「 終焉に 羽ばたきの 音 」



堕天

第三話

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 わけわかんないんだよな。
 と、一言呟いて、愛玩動物を彷彿とさせる容姿をした少年が途方に暮れた顔で、ブルーを見上げた。
「?」
 生来から饒舌な性質ではない蒼の逃亡者は、何事なのかと視線を遣る。
「カプセルを持ってきてくれた時なんだけど。
 ……イキナリ、こんなかっこで外をウロつくなって怒って帰えちゃって……。何が言いたかったのかさっぱりでさ」
「…何か、おかしな格好をしていたのか…?」
「普通に寝てただけだよ。
 そりゃ、寝崩れてちょっとだらしない格好だったけど……」
 それでもあんなに目くじらたてることないよなぁ? と、呑気に小首を傾げる姿が一層愛らしいが――、
「………」
 ややあって、何事かに思い当たったのか微妙に渋い顔をした。
「? ブルー? どうかした?」
「……いや」
 困惑気味に綺麗に澄んだ対を逸らす青の獣、そのらしくない様子に昂冶は不思議そうな表情で食い下がった。
「何? 何かあるのか??」
「………」
 やはり、高潔の野生は答えない。
 何かを言い淀む姿は、寡黙ではあるが、己の意志や意見を貫き通す彼の生き様からは遠くかけ離れ、奇妙な違和感すら覚えさせた。
「ブルー、何か気がついたんならちゃんと教えて…」
「痕」
「え?」
 諦めずに問いつめてくる小動物然とした少年の、その、穏和な容姿からは想像つき難いが、こうなった昂冶はなかなか引き下がらない。奇妙に意地っ張りというか、強情というか、頑固というか。
 なので、先に降伏の白旗を掲げたのはブルーの方だった。
 昂冶の問いの語尾を遮り、核心をつく一言を、その怜悧な声で零す。
「あと?」
 だが、主語動詞接続語、その他諸々の言葉の成り立ちに必要な一切を省いた『単語』で、相手の意図など理解出来るはずもない。
 きょとーん、とするばかりの無垢な少年に対し、翳りと憂いを帯びる横顔でブルーは嘆息した。
 そして、そういった類の知識も経験も極めて乏しい可憐な小動物に対し、行動を以て答えとする。
 まるで春日に遊ぶ蝶の虹羽を捕らえるような慎重さで、無防備な顔でいる少年のシャツの前をほんの少しだけはだけさせ、顕わになる白磁の肌、鎖骨のラインに口唇を寄せた。
「――ぶ、るー?」
 昂冶といえば、何も判らぬまま、ただ、綺麗な獣に接吻られる事実に耐えようもない羞恥を感じて頬を可憐に染め上げる。
 と、チリッとした――痛みには至らぬ痺れのような感覚に襲われ、僅かに息を詰まらせた。
 すると、凍てついた眼差しがその孤独と孤高さに相応しき野生は、満足そうに愛しき獲物から牙を抜いた。
 所有の刻印を確かめるかのように、最後にその場所に舌でなぞると、きゅぅと細身の躰を抱きすくめて耳元に酷く熱っぽい声音で囁いた。
「――…昨日、同じようにしたな…お前の隅々にまで……」
「………」
 途端、昨夜の己の醜態が鮮明に思い起こされ、言葉を失ってしまう昂冶。
 その年不相応な初々しさに一層心を乱されながら、蒼の王者は微苦笑と共に零した。
「接吻れば、……赤い痕が残る。お前は特に色が白いからな…よく映えたことだろうな?」
「……それ、…てッ!!」
 カァッ、と。
 今まで以上の鮮やかさで頬を染め上げる腕の中の存在に、高潔の魂の持ち主は甘えるような仕草を見せた。
 はだけた白い胸元に散る幾つもの花弁は、己が残した痕なのだという自覚も相まって欲望を煽る。
 そっと額を預けて、腕にわずかに力を込めると、困惑した気配が伝わった。
「……ブルー…?」
 幼な顔の少年を縛る力は、それでも優しく――逃れようとするのなら、容易に可能な範疇のものであった。
「――昂冶…」
「え、…な、何?」
 ふいに、心地の良い低音で名を呼ばれて、鼓動が倍以上に跳ね上がったのを自覚する。
「……お前を……抱きたい…」
 だが、その後に続いた蒼の毛並みも美しい捕食者の告白に、心臓は一層大きく脈打ちはじめた。
「……抱かせて、くれ…」
 未だ、昨夜の火照りが冷めぬままだ。残酷にも美しい野獣の望みの在処を察せぬ程愚かではない。
「……ッ、そ・の…」
 さりとて、気安く我が身を差し出せる程、昂冶という少年は享楽的でも開放的でも無かった。紅潮したまま絶句し、つぶらな瞳でまんじりともせずに、懐く野生を見つめる。
「な、んで…、ブルー…」
 ひたすらに混乱するばかりで、思考が纏まらず、巧く言葉が繋がらなかった。
 すると、何時になく饒舌な様子でブルーは想いを口にした。
「――お前が欲しい…お前の全てを、俺にくれ……」
 凍えた蒼の対が情欲の焔に滲み、淡くけぶるような色合いでもって、ただ一人を渇望するのだ。
「………ブ、ルー」
 既にこの背徳の野獣に魂までも囚われる華奢な少年に、二つ目の選択肢など始めから容易されてなどいない。
「――ブルー…」
 戸惑いながらも…自らその真白い腕を伸ばし、熱いカラダを受け止めたのだった。

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 ――あンの馬鹿兄貴ッ!!

 天才の異名を獲るVGのエースパイロット、強烈な眼光と無精のまま伸ばした硬質な黒髪の持ち主である少年は、今日も今日とてお決まりの悪態を心中で吐いていた。
 昨夜の衝撃から未だ抜け出せないまま、リヴァイアスきっての実力者としてその名を連ねる彼は、一夜明けた今、再び兄の元へと急いでいた。
 数年来の仲違い中である身としては、そう度々に相手を訪れるものではないだろうが、どうしても、晴らしたき疑念故の行動だ。
 兄の雪白の肌に乱れ咲くようにあった紅き華は、どう穿ってみたところで接吻の痕でしかなかろう。しかも、――自ら積極的に行為に耽った刻印では無く見受けられて。
(………くそッ)
 他者を欺くに長けぬ兄の性質を、身近で感じるが故に、昨晩の素っ惚けた反応が偽りではなかろうという確信は胸にある。
 あるの、だが――…、
 昔から妙に『優しい嘘』を吐くのだけは巧いのだ。
 癒すため、慈しむために、自分ではなく、他の誰かの為に必要な『虚実』を語る腕前は、実に鮮やかであった。
「――気に喰わねェ…」
 かつて兄が親友(とも)と呼んだ今は失き存在、魂までをも狂おしく染め上げた覇者の暴走の理由はただ一つだ。
 護るべき存在への――容赦なき、性的暴行。
 終わらぬ悪夢を告げれば、狂気の独裁者はますますその精神を焦燥させ、破滅へ軽やかな一歩を踏み出すであろう事は、想像に難く無い。
 今はもう、想いの一片すら刻まれては無かろうと、自覚しながら尚、献身的な態度が腹立たしい。
「気に喰わねェんだよ……馬鹿兄貴ッ…!」
 何としても事情を問いただすべく決意を固める祐希だが、その思いは空振りに終わった。
 丁度、入れ替わりに昂冶が部屋を後にしたからだ。

――――――――――――――――――――


(………何処、行くんだ?)
 大人しく帰りを待つべきか、それとも素行調査と銘打った悪趣味な尾行を行うべきか。
 ―――。
 即座に、結論は出た。無論、選択されたのは後者であり、慣れた様子で追跡を開始する。
 まさか実の弟に見張られているとは想像もしない少年は、辺りを警戒するように気配を尖らせ、極力何時もと変わらぬ足取りで目的地へと急いでいた。
 生活区を過ぎ、全く人気の無い方向へ迷いもなく進んで行く兄の姿に不審を抱きつつも、祐希は後を追っていった。
 そして世界に対し貪欲な少年は――リフト艦倉庫という誰も足を踏み入れないような場所で、驚くべき光景を目にする事となる――。

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 多少のスペースは確保されてあるが、未整理のままの備品が無造作に捨て置かれる倉庫は、実際の面積よりもずっと手狭に感じられる。
 黴と埃の匂いで充満する薄暗いその場所は、成る程、何かを隠匿するには誂え向きではないか。
(………)
 精神を集中し、遠い会話に耳を澄ます。
 兄が――黒の王国に使命手配される逃亡者を匿っていたという事実に、確かに大きな衝撃を受けた祐希であったが、今は落ち着いている。
 身の程知らずに自ら厄介事を抱え込む実兄の性質を考えれば、全く予想外でもなかった。
(……馬鹿アニキ、なにやってンだ……)
 かつて、リヴァイアスを裏切り切り捨てようとした男に、なんという甲斐甲斐しさか。
 庇護を必要とする小動物のような愛らしさでいる兄と、ブリッジで自分を叩きのめした王者の姿からはかけ離れ、穏やかにいるエアーズ・ブルーの、その交わされる言葉の甘さに、一瞬我を忘れかけた怒りも消沈する。
(………)
 黒の戦艦が擁する四百余名の生徒全てに破滅を導こうとした、悪魔。
 それを――互いに、忘れたわけでもあるまい。
(――…クソッ)
 幸福の縮図を描く二人にすっかり毒気を抜かれた祐希は、胸中に複雑な思いを抱えたまま成り行きを窺う。
 鑑内は死の熱病『M−03』の混乱、そして、正気を失った新たな覇者の登場により、かつて蹂躙を赦した王者の記憶を薄れさせていた。
 それどころではない、と、言った方が語弊がないかもしれない。
 行方を眩まし、その所在を掴めぬ逃亡者の事などより、我が身にいつ降りかかるとも知れぬ、死病の恐怖に子ども達の関心が向くのは当然の結果だ。
(………――、ンだよ、嬉しそうにしやがって)
 リヴァイアス全体が、エアーズ・ブルーについて無関心となっている事情もあり。
(…兄貴の…バカヤロウ……)
 何より、――…兄が。
 自分の前では、絶対にあり得ない幸せそうな表情(カオ)でいるものだから。
「――…」
 無意識のうちに膝を抱え、その間に顎をのせて気持ちを沈ませる所作を見せる祐希。
(…………、別に…)
 尾瀬や守護者を気取る阿呆共に、逃亡者の存在を報告する義理も義務も無い。
 まるで見知らぬ人間のような兄の声を遠くに、鋭さばかりが目立つ暗い青の眼差しが、ゆっくりと瞼の裏へ押し込められた。
 このまま、息を殺して。
 気配を消して。
 折りをみて、そっと、この場所から離れようと心を決めた少年だったが。
 しかし、その決意を揺るがす展開がこの後繰り広げられたのだ。

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 濃密な愛撫の手は、冷酷非情たる平素の姿からはかけ離れて、酷く優しかった。
「ッ、………ぁ」
 内股の辺りを無遠慮に這い回る舌の感触に追い上げられ、細身の少年は弓なりに背をしならせて喉を鳴らした。
「…いっ、………やっ、………あ…。」
 しなやかなにうねる長い髪を力の籠もらぬ指先に絡めて、陵辱者に微かな抵抗を示す。
 しかしそれら全て『拒絶』よりも『羞恥』の意味合いが色濃く、ささやかな行為は蒼の獣の情欲を駆り立てる要因にしかならない。
「ブルーッ…」
 跳ねる息の合間に、凶暴な迄に美しい肉食の獣の名を呼べば、花心に絡まる舌が一層淫らさを増した。
「っぁ、ァ……、ッ――!」
 腰の辺りがヒクリと大きく痙攣を起こし、そのまま息を整える間もなく細かく躰を震わせ続けるのは、解放の瞬間に後孔を指先で拓かれたからだ。
 そのまま狭い内部を押し広げるかのように指先で弧を描く捕食者に、嬲られるがままの獲物は掠れる声で哀願した。
「や――…、だ。
 ぶるっ、ぅ……そ、な――トコっ、ぁっ……、ァ」
 排泄を目的とした場所に異物をくわえこまされては、戸惑いも幾重にあろうというもの。予めの知識が皆無であるだけに、美しき野生の意図が理解の範疇を越え、昂冶は軽いパニックに陥る。
 だが、すぐに直接的な愛撫が繰り返され、ひいてはかえす波のようなゆるやかな愛撫の手に翻弄される幼い印象の少年。
 ジン、と、腰から下がオカシクなるような快感に逆上せると、その隙をついて指が増やされ内壁を擦るように弄られる。
「……ぁ、は・はっぁ…ン」
 一糸纏わぬ姿で大きく左右に足を割り開かれ、敏感な場所を直接覗きこまれ愛される、今の自分の痴態を思うだけでも、どうにかなりそうだった。
 最初の内こそ、噛み堪えようとした喘ぎは既に溢れるばかりだ。花心から零れ続ける蜜と同じように枯れることなく、一定のリズムを刻んでいた。
「ぁ、るぅ……」
 そのうちに、後ろの蕾を暴く指が三本に増やされ、前への愛撫の手は止んでいた。
 しかし、熱心に慣らされた成果か、既に痛み以外のモノを感じ始める昂冶には苦痛はなく、己の内部を掻き回される異様な感覚と、芽生えはじめたばかりの快楽が疼いていた。
「辛いか…?」
 耳朶をそっとはんで、欲望に濡れた低音で囁けば、ヒクリと小さな躰は反応した。
「ブルー…ぅ…」
 焦点の定まらぬ眼で己を蹂躙する存在を捕らえ、力無く首を横に振る。
「――…そうか」
「ひゃ…っ!」
 満足そうな言葉と同時に、背後を貫いていた指を一気に引き抜かれる。思わず上がった悲鳴に、無意識ながらの僅かな不満の色を滲ませている昂冶に、ブルーは安堵したように口の端を笑みの形にあげた。
「…昂冶……、俺を見ろ……」
 熱に上擦った声で望まれ、頑なに瞑り続けた眼をそっと開く優しげな風貌の少年。
 空色の瞳が己の姿だけを映し、紅く潤んでいるのに倒錯的な歓びを感じて、蒼き野生は心を満たした。
 汗で張り付いた前髪を優しげに払い、そっと、額へ接吻を落とす。
「……いいな…?」
「………」
 散々に嬲られ、快楽の坩堝に堕とされた昂冶には、既に言葉を紡ぐ気力さえ無い。
 ただ、求められるがままに――その熟れた躰を差し出すのだった。

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 死の監獄――リヴァイアスにおいて、唯一子供らの希望であるVG。
 その操作において多大な貢献をしているのが、現在黒の戦艦の覇権を握る『尾瀬イクミ』と『相葉祐希』の二人だった。
 もう一人、金髪の少女がメインパイロットとして活躍しているが、彼女は表舞台に立つ事を好まぬため、一般生徒にまでその存在を知る者は少ない。
 乱暴な調子で誰彼構わず噛み付く攻撃的な性格と、本能的な閃きを以てする、その天才的な技術で、彼の名は黒のリヴァイアスに身を寄せる少年少女達に知れ渡った。
 人の心が荒廃してゆく、救いの無い世界で。
 強さは、強烈なカリスマとなって、他者を圧倒し惹きつける。
 計らずとも、リヴァイアスにおける支配者達は、一般性との羨望と憧憬を集める結果となるのだが。
 他人との接触を嫌う傾向が強い黒豹にとって、力の信望者など、迷惑極まりない存在でしかない。
 荒削りな魅力を抱く少年は、常に孤独を求め激しく他者を拒絶する。
 誰よりも華やかな舞台に立ち、数多くの讃辞を受けながら、それらを意味の無いものと切り捨てる恒星は。
 未だかつてない、混乱へと陥っていた。
「――…ぁっ、い・あぁぁっ…!」
(〜〜〜〜〜っ)
 あえやかな声が、『そう』である事は、幾らその方面の経験に疎い少年とて理解出来る。
「ぶる…ぅ、やだ――ぁ」
 誰よりも見知った人物の、始めて耳にする信じられないような嬌声。
「…やっ、うごか……な・はンッ」
 拒絶というには甘えと恥じらいの混じ入るそれ。
(〜〜………!)
 一刻もこの場から消え去りたい衝動と、離れがたい願望。二律背反する思いに、硬直する少年の躰は、まるで氷像のように冷たく不動であった。 「ぁ、っアァ……」
 間断なく響く切なき喘ぎに、急激に中心が熱を帯び始めるのを自覚して、流石の無法者も年相応らしい慌て方を見せた。
(なっ、んだって…、こんな…ッ)
 こうなっては、益々身動きが取れない。
 まさか兄の濡れ場に、自の肉体がこのような変化をしてみせるとは、微塵も考え及ばなかっただけに、衝撃は強かった。
「――…ぁ、アっ…やだぁ…」
(………ッ!!)
 弱弱しい抵抗の台詞に滲む快楽の色。
 甘美に酔いしれる、無防備な、そして、艶絶な声に、若い性はドクリと脈打った。
(〜〜〜っ、くそ…)
 限界まで追いつめられて、祐希は、その険しすぎる目つきを更に厳しくした。
 最後に残った理性を掻き集めて、まるでこれが最後の砦というように必死に己の両耳を塞ぐ姿は、常の彼からは遠くかけ離れていた。

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 出来うる限りに、優しく触れたつもりだった。
 しかし、やはりハジメテの体験に、精も根尽き果ててとろとろと眠りに堕ちる愛すべき存在を、蒼の逃亡者は満足気に魅入っていた。
 その微睡みの檻を壊さぬように、そうと、涙の痕を辿り頬に羽のような接吻を与える。
 かつて、蒼の王者として黒の戦艦の全権を掌握したエアーズ・ブルーは、一片の渇きも飢えも感じぬ程に満たされていた。
 常に隣り合わせる孤独感、空虚感、焦燥感、そして――胸の奥底から迫り上がるような、渇望を。
 連鎖する精神の飢餓から解放され、過酷な状況下では決して得られる事は無かった安息を味わう。
 それは、不思議な心地であった。
 そして、決して不快ではなかった。
 幸福という名の毒で満ちた蜜壺の中、その、噎せ返るような芳香に包まれて、非情な視線に捉わる全てに蹂躙する為の力が、失われていく感覚。
 誇り高き野生の魂片は、爪牙奪わるる痛みに懼れも顕わに激しくのたうつが、それにもまして抗い難き幸い。
 だが――…永劫の微睡みは赦さず。
 美しく猛々しき王者は、無言のままでしなやかに立ち上がった。

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「……お前か」
「………!」
 不意に後方から掛けられた一言に、当然のように動揺する少年――相葉祐希は、ギッと声の主を睨みあげた。
 灼熱をその内に秘めギラギラと乱反射する深い黒の眼は、臆する事もなく華麗な強さを誇る存在を映し込む。
 ほんの数分の対峙を経、視線を逸らせたのは蒼き野生の方であった。
 根負けの結果というよりは、単に興味が失せたからであろう。
 交わす言葉の一つもなく踵を返すブルーは、癖の強い黒髪をした少年から挑み掛かるように問われた。
「――何、考えてンだテメェ…」
 その声音は、――奥で眠る兄を思ってか低く抑えられてあり、却って内面の混乱を際だたせていた。
 徹底した他者への無関心を貫き通す研ぎ澄まされた野生は、常なら視線も返さぬ相手へ振り返った。
「お前には関係ない」
 しかし、やはり無慈悲なる王者は健在で、突き放すが如く冷淡な一言が放たれるだけ。
「…関係あンだよ、兄貴だからな」
 普段、あれほどに兄との関係を疎ましく感じているはずの祐希は、幾ら拒絶しようにも断ち切れぬ絆を盾に、ブルーへ応戦した。
「……なんで兄貴を……だ、――あんな真似した」
 抱いたのか、と、言葉に成そうとして気恥ずかしさを感じ、咄嗟に言い方を替えるエースパイロットたる少年。
 その、意外とも言える純情さに兄の面影を重ね、冷酷非情を旨とする獣は纏う刃の気配を僅か、穏やかにさせた。
「――それ程、気に掛かるのか」
「ッ、ウッセェな!」
 ブルーの言い草には、口先だけで『兄』を否定してみせる、自らの虚勢を嘲るような響きを伴っており、過敏に反応して激昂する祐希。
 と、それまで表情一つ変えようとしなかったブルーが、あからさまに不機嫌そうにしてみせた。
「黙れ」
 静かな怒気を孕む一喝が、激情に囚われる少年を、鋭く制した。
「……っ、」
 無慈悲な蒼の獣の怒りに起因するモノを察し、無鉄砲の塊のような祐希とて、己の感情を抑えた。
 今この場で騒ぎ立てれば――穏やかな微睡みに浸る兄の、その覚醒を促すであろう。
 正直、この如何ともし難い状況で、兄には目覚めて欲しくない。
「………」
 承伏しかねる思いを抱えながらも、憤りのままに目の前の、傍若無人を絵に描いたような人物に向かえば、望ましくない結果となるのは火を見るより明らかだ。
 憎々しげに鋭利な美貌を睨みあげて、―― 一言だけ、どうしても確認しておきたい事柄だけを、荒削りな魅力の少年は訊いてきた。
「――…兄貴のこと、どう思ってンだ」
 良くも悪くも真っ直ぐな黒の眼が、臆せず怯まず、最強を謳われるエアーズ・ブルーへと向けられた。
 その端的な問いに含まれる複雑に絡まった情の深さを察し、ブルーは滅多に感情の浮かばぬ氷の眼差しを、静かに瞼の裏へと閉じこめた。
 ……己を表現するために、慎重をきして言葉を探すような仕草。
 自他とも認める気の短さが持ち味の少年は、しかし、我慢強くブルーの思索が断ち切られるのを待った。
 急くべきではないと、理屈ではなく何か本能的な部分で感じて、沈黙を守る。
 ややあって、夜の闇が酷く様になる人物は、鋭利な刃を連想させる眼差しを閃かせた。
「どう、……思っているのだろうな」
「………?」
 怪訝そうに眉を寄せる祐希の、その素直な反応にブルーは途方に暮れたような色を、その双眸に滲ませた。
 珍しい。
 憂いを帯びた『エアーズ・ブルー』など滅多に目にかかれるものでもあるまい。
 意外な反応を見せた相手に一瞬呆けてしまう祐希だが、直ぐに我に返ると、挑発的な皮肉を吐いた。
「ヤりてぇからヤったってンじゃネェだろうなっ…!」
 低く、呻るようにしている暴力的な性質の少年へ、ブルーは軽く頷いた。
「極論だが、…そうだ」
「――、テメッ!」
 冷静な視点に立ち返れば、単純な肉欲だけで高潔の王者が兄の躰を求めたとは考えにくい。基本的に、自身以外は皆『敵』だと認識するブルーが、無防備な姿を晒す事となる行為を、一時に得られる快楽だけを求めて望んだハズがないのだ。
 だが、容易く激昂に導かれる精神の未熟さが、理性を一蹴して牙を剥いた。
 それまで物陰に隠れるようにして屈んでいたのを、勢いつけて立ち上がり、ブルーの胸ぐらを掴んで、拳を振り上げる。
 無論、冷静に挑んでさえ敵わぬ相手だ。あっさりと攻撃の腕を掴まれ、容赦なく捻りあげられてしまう。
「っ、〜〜〜こ、のっ!」
 思わず、といった様子で苦痛に顔を顰める黒髪の少年を、しかしブルーはあっさりと解放した。
「騒ぐな…昂冶が起きる」
「――…」
 二度目の警告に、不承不承ながらも祐希は従った。
 兄の名を出した途端に大人しくなる血気盛んな少年をどう捉えたか、これ以上の問答をする気な無いとばかりに、ブルーは背を向けた。
「………」
 対して、祐希といえば不完全燃焼のままで、胸の内にモヤモヤとした苦い塊を抱えながらも、悔しそうに鮮やかな蒼が印象的な背中を見送った。
 と――、
 乱闘で乱れた髪を整える為か、単に前に流れる一房が邪魔であったのか。
 サラリと後ろ髪を掻き上げる仕草に、未だ憮然とする少年は目を奪われた。
(……………)
 思考が、数泊の間停止して、――再度、動き出した時には既に驚愕の対象は姿を消していた。
 生唾を飲み、ざわつく心を落ち着かせようとするが、気休めにもならない。

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刻印は、残酷なまでに美しくいていた――。



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