「 俺と 堕ちてくれ 」


裏物置へ〜♪

堕天


第一話

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 『M-03』

 黒の戦艦において、正体不明の熱病は猛威を震い。子どもたちは有象無象の恐怖と混乱の渦にあった。
 現在、眼前にする緊急事態において、リーベ・デルタの少年少女たちはかつての畏れを記憶から失おうとしていた。

 そう、蒼の覇王。

 かつて、リヴァイアスを統治した寡黙なる野心家にて、気高き君主。
 その、存在を――…。

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 いつものように、逃亡者の元へと食料を運び、触れればさらりと指の隙から流れ落ちる金茶の髪をした少年が小さく嘆息した。
「………」
 少年――…、随分と可愛らしい顔立ちをした彼が匿う逃亡者とは、エアーズ・ブルー。リヴァイアスという名の独立小国家において指名手配中の相手だ。
 指名手配、というが、それはもはや建前で。
 謎の病魔に侵される子どもたちは自分たちの身の安全の確保に頭がいっぱいで。既にかつての王者のことなどには気が回らないのが現状だ。
 以前と違い、多くの人々がM−03の感染を懼れ互いの接触を嫌うことから、人目を忍んでブルーのところへ行き来することが容易になったそれだけは有り難いのだが。
 ふぅ、と。
 またしても、薄い桜色の唇から悩ましげなため息が漏れて、蒼き逃亡者は不審を言葉にした。
「…どうかしたのか」
「ん、? うん……」
 沈み込む様子に、思わしくはない報告なのだとブルーは察した。
「……訃報か?」
「…………うん、当たり。
 今、艦内で感染病が流行ってるんだ。正体が分からなくてさ、みんなパニックになってる。『M−03』って言うんだけど……発症した全員が亡くなってる」
「伝染病、か…」
「感染経路が全く分からないんだ。
 ひとが、さ。普通に死んでゆくんだ、なんでもない風に。しぜんに。可笑しい位」
「…そうか」
 ブルーは低音の効いたそれで、ただ、頷いた。
「………ブルーは、さ。こういうの…慣れてる?」
 衝撃的な告白にも動じない少年に、昂冶は力のない疑問を投げかけた。
「――…何故だ?」
「あんまり驚かないから…」
「…流石に、こういう事態は経験したことはないがな……」
「そっか…」
 ブルーの答えを聞いて、何か愛玩動物にも似た少年は逃亡者の傍にぺたりと座り込んだ。
「ブルーって、本当に落ち着いてるよな。
 俺なんかさ、もう混乱しちゃって…どうすればいいのか……」
 忍び寄る恐怖に必死で抵抗する少年は、憔悴しきった様子で嘆息した。
「…お前は大丈夫なのか…?」
「え…、うん。
 ………わからないよ、もう俺も感染してるかもしれない…。発症するまで全然わかんないんだ。そういうのだから」
「…そうか」
 言葉が空っぽに響いて、上滑りしてゆく感覚。
 互いに、感じてはいても、どうしようもない現実がある。下手な慰めや、口先だけの希望など不快でしかないのだ。闇を見据えることもできず、だからといって光を信じる事も不可能な、今。
「あ…、そうだ。
 コレ、慰めみたいなものなんだけどさ。一応、みんなに配られたんだ。感染を少しは防げるらしい。のんどいてな」
 昂冶が差し出したのは青と白のカプセルだった。申し訳程度の包装をされた薬をふたつ、それにブルーは眉を寄せた。
「……お前の分は……」
「大丈夫、あるよ」
 意外にも、しっかりとした口調で断言する少年を、しかし逃亡者は信用しようとはしなかった。
「…人数分しか配られないだろう、こういうものは」
 鋭い指摘である。
 確かに、リヴァイアスで初期処置として配られた、それこそ気休め程度のカプセルはきっちり人数分しか配給されなかった。
 けれど――…。
「大丈夫、…もう飲んだから。
 最低限しか配られなかったんだけど、すぐ…沢山の人が必要としなくなったから。その分、余ったんだ」
 必要以上飲んでも効果は期待できないものだし、と。
 事細かに説明してみせる昂冶はうっすらとした微笑みさえ浮かべてみせる。既に、思考が麻痺してきているのか、変化に乏しい表情はまるで人形のようだ。
「とにかくさ、飲んどいてくれよな…?
 俺、もう行くから。…また来るよ…っ!?」
 言って、立ち上がる少年はその場でふらりと体勢を崩した。
「! 昂冶ッ。」
 床へ叩きつけられる衝撃を覚悟した昂冶は、だが、ふわりと重力に逆らい心地よい腕の中へと抱き込まれていた。
「……ブルー、あ、ありがとう。ごめん」
 何故か、動機を早める自分に戸惑いながら、少年は声を裏返して礼を伝える。青白いばかりの肌に朱色がはしり、虚ろな双眸には確かな感情。
「………」
 昂冶が、戻ってきたと感じた。
 遠くにあった心を引き寄せたのだと、ブルーは安堵の思いも強く、そのまま抱擁に力を込める。
「ッ、ブルー?」
 きつくなる戒めに、昂冶は喘ぐように蒼き獣の名を呼ぶ。
 丁度、左の首筋が昂冶の目線で、目に鮮やかな蒼色が視界を奪う。耳の下辺りの赤い痣が目について、綺麗な肌の無粋な紅が気に掛かる。
 そんな体勢で、少年はブルーの願いを聞いた。
「……必ず、また来い…」
「………」
 思わぬ言葉に目を見張り――、そうして昂冶は優しい、けれど悲しげな顔で。
「うん、約束する…」
 叶えられるかどうかも、判らない。
 祈りにも似た、願いを。
 胸の内に抱き締め、腕は、名残惜しげに解かれて。
 そして、わかれゆく。

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死臭。


 体中に染み込みまとわりつく陰気な暗い気配。
 黒の戦艦リヴァイアスを包み込むひとの気持ちは沈み込み、その影響を受けて人型をした神秘のスフィクスは、泣きながら徘徊を繰り返していた。
「いや、………嫌、厭、イヤ。
 怖い、コワイ、恐い…」
 人気のない通路を、可憐な声を静かに響かせながら少女は虚ろに歩む。
「ドウシテ、……どうし、て。熱イヨぉ」
 天へ向き合い、恍惚の表情で。
「な・ぜ…?」
 答えの得られぬ問いを、中空へと繰り返す。
「帰リタイ………カエリタイ」
 還りたい。
 リヴァイアスに搭乗する子ども達全てが望むこと。
 何をも犠牲にしても、皆が、帰郷を願っている。
 熱病に侵され望郷の念にかられながら死の海へと堕ちてゆく同胞(はらから)よ。
 いつ、我が身に降りかかるともしれぬ病魔を懼れ、蜘蛛の糸の上で綱渡りを披露するような、いっそ滑稽な程の生への執着。
「かえりたい」
 たった、それだけなのに――…。
 叶うことは、永劫永久に皆無としか。
 思えない。
「………還りたいッ……!」
 一際、感情高くスフィクスの少女は願いを口にした。
 両腕を、己の前へと高く突き上げて、まるでそこに希望があるかのように。
 ――…未来が、在るかのように。
 と、
「君、どうかしたの…?」
「………」
 ふいに、背後から声をかけられる。
 薄淡いスミレの花弁のような少女は、くるりと振り返って、ちょこんと小首を傾げた。
「アイバ…コウジ」
「え。」
 今度は相手の少年が、驚きに目を丸くした。
 元々幼い造りの顔に更に子どもっぽさが加えられて、なんとも可愛らしい加減である。
「…っと、なんで俺の名前…?」
「………」
 眉一つ動かさずにこちらを見上げてくる少女に、多少戸惑いながら昂冶はそれでも微笑んでみせる。
「ま、いいけど。君――って、なんかキザったらしいよな、名前教えてもらってもいい?」
「…ナマエ?」
「うん。ダメかな?」
 艦内で何度か見かけたことがあるとはいえ、それは一方的な交流で。こうして直接言葉を交わすのは始めてである。
「ネーヤ」
「ネーヤ? そっか、ネーヤっていうんだ」
 こくりと、大きく頷く仕草が何処か幼げで。
「…イタイ?」
「え? 痛い? 何処か怪我してるのか?」
 と、ふるふると彼女は首を横にしてみせた。
「ココロ、キモチ。……イタイ」
 そこで、昂冶は少女の言葉の意図する所を悟り、返答に詰まる。
「イタイ…アツイ、寂しい……」
「?」
 しかし、昂冶の答えを待たずに言葉を零し続けるネーヤに、少年は戸惑う。どこか、空虚な少女は存在感が希薄で、今にも消えてしまいそう。
「ネーヤ?」
 躊躇いがちに少女の名前を呼べば、辛うじて彼女は反応を返した。
「………還りたい」
今にも泣き出しそうな表情で、けれど、質感のないそれ。
「…そうだね、俺も、還りたいよ」
「……ミンナ、同じ」
「うん、みんな帰りたいはずだよな。
 俺の母星(ホーム)地球(マザー)なんだけど、ネーヤは…て、ネーヤ?」
「……アッチ、イタイ…」
 ちぐはぐな少女の言葉は深く謎めいていて、どうにも真意を計りがたい。昂冶はネーヤが高く差し出した腕の先を辿ると、改めて意味を問いかけるべく少女を振り仰ぐが求めた神秘の姿は、既に無く。
 真っ直ぐに延びる通路の、一体どのような早業で姿を消したのかとしきりに小首を傾げてみせる昂冶は、それでも彼女が指し示した方向を目指してみた。

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 『M−03』が猛威を震い始めてから五日過ぎ。
 リヴァイアスは更に搭乗する子ども達の数を減らし、今日も星の海を漂い続ける。心なしか、戦艦自体の能力も落ちてきているような感覚を艦長を勤める少女は感じていた。
 同僚のヘイガーや支配者尾瀬イクミによって感染者の隔離計画も着々と推し進められる最中、一人声高に人の尊厳を謳い問いかける彼女は、ついにはブリッジより追いやられて途方に暮れていた。
 多少なりとも内情に詳しい少女は、例えば感染の証の見分け方などを知ってはいるのだが、艦内の混乱を危惧する余り口を閉ざすしかない。
 たった一人きりでは、本当にどうしようもない、のだ。
「……はぁ」
 以前からの部屋割りの場所へ戻るのも危険かと判断し、彼女――…ユイリィ・バハナは人目に付きにくい場所で壁を背に膝を抱えていた。
「はぁ、……どうしようかしら」
 わからない。
 誰も傷つかないで、誰も傷つけないで、全てを解決する方法を模索していきたいのに。不可能に近いことだということ位、自分自身よくわかってはいても。そう、努力する姿勢までも無駄の一言で片づけていきたくないのだ。
 仲間だと思ったクルーからはそっぽを向かれ、
 艦の人間からは、お前が責任者だろうと後ろ指を指される。
 四面楚歌とは、このことかと痛いほど実感してしまうユイリィだ。
「惑星とは連絡がつかないし、帰還の希望はないし。『M-03』の感染源も特定出来ない。敵が襲ってくることは無くなったけど、もしかしたら今の混乱も敵が目論んだものかもしれないわね」
 考えれば考えるほどに、思考は暗い場所を空回ってゆく。
(……ブルー、どうしてるかしら)
 未だに逃亡中の蒼の覇王を思い出し、ユイリィは軽く溜息をついた。
 あの、怜悧な獣がそうそう倒れるとは思いがたかったが、今は緊急事態だ。謎の感染症に発症すれば、後は死すのみ。せめて、カプセルだけでも手渡しておきたいのだが、何処へ身を隠したのか、居場所を掴むことが出来ない。
 かつて、ブルーの権威に群がるようにしていたグループの一人である女生徒、小柄ながらも口の達者な少女がまるで憑かれたようにブルーの行方を追っていたが、その少女すら感染症に襲われたのだから、今となってはかつての王者を探し出そうとする人間はいない。
(ふふっ、……本当に、厭になっちゃったな、なにもかも、ぜんぶ…)
 滲む視界、何度も瞼を擦り上げてユイリィはかぶりをふった。
「どうかしました…?」
「っ!?」
 背後の存在に、少女は驚いて慌てて体裁を整える。
「……誰?」
 泣き腫らした顔を見られるのは好ましくない。
 彼女は精一杯の虚勢を守るために、努めて平常であろうとする。
 昂冶も薄々と少女の想いを察して、あえてなにかを口を挟む無粋な真似はしない。
「あの、俺…相葉昂冶です」
「相葉くんっ?」
 と、相手がよく見知る少年だと知った途端に、彼女はくるりと向き直った。
「あ、…ハイ」
「………」
 安堵の表情でいるユイリィに、昂冶は困惑気味に頷く。
 奇妙な間の後に、栗色の髪をした少女が薄く曇った空のような笑顔で言う。
「……変わりはない?」
「はい…」
「カプセルは行き渡ってるかしら?」
「…はい、一応全員受け取ったみたいです」
「そう」
 沈黙。
 お互いに、言葉を交わすのにも力無く。
「…あの、貴女はこんな所でどうされたんです…?」
「私? うん、ちょっとね。ブリッジの皆の反感買っちゃって、追い出されちゃった」
 軽く肩を竦めて、事も無げさを強調するユイリィだが、流石に昂冶は驚いた。
「え、追い出されたって…」
 にっこりと、少女は可憐に微笑んで自分の唇に人差し指を添えた。
「秘密、ね?」
「え、……はい」
 不承不承ながら判ったと頷いてみせる。
 それに満足気にすると、ユイリィは声を潜めて悪戯っぽく囁いた。
「秘密ついでに一つ、教えておくわね。
 『M−03』のキャリアはね、ここに小花が散ったような痣が表れるの」
 言って、首筋を撫でる。
「キャリアが発症する確率は約80%…ほぼ発症すると考えてもらった方がいいわね。発症からの死亡率は100%よ。
 今のところ具体的な解決策は何もないわ、ただ、あのカプセルで多少は抗体が出来るらしいから、…とにかく、キャリアの生徒の近くには行かない方がいい……。
 これが、私が知っていることの全部」
 覚えていてね、忘れないでね、生きてね。
 言い捨てて、少女は背中を向けた。
「っ、何処へ?」
「…少し、休みに。ちょっと疲れちゃった」
 最期の笑顔が、まるで晴れ渡った空のように清々しいものだったことだけ、鮮やかに記憶に焼き付いたのだ――…。

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 ユイリィ・バハナの訃報を訊いたのは、次の日の事だった……。


 自殺だと、皆が言っていた。
 医局に保管されていた劇薬を飲み干して亡くなった姿は、苦しんだ様子もなく綺麗なものだったと噂され。
 しかし、遺体の形の美醜などより、気丈で芯の強い少女の突然に己の命を絶ったことに、昂冶は深い驚愕を覚えずにはいられなかった。
 沢山の人間が悲しみに沈んで、そしてまた少し、リヴァイアスは稼働率を落とした。

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 最後にブルーの元へ物資を運んだのが三日前。
 艦内の状況も激しく変わった。
 そして、新しい情報も。
 少し時期が早い気もしたのだが、必要な物資を手に茶砂金(さこん)の髪をした少年はリフト鑑へと足を運んだ。
「…ブルー?」
 奥の倉庫まで進んで、昂冶はそっと彼の名を呼ぶ。
 すると、いつものように靴底を壁にうちつける合図があって、荷物を丁寧に下ろすと音の方へと昂冶は足を向けた。
「ブルー、……来たよ」
 暗がりに潜む蒼の獣へ再び呼びかける、と、手招きされていることに気がついて、昂冶はずっと傍まで寄った。
「? 何、ブルー?」
 と、ついと頬を撫でられる。
 だが、何時もと違い何故か指先は微妙に熱さを持ち、違和感に少年は少しだけ不審を抱く。何故か、薄ら寒い予感がした。
「ブルー?」
 見上げれば、何時もと変わらぬ無表情でいる蒼き獣。
「…どうした」
「え…?」
「……何があった」
「え、え? ………なに、え?」
 言われる意味が理解できずに、キョトンと目を丸くする相手に、更にブルーは言葉を重ね、指先で見上げる目尻をなぞる。
「…泣くな…」
「!? ……………ッ、〜〜〜〜!!」
 そこで、始めて。
 己の頬を伝う温かな滴を発見する少年は、泣いているのだという自覚と共に耐え難い感情の沸き立ちに声を詰まらせ、背の高い相手の胸元へ縋り付くようにして顔を押しつけ。涙を堪えるために、肩を震わせるのだ。
 嗚咽が、零れる毎に、背なを戸惑うような仕草で宥められ。
 例えば、既に亡くなった幼なじみのこと。
 例えば、己自身を手に掛けた優しい少女のこと。
 沢山死んでゆく、命たち。
 ぐるぐると、ぐるぐると。
 駆け巡っては、胸をつく想いが心を揺り動かす。
 涙が枯れ果てるまで、そうして、翼傷ついた小鳥が泣き疲れてしまうまで。
 ブルーは、ただ、癒されぬ悲しみを受け止めたのだった。

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