竜の瞳(ドラグーン・クラウン)とは、真理を解する絶対唯一の存在。
人を介しているように見えようが、所詮は、神の戯れ。
盤上に並べた駒が、必死で遊戯盤の上から逃れようと足掻くのを、高みから見物する悪辣よ。
嬲り嗤う眷属の嘲笑が、遠く、幾重にも不吉に木魂した。
ピチュ、ピチュチュ、
清々しい早朝の綺麗な空気と光、今日も世界の滅亡は免れた、しかし終焉は確実に迫り来る。
急がねばならない――、と、言うのに、
「……はぁ」
「辛気臭いぞ、【竜の瞳】(ドラグーン・クラウン)」
「…そりゃ、暗くもなんだろ。こっちの予定が台無しですよー。
ホントにどうしたらいいですかね、【法王】様」
「まずは、貴様のその狭量な性根を正すべきだな」
「わーぉ、ムカつくー」
何故このタイミングで『これ』が闇魔神ラプソーンとの決戦に首を突っ込んでくるのか。確かに、好きにさせていいなんて言うんじゃなかった、月黄泉へ意地でも足止めしておけと云いつけておけばよかったと、今更の遅すぎる後悔に口をついて出るのは重苦しい溜息ばかり。
ベッドの上に腰を掛け、凶暴な怪物である『あばれ牛』の皮をなめして作られた重皮のブーツを、手慣れた調子で片方ずつ足に馴染ませる。見た目は貧相な布切れだが、特別な祝福の恩恵から、そこらの店で売られている金属製の兜よりも余程頑丈なバンダナを頭に巻いて、再び、嘆息。
「…それ程、私の参戦が不満か。【竜の瞳】(ドラグーン・クラウン)」
「………」
のろのろと身支度を整えるエイトと違い、既に準備万端と隙無く神聖騎士団の団長衣を着こなすマルチェロの問いに、チラリと一瞥をくれて、無言のまま更に重苦しい溜息を漏らす有様だ。
「…いい加減にしておけ。
私が気に食わんのは勝手だが、貴様の不甲斐なさで惑星(ほし)を滅ぼすつもりか」
イラッ、と秀でた額に青筋を浮かべ、流石に我慢の限界だと声に明確な怒りを滲ませるのは、際限無き野心と無尽蔵の欲望を内在させた脆弱な【ひと】でありながら、【邪神】の如き禍々しさ毒々しさを己が英知とし、悪しき闇なればこそ抗い難く人心を惹き付けて止まぬ背徳の――、そう、
【終焉の王】(ラ・ヘルーゼ)
「滅ぼすつもりは無いよ。それこそ、これまでの苦労が水の泡だし……、てか」
「なんだ」
両腕を胸の前で組み踏ん反り返る偉そうな姿勢の未来の法なる王へ、エイトは腰元へ使い込まれた変則武器ドラゴンスレイヤーを――竜殺しの剣という意味だが、何とも皮肉ではある――下げ、凶悪な翼を煌めかせるメタルウィングを背中へ武装し、光の失せた翳りばかりの虚ろな双眸を投げ遣り気味に寄越した。
「…アンタ、まだ本調子じゃないだろ」
「ふん、貴様に心配されるとは。私も落ちぶれたものだな?」
「あいっかわらず、可愛くねーの。
まー、そういうトコが気に入ってんだけどな」
「実に迷惑な話だ」
「露骨にイヤそーにすんなよ。ツレナイんじゃねーの?」
眉間に深く皺を刻み、下種下賤の卑しき者よと冷血の視線に侮蔑の色を加味し下す。
その高慢かつ傲慢に徹底した拒絶の態度に、ククッとエイトは喉奥で皮肉気な嗤いを漏らした。
「なー、マルチェロ」
「馴れ馴れしく呼ぶな、私は貴様の仲間になった覚えは無い」
「え、…この状況でそれ言う? 折角なんだし、今だけでも仲間気分を味あわせてよ」
「断る」
「一刀両断かー、アンタのそういうトコ堪んない。ゾクゾクするわ」
「変態め」
「ふふ、お褒めに預かり恐悦至極。
ところでさー、俺の事【竜の瞳】(ドラグーン・クラウン)って呼ぶの止めて欲しいんだけど」
「――…フン」
「ククールに突っ込まれると面倒だし。月黄泉で養生中だから暫くは現世(こっち)へ出て来れないだろうけど、万が一ってこともあるしさ。これがヤンガスやトロデ王なら適当に誤魔化せるし、ゼシカは明だから多分スルーしてくれるけど、ククールは全力で噛み付いてきそーなんだよね」
世界地図を大きく広げ、大まかな旅路の予定を立てながら、万物を支配する圧倒的な孤独の存在はやれやれと両肩を竦めて見せた。
「余程信用が無いのだな、竜の瞳(ドラグーン・クラウン)。
ならば、何と呼べば満足だ。化粧(けわい)の分際で、名を呼んで欲しいのか?」
「何その憎まれ口。少なくとも"今"は"ひと"なんだし、名前呼びでいいだろ」
んー、と唸りながら指先で地図を舐める、滅びも近く急ぐ旅ではあるが人の身で無理は禁物だ。詰めた日程で無茶な強行軍を敢行し、決戦時に疲労困憊で満足に剣も握れぬのでは、本末転倒過ぎる。それに、既に賢者のオーブは七つ全て手中に、後は神の座から双子の巫女の手で闇魔神のフィールドへ転送を掛けて貰うだけだ。
「…貴様、セカンドネームは?」
「え? 何、突然」
「いいから答えろ」
「もー、強引だなー。ドラグーンだよ。エイト・ドラグーン」
「…フン、竜王(ドラグーン)か。片田舎の城兵には過ぎた名だな」
「アンタ、イチイチ難癖付けないと気が済まないわけ?
可愛過ぎて欲情するだろ。朝っぱらから犯されたいのか、このデコッパゲ」
今後の行程の組み立てを終え、指先で地図の表面を弾いてから、丁寧に折り畳んで仕舞い込む。性根は腐りきり性格は捻子曲がっているが、大国に見向きもされぬ辺境の牧歌国家とは言え一国の城の姫付きとして共に育てられただけあり、基本的にエイトの育ちは良いらしい。
――吐く台詞はどう好意的に解釈しようとも、品性の欠片も感じられない不穏さが際立つそれではあるが。
「…ドラグーン」
「………」
「貴様こそ、呪いとやらは解けたのか。
私の足手纏いになるようなら容赦無く見捨…、 ……、 なんだ 」
黒無垢の眼(まなこ)を驚きにくるりと瞬かせ、平民の出自でありながら若くして法王の権威を掌へ収めた燃える野心の男へ、エイトはポカンと大きく口を開けたままで一言思わずと言った具合に漏らした。
「…や、素直に名前を呼んでくれるとは思わなかったから」
「――不服か?」
「んーん、嬉しい。セカンドネームで呼ばれるのも、なんか新鮮だし。
でも、そっちじゃなくて"エイト"って呼んでくれたら、もっと嬉しいんだけどなー?」
「断る」
「言うと思った」
クスクスクス、と妙に上機嫌で笑みを浮かべる黒髪の少年剣士は、手荷物ひとつ、忘れ物が無いかと念の為に室内を見回してベッドの端から腰を浮かした。
「マルチェロ。アンタ、イシュマウリから何処まで聞いてんの?」
「――…貴様と闇魔神の正体、そして惑星(ほし)の寿命。その程度だ」
「【終焉の王】(ラ・ヘルーゼ)については?」
「ラ…、ヘルーゼ? なんだそれは」
怪訝そうに声を低くさせる顔を顰める未来の王へ、にっこり、エイトは確信犯的な性質の悪さで笑みを浮かべ、楽しげに声を震わせた。
「ひ・み・つ」
「………」
「そのうち判明(わか)るから、ンな不満そーな面(ツラ)すんなよ。
折角の美形が台無しだぜ、法王サマ?」
「実に気に食わん男だな、貴様は」
「そ? 俺はアンタの事、強烈にアイシテルぜ?」
反吐が出る、と毒ばかりの甘い愛の告白を正面から堂々弾き返されて、実に満足そうに時の調律者である大いなる存在――となるべき『人の子』は、感じ入るように溜息をついた。
Solitary Liar
背中に強烈な悪意と殺意を秘めた絶対零度の視線を感じながら、エイトは階下へ降りた。
人が作り上げた人の為の街であれば、酒場の主人やそこで働くバニーの姿、行き過ぎる冒険者や商人の姿が見受けられるが、良き心を保ったままの知性ある魔物達の村『三角谷』では人の姿をした者は、勇者一行――と自分で言うには多少憚られるが――の自分達だけである。
何時もなら馬姫と街の外で待つ呪いにより異形の姿と成り果てたトロデ王も、ここでは気兼ねなく宿泊出来るので、宿で好きなだけ温かい料理や酒を頼んで上機嫌の様子だ。
賢者の末裔である大魔法使いの少女と、盗賊上がりの腕自慢な怪武器使いの男も、既に朝食を済ませ何やら二人で熱心に話し込んでいるようだった。
「おはよ、遅くなってごめんね」
「あら、エイト。おはよう、本当に遅いわよ」
「おはようでガスよ、兄貴! アッシは準備万端でヤスよ!!」
朝っぱらからテンションの高いヤンガスが、デカイ図体で犬の仔のように嬉しそうに纏わりついてくるのに苦笑しながら、人当たりの良い優しげな容姿の剣士は空いている席へ座った。
「………」
宣言通り『仲間』を演じる気は皆無なのだろう、白銀の髪が深紅の衣に映える美しき聖堂騎士の異母兄へあたる男は、食事に付き合うつもりは無いと踵を返す――が、エイトの声で足を止めた。
「皆に話があるんだ。
――勿論、マルチェロも関係あるから聞いてね?」
不服そうに尖る視線を空惚けた笑顔で受け流し、世界救済の使命を担う若き一行は、凡庸な存在ながら非凡な能力でパーティーを引っ張る中心人物の言葉に息を呑んだ。
「――以上が、私が知り得る全てでございます。王の寵愛を受けし稀なる人の子よ」
「………」
「質問はございますか? 可能な範囲でお答えいたしますよ」
ポロン、と華奢な白魚の指先がハープの弦を酷く優しく爪弾くが、奏でる音は何処か切なげで悼ましく、悲しげでさえあった。
「……ある、」
「どうぞ」
「……けど、上手く纏まらない。…ちょっと待ってくれ」
脆弱なる人の子、愚鈍なる人の子、刹那の人の子――の、愛おしきかな。
月黄泉の世界の守人にとって、人の生など天空を瞬きの間に掛け抜ける流星の如く、所詮は一閃の輝き儚き煌めきでしか無く、平坦な時空(とき)の中でひたすらと蒼を謳い続ける幽玄の存在にはそれが寧ろ、眩しく、妬ましく、疎ましくさえある。
「畏まりました。月黄泉では時は無限にございます、お好きなだけ長考下さいませ」
「…、ゆっくりもしてらんねーんだけどな。
ああもう、クソッ…! なんだよ『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)だとか、滅亡だとか、『終焉の王』(ラ・ヘルーゼ)だとかっ……!
そもそも、アイツ今の話が真実(ほんとう)なら、今も――!!」
こうしている"今"も――…、
絶え間なく、身を削ぐ苦痛に晒され消耗し続けている、そんな想像に心が痛み騒いだ。
「…アイツ…、そんな素振り、一度だって…っ」
擦れた発言や斜に構えた態度で本心を巧みに隠してはいるが、繊細にて清らか無償の愛を知る聖堂騎士は低く声を詰まらせ、ひやりとした蒼光の床にへたり込みながら深紅の胸元をきつく握り締めるた。華奢な指先が描く深い皺の不規則さが、心中の葛藤を表わすようで、傷ましくすらある。
「御客人――。いえ、王の寵愛を受けし高潔なる騎士よ。
貴方の中にある『人の子』がどのようなものか、私に知る術はございません。
しかし、護人の私が知る『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の性分は意固地で見栄っ張りですよ。
恐らくは、恋慕の想いを募らせる貴方へ、無様を晒したくは無かったのでしょうね」
「…それって、ただのカッコつけってだけじゃねーのかよ…」
「ふふ、おっしゃる通りですよ。
万物の事象を司る偉大なる御身でありながら、何とも可愛らしい有様ではありませんか。
ここまで想われても尚寵愛を拒む貴方の気位の高さは尊敬に値致しますね」
「アンタ、面白がってるだろ」
「おや、バレましたか」
生命の概念を超越した次元にある護人からの、何とも人間臭い揶揄り様に細やかな白皙の膚をほんのりと桜色に染め、ククールはギロリと壇上のイシュマウリを睨み付けた。
「いいから、ちょっと黙ってろ!!」
「仰る通りに、美しき御客人」
ハァ、と盛大に溜息を吐き肩を落とす。月黄泉と呼ぶ蒼き狭間の主は独特の空気を纏っておりどうにも扱い難い相手だ。精神的疲労を感じ瞼を落とすと、襲う暗闇に心臓がドキリと竦んだ。
(……滅亡。いや、……惑星(ほし)の終焉。
闇魔神ラプソーンは刈り取る者――、つまり俺達が死神と認識する存在と同義若しくは近義。
俺達が生きる名も無き惑星(ほし)は寿命を迎えていて、古の七賢人はラプソーンとの交渉により延命措置を図った。つまり、自分達の惑星(ほし)を【竜の瞳】(ドラグーン・クラウン)の受け皿とする事――、)
神と崇められる高次の万物の中でも唯一無二の力を誇る絶対的存在、正しく、世界全ての王。
(……【竜の瞳】の覚醒の影響は凄まじい。惑星ひとつを揺り篭として育ち、目覚めの産声と同時にその世界は竜の力の余波を受け遍く崩壊する。よって、選ばれるのは【滅び】の確定した惑星。天寿を全うし枯れゆこうとする世界、つまり――…、)
「俺達が生きる、惑星(ほし)……」
蒼き護人が称する【刈り取る者】闇魔神ラプソーンが、惑星を、世界を、滅ぼすのでは無い。
彼の神は惑星(ほし)の迎え主、無数の魂が迷わぬよう標を示し、数多の生命の手を引く慈悲深き存在――、それを滅亡の魔王と呼び醜き様相としたのは人の子の懼れ故、と。
(…とうに惑星の寿命は尽きていて、一時的な延命措置としてアイツは『竜の瞳』の力を惑星に注ぎ続けている。それが――、さっき俺が見た"夢"の正体だと――…)
実際に夢で目撃したように竜の姿をした物体、が惑星の周囲を取り囲んでいるわけでは無く、あくまで"力"を視覚化したものになるわけだが。つまり、死に逝く大地の綻びを、調律者とやらの『竜の瞳』の絶大な力を以て修復し続けている、と。
幾ら『竜の瞳』――神と呼ばれる物質・精神世界に於ける最上位の存在とは言え、生命を留めるのは至難の業だ。それも、蒼の護人の語る言葉が真実であれば、未だ彼は『人』であり『竜の瞳』としては未覚醒――いや半覚醒状態か。そんな半端で不安定な姿で、力を使役し続ける事が如何に困難であるか、イシュマウリの口ぶりから想像に難くない。
「! そういや、アイツ傷の具合は!?」
ハッと顔色を変え、清楚な輝きの白銀の髪が深紅の衣に映え、堕天の化性を生まれ持つ聖堂騎士は、月黄泉の世界へたゆたう蒼の守護者へ強い視線で問い掛けた。
「御心配なさらずとも、もう大丈夫ですよ。
衰弱されていた人の器も竜としての魂幹も、随分と回復していらっしゃいます」
「…そか。」
あからさまにホッと胸を撫で下ろす神遣えの騎士へ、くす、とイシュマウリは口許を綻ばせ、無情にも見える張り付いたような美貌の面を和ませた。
「『竜の瞳』の事が心配ですか、天命の子よ」
「…なっ! 俺は…別にっ…!!」
「そうムキにならずとも…ここには私しかいませんよ?」
だから、無暗に意地を張らずに素直になってみてはどうか、と。
言外に匂わせるイリュマウリの穏やかな、しかし、何処か面白がるような含みの台詞。
気儘な蒼守の主の意図を正しく汲み取るも、銀色の猫はフイと在らぬ方へ視線を逸らすばかり。
懐かぬ野生のような警戒心、惑う強情に、ふふ、と愚かさを慈しむ心地となる儚き奏者だ。
「偉大なる『竜の瞳』へ降りかかりし災厄は既に跡形もございません。
月黄泉の呪いは成就し、昇華されました」
「だっ…、から! 別に心配してねーし、聞いてないだろそんな……、っ、 」
こと、と余計な口を差し挟むイシュマウリへ怒りを顕わにしたククールは、ある"事実"へ息を呑み、言葉は不自然に千切れて途絶えた。
「………呪い?」
「はい」
「呪いって…なんの事だ?」
「おや、『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)から聞いていらっしゃらないようですね」
「………」
不機嫌な無言を肯定と催促として捉え、イシュマウリは嫋(たお)やかな音色に求められる声を爪弾く。
「月黄泉へ穢れをもたらした者へ等しく与えられる呪い、それが竜の御身を苛んでおりました。
人程度の知恵が生み出した刀傷など、本来であればとうに癒えましょう。
ひとつ、命を奪う。すると、それが毒になって身を巡る。
その凶悪さは、御客人も目にされたのでは?
竜の器ですら穢し侵す、それが『月黄泉』の呪いでございます」
「あいつ…、ンなの全然…」
見た目の安穏を裏切り非情の凶悪剣士な少年の体調が思わしく無い事も、例の傷が原因であろう事もとうに察してはいたが、まさか『呪い』が掛っていたとは――と、ククールは薄く口唇を噛み締めた。何故、頑なに『呪い』の存在を隠し通そうとしたのか。そんなに信用されていないのだろうか。少なくとも聖堂騎士である己は剣士のエイトより余程『呪』の類へ精通している。解呪は難しくとも、苦痛を和らげる術や一時的に効果を弱める方法など、見つけられたのでは無いか――…と、口惜しさに拳を床へ奮ってから、ハタ、と思いついた顔をした。
「…なぁ、イシュマウリ?」
「はい」
「アイツ、…エイトのヤツ。『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)とか言う大層なカミサマなんだろ?
なんでそんな御立派なカミサマが呪われるんだ? 解呪出来ないわけねーだろ?」
まだ半信半疑ではあるが『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)、神格の存在の中でも最高位、世の理を説き万物を隷属させる存在であるとして。絶対の力を行使する『神』の力を以てしても逃れられぬ理不尽な呪いが、存在するのだろうか――否、するはずが無い。
「おやおや、御客人。そのように『竜の瞳』の御意志を穿つものではありませんよ。
確かに、『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の理を以てすれば解呪は労せず行えましょう。
しかし竜の力は人の子には過ぎたるもの、『覚醒』の産声を上げ人の器を脱ぎ捨てなければ、解呪は不可能でございます」
「さて、『覚醒』が何を意味するか、聡明な御客人ならば既に御理解頂けますね」
「………ッ!?」
蒼き永劫の支配者が語る全てが真実であるか否かは別の問題として、"『竜の瞳』の覚醒"それが惑星の滅びを意味する事は既に承知済みだ。まさか、との思いに息が詰まり言葉が喉に刺さる。
「そう、麗しき君子よ。天命の子よ。惑星(ほし)は竜の産声を合図として終焉を迎えます。
人の子へ恋し焦がれる『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)が、どうして我が身の安寧と引き換えに、惑星を滅ぼせましょうか。ふふ、時の狭間に堕ち朽ちゆく私には何とも理解し難い感情ではございますが。……純然たる尊大、真理を奏でる絶対の王の何とも面映ゆく可愛らしい事」
「……あい、つ。そんな、…だって、そんな可愛げあるタマじゃ…っ!
あんなのっ…節操無しのド変態じゃねーかっ!!」
追い詰められる心地にククールの声が切なく震えた。憎たらしい大口、余裕綽綽の様、巫山戯た態度。聖堂騎士の青年にとって農業大国出身の田舎臭丸出しの黒髪剣士なぞ、当初は取るに足らぬ存在で。旅を続けるうちに、小生意気な腹黒野郎、性悪の鬼畜人間、非情の殺戮マシンと、印象は次々塗り替えらていった。主に悪い方向へ。しかし――…、
「…あいつ…、なんで…」
長らくその身を苦しめた背中の傷は自分を庇って受けたものだ、聖地ゴルド崩壊の際に重傷を負い何処へと姿を消した兄を『月黄泉』へと保護したのも、恐らくは、あの男の差し金によるものだろう。一見して慈悲深くも思われがちな蒼の世界の護人が、その実『人の世』にもそこへ織り成される『人の生き様』にも等しく無関心である事は、とうに察していたし最初から微塵も期待もしていない。
「さて、私如き下位の者には『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の御心は計りかねます。
直接窺ってみては如何ですか。それが最も確実だと思われますが?」
「………」
沈黙。言葉に成せぬ想いへ沈む白銀の瞳は追い詰められ、重く瞼の裏へ閉ざされた。
「――ラプソーンを退けるのは、不可能なのか?」
拳を握り締め、長く、息を吐き出す。
「本来は」
蒼き異界を司る神秘的な美しさの青年は、短く、望む答えを導き人の理解し得る音と成す。
「命の"終焉"は等しく、誕生の瞬間に終わりは定められております。惑星(ほし)と言えども、大いなる生命の流れから逃れる術はありません。しかし、何事にも例外は存在します。
万物流転の法則を自在とし、特定の生命へ永遠の祝福を与える。『調律者』である『竜の瞳』の力を以てすれば、不可能ではありません。――無論、相応の代償は必要になりましょうが」
『代償』の単語に、ぴくり、と白銀の騎士の細い肩が震えた。俯く視線が上向き、怪訝そうに美貌の面が歪められる。
「代償、って何だよ…」
「『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の力は果てし無く、限りの無いようにも思われますが、そうではありませんからね。しかし、元々の地力が違います。然したる問題では無いでしょう。『力』の寿命が一千年程縮まるといった程度の事ですよ」
「…いっせんねん…。スケールが違い過ぎて、想像つかないな」
一千年程度――、ひとの寿命に換算すればどの程度なのだろうか。ヘタをすれば、一分だとか。だとすれば、本当に大した問題でも無さそうだと強張る両肩の力をどっと抜いた。
「…もうひとつ、いいか」
「何なりと」
「さっき、俺に蘇生したばかりだとか言ってたよな?」
「はい、確かに」
「段々思い出してきたんだけど、俺を刺したのって――…、」
「『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の眷属でございます」
「……は?」
生々しい刃の感触の残る左胸の辺りを騎士団の制服の上から掌でひと撫でし、眉根を寄せ悲痛な覚悟で切り出した問い掛けを、バッサリ、真っ直ぐ綺麗に斬って捨てられククールはくるりと目を丸くさせた。
「神代とて、代替わりの時期は不安定になるものですよ。先代派の一部が、只の『人』如きへ焦れるる新しき『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の執着へ苛立ち。ならば、その執着の原因を排除しようと考えたのでしょうね。由緒正しき神族である『竜』の行いとは思えませんが、事実です。
全く、災難でしたね。御客人」
「……だっ、え、 っ、 だって、兄貴のっ……!!」
見間違うはずも無い、確かに普段とは異なる気配を纏っていたが、それも秘めたる殺意故と考えれば得心が行く。――アレは、あの傲慢な男の姿を見誤るなんて、在り得ない。
「『竜』の一族は彼らの力の強大さ故、人の世へ干渉を禁忌としております。
それが赦されるのは、『竜の瞳』のみ、ですからね。『竜』の姿そのもので"降り"てくる阿呆はいませんよ。多くは『人』の姿を借りて、存在を似せて、干渉を行います」
「……じゃ、アレは…」
「御客人の兄君――『終焉の王』(ラ・ヘルーゼ)の姿を借りた、真っ赤なニセモノです」
「……、…俺を…、助けたのも…?」
あの出来事も『竜』の一族とやらの干渉によるものなのかと、安心したような歯痒いような、一言では到底言い表せぬ複雑な心境へ陥るククールへ、いいえ、とイシュマウリは爪弾きの音色と共に否定を口にした。
「御客人の魂を現世へ呼び戻し、命を繋いだのは紛れも無く兄君ですよ。
ふふ、あれほど血の繋がりを嫌悪していたと言うのに、血溜まりに息絶える御客人を見つけるや否や顔色を失くし、一瞬の躊躇も逡巡も無く蘇生の呪を行使されていらっしゃいました。
――辺りは闇の静寂、立ち込める夥しいまでの血の匂い、凶暴化した魔物へいつ何時襲われてもおかしくは無いというのに、我が身の危険を顧みずに。
全く、人の心と言うのは、正に複雑怪奇。私の理解の及ばぬ果ての闇でございますね」
「……!」
祝福の光、凍える死の淵から現世へと導いてくれた温もりが『兄』からもたらされたと聞いて、深紅の衣を纏う聖堂騎士の青年は、夜空へ煌めく月のように凛とした穢れ無き面へ驚きを顕わにした。
「…兄貴、が……、 なんで…?」
呆然と呟く声に、さて、と蒼の主は微か面白がるような口調でゆるりと首を左右に振る。
「私には知る由もございません。
さて、質問は以上で宜しいでしょうか。御客人」
「……ああ。 っ! いや、 もうひとつ」
「おや、まだ何か?」
「さっき言ってた 『終焉の王』(ラ・ヘルーゼ)ってのは?」
少しでも情報を聞き出そうと貪欲な視線を向けてくる繊細な容姿の客人へ、ふふ、とイシュマウリは妙な機嫌の良さで応じた。
「…『終焉の王』(ラ・ヘルーゼ)。
その名の通り、終焉を迎え『死』を超えた世界へ降誕する王の通称ですよ。
本来ならば生命は等しく『オワリ』を甘受するものですが、時折、それを回避する稀なる世界が出現します。御客人の世界が正に『そう』ですね。『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の強固なる意思により滅びの定めが覆された世界は、以後、永遠に続く時間(とき)の中を『死』を回避し存在し続けます。しかし、世界も惑星も人も皆が『オワリ』を望む時期は必ず訪れますからね」
「――…あるのか、そんな…」
「ええ、必ず」
「………」
永遠の命、若さ、不老不死を願う卑しき人の性(さが)は厭という程理解している。だが、死を望むなんて――。イシュマウリの語り口からして、流行病のような一過性の流言に惑わされてというわけでは無いのだろう、全ての人々が心の底から『死』を請い願う、そんな馬鹿な事が本当に現実にあるのだろうか。あるとしたら――何と滑稽な世界だろう。自分達は滅びを懼れ必死に生き延びようとしているというのに。
「信じ難いでしょうが。貴方ならば何れ目にする機会もあるでしょう。天命の子よ。
その時期(とき)に永遠の生命を赦される世界を"殺す者"を『終焉の王』(ラ・ヘルーゼ)と呼ばれます。御客人の世界の『終焉の王』として兄君が『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)によって選ばれました。無論、兄君へ拒否権はありませんから、一方的な押し付けですね。力ある者へ好かれるというのは、実に厄介な事ですね。心から同情致しますよ」
淡々とした口調に憐れみなど欠片も滲んではいない、社交辞令にも満たない白々しい響きにククールはひょいと肩を竦め腹の底からの溜息を吐き出した。
「アンタ、エイトのヤツに負けず劣らず性格悪いな」
「おやおや、酷い言われようですね。私如き、『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)の足元へも及びはいたしませんよ。さて――、”どうされますか?” 御客人」
「は? 何が?」
疑問の全てを訊ね終えただろうか、他に聞き出しておくべき情報は無いだろうかと、月黄泉の主から明かされた内容を咀嚼し整理していた銀髪の聖堂騎士は、イシュマウリの謎めいた呼び掛けに胡乱な眼差しで応じた。世界の狭間にて美しき音色を奏で続ける護人の性根は、共に旅を続けてきた仲間である黒髪の青年剣士と肩を並べられるレベルだ。今回を逃せば、またぬらりくらりと、真実を語ろうとはしないだろう。それは何らかの制約に縛られて――と言うよりも、単純に性格が捻じれているだけだ。折角の機会を逃して堪るかとのあからさまな態度に、上品な指先がハープの弦を愛おしげに撫でた。
「私は『竜の瞳』(ドラグーン・クラウン)との盟約故、御客人を『月黄泉』へ保護しなければなりません。しかし、兄君についてはその限りでは無く。既に、望む場所へお送り致しました。追いたいですか?」
「! なんっ…、 何処にっ!?」
血相を変え立ち上がり形振り構わず声を張り上げる兄想いの健気な姿に、ひとつ、含み笑い。余程、底意地の悪い表情を浮かべたのか、神々しき力へと頭(こうべ)を垂れその身に祝福の加護を受ける神聖なる騎士は、月黄泉の司の愉しげな姿に鼻白み酷く厭そうな渋面を作った。
「ちょっとマテ、凄い嫌な予感すんだけど…」
「ふふ、そうでもありませんよ? ある意味、御客人の世界で最も安全な場所でしょうから」
そう実しやかに嘯くのは、蒼き月と水の世界で孤独を謳い続ける護人。彼の者が喉を鳴らし肩を揺らしながら白状した『場所』は、自由奔放な生き様で散々に周囲の者を翻弄し続けてきた背徳の騎士を心底から打ちのめす内容だった。それこそ、明かされた惑星の滅びの真実よりも、純朴の仮面を被る性悪の青年剣士が隠し続けていた秘密よりも、死者の闇から兄の手によって黄泉がえりを果たした事実よりも――…、
「なんっ……つぅ、ことしてんだよ!! アンタはぁっ!!!」
両親との死別や唯一の肉親からの憎悪、他者から与えられるのは面白半分興味本位の好奇の眼差し悪意の言霊、幼く無垢な魂が受けるには過ぎたる試練の経験から、大抵の出来事には動じない自負がある薄幸の騎士も、流石にこれには頭を抱え腹の底から弱り果てた本音を声を大にして叫んだのだった。