金色の羽根、太陽の翼 6
悠久の闇の胎(はら)へ誘われる錯覚、前後左右の方向及び平衡感覚を失い、闇雲な黒一色の中を流されるままに漂う、やがて、ふわりと押し上げられる感覚に安堵し天から注ぐ光を仰いだ。
「――ッ、 」
「お、目ぇ覚めたか。どう、意識はハッキリしてる?」
「………」
聞き覚えのある甘い響きの声、尻上がりの巫山戯た口調、白く霞む視界の中で揺れる真紅の色彩。
「……ぅ」
眩しさに瞼を下ろして深呼吸をひとつ、指先で輪郭をなぞるように慎重に記憶を辿る。
疑問を過らせる前に甦る、大きな衝撃と、黒で塗潰された空間の事。
「! っ、そうだ! なんか変な譜術式に捕まって!!」
ガバッ、と勢いつけて上半身を起こすファブレ公爵家の嫡子、ルーク・フォン・ファブレ。突然の行動に面食らい息を呑む気配を感じ取って、右側へと顔ごと視線を遣った。
「よっ、ゲンキそーだねー。結構、けっこう」
「…ゼロ、ス?」
「そーだぜー。皆のアイドル、イケメン神子様のゼロス・ワイルダー様よん」
「………」
ああ、ゼロスだなぁ、と妙な安堵感と共に納得を覚え、痺れを残す頭を軽く左右に振りながら、ルークはくるりと周囲を見渡した。
「…ここは?」
辺り一面が深い霧に覆われているようだった。温く乳白色に濁る視界は薄く膜が張られたように、手応えを感じない。少し離れた場所から、赤い服の少年が大声で何事かを叫びながら近付いてくるのが見て取れ、異世界からの来訪者である二刀流の剣士の無事を確認して胸を撫で下ろした。
「あーもー、何なんだよここ!! いっくら進んでも埒があかねーし。
…って、ルーク!! 良かったー、なかなか目ぇ覚まさないから心配したんだぞ!!」
「…、ゴメン、心配掛けて。それで、ここは…?」
「俺達にもサッパリ。な、ゼロス」
「そーそー、ぶっちゃけお手上げ? コッチで言う【第七音素】(セブンスフォニム)の爆発的な収束と、空間が【歪む】感覚があったから、隔離された特殊な場所へ閉じ込められてるんじゃないかと思うんだけどねー」
「特殊な場所?」
片肘で体重を支える無理な姿勢から全身を起こし、手足の感覚を確かめながら立ち上がるルークに、ゼロスは鮮やかなウィンクで事も無げに八方塞りの現状に対して説明を口にした。
「そ。ハニーに試して貰ったんだけど、どーやらここ空間ってループしてるみたいでさ。
まーっすぐ進んでも、何時の間にか中心に戻ってくるみたいで、いやー参ったわ」
「…何だそれ…、どうにもならないのか…?」
異常事態に慣れているのか、環境適応力が高いのか、危機察知能力に長けているのか、どちらにしろ常人ならば馬鹿な事をと笑い飛ばす理不尽な状況を即座に理解し、解決策を見出そうとする冷静な姿勢に、ゼロスは多少面食らったようだった。
「……? ゼロス?」
「あー、や、悪い。ちょっと意外だなって、もっと取り乱すかと思ってた。
意外に肝が据わってんね、ルーク?」
「俺の事、どれだけ箱入り我儘お坊ちゃんだと思ってたんだよ…」
「あはは、だから悪いって。そー、不機嫌になりなさんな。ほらだってさ、キムラスカの次期王位継承者とか言ってたし、やっぱ世間知らずの我儘オボッチャマを連想するもんじゃない?」
むぅ、と不服そうに眉を寄せ口唇を尖らせて反論するルークに、テセアラの神子を名乗る優雅な容姿の青年はケラケラと明るく笑い飛ばしてフォローを入れる。そこへ、更に世界樹の英雄として別の世界で崇拝される童顔の少年剣士が横から口を挟んだ。
「でも、ゼロスにだけは言われたくないよな、それ」
「…ちょーっと、ロイド君? それ、どーぉいう意味かな〜?」
「だって、確かゼロスも公爵様だし、そりゃーもう言いたい放題だっただろ。
靴が汚れるーとか、服が汚れるーとか、汗かいたシャワー浴びたいーとか、もう歩きたくなーい、とか散々我儘言ってたし。んで、いい加減にしろってジーニアスが怒り出して喧嘩になって――…」
「はいはいはいはい、ロイドくーん。そこまでー」
無駄口を叩く英雄様の口を手のひらで無理やりに塞ぐのは、気まずそうに口元を引き攣らせ張り付けたような笑みを浮かべる高貴なるクルシスの血統、天使の末裔である美しい風貌の青年だ。
「あのさー、もーちょっと空気読もうか、ね? うん、ほら。
そもそも、俺様のは本気で言ってたわけじゃなくて、なんつぅーか、そういうキャラを通してただけだから。こう、テセアラの神子様としての、あるわけじゃない? スタイルっていうか、ほら、ね?」
「……もご、もふ、もっ、……ぷっは!
急に何すんだよっ、息が出来ないだろ、殺す気かよ!!」
非力な優男風の軟派な外見に反して、重量のある鉄製の剣でも難なく片手で振り回せる、そこらの一般兵よりも余程鍛えてある神子に力技で呼吸を塞がれては堪らない。息苦しさに心持ち頬を紅潮させ、がうがう、本気で噛み付いてくる二刀流剣士の抗議を、悪い悪い、とへらり気の抜ける笑顔で宥めるゼロスに、惚れた弱みか、ぐぅと不満そうに唸りつつも怒りを収める盲目的な英雄様だ。
「…それで、どーするんだ。何か方法ないのか?」
どかりと胡坐をかいて不貞腐れたように座り込むツンツン頭の剣士に、ゼロスはひょいと肩を竦めてお手上げだとアピールするばかり。テセアラやシルヴァラント、また統合世界ならば兎も角、此処は全くの異世界だ、勝手が掴めぬのも当然だろう。
「俺様に聞くよりも、コッチの人間にきーたほうがいいっしょ」
「…は、俺っ?
無理むり無理! 無理だって! どういう状況かも分かんないのに!」>
悩ましげな視線はそのまま、ひよこ毛も可愛らしいキムラスカ王家の子へ当然のように流される。異世界の神子からの無茶振りを受けて、ぎょっと目を丸くするルークは、大慌てで首と両手を左右に振り自分の能力(ちから)ではどうにもならない事を大袈裟な程にアピールした。
「そこを何とか!」
「何とか出来るならとっくにやってるって!
こーゆーのはジェイドの専売特許だし、俺には無理だってば!!」
「ちぇー、やっぱ駄目かー」
放埓さが目立つ異世界からの来訪者はやれやれと剥き出しの肩を竦め、悪戯な表情でクスクスと微笑む。決して、本気でどうにかしろと言っていたわけでは無いのだろう、落胆の素振りすら無く実に飄々と呑気な態度で、綺麗に筋肉のついた両腕を頭上に組み大きく伸びをする。
「こっちも、こーゆー不思議系はガキとリフィルおねーさまに任せてたもんなー。
どーよ、ロイド。なんとか出来そう?」
「…剣技(スキル)は試してみたけど…、駄目だわ。ゼロス、お前の魔法試してみろよ」
「えー、コッチじゃマナの構築式や法則が違う可能性があるから、あんまし使いたくないんだけど」
「いいからやる。この変なとこから出られなきゃ困るだろ」
「…へいへい。ったく、人遣いの荒い英雄様ですことー」
ぶちぶちと文句を垂れながらも両腕を眼前の濃霧の空間に差し出し、精神を研ぎ澄ませ――、
「……っわ!?」
「「ゼロスッ!!?」」
バヂッ、と上品な装飾の長いドレスグローブ越し華奢な指先に忽然と火花が散る、血相を変えて駆け寄るのは直ぐ傍で成り行きを見守っていたルークで、同じく心配そうに表情を曇らせるものの、世界樹の英雄として奉られるだけの代償を払い続ける双刀の剣士は、周囲への警戒を強め緊張に神経を尖らせた。
『全く、少し目を離した隙に…無知とは怖ろしいな異邦人(ストレンジャー)』
「!? ああーーーーー!!」
「ロイド?」
「わわ? 急に、どーしたんだよ、ハニー」
辺り一面を覆い尽くし姿の輪郭を滲ませ境界を曖昧とさせる膜の世界の中、周囲の滲んだ景色に馴染む事無く己の存在を明確に主張する赤い髪。同じ『赤』であっても、創られし存在であり罪に啼く彼の魂よりも咎深く、異なる次元・空間に存在する世界にて、滅びの神子の役割を科せられし天使の血統よりも傲慢な、圧倒的な色彩に世界樹の英雄は目を剥いた。
「…っまえ!! お前の仕業なのかよ、これ!!」
『不躾だな、異界の猿が。最低限の礼儀も知らんと見える』
「ふざけんな! どういうつもりだよ、ここから出せよ!!」
『断る』
「こっちも断る!!」
『……?』
「お前が断るのを断るって言ったんだ! 早く俺達を解放しろ!!」
『…世界樹の英雄と謳われる割には、随分と粗末な頭だな』
「なっ…んだと、このっ!!」
「ちょっ、ストップストップ。ロイド君、暴走しないで状況説明してくんない?」
がうっ、と吼えるロイドの両肩を背中からどーどー、と抑えて宥めすかすのは、軽薄な口調と態度で無能な為政者を気取るテセアラの滅びの神子。まさに、能ある鷹は爪を隠すの実例のような人物の窘めに、世界救済の旅を経て幾分他者の言葉へ耳を傾けられる落ち着きと余裕を得た二刀流の少年剣士は、不服そうに唸りながらもどうにか感情を抑えゼロスの疑問に答えた。
「コイツが、さっき言ってた例の嫌な奴だ」
「あー、俺様に化けてたの? ふぅん…」
滲み出る傲慢、不遜、居丈高な物言い。大した能力も備わらぬ分際で、生まれついた幸運のみを頼りに、他者を謗り罵倒する。見下す高慢な視線には嫌という程見覚えがあった。幼い子どもの姿を借りてはいるが、内部(なか)は高純度の悪意の塊だ。大人びて利発な顔立ちの少年の華奢な身体に、御仕着せの儀礼服が妙に浮いて見えた。
「そんで、俺達をこーんな殺風景なところに閉じ込めてどーしたいわけ?」
薄い口許にはシニカルな笑み、乳白色を映すばかりの空の双眸を半端に瞼で覆い、冗談めかした態度で首を傾げおどけてみせる。
『…フン、説明する義理は無いな』
「てっ…、め!」
「はいはい、落ち着いてねー。ロイド君。
じゃ、質問の内容を変えよう。"これ"が、どーゆー事か教えてくれると嬉しいんだけど」
「……? ゼロス?」
これ見よがしに頭上高く持ち上げた右手――の、指先が茶色く焼け焦げ上質な布地を穢していた。辛うじて破けてはいないものの、それも時間の問題だ。修繕か買い替えが必要なドレスグローブの損傷に、世界樹の英雄として統合世界の人々に、過度な理想と期待を押し付けられる双剣遣いの少年剣士は目を見張った。
「大丈夫なのか、それ」
「ん、ヘーキヘーキ。俺様の装備はどれもマナの祝福付きな特別仕様だからね。
見た目はペラいけど、けっこー優秀だからさ。ちょっと火傷した位かな」
『――"火傷"で済んだのは幸運だったな、異界の神子』
伸ばした指先が白く薄霞むような乳白色の視界の中、鮮やかな紅の髪が、低く喉を鳴らす嘲りに合わせ実に皮肉気に左右に揺れた。
「うわー、その言い草。やっぱ、この変な空間で魔法遣っちゃマズいわけか」
『そこの単細胞とは違い、流石に理解が早いな。
自滅されては面倒だから、忠告しておいてやる。
お前らの魔力(マナ)と此方の六大音素(フォニム)は相性が悪い。
音素結界の中で魔法(マナ)を無理に使えば、最悪、四肢が吹き飛ぶぞ』
「は!? 吹き飛ぶ!?」
仰天したロイドが思わず声を張り上げると、五月蝿そうに眉間に皺を寄せ渋面を作りながら、そうだ、と実に事も無げに幼き傲慢は非情の事実を肯定する。
『俺が咄嗟にそいつの魔力(マナ)を相殺してなければ、今頃腕の一本は吹き飛んでいたかもな?』
「……ハッタリとか?」
寸分の隙も無く洗練された儀礼服を身にし、腰元には儀式用の不必要な装飾が施された剣を帯びる赤毛の少年――年の頃は十を数えぬ位か――は、道化を演じる滅びの神子へ、酷薄な笑みをひとつ、氷の面に張り付けて寄越した。
『そう思うなら試してみろ。運が良ければ腕一本で済む』
「容赦無いオコトバですことー」
『殺しはしない、大人しくしていろ』
「おやまーそれはそれは、慈悲深いこと。…だってさ、どーするー? ロイド君。ルー……」
世界樹の英雄として、統合世界の無知なる人々の無暗な尊敬と信望を一身に集める双剣遣いの少年剣士は、ぐるる、と最近では珍しく感情を剥き出しにし唸り続ける。何がそこまで気に入らないのか、どーどー、と猛る背中を宥めながらゼロスは失笑した。
世界救済を果たしてからこの方、英雄としての貫録と言うべきか冷静な判断力や豪胆な落ち着きを纏い、物事の前後を考えない良くも悪くも猪突猛進な行動が減っていただけに、如何にも幼い態度が懐かしく感じられる。異世界という特殊な状況にある為か、『英雄』と言う肩書から解放され、年相応で等身大の感情を遠慮なく爆発させるロイドの姿に安堵すら覚える。しかしながら、『敵』であろう赤毛の子の得体が知れぬ以上はそれを由とするわけにもゆかず、オールドラントの住人である同じく赤い髪をした左利きの剣士に話を振ってみる――が、
「ルークー? どーしたのー? おーい?」
「……おれ…?」
強張る自問自答の返事、背中越しに伝わる緊張にゼロスは怪訝そうに声を潜め気配を窺った。
「ルーク?」
「…いや、違う……っ、あれは……、なんで……っ?」
中空へ胸を張り両腕を組み仁王立ちとなる異形に向かい、無垢なる人形は翡翠の眼を零れんばかりに大きく見開き、瞬きすら忘れひたすらに正体を凝視していた。
『――フン、やはり貴様には分かるか。
姿と記憶…、感情の一部を継承している以上は、当然の結果だな』
「……アッシュ……!?」
オールドラントの偉大なる始祖ユリア・ジュエが預言(スコア)が伝える英雄の子、古き伝統と格式を戴くランバルディア王国へ生を受けし正統なる王家の男児。かつて、"聖なる焔の光"(ルーク)とと呼ばれ未来永劫の繁栄を約束する代償として、世界に捧げられし贄の運命(さだめ)を科せられし悲運の若者の在りし日の姿が、模倣人形(レプリカ・ドール)の揺れる双眸に映り込んでいた。
世界屈指の軍事大国マルクト帝国が誇る水上都市グランコクマは、城内の危機より脱出した皇帝一行の予測以上に混沌とし激しい惨状を晒していた。
皇帝が居城より突如噴き出した黒靄に触れた人は次々と倒れ伏し、片端から正気と正体を失い、理の敵わぬ突き上げる攻撃性に駆られ、人と言わず物と言わず無暗に物騒な破壊行動を発現する。突然の異常事態に帝都は一時騒然とし混乱に陥ったものの、そこは流石と言うべきか優秀な帝国兵士達を有するマルクト帝国、無事な人々を城より遠ざける避難誘導を開始していた。
唯一の救いは、黒靄に巻き込まれ狂気と暴力性に駆られるのみの鬼人は、常軌を逸した怪力を振り回すものの、その動きは緩慢そのもので逃げ惑う人々の足に敵わず、また全ての原因であろう『靄』自体も進行速度は遅く、未だ多くが帝都の城周辺に蟠っている状態であった。
「急いで船を回せ!! 備蓄は可能な範囲でいい!!
女性や高齢の者、幼い子どもや負傷者を優先的に避難させるんだ!!
健常者や若者は陸路で避難させろ! 帝国所有外の馬車や馬も全部借り出せ!!
非常事態だ、文句があるヤツは俺の前に来るように伝えろ!!」
悲鳴や怒号が飛び交う中、明確な意思を持ち堂々とした貫録の『声』が、拡声器やそれに類する音機関も無く兵士へ万遍無く行き渡る。帝都見回りの一般兵や帝都港の哨戒兵といった、比較的階級の低い者ばかりで混乱していた避難現場の指揮系統も、唯一絶対――、偉大なるカリスマ・ピオニー・ウパラ・マルクト九世の存在により、平静さを取り戻し其々割り振られた己の役割へ全力を尽くす。
「いやはや、腐っても鯛とは良く言ったものですよね」
「おい! 聞こえてるぞ! ジェイド!!」
「おやおや、それは申し訳ありません。つい、口が滑りました」
「明らかにワザとだろ。それより、何か対策は思いついたか!?」
帝都の中心であり観光の目玉でもある噴水広場で兵士へ指示を飛ばしていた若き皇帝は、『靄』の見張りを任せていた兵士の報告を受け取り、再び持ち場へ付くように命じた後、ハァと盛大な溜息を吐きながら、赤と白の煉瓦でモダンに舗装整備された路上を大股に近づいた。
「残念ながら、今のところ打つ手無し、です。
アッシュの超振動ならば『靄』を消す事は可能なようですが…」
言いながら戦場の死神(グリムリーパー)とも畏れられるマルクト帝国が歩く天災な天才様は、横目で斜め前にある仏頂面、元・神託の騎士の特攻隊長である果敢なる騎士を窺った。
「そこの眼鏡にも言ったが、俺の超振動はそう便利なものじゃない。
攻撃譜術のようにマーキングで効果範囲や対象を選別する事は不可能だ。
範囲内にある建造物は無論のこと、下手をすれば貴様等の部下を巻き込む結果になるぞ」>
それで構わなければ超振動の特性で現在湧き出ている黒靄を一掃してみせるが、と物騒な事をサラリと口にする鮮血のアッシュの億劫そうな態度に、眼鏡――殊、世界二大国家マルクト帝国が誇る天才譜術士はヒョイと肩を竦め、判でついたようなお決まりの胡散臭い笑顔を浮かべた。
「――と、言うことらしいですよ。いやはや、超振動とやらも案外に役に立たないものですねぇ」
「………」
「あっ、アッシュ! ここは堪えてくれ、なっ?
今は揉めてる場合じゃないだろ? そもそも、あの旦那に何を言っても無駄だし、なっ?」
「………」
大人気無い三十五歳のこれ見よがしな揶揄に対し、無言で腰元の刀へ手を掛ける三人目の幼馴染へ、強烈な個性で反発し合う――と言うよりも、燃える炎の色を移した赤毛の若き騎士が口八丁手上手な帝国の軍属に弄ばれているだけだが――二人の一足触発の空気を危ぶんで、アッシュの直ぐ傍へ立っていた向日葵の花色にも似た金髪の青年は、鉄人級の空気詠み人能力を発揮し、慌てて取り無しの言葉を掛ける。
当然、納得はしていないのだろうが、チッと口内で舌打つものの大人しく怒りの矛先を収めるアッシュだ。聖なる焔の光のオリジナルたる人物は、どうやらホドの生き残りである青年へ弱いようで、基本的に彼を困らせるような行動は控える傾向にあり、またその言葉へ素直に耳を貸す事が多い。
――無論、他と比較して『多い』だけで、時にはその忠告や要求を無視してでも、己の意思を貫く事もあるのだが。
「そうですよー、良い事を言いますねー。ガーイ。流石は保護者です」
「……っ!!」
「あーっ、もう! 混ぜっ返えすなよ、ジェイド!! ほら、アッシュもイチイチ相手にしない、なっ?」
「お前は黙っていろ。…あの眼鏡っ、吹き飛ばしてやる!!」
「おやおや、怖い怖い。駄目ですよー、ガイ? 子どもの躾は保護者の責任ですよー?」
「あぁもぅ…、頼むからいい加減にしてくれよ。二人とも」
悪意――と言うよりも、完全に子どもの素直な反発心を面白がるそれで、ニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべながら、逆鱗に触れるような内容をワザと仄めかす実に厄介な大人へ、由緒正しき大貴族の血統でありながら、十年も続いた下男暮らし故かそれとも生来の性質なのか、黙っていれば良いものを、世話焼きの性分からついつい二人の間に割り入ってしまい、険悪な空気へ晒される結果となる不遇の青年だ。
「おい、ジェイド。若いので遊んで無いで、そろそろ真面目に解決策を考じてくれ。
取り敢えず、都民の避難は問題なく終わりそうなんだが――…、」
避難して、それで終了、はい解決、では無い。
寧ろ、ここからが本番だ。
突如帝都へ噴出した原因不明の『黒靄』の調査や具体的な解決策の提示。また、現時点で靄へ取り込まれ正気を失い破壊行動へ走る兵士及び一部の民への救済・対策措置。そして家財を捨て避難生活を強いられる人々への最低限の物資援助等。思い付くだけでも簡単には解決しそうにない問題ばかりで、どうしたものかと、最早空笑いと溜息しか出てこない――が、そこはしかし、マルクト帝国が歴代皇帝の中でも、行動力と決断力そして判断力に傑出していると噂に名高い九代目。既に帝国の主要都市へ伝令を送り、次の一手を盤上へ打ちだす為に、既に駒待ちの状態にまでなってはいた。
「見張りの報告によれば、靄へ巻き込まれた錯乱者――、
…まどろっこしいな。連中の事を便宜的に『Gespenst』(ゲシュペント)と呼ぶぞ」
「おや、『お化け』とはこれまた随分可愛らしい愛称ですね」
「『死霊使い』(ネクロマンサー)殿には馴染み深い名称だろう?
それで、だ。ゲシュペントの連中はどうやら『黒靄』の外に出てこないらしい。
『出ない』のか『出れない』のかは、判断材料が少なすぎて何とも言えんところだがな」
「――成程、『黒靄』の進行をどうにかするのが最優先と言うわけですね、陛下」
「ああ、そうだ。兎に角、あの得体の知れん『靄』をどうにかしたい。
お陰でアスランに思いっきり刃を向けられたからな。
アレはホンットになー、本意じゃないと分かっていても凹むわー」
「…陛下…」
重い溜息を吐きながら、全力で両肩を落とす若き皇帝へ、その支配下へ置かれる忠臣――と言うよりも雑用掛りだろうか――は、真に正しき為政者で在らんと務める『マルクト九世』へ慰謝の念を述べようと――、
「案外、アレが真意かもしれませんよー?」
「貴様のような腑抜けに過ぎた忠義だな、いっそ斬られてしまえ」
「…ちょっ、お前ら…!! イキナリ息ぴったりだな!?」
「……はぁ」
絶妙のタイミングで辛辣な横槍が入る。しかも、先程まで険悪な雰囲気でいた二人が容赦無しの言葉の暴力へ晒される、褐色の膚が艶めかしくも凛々しい皇帝の指摘通り足並みが揃い過ぎていて、もう苦笑も出てこない。妙なところで気が合うというか馬が合うと言うか。腹を割って話せば意外と気が合うのでは無いかと、割と本気で思ってしまう皇帝陛下が傍付きの護衛剣士だ。
「さて――、陛下。御遊びは程々にして、報告を受けて戴けますか?」
「……いや、俺はずっと働いてた――、ああ、もういい。
なんだ、ジェイド。何か良い方法でもあるのか?」
混乱する城の中より首尾よく脱出を果たしてから、中央広場の荘厳な噴水の縁に腰を掛け、優美な足を組み直しながら、忙しく立ち働く皇帝の背中を呑気に見物していた者の言葉とは思えないが、成程、天下に名高き死霊使い(ネクロマンサー)ならば仕方無いと諦めの境地でピオニーは先を促した。
「先ずはアスランからの報告です。
件の『黒靄』の噴出は現在収まっているようですし、城の中に閉じ込められている者も無事なようですね。ただ、一度湧き出た『黒靄』は消える様子は無く周辺を漂っているとの事です。靄の発現箇所に偵察へ行って貰いましたが、そこには亀裂が残るのみで、特に解決に至るような発見は無いと言っています」
「………」
「どうかされましたか、何時もに増して締りのない顔ですねぇ。陛下」
「…仮にも主君に対してお前…、いや、それはいい。
それより、アスランからってのはどういう事だ? ジェイド」
幾らオールドラント有史来の天才とは言え、一介の軍属が帝国を支配する『皇帝陛下』へ過ぎた物言いではあるが、言う側も言われた本人も然して気にする様子も無いのは、マルクト帝国が皇帝の器が大きいのか、死霊使い(ネクロマンサー)の精神が人並み外れて強靭なのか、甚だ疑問なところではある。要約すれば、流石は幼馴染、というところか。
「言葉通りですよ、先程アスランへ撃った譜術を基点にして、彼の意識へ介入を試みてみました。元々、アスランの意思が汚染に対して激しく抵抗していた事もあるのでしょうね、今は彼の自我の解放に成功しています。ただ、私の補助が無ければ直ぐにでも取り込まれるギリギリラインを綱渡り中です。なので、邪魔をしないで下さいね。特に、陛下」>
余裕綽綽とした態度で切れ長の赤眼を眇めてみせるが、実際は絶妙なバランスで正体不明の黒靄に捕われた若き将校とコンタクトを取っているのだろう。カチリ、と目元の眼鏡の位置を指先で押し上げ、ふぅ、と極小さく呼吸(いき)を吐きだして見せる様子に、精神的な疲労具合が察せられ、マルクト帝国が若き皇帝は、細かい無礼や非礼の数々には目を瞑った。
「あー…、言いたい事は山程あるが、兎に角良くやった。
靄がこれ以上湧いてこないなら、対応を考える時間もあるか。
――ジェイド、アスランに靄の外へ脱出出来ないか聞いてみてくれ」
「………。無理みたいですね」
「何でだ?」
「外と黒靄の境目では、精神支配の程度が上がるようです。ヘタに近づけば再び取り込まれます。
どういう理屈でそうなっているのかは現時点では不明ですが――靄の進行部位、境界に精神汚染の要因(ファクター)が存在しているのかもしれませんね」
「…ふむ。そうなると、アスランの戦力は期待出来んか…。
お前も、向こうの補佐で手いっぱいだしな」
そうなると切れる手持ちの札は、金糸雀(カナリア)の色の優しい髪色に藍玉の瞳という、所謂幼子向けの寝物語にでも出てきそうな王子様然とした甘いルックスの護衛剣士と、その彼の失われた幼馴染、所謂『聖なる焔の光の本体』(オリジナル・ルーク)である、ローレライ教団の騎士が誇る特攻隊長だけだ。二人とも腕は確かだが、如何せん元・教団の騎士の方は王家の出生だけあり、無暗に自尊心が高く、素直に此方の指示に従ってくれるとは思えないのが難点だ。
――…だが、
「…先刻のように超振動で靄を消したとして、再び噴出が始まったら完全に無駄骨だしな。
あの『靄』の正体を突き止めるしかないが…。……アッシュ、何か分からないか?」
「何故俺に聞く」
「んー…、何と無く?」
「知るか」
取り付く島も無いとはこの事か、と苦笑い。空高く存在を主張する太陽の光を跳ね返す黄金の髪を揺らし、ピオニーは己の傍付きとして重用する雑用掛り――もとい護衛役の剣士へ問い掛けの矛先を変えた。
「ガイラルディア、お前は? 何か気付いた事は?」
「…、そうですね」
「ん? 何かあるのか?」
「……その、気の所為かもしれないんですが」
「良いから言ってみろ、今はどんな情報でも貴重だ」
何かを思い起こすように澄んだ藍色の瞳を記憶の中へと彷徨わせるガイへ、ピオニーは実に寛容な態度で先を促した。懐の深さが『王』の資質の一つであるとするなら、成程、マルクト帝国が現皇帝は民を支配するに相応しい器であるのだろう。多少の事になど微塵も揺らがぬ蒼眼が、非常事態だと言うのに、鷹揚と弧を描く余裕は流石の一言に尽きる。
「レギンヌ渓谷で、あの黒靄と同じようなものを見ました。
――似ていたというだけで、同一のものかどうかは分からないんですが…」
「どういうことだ?」
「その、…亡霊… とでも言えばいいのか…。
テセアラの神子と名乗っていた人物が『嘆きの残骸(アシュットレイド)』と呼んでいたんですが。黒い人影のような靄が苦しげに呻きながら、セフィラへ向かって列をなしているのを目撃しました。
――行き場を失くした、負の感情、そのものだとゼロスは言っていましたが…。
あの時見た黒い人影と似たような気配を…城を包囲する黒い靄から感じるんですよね」
「…ふむ、亡霊…『嘆きの残骸』…ねぇ…。
これはますます、お前の専門分野だな? ジェイド」
「人をオカルティズム傾倒者のように言わないで貰えますか、陛下」
『黒靄』の渦中にて必死で正気を保つ将官の補佐へ徹しながらも、ぴしゃり、口さがない幼馴染へ反論を忘れないのは、マルクト帝国が第十三師団師団長を拝命する、人に身に過ぎる程に優秀な人物だ。
「ガイ。そのテセアラの神子とやらは、まだアルビオールにいますかね?」
「…分からないな。何せ、帝都がこんな状況だし。
ギンジが一緒にいるはずだけど…、連絡の取りようも無いし、な。
直接、飛晃艇へ戻ってみないと――…、」
「確かにそうですね――…。じゃあ、ひとっ走りして呼んで来てもらえますか?」
「…言うと思いましたよ、ええ、思いましたとも」
ハァ、と肩を落として項垂れる若人に、三十五歳の性悪軍人はニッコリと澄まし笑顔だ。顔立ちが人並み以上に小綺麗で酷く整っているだけに、余計に腹が立つ。皇帝に個人的な繋がりがあり、実際に遠縁とは言え血縁ですらあるのだが、帝国所有外の船舶を大手を振ってマルクトの主要港へ入船させるわけにもゆかず、当然、停泊させておくなど以ての外だ。その為、飛晃艇アルビオール壱号機は、現在、帝都外れの旧港エイダ・ロムスへ入船させている――のだが、帝都の中心である噴水広場から旧港までは結構な距離がある。全く人遣いが荒い事で、と嘆く素振りで、エイダ・ロムスまでの時間を大まかに割り出した。
「俺の足でアルビオールまで片道三十分程度かな。けど、戻りは一時間以上程掛ると思うぞ?」
「そういえば、その神子とやらは体調不良でしたか。全く、…面倒ですね。
陛下、護送用の馬車を出せませんか?」
「…ん? ああ、そうだな。それは構わんが――…、」
「陛下?」
即決即断を信条とする帝国が誇る強烈なカリスマ皇帝の、珍しく歯切れの悪い返し方に、有史以来の天才と賛じられ同時に畏怖される神憑り的な否悪魔的な存在の軍属は、禁術・譜眼の無尽蔵な能力を抑える特殊なレンズの奥から、下から上へ訝しげな角度で穿つ視線を送った。
『ジェイドッ!!』
「……!?」
左真横から不自然な反響を伴い届く叫び、呼び声、世界に赦しを請い縋る祈りにも似た。
愛情以上欲情未満の複雑な心地を呼び起こさせる、可愛らしい贋作、聖なる焔の光の憐れな出来損ない。
「お前のペットがおかしなことになっているようだぞ、ジェイド」
何事も存在しないはずの中空をぽかりと見上げ、色好い褐色の膚に傲慢な太陽の輝きを放つ黄金の髪の、如何にも支配者然とした威風堂々たる勇壮な風格の人物――ピオニー・ウパラ・マルクト九世は、急転し緊迫する場にそぐわぬ呑気な言い草で状況を端的に言い表した。
陛下の認識について
ルーク=ジェイドのペット
ガイ=アッシュの飼い主
似て非なる関係性。