第三話
裏物置へ


紅く 染まって



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何もわからない、感情も、意思も、暗い渦に巻き込まれて、――ワカラナイ。


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「イ、クミ…?」
 真正面、それも馬乗りにされた状態で顔をつき合わせられ、昂冶は困惑に何度か瞬きを繰り返した。
 ちゃり、と。
 戒めが不吉な音を立ててゆれる。
「昂冶」
 虚ろな眼差しのまま、友は呟いた。生気のない顔色は青白く、何処か人外めいている。
「………おいていこうとするから…」
 だからこれは。
「お前が悪いんだ…昂冶ッ!!」
「!?」
 思わぬ力で左右にシャツを引きちぎられる、弾みで弾け飛んだボタンが床に散らばる軽い音がして、呆然とそちらを見遣ると強引に顎を捕まれた。
「……昂、冶……」
 碧の眼をにたりと笑みの形にねじ曲げ、リヴァイアスの覇者は顕わになった獲物の胸元を冷えた掌で執拗にねぶる。
「っ……」
 ひんやりとした感触に我へと立ち返った昂冶は、この、如何ともし難い異常な状況に抗議する。
「つめたっ……、って、おい! イクミッ!!
 何考えてるんだ、退けって! なぁ、イクミ!!」
 訳も分からず心が震える。理由も原因も思い当たる節はないのに、全身を得体の知れない悪寒が走り抜ける。
 逃げろ、と。
 何者かが激しく警鐘を打ち鳴らして、昂冶は咄嗟に自らに覆い被さる少年の体を蹴り飛ばしていた!
「………っ!」
 小さく呻いて背後へ腰を落とすイクミへ、昂冶は一抹の罪悪感を感じながらも目一杯可能な限り距離をとった。
 緊張と興奮のあまり呼吸を荒くするか弱い獲物とは対照的に、狩人は狂気を内包した瞳で薄く笑みを張り付けた表情で、ゆっくりと起きあがった。
「窮鼠猫を噛む、ってヤツだな」
「……っ、イクミッ、ご免っ。でも……、どうしてこんなっ……!?」
 清潔そうな白いシャツの前を掻き合わせ、澄み渡った空色を涙に滲ませ昂冶は問う。
 まるで悪夢だ。
 友を、掛け替えのない存在だと感じた親友を心の底から恐ろしいと。
「――だって、昂冶。
 俺から…逃げようとしただろ。ここに居てくれれば……俺と一緒にいてくれれば、俺もこんな真似……しなかったのに」
 したくなかったのに。
「っ!」
 じりっ、と。背後へ後ずされば、繋がれた鎖がビンと張り、肩が壁にぶつかった。
 逃げられない。
 本能が瞬間的に判断して、昂冶はイクミに向き直る。
 まるで春の息吹を閉じこめたように輝いていた二つの翠珠は、今や底の見えぬ闇がりを得て、ギラギラとしていた。
(………ダメだ…、全然っ、話が通じない……!
 逃げられないし…俺………………ここでイクミに殺されるのか…………?)

 厭だ。

 全身が恐怖に震え、膝は完全に笑っていた。
 まるで何かに取り憑かれたような狂気の存在が、ゆっくりと立ち上がる。
「昂冶」
 極上の微笑みを浮かべて、変わらぬ声音で名前を呼ばれる。
 獲物は、ふるふると首を左右にして怯えた瞳した。
 厭だ。
「来い…よ」

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『 茨の鳥篭 』


 昨日も今日も明日も、延々と続く星の海を漂う黒の戦艦リヴァイアス。
 謎の感染病が流行りはじめてからというもの、人の数は大幅に激減し、隣人が明日消え失せても可笑しくはないという異常な状況。
 そんななか。
 相葉昂冶という、一人の人間が姿を消した。
 葵色の髪をした幼馴染みの少女は、大切な人の失踪に疑問を感じ、直接ブリッジへと足を向けた。
「ねぇっ、話があるの! お願いよ、相葉祐希か尾瀬に取り次いで!!」
 ブリッジへの通路は全て隔壁によって封鎖されており、連絡手段はコンピュータかフォンのみだ。
 オペレーター業務を勤める栗色の髪の少女は、しかし、彼女の訴えを一言のみで切り捨てた。
『お取り次ぎは出来ません、おひきとりください』
「………!? どっ、どうしてよ!! なんで!?
 ちょっと話をさせて欲しいだけよ、お願いよ!! 大切な用事なのッ!!」
『どのようなご用件でも、ご本人達から取り次ぐなと言われておりますので』
 必死の形相で捲し立てるのだが、オペレーターからは通り一辺倒、マニュアル通りの断りの言葉だけ。
「ッ! アタシ、蓬仙あおいっていいます。
 アタシの名前を出してくれれば大丈夫だから、あいつ等と知り合いなの。だから……ッ!!」
『………おひきとりください、これ以上の問答は無意味ですので、通信回線を絶たせていただきます』
「っあ!」
 プツッ、という妙に電子的な音と共に、回線がシャットアウトされる。このくらいでへこたれるものかと、再度コールを試みるのだがおそらくはIDナンバーを要注意人物としてチェックされてしまったのか。アクセス拒否の警戒音が何度試そうと虚しく響くだけ。
「……もぉっ!! これじゃ……どうしようもないじゃない……。
 なんで……どうしてよ……。何処いっちゃったの、昂冶……昂冶ぃっ!!」
 一人の少女の絶望に感応して、そうして、ほんの少し。
 
リヴァイアスは、――…。


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 鎖の音。
 真四角な空間。
 清潔な白のシーツに、薄暗い照明。

 それが、

『 俺達の楽園 』


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(なんか…熱い……)
 ベッドの上、毛布に小さくなってくるまり。茫洋とした眼差しのまま相葉昂冶は気怠い四肢の異常を感じた。
 どうして――?
 幾度と無く口にした疑問は、何時も同じ答えしか導き出せない。

 オマエガ         オレヲ


「……おいて、………いこうと…する………、から……?」
 こんな事になった今でも、友……いや、既にこう呼ぶのは憚られる存在と相成った尾瀬イクミの意思は理解する事が出来ない。
 そもそも『おいていく、いかない』を論じるのならば自分の身を振り返ってみろ、と、言いたくなる。
 一人でツッ走って、暴走の挙げ句、……置いて行くなと言ってはこの仕打ちだなんて、どんな人間の出来た者でも腹が立つのは当然ではないか。
(……しんどい……)
 指先一本、動かすこともままらない。
 散々に嬲られ尽くした躰は、まるで借り物のようだ。
(……………なんで……イクミ……)
 最奥にまだ残る蜜薬の感触と、使う事を慣らされた玩具が存在を誇示している。
 始めのうちこそ嫌がっていたそれだが、陵辱者が居ない間に取り出してしまうことによって機嫌を損ない、余計に酷い目に合った。
 それに懲りたというのもあるのだが。
 何より、抵抗する気力も体力も今は失せてしまって。
「ッ、……!」
 ふいに、昂冶は躰の内に軽い振動を感じて身を固くした。
「…ぁっ……ァあ…っ」
 シーツに弱々しく縋り付き、弾む息を追う。
 内部の肉壁をこすりつけるように動くそれは、何度使われても感触に慣れないで、無理矢理昂めさせられる感覚は快楽より苦痛が先立つ。
「ン、あぁ……ひっ……ァ」
 徐々に激しくなるそれは、僅かに振動を緩めては、再び激しさを増す。
 幾度も繰り返す機械的な振動に、否応なく感じてしまう。
 そう――仕込まれた……。
「ただいま、昂冶…。いい子にしてたか」
 一方的に与えられる快楽に耐える囚われの少年に向かい、いやに爽やかな声が掛けられる。まるで、ペットを猫可愛がるような印象のそれ。
「……っ…クミッ……、や、だ…ッ。
 とめ……っ、て……」
 途切れ途切れに哀願するその媚態に満足いったのか、かつての親友は獲物を苛む振動を止めてやる。
「っ、は……ぁ」
 俯せた姿勢で力無く荒い呼吸を繰り返す昂冶の直ぐ傍まで、狂気の覇者は近寄ってその背中をローブ越しに優しく撫でた。
「ただいま……ちゃんと『このまま』でいたんだな。いい子だ」
「!!」
 言って、ぐい、と内部のそれを引き出される。
 繊細な場所を乱暴に扱われ、苦痛に昂冶は息を呑んで四肢を緊張させた。
 カツッ、と。
 取り出したモノを無造作に床へ投げ出すと、イクミは刺激にひくつくその部分に指をねじ込んで内部を弄る。
「〜〜〜〜っ、 、 …ふ。」
 慣らされた感覚。
 無理矢理に機械をくわえ込まされた時には苦痛しかなかったのが、今では甘い感覚を知ってしまった。……いや、半ば強制的に知らされたのだ。
 時間が止まったようなこの部屋で、自由を奪われた籠の鳥のように。
 思考も、意思も、ゆっくりと膿んでゆく。
「ココ、……だよな。昂冶」
 と、いつものようにその部分に行き着いた指先が、殊更その場を舐る。
「……あ、っ……ン……。
 ふ、〜〜〜〜〜〜っ。ぅ……」
 微妙な指先の動きが、先程までの機械的なモノとは違いダイレクトに弱い部分を攻めてくる。過ぎる快感に、意識が飛びそうになる……。
 じゃりっ……。
(―――っ!?)
 しかし、全てを手放して王国の覇者へ縋りつこうとする本能的な欲求を、いつも、この鎖の音が止める。
 鎖――…鈍くメタリックに輝くそれは、決してこの行為が合意ではない証。
 そして、友の狂気の証。
 流されてはいけないのだと、必死でか弱い獲物は己を保とうとするのだ。
「昂冶……」
 熱にうかされたような甘い声も。
「………好きだ…」
 まるで、心からのような告白も。
「……愛してる………」
 愛の言葉も、全ては偽りの――…。
 気持ちが千切れてしまう程切なくて、嗚咽を快楽の吐息に摩り替えた。

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『 猜疑 と 疑惑 』


 現在のリヴァイアスの覇者は尾瀬イクミではあるが、ブリッジクルーへの細々とした指示を出し、それを指揮するのは艦長である『ユイリィ・バハナ』だ。
 栗色のポニー・テールと、ほんわかとした優しい顔立ちの美少女。しかし、彼女は常に緊張に苛まれ、苦悩と苦渋に満ちた表情でブリッジに籍を置いていた。
 その最たる原因は『相葉昂冶』の行方不明。
 公に口にすることは出来ないが、彼が行方を眩ませたのは確かなのだ。
 それも――…。
「………」
 ユイリィは問題の人物をチラリと伺った。
 今も、ブリッジを重たい沈黙で支配する覇者、『尾瀬イクミ』。
 彼の元へと訪れる姿を最後に、それから一向に昂冶の姿を見かけない。感染の問題もあり、ユイリィは一度、昂冶と話を、と考えていたのだが。
 ふぅ、と。
 無意識のうちに、溜息ばかりが零れる。
 考えるべき事、成さねばならぬ事は目の前に山積みで。
 気は重く滅入るばかりだ。
 思いあぐねた少女は、ふと、ある人物に行き当たる。
(そう…だわ。確か相葉くん、蓬仙さんとかいう女生徒と仲が良かったんじゃ……)
 学年も課も違い、当然ながら親密なつき合いも無いので、今の今まで思い出さなかったのだが、そうだ、彼女が居た。
(蓬仙さんに聞けば…、なにかわかるかもしれない)
 多少回りくどいが、尾瀬へ直接話を聞くよりは余程安心というものだ。今の彼とまともに会話が出来るとはもう考えていない。
 ヘイガーが提案した『感染者隔離計画』は功を奏して、艦内は一応の落ち着きを取り戻している。そう――多くの犠牲者を踏みつけにして成り立った仮初めの平穏。
 この成功に助長したヘイガーは、より特別に尾瀬に自らを売りつけ、それを覇者たる少年自身も容認してしまっている。
 この、狂った世界を。
 どうにか――…、どうにかしなければ。

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『 救い 出して 』


 人の数を激減させたリヴァイアスの艦内、一般生徒に割り当てられた粗末な部屋に、たった一人、少女が膝を抱えていた。
 蓬仙あおい。
 快活で物怖じしない性格が魅力的な彼女は、今はもう見る影もなく。
 人知れず泣き腫らした瞳は赤く、明るい光に満ちていた瞳は何処までも沈み込んでいる。
「……あたし、一人になっちゃたな」
 同室の少女たちは、一人はある事件をきっかけにVIPルームへ移動を余儀なくされ。もう一人は事件の責任を感じて姿を眩ませた。
「――…は、もう。〜〜やだよ」
 幼馴染みの少年たちは、一人は声も手も届かない場所へ。
 もう一人は、いつの間にか行方がわからなくなった。
 その彼らと親しくしていた少年は、王国の覇者となって、遙か昂みへ。
 顔は広い方だ。他にも声を掛け合う友人はいた、その彼女たちから何度も自分たちの部屋へくるように誘われたのだ。
 それでも、この無力な少女は。
『…うん、ありがと。でも、ゴメンね』
 それでも、この気丈な少女は。
『ここにいれば、みんな、帰ってくる気がするからっ。』
 そう、悲しく微笑んで。
 思いこみだと、わかっていても。
 ここを離れたら、もう、二度と会えない気がする……。
 どうしようも、ない。
「う〜っ、もぉぉぉっ。
 尾瀬のバカッ! 祐希のバカバカッ!! 昂冶の大バカ野郎!!」
 どいつもこいつも、自分勝手の大バカバカ!!
 悔しい、あいつ等のために、泣いてなんか――やるものか。
「あの…、蓬仙、さん?」
「!?」
 バッ、と、あおいは背後を振り返る。
 無論、自衛のためのスタンガン…かつて同室だった少女が持ち込んだ防犯グッズを後ろ手に握りしめながら。
「………っ、あ……」
 しかし、少女の牙は剥かれることはなかった。
 視線の先には、戸惑いの表情でいる艦長――ユイリィ・バハナが、ただ一人立ちつくしていたからだ。
「あ、あの?」
 意外な人物の登場に、あおいは目を丸くする。
「私は…ツヴァイのユイリィ・バハナです。蓬仙さん、よね?」
「え、うん。そうです…けど」
 あおいの返答に、やっぱり、と、黒の戦艦の艦長を務める少女は安堵する。
「あのね、お話があって…。
 その、いきなりこんなこと言い出すのも、不躾だとは思うのだけど。……相葉くん、あ、昂冶くんの方なんだけど…っ」
「! 昂冶ッ!?
 昂冶は何処にいるの!? 知ってるんですか!! 教えてッ!!」
「………っ」
 冷たい床に座り込んだままの姿勢でぽかんとしていたあおいは、それまでの放心が嘘のように激昂して、ユイリィの両肩を掴んで尋問した。
 思わぬ反応と肩の痛みに、軽く栗毛の少女は顔をしかめる。
「ぁ、……ご、ごめんっ…なさい」
「いいえ、構わないわ。
 それより――そう、貴方も知らないのね」
「知らない、…あなたも…って?」
 腕を放すと、今度はその両腕を不安気に胸の前で合わせるあおいに、屹然とした美貌の少女は事情を話す。
「相葉くんの行方がわからなくなってるの、それも……」
「それも…?」
 恐れと不安を一杯に心に満たした表情で、あおいは鸚鵡がえす。
 すると、ユイリィは決して他言しないで頂戴、と。約束を取り付け。
「――尾瀬くんと、話をすると言って。
 それから姿が見えないの、とても気にかかることがあって…どうしても相葉くんに話さなければならないことがあって。
 尾瀬くんとの話が終わったら、と思ってたから。
 だから……それ以来、姿がみえなくてっ……。
 でも、もしかしたら貴女ならと思って来てみたの。相葉くんと幼馴染みだって言ってたから、行方を知ってるかと……」
 ユイリィの言葉を聞く内に、みるみる幼馴染みだという少女の顔色が青くなる。
「知らないっ……。
 あたし何も知らないっ、何、何よそれ! 尾瀬が昂冶を閉じこめてるってこと!?
 どういうこと、〜〜〜〜なによ、それっぇ!?」
 ヒステリックな悲鳴を上げる少女を、ユイリィはなんとか宥めにかかる。
「おっ、落ち着いて!
 お願い、静かにして…っ。常にガーディアンズが艦内を巡回しているわ。彼らは尾瀬くんの言いなりなの。私設警備団のようなものになってしまってる…!
 私が貴女と接触したことを知れて、……相葉くんに危害が加わるようなことがあるかもしれないわ! お願い! 黙って!」
「……………ッ、」
 思慮深い少女の説明に、あおいは声を詰め、己自身高ぶった気持ちを抑える為に自らの喉元へ爪を掻き立てる。
 凄絶な光景だ。
 気の優しい少女は悼ましそうに瞳を細めた。
 やがて気を落ち着けたらしく、王国の中心にいる少年達と近しい少女は思い詰めた眼差しをゆっくりと上げる。
「ごめん…なさい。取り乱した。
 説明してください、ちゃんと、始めから。ちゃんと…聞かせて」
「………えぇ、」
「祐希と、話は出来ますか。バハナさん…」
「ユイリィでいいわ、あおいさん」
「……じゃ、ユイリィさんでいい?」
「ええ。相葉君、えと。祐希くんの方ね。
 彼と話をするのは、難しいけど出来ないことじゃないわ。ただ、少しタイミングが難しいの。彼が一人になる機会は少なくて……」
「どうにかして、あたしを祐希と話させて欲しいの。出来ます、か?」
「ええ、私も相葉君には貴女が話をするのがいいと思うわ。
 そうね…どうにかしてみるわ」
 そうして、少女達の決死の救出の舞台は、ゆっくりと、静かに幕を開ける。
 そして――…。

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熱い


 全身が、痛みさえ伴う熱さに呼吸すらもどかしい。
 肺から灼けつく。
 救い手を求め、差し出される指先は中空を掻くだけで、力尽きる
 悪夢の感染症は、確実に、彼をも死の淵へと導き始めていた。
「……イク、ミ…」
 うつつに、名を呼べども答えの返るはずのない訴え。
 滲む視界に、最後に残ったのは――友の、……。


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黒の王国(リヴァイアス)が、……大きく軋みを、上げていた。


 
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