金色の羽根、太陽の翼 5



 胸の奥が細波立つ気配に、千年王国の礎・聖なる炎の英雄・彼の写し身として、滅びゆく外殻大地(オールドラント)に不完全な生を受けた複製人形(レプリカ・ドール)――、ルーク・フォン・ファブレ、ファブレ公爵が第一子にて、時期王位継承者として望まれていた赤毛の子は、人気の無い波止場で足を止め、乱れた呼吸を整えると、錆色の濃い周囲を注意深く見渡した。
「目撃した人の話だと、この辺らしいけど…」
 マルクト帝国の首都グランコクマは、水上都市として世界に名高い観光名所でもある。その為、余所の旅行客は大して珍しくも無いのだが、街人や観光客とは毛色の違う二人組の剣士が、地元民も殆ど寄りつかない半閉鎖状態の旧港へ向かって行ったと、露天で水揚げされた魚を売る妙齢の女性が証言してくれた。
 二人とも、惚れぼれするような色男でねぇ。そうそう、後ろのお兄さんソックリだったわよー。アンタ、双子なのかい? とはにかみながら教えてくれた女性の世間話を振り切って、到着した旧港――最早廃港と言うのが正しいのかもしれないが――エイダ・ロムス。
 その港は確かに人の気配も無く、侘しさと枯れゆく土地独特の寂寥に満ちていた。
 ミャウミャウ、と遠くでうみどりが魚を狙って鳴く声が届くが、それらは全て新港の方向から響いており、人どころか、猫の子一匹、ネズミの一匹の気配も旧港からは感じられなかった。船着き場に砕ける波音だけが唯一の生を感じられる音だったが、それすらも何処か余所余所しく突き放すような印象だった。
「…なーんか、ヤな感じするね、ここ」
「ゼロス…、分かるのか?」
 軽薄な言動や軟派な立ち振る舞い、大輪咲き誇る紅牡丹の如き圧倒的な存在感の美貌、享楽的且つ放埒な性格からは連想しにくいが、熟練の魔法剣士でもあるテセアラの神子、ゼロス・ワイルダーの含んだ言い回しに、ルークは咄嗟に異邦人である緋色のウェービーヘアの青年を振り返った。
「そりゃねー、俺様を誰だと思ってんのよ?
 こー見えても、テセアラの神子様よー。
 邪悪な気とか、そゆのに敏感でもおかしくないってか、寧ろトーゼンでしょ」
「え、邪悪?」
 思わぬ言いように息を呑む重箱入りなひよこ毛剣士に、ゼロスは魅惑の微笑みと共にウィンクをひとつ。芝居がかった仕草がイチイチ様になるのは、外見上の見栄えの良さだけでは無く、生まれ持つ気品や才覚がそう感じさせるのだろう。
「そー心配しなさんなって。邪悪っても、そこまでヤバイもんじゃないから。
 なんてーのか、こう、がきんちょのイタズラ程度って感じ?」
「…よく分からないけど、その、アンタの神子パワーでロイドの居場所は分からないのか?」
「神子パワーって…、あのね」
 真剣な面持ちで訊いてくるからには、本人は大真面目なのだろうが、"神子"として祀り上げられ有象無象の大衆から信仰の対象として崇められてきた青年からすれば、面白可笑しく響く言葉に失笑が漏れるところである。
「何処ぞの便利なネコ型ロボットじゃないんだから、何でも出来るわけじゃないって。
 …確かに、妙な気配を感じたりは可能だけどね。
 取り合えず――、そうだな。向こう。空気が濁ってる感じがする。行ってみようぜ?
 …なんて言ったかな、ルーク? だったよな?」
「あ、うん。そっか、ゴメン。俺は、ルーク。ルーク・フォン・ファブレ」
「おっけーおっけー。今更だけど、宜しく? 俺はゼロス・ワイルダー。
 テセアラで神子で、モテモテイケメン公爵様と言えば、この俺様の事な!」
「…よ、宜しく」
 小気味良い自己陶酔型の自己紹介に気圧されながらも、差し出された手を拙く握り返すルークに、おや、とゼロスは片眉を上げて物珍し気に視線を細めた。
「おたく、左利きなワケ?」
「え? あ、うん」
「それと、握手に慣れて無いね。けっこー箱入りだったりする?」
「………。そういうのって分かるもんなんだ」
「ま、ねー。特におたくは素直そーだから、丸わかり」
「悪かったな」
「褒めてるんだって。俺様、そういうのキライじゃないよ?
 で? イイトコのお坊ちゃんなわけ? ルーク"様"は」
「…ルークでいいって。なんか、馬鹿にされてるっぽいし、普通に呼んでくれればいいから。
 『元』だけど、キムラスカの次期王位継承者だったから、仲間からも最初は世間知らずだとか常識が欠けてるとか、けっこー言われてさ。昔に比べたらマシになってるはずなんだけど……」
 咄嗟に反応の遅れた自身の右手をじっと見つめて、寂しげな頬笑みを掃く公爵家の青年に対し、ゼロスは地雷を踏んだか、とひとつまみの後悔と共に高く晴れ上がる天を仰いだ。
「あー…、そんな気にするこっちゃないって。ンなの。
 将来の王様なら、帝王学や社交術を叩き込まれて世間の常識なんぞ二の次でしょ……、って。
 あれ? 今、サラッと流すトコだったけど、『元』? 今は違うの? 何で?」
「あ、うん。…ちょっと、色々あってさ」
 成人男子としての立派な外見よりもずっと幼く頼り無い印象の赤毛の子爵が、ひどく消沈した様子で言葉を濁すのに、ゼロスはふぅん、と鼻を鳴らし不躾で無用な詮索を早々に切り上げた。別次元に存在する世界の王権事情など、正直知った事では無いのだ。興味本位の質問で無闇に他人を疵を抉る趣味も無ければ、そこに快楽を見出す変態でもあるまいし、時間と労力の無駄だと、ゼロスは思考を完全に切り替えた。
「ま、ゴタゴタは何処でもあるよな。悪いな、妙な事訊いてさ。
 さーってと、サッサと行こうぜ。ロイド君が心配だわ」
「ああ、そうだな」
 海から間断無く吹きつける潮風に長年晒され、人の手入れも受けられずに老朽化した倉庫群は酷く閑散としていた。本来、エイダ・ロムスのように見捨てられた区画というのは、裏社会に生きる連中にとって格好の潜伏場所となるのだが、その気配も無い。グランコクマという一都市から徹底的に切り離される廃港の奇妙な独立性に、聖なる焔の写し炎(ひ)と、神子の宿命に繋がれる緋色の天使は、得も言われぬ不気味さを感じ取りながらも、穢れが漏れる奥へと歩を進めた。



「ふむ。其方の事情は呑み込めました」
 甘く籠絡、巧みに調教、大人の手練手管で手懐けた赤毛の仔犬と、異世界から飛び込んできた元気一杯ヤンチャな柴犬の仔を、二匹纏めて都市観光の名目で外に追い払ってから暫く、マルクト帝国が皇帝陛下の執務室を訪ねたのは、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵。護衛を兼ねたピオニー・ウパラ・マルクト九世の側近――とは名ばかりの、ブウサギの世話から各侯への書簡の配達、日々散らかってゆく執務室の掃除や、陛下の夜食や間食の準備、これら多岐にわたる雑務をソツなく完璧にこなす雑用係、その人だった。
「流石、旦那は理解が早くてらっしゃる。コッチはまだまだ混乱中だってのに、流石ですよ。
 異世界だとか、俄かには信じられない話だが…。アンタは納得しているみたいだな?」
「そうですね。少なくとも、"ロイド"と名乗る少年から感じた力――、おそらくエクスフィア、と呼ばれるものには、我々が認識する音素(フォニム)の構成とは全く異なる紋が描かれていました。異世界云々は兎も角、彼が未知の力を有し解する事実は認めざるを得ません」
 つい、と揃えた手袋越しの指先が知的なシルバーフレームの眼鏡を押し上げ、皇帝の懐刀と名高い、諸刃の業を負う・死霊使い(ネクロマンサー)は無味乾燥な理詰めの論を淡々と口にする。
「…そうだな。エクスフィアについて、俺もギンジも知らなかったしな」
 装着者の能力強化を目的とする『エクスフィア』とは、大粒の輝石に酷似した形状を演じており、ゼロスのそれも直接人体へと埋め込まれる姿を目の当たりにしなければ、その美麗且つ繊細な見栄えから、稀少な宝石(いし)の一つとしてしか、捉えられなかっただろう。
「ま、何にしろ良かったよ。ゼロスもそのロイドって奴とはぐれて困ってたみたいだし」
「その肝心の神子様は、どうしてるんだ?」
「はっ、音素(フォニム)の暴走が影響したのか、気分が優れ無いとの事でして。
 現在は、グランコクマ停泊中のアルビオールが一室で休ませております」
 お目付け役不在時にはブウサギの遊び場兼腰掛に成り下がる重厚な造りのデスクの上で、山と積まれた書類の束に辟易しながら、マルクト帝国が誇る賢帝が有能な側近へと"神子"とやらの所在について尋ねてくるのに、ガイラルディアは最大限の礼節を以て応じた。突然の問いかけであったとしても、決して怯まず淀まず、堂々たる口調は滑らかで、如何に十年以上の年月を仇敵が屋敷の下男の暮らしに身を窶そうとも、誇り高き帝国が王侯諸国の血筋に曇り無き品格を備えていた。
「なんだ、随分と他人行儀だな。もっと砕けて話すといい、ガイラルディア。
 ここには、俺とジェイドしかいないんだぜ? 変な遠慮は要らん」
「お気持ちは有難く頂戴致します。
 しかし、特に最近は御重鎮の皆様方が心象を悪くされているように見受けられますし。
 私如き下賊の者が、皇帝陛下へ過ぎたる言葉を許されるなど…」
「いーんだよ、堅ッ苦しい化かし合いは懐古主義のタヌキ連中だけで充分だ。
 毎日毎日、陰気なハゲ共と顔を突き合わせて互いに真っ黒な腹の探り合いだ。
 徒党を組んだ化石ジジィ相手に、日々孤軍奮闘の俺を労わろうって気持ちは無いのか?
 ン? どーなんだ、ガイラルディア?」
「…先代皇帝からの重鎮であられる御歴々への陛下の呻吟(しんぎん)には、崇敬の念にて――」
 甘い余韻を残す独特の口調で皇帝権限を振りかざしてくるタチの悪いオウサマに、ガイは苦み走った表情で体裁を崩して見せた。
「って、勘弁して下さい、陛下。十年も行方を晦ましていた不徳不貞の輩ですよ、俺は。
 本来なら、故郷の土を踏む事すら憚られる立場のはずなのに、家督と伯爵位の返還だけでなく、陛下の側近として召されるなんて、破格の待遇を頂いて。その上、懇意を許されるときたら、ますますご老侯からの風当たりが強くなりますって」
「嫉妬に羨望、結構じゃないか。皿を食らわば毒まで、ってな」
 褐色の肌に太陽の光のようなブロンドが眩しい美丈夫な皇帝は、具わる炯眼に確固たる自信を滲ませ、部下の苦境をひとひらと面白がる態度で実に尊大に切り返した。
「覚悟を決めろ、ガイラルディア。お前やジェイドはとっくに俺の領地内だ」
 トン、といっそ誇らしげな表情で己が胸を親指で叩く主君の、心地良い強引さに毒気を抜かれ、無幸の島・ホドの数少ない生き残りの内である護衛剣士は、ふ、と気負いを下ろして眉を下げた。
「陛下には敵いませんよ」
「なんたって、皇帝だからな」
 俗世の枠に囚われぬ理屈抜きの頼もしさ、人心を惹きつけ止まぬ偉大なカリスマ、無闇に高い采配能力、普段こそ能ある鷹は爪を隠すの一例の如く怠惰を装っているが、時に鋭く喝破・恫喝し無能な有象無象共を、それこそ社会的に抹殺する術すら『王』たる彼には自在であるのだ。
「…アッシュは目を覚ます気配がありませんし、先にその"神子"とやらに逢っておきたいですね」
 かつて譜術や生体科学の分野における天才として高名を馳せ、世界を二分するマルクトを支える名軍家へと養子として迎えられてよりは、巡らされる知略権謀の手腕や、槍技譜術一体・帝国最強の譜術士(フォニマー)としての戦闘力を畏れられ、敵味方無く恐怖の象徴とされる字(あざな)・死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドの戦名を冠するに至った、三十路半ばとは思えぬ若さと水際の美貌を備える才色兼備の軍属が、人好きのする護衛剣士へとそう切り出した。
「なら、アルビオールへ行ってみるかい? ジェイドの旦那。
 動くのは辛そうだったけど、話す位は問題ない感じだったぜ」
「そうですね…」
 渋る口調でチラリとマルクト帝国十三師団師団長の肩書を持つ大佐が窺うのは、書類の山に埋もれ、そろそろペンの進みも鈍りつつある主君の姿で――、
「…陛下もお疲れでしょうから、今日の所は宜しいでしょう。
 早速ですが、ガイ。停泊中のアルビオール壱号機まで案内して――…、」

「失礼します!! 陛下!!!!」

 思いの外真面目に執務へ励んでみせた腐れ縁の現・マルクト皇帝へ、アメとムチの匙加減が実に絶妙な亜麻色の髪も麗しい軍属は、そろそろ頃合いかと戒めていた手綱を緩め、疲労の色を浮かべる幼馴染を解放した。
 今回の一件でピオニー・ウパラ・マルクト九世が、平素の己が怠惰と放縦を改めるかと言えば、決してそのような成果は望めないだろうが、溜まっていた仕事は全て片付けさせた。愛玩動物(ペット)同然に懐で愛でる赤ひよこに、余計な茶々を入れてくれた腹癒せはこの辺りで充分だろうと、そう、溜飲を下げた大佐が陛下付きの護衛剣士へと視線を流した直後、血相を変えたアスラン――、アスラン・フリングス少将が断りと同時に皇帝の執務室へと飛び込んできた。



 外殻大地の上に文明を築いたオールドラントの人々からすれば、人類の預言(スコア)の監視者が潜む魔界(クリフォト)もまた異界の一つと言えるだろうが、根本的な存在の次元を別とするテセアラ、未知の世界より迷い込んだという、朱牡丹の如く艶やかな容姿も、特注だと窺い知れる華麗な服飾も、圧倒的な存在感を放つ気配も、何れもが派手の一言に尽きる、清貧・貞淑といった"神子"のイメージを真逆へと覆す青年の案内に従い、その背中を追い掛けながら聖なる焔の光(ルーク)は、ふと己の第七音素(セブンスフォニム)が共鳴を根源とする魂の軋みに襲われた。
「……ッ?」
「ん? どした?」
 微かな呻きと同時に足を止め、己の身を庇うように抱留め膝をつく王族の子へ、ゼロスはしゃがみ込んで具合を確かめた。額へ珠と浮かぶ脂汗、途切れ乱れる呼吸、大きく上下するのは剣士としては幾分か華奢な造りの双肩、どれもが、明らかに異常を警告していたが、
「…だ、いじょうぶ。…っ、なんでも、」
 己が因による周囲への負担に脅える哀しい魂の子は必死で虚勢を張るが、大凡、世界に存在するありとあらゆる悪意の形を受け止め続けてきた"神子"に対しては、全く意味の無い行為だった。
「なんでもない、って感じじゃねーけど?
 分かってると思うけど、俺はこの世界のニンゲンじゃねーから、アンタ等の事情は知らないワケよ。
 だから、ヘンな遠慮とか、気遣いとか、配慮的なものとか?
 そーゆーので隠し事されて、余計ヤバイコトになるともっとメーワク。おーけぃ?」
「………ぅ、く」
 他人(ひと)が苦痛に喘ぐ様を見下ろしながら、随分な言い草ではあるが、確かに正論でもある。
 人体を構築する音素(フォニム)を無理矢理引き剥がされる感覚に惑い、直接肉の内側を抉られる痛みを堪えながら、ハァ、とルークは青く色を失った唇を戦慄かせて呼吸を紡いだ。本来は異邦人である青年の主張へ了承の意を伝えるはずであったが、全身を無数の鍼で貫かれるようなそれに、悲鳴を呑み込めただけでも立派なものだ。
「…おい? お前、マジでヤバイのか?」
「…っ、い、つもは…、 こ、 こまでは……」
 平時の発作にしては間も長ければ症状も格段に重い、自覚すると同時に思い浮かんだ単語にルークはギクリと四肢を強張らせた。

『乖離』

 まさか、そんな、うそだ、いやだ。

「……いや、だ」
 こんな場所で呆気無く幕切れを迎えるだなんて、そんな馬鹿な話があってたまるものか。
 まだ、何ひとつ成せていない、成していないというのに。

 無知な己の盲信が招いた悲劇の連鎖を止めたい。
 かつて仰ぎ慕った偉大な師匠の歪んだ理想を止めたい。
 聖なる焔の光(オリジナル・ルーク)が往く修羅の途を止めたい。

 偽者(レプリカ)の分際で全てを成そうというのが、分不相応だというのなら。
 たったひとつだけ、どうしても、叶えたい願いがある。
(……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ……!!)
 このまま消えてしまいたくない、もう少し、あと少しだけでもいいから、―――…、

 傍に。

「おいっ!! おい、しっかりしろよ!! ルーク!! ルーク!!?」
 一瞬闇の胎へ取り込まれた意識が確かな温もりで繋ぎとめられる、ふ、と春先の陽光にも似た新緑の双眸の奥、焦点を失った瞳孔が当所無く彷徨いながらも、徐々に力を取り戻すのに、異世界の神子・ゼロスと――…、彼と共に旅をしていたという双剣遣いの少年が、ほっと表情を緩めたのが気配で伝わった。
「………」
(なんで…、 ……ロイドが……?)
 当然と言えば当然な疑問に取り留め無く思考を巡らせていると、どうやら自分があのまま地面へ倒れたらしい事と、ほんの数分程度に過ぎないが昏倒していた事を、竹を二つに割ったような快活な性格が好ましくも眩しい年若き異界の英雄ロイド・アーヴイングはルークへ話して聞かせる。
「ひとの気配がすると思って様子を見てみれば、ゼロスとお前が一緒だろ?
 最初は罠なんじゃねーかなって思ったけど、お前が急に倒れて吃驚したのなんの」
 迷惑を掛けてしまった事への申し訳無さと、存在を世界に留められた喜びと、丁度半分ずつの複雑な思いを呑み込みながら、奇跡にすら感じた温もりが未だ継続している事にルークは気付いて目を丸くさせた。
「……え、」
 それが異世界の神子を自称する享楽的な青年から与えられているものだという事実にも、更に驚きを隠せぬ表情で、声を失っていた。
「ヘーキか? 何かヤバそーだったから、一か八かでゼロスに治癒術掛けて貰ったけど…」
「俺様達のいた世界とは違うんだし、手出しはしない方がいいって思ったんだけどね。
 もし後遺症が残っても、俺様じゃなくってハニーを恨んでちょーだい」
「………第七音素(セブンスフォニム)…」
「うん? セブンスフォニム? なにそれ、コッチの治癒術のコト?」
 心臓の上辺りに添えられた長手袋越しの温もりの感触、それは確かに癒しの光――第七音素士(セブンスフォニマー)の資質を生まれ持つ者にしか扱えぬ、特別な第七番目の特殊な音素(フォニム)。勝気で快活な幼馴染の王女や始祖ユリアの直系である魔界(クリフォト)の譜歌使いに、戦闘の傷を癒して貰う時に幾度も目にした、優しく仄かな慈悲の輝きと同等のものであった。
「…俺達の…、コッチの世界でも特別な力で…、治癒効果、も、あるんだけど…。
 アンタ、…使えたんだ。第七音素(セブンスフォニム)…」
「………。成程、ね。
 俺様達の世界で言う魔法の源泉"マナ"が、此処では"音素(フォニム)"ってワケか」
 ルークの回復の兆しを見取って、ゼロスは治癒術を切り上げ、得心がいったとばかりに頷いた。
「……? ………??
 俺はさっぱりわっかんねーぞ? どーゆーことだよ?」
「あー…、ハニーは別に知らなくてもいいわ。どーせ、術は使わないし。
 体技(スキル)が今まで通り使えるって事だけ覚えてれば充分だって」
 頭の回転が悪いわけでは無い――寧ろ得意分野では優秀ですらある――のだが、己の興味関心の薄い事象に対しては、絶望的な理解力の無さを披露する双剣遣いの少年を、ゼロスは適当にあしらった。
「ふーん? スキルが使えるなら、それでいーけどさ。
 で、お前達どーしてここに? そもそも、何でゼロスが一緒なんだ?」
「あー、俺様も余り状況を把握してないのよね。
 と言う訳で、まずは現地の人間なルークから話をどぞ?」
「…うん、」
 "人間"という何気なく発せられた言葉に後ろめたさを感じながらも、異界の神子からの癒しの力でどうにか安定した肉体を、失いかけた感覚を確かめるように掌を幾度か握り直しながら、ルークはロイドの腕の中から上体を起こし、危なげながらも立ち上がって戸惑いがちに頷いた。
「…ロイドが…、その、ゼロスを探しに行ってから、
 ギンジ――ってのは、アッシュの乗ってる飛晃艇のパイロットなんだけど、そのギンジとゼロスが一緒に歩いてるのを見掛けたんだ」
「はい? ちょっと待って、俺様を捜しに行ったって? どゆこと?」
 テセアラや、シルヴァラントとの統合を果たした新世界で発動する治癒術とは、明らかに根源を違える、第七音素(セブンスフォニム)という聞き慣れない力。その慣れない感触を幾度も味わうように術の軽発動を繰り返しながら話に耳を傾けていたゼロスが、蒼色の瞳を大きく瞬かせた。
「えーと、だな。アレだよ、偽者。偽ゼロスが俺とルークに話しかけてきたんだ。
 しかも途中でどっかに消えたから、ソイツ探してここまで来た」
「え、偽者だって分かってて追っかけたワケ?
 物好きにも程があるっしょ、どー考えても罠臭いじゃん?」
「最初から偽者だって分かってたら追いかけ無かったけど…、しょーがないだろ。
 見た目も性格も完璧に似てたし、…けど、どっか変だなって、何ての、イガ? イガ感? 感じてさ。
 でも、別世界だからそう思うだけかな、とかイマイチ確信が持てなくて、結局追っかけたんだ」
「…それを言うなら、イガカンじゃなくて、イワカン、ね。ロイド君」
「ああ、それそれ! 違和感、そう違和感を感じたんだよなっ」
「で? その俺様に化けた不届きものはどーしたわけ? 御仕置き済み?」
「いや…、それがどっかに行っちまったんだよな、アイツ。
 自分の用事が済むまで大人しくして貰うとか言ってたから、目的はあるんだろうけど。
 お前らが此処に来る直前に消えたんだよな。ホントにわっけわかんねーやつ」
「…用、って?」
 青褪めていた血色を健康的な色合いに戻した赤毛のひよこ毛剣士がそう訊ねるのに、救世の奇跡人として統合世界の人々から崇敬される年若き英雄は、むぅ、と渋い表情を作って答えた。
「それも、わかんねー。いちお、訊いてみたんだけど、お前には関係無いの一点張りでさー。
 かんけーないなら、巻き込むなっての。すっげームカつく奴だったぜ、ソイツ。
 なんてーかさ、こう、自分が世界で一番エライんだぞーってオーラが出てた。いけすかねーの」
「…そう、なんだ…?」
 明朗快活という言葉をそのまま形抜きしたような裏表の無い少年の、珍しく刺のある態度にルークは面食らい戸惑いながらも、感情を合わせるように相槌を打つ。
「ま、消えたんならしょーがねーじゃん?
 ルークも辛そうだし、移動してどっかで休もうぜ」
 仰々しく咲き誇る艶めかしい朱牡丹の雰囲気を纏う異世界の神子は、穏やかに吹き寄せる海風に両肩を竦め、潮風は身体に優しく無いしね、と付け加えた。
「んー、気にはなるけど…、ゼロス言う通りだよな。歩けそうか、ルーク」
「え、っと…、ああ、大丈夫――…、 っ!!?」

『 捕えた 』

 テセアラ・シルヴァラントに生を受け未曾有の危機を救った英雄と神子の二人と、ユリアの預言(スコア)に妄執した歪な箱庭で"人"足らんと足掻く王家の子の耳に、未発達な残虐性を孕む無邪気な、しかし支配者層独特の非情さを兼ね備えた黒の"声"が囁いた。



 無礼は千万承知の上、主君の執務室の扉を許可を得る前に乱暴に開け放ち、珍しくも随分と取り乱した様子でアスラン・フリングス少将は乱れた呼吸の下、切迫した瞳を真っ直ぐ皇帝陛下――名君ピオニー・ウパラ・マルクト九世へと向けた。
「…フリングス将軍?」
「貴方が慌てているなんて、余程の事態のようですね。
 キムラスカがトチ狂って開戦宣言でも叩きつけてきましたか?」
「カーテイス大佐、…それにガイラルディア様も…。何時御帰りに…」
「ついさっきですよ、陛下へ御報告申し上げる事がありまして」
「…そうですか。ルーク様は?」
「ルークなら、陛下が拾ってきた迷い犬と遊びに行かせました。
 街の散策に飽きたら適当に帰ってくると思いますよ」
 つい一刻程前にはバチカル産の赤毛ひよこな剣士もカーティス大佐と共にいたはずだ――、と咄嗟に思い浮かんだ疑問を口にすれば、戦場を彷徨い屍を暴く死霊使い(ネクロマンサー)としてのマストアイテム・知的眼鏡(インテリジェンス)のフレームを押し上げながら、ジェイドは即答した。
「…ルーク様の不在がせめての幸いですね」
「幸い? どうやら随分と物々しい事態のようですね」
 怪訝そうに言葉後を拾い上げるジェイドに、ええ、と褐色の肌に青を基調とした軍服がエキゾチックな雰囲気を醸す帝国唯一の反逆の騎士(リヴェル・リッター)は、明確な肯定の意を口にする。
「陛下。それに、カーティス大佐、ガイラルディア様も。お聞きください。
 現在、帝国宮廷内に於いて異常事態が発生しております」
「…ふむ? 詳しく説明をしてみろ、アスラン」
「は! 現在、王宮の外壁に沿う形で瘴気に酷似した異常物質が地面より発生。これと接触した兵士の多くは錯乱状態へ陥っております。正気を失くした兵士の多くは周囲の建造物の破壊・傍にいる人間への傷害行為など、無差別な攻撃性を呈しており、非常に危険な状況にあります」
「瘴気…、のようなもの? 瘴気ではないのか。どういう事だ」
「畏れながら靄の正体は判明しておりません。人為的策謀による攻撃なのか、自然災害の類なのかも不明な状況です。現在も黒靄は地面から湧き続けており、宮殿内は勿論、外へ向けても流出している模様。侵攻速度こそ緩やかではありますが、このままでは我々は無論の事、帝都の民にも甚大な被害が予想されます」
「宮殿内の状況は」
「は! 宮殿の要所へ兵士を配置し靄の進行状況の監視と報告、それ以外の者は全力を以て避難先導及び錯乱者への対処へあたっております」
「…避難、っても。脱出できねーだろ、それ…。
 あーっ、くそっ! どーなってんだよ、次から次へと。お前は疫病神かジェイド」
 アスランの報告が進むにつれ、流石の名君マルクト救世の余裕にも陰りが見え始めた。凛々しげな眉を左右から寄せ、口内で小さく舌打つと、富と権力の象徴のような美しい向日葵色の髪を両手で掻き回し、幼馴染に対して随分な愚痴を零しながら書類の上に突っ伏した。
「誰が疫病神ですか、失礼ですね。
 第一、私にはもう死神が憑いていますから、定員オーバーですよ。
 疫病神はガイへ任せます、どうぞ、持って行って下さい」
「…勘弁してくれ、ジェイドの旦那。それに陛下も。不名誉な称号は謹んで御断りさせて頂きます。
 さて、ふざけてる場合じゃありませんよ。宮殿の外周から靄が押し寄せてきているなら、成るべく中央部に移動した方がいい。脱出方法についてはそれから考えましょう」
「ガルディオス伯爵のおっしゃる通りです。
 避難場所は中央庭園となっております、御急ぎくださ 、 っ、」
「ジェイド、俺はアッシュを起こし――…、 ! !!?」

「! ガイッ!! 後ろです!!」

「!?」
 何かと思う前に長年の戦闘のカンが薙ぎ払う刃の切っ先を咄嗟にかわしていた。勢いで真横へ転がり込み、しかし条件反射のように起き上がる身体が躊躇無く腰元の剣を抜き去る。
「――…っ、 フリングス少将ッ!?」
 そして続け様の剣撃を受け止め、衝撃のままに 『彼』 の名を、伯爵の位にある護衛剣士は叫んでいた。
「アスラン! 止めないか!! どうしたんだお前!!?」
 何十年もの腐れ縁を続ける手強い幼馴染や、偶然転がり込んできた遠縁にあたる青年以外には、実に稀少な『信頼の於ける部下』であるアスランの突然過ぎる凶行に、ピオニーは咎める色合いの恫喝を加えた。しかし、忠義の心の堅く信義の心厚い、それこそ道徳心の塊のような青年は、普段の彼の誠実さからは余りにも掛け離れた、感情の一切を殺ぎ落とした能面のような面に死人の眼(まなこ)を嵌め込ませた姿で、ゆるりと頭を垂れて優雅に一礼を述べた。
「…親愛なる陛下、天誅にてございます。
 首級(みしるし)頂きに参上致しました。
 ――…御覚悟なさいませ。
 圧政・悪政の程、幾度も諫言して参りましたが、主へ我が声は届かず。
 愛すべき祖国、護るべき親民は、疲弊し安穏を渇望してございます」

「…アス……、」

 そう、
 "彼"の、
 豹変した将軍職を冠する若き将軍の、その、圧倒的な覚悟を内在させた、決意の眼差し。
 それを、ピオニーは知っていた。
 遥か昔、幼き時分に、ただの一度だけ、ただの一度きり。

 "反逆の騎士(リヴェル・リッター)"

 先代皇帝、マルクト八世は俗に言う"暴君"の類に属する横暴なる支配者であった。

「……、なんたってイキナリ…っ」
「御安心下さいませ、我が君。
 先代は放縦な方でございました、皇帝位を継承頂く方は事欠きません。
 後顧の憂い無く寂滅へとお逝き下さいませ」
「フリングス少将ッ!! しっかりしてくれ、どうしたんだ!!」
 詰め寄る凶刃に対し、ピオニーの護身役を兼ねる側近は、陛下と右腕である死霊使い(ネクロマンサー)を庇う形で剣を構える、が――…困惑が先立ち戦意も剣先も定まらない。
「ガルディオス伯爵、御退き下さい。
 悪道に堕した皇を庇うとは、血迷われたか」
「……っ、 ジェイドッ! どうにかならないのか!?
 このままアスランと斬り合いなんて俺は御免だ!!」
 どうやら説得を試みても無駄な状況だと、ガイは背中に護るマルクト帝国が誇る天才科学者兼最強譜術士な大佐へ助け舟を求めた。
「原因が分からない事には何ともなりませんね。
 とは言えアスランとの戦闘は避けるべきですから、逃げの一手しかないでしょう」
「って、何処へ逃げるってんだ旦那。外は駄目だし、かと言って宮殿内じゃ――…」
 従順温和な真人間的仮面を脱ぎ捨て、獰猛たる反逆の牙を顕した『反逆の騎士』(リヴェル・リッター)の動きを油断無く牽制しながら、ガイは心底お手上げだと言うように台詞を詰まらせた。
「……俺の超振動を使う」
 と、そこへ不意に高々と響く迫力に満ちた美声に、正体を失う将軍以外の全員が体裁を崩して見せた。――若干、一名に関してはわざとらしいそれではあるが――驚きに目を見張るマルクト帝国が壮々たる陣営の中、キムラスカ王家の血筋を継ぐ若き赤獅子がローレライの剣を片手に、王者の風格を全身に纏い威風堂々と仁王と立ち出でていた。
「っ、アッシュ!? 目が覚めたのか、お前っ 」
 予想外の事態を前に蒼く澄んだ瞳を丸くさせるガイ。人の好い護衛役とは対照的に、良くも悪くも論理的に物事を計る皇帝が懐刀の異端の軍属ジェイド・カーティスは、ユリアの預言(スコア)や師匠であるヴァン・グランツ譜将、遂には預言(スコア)に支配されるオールドラントそのものにまで、全身全霊で反抗する反骨精神の塊のような神託の盾(オラクル)騎士団が猛将軍の満を持した登場に、口角を上げまずは揶揄る態度で応じた。
「おやおや、絶妙なタイミングで御目覚めですね、アッシュ?」
「五月蝿い。黙れ、陰険メガネ野郎」
「ふふ、そう可愛い反応をされるとますます構いたくなってしまいますね。
 若しかして、構われたくてワザと…ですか?」
「………殺すぞ」
 全身の気を怒りに染め上げる完全なる超振動の遣い手、預言(スコア)の英雄・聖なる光の焔。裂帛の気迫を纏い眼光鋭く睨めつける、その視線だけで気弱な者ならば委縮し身も世も無く震えそうだが、死霊使い(ネクロマンサー)の名を冠する天才譜術士は実に涼しげな表情(かお)だ。
「止めとけ止めとけ、ジェイド。
 ソイツはガイラルディアといい仲なんだろ。天下の死霊使い(ネクロマンサー)がデバガメなんぞカッコワルイぞ」
 もう一人の赤毛の子とはまた異なる顕著な反応が相当に面白いのか、ついつい鮮血のアッシュこと、オリジナル・ルークを構うジェイドに、長年の腐れ縁で酸いも甘いも互いに知り尽くす仲のマルクト皇帝が、幼馴染の野暮を横から囃す口調で諫めた。
「――っ、な、っ、 」
「な、なんで陛下が知っ……、いや、そうじゃない! そこじゃなくて!!
 第一俺とアッシュはまだそういう仲じゃありません!! 茶化さないで下さい!!」
 同時に激しく動揺する若者二人、その初々しい反応にニヤニヤとヤニさがった笑みを浮かべるのは、名君と名高いはずのピオニー・ウパラ・マルクト九世、その人で。
「なんだ、未だに清い関係なのか?
 折角アスランを貸して一発ヤる機会を作ってやったってのに…。
 情けないぞ、ガイラルディア。不能じゃあるまいし、ガツンとやるべきだろう。そこは」
「俺はそんなつもりでフリングス少将の御力をお借りしたワケじゃありませんて!
 ホントに勘弁して下さい、なんでこんな話になってるんですか!!」
「アスランにはついでに、コイツとルークの進展具合も監視させてみたんだが…。
 予想外に進んでなくてなー。いや、確かに相手の年齢を考えると手を出しにくい部分はあるんだろうが、コイツがそういう一般常識なんてもん拘るはずないしな。
 俺の予想以上に進んで無い様なら、ちょっと起爆剤になってこいって命令しておいたんだが」
「…陛下、少将に何命令してんですか」
 そりゃ、刃も向けられるはずですよ、と唖然とする護衛剣士の青年の眼前を銀色の燐光が風を斬るように抉り、長年の戦闘習性から咄嗟に後ろへ飛び退いたガイは、真剣な面持ちで『反逆の騎士』(リヴェル・リッター)へと鋭く対峙した。
「…っ、ふざけてる場合じゃないみたいですよ、陛下。
 アッシュ、悪いが頼む!」
「…少し、離れていろ。巻き込まれても知らんぞ」
 一匹でも手を焼くオッサン共が二匹も揃い踏みの抜き差しならぬ状況に、機嫌を奈落まで急降下させていた聖なる焔の光(オリジナル・ルーク)こと鮮血のアッシュはしかし、ままならぬ状況に異議を唱えるよりも眼前の危機回避が先決であると切り替え、ローレライの剣その切っ先を手近な壁へ向かい思い切り突き立てた。
「……おやおや」
 しかし、本来であれば壁肌へと喰い込むはずの刃はそのまま、存在していたはずの『壁』が凡そ半径ニ、三メートル程の大きさで霧散し、ぽっかりと外庭に向けての穴が開いていたのだ。
「ほぉ、これが超振動とやらか。
 ――実際目にするのは初めてだが、想像以上だな。存在の否定、世界への帰化、か」
「感心している場合か。――行くぞ」
 運命から授かった常軌を逸した能力で道なき場所へ途を拓く黒衣の騎士は、円状に刳り抜かれた壁へ片足を掛け、肩越しに背後を窺った。
「そうだな。…三十六計逃げるが勝ちってな」
 宮殿へ取り残されてしまう、家臣や兵士、女中等が気に掛るのか、後ろ髪を引かれるようにしながら、ピオニーは脱出口へと足を向ける。
「…逃げられると御思いですか?」
 と、そこに背筋を凍らせる殺意の塊が投げ掛けられた。口調こそ穏やかに、疑問の形を成してはいるが、決して逃すつもりは無いとの、完全完璧たる死の宣告を突き付ける反逆の騎士(リヴェル・リッター)は、戦闘に際し独自に改変された軍用剣を用心深く構え直してみせた。
「どういやら、見逃してはくれんらしいぞ。ジェイド」
「当然でしょう。今の彼は陛下の暗殺だけを目的とする殺人兵器(キリングマシン)も同然です。
 どうやら、年貢の治め時のようですね。陛下?」
「おいおい、勘弁してくれ。俺がいなくなったら、全世界の女性が枕を濡らす事になるぞ。
 俺にそんな罪作りな真似をしろというのか、お前も大概冷たい男だな?」
 自ら大の女性好きを豪語して憚らないマルクト帝国が第九代皇帝ピオニーは、現在進行形に臣下に命を狙われようとも、普段通りの余裕で右腕との会話を愉しんでいた。
「貴方のその目出たい頭は、一度徹底的に解剖してみたいものですね?」
 不徳を美徳とする悪魔の化身・死霊使いとて流石に呆れ気味に肩を竦める現状に、遂に、神託の盾(オラクル)騎士団が特攻隊長を務める、自尊心の塊のような若獅子が、キレた。
「っっってッメェら、いい加減にしろ!!
 逃げるのか! 逃げねーのか!!
 ついてくるなら、サッサとしろ!! 何時までもクダクダやってんじゃねぇよ!!」
「…おやおや」
「あ、アッシュ…、その落ち着いてくれ。な?
 陛下や旦那も悪気があるわけじゃ…、多少人格に問題があるだけで――…、」
「あはは、サラッと失礼ですね。ガーイ」
 派手に癇癪玉を爆発させた気の短い年下を、苦労性の護衛剣士は慌てて宥めようとするが、寧ろその面倒事を自ら背負込もうとする態度が、アッシュの激昂を更に煽ったようだった。
「五月蝿い! お前は黙ってろ、ガイ!!
 お前がそうやって誰彼甘やかすから、こういうタチの悪い連中に利用されンだ。
 "反逆の騎士"(リヴェル・リッター)なんぞ知るか。
 テメェの国の不始末はテメェでつけやがれ。
 そいつを巻き込ンでんじゃねーよ!!」

「「「………」」」

 どうやら。
 ランバルディア王家の証である赤き髪の持ち主、始祖ユリア・ジュエが預言する聖なる焔の光(ルーク)を冠する青年の憤怒の理由は、マルクト帝国が誇る天才と彼の主である二人の下らない掛け合いの間も、死の矢面に立たされていた人の好い幼馴染の身を案じて、のようで。

 かーっ、と分かり易く赤面する、初々しい反応の護衛剣士と、
 面白い玩具を目の前にした少年(コドモ)のように生き生きと両目を輝かせる皇帝と、
 無自覚な惚気(ノロケ)なんて聞いてられないと、これ見よがしに溜息を吐く死霊使い。

「…なんだ貴様等、揃って妙な顔をして……」
 キムラスカ・ランバルディア王家の血筋の所為か籠の鳥故の必定なのか、明晰な頭脳とは掛け離れ過ぎる天然記念物並みの鈍さで以て、アッシュは不審そうに渋面を作った。
「いえ、…ねぇ?」
「これは、相当愛されてるなー。な、ガイラルディア?」
「……陛下、旦那。頼むからからかわないで下さい。
 ちょっと俺も今はいっぱいイッパイと言うか…、…その、 うわっ!!?」
 歓喜と羞恥と同時に押し寄せ、もうどう反応すればいいのやら。混乱のあまりに、うがーっ、と頭を掻き毟る青春真っ只中の年若い側近に、下賤な好奇心がお盛んな主君はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた――、と同時に周囲の空気が急激に冷え込む。比喩、では無く現実的に。
「ッ! 陛下ッ!!」
 気難しい幼馴染から思わぬ告白に悶えていた護衛剣士には目もくれず、温き感情の一切喝采を削ぎ落とした無常の刃が、『反逆の騎士』(リヴェル・リッター)としての使命を携え低空を唸り奔る。
「――おいおい、ゾッとしないな!」
 最悪の事態を予想し、顔面蒼白となるガイとは対照的に、ピオニーは極めて冷静であった。
 バッ、と執務机上の書類を片手で薙ぎ払い騎士の視界を遮ると、多民族国家のマルクトでも珍しい壮健たる褐色の膚に、絢爛優美の象徴でもある見事な黄金の髪を肩口で揺らす賢帝は、拳闘士を連想させる機敏さで臣下の一撃を危なげなくかわしてみせる。
「…やはり、易々と討たせては頂けないようですね」
「当然だな、臣民を護り導くのが皇帝(オレ)の務めだ。
 アスラン、お前の為にも」

 殺されてやるわけにはいかないな?

「……っ、 、 」

 呼吸(いき)をひとつ、瞬きふたつ、皇帝の絶大なカリスマに圧倒されてか、若き将校は無意識の内に半歩下(くだ)った。

「――…輩下化身、安寧たる咎を与えよ鋼鉄の科 『蒼の箱庭』(パンディア・ブルー)」

「ッ、くっ――! 、」
 僅かに生じた躊躇い、心の軋み、完璧な暗殺者であるはずの『反逆の騎士』(リヴェル・リッター)の根幹に、オールドラント史上最強最悪と恐れられる悪魔の楔が容赦無く打ち込まれた。



ピオニー陛下は天性のカリスマの持ち主
アッシュは天然の可愛さの持ち主
二人とも皇としての素養は具わっていますが
方向性の違いが性格に如実に表れてます