――最近、あの二重人格の腹黒唯我独尊野郎が夜中に姿を消すのに、気がついた。


トロンデーンの泡沫


「…あれ、どうかした? ククール」
「――…別に」
 現在、問題になっている張本人に優しく問いかけられ、その笑顔の胡散臭さに、絶世の美貌を誇る聖堂騎士は柳眉を寄せた。
「…? お酒、追加注文してこようか?」
「いらねぇよ」
「そっか。今日は、カードは?」
「気乗りしねぇ」
「…そっか。疲れてるなら、早めに休んだ方がいいよ」
 余りに素っ気無く刺々しい態度に、普通の者ならば、とうに気を悪くしそうなものだが。目の前でヘラヘラと愛想を振りまく野郎は、全く、意に介した様子も無い。その態度が、余計に苛立ちを募らせる要因だ。
「エイトの兄貴! ちょっと、こっちに来るでヤンスよ」
 そうする内に、トロンデーンの近衛兵であった少年に命を救われた経緯から、彼を兄貴分と慕う山賊に呼ばれ、エイトは席を外した。
「………」
 周囲に五月蠅いのが全ていなくなると、丁度座るテーブルの位置が酒場の隅ということもあり、喧騒から切り離されたような心許なさを感じる。心地よい酔いに身を任せるようにして、そっと銀褐色の眼差しを沈めれば、片手に持ち上げたグラス越しに、世界が歪んで見えた。
(毎晩じゃねーけど…、エイトのヤツが抜け出してることは確かなんだ。
 他の連中はアイツを信頼してっし、宿の部屋割りも違うから、気付いてもねーみてーだけど――…)
 幾ら人畜無害そうな容姿の持ち主とはいえ、やはりそこは『雄』なのだ。世界を滅ぼさんとする巨悪――仮にも『神』と名づけられる存在との戦いは決して気楽なものではない。相応の重圧もあるだろう。それらを晴らすために一晩限りの契約をした『女』を抱いているというのであれば、それはそれで構わないと思う。
 アイツのコトだ……例え、金で繋がった関係であっても『女性』相手に、酷い真似はしないのだろう。それはもう、呆れるほどのフェミニストなのだから。
仲間内から散々、女タラシだとか、ナンパヤロウだとか言われているが、それら全て返上してアイツの顔面に叩き付けたいくらいだ。と、ククールは、訳も分からず湧き出した暗い感情を持余し、結露した硝子の向こう、皆の中心で笑顔を容易く振り撒く苛立ちの原因を思い切り睨み付けた。
 ――…その瞬間、余りに出来すぎなほどに、キッチリと視線が絡まってしまった。
「……ッ」
 別段――旅の仲間である連中を見ていたからといって、特に可笑しなこともないのだが。奇妙な気まずさを感じて、思い切り顔を逸らす――と、予想通り、天然タラシ仕様のアホは、小首を傾げると眉を下げ、如何にも、心配していますという表情で駆け寄ってきた。
「……ククール?」
「ンだ、何か用かよ」
「うーん。用って程じゃないんだけど、大丈夫かなーって思って」
「……何がだよ…」
 優しくされればされるほど、気を使われれば使われるほど、更に腹立たしさが増すのだから仕様が無い。しかも、相手がコレでなければ、修道院で否応無く培った白々しい話術で場を濁すのもお手の物だが、何故だが、このアホには通じない。腹黒の人格破綻者のくせに、妙に天然で真っ直ぐなところがあるから、だろうか。
「ホントに具合悪いんじゃないの、ククール。さっきから、ちょっと変だよ?」
「……っせーな、ほっとけよ。ガキじゃねーんだし、テメェの管理くらい、テメェでやれるっての」
「って、言ってもなぁ…」
 酒が入ると普段より陽気になる彼が、逆に不安定になる時はロクなことが無いと、
「くどいンだよ、テメーは。近寄るな、アッチ行ってろ」
 札付きの女好きを自負するだけあり、同性に懐かれるのは御免だと、犬の仔を追い払うような仕種をするつれない綺麗な人に、エイトは微苦笑を浮かべた。
「シッシッって…、まぁ、大丈夫ならいいんだけどね」
 余り構い過ぎても気分を損ねるだけだと、親しい相手には傍若無人になる可愛い性格をした聖堂騎士の、月の輝きを織り込んだような銀糸の一筋を指先に絡め、少年はそっと口付けた。
「……ナニしてやがる」
 途端、急降下する機嫌。同時に、低くなる声のトーン。余りに分かり易い反応に、思わずエイトは吹き出していた。
「…な、なんだよ?」
 脈絡なく笑い出したパーティのリーダーに充分に不審を感じつつ、怯みながらも牽制すると、何でもないよ、と。あからさまに誤魔化した台詞が。
「それより、そろそろ僕は部屋に戻るね。明日も早いし。ククールも、早めに休んだ方がいいよ?」
 優しい気遣いを見せ、一見、平凡で軟弱そうな印象の少年は、ベルガラックのホテルの喧騒を後にし、上階へと姿を消した。
「……チッ、ヤなヤローだぜ。
 気安く、触ってンじゃねーよ…」
 酔いの為か普段より三割り増しに機嫌と口の悪い深紅の聖堂騎士は、忌々しそうに、グラスに残った透明の酒を一気に煽った。



 空に――満点の星、満ち足りた月の輝き。
「んーッ、今日もいい天気」
 夜も更ける頃、ベルガラックの高級ホテルからそっと抜け出して、エイトは大きく伸びをした。
 カジノの町で充分にギャンブル運の強さを発揮するリーダーのお陰で、救世のご一行は、充分な旅の資金によって潤っていた。以前までなら、男三人一部屋に宿泊したり、場合によっては、姫の引く馬車の中で休んだりしたものだが。今となっては、こうして一人ずつ部屋を取れるまでになっている。
 お陰で、パーティの面子からは感謝されると同時に、悪徳ギャンブラーなどと有難くも無い称号で冷やかされていたりするのだが。
「……そーいえば、ククール。明日、大丈夫かな…」
 ――ベルガラック宿泊時には、大抵、皆ハメ外して騒ぎ立てる。恰幅の良い元・山賊のヤンガスは豪華な食事と酒に舌鼓を打ち、パーティの紅一点である、向日葵の華のように愛らしいゼシカ嬢も、色とりどりのスィーツに目を輝かせる。修道院育ちで質素な生活を強いられてきた聖堂騎士の絶世の美貌を誇る青年も、ホテルの待遇と、隣り合わせに建つ規模の大きなカジノに嬉しそうな顔を見せていた。
 だから――あんな風に、気分が優れない様子でいるのには、酷く、珍しく。
「んー、まぁいいか」
 見渡す星空には、一際、気高く煌々とある黄金の姫君。
 何にも侵されず、何にも汚されない、至高の存在。

 美しい、天空の――花嫁。

「…って、と。何時までも月見してても、しょーがないし。
 可愛いハニーに逢いに行くか。今日も、ご機嫌ナナメかなー。しょーがないなぁ」
 自尊心の塊のような、孤高の魂を、爆ぜ煌めかせる、極上の獲物。
「……ルーラッ…」
 光の矢となり、空間を飛び越える特殊な高等移動魔法。
 流石に慣れぬうちは目測を誤ることもあるが、他の魔法と比べても、魔力の消費は格段に抑えられ、しかも、術者の記憶にある土地ならば、特別な結果が敷かれた場所以外には、如何な場所でも瞬間に移動可能である。本当に、この魔法を生み出した先達は偉大だと毎度感心しながら、流れる景色を視界の端に、グンと横に掛かっていた圧力の方向が、頭上からのモノに変化すれば、後は着地を意識するだけ。
「……今日も、絶好に幽霊屋敷――じゃないか、幽霊城? ってカンジだなー。如何にも、なんか出てきそうだし。まー、確かにモンスターは出るけど、さ」
 夜の闇に呑まれるようにして、巨大な茨に絞め殺された異様な佇まいで在り続ける――呪われし、愛しき故郷『トロンデーン』。
 牧歌的な農業国であるトロンデーンは、国王の居城と首都が離れて建設されているのが特徴的だ。お陰で、ラプソーンの被害が城だけに集中している。過去の賢者達が、こういった事態を見越して城下町を建設しなかったのかは、定かではないが。一国の王を失い、指針を失ったトロンデーンは、悲しみにくれながらも、逞しく、美しかった。
 少し離れた場所にある首都は今でも機能し、人々は、日々の生活を繰り返す。豊饒の大地と太陽の恩恵に守護された、豊かで平和なトロンデーン王国。しかし――それも、何時まで保つものか…。
「――首都の責任者に、一通りの経緯を説明して、なんとか国を支えてもらってはいるけど、な。幾ら朴訥さが売りの呑気な国でも、自分の思惑通り国が転がるっていうオイシイ状況で、何処までガマンが効くものかな…」
 半壊した王城の正門を越え、ラプソーンの降誕と共に凶暴さを増した怪物の群れを一蹴しながら、エイトは、ひぃーふぅーみぃーと呑気に指折り歳月を数える。
「……半年、かな。それで、ケリがつけられなきゃ、政権が代わる」
 能天気に安穏と『王』として君臨してきたトロデ王や、その娘であるミーティア姫は、国を乗っ取られる危機感など微塵も感じていないようだが――正直、人が良すぎる。
 その良心的で寛大な国政によって、トロンデーンの民が幸福に暮らしていた事もまた事実であり、一概に、欠点であるとも言い切れないが。それにしても、人の上に立つ者にしては、裏表が無さ過ぎだ。個人的にはノンビリした王様というのも、面白くていいのではないかと思うが。
 ジャガァッ!!
 鋭利な鉤爪で容赦なく襲い掛かってくる怪鳥の群れをメタルウィングで蹴散らし、茨に変化したドラゴン属の魔物を、ライトシャムシールで薙ぎ払う。切り裂いた皮膚の内側に、雷系呪文を直接叩き込んでは、容赦なく焼き尽くす。
 一部の隙も無い――流れるようでいて雄々しい、闘神の武舞。
 幾らある程度格下の魔物ばかりとはいえ、無尽蔵に沸いてくる敵を相手に、全く怯まぬその姿に、却って次々と同族を失う獣等が、恐怖を抱く。
「…ったく、毎度毎度。
 いい加減、いつも俺にヤらてるんだし。学習すればいいのに」
 それとも、魔物にとって人間の個体を、その造作から判断するのは難しいのだろうか。
「さーて、今会いに行くよ。ハニー」
 やっと行く手を遮る面倒が無くなり、鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌で、修羅のような非情さを見せ付けた小柄な青年は、不気味に輝く白刃の血糊を楽しそうに振り払い、トロンデーン城の裏口へと、迷いの無い足取りで進んだ。



「……エゲツねぇ、() り方…」
 地面に染み入るドス黒い血溜まりに、秀麗な面を顰めつつ、清廉潔白たる騎士の出で立ちの底に、抗い難い艶を滲ませる麗しき佳人は、魔物の気配が失せた茨城の正門をくぐる。
 数分前の侵入者の悪鬼の如き戦いぶりに、すっかり成りを潜めた魔物たちは、気配すら薄い。全身に振り掛けた聖水の守護と恩恵を受ける聖職者は、労も無く、正面庭園を過ぎ、怪しい単独行動をとるパーティのリーダーが消えた扉へと近付いた。
(――にしても、あんまりじゃねぇ…?
 聖水かトヘロスでやり過ごせるだろ? わざわざ見つかるように正面から魔物の巣窟に突っ込んで、大虐殺かよ。アイツ、実は人間じゃねーんじゃねーの? ぜってー、血の色なんて緑だぜ、緑)
 幾ら、群がる敵とある程度実力差があるといえ、陽光の庇護の無い『夜』には、魔物の凶悪性は格段に跳ね上がる。マトモな神経の人間なら、無駄な戦いは避けるのが常識だ。
(……ま、アイツの非常識ぶりは、今更だしな。
 それより――こんな場所に、一体…何の用だよ。あのバカ。まさか、故郷が懐かしくなったとか…、いや、ンな可愛気のあるタマじゃねーよな…)
 とりあえず、行ってみればハッキリする。
 そう思い直して、ククールは百戦錬磨の剣士に悟られぬよう、気配を消して樫の扉の向こうを探った。



「おや、お客人。
 ――今日もまた一段と、死を纏っていらっしゃる」
 生きた幻を生み出す音色、伝説のハープを爪弾く優雅な指先を差出し、月読の王は、既に常連となった人の子を歓迎した。
「…いい加減慣れたけど、相変わらず、サラッと手厳しいよな。イリュマウリ?」
「仕方ありませんね。
 私の世界は、ただ『無』を描くだけの、果ての存在。命を匂わせる存在は、過ぎて、毒なのですよ。それを分かっていて、毎回――よくも、その姿で現れるものですね」
 決して己と異なる存在を拒絶はしないが、色に染まりもしない。未来永劫、世界の空白に棲まい、『人』をあらゆる意味で超越する時空の番人の、穏やかながらも痛烈な厭味を、意に介した様子も無く、豪胆な人の子は、傲慢に嗤う。
「なーに言ってるんだか。
 ホンキで嫌なら、アンタの力で月の小路を封鎖することも出来るンだろ? それに、別のアンタのイヤガラセで、毎度、こーんなカッコで来てるわけじゃねーし。分かってンだろ。目的はアンタじゃなくて、俺の、気の強いハニーな」
「……全く。呆れるほど無礼ですね。
 確かに、貴方を受け入れているのは事実。否定はしませんよ、人の子よ。貴方の存在は酷く好ましい。私の中に、存在することすら忘却しかけていた『感情』を思い出させてくれますから、ね」
 その手段に多少の問題があるにしろ、と付け加えて、イシュマウリは奥の部屋を指した。
「今夜も逢瀬の一時でしょう。私に構っている暇が惜しいのではありませんか?」
「そんなことないケド? 俺は、アンタにも興味あるし」
「多情は、身を滅ぼしますよ?
 欲深く求めれば、情の劫火に焼き尽くされましょう」
 仕方のない人だと肩を竦め、イシュマウリは、中断していた演奏の続きとばかりに、ハープへ指を滑らせた。
 言い逃げされた、と察しつつも、楽の世界へ旅立った蒼月の麗人を現世(うつしよ)に呼び戻すのは、尋常な苦労ではない。
「……嫉妬で殺されるなんて、本望だね」
 神秘の青年との対話を潔く諦めると、エイトは不遜な笑顔で、そう、一言を漏らした。



 キィ…と、微かな軋みと共に、左右に押し開く扉の感触は、もう随分馴染んだ。
 月読の世界の神秘さを代弁するような入り口付近の蒼の世界とは異なる、まるで、現実世界と変わらぬ、品の良い部屋には、見慣れた不機嫌な顔が――、
「……アレ?」
 いつも、清潔な寝台の上から、まるで汚らわしい蟲を見るような。――それはもう、最高に可愛らしい態度で迎えてくれるのだが。
「んー? 留守…、なワケないよな」
 並みの人間なら、昏睡していても可笑しくない重傷者のクセに、一体何処に姿を消したのやら、と。綺麗な獲物の姿を探して、エイトは一歩、二歩、と無遠慮に部屋の中へ進んだ。
 そして――、
「なんだ…」
 ニッ、と口角を持ち上げ、凶悪な微笑を履いた。



「……離せ」
 不機嫌極まりない、睨みを利かせた低音ヴォイスが、胸の下から響いて。如何わしい現状にそれはもう満足そうに、にっこりと人好きのする笑顔を振り撒くのは、極悪勇者。
「うーん、ソレは出来ない相談だなぁ」
「重い。退け」
「傷には触ってないと思うけど?」
「……下衆が」
「オーケー、オッケー、下衆でも下等でも何でもいいから。もう、黙れよ。
 いきなり急所を狙ってくるなんて、反則だろ? アンタ、可愛過ぎ。もー、あてられちゃって、こんなになってンだけど? 勿論、男の甲斐性で責任とってくれるよな」
 熱を帯び膨張した下腹部をわざとらしく擦り付けてくる不埒な輩を、射殺さんばかりの滾る眼差しで睨み上げ、手負いの獣――権力に異常な執着を見せる、凛々しき法王殿は、地の底を這うような声音で威嚇した。
「……死んでみるか、貴様…」
 間の抜けた顔をしているくせに、物事の真理を掴み、確信を突く鋭さで、散々計画の邪魔をしてきた、忌々しい男。憎き怨敵の喉笛を、今度こそ掻っ切ってくれると勇んでいた、潔癖の白の法衣が酷く相応しい男の強襲計画は、それはもう呆気無く潰えた。
 扉の影に隠れ背後から――完全に気配を消して短剣で喉元を狙ったのにも関わらず、背後に第三の瞳でも持っているのかという正確さで、凶刃をかざした腕を捕られ、寝台に引き倒された。
「そーだなー、今のとこ、まだ死ぬのは勘弁かな」
「なら、手を放して、二度とここに顔を見せるな。貴様の姿には、反吐が出る」
「それも、却下」
「……貴様ッ…」
 ギリッ、と歯の擦れる音がし、下からの抵抗が強くなる。常人であれば、とうに亡くなっている重症を負いながら、よくもここまで抗えるものだと感心しつつ、エイトは容赦なく、その腹に片膝を乗り上げた。
「……ぐっ…」
 自身を限界まで律するが美徳とされる修道院の掟、それを体現してみせる、ある意味潔白な生き様の男は、丁度、傷口に触る部分に圧力を感じて呻いた。
「アンタに、選択権なんて……」
 右膝に力を籠めたまま、毒を含んだ艶っぽさで、無垢な瞳を無邪気な悦びに歪ませた青年は、獲物の腰を下からゆっくりと撫で上げる。
「……ッ、さわるなッ…!」
 咽の奥から風を切るように鋭く制止の声をあげる、かつて清廉潔白とあった聖堂騎士団長殿の反応に、満足そうにエイトは吐息を漏らす。
「――あるわけないだろ…? すっげー、可愛い。エロい。な、抱いていい?」
「……―殺すッ…!」
「そう噛み付くなよ。……負け犬みたいだぜ?」
 ガタンッ…、
 思わぬ物音に意識を逸らしたエイトは、次の瞬間に、サァと顔色を変えてみせた。
常に人を食った笑みを浮かべ、悪魔のように微笑み余裕を振りまく人物の、何時に無い顕著な変化に、あらゆる意味で危機的状況にある男は、眉根を寄せた。
「あ〜〜っちゃー」
 何事なのかと視線を扉に泳がせてみても、そこには痕跡すら見出せず。
 人様の上でのうのうと存在を主張する忌々しい青年を、再びキツく睨み上げれば――腹の底から、弱りきった様子で。少々大袈裟な程に、頭を抱えていた。
「…しまったなー。様子がおかしいとは思ったけど…」
「? どうでもいいが、退け。私は、男の下で歓ぶ趣味は無い」
「……スッゴイ、エロ台詞を、さらっと言っちゃうのがアンタの凄いとこだよな…」
 論点のズレた感心の仕方をしてみせる忌々しい青年を、かつて、世界を掌握せんと暗躍した野心の獣は、家畜を眺めるソレと同等の視線を送った。
「すっげー目の色。ゾクゾクするね。
 ――ホントはもっとアンタと遊んでたいんだけど、残念ながら、ちょっーと都合が悪くなってさ。名残惜しいけど――またな、法王様?」
 苦々しさから深く皺が寄せられた眉間に、そっと接吻けて、エイトは反撃を避けるために軽やかな身のこなしで、その場を飛び退いた。
「……このッ」
「――っと。あっぶない、あぶない。危機一髪」
 流石に療養中とあり武装は解いている。常であれば、何時なんどき暗殺者に命を狙われても可笑しくない立場から、最低限の武具は枕元に潜めているのだが。流石に、現世と不可視の力により隔たれた月読の世界にまで『敵』が侵入する可能性は低い。蒼茫たる永劫の世界を司る月人に、赦された者だけの祝福であるが故に、だ。
 しかし、今回――あまりに不埒な行為に進もうとするウツケに、強い意識改革を求められた、元・聖堂騎士団の団長だ。
 今度は、寝台に毒牙のナイフでも仕込んでおいてやると不穏な思考に染まりつつ、手応えを得られずに悔しがる拳を手元に戻した。
「さっさと立ち去れ! クズがッ!!」
「あっはっは、トンがるなって。じゃーな、また来るから、大人しくしとけよ。ハニー」
「……死ね」
「うーん、熱烈告白。愛してるぜ、マルチェロ」
「二度と、その顔を見せるなッ!!」
 残念ながら手頃な鈍器が手近に見当たらず、大きめの羽枕を振りかぶって投げつけたが、憎らしさばかりが募る勇者気取りの青年は、既に蒼の扉の向こうに姿を消していた。
 ぼふ。
 と、何とも可愛らしい音で、全力投球した寝具が床に落ちるのを見遣り、野心と覇気に満ちる男は、憤怒のあまり痙攣するコメカミを押え、深く息を吐いた。



「さーてーと。参ったなー…」
 可愛い愛人(ラマン)との甘いひと時の余韻に浸っている暇もなく、エイトは手始めにと、不可視の蒼にて、全てを超越し支配する月の護人に近づき、声を掛けた。
「よ。イシュマウリ」
「おや、どうかしましたか。お客人」
 清浄たる水の流れ、亡羊たる時の紡ぎを想わせる、幻想的な調べをそのままに、イシュマウリは、淡々と応じた。
「どーかしましたか? じゃないだろ。今ここに、ククールが来てただろ?」
「ええ、いらしておりましたよ。振り子を打ちつけた私の世界には、鮮やか過ぎる深紅の装いの、――麗しき御仁が」
「で、アッチの部屋に通したわけか。
勘弁してくれよ、俺がマルチェロもククールも気に入ってるの、知ってるだろ。なーんのイヤガラセだっつーの」
 蒼の色彩と音色の欠片で構築された世界は、その護人の赦しが請えねば、存在する、ただそれだけのことすら不可能となる。
 ――逆に考えれば、つまりイシュマウリは、意図的にククールをマルチェロの部屋に誘導したということだ。
「……人の子の慕情に口を挟む気は毛頭ありませんが、やはり、無理強いは感心しませんからね」
「覗いてるなんて、趣味悪いんじゃないの? 人の、 濡 れ 場」
「人聞きの悪い事をおっしゃる…。覗いてなどいませんよ、ただ、黒髪の客人の酷く乱れた気配を感じたものですから。――どうせ貴方が、よからぬ真似をはたらいているのだろうと、そう予測をしただけです」
 幾夜となく月読の世界へ渡り来る童顔の青年の、その腹の底に溜め込むだけ溜め込み、際限無く膨張する一方の黒さは、既に重々承知しているイシュマウリだ。
「ったく。アンタ、いい性格してるよな…」
 これ以上、月の護人を責めても埒が明かないと、エイトは踵を返す。
「あ、念のため訊くけど。ククールに、何か余計なこと吹き込んでないよな?」
「余計な事かどうかは、定かではありませんが。
兄上が此方で療養していらっしゃる経緯と、命に別状が無い事だけは、彼に伝えておりますよ。――尋ねられましたからね」
「……それ、俺がマルチェロをここに連れてきたっていうのも…」
「ええ、申し上げております」
 人としての感情を欠落させた透明に澄んだ声で、ただ、在るがままの事実だけを告げる、蒼の護人。
「――…あー…」
 そして、それは。
 決して、今回の件の首謀者にとって有利な情報では無かった。
「…ってことは。俺が、マルチェロの居所知ってて黙ってたのも、全部バレたって訳か…」
「喩え、表向きに互いを悪し様としたとて。想いあう以上、心が惹かれあうのは、自然の流れ。早めに、伝えてさしあげれば良かったでしょうに」
 ハープの爪弾きをそのままに、優雅な仕草で、イリュマウリは口調に批難の色を合わせ、今後の算段に頭を抱える青年を見遣る。
「あーのーな。そーカンタンにいかないんだよ。これが」
 平凡で仲を違えぬ普通の兄弟であれば、事は単純に済む。しかし、複雑な感情が混ざり合った異母兄弟同士となると、伝えることで、新たな波紋を呼ぶ可能性があった。
 暫く、様子を見て――と計画していたものが、一気に水の泡という訳だ。
「……人の感情とは、実に厄介なものですね」
 理解が遠く及ばぬとばかりに、イシュマウリはゆうるりと首を横にする。神秘的な彩りの蒼の長髪が、サラサラと肩から滑り落ちた。
「まぁ、だからこそ人が『人間』であるんだけどな。
 って――アンタと、談義してる場合じゃないんだった。じゃ、俺はもう行くから。マルチェロの事、頼むな。ここから逃げようとしたら、ちゃんと掴まえとけよ」
「……重傷者である彼を、下界へ帰すのは、私とて賛同しかねますが…」
 正論ではあるのだが、傍若無人な態度で闊歩する黒無垢の瞳の青年の台詞に、何か、不穏当な気配を覚え、己の行動に疑問を感じる。
――感じるが、この後、深紅の衣装も麗しい、美貌の御仁へ必死で申し開きをする青年の姿を予見し、溜飲を下げたイシュマウリは、わかりましたよ、礼儀正しく応じたのだった。



なんというか、エイトが黒いです。真っ黒でなく、微妙な黒々しさ。
今日も笑顔で人を騙すぜ、家宅侵入・器物破損はお手の物
君のものはボクのもの。ボクのものはボクのもの。レッツゴゥ、じゃいあにずむ!
・・・・そんなエイトが理想です。(キパッ)



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