゼロスという造作の整った青年も相当我が強い様だが、共に旅をしているロイドも随分と強行突破の突き抜けた思考の持ち主なのだと、改めて思い知るに至り、ルークは軽い眩暈を感じた。
始祖ユリア・ジュエに預言される繁栄の大地、オールドラントの住人とは違う、全く未知の異邦人。二刀を構え尋常ならぬ力量を垣間見せる少年剣士と交友を深めるのは、様々な因縁や背景から息苦しい生き方を強いられるルークからすれば、肩の力を抜いて自然体で付き合える唯一の相手だ。しかしまた、別の意味で途方も無く疲れる相手でもあった。
「ところで…、ロイド」
「ん?」
「ゼロスがいないけど、いいのか?」
「!! あーーーー、ンのバカヤロウッ!! また、一人でふらっふらと!!
悪いっ、ルーク!! ちょっと、探してくる!!」
「あ、じゃあ俺も!」
「いや、アイツが戻ってくるかもしれないから、ルークはここで待っててくれ。その辺を探して見つからなかったら戻ってくるから!」
「あ、そっか。わかった」
確かに、もしゼロスが噴水広場へ戻ってきた時に、二人とも姿を消していたら行き違いになりかねない。ルークは素直に頷いて石造りの噴水の縁へ腰を掛け直すと、あっと言う間に小さくなる背中を見送ってから、ぐーっと背を逸らし空を仰いだ。
「…なんで、アッシュと仲が悪いのか、…かぁ…」
言い間違いの指摘で話が脱線して良かった、とルークは猫背になって頬杖をついた。アッシュが自分を嫌悪する理由を事細かに説明するとなると、預言(スコア)やレプリカ、オールドラントの歴史や外殻大地の崩落といった背景まで話が及ぶ事となる。平然と虚偽りを口にするジェイドや、機転の利く陛下辺りなら、核心については触れぬまま、巧みな言い訳で場を取り繕う事など朝飯前なのだろうが、残念ながらそういった器用さは持ち合わせていない。下手な嘘を吐いて、異邦人であるロイドにまで見放されるのは、精神的に辛い。
「…俺は…、アッシュの方が一方的に俺を嫌ってるんだもんな…」
――…理不尽とは、云えないだろう。
己の居場所を奪い取っておきながら、十年もの歳月を陽(ひ)の当たる場所で無為に過ごしてきた粗悪な模造品。己が身分を隠し、家族は勿論、未来の伴侶として目指す道を語り合った金髪の婚約者とも引き離され、神託の盾騎士団の一員として剣を手に取り、命を奪う合う修羅の業を背負って生きた『ルーク』には、元凶である劣化レプリカなど視界に在るだけでも目障りだろう。
「嫌われて嬉しいわけじゃねーけど、…当たり前だよな…」
悪魔が願い編み出した理論を、預言(スコア)という名前の神に逆らう雄々しき野望の男が実現させ、そして生み出された偽りの生命。姿形や第七音素の素養といった遺伝子的要素だけではなく、理想や信念――果ては人生そのものすら、オリジナルの模倣に過ぎないのだと。
「………」
ダレ か
… ワ…に 、 クダ さ
「?」
不意に届いた"声"に、ルークは高貴な血筋を納得させる、透き通った翡翠の瞳を大きく瞬かせ、キョロキョロと周囲を窺った。
「……? 気のせい、か?」
噴水広場は観光名所のひとつだけあり、所狭しと並べられた屋台や、大道芸人の出し物で賑わっており、生きるという事を謳歌するかのように絶え間のない笑い声、歓声、拍手喝采。人々は、皆それぞれの楽しみに熱中しており、噴水で人待ち中の青年にワザワザ声を掛けるような物好きなど、見当たりもしない。
「…っかしいなー」
確かに、聞えた気がしたのに、と。
訝しがりながらも、ぼんやりと連れの帰りを待つ体勢を取る。普段、世界中を飛び回って忙しくしているだけに、空白の時間を与えられると持て余してしまう、とルークは溜息を吐いた。立ち止まってしまうと罪悪感や不安感といった負の感情に追いつかれそうで怖いのだ。皆と共にいる時は然程でもないが、こうして完全に置き去りにされると、孤独に心が圧し潰されそうになる。
―― そんな弱さこそ、最もルーク自身が嫌悪する処なのだが。
「…はー、情けねー」
果ても底も見えない自己嫌悪にどっぷり浸かり込む己を自覚し、ルークはふるると犬の仔が雨の滴を払うように首を左右に振って見せた。そして、パンッと軽く両手で頬を張り、抜けた気合いを入れ直すと、すっくと立ち上がってもう一度周囲を見渡した。
「…うん。ここで、こーしてても腐るだけだよな。
やっぱり、俺も一緒に探しに行こう」
そして、ひとつの決断。
行き違いも、それはそれで何とかなるはずだと、前向きな楽観によるが。
無法者の盗賊や凶悪な魔物が闊歩するのは街の外の出来事だ。
街中――、特に随所に警備の兵士が配置されているマルクト帝国軍都グランコクマでは、余程の異常事態でも起きない限り、特別な危険に晒される可能性は限りなくゼロに近い数字なのだ。
際立つ存在感の派手に華やかな赤い髪か、もしくはもう一人の異邦人の姿を求めて、ルークは噴水の傍を離れた。
「どうぞ、お通り下さい。ガルディオス伯爵様」
古き風習や伝統を重んじるキムラスカ王国で一般的な格式ばった重装鎧では無く、実用性を重視した軽装のマルクトの軍服を身にした宮殿の門番は、甘やかな金髪が印象的な、好青年の見本のような爽やかな風貌の人物を目にするなり、敬礼で応えた。
「御苦労さん。今日はまだ脱走してないかい?」
「それは、どちらの話でしょうか」
「両方かな」
「目下、異常無しです。――但し、この門に関しては、ですが」
「あはは、ごくろーさん」
毎度の事ながら好き勝手に宮殿を脱走するブウサギの探索を何度も手伝ってもらっている門兵の彼とは既に顔馴染みの仲だった。十年来の下男生活がすっかり板についたガイにとっては、豪奢な装飾で醜悪な内面を着飾り、心の伴わない社交辞令で互いの痛い腹を探り合う貴族様連中よりも、彼らのような一般階級の人間の方が余程親しみやすいのだ。
ガイ・セシル――いや、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵の身分については公式な発表を控えられているため――遠縁とは言え皇族へ連なる者となれば、良からぬ謀略を巡らす者が現れないとも限らぬ故の配慮である――、一平卒に過ぎない彼のような門番にガイの身分が知れる事は無い。それでも、彼(か)の死霊使いの戦名で懼れられるジェイド・カーティス大佐と共に現れ、突然に皇帝陛下の傍付きに任命されているのだから『特別』であるということは、余程のウツケでもない限り判断はつく。しかし、その特異さを感じさせない朗らかで気さくな人柄が、無暗な権威の圧力を嫌う傾向の強いグランコクマの兵士達には当然受けも評判も良い。
「それじゃ、俺は陛下に用事があるから通らせて貰うよ。万が一、陛下を見つけたら俺が探してたって伝えて貰えると助かる」
「はっ、了解しました」
長年キムラスカ王家に連なる公爵家にて下働きをしていた『ガイ・セシル』としては、人の根幹となるべきところが支配者気質である陛下や、素で女王様体質のマルクト帝国第参師団師団長殿とは違い、どうにも『上流階級』としての立場に縁遠さを感じてしまい、宮殿の堅固な門を通り抜ける度に、居心地の悪さに落ち着かない気分になる非常に庶民的な大貴族出身の青年だ。
「さーて、面倒だから裏から行くか」
本来ならば警備を敷かれた宮殿の中央通路を進み、然るべき順路にて陛下の元へと参じるべきではあるが、宮殿に出入りしている帝国軍の重鎮や上位貴族連中に捕まれば逐一面倒だ。
現皇帝であるピオニー陛下が、妾腹の子として無用の長物とばかりに辺境の雪国に幽閉されていた間に、帝国内では次期皇帝の座を巡って大規模な派閥争いが起こり、当時の権力者達の多くが互いに潰し合う結果となった。結果、第九世皇帝陛下ピオニー・ウパラ・マルクトの采配は、口煩い老貴族や権威の椅子に根を生やした型式ばかりの高官の妨害を受ける事も無く発揮され、虚像の権威に飾り立てられていた大国を死病の淵より、見事蘇生してみせた。
――悪政・圧政に苦しめられていた国民や正しく国を憂う清き軍属、貴族の一部からは新たな名主の誕生は拍手喝采で以て歓迎されたが、一方でピオニー・ウパラ・マルクト九世の政事に根強く抵抗する勢力も確かに存在しており、そのような手合いに捕まれば延々と下らない厭味を聞かされ続ける結果となる。陛下の傍付きとして厚く遇された事情も合間って、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスとい人物は、目下、反皇帝派や先代派の貴族連中から敵とされているのだ。
溢れんばかりの陛下の異常な寵愛を受けるペットのブウサギ達を捕獲すべく、宮殿中を隅々に渡るまで奔走した結果、非常に短期間で宮殿の抜け道や裏道といった部分に詳しくなったガイは、勝手知ったる様子で、ザクザクと宮殿の裏手の庭を通り抜けてゆく。時々、視界に入る警備の兵は誰もが一様に『またか』といった表情を浮かべて、素知らぬ素振りでいてくれるのが有難かった。
「…兎に角、状況を陛下へ報告して…、一度ルーク達と合流出来ればいいんだが。
こういう時に、しみじみと旦那の偉大さがわかるよな。性格はアレだが、頭脳は化け物並だからなー。どんなに奇天烈な事態でも、これでもかって位に冷静に状況を分析して、打開策を打ち出してくるのは、ほんっとに頼もしいばかりだよ」
逆に、敵として対峙するならば、これ程脅威となる存在も歴史に類を見ないだろう、と。
ここだけの話ではあるが、ジェイド・カーティス――いや、バルフォア博士のかつての凶行、狂気、その境地へ至るまでの背景を思い起こせば、ひとつ掛け違ってしまっていたなら、死霊使いの名を冠する男こそ、人という種を根絶やしに、レプリカによる新世界を創造せんとする野望を孕んだ最強最悪の敵と成り得たのではないかと、在り得た未来に背筋が寒くなる。
「…え!?」
空恐ろしい想像に郷里の形見でもある神速の太刀筋を誇りとする青年は、大きく身震いをしてみせてから、不意に覚えた強烈なまでの違和感に、思わず声をあげた。
一瞬、世界が赤黒い霧か靄のようなものに覆われたのだ。無論、改めて周囲を見渡してみても今し方の異変など影も形も――僅かな痕跡すら見つけられない。しかし、只の勘違いと思い込む切には、生々しさが格上過ぎて、手に負えない。すっかり鳥肌の立った己の腕を見下ろしながら、ガイは暫し足を止め考え込んだ。
マルクト帝国が誇る、水上要塞都市グランコクマ。
重々しい響きとは裏腹に、水資源の豊富な帝都グランコクマは観光目的での来訪者が数多い。それ程、街並は美しく整備されていた。特に都市全体網の目のように張り巡らされている、譜業を応用した荘厳にて華麗なる水路の数々は、芸術的価値だけではなく技術力の高さから各地の譜業技術者達の間で評判となる代物だ。
何時も慌ただしくしている所為で、観光などしている暇も無かったが、こうして街を歩いているとマルクト帝国の領土における三大名所のひとつである事に得心がゆく。キムラスカ・ランバルディア王国が王都バチカルとは全く趣きの異なる街並みに、物珍しさからついつい本来の目的を忘れていまいそうになるルークだ。
「あ、ルークさん?」
「へ?」
と、聞き覚えはあるが誰のものか見当がつかない声に呼び止められ、聖なる焔の光の写し身として、オールドラントへ生を受けた青年は、足を止め肩越しに後を振り返った。
「――…、え、あれ、ギンジ?」
そこに見つけたのは意外すぎる人物。驚きに呆けて、一瞬、名が思い浮かばなかった程だ。
「はい、お久しぶりです。ルークさんたちも、陛下に用事ですか?」
アルビオール二号機の専属操縦士である少女の三つ年上の兄、はにかんだ笑顔で人懐っこく声を掛けてくる様子に、ギンジの妹であるノエルの面影が重なり、二人が確かに血縁の関係にあるのだと、これ以上無い説得力で以て語りかける。
「………え、」
しかし、偉大なる始祖ユリア・ジュエの預言に繰られる世界の、予定調和の運命の鎖を断ち切る可能性を秘めた赤毛のレプリカの子の、その言葉を失わせたのは、鋼鉄の翼で果敢に天空を攻める空の騎士の存在だけではなく、寧ろ彼が連れていた人物の方だった。
「んー? なによ、俺様の顔に何かついてるー? どーせ、見つめられるなら、可憐なレディの方が俺様的には嬉しいんだけど?」
緋牡丹の朱弁を連想させる華やかなボリュームの緩やかなウェービーヘア、本意を押し殺すに長ける死海の水面に似た掠れた藍色の眼差し、背徳的で自堕落な美貌にはしかし、如何な恥辱に塗れようとも決して害(そこ)われぬ高潔たる意思と、潔白な品位が確かに存在しており、芝居掛かった仕草で飛び出す軽薄で享楽的な科白が、彼の真意から遠い事を如実に語る。
「………」
自堕落さの中に褪せぬ品位を感じさせる美貌から飛び出る軽薄な言葉が、つい今し方の『彼』の姿と重なる
――が、
何かが、
確実に、
違って、いた。
ルークとロイドはきっと仲良しになると思います
ロイドはきっとアッシュもいなせる気がします
テイルズ歴代主人公一のタラシは健在です
しかも天然タラシなので、タチ悪いことこの上ない