金色の羽根、太陽の翼 4
「……ゼロス、だよな?」
先方の手を窺うように慎重に切り出せば、ひどく胡散臭げな視線で応じられるのに、嫌な予感が急加速していくをの感じて、ルークは目の前の、先程とはまるで別人のような『ゼロス』へ矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「なんでギンジと一緒に? ロイドが探しに行ったけど、会わなかったのか?」
「へ? ロイド…、って」
「ロイドだよっ、ロイド・アーヴィング! さっきまで一緒にいただろっ?」
突如此方の名を呼び掛けてきた見も知らぬ赤毛を不審人物として捉えたゼロスだったが、ロイド、の単語に不意打ちを受けギクリと身を竦ませ――勿論、傍目にはそうと分からぬ程の微かな動揺ではあるのだが――強張る声を無理矢理に朗らかにさせると、芝居染みた振り付けで問い返した。
「えー…、っと。ちょーっと、話が見えないんだけど。
てーかさ、まず、おたくは何者よ?
んでもって、なんで俺様とロイド君の名前を知ってるわけ」
「…ッ!?」
空恍けている、という気配は無い。本心からの言葉である事は明らかだった。突然の事にゼロスは彼岸の華の紅色を連想させる豊かな髪を揺らしながら首を傾げ、ピンクと黒の派手な――どう好意的に解釈しても決して実戦向きでは無い――肘の先まである長めのドレスグローブで防護された腕を組み、最高級品で裁縫された襟の高いオートクチュールを身にした、ひよこ毛の不審人物を天辺から爪先まで不躾な視線で観察した。
「あ、あのー。ルークさん。
僕はゼロスさんとずっと一緒にいましたけど、つい今しがたグランコクマに入港したところですし。
別に誰にも会っていませんよ…? 声を掛けられる事もありませんでしたし…」
「……ギンジ…」
キムラスカ・ランバルディア王位継承者と、正しく血を分かつ青年の、ただならぬ雰囲気に気圧されるギンジは、小さな挙手と共に遠慮がちにフォローを入れてくる。ゼロス、という人物の信頼性については兎も角、アルビオール二号機の操縦者――パーティの仲間であるノエルの兄である彼が嘘を吐いているとも思えず、ルークは押し黙った。
「と、言うことデス。つーかさ、自己紹介くらいしてくんない?
ソッチはなーんでか俺様のコト知ってるみたいだけど。コッチは存じ上げませんわよー?」
驚愕を受け止めきれずに俯く赤毛の青年に、相変わらずの猜疑の視線を向けながら、『ゼロス』は道化じみた仕草とおどけた口調で、相手の無礼さを飄々と責め立てた。
「……あ、その…、……俺……。そうだっ、俺…、ロイドを探さないとッ…!!
ゴメンッ、今急いでるんだ! 後から説明するから!!」
しかし、予想外の展開に惑うルークにしてみれば、ギンジと共に顕れた二人目の『ゼロス』に逐一状況を説明している時間が惜しい。目の前で暢気に突っ立っている派手な男がロイドの言っていた『ゼロス』だとすれば、あれの正体は、中身は、一体何であるのか、と。足元から這い上る不安の塊を振り切りながら、キムラスカ・ランバルディア王国が王家の血統を継ぐ毛並みの良い青年は、慌ててホンモノの脇を駆け抜けて行く。
「……え、と。ルークさん、どうしたんでしょうね…?」
事情を知らぬギンジからすれば、ユリア・ジュエの預言(スコア)に讃えられる英雄の子の行動に面食らうばかりだ。ねぇ、と隣で同じように茫然としているであろう人物へ同意を求めた――のだが、そこに在る筈の人影が忽然と消えていた。
「――って、…え、えええっ!!? ぜ、ゼロスさーーーーんっ!!!」
呼び縋る背中は既に遥か遠く後方へ、純白のオートクチュールを翻す赤毛の青年を追って走り出していた。取り残されたギンジの叫びが届いたのか、後ろも振り返らずにゼロスは片手を高く突き上げ、淑女の気品を感じさせるしなやかな指先で後方を指差した。おそらく、先に行っておいてくれとの意思表示。
やがて、路地を曲がる二人の姿が完全に見えなくなると、致命的な人の好さから、済崩し的に世界救済の戦いへ巻き込まれるアルビオール壱号機のパイロットは、途方に暮れてその場に茫然と立ち尽くしたのだった。
何時から――、なんて、そんなものは始めから。
明確な理由は無い。
敢えて言うなら、なんとなく。
動物的カンというか、野性的本能というか。
何か変だと、腑に落ちずにいた。
膚で覚えるアレと、目の前の情報が巧く噛み合ってこなかった。
確証ゼロの分際で、百パーセントの確信。
確実な矛盾を孕んだ違和感を持ち続けていた、ので。
だから、散々に探しまわって漸く追い付いたテセアラ産のアホ神子が、見知らぬ姿へと変化してゆく様を見ても、そう動揺する事も無かった。
『――フン、流石は再生の神子のナイト、か』
「……」
煌々と爆ぜる聖焔のような苛烈な印象の子どもは、感嘆を素直に言葉に表した。
年の頃は――…、おそらく十を数えたばかりだろうか。
長めの前髪で隠されてはいるが秀でた額が実に悧巧そうだ。
強き意志の下で閃く翡翠は、幼さが際立つ姿態とは裏腹に、老獪な凶悪さを内在させていた。
胸元の光沢のあるの黒リボン、上質の生地で仕立て上げられた臙脂色の儀礼服、足元の革靴は丁寧磨かれて汚れ染みのひとつ無い、親族の権力で敷かれた人生のレッドカーペットを踏みしめて生きてきたのだろう。衰退世界シルヴァラントの片田舎に生まれ育った双剣遣いの少年には縁遠い世界の住人らしい子どもの姿に、かつて英雄として祀り上げられた際に味わった上流階級の虚飾虚栄が思い起こされ、異世界の剣士――ロイド・アーヴイングは胸を悪くさせて溜息を吐いた。
「あのさ。なんで俺の事知ってるのかとか、お前が何なのかとか、色々聞きたい事あるんだけどさ。
取り合えず、こいつを放してくれると有難いんだけど?」
そう言って不機嫌な視線で指し示すのは、防護グローブの上から両腕を戒める枷。――と言っても、物理的なものでは無い。黒い靄のようなものが子どもの周囲を渦巻いており。その一部が長く伸びてきて、倉庫の壁へと鳶色の髪の剣士を強固に縫い付けていた。四肢をガッチリと捕えられ、大の字で抵抗を封じ込まれる状況は、お世辞にも良いとは言えない。どうにか脱出出来ないかと試行錯誤してみるものの、正体不明の子どもをが発生源となって取り巻く黒靄は、物理的な力を全て透過するようで、幾ら力に任せてみても徒労に終わるだけだった。
『俺の用が済めば放してやる。それまで大人しくしていろ』
「だーかーらー、その用ってのは何だよ?
言っとくけど金ならないからな。残念ながら俺は立派な無一文だ!」
故郷のシルヴァラントや対世界テセアラで流通していた通貨なら多少持ち合わせているが、此方側――確かオールドラントと言ったか――では金属片や紙片としての価値しか無いだろう。そんなもので良ければ有り金差し出して構わないのだが、無論、目的は別の処にあるのだろうとロイドは纏う空気に高慢を滲ませる子どもを睨み上げた。
『異邦人の貴様にそれを期待するものか。
それに、市井の手垢に塗れた紙幣に興味は無いな』
「……。感じ悪ぃな。」
"市井の手垢に塗れた紙幣"
上流階級のお貴族様が嘲り嗤う金を稼ぐ為、身を粉にして働き続ける底辺労働者や、望まぬ商売へと手を染める若い世代、花街の門戸を叩いて枕を涙に濡らす少女たち。口先だけの理想や綺麗事では、どう足掻いても藻掻いても、決して救えなかった人々の生々しい現実を脳裏に思い浮かべ、ロイドは忌々しげに吐き捨てた。
「すっげー、感じ悪い! 腹立つ!! なんなんだよ、お前!!」
込上げる憤りのままに叫び散らすツンツン頭の直情型異邦人の怒りを、子どもはど浅薄な事だと鼻先で笑い飛ばし、うず高く積まれた木箱の上から凛と清み切った声を張り上げた。
『世界に平等などあるものか。既存の社会を打ち壊し新たな秩序を構築したとして、果たしてそこには形を変えた "差別" と "偏見" が生まれるだけだ。そんな事はお前自身が良く分かっているだろう、世界樹(ユグドラシル)の英雄、ロイド・アーヴィング』
「…その呼び方止めろよ。そもそも、なんでさっきから人の事アレコレ詮索してくるんだ?
どーゆーつもりか知らないけど、あんまワケわかんないと。…ゲンコツだからなっ!」
『減らず口を。そのザマで出来るものならやってもらおうか、英雄サマ?』
「こンの…! 言ったからな!!!」
『ゼロス』の姿を映し化けていた赤毛の子は、出来るものならやってみろ、と言わんばかりの挑発的な態度で、リンゴラベルが貼られた使い古しの木箱の上からロイドを鷹揚と見下した。世界再生の旅を通して大きな人間的成長を遂げたとは言え、やはりロイドはロイドだ。ひとの本質というものは何十年経とうとも、そう変わるものでは無い。勝負事に熱い一本義な性格を簡単に見破られ、ころりと手玉に取られてしまう英雄様がここにいた。口と魔術の腕が立つ天才の親友が傍にいたなら、情けない、と肩を竦められて嘆かれていたに違いない。
「くあーーーー!! くぉおおおっ!! うがーーーーーーっ!!!」
『………』
意味不明な奇声を発し、額に青筋が浮かべ、全身から汗が噴き出す程に力んでみても、不可思議な力には敵わないゼイゼイと肩で息をしながら、やっぱ駄目か〜、とボヤ双刀の剣士に対し、赤毛の子どもは度し難いとばかりに首を左右にして呆れ返った。
『お前は白痴か。無駄に決まってるだろう』
「っ、るさい!! 誰が白紙だ!!
俺だって分かんないなりに色々考えて提出するってーの!!」
『何の話だ』
「あーも、くっそー! 次元刀貰らっときゃ良かった!!」
二つへ分離した大地と生命を統合する偉業を成し遂げた英雄として、その偉大なる力の象徴として携えていた次元刀は世樹へと捧げ手許には無い。あるのは汎用性の高さから常に懐に忍ばせるハリセン(意外な攻撃力を秘めている珍武器)と、草薙双頭の太刀だけだ。対物理では神憑り的な力を秘める優秀な武具ではあるが、現状を打破し得る力には成りえない。
『煩いやつだ。黙ってそこに磔にされていろ。
俺の用件が済むまでの辛抱だろうが』
「それが何だって聞いてんだろッ! おかしな事ならきょーりょく出来ないだろ!!」
『…フン、英雄ともなれば悪は見過ごせないか?
欺瞞だな、貴様の独善には反吐が出る』
「――…ンなの、こちとら散々言われて来てんだよ!! ばーか!!」
余裕綽綽と不様に足掻く異界の英雄を見下ろしていた子の瞳が不意に苛立ち、明確な殺気を帯びて鋭利さを増した。しかし、仮にも世界樹の英雄として、多くの人々の嫉妬孕む憧憬や、悪意を含んだ羨望に晒されてきただけあり、ロイドは敵意を剥き出した子どもの毒を真正面から受け止めて跳ね飛ばした。
『…ふん、可愛げのない奴だな』
「俺に可愛げを期待されても、どーしろっつーんだよ!
そーゆーのは、コレットとか、プレセアみたいな娘(こ)に頼めよな」
再生の神子の使命として世界各地を回り、世界統合による影響で住居や家族を失くした人々に癒しを与える純白の翼の天使や、エクスフィアの影響で感情を欠落させた永遠の十二歳の天然木こり少女の名前を挙げて反論するロイドに、赤毛の子どもは面白そうに顎をしゃくって見せた。
『何だ、惚気は無しか?
てっきり "ゼロス・ワイルダー" の名が挙がると思ったんだがな』
「っな、!」
揶揄る言葉に予感めいたものを感じ取り、ロイドは弾かれたように顔を上げ得体の知れぬ子どもの表情を窺ったが、"それ"は口端を僅かに歪ませながら溶けるようにして姿を消した。
「……え、って、わっ!??」
同時にシルヴァラントとテセアラの人々から称賛される世界樹の英雄を戒めていた黒靄も跡形も無く四散した。突然の事に反応が遅れてしまったものの、持ち前の反射神経で顔面激突を回避した二刀流遣いの少年は、鳶色の瞳をくるくるとさせて現状を訝しんだ。
「えーっと? なんで? てか、何処行ったんだよ!
おーい! 赤いのー!! どういう事だよ、もー帰っていいのかー?」
痺れを残す手首をプラプラと動かし感覚を馴染ませながら大声を張り上げるが、そう広くも無い倉庫の中で自身の問いかけが虚しく跳ね返るだけだった。夢幻の類では無い証拠に磔られていた個所は青く鬱血していた。それを見遣って、異世界の英雄は首筋がチリリと焼け付く感覚を覚えた。
腑に落ちない、噛み合わない、何かしっくりこない。
偽者のゼロスに対して抱いて感情と、全く同様の種類のそれ。
(…って、誰かいる…?)
唐突過ぎる放置プレイを受け先の判断をし兼ねていた歴戦の勇者である少年剣士は、幾千数多の死線に培われ極限にまで研ぎ澄まされた超感覚で、波止場を駆け回る人の気配を正確に嗅ぎ分けた。ピリ、と髪の先端にまで緊張を張り巡らせる。油断無く木箱の影に息を潜め、応戦の構えを取ったまま気配を押し殺した。
ただの倉庫番や人夫であれば、由。しかし伝わる足音の振動から連想される体裁きは、幾ら型が崩され我流に亜流に乱れていようとも、戦闘訓練又はそれに付随する何らかの経験を持つ者特有のそれであった。
(…くっそー、まさかこれがアイツの用事とか言うんじゃないだろーな。
嫌な予感しかしないってどういうことだよ。あーっ、もうっ!!)
旅に出てから初めて、本気の喧嘩をした。
些細な口論から始まったそれは、修正不可能な程の深刻さを増して。
気付けば、互いに大声を張り上げる罵倒の応酬に発展していた。
世界に散らばるエクスフィアを回収する旅を、テセアラの神子として敬意を払われる青年と二人きりで続けていた。粗末な場末の宿に一際目を惹く鮮やかな紅色の髪をふわりと靡かせる見目麗しき神子――、それも公爵家の人間ともなれば、無駄に華美な容姿と王族に次ぐ強大な権力に目が眩み、下心在りきの人間が際限無く群がってくる――というのに。誰よりも遣る方無い現実を理解していながら、旅の相棒(パートナー)であるゼロス・ワイルダーは、それまでの自堕落な私生活(プライベート)を更正する様子も無く、連れの目を盗んでは街角での女性の軟派やタチの悪い破落戸(ゴロツキ)連中と賭け事に耽るという悪徳三昧の生活を送っていた。
成人した男性が自己の責任能力の範囲で、大人としての分別を以て楽しむ分には問題無い諸行為ではあるが、世界樹の英雄の一人として讃えられるテセアラの神子の行動は度を越していた。一度など、正体を失くす勢いで酒を呷り、完全に酔い潰れたところを悪漢に襲われかけたのだ。その時には普段より余程遅い時間帯にも関わらず、一向に部屋に戻らない仲間を心配したロイドに救われ事無きを得たのだが――。
その日は、エクスフィア回収で立ち寄った村の長に、村人が幾人も行方不明になっているとの『怪呼の森』の話を聞き、世界統合による異変であるのかを確認する為に、噂の森へと赴いていた。森自体は意外にも小じんまりとしており、旅慣れた者ならば迷う程の規模では無いのだが、奇妙な威圧感(プレッシャー)を受けると、仮にも神子である魔法剣士が嫌悪に首を竦めるものだから、不気味ではあるが、森で一晩を明かして異変の有無を調査するという事で話が纏まった。
そして、その野営の最中にゼロスが漏らしたある一言が、ロイドの堪忍袋の緒を見事なまでに一刀両断したのだ。
「あーあ、色気も何も無い風景だこと…。
賑やかな都市が恋しいわー。
きゃー、ゼロスさまー、とか。やだ、神子さまステキぃ、とか。
うら若いお嬢さん方の黄色い歓声に囲まれたいー」
「なにバカな事を、そんなのしょっちゅー言われてるだろ?
ほら、ぼーっとしてないで、ちゃんと火の番しろよな」
「へいへい、っと…。……に、しても、だ。ホント野郎の二人旅ってさもしいわー。
このビューティホーかつワンダホーな俺様を旅の同行者に選んだのは、ま、当然として。
エクスフィア回収が終わったら、お前どーすんの? やっぱ、コレットちゃんとゴールイン?」
「……は?」
太古の天神の力が宿る真刀・草薙双頭の波紋を腰から外し、地面に置いて腰を下ろしたロイドは、再生の神子である幼馴染の少女とは正反対の立場にあるマナの血族の青年の発言に、ポカンと大口を開けて固まってしまった。
「なーんだよ、とぼけちゃって。いい仲なんだろ、コレットちゃんとさ。
ホントはこの旅もコレットちゃんと一緒が良かったんでない?
でも、コレットちゃんは特に混乱の大きいシルヴァラント側の神子だから、公務に忙しいもんなー」
で、次点の俺様が繰り上がりっしょ? と、軽薄で滑りの良い口は、流れるように無駄口を叩く。
「世界樹の英雄のロイド君と、再生の神子のコレットちゃんのカップルなんて、絵に描いたようなお似合い具合じゃねーの? でも、コレットちゃんのファンは悔しがるかもなー。覚悟しとけよ、ロイド。コレットちゃん、ああ見えてスッゲー、モテてるんだぜ。あの、天然でぽややんとしたところとか、可愛くて儚げなとことか、素直で純情そうなトコとか、なんてーか、堪んないよなー。
護ってやりたいって感じが、し、……、」
ぐい。
気付かぬ間に傍に立っていた鳶色の髪の剣士は、聊か乱暴な力加減で強引に公爵家の青年の顎を掴み上げ、眉に掛る髪を男らしい厚みのある掌で掬いあげると、顕わになった額へひどく大切なものへそうするように、愛おしげな接吻を落とした。
「―――…っ、ん、ななななっ、な、なにっ、ナンナンデスカ、ロイド君っ!!???」
浅薄浅慮の振る舞いの裏側に冷静沈着の顔を巧妙に隠すシルヴァラントの神子にしては、随分と大きく調子を外した結構な狼狽ぶりだった。ドンッ、と思わず全力でロイドの胸を押し遣り、柔らかな感触が生々しく残る部位を両手で庇うようにして隠すと、水仙の膚を真っ赤に茹で上げてぐるぐると目を回した。常に飄々として雲のように掴みどころが無く、心の内も手の内も一切明かさない厭味なアホ神子にしては珍しく無防備な有様で、してやったり、と英雄の誉と同時に咎をも負う少年はほんの少しだけ溜飲を下げた。
「なんですか、じゃないだろ。このアホ神子。
コレットと結婚とか、何でそーゆー話がお前の口から出るんだよ。
俺はちゃんと言ったよな? この旅の始めに伝えたはずだろ。
返事は何時でもいいけど、だからって無かった事にするのはヒキョーだぞ、ゼロス」
「………、はは、やっぱ駄目かぁ〜……」
ガックリと項垂れる朱紅の髪の神子を見下ろして、非の打ちどころの無い男前さを誇る二刀流の少年は堂々胸を張ると、牽制の意味を込め、真剣な面持ちで再度それを声にした。
「――好きだ、ゼロス」
「………わーってる…。こないだ聞いた」
「なら、何で知らんぷりしてるんだよ。
無理なら無理って、駄目なら駄目って言えばいいだろ。
逃げ回るなんて男らしくないぞ!」
「…どーして、ハニーはそんなオットコマエなわけ。
普通、こういう話題を避けるのは告った方って相場は決まってるもんだしょー?」
「普通なんて知らない。俺は好きになったのも、告白したのもゼロスだけだぜ」
「……や、あのね。だからこそマズイっていうかさ。うん、マズイっしょー…、それは」
はーっ、と大仰に溜息を吐き枝葉でロクに見えない夜空を見上げるゼロスに、ロイドは理解不能とばかりに眉を寄せ、少し不機嫌に怪訝な面持ちでいた。
「何がマズイのかちゃんと説明しろよ、ゼロス。イエスかノーかの二択しかないはずだろ。
俺、腹芸とか出来ないから、そりゃ暫くはギクシャクするかもだけど…。もし、駄目だったとしても、ちゃんと今まで通り仲間として接していけるように頑張るからさ。だから、正直に言ってくれよな」
「あー…、うん。ロイド君にそういう器用さは求めてないから、だいじょーぶ。
じゃなくて、…そーじゃなくてさ。ホラ、なんつーの? アレでしょ、アレ。所謂、ね?」
「悪ぃけど、ゼロス。全ッ然、意味分かんないぞ? 何言ってんだよ、お前」
「あー…、だよねぇ……」
ベクトルは異なるものの天然さのレベルを比較すれば、件の再生の神子に一歩も引かない純朴さを持ち合わせるロイドへの説明としては、要領を得無さ過ぎた。脳に捻じ込むよう必死に教えても理解しない事もあるというのに、ぐるりと迂回して到達する回りくどさで何が伝わるだろうか。
「もーね、言っちゃうとけどね、ほら、アレよ、アレ。
俺様こんな容姿(ナリ)だしょ? だから、まぁ、そういう風に勘違いしちゃう人もいるわけでね。
そういうのって、特に若い時には気の迷い的なもので出易いらしいしさ。
だから、なんてーの? そろそろロイド君にも目を覚まして欲しいなー、って思うんだよね」
テセアラの神子として王に次ぐ権力の主として、大勢の虚実と華やかな悪意に取り囲まれ、尽きぬ孤独を当所無く彷徨う青年は、訳知りの大人の顔で物事に真っ直ぐな年下を諫め始める。
「そりゃー、まぁ、この俺様の魅力にコロッと参っちゃうのは分かんないでもないけど?
フツーはやっぱり女の子っしょ? 可愛いしいい匂いがするし、何より柔らかいしな。
やー、しいなのあの胸はマジで最高だぜ? コレットちゃんも今はちびっと物足りないけど、もー二、三年もすれば、また違ってくるぜー? あの年頃の女の子は数年でグッと色っぽくなるからな」
元より饒舌な性質(タチ)ではあるが、それにしても、平素に増してゼロスの語り口は暇なかった。
「ロイド君はまだホントの恋とか知らないだけじゃないかなー、と。
ほら、なんてーか…。ハニーってムカつく位優しいからさ。
……同情と、愛情を履き違えてンだって、それ。
世界樹の英雄様が男にマジ告するわけねーって、ありえねーから。
目ェ覚ませよ、英雄様? ちゃんと女の子と幸せになれって、な?」
地の炎と森の闇が生み出す赤と黒のコントラストで描かれる救世の神子は、身勝手な論理と倫理を押し付けるだけ押し付けて、一方的に話を断ち切った。反論も異論も認めるつもりは無いとの頑なな拒絶の姿勢。重苦しい沈黙。不安定な静寂。パチパチと、乾いた木枝の表面を甞める炎の不規則な音だけが、取り残されたように響いてゆく。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「……あ、そ、そーだ。ロイド君?
もし、恋の手解きが必要なら特別レッスンしてやってもいーぜぇ?
奥手なハニーには、女の子を喜ばせる才能なんて無さそうだしねぇ。
特別に俺様がレクチャーしてやるよから、もし、なんかあるなら――…、っわ、?」
ぐん、と。
白々しい言い訳で場を濁そうとする逃げ腰神子の両肩を掴んで、ロイドは強制的に向きを変えさせた。相手が思わず怯んでしまう程の真近くから、導きの神子として、公爵家の貴顕紳士として、華やかな容姿や立ち振る舞い、贅の限りを尽くすに相応しい身分と権威を冠する青年の、何処か脅えた白殺の瞳を深く覗き込んだ。
「逃げてばっかいないで、ちゃんとこっちを見ろよ、ゼロス」
「……、強引過ぎる男はモテないぜ、ロイド君?
スマートさに欠けるしな、やっぱモテ男の俺様ともなると、その辺のサジ加減が……」
「ゼロス!」
完璧に追い詰められいると理解していても、尚足掻こうとするクルシスの血を継ぐ高貴な御身を、その往生際の悪さを咎めるかのようにロイドは一喝した。
「……っ!」
すると、突然の大声にビクリと身を竦ませて――凍りついたように硬直。
したのも束の間、即座に調子を取り戻すと、生まれ育ちの良さに反して随分と下町被れる公爵様は、ギャアギャアと文句をつけながら暴れ出した。
「――ッ、こ、の。さ、わんなよ!! 放せッ!!
くそっ、放せって言ってンだろ、この馬鹿力ッ!! 筋肉脳!!!」
「嫌だ。ちゃんと答えるまで放さないからな」
「〜〜〜ッ、…もう、答えただろ!! 勘違いだって!! 無理なんだよ!!
なんでもかんでも、自分の思い通りになると思ったら大間違いだぜ!!!」
「何が無理なんだよ!? ふざけんなよ!!
俺がその場の気分とかノリでお前に告白したとでも思ってんのかよ!?
すっげー悩んだんだからな!!
すっげー考えて、すっげー迷って、それで、やっぱそうだって思って…っ!!
お前の事が好きだって腹を決めて、やっと告白したんだ!!!
なのに、お前は俺の一大決心を何だと思ってんだよ!!
この、ヘタレ!! 弱虫!! 根性無し!! 臆病者!!!」
「……ばっ、しょーがねーだろ! 男同士だぞ!? テセアラの神子様で公爵様だぞ!!
只でさえ、世界樹の英雄とか祭上げられてキツイのに、いらねーモンまで背負うこたねーだろが!! 俺なんかに気ぃ取られてる場合じゃねーだろ!?
分かってねーだろ!! これから、もっとシンドくなるんだよ、お前は!!
テセアラとシルヴァラントの連中がそこかしこで衝突し始めてる事位知ってンだろ!?
小競り合いの内はまだいいけどな、そのうちデカイ暴動になってくる! そしたら、当然暴動の規模に比例するだけの死傷者が出るに決まってんだよ! そいつらが、そのうち何て言いだすか当ててやろうか!?」
『なんで、世界統合なんてしたんだ』
『こんな事になるなら前の方がマシだ』
『何が英雄だ疫病神め』
『アイツが余計な事さえしなければ』
『自分たちがこんな目に合うのはアイツの所為だ』
「あ、いつ、さえいなければ、って…、
お前なんて、生まれてこなければ――…!!」
まるで、箍が外れたかのように、次々と、溢れて止まらない言葉の数々。
最高の富と名声の星の下へと生まれ合わせながら、誰よりも身内の愛情に飢え、隣人の情愛に渇く薄倖の神子が無意識に叫んだのは、幼い時分に喉元へ突き付けられた覚えのある呪いの言霊。虐げられる恐怖に竦みながらも、無垢の命が一途に愛した母(ひと)が、最期に残した呪詛の怨念。ふるり、と思いだして身震いした薄い身体を、しかし、英雄の業を負う猛々しい魂は、その激しい痛みごと思い切り自身の胸へと抱き寄せた。
「…心配し過ぎなんだよ、ゼロスは」
「………」
「なんていうかさ、お前って頭はいいけどアホだよな」
「………」
「面の皮も厚い、煩い、見境無い。ついでに、落ち着きも無い」
「………」
「中途半端にカッコつけちゃー、肝心なトコでポカる天才だし」
「……いや、あの」
「後、ズルい。ってか、セコい。普通に卑怯者くさい」
「……ロイドく〜ん、もうそれタダの悪口だから。俺様このまま泣いちゃうよ〜?」
折角の雰囲気をブチ壊すシルヴァラントの英雄に呆れながらも、その変わらず徹頭徹尾を貫く天然ぶりに安堵してか、緊張を解いて軽口を洩らすテセアラの神子。
しかし、子どもは少年に、少年は剣士に、そして遂に剣士は 英雄 と呼ばれるまでに至った。
此度の世界再生の旅で誰よりも大きな成長を遂げたのは、ロイド、ロイド・アーヴイングその人だ。
何時までも、それ子どもや、やれ少年と侮れば、その差異を身を以て――…、
「いいぜ。このまま泣けよ、ゼロス」
実に直接的かつ即物的な方法で、
「俺が泣かしてやるよ」
味わう羽目になる。
「……へっ?」
何処の百戦錬磨の伊達男の口説き文句かと耳を疑う色事師的科白が頭上から注がれ、数多の女性に対して歯の浮く言葉を袖触れ合う縁で口ずさんできた自称・恋多き男は、弾かれたように顔を上げた。それはもう、いっそ愉快な程に完璧完全に面食らっていた。何事かとポカンと口を開けている姿がどうにも間抜けていた。
「お前さ、ゴチャゴチャ考え過ぎ――、って幾ら言ってもどーせ考えるんだろ?
で、俺なりに考えたんだけどさ。ほら、習うより慣れろって言うからさ。
だから、泣かして腹の中のモン全部吐き出させる事に決めた。
嫌ならマジで抵抗しろよ、俺が本気ってコト教えてやる」
「え、へ、は……、い?」
物凄い最後通告を受けている――気がする――が、如何せんテセアラの神子の脳は健気にも優秀だった。悧巧過ぎるが故に、主が本能的に拒絶する言葉に対して意図的に理解力を低下させた。結果、風雲急を告げる展開に取り残される紅時雨の髪も美しいマナの血脈の青年。
まるで皿の上の馳走のように、ただ食されるのを待つ無抵抗な獲物が、ハッと我に返って捕食者の少年に、割と思い切りストーンブラストの石飛礫をかまして下腹部を蹴飛ばし森の奥へ逃げ出したのは、拙いながらも若い欲に駆られた愛撫の手が下肢へ及んでから、だった。
シンフォニアのタラシキングとアホ神子side
お話をお読み頂ければお分かりになる通り
まだ出来あがっていません
ロイド→ゼロスの片思い告白返事待ち
この二人は、ジェイルクやガイアシュとは
また違った感じの組み合わせですよね
ちなみに個人的にはロイゼロ大好物ですが
ロイドがロリってなければリバも好きです