煉獄

第一話
裏物置へ


しとどに 濡れる夢を見る



――――――――――――――――――――


 リヴァイアスの迷走は終わらず。
 天王星へ辿り着くことも叶わず。
 闇を凝縮したような宇宙(うみ)の中を、あてもなく、果ても無く、彷徨い続けるという悪夢を繰り返す。
 正体の知れない感染症の発症という、最悪のシナリオがそこでは描かれるのだ。
 一人、また一人と、力尽きて行く学生たち。
 人が、人が、ひとが。
 まるで無造作に死んでゆく。
 パニックに陥る艦内には、死と絶望の臭いが充満している。
 ただの夢ではなく、もしかしたのならありえた未来だけに、心が騒いで締め付けられる。
 そんな、悪夢(ユメ)

――――――――――――――――――――


「作業能率が落ちてるな」
 現在、リヴァイアスの全権を掌握する尾瀬イクミは、感慨の篭らぬ声で吐き捨てた。
「……『M−03』の感染者数は既に艦内の5分の1を占めているもの、仕方が無いわ」
 得体の知れぬ黒の艦体を操船する『ツヴァイ』のメンバーの、リーダー的存在である少女が、前髪を指先に絡めながら応えた。
「更にそのうち、約半数が既に死亡しております。感染者の数も増加の一途ですし、極めて自体は深刻ですね」
 神経質そうなクルーが、その外見を裏切らぬ律儀さで詳しい解説を加える。
「また、付け加えるなら感染者の死亡率はほぼ100%ですね。
 いまだ感染ルートすら特定できない現状では感染者の隔離以外に手立ては考えられません。早急に彼等の区画を封鎖することを提案いたします。これ以上の被害の拡大を抑えるための、最良の手段だと私は確信しております」
「! ヘイガーッ! それじゃあ貴方は熱病に苦しめられる彼等を見捨ててしまえと!?」
 感情的になり、ユイリィは思わず強い口調でヘイガーを責めた。
「……私とてそれが良い方法とは思いません。しかし、このままでは艦内にいる人間全員が全滅です。
 他に、手だてがあるのならそうしましょう?」
「………ッ、それはっ!! ………、………でも、……ッ…!」
 言葉につまり、俯き加減に両肩を震わせる少女へむかい、ヘイガーはうっすらと蔑笑浮かべた。
 どれほど優秀な能力の持ち主であったとしても精神(こころ)がそれに追いついていかなければ、人を動かすには足らない。
 緊迫する艦内を統治するにあたって、優しさや思いやりはもはや無力。有無を言わせぬ力を持った、時に冷淡残酷な支配者こそ必要なのだと。

「解決法が無いのなら口出しを控えていただきたい」
「………そうね、ごめんなさい」
 ヘイガーの意見に納得したわけではないのだろうが、たとえそれが辛辣な言いようであったにしろ、相手の言い分に正当性を認めてユイリィは短く謝罪した。
 危機的状況におかれる今、心根の優しい彼女の意思は黙殺されていた。
 ユイリィ自身も痛烈にその事実を感じているのだろう。己の無力さから言いようの無い虚無感に襲われ、ただ俯くしかない。
「…話が逸れましたが、私は感染者の完全隔離を提案いたします。いかがなさいますか」
 王者へ向かいヘイガーは伺いを立てた。その眼差しは何処か確信めいていて、己の正しさに一片の疑いも無い奇妙な晴れ晴れしさに満ち。否定されるとは露とも思わぬ傲慢さが如実に現れていた。
「………わかった、検討しよう。早急に隔離計画を立てて俺に話を回してくれ」
「わかりました。本日中に計画を提出いたします」
 誰一人として異論を挟むこともなく、感染者隔離に対する計画は発案を促された。
 ただ、何処までも人の尊厳を絶対視する少女だけが、諦めにも似た吐息と共に尾瀬の名を呼んだ。
「………尾瀬くん……」
「理解してくれなんて言わない、納得できないならそれでもいい。今はこれが最善なんだ……!」
「……………」
 苦悩を滲ませた決断に、ユイリィは言葉を失い迷いに潤む瞳を逸らせた。
 最善の選択だと言い張られたなら、返す言葉も無いのだから。
 ギリギリの選択が重く圧し掛かる。
 宇宙空間における閉塞された空間リヴァイアスで、沸き起こった最悪の厄災を前に、人は―――、ただ、無力だった。

 
――――――――――――――――――――


『 甘い 香り 』


――――――――――――――――――――




 闇深き海をゆく弧艦リヴァイアスを統治する絶対者は、いまや右腕のような位置にいるヘイガーの立案した隔離計画の概要に目を通していた。

 夕食が済み、仕官部屋の一室での風景だ。他のツヴァイ・メンバーはブリッジで作業に追われている。この場には、尾瀬とヘイガーの二人しかいなかった。
 王国の支配者は片肘をつく姿勢で、ぼんやりとデータを流してゆくが、その眼差しには果ても無い深淵が広がっている。
「…発病者の看護をキャリアに任せる、か?」
「はい、その通りです」
「………キャリアはどうやって見分けるんだ」
 至極最もな疑問に、ヘイガーは相変わらずの鉄面皮で。
「キャリアには痣が現れます。丁度、耳の後ろ辺りの首筋にうっすら赤い斑点が、極小範囲に現れるのです。
 無論、この事実は隠蔽しておきたく考えております。このような情報が出回れば、艦内はますます混乱するでしょうから」
「……分かった、後はお前に任せる」
「はッ、承りました」

――――――――――――――――――――


 感染者隔離計画は立案から二日で施行され、キャリアともども感染者は隔離スペースへ押し込められたのだった。
 建設途中で放り出されたカンの強いリヴァイアスの、特に整備が満足になされていない区画に謎の熱病を発症した人間を押し込め、さらにキャリアにはその看護を任せる。
 しかし、看護をするキャリアたちとて次々と倒れ行くのだ。
 七日ほどで、政策は行き詰まった。

「ヘイガーッ! 彼らを見殺しにする気なの!? 今すぐ、隔離計画を廃止して!!」
 声高に政策を批判するのは、頬を怒りに紅潮させる少女だ。
 普段はどちらかと言えばおっとりとしている彼女だけに、その感情の爆発は激しいものだ。
 ブリッジ・クルーの『ツヴァイ』たちは、固唾を飲んで事の顛末を見守っている。
「……その討論でしたら、無駄ですね。私一人が決めることでもないでしょう。第一、感染者の隔離には貴女とて一応の同意を示したはずでは?」

「状況が違うわ!! キャリアの子たちも次々と発病してるのは貴方だって知っているでしょう!!」
「でしたら、逆にこちらからお聞きしますが。彼らを救ったとして、感染者の増大はどうしますか? 第一、健常なクルーは彼らの開放を望まないでしょう」
「ッ! どうして、っどうして貴方はすぐそうなの!? 私だって判っているわ、感染者である彼らを隔離ブロックから救出することで感染の拡大を招くことぐらい!!
 でも、だからって見捨てるなんて!! 何か方法はないの!!?」
「ありませんね、感染源の特定、もしくは謎の感染病の正体が判別したのなら対処のしようもあるでしょうが、現状では打つ手は皆無です」

 ユイリィの訴えを無情にも切り捨てるヘイガーだが、彼を責め、少女を弁護する人間は誰一人としていないのだ。
 孤立無援の状況におかれて、しかし屹然と少女は抗議し続ける。
「無いんじゃないわ、貴方は最初から彼らを救おうとする思考を放棄してるのよ!
 初めから考える気がないのに、何も思いつくはずが無いでしょう!? どうしてっ、………どうしてッ!! 貴方だけじゃない、皆もよ!!」
 知的な美貌を苦痛に歪め、少女はブリッジの人間全てを誹謗した。
「誰か一人でも、感染者隔離計画の全貌を把握している!? 封鎖区画の近くまで足を運んだ!?
 自分に関係が無いと目を逸らせてばかりで!! 今、この問題を先送りにしても、必ず同じような事が起きるわ!! その度に少しずつ人間を切り捨ててゆくの!? いつか、自分自身が見捨てられる側になるまで!!」
 胸のうちに秘めていた不審と不満を一気にぶちまけ、肩で息をつくユイリィ。彼女の悲痛な訴えに、ブリッジ・クルーは一様に口を閉ざし顔を背けた。
 触れて欲しくない部分。誰もが、うすうすと感じてはいながら禁忌としてきた闇へ、疑問を投げかける彼女の存在は、ブリッジの人間全員にとって邪魔でしかない。
「……話にもなりませんね。そんな感傷的でどうしますか、艦長。
 立派な道徳的口上も構いませんが、現実的な解決策をこうじてからにして頂きましょう。第一、現在リヴァイアスを統括されているのは、尾瀬イクミです。彼へ今の言葉を聞かせてはどうですか?」
「…………ッ!!」
 心が、通じない。
 ユイリィは絶望に打ちひしがれて、それでも決して涙は見せるまいと気丈さを保つ。
「……わかりました、直接、彼へ話すわ!」
「是非、そうされてください。こちらは貴女のくだらない話をいちいち取り合っていられるほど暇ではないのですから」
「……。ヘイガー、ひとつ言っておくわ」
 最後まで慇懃無礼な厭味さを貫き通すクルーへ、少女は哀れみすら感じさせるそれで吐き捨てた。
「自分の行いというのは、必ず巡って手元へ戻ってくるものよ」
「…肝にめいじておくとしましょう」
 つゆとも思わぬ素振りでうそぶくクルーを忌々しく感じ、少女は身を翻したのだった。

――――――――――――――――――――


蝕んで ゆく


――――――――――――――――――――


 リヴァイアスの荒廃ぶりは、思わず息を呑むほどの有様だ。
 感染の恐怖に脅えきり、見えない明日の中で、隣人すら信じられずに。
 ゆっくりと、ゆっくりと、壊れてゆく何か。
 失われてゆく、何かとても大切なもの。
 そんな惨劇の渦中にあって、真白なままの精神を保つ少年がいた。

 ――……相葉、昂治。

 茶金の髪も柔らかな、華奢な体躯の幼い顔立ちの少年。
 十人が十人とも口を揃えて可憐だと述べるであろう風貌は、相手に警戒心を抱かせないほんわかさに満ちているのだ、が。
 今、彼の表情は強張り双眸は暗い光が灯っていた。
(……間違ってる、こんなことがあっていいはずがない! イクミに、イクミと……話をしないと!)
 『M-03』は猛威をふるい、感染者の隔離までが強制的に施行されるまでとなった。
 隔離計画と言うのならば聞こえはよいが、ただ感染者たちを押し込めているだけだ。食料の供給などは今のところそれなりの状況のようだが、結局は感染者たちを『見捨てる』というのが計画の本質。
 しかし、健康な者は誰一人隔離計画に異論を挟まない。――…挟めない。
 感染症という、密閉された空間において最も恐るべき脅威の一つを前に、甘い人道など説いている場合ではないと気づかされる。
 下手をすれば全滅…、決して他人事ではない恐怖に二の足を踏む彼等を誰が責められるだろうか、とも思う。仕方がないと、割り切ってしまえば楽なのに。
(……それでも俺は…、こんなのはイヤだ。
 みんなで話し合えば、助かる道だって見つかるはずなんだ。一人じゃ駄目だ……一人で全部背負わないでくれ……)
 迸る狂気に我を失う親友の、しかし、覇者でありながら常に苦渋に満ちた表情は、彼が苦痛に耐えている証拠だ。
 人が死ぬのは、嫌だと。
 見知らぬひとの命にまで、涙を流してみせた友が、今果たしてどのような心情でいるのだろうか。思いを馳せたのなら、胸が締め付けられるようだ。
「……イクミ」
 似合ってなんかいない。
 似合ってなんかいないのだ、あんな姿なんて。
 憎まれ口や軽口ばかりを叩いて、正体を悟らせない、まるで秋空の雲のような彼。飄々と人生を送る姿。たとえ、それが偽りだったとしても。昂冶にとってはそれが、本当の『尾瀬イクミ』だ。
「…悪役なんて、全然似合ってないんだよ。馬鹿イクミ……」
 どうにかして、会って、話をして。
 自分にそんな能力(ちから)があるかなんて、思っていない。でも、それでも、この場所で無力さを嘆いているよりは行動した方がずっといい。
 ずっと――…。
「昂冶」
「!?」
 ふいに、懐かしい声で名前を呼ばれて。
 昂冶は弾かれたように顔を上げて、その方向へ視線を合わせた。
「………イ、クミ?」
 余りに長い間、彼との再会を願っていたせいで、いざ目の前に現れた少年を幻ではないかと一瞬惚ける昂冶に、覇王は依然と少しも変わらぬ微笑みを浮かべた。
「…久しぶりだな、昂冶」
「――イクミ……」
「偶然だよな、こんなところで会うなんて。何ぼうっとしてたんだ?」
「………イクミ、こそ。どうして…、こんなとこまで……」
 突然の出会いに、巧く思考が回らない。やっとのことで会話を成立させるが、しかし、なんとも継ぎ接ぎだらけだ。
「ああ、俺? 隔離計画の実体把握ってやつかな。ヘイガーに任せっきりだったから、どうなってるかきちんと見とかないとだろ」
「!」
 『隔離計画』。
 その、言葉に強く反応を返して、昂冶は息を詰めた。
「イッ、イクミッ!!」
「…何?」
 優しげで、人当たりのよい印象はそのままで、けれど。
 どこかで、小さく彼の歯車が軋んでいる。
「隔離計画のこと、考え直してくれないかッ!?
 実態を見てくれれば判ると思う、こんなこと続けてちゃ駄目だッ!!」
「…考え直す、って。昂冶、仕方がないだろ。他にいい方法がないんだ。誰も、こんなこと望んでないことは分かってるさ。けど、――誰かが憎まれ役をやらなきゃいけないんだから」
 淡々とイクミは語って聞かせた。
 その言葉は暗く冷えて、まるで湖底から夜空を見上げるような現実感の無さ。
 意外なほど尾瀬は冷静で、落ち着いている。
 それが、何故か不気味ですらあった。
「けど――…、イクミ!! 何か別の方法を探そう、今のままじゃみんな駄目になるッ!!イクミ、お前だって!!
 たった一人で400人からの人間を守るための選択を任されて、変にならない方がおかしいじゃないか!! もう一度みんなで――…」
「煩いッ!!!!」
「……!?」
 火花が目の前で散るような錯覚を覚える程に激しき拒絶。迫力に呑まれて思わず口をつぐむ昂冶へ、かつて親友だった少年は狂気めいた嘲笑を端正な造りの顔に張り付け、まるで見も知らぬ人間(ひと)のよう。
「他に方法があるかよ!! みんなで話し合う!? 悠長な話だよな、その間にどれだけの人間が死ぬ!? なぁ、どれだけ死ぬんだ!!?
 誰かがひっぱらないと駄目なんだよ、じゃないとみんな死ぬ!! 死ぬんだ!!!」 
「……イクミ…」
「それが、俺だっただけのことだ。昂冶、お前は口を出すなよ。出すんじゃないっ!!」
 切迫し、既に人格すら変えつつある親友を前にして、昂冶はその迫力に呑まれた。
「……話はそれだけだな。なら、俺はもう行く」
「っ、ま、待っ…!」
 拒絶しか感じられない背中を向けられ、昂冶は瞬間的に手を伸ばし、少し痩けた腕を掴んで止めた。
「…まだ何か用かよ」
「――…っ、…イク、ミ……」
 言葉が、まるで茨のよう。
 無数の棘が、受け止める小柄な少年の心を傷つけると同時に、言葉を吐き出す覇者の少年の気持ちすらズタズタに引き裂く。
「手、はなせ。隔離計画のことなら、俺には話すことはない」
「…イク、ミ…、たのむっ……から」
 弱々しい声、微かに震える手、指先。
 強情な昂冶のことだ。
 決して涙は見せないのだろうが、それでも、きっと――…。
 ツキン、と。
 激しいそれではないが、確かな痛みが胸の奥に尖る。
 チクショウ。
 畜生、チクショウ、畜生ッ!!!

――――――――――――――――――――


貴方 ガ 好き


――――――――――――――――――――


「放せ」

「………っ」
 既に、想いは言葉を越え、胸に詰まり。
 無言のままに、ただ首を横にする親友(とも)へ拒絶を繰り返す少年。
「放せ、昂冶。俺は昔とは違う、かまうな」
「……ッ…イクミ…」
 再三にわたる警告にも、昂冶は腕を放そうとはしない。
 弱々しき戒めは、強く振り解いたなら容易に外れて落ちるのだろうが、尾瀬は何故か力づくで逃れることが出来ないでいた。
 こんな手、振り払うのなんて簡単なのに。
 イラつく。
「放せよ…」
 頭の裏側が、ザラリとした表面で撫でつけられるようだ。
「放せ」
 不愉快、だ。
「放せって言ってンだろ!!!」
「………ッぁ!」
 迫り上がる憤りに体を任せて、ままならぬ過去の友の腕を反対に掴みあげ、乱暴に捻ると冷えた壁へ叩きつけた!
 小さく悲鳴を上げ、苦痛に表情を歪める昂冶。
 友の苦しみを眼前にし、沸き上がるのは苦いばかりの後悔と、倒錯的な征服欲求。
 このまま、頼りない細腕を折ってやりたい凶暴な気分が滲み出す。
「……イ、クミッ…、痛ッ…ァ!?」
 哀願にも似た声色で突然の暴挙の理由を問おうとする昂冶は、しかし、更に捕らえられた右腕を強く捻られて喘いだ。
 骨や筋肉の軋む音がして、全身の毛穴から冷たい汗が噴きだす。
「今後、俺のやることに、一切口を挟むな…」
 無理な姿勢をとらされる昂冶の耳元へ、脅しめいた台詞が吐かれた。
「………!」
 息もつけぬほどの苦痛を与えられ、なお、昂冶はイクミの言葉へ肯定の意を示すことはない。
 そう。
 厭だ、と。
 お前の言葉は、きけないと。
「……そうかよ…」
 なんなのだろう、とてもいい気分だ。
 高揚する感情のまま、萌える若葉の眼差しを狂気に染めた覇者は、口端に己すら意図せぬ微笑をのせて、腕に、
 力を、――…。
 …………。
「昂、じ…」
 腕が、力が、弛まる。
 本来の方向とは逆へ、限界まで捻られていた筋肉はふいの解放に微かな痺れを残し、元来の位置へと戻る。
「イクミ…?」
 未だに関節が悲鳴を上げる腕を、片方のそれでさすりあげ息をつく少年は、躊躇いがちに友の名を呼ぶ。
「……?」
 何かに目を奪われ、そのまま凍り付くイクミは、昂冶の声すら届かぬ様子で一歩、後ろへ蹌踉めいた。
「…………話」
「え…?」
「聞くから…、ついて、来いよ…」
 突然の譲歩。
 けれど、何処か遠くへ視線を彷徨わせる親友の様子が、昂冶を躊躇させた。
「……イクミ? って、ちょ、痛ッ!」
 小首を傾げて見上げてくる少年を、覇王たる存在、尾瀬イクミは有無を言わさずに連行する。
「いいから来いッ!」
「………っ」
 本来の尾瀬イクミは、相手の意志を無視し強行に物事を押し進めるタイプではない。どちらかというと、中庸を好み。白黒をはっきりさせるよりも、のらりくらりと受け流す性質をしている。
 今の『尾瀬』は明らかに異常であった。
 下手に逆らうことは得策ではないと判断し、昂冶は黙って従った。

――――――――――――――――――――