――…コンコン。

 控え目な――、しかし明確な意思が感じられるノックの音へ、少年は黒無垢の瞳を瞬かせた。
(…ここ、どこだっけ…)
 不規則に並ぶ木目が視覚を優しく刺激する。
(…… ああ――。 そ、…うか)
 享楽の街『ベルガラック』。
 歓楽街に隣接する高級宿泊施設の一室で、茨の呪いに囚われしトロンデーン城の凡庸な近衛兵の一人に過ぎなかった少年は、眠り込んでしまっていた自身に気が付く。
 ―― コンコン …。
 少しの逡巡を擱いて、もう一度扉を叩く音が室内へ響く。
 微かな戸惑いと遠慮が感じられる訪れ人から、敵意や悪意といった負の気配は感じない。
 ホテルからの用件は伝達盤を利用するように言いつけてあるからには、これは仲間の内の誰かなのだろうと、覚醒も半端な状態でエイトは寝乱れた髪を手櫛で直しながら扉の傍へ近づいた。
「はい?」
「…エイト。ごめん、もう休んでた?」
 明朗快活な性格そのままの、滑舌の良い弾力のある声は、パーティの紅一点である賢者の末裔の少女のものだった。常識的に考えるのならば、こんな時間に年頃の娘が男の部屋を訪ねるべきでは無いのだろうが、その辺りは全く以て心配無用だ。ゼシカ嬢は愛らしい容姿に似合わず最大火力の火炎魔法を得意とする屈指の魔法使いであり、何より少年――エイトに彼女に対する性的欲求が微塵も存在しない。
 ゼシカ嬢の凶悪なボディラインを目の前にしてもほんの少しも反応しないのは、健康な男子としてどうかと言う疑問はこの際置いておくとして、ひとまず彼女の身の安全だけは保障済みだ。
「少し眠ってただけだよ。どうぞ?」
 キッ…、と控え目な蝶番の音と共に扉を開くと、豊満な胸を殊更強調する刺激的な出で立ちで少女は仁王立ちで待ち構えていた。普通はストッキングなりを履くだろうに、際どい鋭角のラインの布から伸びる足は生の質感だった。これは、ノーマルな性癖の健康男子には耐えがたい試練だろう。
「…そうね。外でする話じゃないし。邪魔するわ」
「――…」
 言葉の端に強い憤りを感じ取り、エイトは軽く肩を竦めた。
 ツインテールに幼い顔立ちが愛らしいゼシカ嬢の感情の起伏が激しいのは、今に始まった事では無いので、いなし方は慣れたものだが。疲労の溜まるカラダに有難く無いのもまた事実だ。
 ――『人』の外殻を開放してしまえば、このような瑣末に足を取られる事も無いのだが。
「…お茶でも飲む?」
「いらないわ。それよりも、話があるの」
 部屋へ上がり込んだ魔法使いの少女は、存在感のある胸を前に張り出すようにして腕を組んだ。どうやら椅子に掛けたりして寛ぐ気は一切無いようで、単刀直入な姿勢がいっそ心地よい。
「…ねぇ、エイト。ククールに対して本気よね?」
「……? 唐突だね。勿論、本気だよ」
「じゃあ」
 一拍、置いた呼吸で二人の間の空気が妙な緊張に包まれた。
「マルチェロの事は?」
「好きだよ」
「………」
 少しは狼狽するなり動揺するなりすれば、まだ可愛げがあるものを、さも当然の事のように返されて、他人の恋路へ要らぬお節介を焼いているような気まずさに襲われ一瞬言葉を呑んでしまった。
「……あ、っのねぇ。
 フツーそこであっさり認める? てか、なんで? ククールに惚れてるんでしょ?」
 仕切り直しとばかりに高いトーンの声でキャンキャンと問い詰めるゼシカに、エイトは降参とばかりに両手を上げ、眉尻を下げて見せた。起き抜けに少女のカン高い声は少々辛い。
「…ククールの事も好きだよ。でも、マルチェロの事も好きなんだ」
「……は、ァ?」
「二人とも好きだよ」
「……すっごいイイ笑顔ね」
 ぬけぬけと口にする言葉は横暴以外の何物でも無いが、その笑顔に一遍の曇りは存在しない。絵に描いたような好青年とはこれの事だろう。この腐れホモ野郎がとゼシカ嬢が胸中で罵ったとしても致し方無い厚顔ぶりではある。
「あはは、笑顔には自信あるよー。コレでみぃ姫に気に入られたようなものだし」
「…みぃ姫?」
 聞きなれない人の名前に所謂爆乳の持ち主である少女は小首を見せた。ふわふわと揺れるツインテールが愛らしさを倍増させているが、それよりも、今この場面において最も注目すべきなのは。
「……もとい、ミーティア姫に、ね」
 バツが悪そうに訂正するエイトの目許はほんのりと赤く染まっている。みぃ姫。なんて可愛い愛称。このタチの悪い近衛兵の少年にも当然無邪気な子供時代というものは存在するわけで。ミーティア姫、という呼び方は確かに少々呼び難いだろう。成程、そういう風に呼んでいたのかと、繋がるまでその間三秒間。そして、己の失言へしまったと言う表情で照れるエイトの姿を再認識して、母性本能を擽られるなんて生易しいものでは無く、改心の一撃で瀕死ダメージを受けるゼシカである。
「……ゼシカ?」
 急に床へしゃがみ込んでしまったセクシーなバニースーツの魔法使いの少女に、エイトは不振そうに声を潜ませるがそれ所では無い。正直に白状しよう。萌えた。可愛いとすら思ってしまった。一生の不覚とはこういう事を指すのだろう。
「…なんでもないわよッ!
 それより、今の発言はどういう事よ。フツウはそれは二股っていうのよ。不誠実!」
「……うーん。そうなんだよなー、問題はそこだ」
「なによ。自覚してるわけ?」
「そりゃね。やっぱり一般常識からすれば、二人同時に好きって言っても信じて貰えないんだよね」
「当たり前でしょ。あたしだって、万が一二股なんてされたら、絶対許さないんだから」
 ――確かに、ゼシカ嬢を本気で怒らせたなら五体満足ではいられないだろう。古の賢者の血を正しく受け継ぐ魔法の能力の高さは、圧巻の一言に尽きる。小さなカラダに膨大な魔力を秘め、そして少女らしい可愛らしい声で難しい韻を踏んで呪文を形に――力を、具現化してみせる。それも、瞬きの合間にであるから、逃げ惑う時間さえ存在しない。
「ゼシカの恋人が浮気するトコロは想像つかないなぁ」
 まず、少女の恋人と成り得る異性が存在しているのかも甚だ疑問な処ではある。
 本人にその自覚は無いが、極度のブラコンで甘えたがりなゼシカにとって、理想の男性象とは今は亡き兄の姿そのものなのである。永遠の人となった兄の面影に打ち勝つのは非常に困難だ。無論、ゼシカ嬢が伴侶として迎えるべき相手に妥協を許すわけも無い。
「とーぜんでしょー? 消し炭にしてやるわよ」
「うーん、やっぱり問題はソコなんだよね。
 僕としては二人に対して真剣なんだけど、既存の二股っていう意識が強すぎてどうにもこうにも」
 ぽす、とベッドの上に腰を下ろして、真剣そのものに悩み込む厚顔無恥を体現する少年兵士を、バニー姿の少女は浪漫過ぎる胸元を凶悪な角度で突きつけて睨みつけた。
「二人に対して真剣って言うのが、胡散臭いのよ。どういうこと?
 アンタにとっては、ククールもあのM字ハゲも同列の扱いなワケ?」
「ククールとマルチェロが同列かと言われたらちょーっと違うかなぁ」
「じゃあ何よ?」
 部屋の隅へ置かれている丸椅子を片手で持ち上げ、ゼシカはベッドの傍に腰を落ち着けた。ベッドの端に座っても良かったのだが、真剣な話であるだけに、正面から向き合うべきだと判断したようだ。
「二人とも好きなのには間違いないよ。敢えて言うなら方向性の違いかな。
 ククールの事はね、凄く大切にしたい、ちゃんとこっちを見て欲しい、好きになって欲しいって思うんだ。なんていうかな…、そう『僕の事が好きなククールが欲しい』んだよ」
 真剣に語る瞳や口調に偽りは感じられずに、ゼシカはその想いの真摯さに固唾を呑んだ。
「マルチェロは…、ククールとは確かに違うね」
「どう、違うのよ…」
 控え目に先を促す言葉を口にする太陽の華のような輝きを魅せる少女へ、エイトは満面の笑みで応えながら――…、
「マルチェロの場合は、アイツが俺の事どう思ってようが関係ないね。
 どうせ俺に惚れるしかねェんだから、グダグダ言わずに俺に突っ込まれてろよって感じかな」
「………」
 好青年の笑顔を被った最強最悪の悪魔を目の前にして、ゼシカ嬢は思い切り頭を抱えた。この場合、最たる被害者はククールなのか、マルチェロなのか判断に迷うトコロだ。但し、最大の加害者だけはハッキリしている。満場一致で採決を取れる。最悪の男だと可愛らしい魔法使いは溜息を吐いた。
「…無茶苦茶な理屈ね。アンタが納得しても、二人は了承しないでしょ。それじゃ。
 例え、二人同時にホントに本気だったとしても、普通はそれは二股って言うのよ?」
「そうなんだよねー、ソコなんだ」
 むぅ、と考え込む仕草をして見せるパーティのリーダーは、錬金釜のチンッという軽快な終了音に、出来上がった上薬草を取り出して、次の薬草を入れ直す。路銀の遣り繰りに苦心していた頃に随分お世話になった売用アイテムだが、人智を超えたエイトの強運がもたらすカジノの圧勝によって、今となっては殆ど用途が存在しない。回復アイテムという意味合いにおいても、賢者の石を複数所持している為、この後に及んで上薬草の出番は無いのだ。
 しかしながら、トロンデーン王国の一少年兵であったエイトは常に錬金釜に薬草を放り込んでいた。元々目端の効く働き者という事もあるのだろうが、どうやら単純にこの錬金という作業が好きなようだ。時折、こういった酷く子どもっぽい部分を披露してくれる所為で、どうにも憎み切れない。得をする性分だとしみじみ感心するところだ。
「僕は二人にちゃんと真剣なのに、一般常識の枠に当て嵌めて皆考えるだろう?
 幾ら説明しても信じて貰えない根本的な原因はソコだと僕も常々感じていて、解決策を模索中なんだけど。やっぱりここは、――…世界を変えるしか無いと思うんだけど、どうかな?」
「………うん、ゴメン。意味わかんないわー」
 非の打ちどころのない完璧な笑顔で問いかけられても、質問の意図さえ掴めない。あらゆる思考が突拍子もないので、常人がついていけないのは最早道理だろう。ぴょんぴょんと肩口で揺れるツインテールを指先で弄びながらゼシカは聊か達観気味に返した。
「世界の常識を変えれば、ククールも俺の事を信じてくれると思うんだよね」
「…そこにマルチェロが入ってないのは、アイツの意思は丸ごと無視の方向だから?」
「そうだよ」
「……へー…」
 いっそ、剃り込みM字ハゲが憐れに思えてくる。無駄に美形に生まれついたのが運の尽き。己の性別が『女』で良かったと、両親に心から感謝する日が来ようとは。
「……そういえば」
「ん?」
「アンタって女の子に興味無いの?」
「え? 普通にあるよ?」
「じゃあ、あたしのこの格好見ても何の反応も無いのはどういう事よ?」
 ずい、と最早凶器になり得る凶悪な膨らみを鼻先に突きつけるようにして、ゼシカは挑発してみせた。普段でも充分な胸の谷間は、両脇から圧力を掛ける際どいポーズの所為で既に視覚の暴力にまで昇華されている。確かにこれで無反応であれば異性への興味が無いとされても致し方無いだろう。
「…や、ゼシカは普段からそんな恰好だし」
「うわ、サイテー」
「って言われても…」
 腕組みでツンと拗ねたように顔を逸らされても、ここは苦笑いするしか無いだろう。
「まぁそれはいいわよ。あたしも、別に迫られたいわけじゃないし。
 で、世界を変えるってのは具体的に何なのよ? 今更、何を言い出しても引かないわよ。
 いい加減付き合いも長いし、アンタの奇想天外ぶりにも慣れてきたわ」
「さっすが、肝が坐ってるよね」
「…どうもありがと」
 全く以て褒められている気はしないが、ここでイチイチ突っ込みをいれていたら話が進まない。
「言葉通りだよ。――…俺はこの世界を創り変える。
 っていっても、基本的にそのままにするつもりだけどね。
 ただ、同性同士の婚姻と一夫多夫制をOKにしよっかなぁって」
「……。」
 聞くんじゃなかった。
 アホだアホだと常日頃から思っていたが、ここまで手のつけられない誇大妄想の阿呆だとは思っていなかった。いや、自分の認識が甘かったのだろう。よし、大丈夫。この目の前で一片の曇りも無い爽やか笑顔を惜しげもなく手向けてくるアホが大アホだと再認識したので大丈夫。
「……エイト。」
「ん?」
「この際同性婚姻や一夫多夫制については置いておくわ。
 それよりも、世界を創り替えるって何よ。法王にでもなるつもり?」
「法王はマルチェロに任せるよ。そうじゃなくて、この世界そのものを、創り直すんだ」
「…… エイト 」
「ん?」
 はぁー、と重く長過ぎる溜息を吐く魅惑的なボディラインの魔法使いへ、辺境の平和過ぎる農業国家の一兵卒に過ぎない黒髪黒眼の穏やかな容姿の剣士は、不思議そうに小首を傾ける。
「ここに来たのって、二股は不誠実よ、本命はどっちなのよって言いに来ただけなんだけど…」
 話が飛躍し過ぎだ。壮大過ぎる妄想に最早掛けるべき言葉が見つからない。どうしたらここまで思考が突き抜けてゆけるのだろうか。そもそも、恋愛論から世界の再構築なんて話に繋がるのが謎だ。いや確かに、既存の常識が覆されたのなら、二人の人間を同時に愛しても咎められないだろうが。
「話が壮大にズレ過ぎて、理解の限界よ。だいたい、その発想が常人じゃないわ。
 ホンット、アンタって規格外よね。良くも悪くも、だけど」
「あはは。それは仕方無いよ、だって僕は…――、 」

ひと じゃ ない から ね



a token of love 2



「アニキぃー!!」
「こりゃ! 軟弱モンが!」
 ドガッ、ゴロゴロゴロ、ドンガラララッ!!
「ん?」
「きゃ!」
 遠慮や配慮といった機微の部分を大幅に欠落させているらしい山賊上がりの怪力の男と、茨の呪いにより姿形を魔物のそれへと移し替えられたトロデ王が次々に部屋へと飛び込んできて、ゼシカは驚きに飛び跳ねた。無論、エイトはと言えば全く動じていない。憎いらしい事だ。
「どうかした?」
「どうしたもこうしたもないでゲスよ、アニキ!!
 アッシは止めたんでゲス! なのに、このオッサンがどんどんチップを上乗せして、負けが込んで馬姫様が借金のカタにつれて行かれそうなんでガス!!」
「……! ミーティア姫が!?」
「ちょっ…! どういう事よッ!!」
 トロンデーン王国の深窓の姫君であるミーティア姫は呪いを受け、白馬へと姿を変えられても、その高貴な輝きはそのままであり。目利きの者からは稀に見る名馬として、どうにか譲り受けて貰えないかと無心される事も決して珍しくは無い。現に、過去女盗賊のゲルダによる誘拐事件も発生している位だ。
「ええいっ、だからお主のチップをちょっと貸せと言うておりんじゃ!
 このままワシの可愛い姫が連れていかれたらどうしてくれる!!」
「そんなのオッサンの自業自得でゲス!!」
「なんじゃとぉ!!」
 全く収集がつかない事態に、ゼシカは軽く目眩を覚えた。言い合いをしている場合じゃないだろう。単純に移動手段としての『馬』が失われる話では無く、トロデ王の唯一の身内である大切な一人娘の姫君が借金のカタに取られそうになっているというのだ。
「ほら、二人とも兎に角落ち着いて。ね。
 トロデ王。ギャンブルで負けが込んでるだけですよね。だったら、僕が取り返して見せますよ」
「…う、うぬ。いやしかし、ワシの不始末を家来へ押しつけるというのも…」
 気まずそうに言いよどむ主君へエイトは酷く爽やかな笑顔を穏やかな顔立ちへ貼り付ける。
「大丈夫ですよ。でも、これからは姫を取り上げられるような馬鹿な真似は控えて下さいね?」
「わ、ワシだってむざむざ可愛い姫を奪われる無茶はせんわい!!
 あいつらがイカサマにハメられたんじゃ!!」
「…イカサマ?」
 本当なのかと自分を慕ってくる巨漢の男へ視線を向けると、ヤンガスは同意の意で頷いた。
「トロデのオッサンがヘタこいてるのも確かにあるんでゲスが。アレは確かにイカサマを仕掛けられているでガスよ。アッシはペテンの才能はからっきしだもんで見破るのは難しいでゲスが…」
「ふぅん…」
「ちょっと、そんなのどうするのよ?
 店と結託されてたらミーティア姫を取り戻せないじゃない」
 ツインテールも愛らしい、見事なボディラインの魔法使いは、妙に落ち着き払っている少年の背中に向けて、問いかける。
「ん? ああ、大丈夫。万が一、店が一枚噛んでたとしても問題ないよ」
 根拠の無い自信――、だがエイトという人物の前では全ての事象は限界と常識の境界を見失うのもまた事実。
「…アンタがそう言うなら大丈夫なんだろうけど…」
「流石、ゼシカ。よく分かってるよね。
 さて、トロデ王。姫の処へ案内して貰えますか?」
「…うむ。面倒を掛ける」
「今更ですよ」
 黒さの滲み出る台詞だが呑気な主君は不穏さの欠片も感じずに、素直に臣下の少年を案内する。一応の体裁はトロデ王が主で少年が家来ではあるが、それらがあくまで表面的なものに過ぎない事はある程度共に過ごせば看破可能だ。今の関係は、主君と配下という相関をエイト自身が楽しんでいる為成り立っているだけだ。
「………」
 連れだって部屋を出ていく男衆を見送りながら、ゼシカ嬢はテーブルの上に片杖をつき、軽く溜息を吐いた。結局有耶無耶になってしまったが、あの阿呆が絶世美人の聖堂騎士にも、彼の腹違いの兄である元・聖堂騎士団団長殿にも本気で懸想している事だけは確実らしい。
「…だいたい、ククールはまだ分からないでもないけど。
 マルチェロの何処に惚れたっていうのよ、あの大バカは。
 殆ど、接点なんて無いじゃない。そりゃ、見た目はちょーとばかしいいけど」
 理解不能だ。
 はぁ、と二度目の溜息と共にそのまま机の上に突っ伏すと、肘に何かがコツリとぶつかる。
「? 何これ、聖水…?」
 それは半分に減った聖水の小瓶のようだった。そこらの町村に流通している簡易な魔除け効果のあるそれでは無く、荘厳な気配すら感じられる魔力の源のような――、しかし魔法の聖水とも違う。謂わば、聖なる劇薬というべきか。聖なる眷属以外の存在を赦さぬ攻撃性の強い意思が宿っていた。
「……もしかして、奇跡の水…?
 こんなの…どうして…」
 チャプ、と蒼い硝子の瓶をふってみて、賢者の血脈にある少女は、先程の少年の謎めいた言葉を思い出した。
(……ひと、じゃない… って )
 聞き間違いかもしれない。それは酷く透明な存在感で通り抜けてしまったから。確かめようとしても、直ぐにそんな雰囲気では無くなってしまった。ほとほと間の悪い連中だと、オッサンズに腹を立てるバニー姿の少女だ。
「… アイツって、 …」
 そうであったとしても、何ら不思議では無いから困りものだ。
 寧ろ、そうであると考えば得心がゆく事ばかり。
「あーっ、もうアイツって本当に規格外! ばかばかばかばかっ!!」
 兎にも角にも、今回の一連の遣り取りをどう纏めれば、性悪腹黒エセ笑顔のリーダーに病的に愛されて苦労する聖堂騎士へ伝わるのかと、頭を悩ませるゼシカ嬢だった。


愛しています
たとえばそれは目に見えなくても
たとえばそれは形に現れなくても
私を愛を囁き続けるでしょう

枯れゆく世界へ捧げる――鎮魂歌

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