がーるず・ぶらぼー 3
〜ちょこくれーぷ〜






 外殻大地の中でも、特に預言(スコア)に繁栄を約束された二大都市がある。
 一つは、古き良き伝統を継ぐ保守的思想の根強い絶対王制キムラスカ・ランバルディア王国が王都、天上都市バチカル。もう一つは、革新的・前衛的な風潮を根幹とする開放的な他民族国家マルクト帝国が水上都市グランコクマ。
 優れた譜業技術を以て見事な街並みを整えるグランコクマには、年間を通して観光客が多く訪れ、特に観光用に整備された区画には、食べ物屋台が所狭しと並んでいた。
「……?」
 ふわり、と甘い香りが鼻腔をくすぐり、偉大なる始祖ユリア・ジュエの末裔である優秀な第七音素士(セブンス・フォニマー)、監視者の一族を継ぐ清廉な雰囲気の少女は、つい足を止めて周囲を見渡した。
「ん? どったの、ティア?」
 味のあるぬいぐるみ兼凶器の『トクナガ』を背負って歩く、ふわふわツインテールの少女が連れの異常を察知して、軽やかなステップで駆け戻る。心配そうに仲間を見上げるのは、輪郭に幼さを残す人形士(パペットマスター)の少女。如何にも清純派の愛らしい容姿に反して、金や権力への執着はパーティ随一と言う食わせ者だ。戦闘能力もさることながら、目端が利き有事の状況判断が的確な事から、異例の若さで導師守護役(フォンマスターガーディアン)に抜擢されている。
「…何でもないわ、別に。
 その、ちょっと気になっただけから」
「? 何ナニ? 気になったって何が?」
「……その 」
 言い淀む魔界(クリフォト)出身の女性へ、ファンシーな殺人ぬいぐるみが似合う黒髪の愛らしい少女――アニス・タトリンは楽しそうに食いついた。
「まーた、可愛いものでも見つけた?」
 鋼鉄の仮面を張り付けたような無表情を誇るクール・レディのティアは、意外や意外、根っからの可愛いモノ好きだ。可愛いモノ――例えば、パーティのマスコットなミュウや、アニスの戦闘の相棒トクナガ――を前にした時の彼女の態度の豹変ぶりには目を見張るものがある。可愛いっ…、と瞳を潤ませて、ぽぅと薄く頬を染める姿は、普段のギャップも相まって殿方の胸を打ち抜いてゆく。
「そっ、そんなんじゃないわよっ。
 大体別にっ、私は可愛いものが好きってわけじゃないんだしっ…!」
 その上、明らかにバレバレなのに、必死で自身の『可愛いモノ好き』を隠そうとする姿が微笑ましい。真面目一辺倒で融通の利かない堅苦しさはあるが、スタイル抜群のキレイなお姉さんなティア・グランツは実に魅力的な人物だ。――と言うのに、多少なりとも心を寄せてくれる木蘭色の髪の少女には目もくれず、三十五歳の軍人(♂)に夢中な何処ぞの赤毛は、在る意味至高の存在だと言える。
「いーからいーから、で、何があったのかな〜?」
「…もぅ。本当に何もないのよ? ただ、ちょっと甘い香りがしたから…、それだけで」
「うん? 香り? ああ、クレープ屋台からじゃない?」
「…クレー、プ?」
「うん、クレープ」
「…食べ物、かしら?」
「そだよ? 知らないの? ティア」
「…そうね、知らないわ。一般的なものなのかしら」
「ん〜…、知名度は高いけど、家庭料理ってワケじゃないよ。
 殆どは、屋台や専門店で買って食べる感じかな。
 お料理上手なアニスちゃんは、勿論作れるけどね?」
 そう答えると、アニスはオールドラントの日常生活に疎い少女を残し、クレープ屋台へと駈け出した。小さな歩幅でててててっと、確実に離れて行く少女の背中に戸惑いの声が掛る。
「アニス?」
「ちょっとだけ、きゅーけいしよっ。
 男衆はへーかのトコへ行ったきりだし、か弱いレディだけで物資補充の労働奉仕だよ?
 パーティ資金でスィーツを食べる位の特典あってもいいんじゃない?」
「え? だっ、駄目よ、アニス! 皆のお金を使い込むだなんてっ!」
「使い込むだなんて、人聞き悪いなー。
 これは労働に対する正当な報酬なの、ってか、クレープなんて大した値段じゃないんだし。
 ほらっ、いいから行こ? 無駄遣いじゃなくて、オールドラントの見聞を広める為! ね?」
「……けれど…、」
 行軍の必需品を揃える為にと預けられた軍資金を私用に浪費してしまう罪悪感と、ふんわり辺りに漂う砂糖と蜂蜜と卵と諸々の甘く熟された香りに焚きつけられる好奇心と、ぐるぐる、せめぎ合う胸の内を見透かすように、アニスは後一歩が踏み出せぬ生真面目な少女の手を取り、半ば強制的にクレープ屋台へと引き摺ってゆく。
「あ、っ。ちょっ、 え、 アニスッ??」
「いーから、いーから。そんなに真剣に考え込むこっちゃないよー?
 クレープは、女の子の定番スィーツなんだよっ!
 取り合えず、見るだけ、見るだけっ!!」
「……え、…ええ。み、見るだけなら…」
 思い切り女性客を意識した屋台は、それ自体が吃驚するほどファンシーで、ポップな色遣いのパラソルの下に、巷で人気のダーティ・ベアやクレイジー・キャット等のマスコットが所せましと商品ディスプレイのガラスの中に並べられていた。
「――っ、 か、 わいい ……っ」
 思わずキュンと切れ長の瞳を潤ませるティアにアニスは、本命はソッチじゃないよー? と、的確な突っ込みを入れ、大まかにメニューの説明した。
「えっと、無難なトコならイチゴとかバナナとかメロンとか、フルーツ系だね。
 中身はアイスかホイップクリームか、生クリームか、チョコアレンジか…」
「え、え??」
「最近は、軽食系クレープも流行ってるけど、最初はやっぱりスィーツでいくべきだよね!」
「…その…、よく分からないから、アニスに任せていいかしら?」
 次々と自由に言葉が飛び出す綿飴髪の少女に圧倒され、つい、軍資金での買い食いを許可してしまうティアだ。魔界(クリフォト)の監視者としての使命に重きを置く故か、常に張り詰めた雰囲気を纏っている第七譜術士(セブンスフォニマー)の少女だが、その実、押しに弱く世間知らずな人の好さを持ち合わせている。その弱点を巧妙に攻められると、クールの仮面が壊されてしまうようだ。
「おっけーぃ、アニスちゃんのチョイスに間違いは無いよ。
 やっぱり、無難にバナナのホイップクリーム、チョコソース掛け! これっしょ!!
 カッコイイ、お兄〜さ〜んっ。1番のチョコバナナと、5番のイチゴアイスで宜しくでーす」
「あはは、お兄さんときたか。世辞がうまいねぇ、お嬢ちゃんは」
 どう若く見積もっても四十は過ぎているだろう屋台の男性は、甘えた声で媚を売るアニスに、参ったナァ、と客商売の人当たりの良さで苦笑いを浮かべた。
「仕方無い、お嬢さん方はキレイだから特別だ。一個サービスしちゃうよ」
「きゃわ〜〜〜んっ♪ 有難うございますぅ、ステキなお兄さまぁ」
「…いえ、そん…」
 な、悪いです。と、言い掛けたティアの服の裾をコッソリ指先で引っ張るアニス。その意図に気付いて、ユリアの譜歌を自在に謳う冷えた焔のような美貌の監視者の少女は、思わず口を噤んだ。



「…美味し…」
 噴水広場のベンチに腰掛けながら、ふんわり甘く芳ばしい香りをさせるクレープにかぶりついたティアは、感嘆の溜息と共に素直な感想を口に出していた。
「えへへー、そうでしょ、そうでしょ? 美味しいでしょ?
 クレープは女の子の夢と希望が詰ったスィーツなんだから」
「…そうなの?」
「そうなの」
「なら、ケーキは?」
「ケーキは、女の子の愛と勇気で出来ていまーす」
「………そうなの?」
「そうでーっす!」
 ぱくり、と自分のイチゴクレープに幸せ一杯の顔で齧りついて、適当な作り話で外殻大地に不慣れな少女をからかうアニス。当人は冗談程度のイタズラつもりなのだろうが、生真面目が服を来て歩いているようなティアは、額面通りに受け止めてしまう。
「…外殻大地の食べ物って、凄いのね」
「うんうん、凄いんだよ。だから、どんどん色々食べてみると良いよ。
 魔界(クリフォト)じゃ、ロクなもの食べて無かったんじゃないの?」
「…そう、ね。
 栄養バランスとか、そういった面では問題無かったと思うわ。
 けれど、こういう甘味は殆ど見掛けなかったわね」
「うわー、やっぱり。魔界での生活って、何て言うか…、節制的?」
「そうね。けれど、一度に大量の食糧を運ぶ事も出来ない状況だから、仕方無いわね」
「むー」
 魔界育ちの少女には悪いが、外殻大地に生まれて来れて本当に良かった、と己の幸運を噛み締める、若干十三歳の若輩ながらもローレライ教団最高指導者の護衛役を仰せつかる人形士。魔界なんぞに生まれたら、玉の輿どころじゃ無かった。それどころか、一生太陽も拝めずに陰気臭い監視者暮らしだ。と、そこまで思って、ふと胸の内に巣食っていた疑問がむくむくと頭を持ち上げた。
「ねぇねぇ、ティア〜」
「なに?」
「ちょーっと、訊きたい事あるんだけど、いい?」
「良いわよ」
 ゆっくり味わって食べている所為か、既に包み紙を残すだけのアニスと違い、ティアの手にはまだチョコバナナクレープが半分以上残っていた。小さな齧り痕が如何にも品格のあるオトナの女性らしくて、豊満な胸元といい、色々な意味でティアは撲殺系人形士のコンプレックスを刺激する存在のようだ。
「あのさ、ティアって…、 ルークの事どう思ってる?」
「…………………え?」
 よほど意外な質問だったのか、きょとん、と目を丸くして固まってしまうティアに、アニスはより直接的な表現で、問いを繰り返した。
「弟みたいに思ってるダケ? それとも、男の子として見てる?」
「………」
 無言、ますます大きくなる切れ長の瞳、真っ赤になってゆくシャープなラインの頬、クールレディの体裁を崩した後は、初心で可憐な少女の姿だけが取り残されていた。
「…な、ななな、なっ、なにを突然っ!」
「いや…、そこまで変な事訊いて無いって」
 予想以上の反応の大きさに、逆に質問者であるアニスの方が戸惑ってしまい、年不相応の大人びた苦笑いを漏らした。
「ま、あんなんでも、ルークは子爵様だからね。アタシの玉の輿計画の候補者の一人なわけだけど、流石にパーティ内でオトコの取り合いなんてドロドロしたのなんてゴメンじゃん?
 だから、その辺ハッキリさせておきたいなー、って思って。で、実際はどーなわけ、ティア」
「………そ、そんな事、急に言われても……」
 色香と凄味をきかせた普段のハスキーヴォイスは何処へやら、すっかり気を動転させた魔界(クリフォト)の白き花。潔白と純潔を纏う少女は、ひどく躊躇(うろた)えた様子で声を可愛らしく裏返していた。
「だ、第一、こんな状況下で、そ、その、そういうのは不謹慎だと思うの。
 だから、そういうのは考えられないし、考えたことも無いわ」
「それは、別にルークに対して恋愛感情は無いって事でOK?」
「…そうね、そういったものは持ち合わせていないわ」
「ふぅん…?」
 不意を突かれた直後こそ動揺を隠せずにいたティアだが、徐々に落ち着きを取り戻し、平素の冷たく取り澄ました才女の仮面を被り直した。完璧な鉄面皮。義の使命の為に己が肉親ですら斬り捨てようとした、冷酷非情の暗殺者のそれ。
「ティアって潔癖だよね。アタシは人を好きになる気持ちが不謹慎とは思わないけどな。
 ま、アニスちゃんは玉の輿狙いだし、愛だの恋だのはカンケー無いんだけどね」
「…導師イオンをお慕いしているのでしょう?」
「んー? そりゃ、お慕いしてるよ。だいっじな金ヅルだもん。
 導師守護役(フォンマスターガーディアン)は大変だけど、それだけ実入りもバッチシ☆」
「………」
 鼻先に垂らした剥き出しの金力や権力だけでは、少女が導師へ尽くす献身は得られまい。
 己の中にある善意や誠意をこれ見よがしに悪し様とする人形士(パペットマスター)の少女へ、ティアは眉を顰めて控え目に窘めた。
「アニス、自分の行いを貶めるような言い方は良くないわ。貴方はとても立派よ。
 その年齢(とし)で困難な大役をよく果たしていると感心させられるわ」
「……立派? アタシが?」
「ええ、私はそう感じているわ。導師の護衛役にしても、世界救済の旅にしても。
 私やルーク…、大佐やガイ、ナタリアも、肉体は大人だから多少の無理も可能よ。
 けれど、イオン様は勿論、貴方だって身体はまだ子どもだもの。
 私達以上に疲労も負担も感じているはずなのに、弱音のひとつも吐かずに頑張ってるなんて偉いわ」
「――…ありがと、ティア。
 けど、アタシはそんなご立派な人間じゃないよ。
 ……みんなみたいに、きれいじゃないもの……」
「え? 何か言った?」
「んーんっ、なんでもない、ないっ☆
 それより、ティア。ホントにルークの事はなーんとも思って無いのぉ〜?」
「ん、もうっ。またその話? 本当よ。今はそういう事を考える余裕が無いし、それに――…」
「それに?」
「…そうね。どちらかと言えば、さっきアニスが言った通りだわ。
 どうにも放っておけない"手の掛る弟"って感じかしらね。
 確かにルークには特別な愛情を感じているけど、あくまで仲間として、だと思うの」
「の、割にはエラク動揺してたみたいだけど〜?」
 しつこく食い下がって来るゴシップと金の匂いが大好物な俗物少女に、世俗の穢れから隔離された荘厳な雰囲気を纏う魔界出身の第七音素士は、微かに目許を染めクレープの最後の一口を頬張った。
「それは、その、…びっくりしたのよ。
 そういう…、その、女の子らしい会話なんてした事無かったから、驚いてしまって」
 そっか、と納得してアニスはベンチからぴょんと飛び降りた。
 尻尾のように揺れる二つの髪を元気に跳ねさせて、と、と、と、っと前へと弾み過ぎた歩幅を調整しながら、くるりと一回転して天真爛漫な笑顔を振りまく。
「ティアが、ルークに本気じゃなくて良かった」
「…? 急にどうしたの、アニス」
 黒髪ツインテールの腹黒キュートな少女が、その愛くるしい容姿に反して金銭へ異常な執着を見せ、資産家や位の高い貴族を将来の伴侶とすべく日々画策している旨は、パーティメンバーの誰しもがよく知るところだ。しかし彼女の心に根付く底無しの金欲が、幾多の危機を共に乗り越えてきた掛け替えのない仲間へ向けられている、というのは、どうにも腑に落ちない。
「だぁーって、ティアがライバルじゃ勝ち目ないじゃん?
 美人で強くて賢くて、オマケにメロンちゃんだよ」
 予め用意されていた型で押した空々しい台詞を、それこそ取って付けたように口にする人形士(パペットマスター)の少女。そんなアニスに対して、ティアは困惑と当惑の思いを強くさせ、必死に掛けるべき言葉を探した。
「…アニスだって、ルーク相手に本気で玉の輿なんて考えてないでしょう?」
「えー、アニスちゃん割と本気だよー?」
 明らかに"ウソ"と分かるそれを、鼻歌と共に口ずさみながら、綿菓子のようなツインテールをふわふわと揺らし、アニスはてこてこと歩き出した。
「アニス?」
「そろそろ、買い物に戻ろう。
 イオン様を何時までもナタリア一人に任せてるわけにもいかないしさ」
「…ええ、そうね」
 それ以上の追及は許さない、と無言の拒絶に弾かれて、聡明な第七音素(セブンスフォニマー)は言葉を呑み込んだ。



 大好きなひとが、"レプリカ"だなんて。

 そんな陳腐で滑稽な恋は、
 自分みたいな屑女(クズ)に相応しい。
 ――なんて。

「……悲劇のヒロインぶって、アタシ、ばっかみたい……」

 痛みが滲む自嘲の呟きは、帝都グランコクマに満ちる水音と共に弾けて消えた。

 …レプリカへ恋する乙女(こ)は切なさ乱れ撃ち過ぎです