翔べない羽根、堕ちる片翼 1



 旧世界の災厄より逃れた人々の子孫が、真実の裏側で細々と生を繋ぐ外殻大地オールドラント。  非常に高度な科学文明を築き、地表を『人類』という『傲慢』で喰らい尽くした旧き世代は、遂に天の怒りに触れ来る審判の日に数多くの罪が淘汰された。
 キムラスカ・ランバルディア王家の男児へ受け継がれる赤髪の優性遺伝は、亡世が残した遺産のひとつ。原初の"ひと"が焦れ求めた先に、漸く辿り着いた罪の具現、太陽の色彩――、そして、

 楽園を追われた人の子が、口した知恵の実は、
                         ナ ニ イ ロ ダ ッ タ カ イ ?   

 背後(うしろ)を見てみろ、と。幼年時代のアッシュ――、いや、正確には"本物"の『聖なる焔の光』(オリジナル・ルーク)の姿に酷似した、上流階級の傲慢が透かし見える高価な儀礼服を、自然な所作で着熟す正体不明の少年の言葉に促され、肩越しに背中を窺ったルークは、先程まで灰色にくすむばかりだった未知の世界に、光を捉え大きく息を呑んだ。
「ジェイド…ッ、皆も…!?」
 歴史深いキムラスカ・ランバルディア王国の由緒正しき公爵家の男児と、異世界より迷い込んだ来訪者達の眼前には、マルクト帝国が様式美を誇る水の帝都グランコクマ――の観光名所のひとつ、中央噴水広場が広がっていた。彼らを閉じ込める結界が移動したのか、若しくは"映像"が投影されているだけか、どちらかは定かでは無いが。何にしろ、向こう側へ『声』は届いているようで、唐突に名を呼ばれ驚き振り返る綺麗な背中、清らかに流れる亜麻色の髪に、得も言われぬ安堵と慕情を募らせる七つ子の複製人形――レプリカ・ルークだ。
「くそっ! どうなってんだ!! ……ッ!?」
 バン、と両の掌で薄く透けて見える障壁を叩き付ける――と、沼地に突っ込んだような予想外の感触に息を呑み、ルークは鳥肌立つ両腕を反射的に引っ込めた。
『…フン、屑が。獲り込まれたくなければ、気安く触れるな』
「…… う、うわっ!? なんだよ、これっ…!!」
 慌てふためく虜囚の滑稽さを面白がるでも無く、ただ、淡々と事実のみを伝える無感動さに、しかし噛み付く余裕は無かった。外界との境界に触れた指先からぞわぞわ這い上がる黒い靄が、腹の小さな脚で蠕動を繰り返す蟲のようで、襲い掛かる嫌悪感に堪らず両腕を勢い振り回す。意外にも呆気無く振り解ける『それ』はそのまま足元へ落下し瞬きの間に霧散してゆく。
「大丈夫か、ルーク!?」
 異世界の友の惨状を心配し駆け寄ってくるのは、異なる世界にて英雄として祀り上げられる、心根優しく情に熱く脆い少年剣士だ。真直ぐな心根を表わすかのような天衝くスタイルの鳶色の髪を大きく揺らし、払い切れぬ黒蟲が纏わりつくルークの腕を強く引っ張ると、べしべしと奇妙な物体を叩き落としてゆく。
「…っ!? あっ、ありが、と…う ……」
 薄汚い思惑や姑息な打算など微塵も存在しない混じりッ気無しの善意に、他者(ひと)から与えられる無償の好意に大変不慣れな王家の箱入り子爵は、面食らい、硬直しながらも、たどたどしく礼を口にした。
 しかし――…、
「あ、の、…も、もう平気だからっ、自分で出来るしっ…!
 危ないモノかもしれないんだから、さわ――…」
 触らない方が良い、と。
 "ひと"では無い出来損ないの欠陥品の事、なんて。
 見知らぬ世界の迷い人とは言え、完全な『人間』(ひと)に庇って貰う程の価値は無いのだから。
 創られた存在であるが故の強烈な劣等感から、漫ろと生まれる心苦しさに掴まれる腕を引き直し――、ぐ、と逆にそれ以上の力で引っ張られた。
「……ろ、ロイド…?」
「危ないものなら、尚更放っておけないだろ?
 お前って、時々変な気の遣い方するよな」
 ペンッ、と最後の黒い塊を払い落し、"ひと"として"友"として当然のように、何の気負いもシガラミも無く自然体で接してくる琥珀の少年の、気恥ずかしい程の真っ直ぐな好意に言葉を失くし、黙り込んでしまう不遇のレプリカ――聖なる頬の光の代替品として創られた、生きる事、今ここに在る事へ、尽きぬ事の無い罪悪感に苛まれてばかりの、剥き出しの魂、が、心の奥底から、震えた。
「……ご、ゴメン、その、…ありがとう…」
「うん? 気にすんなよっ、俺達友達だろっ?」
 臆面無く言い放つ笑顔が余りに眩くて、薄く頬を染めつつ瞳を伏せてしまう、キムラスカ・ランバルディア王家の赤毛の男児――の初心な反応に、やれやれと肩を竦めて、眇めた視線を送るのは統合世界の神子ゼロス・ワイルダーだ。あのド天然タラシ大魔王め、節操無く口説き回りやがって、無自覚なのが余計に性質悪い、と。ドス黒い気持ちを無理矢理押し殺しながら、パン、と手を合わせ打ち鳴らした。
「はーいはいはい、この緊迫してるじょーきょーで、イチャコラしないでねー。
 で、"向こう側"がチョット変な事になってるけど、どーゆー事?」
 首を傾げ流す胡乱な視線の先――、先程まで道行く観光客や軒を連ねる出店の店員達、様々の見事な離れ技で、帝都を訪れる漫遊客だけで無く、地元の人間の目を楽しませる腕の良い大道芸人達で賑わっていた中央噴水広場は、生々しい生活痕だけを残し人っ子ひとり存在しない不気味なゴーストタウンへと変貌していた。
『グランコクマへ嘆きの残骸(アシュットレイド)を運んだからには当然――、いや上々の結果だな』
「……あ、しゅっとれい、ど?」
 聞き慣れない単語に戸惑い痞えながらも、輪郭を辿るように、一文一句繰り返すたどたどしい七つ子の赤毛へ、フン、と傲慢の化身は嘲りそのものに表情を歪めた。
『粗悪な模造品では理解が追いつかないか? 流石は屑だな、随分と役立たずな出来栄えだ』
「……ッ、」
 悪意の塊のような"これ"が結界の"向こう側"に皆と居る『アッシュ』本人と関係があるのか、否か。現状では判別は付かず正体も読み切れないが、容赦無く放たれる言葉のひとつひとつに剥き出しの敵意や害意が感じ取られ、同一の存在、若しくは近しいモノでは無いかとルークはたじろいだ。
「『嘆きの残骸』(アシュットレイド)、ね。
 人間から溢れた負の感情の塊。つまり、ロクなモンじゃない。当たってる?」
 相手から伝わる"オリジナル・ルーク"の気配に怯み、口を噤んでしまった王家の子に代わり、面倒な事になったと溜息を吐きながらゼロスが会話を引き継いだ。
『正解だ。神子ともなれば知識も相応か。小賢しいな、ゼロス・ワイルダー』
「いやー、優秀な俺様でゴメンねー。
 そんで、ヤバイのをこーんな人の生活圏のド真ん中にブチ落として、アンタ何がしたいわけ」
 ワザとらしく道化ながら厭味九割絶賛一割の微妙な賛辞をへらりと受け流してから、ふと、異世界の神子は常に節操無く緩む口許を硬く引き結び、険しい表情に厳しい雰囲気を纏った。
「『嘆きの残骸』(アシュットレイド)が人に憑り依けばどうなるか――、当然知ってるな?」
『愚問だな』
「あんな物騒なモン帝都にブチ込むなんざ、正気の沙汰じゃねーな。
 発狂した連中殺し合いでも見物したかった? 随分と高尚な御趣味だこと」
『…殺し合い? そんなもの、わざわざ俺が仕込まずとも人は勝手に始めるだろう。
 下らん見世物に手間を掛ける程ヒマでは無い、これはもっと単純な理由だ』
 仄暗い翡翠の双眸を薄く瞬かせ、長めの前髪を指先で払う。そうして堂々述べる言葉に、音素結界の内側へ閉じ込められる三者は、それぞれ不可解さと不愉快さに顔色を曇らせる。
 純然たる悪意、幼さ故に禍々しさが際立つ邪悪は、帝都丸ごと『人質』だと朗々と宣言した。



 突如現れた薄い灰褐色に濁る球体――おそらくは六種の音素を複雑に編み込んだ特殊結界――の中に、約二名程見知った顔。残る一人は恐らくは『ゼロス・ワイルダー』か。陽に煌めく金色の髪が爽やかなマスクに見合った好青年――もとい、マルクト帝国にて伯爵の爵位を戴くガイラルディア・ガラン・ガルディオスの報告にあった、テセアラと言う世界の神子を務める青年なのだろう。容姿の特徴が一致する上に、何より、"向こう側"でそう呼ばれているようなので間違い無い。
 黒き意思へ支配されまいと抗う志高き同胞の精神補助を継続中の為、自在に動けない死霊使い(ネクロマンサー)は、皇帝の傍仕えとして護衛役を預かる青年へと一言申し付けた。
「何やらアチラが盛り上がってるようですが。ガーイ、説明を」
「…は!? コッチが聞きたい位ですって!!」
 とんでもない無茶振りに対し、頬を引き攣らせ溜息で応じる人の好い金髪碧眼青年の訴えを、全く取り合わずにジェイドは澱み無く問い掛ける。
「向こうに居るのは、ルークとロイドと…もう一人は"ゼロス"ですね。貴方が言っていた」
「そうですね、どういう状況なんだかサッパリですが」
「もう一人の赤毛の子どもがいますね。
 どうにも発言が誰かさんによーく似ていますけど、関係が?」
 噴水の縁へ腰掛け、長い足を優雅に組み直しながら、チラリ一瞥してみせる眼鏡越しの視線の先には、先程から無言を通す神託の騎士団の元・特攻隊長。自らの意思で選択した未来の為、掲げるた尊き信念の下、様々の組織や思惑から離反し、孤高の茨道を進み往く矜持高き運命の焔。
「…俺が知るか。それよりもアレが元凶らしいが、どうするつもりだ」
「向こうの話ではそうみたいですねぇ。人質と言っていましたが、帝都を盾に何を要求するつもりなんだか。腹の探り合いも面倒ですし、仕方ありませんね。ガーイ、ちょっと聞いて来て貰えますか」
「………。あのな。いや、旦那は動けないし、危険だから陛下には下がっていて貰いたいし。当然っちゃー当然の選択だけど、どうにもハメられてるというか、言葉に悪意を感じるんだが……」
 山積みの書類整理を手伝うように頼まれるそれや、脱走したブウサギを探して来いと言うのと、まるで同等の気軽さで云い付けられて、軽く目眩を覚えるのは皇帝の護衛役として特別重用される名家の青年だ。
 戦争と言う名の悲劇と呪われた預言(スコア)が生んだ不幸な必然により断絶状態に陥っていたとは言え、ガルディオス伯爵家と言えばマルクト帝国が皇帝の血脈を継ぐ由緒正しき家柄だ――と言うのに、故郷の仇討を果たさんと十年もの歳月を下男として敵国に潜伏し続けた結果か、どうにも使いッ走りの感覚が身に染み付いて抜けきらない。
 それを良い事に、生得自由人な皇帝陛下やその懐刀として畏名を馳せる死霊使いに、好き勝手に顎で使われる結果に――人が好いと言うのも相手によっては善し悪しだ。
「厭ですねぇ、疑り深い男は嫌われますよー?」
「…はいはい、分かりましたよ」
 一体、誰にどう嫌われるというのか。しかし余計な口を挟めば更に旗色が悪くなるだけだと、マルクト帝国第十三師団師団長殿の性悪さを重々承知し理解する悧巧な護衛剣士は、腰元に下げた華奢な身の刀柄の存在を親指の腹で確かめ、苦々しい口ぶりとは間逆の穏やかな空色の眸子をさり気無く恋しき亡世の英雄への許へと導き、極僅かな合間に意思の交わりを――、
「……? アッシュ?」
 求めたのだが『聖なる焔の光』としてオールドラントへ生み落とされた、第七音素の意思ローレライの完全同位体、神の御手による奇跡にも等しき稀なる存在は、生気の失せた顔色をしていた。
「アッシュ、…、どうした? 大丈夫か?」
 先程使用した超振動の反動だろうか、複製品(ルーク)の疑似超振動と違う無欠なる力を人の身で操る負担は、おそらく、想像を絶するものなのだろう。止むを得ない状況だったとは言え、安易にアッシュの力を頼った己の浅薄さと力不足を悔いながら、ガイは遠慮がちに頬に手を伸ばした。
「…よせ!」
「……っ、悪い。」
 血色悪く青褪める膚へ触れる直前に、鋭く、頑なに拒絶を突き付けられ、行き場を失った指先が悲しげに空を掻いて、失意に項垂れた。
「…じゃ、ジェイドの旦那。ちょっと御使いに行ってきますんで、…頼みます」
 偉大なる始祖ユリア・ジュエが残した抗い難き大預言、その呪縛から逃れるべく全人類の複製化という、狂気じみた計画を着々と進行する巨悪――いや在る意味人類の救世主か――の手により、十を数えた年に神託の盾(オラクル)騎士団へと誘拐された、苛酷な運命を背負うもう一人の幼馴染の不調を気に掛けつつも、今は帝都を襲う災厄への対処が先決だとガイは意識を切り替えた。



「――…人、質?」

 言葉の意味は理解出来る、が、邪悪な笑みに小奇麗な容姿を歪ませる幼子の目的が全く見えずに、襟足でをぴょんと癖の強い赤毛を跳ねさせる王家の血統――として創られた生命は、無垢な輝きの双翡翠をくるくると戸惑わせた。
『そうだ。"嘆きの残骸"に憑かれたニンゲンは、破壊衝動を抑えられずに、暴走する。
 外へ向かえば凶悪な暴徒と化すし、内へと篭れば自傷行動を発現する。
 どうあろうとも、憑り依かれた人間が死ぬ事に変わりないがな』
「…そんなっ!! お前、何が目的なんだよ!!」
 罪の無い大勢の人々を巻き込んで、一体、どんな願望(ねがい)を達したいと言うのか。
 訴えかける必死の言葉を、心を痛める慈悲深さを、幼き悪意は鼻先で笑い飛ばした。
『――罪の無い? ハッ、その傲慢な思考が既に"罪"だ。
 そんな事にも気付けないのか。やはり貴様は愚かだな、出来損ないの屑レプリカ』
「……ッ、れ、プリカは今は関係ないだろ!! それより、お前の目的は何なんだよ!?」
『フン。いい気なものだな、ヴァンを追って、説得して、救世の英雄気取りとはな。
 "罪の無い大勢の人々"を魔界(クリフォト)へ叩き落として"殺した"のは誰だった?』
「……っ、……、そ、れは……、」
 ぐ、と。
 最も触れられたくない忌まわしい過去の原罪を抉り出され、ルークは勢い、問い糺す声を失う。
「問題のすり替えは感心しないな」
 そこへ颯爽と駆け付け助け舟を出すのは、王家の子の元・保護者兼護衛剣士――保護者役は未だ現役だが――ガイ・セシル。祖国であるマルクト帝国では、ガルディオス家の爵位を預かる、由緒正しき血統を継ぐ好青年だ。
「初めまして、俺はガイ・セシル。
 キミが苛めてるソツは俺の大事な親友でね、その辺にしてやってくれないか。
 さて、キミの名前と目的は? 人質を取るからには、交渉を行う予定はあるんだろう。
 帝都の人間を無作為に、手始めに城から。その手口から察するに交渉相手は陛下、かな」
 王家の出生である姫や子爵、有史来の天才である死霊使い、始祖ユリアの子孫である魔界の歌姫、ローレライ教団の最重要人物である導師や、その護衛役である奇才の人形使い、と、特別な肩書と、それに相応しいだけの強烈な個性を持つ者ばかりの一行の中で、生来の社交性の高さと性格の好さから皆のフォロー役に徹する事が多く、存在が希薄になりがちだが、文武両道を体現する優秀な人物であり、加減無しなら悪魔の遣いのようなジェイド・カーティスを相手どり、舌戦で遣り合う事も可能だ――後々が面倒なので決してやろうとは思わないのが、ガイがガイたる所以だが。
「…ガイ、 ……」
 眉尻を下げ僅か潤んだ翡翠の瞳で振り返る――正体も知れぬ相手に精神的に叩きのめされたキムラスカ王家の子の声は縋るように脅えるように、悲しく掠れていた。
 王家の権力と言う名の箱庭の中で、大切に大切に、腫れ物のような丁重な扱いの中育てられた公爵家の嫡男『ルーク・フォン・ファブレ』は、他者からの悪意に対して耐性が低い。理不尽な罵詈雑言など右から左へ受け流してポイと捨ててしまえばいいものを、己の過去に対する罪責感からか、鋭利に尖るそれらをご丁寧に拾い集めて胸にしまいこんでしまう――、そんな変わり果てた親友の姿が、生き様が、在り様が、十年来の親友であるガイにとっては心配でならなかった。
「よ、なんか久しぶりな気するな。ルーク、大丈夫か? 勝手させて貰ってゴメンな」
 無暗に傷つけられた心を慰めるように、優しく、届かぬ手の代わりに言葉で包み込み労わる。
「そんなの…。それより、外はどうなってるんだ?」
「んー、結構困った事になってるな。俺はジェイドの旦那に云い付けられて、そこの赤い子どもに何が目的なのか聞きに来たんだ。ついでに、お前と――…、」
 それから、不意に声色を変えて、ルークの背後にあるふわふわ華やかな赤毛を捉えて言う。
「そこの神子様と、神子様のハニーを迎えに、ね」
「ハニーって…、」
「や。ごくろーごくろー。これ、六大音素(グランドフォニム)とやらで出来た結界らしくて、音素が使えない俺やロイド君じゃどーにもならないんだわ。だ・か・ら、たすけてー、だーりんー。御褒美にキッスしてあげるから」
 シルヴァラントでもテセアラでも、統合世界でも無い、全く見知らぬ土地でも、ひとのことをハニーと言い触れて回っているのかと、呆れるロイドの声を無理やり押し遣りゼロスは道化めいた。ウィンクひとつ、ふわり、そよぐ風に揺れる大輪のような緋紅の髪を揺らし、投げキッスまで寄越してくる。
「…俄然ヤル気が削がれる裏声は止めて貰えませんかね、神子様。
 それと、キッスは要りません。全力で辞退させて頂きます」
 両手を胸の前に揃え、辟易した様子でキッパリと神子の嬉しく無い祝福を断ると、ガイは和やかな雰囲気を纏う甘いマスクを取り去り、色の無い表情で、大切な幼馴染や愛すべき祖国へ仇をなす存在を見上げた。
「――それで、 …、って、あれ?」
 意を決し見上げた先にはしかし既に跡形も、予想外の事態に戸惑うと同時に拍子抜けして紺碧の眼を幾度か瞬かせる護衛剣士へ、二人の幼馴染から、ほぼ同じタイミングで警告が叫ばれた。

「ガイッ!!」
「馬鹿野郎!! 後ろだ!!!」

「!?」

『…動くな』
「……っ、ど、…うやって」
 するり、と背中から首へ縋るように回される如何にも幼い華奢な両腕。見事な赤い髪、キムラスカの旧正装、誰かの過去を連想させる似姿に、全く油断が無かったと言えば嘘になる。しかし、こうも容易く完全なる死角を奪われる、なんて――俊足を誇る身としては、俄かには信じ難く。疾風の抜刀術から刃と鞘の変則二刀流を使い分ける一流の剣士である青年は、大きく目を見張った。
『大丈夫、お前が腑抜けたわけじゃない。
 "俺"は"影"を伝う事が出来る、だから、不可抗力だ』
「……影、を?」
 足元の影へ一瞬で移動してくる――としたら、相当に厄介な能力だと苦々しく思い、そして、何故こうも容易く手の内を明かしてくるのかと、続け様に脳裏へ浮かぶ当然の疑問へ、ふ、と全身で懐き甘えてくる『敵』は、声変わり前のキーの高い少年ヴォイスで無駄な装飾の無い形の良い耳許へ囁きを含ませ答えた。
『警戒しなくていい。ガイ、"俺"はお前だけは傷付けない。絶対に、約束する』
「……!? どういう…ことだ…?」
 マルクト帝国が誇る水上都市グランコクマを襲撃した事実といい、キムラスカ王家の子や異世界の者達を拘束する状況といい、そして帝都の人間を人質だと嘯いて見せる容赦の無さ、そこから『少年』が味方では無く『敵』であるのは明白で、だと言うのに、過去の大戦の折りに魔界の大地へ失われた無幸の島の出生の青年――ガイ・セシルにだけは執着にも似た異常な情を寄せる、その理由に全く思い当たらず、誰もが羨む美丈夫な護衛剣士は困惑を言葉とした。
『…"俺"が"誰"か、分からないか?』
「……そう、云われても……、」
 正直に言えば、全く分からない。
 見た目年齢は十かそこら、せいぜい、十二歳くらいか。
 キムラスカ王国には結局十年もの歳月を下働きで過ごしたので、城下町でそれなりに親しくなった人間もいるにはいるが、王家の血統以外の赤毛は非常に稀有な存在だ。次々と思い浮かべる顔を片っ端から打ち消して、駄目だと降参の白旗を上げる代わりに溜息をひとつ。
「その、悪いが思い当たらない。
 俺が知る赤い髪をしたヤツは、ルークか、…アイツくらいだし…」
 オールドラントに限らないのであれば、音素結界へ囚われるテセアラの神子ゼロスも対象だが、アレは恐らく含まれないだろう。また、キムラスカ・ランバルディア王家の男児は赤毛が多く、実際ファブレ公爵も『そう』だが、大した面識も交流も無い彼らが"少年"と関係しているとは到底思えない。
『…察しが良いんだか悪いんだか。全く』
 寂しげな頬笑みは何処か自嘲じみて響く、奇妙に胸の内を騒ぎ、人の好い青年は肩越しに少年の気配を窺った。
『――交渉するんだろう?』
 スッ、と。
 波が引くような自然さで幼い重さが名残惜しげに離れ、救いを求めるにも似た戒めは解かれる。
 振り返る先には既に姿は無く、再び、灰色に薄濁る球体の前にキムラスカ王国の正装を纏う謎の少年は現れた。
『お前らもよく聞いておけ、二度は云わない』
 さも怨めしげな鬱々しい暗光を湛える闇色の翡翠で、背後の捕虜達を冷たく見遣り、少年は硬質な声で云い放った。
『今現在、グランコクマを襲うのは"嘆きの残骸"(アシュットレイド)。
 ひとが無為に生み出す様々の負の感情が還るべき宿主を失い、音素の流れ――セフィロトへ迷い込み負の情念を根幹とする亡霊と化したものが、それだ。
 連中には意思など無いからな、ひたすら還るべき器を求めて漂うだけだ。そいつ等に憑り依かれれば、人ひとりの器には過ぎる感情のうねりに人格を破壊され、最悪―― "廃人" と化す』

「! なっ、」

 息を呑む、城ではフリングス少将を含め多くの兵士達が『嘆きの残骸』に巻き込まれた。
 彼らが―― と、表情を曇らせる心優しい金髪の護衛剣士へ、一変、幼さの際立つ拙い表情で少年は己の行動を弁明するかの様に言葉を続けた。
『そう心配しなくても大丈夫だ、ガイ。
 連中の活動は、今は俺が抑え込んでいる、人質を無暗に傷つけては無価値だしな』
「……キミは、」
『さて、ここからが本題だ。
 今伝えたように、俺は連中の動きを握っている。
 このままグランコクマを亡霊で埋め尽くす事も可能だ。
 ――無論、それは不本意だな?』
「………」
 追い詰められた獲物の無言の肯定に満足気に頷き、亡霊を繰る少年は暗澹とした双眸をゆっくりと眇め、云い含ませる物言いで唯一絶対の交換条件を突き付けた。



「…さて、困りましたね」
「………」
 観光客向けの最高級ホテルの豪華なエントランスロビーにて、座れば身体全体で沈み込み、優しい感触で包み込まれる薔薇と鳳凰の飾り縫いのソファに、優雅に腰を掛け寛ぐマルクト帝国が誇る屈指の天才・死霊使い(ネクロマンサー)の呟きに誰もが沈黙で応じた。
 ホテルの窓から窺う景色は物言いたげに暮れ泥(なず)み、燃え尽きる直前の焔にも似た不安定な紅色の斜陽が、人の気配の失せた帝都の姿を悲しげに浮かび上がらせていた。

 ――件の少年と接触してから、既に三時間が経過していた。

 帝都へ『嘆きの残骸』(アシュットレイド)を遣わし、混乱へ陥れた張本人は、キムラスカ・ランバルディア王家の赤き髪の男児――の映し身であるレプリカ・ドールと、只の偶然か神の気紛れか異世界より迷い込んだ青年ら二人を連れ、約束の時と場所を一方的に告げると何処かへ姿を消した。
 白と青を基調として上品に仕立てられたホテルのロビーにて、それぞれ、立場を違える四名の人間達が難しい表情で顔を突き合わせていた。夫々が優秀な頭脳の持ち主であるが、残念ながら袋小路の現状へ具体的な解決策を見い出せずに、無為に時間だけが過ぎてゆく。
「アレの目的が見えん事にはな…、いや、交換条件とやらは聞いたが」
 ハァ、と。
 大変に盛大な溜息を吐き、己が懐刀と向き合いぐったり背中からソファへ草臥れ凭れ掛かるのは、現在進行形で危機へ直面する帝都の皇帝その人物で、その口から飛び出した不穏な内容に、マルクト帝国の重要人物二人を護る立ち位置で控える護衛剣士は、ぐ、と剣の柄を握り込んだ。
「…陛下、」
「うん? どーした、ガイラルディア」
 全身をソファへ預けた一国の主としては随分と情けない砕けた格好で、ごろり、大儀そうに頭を左方に転がし項垂れた視線で先を促す――のに、ガイは真摯な輝きの空色で真っ直ぐ応えた。
「先程も申し上げましたが、例の少年は私の事を良く知っているような口ぶりでした。
 その…、」
「――『 "俺"はお前だけは傷付けない。絶対に、約束する』 でしたかね。
 強烈な愛の告白ですねー、一体どういう関係ですか?」
「…お? なんだなんだ? どーゆーことだ?」
 有能な懐刀の意味深な言い草に釣られ、野次馬根性丸出しで身を乗り出してくる皇帝へ、ガイは柔らかな苦笑を端正に整う面差へ浮かべ困惑そのままに主と上官へ言葉を返した。
「…どういうことなのか俺が聞きたい位ですよ。
 それに、あの距離で良く聞こえたな。ジェイドの旦那」
「ちょっとしたコツがありまして」
 にっこり、完璧な笑顔で生来の美貌をより一層際立たせる手強い相手に、マルクト皇帝が護衛を仰せつかる変則二刀流の遣い手は、ハァ、と諦めたような溜息をひとつ、肉体的・精神的疲労からくる瞼の重さを振り切って、自らを奮い立たせるように口火を切った。
「…俺が、彼と交渉してみます」
「――…うん?」
「何故だか分かりませんが、件の少年は俺を特別視しているように思えました。
 話し合いで全て解決出来るとは思えませんが、解決の糸口を少しでも見出せないかと…」
「…ふむ。先程の言葉が本当なら、確かに奴さんはミョーにお前を気に入っているみたいだな。
 しかし、敵陣へ一人飛びこませるというのもな…。危険過ぎて由とは言い難いところだ」
 ――かと言え、稀代の天才と名高き偉大なる死霊使い(ネクロマンサー)は、現在のところ敵の渦中へある少将の補佐で手一杯。難を逃れたマルクト帝国一般兵は帝国民の避難に駆り出され、猫の手も借りたい程の忙しさだ。そもそも、あの得体の知れない敵を相手に一平卒を宛がったところで足手まといにしかならないだろう。
「他の連中と連絡が取れればいいんだが、この混乱ぶりじゃ難しいか」
「いえ――、俺一人で」
「なんだ、勝算でもあるのか?」
「ありませんよ、そんなもの。けど、…一人で行った方がいい気がするんです」
「…ふむ」
 帝国皇帝の血筋を継ぐ由緒正しき血統の若き伯爵の確信に満ちた言葉に後押しされ、ならば、とマルクト帝国が現皇帝は危険を充分に理解した上で承諾の意を示した。
「分かった、任せる。けど、必ず俺の許へ戻って来い」
「…は!」
 始祖ユリア・ジュエの提唱により造り上げられた惑星を覆う外殻大地・オールドラント。澱んだ古き大地から離れ創造された新世界。預言に縋り生きる無知蒙昧の人々の世界を二分する大帝国の皇帝は傲然と云い放つ。ガルディオス伯爵家を継ぐ金髪碧眼の若き当主、生まれ持つ容姿は端麗、他者を気遣える性格は好ましく、目的を果たさんと長年鍛錬を積んだ剣の腕も確か。これだけ良要素が揃っていれば、純粋に利用価値の高い手駒として惜しくもあるのだろうが、それよりも――…、
「……、陛下?」
 身辺警護と言う名の体の良い雑用係な護衛剣士の優等生な型通りの返答に、む、と眉根を寄せピオニーは無防備な部下の左腕を取っ掴み己の肩口へと、自身のそれより幾分色味の鮮やかな金髪を愛玩動物を可愛がる手つきで強引に引き寄せた。
「…なにっ、 あぶっ、 わ、 っ!?」
 人生で二人目となる仕えるべき主の突飛な行動に完全に虚を突かれ、足元を崩し思わず相手へ全体重を相手に掛けそうになるガイだ。観光客用のホテルの無駄に豪華なソファの背と肘かけへ、咄嗟に手を伸ばして自重を支えた反射神経は流石と言えよう。しかし、そんな見事な反応が逆にマルクト帝国が皇帝の気を損ねたようで、不満そうに口唇を尖らせ抗議されてしまう。
「何だ倒れんのか、ツマラン」
「…急に何をするんですか、陛下」
 困惑する護衛剣士の草臥れた後頭部を、絶大な求心力を誇るマルクト帝国が皇帝は、褐色の色をした大きな掌ふたつで、くしゃくしゃと無遠慮に充分に掻き乱し太陽の笑みを満面と浮かべた。
「うん、よし」
「…どうかされたですか?」
 一見して破天荒な皇帝の悪ふざけの一環としか思えない行動で、実際にこれが見た目と頭脳が非常識な程に突出する腐れ縁の幼馴染が相手であれば、『早く放して下さいね』と実に清々しい作り笑顔と共に辛辣に突き放されるのだろう。しかしが、どんな場面であろうとも相手の気持ちを先ず優先して考え気遣う性根の好い金髪碧眼の護衛剣士は、声を殊更優しげに響かせ小首を傾げる。
「………」
 傍付きとして重用する青年の徹底した人の好さに対し、ピオニーは虚を突かれたように、深い波の重ねを思わせる海の如き藍玉をキョトンと瞬かせ、肩を落とす仕草と共に胸の底から息を吐き出した。
「…お前は、ほんとーにイカンな」
「……?」
 『ガイラルディア・ガラン・ガルディオス』。
 ガルディオス伯爵家の名を継承する青年が、そういう『種類』の人間だったと、目の前で再確認させられて、さてどうしたものかと今更の逡巡を心へ生み出してしまう。
 意地悪く捻子曲がった性格以外は実に完璧な自慢の懐刀からの又聞きだではあるが、幼き時分に最愛の家族を故郷ごと魔界(クリフォト)へと喪う絶望を味わい、悲しみばかりが無尽蔵に湧き出す心に血と刃の復讐を誓いながら、生命へ及ぶ危険を覚悟の上で潜り込んだ敵国にて、怨敵の傍で身分を偽り十年の歳月を――、況してや誰よりも憎くある仇の息子の護衛を果たしていた、というのだから相当だろう。
「…絶対に戻って来い」
「はい」
 無幸の島ホドの悲劇からの数少ない生き残りであり、凄惨な歴史の生証人でもある若き伯爵家当主は、背中に回された腕の、頭の後ろを撫でられる掌の、温度の心地良さに静かに瞼を閉じ決意を短い言葉へ込めた。
「イチャついてるところ大変申し上げ難いのですが、宜しいですか?」
「なんだ、嫉妬か? 心配するな、後からお前も抱いてやるから」
「気持ち悪いんで、冗談は顔だけにして下さい。
 それよりも、――ガイ」
「…はい?」
 流石に無理に自重を支える態勢が辛くなったのだろう、愛おし気に絡みつき慰めてくる褐色の腕を慎重に振り解き、寓話の王子様然とした甘い容姿の剣士は、世界救済の旅にて共に背中を預け戦う頼れる年上の聞き慣れた冷静沈着の声を振り返った。
「先程から、アッシュの姿が見えません」
「………え!!?」
 そうして告げられた事実(ことば)に、声を失う程の衝撃を、ガバッと身体ごと背後を窺い―― つい今し方そこへ居たはずの愛しきランバルディアの王家の聖なる焔を求め激しく狼狽えた。



2011/3/30 初稿 難産でした。