煉獄
第二話
おいて 逝かないで
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栗色の長い髪を可愛らしく高い位置で結わえた少女は、知的な容姿を必要以上に強ばらせてブリッジ・クルー専用区画の通路で壁にもたれ掛かっていた。
深く思索する姿は何処か悲哀を漂わせ、瞳は決意を秘めて揺らめいていた。
かえようもない現実。
はなれてゆく心。
みえない明日。
何もかもが、恐くて仕方がない。
それでも、足を止めるわけにはいかないのだ。
陳腐な使命感や手前勝手な正義感などではなく、たぶん、そう。
これは――…、
「………バカみたい、あたし。」
これは。
「ホント、バカよね……」
女の意地、のようなものだ。
命を懸ける程のモノではあるまい、自身のことながら嘲る気持もまた持ち合わせている。けれど、この馬鹿馬鹿しい片意地を張ることをやめてしまえば、二度と立ち上がれない予感がするのだ。
なんて、安っぽいのだろうと、嗤ってしまう。
「それでも。あたしが、あたしであるために、あたしは…」
意地を張り続けるのだ。
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ふたつ。
足音が反響して、こちらへ近づいてくる。
ユイリィ・バハナは、確信をもって視線を上げた。
この先の通路には、ある人物の部屋しか無いのだから。用のない人間が易々と立ち入るとも考えにくかったし、唯一、覇者の彼へ取り入ろうと算段する男は未だ就業中のはずだ。
連れだって、というよりは。
一方的に連行されるような足取りが多少気に掛かったのだが。
少女はこれからの対決に心が占められ、何事をも頓着できぬ状態であった。
なので、尾瀬に引っ張られるようにして歩いてくる、茶金の髪も印象に優しい少年を目にした驚きは相当のものであったのだ。
「………!?」
ポカンと口を開けて二人を見入る少女を、尾瀬はただ視界から抹殺し。昂冶は複雑な表情で視線を流す。
「! ま、待って! 尾瀬くん!!」
そのまま眼前を通り過ぎる覇者へ、慌てて少女は声を掛けた。
折角の一大決心。
一世一代の覚悟でここまでやってきたというのに、その大舞台。相手に無視されて終わりではあまりというものだ。
「………なんだ」
聞く耳持たぬとばかりの態度だ。
背中を向けたまま、拒絶ばかりを如実にして一応の返事をしてみせる尾瀬へ、ユイリィは二の口が告げられなくなってしまう。
「行くぞ、昂冶」
「え、……でも」
「いいから、来い」
「……っ、ゴメン、イクミ。直ぐ部屋に行くから、ちょっと先に行ってて」
どうしても、何事か言いたげな少女の存在が気がかりとなり、昂冶は願い出る。
「………」
相変わらず、尾瀬は背中を向けたままだ。
昂冶の言葉にちらりと一瞥をくれると、十分だけだ、と短く言い残して士官部屋へと姿を消した。
狂気の虜となった少年の存在が失せ、壊れたリヴァイアスで正気を保つ二人はどちらからともなく、安堵の吐息をついた。
「……お久しぶりです」
ぺこり、と。昂冶は律儀に頭を下げる。
「えぇ、本当に」
ユイリィの方も、久方ぶりの『会話が成立する相手』との再会に心が踊っていた。
「時間があまりないし、手短にしましょう。
イクミに何か話があるんじゃなかったんですか…?」
「…うん、隔離計画について。直接直談判しようと思って、けど、…取り込み中みたいね。相葉くんは、どうして?」
「俺も、同じです。
今のシステムについて、イクミに考え直して欲しくて…これから部屋で話すんですけど、どこまで通じるか自信、無いんですけどね」
「そう、…でも危険じゃないかしら、その……友達の貴方にこんなこと言うのは憚られるのだけど、今の彼は……」
語尾を濁して、ユイリィは昂冶の反応を伺う。
言外に、少女が危惧する可能性を察して、可愛らしい顔立の少年は何とも微妙な表情で言葉を詰まらせる。
「…ごめんなさい、やっぱり言うべきじゃなかったわ…」
聡明な少女は直ぐに己の失言を取り消すべき謝罪を重ねたが、昂冶はゆっくりとかぶりをふった。
「いえ、貴女の言うとおりですから。
ただ、何と言って返せばいいのかが判らなくて…すみません」
「ううん、私が軽率だったのよ」
互いに非礼を詫び合う、なんとも美徳的な光景だ。
「じゃ、そろそろ。イクミが待ってるから…」
「えぇ、わかったわ」
頑張れという、激励も。
気をつけろという、警告も。
彼女は言の葉とすることはなかった。
その、どちらも結局は昂冶の負担となり心を痛めつけるのだと、そう、感じたからだ。
ふいっ、と、背中を向ける少年。
と、少女は見送る視線の先に、あるモノを発見した。
――…首筋の、赤い痣。
まるで、小さな花がそこに咲いているような風情で、明るい照明の元、さらけ出していたのだ。
あれは。
そうだ。
ヘイガーが、あの潔癖性で神経質なクルーが、一応艦長という立場にある事で、伝えた重要事項。
感染者――…、『M−03』のキャリアの証!!
「………!」
士官部屋へと消えてゆく少年の姿を目端に捕らえると同時に、ユイリィはへなへなとその場に崩れ落ちた。
「……そんな」
頬を、暖かいモノが伝ってゆく。
「……………ねぇ、あんまりだわっ…」
沢山の感情がないまぜになり、ただ、溢れ出す涙を留める術が見つからなかったから。
「………あんまりよ」
少女は、力無い呟きを繰り返したのだった。
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『 翼を 引き千切って 』
「話、なんだったんだ?」
先へ士官部屋でくつろいでいた親友は、昂冶へ、そう訊ねた。
気になるくらいなら話をちゃんと訊いてやればいいのに、と、感じずにはいられないのだが、口に出すのは躊躇われる。
「うん、……」
慎重に言葉を選ぶ様子に、イクミは面倒そうに瞳を閉じた。
「システムについてだよ」
端的に答えれば、そう、との更に短い返答だけ。
「座れよ、昂冶。珈琲、飲むだろ」
あごをしゃくって自分の前に二つ置かれたカップを指すイクミだ。
どうやら、多少は落ち着いてくれたらしいと、ほんの少しの安堵を覚える昂冶の。その心の動きを感じ取って、狂気に堕ちた覇者は薄ら笑いを浮かべた。
「………」
親友(とも)にすすめられるままに心地の良いクッションのソファへ腰掛け、香ばしい芳香を漂わせるカップへ口を付ける。
久方ぶりの珈琲は、苦みだけが舌の根に残り、味を楽しむ余裕も無いのだが。
「あ――あのさ、久しぶり…だよな」
「あぁ、随分。口もきいてないよな、俺達。
別に喧嘩したわけでもないのに、可笑しいよな…」
「……でも、イクミ。怒ってただろ、あの時」
「? なんだっけ?」
「……覚えてないならいいよ、リフト鑑での事だけど…」
「あぁ、あれ。別に、もう気にしてないぜ。
だいたい、昂冶が無断で持ち場を離れて連絡も取れないような状況になるって事自体、異常なんだよな。何かあったんだろ。
あの時、俺も冷静じゃなかった。だから、お前ばっか責めてさ…悪かった」
ふんわりと微笑む親友の、その笑顔がまるで氷の面のようで。
「………イク、ミ?」
薄っぺらな言葉の裏に潜む、暗い感情。
繊細な少年は、敏感に友の変化を感じ取って、じりっと気持ちが後退した。
優しい言葉を掛けて貰っているはずなのに、酷く、恐ろしい。
「話、あるんだろ。昂冶」
深い色合いの珈琲を味わい、ゆったりと言う相手は、既に過去の友の姿とは似てもにつかない。
「あ、あぁ…」
落ち着かない様子で幼い顔立ちをする少年は、咳払いをする。
「さっきも言ったと思うけど、システムについて考え直して欲しいんだ。
隔離計画について、今のままじゃ何もかもが破綻する……て、?」
俯き加減で己の意思を伝えていたので、親友の接近に気がつかなかった。ふと、落ちた影に昂冶は不安に濡れた瞳を上げた。
「………? イクミ……?」
無表情で、猫ッ毛の少年は見下ろしてくる。
「…………っ?」
すい、と。
首筋を撫でる冷たい指先に、昂冶はビクリと身を竦めた。
「イ、イクミッ? ………なに?」
「気分はどうだ」
「?」
威圧的に言い放ってくる友の姿へ、昂冶はただ戸惑うばかりだ。その、意図する所を測ることが出来ずに、困惑の表情で揺れる瞳に狂気に濡れた友人を映し込む少年。
「隔離される人間にはキャリアも含まれてるって知ってたか、昂冶」
「!?」
初耳だとばかりに顔色を変える少年へ、イクミは淡々と言葉を綴る。
「知らなかった、よな。そんなこと。」
そう、一般公開されている情報では、隔離されているのはあくまで発症者だけだとされている。皆、その情報を信じ込み、いや、誰もが真実を暴くことを懼れ、目を背ける余り作為的に流される情報を盲目的に信用してしまうのだ。
「でも、………どうやって…」
キャリアを見分けているのかと。当然、沸き起こるべき疑問を口にする昂冶へ、イクミは壊れた笑顔を向けた。
「立てよ」
そして、ただ一言の命令。
「………?」
言われるがまま、素直に立ち上がる茶金色の髪をした少年。
が、――?
「―――…?………っ、…? …??」
どうしたことか、足腰に力が入らない。
わずかに浮いた腰が、ぽすん、と、間の抜けた音と共にスプリングへ沈み込む。
「……あれ、?」
始めは、訳も分からず混乱するだけであったのだが、次第にそれは足下をすくう恐怖へとすり替わる。
友は、うっすらと嗤って、嗤い続けているから。
「………っ?」
縋る瞳で親友を見上げれば、当然とばかりに表情を不敵に歪める。
「その珈琲にさ、コイツを仕込んどいたんだよな」
言って、片手に握り込まれたピンク色の小瓶を見せるイクミに、昂冶は顔色を無くした。
「ッ、どういうつもりだっ、イクミ」
精一杯の虚勢で声を張り上げるが、リヴァイアスの覇者は涼し気な顔でいる。
今の尾瀬は普通の精神状態ではない。先程の綺麗な顔をした少女が仄めかした通り、何をしでかすか、全く予想もつかないのだ。
それこそ、狂人紛いの行いを採ったとしても可笑しくはない。
飲み物に毒物を仕込む、今この事実だけでそれは十二分に確認できた。
無意識のうちに昂冶の細い躯が震える。
答えを待つ、この沈黙がもどかしい。
「……っ、イクミ……」
何事かを請うかのような力無い声で非道を行う友人を呼べば、酷薄な笑みを張り付けた表情が間近に迫った。
「っ、?」
驚きに目を見開く昂冶へ、絶対的な権力を掌握する覇者は微笑みながら言う。
「俺をおいて行くな」
「?」
さわり、と。
首筋の辺りを酷く優しげになぞられて、哀れな獲物は身震いした。
「………おいていかないでくれ、頼むから、なぁ。
俺を一人にしないで……」
――――――――――――――――――――
ねぇさん。
カシャン。
友の異常に圧倒されていた昂冶は、小気味のよい金属音に現実へ引き戻された。我へと立ち返って目に映るのは、右足首へ無粋に飾る無骨な金属銀の輪。
いわゆる、手錠というものだ。
警察機構で使われているものにしては、随分と鎖の部分が長いようだが。
「…………なに」
一瞬、状況を把握出来ずに呆ける昂冶へ、イクミは手錠の先をこれ見よがしに虜囚の目の前で振り子のように動かし、長い鎖を見せつける。
繋がる先には、やはりアルミ製の輪。
それを、イクミは殊更大きな音をたてて部屋に備え付けのベッドの縁へと噛みつかせる。
「………」
呆然としている囚われの獲物に向かい、尾瀬はゆったりとした声音で宣言する。
「これで、もう何処にもいけないよな…昂冶?」
「……………、イクミ……?」
現実感の希薄な現実(いま)を、自覚出来ずに繋がれた虜は目を瞬かせた。
「ずっと…ここにいてくれな」
にっこりと。
無邪気に笑い掛けてくる親友が、空恐ろしい存在となり果てた事に気がつくのに、そう時間は掛からなかった……。
――――――――――――――――――――
不当な拘束を受けてから、おおよそ三時間ほど経って。
麻痺のとけた頭で状況を把握した昂冶は、洒落にならない状況に慌てふためいた。
カチャン、ジャラ…。
無駄だと知りつつも、囚われの身となった少年は思い切り鎖を引く。
鎖は虚しく綺麗な音を響かせるだけで、一杯に張ってそれ以上はびくともしない。分かり切った結果ではあったが、それでも昂冶は抵抗をせずにはいられなかった。
「……このっ…」
力がないから、という問題ではないだろう。なにせ、鎖の先はベッドの頑丈な縁へと取り付けられているのだから。これを外そうとするなら、何かしらの道具を利用するしかないが、如何せん生活感に乏しい部屋にめぼしいモノは何もない。
「っ、このっこのっ! 外れろって!!」
乱暴に叩きつけてみても、引っ張ってみても、そんなことでどうか成る程のものではない。それでも、なんとか試行錯誤を繰り返す。
昂冶をこの場所へこういう状況に追い込んだ張本人は、今は部屋を出て何処かへ。再び、性質(タチ)の悪い薬を仕込まれても困る。逃げ出すのなら、今がチャンスだとばかりに暴れるのだが。
足首や掌に赤い痣を残すばかりで、頑丈なベッドはびくともしない。
なにか、鍵開けのような特技でも持っていれば如何ともし難い現状から抜け出せるのだろうが。それこそ一市民として、善良に恙なく生きてきた青少年に、そのような特殊技能が備わるはずもない。
「…ダメか……」
参ったとばかりに、昂冶は溜息をついた。
床にへたりこみ、ソファに頭を沈み込ませる状態で思考を巡らせるのだが、何一つ良い案が浮かんでこない。
(…………イクミ、変だったよな……)
もとより、かつての友人の変貌には心を痛める所であったため、全く異常を感づいていなかったと言えば嘘になる。
が、しかし、薬まで使って自分を拘束したアレは、おそらく違う、と。
姿形は酷似していても、どろりと醜悪に熔けた内部はまるで違っているのだ。おそろしく危険な存在へと成り変わった少年への恐怖は無象に沸き上がる。
何をされるのか、
何をされても、
可笑しくはない。
(とにかく…ッ、この状況はマズイよな。
なんとかしてこの鎖を外したいんだけど…どっか、鍵とか、置き忘れてないかな? イクミ)
あるはずのない可能性を捜してしまう程に、昂冶は追いつめられていたのだ。
だが、そうそう都合良く大事な鍵を置き忘れなど間の抜けた事をしてしまう性質ではないのだ、尾瀬は。
(〜〜〜〜あるわけないか〜)
視線を周囲に巡らせた後、繰り糸の切れた人形のようにスプリングへ顔を埋める。
(困ったな…、どうしよう……)
考え込む昂冶だが、適度に空調の効いた小綺麗な部屋の、肌触りのよいクッション。これらに眠気を誘われて、安眠とは程遠い生活を強いられていただけに積もりつもった疲労も相まってうとうとと微睡み始める。
そう。
ここに至っても、まだ。
昂冶は無意識ながらに信じていたのだ。
友の理性と節度を、無条件に信頼していたのだ。
なので、危機的状況にも関わらず、恐怖を感じているにも関わらず、何処か一欠片の安心感を抱いていた。
昂冶自身ですら意識しない、心の奥の一欠片の感情が、少年から正しき判断力を奪う。
極度の緊張による疲労も相まって、虜は無防備にも眠りについたのだった。
――――――――――――――――――――
再び、昂冶が目を覚ました時に。
テーブルの上には、一般クルーとして配給を受けていた時よりも数倍豪華な食事が並べられていた。スープや汁物などはよく温めてあり、その芳香に誘われるように少年は目覚めたのだ。
そして、自覚する軽い空腹感。
「………食べていい、ってことかな」
肝心のイクミの姿が見えないだけに、昂冶は躊躇する。
一方的な暴力ともとれる行為を受けていながら、少年は下手に頑なとなる事はなかった。これが、見も知らぬ悪漢ともなれば話は別だが、どんなに変わろうとも相手は『尾瀬イクミ』なのだから。
意固地になるのはバカバカしい。
断食なんて真似は、自らの体力を削るだけだ。
その行いで誇りを守ることとなるのなら、それはそれで尊ぶべき行為であろうが、誇りなどという大層なレベルの問題でもない事であるし。
親友(ともだち)の我が儘。
イクミの暴走ぶりは、未だ昂冶の認識としてはそれくらいのものである。
「……いいよな、別に。……まさかまた、変なモノ仕込まれてることもないだろうし」
言い訳めいた一人事を零しつつ、昂冶は食事に手をつけた。
スプーンを取り上げて、ちりっ、と掌に僅かな痛みを感じて顔をしかめる。
「?」
見れば、先程散々に抵抗した痕。
鎖状に痣となった赤い部分は表皮が擦れて、なんとも痛々しい限りだ。
(こういうのって、自覚すると痛いんだよな)
傷口に触らぬように、指先を使い、昂冶は食事を済ませる。
そうして、とりあえずの空腹を満たしてしまうと。殺風景な部屋で、手持ち無沙汰に捕らわれの身となった少年は軽く溜息をついた。
気がつけば、自分の荷物が運び込まれていて、その行動の素早さに感心すると共に、イクミの暗い意思に気がつかされる。
そう。
全ての荷物をこの部屋へ移したということは、おそらく、あの精神破綻をきたした友人はここから獲物を逃がす気はないということだ。
「………なんなんだよ、もぉ」
ここまで相手が本気だとは予想していなかっただけに、気が滅入る。
だいたい、こんな真似をする原因が全くもって理解不能だ。いきなりなのだから、一言の説明もないまま、この場所へ拘束されて今に至る。
第一、自分はそもそも、友を説得するためにここへ来たはずではなかったかと、少々情けない思いがする。一体何がどうなったなら、今のような状況へ追い込まれるのか。
「様子…みるしかないか」
下手に相手を刺激するのは得策ではない。
昂冶は長期戦を覚悟して、腹を括る。
と、ここ何ヶ月かの宇宙生活において耳慣れたエアー音と共に、一人の少年が現れる。
「…イクミ」
時刻を知る手だてが何一つ無いので、正確な所は不明だが、半日ぶりだろうか。友の姿に、微かに名を呟く昂冶。
「……よォ、昂冶。大人しくしてたか?」
猫なで声で、まるで小さな子をあやすような友人の言い様。
昂冶は嫌悪も顕わに、憤慨した。
「イクミッ、なにが『大人しくしてたか』だよッ!! どういうことだよ、これ!! 今すぐ放せよ、変な冗談止めろよなッ!!」
ガチャガチャと、激しく鎖を鳴らして抗議すれば、親友(とも)の顔色が変わった。
「!! 昂冶っ、ダメだろ!!」
駆け寄って、暴れる少年の足首を捕まえる。
「っ、放せよ!!」
「あぁ…ほら、暴れるから痣になってる…。
ダメだろう、昂冶。大人しくしてなきゃ、傷になるだけだぜ」
昂冶の言葉など聞いてはいない。いや、聞こえていない。
無意識に己に都合の悪い台詞を意識外へ弾き飛ばしているのだろう。
「――なら、放せよこれッ!! 何考えてんだ、イクミッ!!」
ぎゃいのぎゃいのと騒ぎ立てる昂冶は、無体な真似をする友人の肩をぐいと押して、自分の前から除けようとする、が。
「ッ、」
掌の傷のことをすっかり失念していて、直接肌に触れるピリッとした痛みに眉を顰め小さく呻いた。
途端、イクミは昂冶の両手をきつく掴み上げて、うっすらと血の滲む手の平を凝視した。
「…………………」
無言による沈黙が不気味さを増幅させる。
昂冶はおそるおそる、凍り付いた顔をする友へ声を掛けた。
「イクミ?」
「……………た、のか」
「? なに…?」
「逃げようと、したのか。……こうじ」
「! そ、れは……っ」
口ごもる昂冶に対し、狂気に呑まれる少年は憔悴した表情で肩に掴みかかってくる。
「なァ!! 逃げようとしたのか!? 逃げようとしたんだな!!
なんでだよッ、なんでそんな真似するんだよォ!!! なんで、お前まで俺をおいていこうとするんだよ!!?」
余りの激しさに、ビクリと大きく反応する虜囚の、その細い両肩へ縋り付くようにしてイクミは泣き言めいた台詞を吐く。
「……………………………おいていくなよぉ…………たのむから、おいていかないで…………」
「………イ、クミ…」
まるで小さな子どもが泣きついてくるかのようだ。
そこには、プライドも体裁も体面もなく、純粋なそれこそ剥きだしの心だけで。
そう、と。
柔らかなボリュームの髪を撫でれば、その手を強く握られた。
「ッ、?」
辛そうな顔をする昂冶に少しも頓着せず、イクミは虚ろに呟きを繰り返した。
「逃げる、逃げる逃げる逃げる、置いていってしまう、おいて逝く。俺をのこして、俺をおいて、みんな、俺だけが取り残されて、逝く、逝ってしまう、何故どうして逃げる、何故、俺を置いていかないで俺を独りにしないで、独りはいやだ、残されるのは嫌だ、嫌だ厭だ、イヤだ、逝かないで、逝かないで逝かないで、俺を俺を俺を―――……」
鬼気迫る様子に、昂冶は息を呑んで固まる。どうにも、横から口を挟めた状況ではない。
と――!?
急に、昂冶は体重を掛けられ毛の長い絨毯の上へ押し倒された。
突然のことに、硬直するばかりの少年へ、暗い色を湛えた瞳で狂い人はにたりと笑む。
「お前が悪いんだ……お前が……………。
俺から逃げようとするお前が悪いんだよ、昂冶…………」
――――――――――――――――――――
『 屠り 尽くそう 』
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