杖、が。
全ての元凶である、闇からの脅威ラプソーンを封じた忌々しき輝きを放つ杖が。
滑稽なほど華々しく、彼の左手に掲げられている事実に、身震いした。
「――ッ、あ、の…杖ッ…」
声が不自然に掠れる、それは、胸に迫る焦燥感がそうさせていた。
「ラプソーンの杖…」
呆然と呟く少年の声が、酷く遠かった――。
ゴルドの空
「…やっぱり、あの時あの場に置き去りになっていたから、誰かが手にしているとは思ってたけど――。そんな予感はしてたけど…。ホント、ロクなことしないわね。あの何処でもイヤミ男ッ…」
辛辣な言い草ではあるが、本心では青の騎士団の正装に法衣を纏った男を心配しているのは、一目瞭然だ。同じようにラプソーンを封じた杖を手にした体験があるだけに、余計、不安が強くなる。ゼシカは、困惑した表情で仲間を仰いだ。
「どうしよう…、どうにかして、あの杖をイヤミ男から――マルチェロから離さないと!」
「そうでゲス。アッシは難しいことは分からないでゲスが、このままだと、あのタレ目がゼシカみてーに、のっとられちまうでガス!」
小難しい話になると直ぐに根を上げる行動派の元・山賊の男が、危機を悟って慌てふためいた。
「そうだな――。見た感じ、ドルマゲスやゼシカの時のような憑依の様子は無いが…」
どういう理屈で無事に済んでいるのかは不明だが、それでも、放っておくわけにはいかない。闇の王の復活は、地上――光の世界の破滅を意味する。多少荒っぽい手段でも、あの杖を奪い取り、然るべき手段で封印を施す必要がある。
「ひとまず、ここは退こう。此方には、神鳥の魂もある。夜になってから、隙を見て杖だけを奪えれば――」
「……! んな、悠長な事言ってる場合かよッ!」
途端、掴みかかるように透明な声を張り上げ、らしくなく感情を顕にする銀髪の聖堂騎士に、エイトは冷ややかに応じた。
「なら、いまここでマルチェロのとこまで殴りこみにいくか?
ヤツを刺激することで、逆に杖が活性化する可能性もあるだろう。勿論、夜中に忍び込んでもその事態は考えられるが、今ここで騒ぎを起こせば、世界各地の要人がどれだけ犠牲になるか、想像出来るよな」
「………ッ」
理論的過ぎる、道理、だった。
「各国の王や大臣、土地の名士がこの会場に一同に介している。
それが一斉に亡くなれば、どうなると思う。世界は指導者を失って迷走し、場合によっては、各地で跡目争いの闘争も起こりえる。ラプソーンの復活を待たずして、世界に戦火が広がり滅亡の一途を、なんてのもありえる。今ここで、というのはダメだ」
「……ちきしょっ、正論過ぎんだよ! クソヤロウが!!」
容赦の無い台詞だ。仮にも、聖堂騎士団で実力を認められ、深紅の団衣を纏う誉を戴くククールに、エイトの言葉が理解出来ぬはずもない。だが、抑えの効かぬ感情が胸中で渦巻いて、それは罵倒となって勝手に口をつく。
「ちょ、ククールッ…」
「アニキに対して、なんて言い草でガスか!」
確かに方便の善し悪しはあるにしろ、エイトが説く道理は理にかなったもので。感情ばかりが先走る聖堂騎士の美しい青年の暴言は、他の仲間にとって、非難の対象であった。
「……チッ」
だが、既に放った言の葉は元に戻らない。今更、場を取り繕う為の言い訳も浅ましく、ククールは舌打ちと共に、そっぽを向いた。そんな子ども染みた仕種に、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じて、エイトは努めて冷静に切り出す。
「いいさ、別に。自分でも、冷淡な判断だとは思うから。それより、この場を離れよう。マルチェロや他の聖堂騎士団員に見つかったら面倒な事になる。――特に、ククールの紅い団服は目立つから」
最近は聖堂騎士団の台頭と共に、騎士団に志願する者が増えているという話を神殿街で小耳に挟んだ。深紅の騎士の名や存在を知らぬ新参者ならば問題は無いだろうが、万が一古参の騎士団員の目に留まれば、そこから、マルチェロへと報告がいきかねない。
いまのところ、会場の人間のほぼ全てが壇上の新法王の演説に聴き入っており、此方の動向に特に目を向ける者がいない。それが唯一の救いといえば、救いだが。
「そうね。折角監獄島を抜け出してきても、また逆戻りなんて冗談じゃないわ」
「で、ガスな。なら、こんな背中が痒くなる場所は、とっととオサラバするでゲスよ。アッシは、どーも、神様だとか、そういう手合いが苦手でゲス」
苦手な場所で苦手な人間が、これまた大がつくほど苦手な偉そうな談義を行っているとくれば、もはやヤンガスにとって三重苦の状態だ。いそいそと嬉しそうに神殿を後にする山賊顔の仲間を、ゼシカが追いかける。
「あ、待ってよ。先にいかないでよ、はぐれたらどうするのよ!」
ただでさえ人が多くて互いを見失い易い上に、冤罪とはいえ、エイト等一行は投獄された犯罪者であり、しかも、脱獄者だ。事情を知る者に発見されて、多勢に無勢の争いになれば不利だ。魔物相手ならば無闇に魔法を撃って暴れる事も容易いが、人間ではそうもいかない。最悪、故郷に残してきた身内に手が伸びる可能性もあるのだから。
祖国を茨の呪詛によって滅ぼされたトロデ王や、その国の近衛兵であり、過去の記憶の一切や身内の類の無いエイト。山賊家業に手を染め、家族のかの字も出てこないヤンガス。そして、腹違いの兄がいるとはいえ、天涯孤独同然のククールにとっては、そういった不安材料が無いのが救いといえば、救いではあるが。そういう事を憚らず口にするほど、ゼシカは人の心の機微に愚鈍に出来てはいない。
「もぅ…、エイト。ククール。行きましょ。トロデ王も外に待たせっぱなしだし。何時までもココにいるのは危険だわ」
「ああ、そうだな。……ククール、行くよ?」
「……触んなッ…」
差し出された手を無情に払いのけて、見目麗しき聖堂騎士は乱れる感情のまま荒れた足取りで、パーティのリーダー的存在である少年を置き去りにする。
そんな余裕の無い態度に一瞬顔を顰めるのは、手酷く腕を払われた童顔の少年ではなく、その傍らに立ち尽くす、勝ち気な態度と可愛げのある性格が魅力的なツインテールも愛らしい、魔導士の少女だ。彼女の瞳は、手前勝手な行動を取る青年への非難というよりも、痛ましさに近い感情で、切なげに揺らめいていた。
「……かなり不安定みたいね。大丈夫かな」
「大丈夫だよ」
「…エイト」
そんな他人事みたく、と、詰る色が言葉に滲む。
己の無力で沢山の命を――特に、唯一絶対の…小さな、小さなリーザス村で、世界の全てであった優しい兄を不条理に喪った辛い過去を抱くゼシカにとって、同じように兄の身を案じるククールの立場は十分共感できるものであった。
不仲であるとは聞き及んでいるが、それでも――兄、なのだ。
特に、あの意地っ張りで酷く寂しがりの深紅の騎士は、傍で見ている者が苦しくなるほどに、一途に切なく、実兄である騎士団長を慕っている。
当の本人同士がその事実に全く気がついていないのが、いっそ滑稽なほどの、悲劇だ。
「私も、兄さんがい…たから。…なんとなく、ククールの気持ちが分かるの。
特にククールは、あの人が唯一の肉親でしょ。――喪失感は、言葉で言い表せないわ。兄さん……サーベルト兄さんが亡くなった時のこと、昨日のように鮮明に思い出せる。仇討ちっていう目的が無かったら、私、立ってもいられなかったと思う。だから――」
更に何かを言い募ろうとする心優しい少女の唇を、戦士の手で遮って、エイトは普段の幼さを脱ぎ捨て、男の顔で微笑んだ。
「大丈夫。大丈夫じゃないときは、僕らがククールを支えてあげればいい。だから、大丈夫だよ」
「…エイト」
胸が詰まって、巧く想いが紡げない。ただ、コクンと喉を鳴らした。
「ゼシカも、辛い時は、寄っかかっていいんだよ。一人で頑張りすぎると、一杯になって弾けてしまうんだ。僕らは、前に向かって歩いていかないといけない。でも、誰も弱音を吐いちゃいけないなんて、言わないよ。そんなこと、言わせない」
この少年は――、とゼシカは胸中で毒づいた。それは、毒というには、随分甘い罵倒であったけれども。心の感じるままに言葉を吐き出せば、拗ねたような響きのそれが。
「……エイトのバカ」
「? 急に何?」
とうの昔に会場から姿を消した仲間達の後を追いながら、パーティの紅一点、勝気な性格に健気な一面、成熟したカラダと未発達なココロの平衡が酷く愛らしい少女からの、唐突な悪口に、エイトはきょとんと目を丸くする。
こういう顔を見ると、年相当というか、田舎の素朴な好青年という感じなのだが。
「なんでもないわよ。まったく…、それだけ口が回るのに、未だにククールを口説けないでいるなんて不思議だわ」
「…あれ、バレてる?」
動揺の欠片もみせず、いけしゃあしゃあと切り返してくる余裕が、いっそ憎たらしい。ゼシカは半眼で少年を睨んで、肩を竦めた。
「そりゃ、ね。でも、安心して。多分、他のみんなは気付いてないから。
トロデ王は姫様と祖国の呪いのことで頭が一杯だし、ヤンガスがそういうことに気が回るとは思えないし。ククールは……アレだしね」
あからさまに苦笑して、ふと、賢者の血脈を受け継ぐ少女は考え込んだ。
「でも、ミーティア姫はなんとなく、感づいてるかもしれないわね。
そりゃ、あれだけ箱入りの深窓のお姫様だもの。全く想像もしてないってのもありえるけど、オンナの六感は鋭いのよ」
――特に、好きな人のことに関しては、ね。
と、そう心の中で付け足して、悪戯っぽくゼシカは微笑んだ。
「そっか…」
エイトとて薄々感じてはいるだろう。ミーティア姫が己に臣下に対する以上の想いを寄せていることくらい。元々はただの気心が知れた、少し無理も効いてくれる優しいお友達兼、城の近衛だったかもしれないが、その義務は既に無いというのに、己や父であるトロデ王の呪いを解くために困難な旅に同行する少年に、恋慕を寄せてもおかしくはない。
「ククールのことは好きだけど…、なにせ手強さマックスの恋敵がいるからね。毎晩、好きだって言ってるんだけど、なかなか応えてくれなくて」
はぁ、と溜息と共にノロケじみた愚痴を零す少年に、ゼシカは呆れたと額を押さえた。
「あのね。バレてるって分かった途端、恋愛相談? 別に性別で差別する気は無いけど、少しは羞恥心ってのを持ちなさいよね」
「折角なんだし、聞いてくれたっていいだろ。毎晩、どれだけ死闘が繰り広げられているか。こないだなんて、無理やりベッドに押し倒してイケると思ったんだけど、ザキを唱えてこられちゃってさ。今度から、両手を縛るだけじゃなくて、口も何かで封じたほうがいいかな? でも、あんまり酷いことしたくないんだよね」
「……しば…る?」
ピシッ、と何かにヒビが入った。
性別で差別する気も、侮蔑する気もない。どちらかといえば、他人の恋愛には寛容な方だ。当事者同士が幸福であれば、特に第三者が口を挟むことでもないというのは、恋愛に対するゼシカの持論である。ある、が――。
「猿轡を最初かませておいて、解れてから外してあげるとかでいいかなぁ。あんまり手酷くはしたくないんだけど、ククールって頑ななトコあるから、とりあえず一回ヤッって既成事実作っちゃいたいんだよね」
「………きせ…ッ」
余りに恥知らぬな計画をぬけぬけと口にする少年に、強気な性格と歯に衣着せぬ物言いが魅力的な、向日葵色のツインテールも愛らしい少女は絶句する。
「でも、ククールも、なかなか堕ちてくれなくて。こないだ飲み物に麻痺薬仕込んでみたんだけど、呪文で解毒されちゃってさ。なかなかうまくいかないんだよねー」
憂いを秘めた眼差しと、哀愁漂う溜息に騙されてはいけない。話す内容は、惚れた相手に一服盛って、カラダを好き放題しようという不埒なソレだ。
「アンタ…よくそれで、ククールに逃げられないわね…?」
そういえば最近になって時折、宿屋の割り振りに文句をつけることが多くなっていた。特に気にも留めずに、ただの聖堂騎士様のワガママだと無視を決め込んでいたが。事情を知って、ゼシカはククールには気の毒なことをしていたと、同情を禁じえない。
「一重に、僕の人徳のお陰だね」
いけしゃあしゃあと言ってのける少年の高慢と厚顔無恥さに、ゼシカは眩暈すら覚えた。これに比べたら、壇上で高らかに演説を続けている命名『何処でもイヤミ男』など、可愛いモノだと思えてくるから不思議だ。
「で、ものは相談なんだけど。僕が相手だとククールも警戒しちゃうからさ。今度にでも、宿で食事する機会があったら、ククールのグラスに催淫剤仕込んでくれないかな」
――…初夏の風のような、爽やかな笑顔だった。
「……マヒャド。」
新法王の生誕を祝うように晴れ渡った青空の下、人気のない神殿の階段に、いくつもの巨大な氷柱が、まるで天からの粛清とでもいうように、くっきりと突き立っていた。
うちのエイトは、真っ黒です。
けど、意外なトコで人がよかったりするとイイな。
ククを苛める意味ではマルに敵対心もってますが
単体ではマルのことも好きだったり。節操がありませんネ。
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