がーるず・ぶらぼー 2
〜ほっとここあ〜






 ひとり、甲板から見上げる夜の空は満天の星々が煌びやかに瞬く。
 西の方角へと沈みゆく下弦の月を視線で追って、弓使いの王女はかじかむ掌へ自身の呼気を吹きかけ暖を取った。
「…砂漠に近いだけあって、冷えますわね」
 見張り役として飛晃艇アルビオールの夜番を任される高潔なる王家の淑女は、決して他人の前で弱音を吐いたりはしない。それこそが、例え血の(えにし)が無くとも、彼女がキムラスカ・ランバルディア王国の王女たる所以でもある。常に前を見据え未来へ向かいたゆまなく前進してゆく。生涯を共にと誓いの言葉を口にした婚約者を二重の意味で失っても尚、彼女は強かった。
「こう寒くては狙いも甘くなりますわね。
 …なにか、温まるものを探してくるべきかしら…」
「なったーりーあー!」
「あら、アニス? どうかなさいまして?」
 船首近くに腰を落ち着けていたナタリアは、船室へと続く扉から覗いたツインテールに目を丸くさせた。一見、とても可愛らしい少女の姿をしてはいるが、これでも神託の盾騎士団の一員だ。背中に背負う少々奇抜だが、愛嬌を感じさせる縫いぐるみは決して見た目通りのお人形では無く、簡潔に言うなら彼女の武器――殺戮の道具だ。人形士(パペットマスター)であるアニス・タトリンはトクナガと名付けた人形を巨大化させ、そのまま敵陣へと特攻を掛ける勇ましい戦闘スタイルを得意としている。本来、人形士は危険地への物資運搬や負傷者の救助活動といった、人道支援的な役割を果たしており、戦闘人形士(バトル・パペッター)としてただ一人異端の道を往く少女は、人形士の同胞からは余り良く思われてはいないようだった。
「えっへへー☆
 はい、これ毛布と…、ココア。煎れたてだよー」
「まぁ…。ありがとう、アニス。心遣い感謝致しますわ」
 機能性だけを追求した黒の毛布を受け取り、早速くるまって、デッキへ置かれたお盆の上で甘い香りを立ち上らせるマグカップを手に取り、にっこりとお礼を言う王女へ、アニスは、イオン様へ用意したついでだから気にしないでいいよー、と軽い口調で応じた。
「アニスは本当にイオン様へ献身的ですわね。尊敬致しますわ」
「あっはは、尊敬とかたいそーなもんじゃないよ。おシゴトだし。これッ位、とーぜんだって」
 明るく笑い飛ばしながら、アニスは自分用のココアをゆっくり口元へ運んだ。予想外に冷めるのが早い。ふぅ、と表面をひと吹きして少しずつ喉へ落としてゆく仕草は、幼さを感じさせ愛らしい。財産目的に良家のボンボンと結婚すると公言して憚らない性格が玉に傷だが、もう少し成長して色気と手管の知識を身に付ければそれも可能であろう。但し、玉の輿作戦を確実に成功させるには、彼女自身のその勝気で豪傑な性質が最大の障害だ。無論、愛無き婚姻。金銭に目が眩んでの身売り同然の腰入りなど、ナタリアからすれば理解には程遠く、敢えて忠告を控えているのだが。
「…ねぇ、アニス?」
「んー? なぁにー?」
「二人はきちんと向き合えていますかしら」
「………」
 ナタリアの不安を払拭出来る都合の良い言葉が見つからず、アニスは冷めかけたココアを片手に、弓使いのキムラスカ王女の傍にちょこんとしゃがみ込んだ。
「…わかんない。ガイは兎も角、アッシュの方は意地っ張りだし。両想いなんだから、サックリくっついちゃえばいいのに。焦れったいよねー」
「…人の心は難しいものですわ。そう簡単にいきませんわよ」
 如何にも王女らしい公明正大な言い回しで、ナタリアは人形士の少女の軽薄をそっと窘めた。
「そーだけどさー、傍(ハタ)からすればある意味バカップルじゃん。あんなの」
「それは流石に言い過ぎですわよ、アニス」
「そっかなー」
 天然なお姫様には分からないだろうが、あれは確実にバカップルだ、とア二スは溜息を吐いた。ガイは好意を持った相手を無意識に甘やかすフェミニスト気質で、アッシュはアッシュで天性のツンデレだ。好きな相手に素直になれない、という例のアレ。お前は何処の乙女だ、とトクナガで突っ込んでやりたい衝動に駆られるから、困る。
「ナタリアは本当に二人の事認めてるんだね」
「あら、前に申し上げた通りですわ。
 二人が幸せになるんですもの、反対する理由なんてありませんわ」
「そっか」
 キムラスカ・ランバルディア王国を代表する王女の懐の広さには頭が下がる。幼きより未来を誓いあった婚約者。仄かに甘酸っぱい美しき思い出の日々を共に過ごした初恋の相手。好いていないはずがない。心を寄せていないはずがない。しかし、己の内に息衝く思慕の念よりも、愛する人の幸福を願う事が出来る慈愛の心は、流石は、ナタリア・ルツ・K・ランバルディア王女だ。
「私の事はいいんですのよ。それより、ルークとティアには幸せになって貰いたいですわ」
「へ?」
「あの二人は、まだ付き合っていませんわよね?」
「…あー、まぁ、………そりゃ」
 お付き合い、なんてものに発展するわけがない。
 何せ、ルークが全身全霊で懐きまくって猛然とアタックを掛ける意中の相手は、大いなる始祖ユリア・ジュエの譜歌を操る、美しき歌声の少女とは似ても似つかない。クール・ビューティという共通点を除き、対極に位置するような存在だ。しかし、ナタリアの勘違いもある意味当然とも言える。旅の最中、ルークとティアは支え合いながら幾つもの試練を共に乗り越える事で、互いの距離を少しずつ縮めていった。今となっては戦闘でも普段の旅の中でも、初期の頃の険悪さが嘘のように仲睦まじい。
「…ティアって、ルークの事好きなのかな?」
「あら? 違いますの?」
「いや、聞いてるのコッチだし」
 思わぬ指摘にくるくると目を丸くさせて驚く世間知らずの王女サマに、アニスはがっくりと肩を落とした。大衆の声に素直に耳を傾け、弱きを喰い物とする悪を許さず、自信と信念、そして博愛の精神を備えるナタリアは、なるほど為政者としては優秀だが、女友達としては多少骨が折れる。無論、そこがこのお転婆姫の長所でもあるだけに、一概に否定は出来ないのだが。
「あの二人って、そういうんじゃないと思うけどなー」
「けれども、随分と親密そうに見えますわ。私は、てっきりそうだとばかり…。
 はッ!! もしかして……!!」
「んー?」
 マグカップの底に淀む溶け損なったココア粉をスプーンで掬いながら、アニスは切羽詰まった声色のナタリアに、どうかしたのかとツインテールを揺らした。
「私に遠慮しているのでは…!?
 ああ、きっとそうですわ! 形式上とは言え、ルークと私は婚約者同士ですもの!
 なんて事でしょう、私ったら、そうとは知らずに二人の仲を割いていましたのね…!!」
「………いやいやいやいやいやいや。」
 肌を刺す冷たさなど何処吹く風とばかりに、ガバッとその場に立ちあがり、大袈裟な身振り手振りで確実に誤った方向へ爆走する天然王女に、アニスは小さく突っ込みをいれた。
「これではいけませんわっ、アニス!!
 私の存在が二人の恋路の障害となっているのは確実ではないこと!?
 ああ…。けれど、どうすればよいのかしら。アニス、何か良い案は無くて?」
「……あ、…うん」
「まぁっ、なんですの。その、腑抜けた返答はッ!
 これは由々しき問題なんですのよ?
 私の所為で二人の仲が裂かれる事など、あってはならないことですわ!!」
 意気揚々と熱弁を揮うナタリアにアニスは、はぁ、と大きな溜息を零した。スプーンで集めたココアをぺろりと舐めて、そのまま口に咥えて齧ると、案の定お行儀が悪いですわよ、とのお叱り。
「…あのさ、ナタリア」
「なんですの?」
 キムラスカ王国の王女よりも、五つも年下ながらもローレライ教団指導者の護衛という大任を戴く人形士の少女は、取り上げられたスプーンを未練がましげに視線で追ったかと思えば、うーん、と唸って見せた。
「あのさ、ナタリア。も、一回聞くけど、ティアって恋愛感情でルークの事好きなわけ?」
「…違いますの?」
 ここまであからさまな態度を取られれば、幾ら天然記念物並に鈍い姫君といえども、その違和感に気付かないはずがない。ただ美しいだけではなく、民の幸福を願い、国の行末を憂い、より良き未来の為に自ら筆頭に立ち人民を導く強さと賢さも兼ね備えた才色兼備の王女が、キムラスカ王国が誇るナタリア・ルツ・K・ランバルディアの人となりだ。
「うー…、違うっていうか。…ティアはどう想ってるかはわかんないけど、ルークは違うよ」
「そう、ですの?」
 意外過ぎる告白に、ナタリアは当然目を丸くして驚いて見せた。根が素直なだけに、旅の苦楽を共にする少女の言葉を疑ったりはしないが、ならば、その根拠はと当然の疑問に行き当たる。
「どうして言い切れますの? 直接、ルークから窺いまして?」
「だって、ルークはティア以外に本命いるもん。
 あの甲斐性無しがティアともう一人を二股掛けるなんて、そんな芸当出来ると思うー?」
「…それは…、確かにそうですわね」
 『本命』の単語に寝耳に水とばかりに仰天しながら、ナタリアは素直にアニスの弁を認める。傲慢不遜の驕りで構成された過去の『ルーク』であれば、万に一つの可能性も無きにしもあらずだが、背負い切れぬ程の罪に心を侵され、贖罪と断罪に身を(やつ)し、永劫の闇の中に魂の標を求め続ける悲痛な幼馴染みが、そのような不義な行いに手を染める可能性など、皆無だ。
「けれども、初耳ですわ。ルークにそのような方がいたなんて…。
 仮にも私という婚約者がいながら、他の女性に現を抜かすなんて許せませんわ」
「ナタリア、今、自分に気兼ねせずにティアと付き合えとか言ってたじゃん…」
「それはそれ、これはこれですの。
 他に本命がいるだなんて、私に魅力が無いと公言されているようなものですわ」
 ――同性として分からぬでもない理屈だが、ルークからすれば余程迷惑な言い掛かりだろう。
「それで、アニス」
「ほぇ?」
 唐突にがしっ、と両肩を掴まれ、鬼気迫る形相のナタリアに追い詰められ、アニスは目を剥いた。
「その本命について心当たりがありますでしょう? 白状なさいっ!」
 何事かと躊躇え悲鳴をあげる人形士の動揺には構わずに、猪突猛進なキムラスカの王女は詰問の姿勢を取った。年幼い可愛らしい容姿をしているが、神託の盾(オラクル)騎士団導師護衛役(フォンマスターガーディアン)の名は伊達では無く、アニス・タトリン奏長は諸事情に精通している。その彼女だけに、本命についても当然心当たりがあるとはずだと、ナタリアは詰め寄った。
「えー、そりゃ、…知ってるけど…」
「やはり、知っていますのね? 何処の馬の骨ですのっ!
 まさか、アニス貴方ではありませんわよねっ!?」
「うわっ! なんで、そう言っちゃうわけ? アニスちゃんはお金持ちにしかキョーミないってば!!」
「ルークはランバルディア王家の直系、ファブレ公爵家の子爵ですわよ!?
 その条件で言えば、充分――…、 はっ…!!
 アニス!! アッシュはダメですわよっ!? あと、ガイもいけませんわっ!!」
「それくらい弁えてますぅー。二人とも、ぜんっぜん見込みないもん。
 アニスちゃんはお利口なので、負け戦を挑んだりしませーん」
「それなら宜しいのですけど…、って違いますわ! ルークの本命についての話でしたわ!
 いけませんわ、つい話を逸らされるところでしたわ…。やりますわね、アニス」
「………」
 勝手に脱線しておきながら、まるで此方が意図的に操作をしたかのような責任転嫁ぶりだ。半ば呆れながらも、アニスは両肩に乗せられたままのナタリアの手をぺいっ、と振り払って毛布に潜り直し、両膝を抱え込むようにデッキに座り直した。
「…ルークの態度見てれば、バッレバレじゃん?」
「――…ルークの、」
 投げやり気味に放られたヒントに戸惑い考え込むのは、王室としての品格を備える美しき姫。
「…ノエル…?」
 ややあって導き出されたそれは、やはり、正解にはほど遠かった。
「はい、ハズレー」
「…駄目ですわ。私、ティア以外は全く思いつきませんわ…」
「ヒントその2。ナタリアも知ってる人でーす」
「……私が存じ上げている女性…ですの? 私とルークとアニスの全員に面識があるとなると、今回の件で縁を結んだ方だとは思いますけれども…、まさか…アリエッタ…ではありません、わよ、ね?」
 おそるおそる窺ってくる姿は、弓術使いの勇敢な王女にしては、珍しい。
 肯定を受ければ、婚約者のロリコン疑惑が持ち上がる。
 ルークが『そう』であるという事は、もう一人の王位継承者もまた同様の資質を持ち得ているという事に相違ないだけに、慎重にならざるを得ないのだろう。
「ちっ、がーう!! ここでネクラッタが出てくるとか!!
 第一、ルークは年上好きじゃん!
 玉の輿ハンターとしてのアニスちゃんのカンがそう言ってまーす!!」
「……年上…。そうですの? …はっ、まさか!?」
「リグレット師団長とか言いださないよね…?」
「あら、何故分かりましたの?」
 ぴしゃりと言い当てられて、心底不思議そうに表情を幼くさせる純白の心を持つ王女だ。
「………」
 世界を二分する大国の姫の天然ぶりに、アニスは頭を抱えて長い溜息を吐いた。おそらく、本気で分からないのだろう。下衆な言い草だが、共に歩む未来を望んだ淡い初恋の相手を幼馴染みの男に盗られておきながら、何故、他の可能性を思いつかないのか、不思議でならない。
「なーたーりーあ」
「? なんですの?」
「こないださ、大佐ってば、軍服じゃなくて開襟シャツを着てたんだよね」
「あら、珍しいですわね」
 唐突な話題振りにも関わらず、ナタリアは素直に受け止めて、すんなりと会話を続けた。
 譜業技術に優れるマルクト帝国の最強の刃として世界を等しく戦慄させる人物の私服姿など、ナタリアは一度も目にした事は無かった。常に有事に備えねばならない過酷な使命の只中にあって、機能性を重視した帝国の軍服は何かと都合が良く、同じ仕立ての物を何着か用意して着回しているらしい。
 蛇足ではあるが、アニスも神託の盾騎士団の正規団服を着用しており、予備のものと交代に着替えている。私服のメンバーは着慣れたメインの武装以外に、ピオニー皇帝陛下から時折陣中見舞いとして贈られてくる特別誂(あつら)えのバトルスーツで戦っていた。といっても、『あの』陛下のする事だ。基本的には型通りの良質な品を送ってくるのだが、中には正気を疑うものも混じっている。
「そー、そー。もー、確実にレアだよ、アレ。
 大佐ってば、陛下がくれた服も滅多に袖を通さないもん。
 しかも、全開の胸元にキスマークが、ばーっちし。
 純情可憐な乙女に色気を振り撒いてくれちゃってさー、もー。
 あー…、でも惜ッしい事したよなー。
 あの時の大佐のカッコを写真に収めとけば、ぜぇーったい高く売れたのにー」
「そんな事をしては、大佐を怒らせてしまいますわよ?」
「っあー!! やっぱ、そうだよねー。
 あああ、わかっちゃいるけど、でも、あの艶姿は高く売れる!!
 あー、もー、あれで三十五歳のオッサン軍人とか反則だとつくづく思うー」
「そうですわよね、肌もまるでシルクのように白くなめら……、
 ………、
 ………、
 アニス、いま、何とおっしゃいまして?」
「三十五歳の反則オッサン軍人」
「いえ、その前ですわ」
「大佐の生写真で、ウッハウハ」
「もう少し前です…!」
「開襟シャツでキスマークの胸元ポロリ?」
「………!!
 ……きっ、きっ、きすまーく!?」
「うん」
「え、ええっ?? あの大佐…、がっ? い、いえ、そうですわよね。
 殿方の生理ですし、街角の花を愛でていらしても、おかしくはありませんわよね」
 王家の教育の賜物か、経験は無いが知識だけは豊富に持ち合わせる高潔の姫君は、めまぐるしく表情を変えながら、物慣れぬ態度で可憐に頬を染め上げつつも、最終的には大人の見識に基づく冷静で無難な結論に落ち着いたようだ。
 ―― つまり、性欲処理として遊女を買っていても、おかしくはない、と。
 そんな純粋培養箱入り王女の思考回路を読み取る事など、密度の高い人生を送り、既に酸いも甘いも?み分ける騎士団所属の少女にとっては、朝飯前だ。盛大に勘違いしてるなぁ、と人の悪い笑いを浮かべて、チッ、チッ、チッ、と舌打ちの横槍をいれた。
「ナッ、タリア。大佐が町でオンナの人を買ってるとか思ってるデショ?」
「ち、違いますの? …あら! もしかして決まった方がいらっしゃいますの? それは初耳ですわ」
 ある意味合ってはいる。流石、一国の王女だけあり洞察力に優れるようだ。天然だけは生来のものだけに、どうにも手の施しようがないのだが。それも、彼女の魅力を引き立てる要素のひとつだ。
「はい、じゃここでおさらい。その一、ルークの好みは年上。その二、そのルークの本命は、私もナタリアもよーく知ってる人です。その三、本命候補は今回の預言(スコア)騒動で知り合った人物の中にいまーす」
「え? …ええ」
 ぬいぐるみを模した戦闘人形を背負う愛らしい人形士(パペット・マスター)の突然の解説節に、ナタリアはつぶらな瞳をくるくるとさせ驚きの表情を浮かべたが、直ぐに内容を理解して、頷いた。
「じゃ、ここで最終ヒント。大佐のキスマークの相手は、十八歳年下の――…」

「オ、ト、コ、ノ、コ」

「え、――、 殿、方…、 え、 十八、 え。
 えええええええええええええええっ!!!!??」
 人類の歴史を、預言を、未来へと語り継ぐべく、オールドラントへ未曾有の繁栄を約束する誉の大国キムラスカ・ランバルディア。世界最古の国家とも謳われる由緒正しき伝統を戴く国家の『王女』としては、些かは貞淑さに欠ける絶叫が星空へ吸い込まれていった。

・・・大佐って、存在が卑怯に卑猥だと思います☆ ムラムラ☆