穏やかな昼下がり。
今後の決戦に備え、秘蔵の錬金釜にて薬草の調合待ちをしていた、呪われしトロンデーンの兵士であった少年は、童顔に抜群のスタイルを誇るツインテールの魔法使いの何気ない一言を前にして、完全に返答に詰まっていた。屋内作業中の為、普段ならば戦闘による髪の乱れるのを抑える為に巻いてある頭部のバンダナを外している少年は、何時もより幼く見えた。
「あれ。そんなに考え込むトコ? もうそろそろ考えてもいいんじゃないの?」
「んー…、そう突っ込まれるとグゥの音も出ない感じだし。
全く考えてない訳でも無いけど、まだ漠然としてて。ハッキリとは言えない、かな」
「うわ、すっごい意外。アンタの事だから、ククールを正妻に、姫様を愛人にして、トロンデーン王国を乗っ取る腹積もりだと思ってたわ」
「…ゼシカの中で僕は今どれだけ悪人なのかなぁ」
「今更、確認するまでもないでしょ。悪人ランキングの上位を快調に飛ばしているわよ。おめでと」
腰に手を当て辛辣な言葉で答えるパーティの紅一点。非凡なる魔法の才を閃かせる賢者の血統の少女だ。愛らさと幼さが際立つ顔立ちに、ボリューム満点のセクシーなボディは特に異性の目を惹き付けて止まないが、彼女自身に性的なアピール意識は薄く、その成熟した肉体に反し、兄の仇討ちだけをひたすらに望む精錬潔白な心の純真さが、アンバランスな色気を放っている。全て、無意識なだけに余計にタチが悪い。
「そういうゼシカはもう決まってたりする?」
薬草を種類別に仕分けるという地味な作業の手を休めずに少年――…エイトは、逆に魔法使いに同じ質問をする。すると、大胆に誇らしく空を目指す向日葵のような少女は、当然とばかりに得意満面の顔で応じた。
「私は決まってるわ。ひとまずは、実家に戻って報告しなきゃだけどね」
「決まってるって…、具体的には?」
「それは、秘密」
ゼシカの小悪魔っぽい表情が随分堂にいっていて、思わず見惚れてしまったエイトは、己自身に苦笑した。一応、健康な成年男子の欲求は正常に機能しているらしい。
「あ、そろそろ完成みたいよ。次の薬草入れなきゃ」
「了解」
ノーマルな薬草は家庭でも栽培可能な程手軽だが、成程、効果は簡易な止血や痛み止め程度だ。トロンデーン王家の秘宝である錬金釜により薬草同士を掛け合わせる事により、従来のそれと比べるべくもない効能を発揮する。過酷な旅には欠かせない必需品である。
「トロデ王とミーティア姫は、勿論国に戻るわよね。
ヤンガスはどうなのかしらね」
男勝りで勝気な性格の反面、無意識に繊細な配慮をする事が出来るゼシカは、さり気無くエイトが任されている雑務を手伝いながら、呟いた。
「故郷に――…って選択肢は無いと思うんだけど。
特に愛郷心が強いってタイプじゃないし。なにせ、出身がパルミドだし」
凶悪な破壊力を誇る豊満過ぎる胸元を惜しげもなく晒す魔法使いの少女は、肩を竦めて溜息を零す。見知らぬ者同士が懇意となるだけの期間を困難な旅路に費やしてきただけあり、ある程度互いの事を知るに至っているのだ。ヤンガス――…、強面の山賊上がりの野蛮な風体の男は、意外にも肝っ玉が小さく人が好い。どのくらいお人好しかというと、今も目の前で優しく微笑みながら話に耳を傾けてくる黒髪の少年を、兄貴として無二に慕うくらいと言えば解りやすいだろう。正直に言おう、この少年こそ悪魔だ。
「本人に訊いてみるのが一番だと思うけど。ヤンガスー? ちょっといい?」
ドルマゲスの呪いにより、見事な純白の毛並みの白馬に可憐な姫君の見姿を歪められたミーティア姫の周辺で、トロデ王と何やら新技の練習に余念の無いヤンガスに、エイトは声を掛ける。
「なんでヤンスか? アニキ」
全くの偶然によるものから、トロンデーンの近衛兵として姫の傍に仕えていた少年に命を救われた山賊は、無条件でエイトの言葉に従う。今も、呼ばれれば嬉しそうに横に幅を取る図体をコミカルに揺らしながら駆けて、丁度馬車のほろがついた荷台の前で止まった。
「うん。今回の旅が終わったら、ヤンガスはどうするか決めてるのかなって」
そう。
かつてのトロンデーン城にてドルマゲス――いや、闇魔神ラプソーンの呪いを受け、茨人と化した同胞と、魔物と白馬に姿を変えられた主君を救う目的で、故郷をたった三人で旅立った。当初の予測を裏切り、事は随分と大袈裟になってしまったが、何事も終わりがある。旅の終着地点をスタートに、ゼシカは己の第二の人生を既に模索してた。一般論ではあるが、総じて女性というのは『生』に対して前向きである。
「今後、でヤンスか?」
ぱちくり、と小さな瞳が瞬く。
やはり、まだ先の事と考えも及んでいないのだろうかと、ゼシカが口を挟もうとした瞬間に、ヤンガスは事も無げに答えた。
「決めてあるでガスよ」
「うっそ!?」
「嘘、…って。失礼でヤンスね」
余りに率直な感想に、ヤンガスは肩に担いでいた斧を地面に突き刺し、胸を張った。
「アッシはこれでも、ちゃーんと将来について考えてるでヤンスよ」
「へーぇ。すっごい意外。でもって、見直した。
で、具体的には?」
薬草の種類分けを放り出し、ずいと詰め寄って興味深そうにするゼシカに、ヤンガスは慌てた。胸元を大胆に開けた私服の為、前かがみで窺われると谷間がかなり際どいアングルになるのだ。無論、ツインテールが愛らしい魔法使いの少女には、一切その意図は無い。
「…その服は、一枚上に羽織ったほうがいいでガス…」
「なによ、急に」
キョトンとされると余計に言いにくい。
勝気な世間知らずなお嬢様なだけあり、自分の完璧なプロポーションには自信を持っているが、その見事に豊潤な肉体が異性からすれば如何な魅力を放つのかは、理解の範疇外らしい。
「もういいでヤンス…。
それより、旅が終わった後でガスな。
場所はまだ決めてないでゲスが、アッシは孤児院を作ろうと思ってるでヤンス」
「…孤児院…」
心底意外だった。
それまで二人の遣り取りに耳だけ傾け、黙々と作業をこなしていた少年でさえ、手元を休めてヤンガスの台詞に目を丸くしている。孤児院なんて慈善事業、元山賊という経歴の悪人面男の口から飛び出す台詞では無い。
「アンタ、正気? どーしたの、熱でもあるの?」
「つくづく、失礼な小娘でヤンスな。アッシは真剣に考えているんでゲスよ」
心外だとばかりに鼻息を荒くしてみせる山賊あがりの男に、ゼシカは小悪魔的にピンク色に艶めく口唇を可愛らしく尖らし、反論した。
「小娘とは何よ! それに、修道院があるでしょ? 孤児院なんて必要ないわよ。バッカじゃない」
「バカとはなんでガス! 第一、修道院なんてクソ食らえでゲス! 修道士や聖堂騎士になれなかった孤児がどうなっていたか知らないでゲスか!」
「……え? フツウに一般社会で暮らすんじゃないの?」
ヤンガスの言葉に、向日葵の大輪のように生き生きと輝く少女は、戸惑いを返す。不穏な空気に表情を曇らせる姿は、彼女の内面の美しさを顕著に物語っていた。
「…その様子だと、知らないでヤンスね…」
世界の裏事情に疎いのは、筋金入りのゼシカの出生を思えば当然だ。
今に語り継がれる英雄七賢人の正統なる血筋にして、地方の有力名士の淑女。花よ蝶よと母や兄に大切に育てられ、一族が治める土地ではファンクラブまで結成される程の徹底したお嬢様ぶりなのだ。
「修道院はただの慈善事業で、身寄りの無いガキ連中の面倒をみているわけじゃないでゲス。あんな場所に世話になったが最後、人生の終点までレールの上でヤンス」
世界各地に点在する修道院は、身寄りを失った子どもを預かる孤児院を兼ねる事が殆どだ。マイエラ修道院でも優秀だと判断された孤児は、修道士、もしくは聖堂騎士として勤める事になる。ただし、優秀な人材のみが集う事を許される、狭き門でもある。その事実を顧みれば、旅の一員でもある、数々の放蕩に耽る深紅の聖堂騎士の能力の高さがうかがい知れようと言うものだが、今の話の腰を折ってしまうので、ひとまず今回は脇に置いておくとする。
「レールの上、って…」
完全に困惑するゼシカを横目に、トレードマークであるバンダナの上に、錬金釜から取り出した『すごい薬草』を並べて出来栄えのチェックを行うエイトが、ぼそりと口を挟む。
「ゼシカ。身寄りの無い子どもは修道院で引き取るのが通例になっているけど、その財源はどうしていると思う?」
「え? ――…そりゃ、寄付なんじゃないの?」
「も、あるけどね。子ども一人育てるのに幾らかかると思う? それに今はこのご時勢。魔物や盗賊の類に襲われて肉親を失うなんて、大して珍しいことじゃない。それでなくても、捨て子も多いしね。とてもじゃないけど、寄付金だけで回せる金額じゃない」
「じゃ、…どうしてるのよ」
遠回りな言い回しに嫌な予感を覚え、抜群のスタイルを誇る愛らしい魔法使いは、上目遣いに黙々と雑務をこなす少年剣士を窺った。
「少し前まで、修道院では合法な人買いが行われていたんだよ。ゼシカ」
「……え…」
綺麗な曲線につり上がる強気な瞳が見開かれ、眉間に皴を寄せて固まるパーティの紅一点に、エイトは小首を傾げて困った様子で微笑んだ。
「余り、気分の良い話じゃないよな。やめようか?」
「聞くわ。話して」
顔つきが変わる。命令する事に慣れた支配者階級らしい自信に溢れた声が、強張った。
「まぁ…、よく言えば派遣人材、かな。
修道士や聖堂騎士としての能力が望めない孤児は、修道院と契約している貴族の家に長期契約で労働力として売られてたんだ。契約は基本的に年単位、途中で逃げ出せば酷い折檻を受ける。それとは別に、見た目のいい子は稚児として囲われたり、ね」
「ち、ちごぉ?」
流石に言葉の意味くらいは理解しているようだが、実際にそういった存在がある事に面食らった様子で、ゼシカは裏返った声をあげた。
「分かったでゲスか? 修道院なんて、胸糞悪いばかりでヤンス。
アッシは、アッシ自身がこんなバカな家業に片足突っ込んで、お天道様に背くような真似ばかりしてきたでヤンス。でガスが、そうしなけりゃ生きていけなかったんでヤンスよ。
アッシは自分の生き方を言い訳も後悔もしないでヤンすが、それでも違う生き方があったかもしれないと考えることはあるでゲス。だから、テメェの生き方くらい選べるように、そんな場所を作ってやりたいでヤンス」
「……そ、っか。ゴメン、アタシ世間知らずだね。
立派じゃない。応援するわよ、ヤンガス」
「た、大した事じゃないでヤンスよ」
普段から気に食わない生意気盛りの口達者な小娘の、手放しの賛嘆に面食らいながらも、ヤンガスは照れ臭そうに笑った。
life of balance
「――…と、いうわけなんだ」
「脈絡ねェよ」
その日の夕刻には錬金作業の全てを終え、やはりベッドの上で体を休めるのが良いだろうと、トロデ王の提案により近場の宿場に立ち寄った一行は、いつもの部屋割り――つまり、ゼシカとヤンガスが一人部屋、聖堂騎士のククールとパーティの中心である少年エイトの組み合わせ――で、各々に自由に過ごしていた。
何時もの様に宿屋の一階で適当に酒を引っ掛けながら、イカサマ・カードゲームに興じ充分に小銭を稼いだ不良騎士は、ご機嫌ホロ酔い状態だった。戦利品である藍酒を片手に、同室の相手への気遣いの欠片も無く扉を開いて部屋に入った途端に、腕を取られ足払いを掛けられ、ベッドの上に仰向けに倒された。
状況を飲み込むのに、たっぷり一分間。
己の上に圧し掛かってくる物体が命を脅かす危険を孕んだ存在で無い事は、既に理解していた。その手合いであれば、部屋に入る前に確実に気付く。全く自慢にはならないが、そういう生き方をしてきたのだ。相手が己より格上の実力者であったとしても、全く気配を感じない事などありえない。
と、なれば。
仮にも神に仕える聖堂騎士相手に、こんな不敬で不埒な真似をする阿呆など、思い当たるのは唯一人。
「退け。エイト」
「やだよ」
「重ェんだよ。この人格破綻者」
「そんなに体重かけてないはずなんだけど、それにちょっと酷い方が燃えるタチだろ」
「…退け、ヘンタイ。テメェと一緒にするな」
先ほどまでの気分の良さが台無しだ。カードの相手から奪い取ってきた酒も、そのままベッドの上に転がっている。瓶が割れなかっただけマシかと思う辺り、随分寛容になったものだと自身に感心してしまう。
「で、ククールはどうするの?」
「別に、適当にやっていくさ」
「特に予定は無しってコト?」
「悪ぃか、色ボケ。テメェにゃ関係ねーだろ、腹黒魔人」
「そっか。じゃ、僕に協力してくれないかな」
会話の随所に飛び出す悪態を物ともせず笑顔で応じる面の皮の厚さに呆れつつ、ククールは酒の酔いが廻る頭で魔王の化身のような少年の言葉を反芻し、考える。
「協力?」
怪しい言葉だ。オマケに、主語が無い。うっかり安請け合いした日には、どうなる事か。
「そう、協力。ラプソーンを倒した後にやりたいことがあるんだ」
ほわほわと、花でも咲かせそうな平和な笑顔と温和な口調に騙されてはいけない。コイツは正真正銘の悪党だ。いっそ、闇魔神ラプソーンよりコイツを先に退治した方が世界の為になるのでは、と時々本気で考えてしまうククールだ。
「…どーせロクでもねーんだろ。他を当たれよ。俺はこの旅限りの付き合いだ」
「つれない言い草して。しょーがないなぁ、ククールってば」
仕方が無いのはテメェの腐った脳みそだ、と大声で怒鳴り散らしたい衝動をグッ、と堪え、夜空を清楚に照らす春月のような聖堂騎士の青年は、険を込めた瞳でエイトを睨めつけた。
「どーでもいいから、は・な・せ」
「約束をくれれば、直ぐにでも」
「だから…ッ」
もとより気の長いタチではない深紅の衣の騎士は、苛立ちも顕に言葉を返す。
「お前に付き合う気は一切ねぇって言ってんだろ! 得体の知れない悪行に加担出来るかよ!」
「大丈夫、全部僕に任せてくれれば心配いらないから」
「任せるもなにも、俺は関わりたくねぇ」
「やっぱりククールは綺麗だし、カリスマだってあるし。適任だと思うんだ」
「何、一人で話を進めてンだよ! 俺の話を――…」
「ククールが協力してくれるなら、不可能なんて何一つ存在してないよ」
にっこりと、それはもう天使の笑顔とはこういうものを言うのかと、何か此方が居た堪れなくなるような無垢な微笑みだった。無邪気な信頼と賞賛に流石の自信家も奇妙な気恥ずかしさを覚える。中身が空前絶後の災厄をもたらす大魔王と分かっていてもこの威力なのだから、タチが悪い。
「〜〜〜…だから、俺の話を…」
「好きだよ。ククール」
「………ッ」
駄目だ。もう無理だ。絶望的に話が噛み合わない。歩み寄りだとか相互理解だとかの類の単語は、きっとコイツの辞書の中では黒く塗り潰されているに違いない。いや、そもそも存在していないのか、きっとそうだ、と一人悶々とするククールに、エイトは不思議そうに小首を傾げた。
「ククール?」
「…取り合えず、きくだけ聞いてやる。だから退け。馬鹿力で抑えられっと痛ェんだよ」
「うん、分かった。ゴメンね、乱暴して」
殊勝な態度に騙されてはいけない。この天然悪魔は、いつ何時牙を剥き出して襲い掛かってくるか分かったものじゃないのだ。今回がいい例だ。
「ったく、」
兎にも角にも漸く不自由な体勢から開放されたカリスマ的美貌を誇る聖堂騎士は、両手にくっきりと残る赤い痣に眉を顰めながら、ベッドの上から起き上がる。突然の暴挙にも対応出来るように身支度を整え、愛用の細身の剣を腰に収めた。
そんな警戒心剥き出しの旅の仲間の姿を、微笑ましく見守りながら、己のベッドの上で胡坐を掻きすっかり寛ぐエイトである。トレードマークである頭のバンダナも外し、ゆったりとした部屋着に着替えた姿は何処にでもいそうな、ただの村の少年だ。無論、中身がそんな可愛らしいモノでは無い事はとうに承知済みではあるが。
「――…で、一体何だよ」
「世界を作り変えてみたいんだ」
「…オークニスに精神科専門の腕のいい医者がいるって話だ。診てもらえ」
「やだなー、僕は正気だよ」
「そーかよ。俺はもう寝る。この話は終いだ」
これ以上下らない与太話に付き合えるかとばかりに匙を投げるククールに、エイトは純朴な少年の姿を捨て去り、黒の気配と共に嘲笑を浮かべた。
「俺は、この世界を変える」
「………」
ザワ、と全身が総毛立つのを感じ、神の御使いである聖堂騎士は思わず左の利き手で柄に触れる。理性の部分では、仮にも旅の仲間である少年が襲いかかってくる事などありえないと的確に判断していたが、生きとし生きる全てに備わる生存本能というものが、絶えず警鐘を鳴らし続ける。
「ククールに手伝って欲しいんだ。いいよね?」
「…世界を変える、か。デカく出たもんだ。何の後ろ盾もねェ孤児。しかも、辺境の近衛兵士風情の分際で。ミーティア姫様と結婚して逆玉でも狙うつもりかよ。権力目当てなんざ、サイテーだな」
無尽蔵に湧き出る黒の気配に呑まれてしまわないように、必死で虚勢を張るククールは、口角を吊り上げてポーカーファイスを気取り、エイトの台詞を揶揄ってみせた。身分による差別や偏見、孤児というレッテル。全て己自身が幼少より陰から囁かれていた雑言であり、何より忌み嫌うそれ。
「同じ事、ゼシカにも言われたなー。やだなぁ。僕ってそんなに非道に見える? これでも、優しいつもりなんだけど」
「…面の皮の厚さだけは立派なモンだ」
「立派なのは、ソコだけじゃないよ? 下の方もククールを満足させられる位、ご立派なんだけど。見てみる?」
「はん。ドーテー君が一人前の口を叩いてるんじゃねーよ」
それまで全身全霊で目の前の『男』を警戒していたが、性の軽口に話題が変わった途端に余裕が生まれる。正直、片田舎。いや、ド田舎の暢気な農業大国出身の十五、六程度の少年が経験済みだとは到底思えない。大国と言えば聞こえはいいが、単純に国の面積が広大なだけというのがトロンデーン王国の実態だ。戦乱の時代であったならば、周囲の国より真っ先に国土を奪われ、王家は滅ぼされ、とう消滅していても可笑しくない程、平和で平穏な国なのだ。
「…ククールこそ。カミサマに仕えてるクセに」
「――…フン。聖堂騎士がカミサマなんぞに仕えるかよ」
挑み掛かる光を放つ清み切った藍玉は、薄明かりの中で、酷く清廉なもののように思える。白磁の膚に白銀の長い髪。揺れるランプの明かりで不安定に照らされる横顔は、見惚れる程に美しかった。例えばそれは、虚空より降る雪を永遠に掌に留めておく事を望むような無謀で傲慢な望み。この綺麗な生き物を、ずっと縛り付けておきたい、だなんて。
――なんて、甘美な冒涜。
「カミサマじゃなかったら、ククールは何に仕えるの?」
殊更優しい口調を真似た。決して警戒されないように、油断と隙を誘う。この綺麗で可愛い生き物は、時々酷く無防備で此方が逆に不安になる。無論、そこに付込んでいる自分が言えた義理では無いが。
「俺は、何にも仕えたりしねーよ。この旅が終われば完全に自由の身だ」
「うそ」
賢く聡い人に、無駄な説法は必要ない。最低限のソレだけで、意図は正確に伝わる。静かに確信だけを突く言葉に、案の定ククールは不愉快そうに柳眉に蒼の瞳に険を込めた。
「何にも、誰にも縛られないで生きるなんて無理だよ。
特に、ククールには…気になる相手がいるだろ」
「気持ち悪ぃ言い方すんな」
否定はせず悪態を吐く姿に、エイトは咽喉を鳴らした。
とても、気分が良い。
高揚する。
美酒に心地よく酔うような心地だ。
「ねぇ、ククール」
それは優しい響き。
何の変哲も無い旅の宿、寝心地はそれなりに悪くも無い寝台の上、足をぷらりと投げ出す子ども染みた仕草で少年は野望を語る。
「以前、言ったよね。俺は、マルチェロの事が好きだよ」
「………」
重ねた不法賭博で培われた無敵のポーカーフェイスも、宵の口からの酒が廻り対して役立ちそうに無い。異母兄弟である兄の話題になれば無節操な愛を囁く無体な唇は途端に無口になり、代わりに蒼月の眼差しが饒舌になるのが狂おしい程に愛おしい。
「だから、マルチェロが欲しいものをあげるんだ。その為なら、俺は俺も利用するよ」
「――…そーかよ」
恍惚と陶酔に浸る表情で熱烈な独白をしてみせる黒の瞳の少年剣士に、ククールは奇妙な苛立ちを覚えていた。だからどうしたと吐き捨てたくなるのを必死で堪える。他人の惚気に延々と耳を貸してやる程お人好しじゃない。それも、よりにもよって――…、
(…なんで、あに――、アイツなんだよ…)
絶望的なまでの不仲さを誇る異母兄弟――…人としての道理徳心も忘れ謀略と姦計により、恩師を害してまで『法王』の冠を欲した最低の人物。あれほど『愛』に縁遠い男もいないだろう。口走った途端に侮蔑と哄笑が降り注ぐ事は疑うべくも無い。アレ相手に愛を囁けるなんて、相当の大馬鹿か歴史に名を残す大物かの二者択一だ。
「ねぇ、ククール。愛してるよ」
「…寝言は寝て言え」
寝ぼけた言い草を一刀両断切り捨てて、マイエラ修道院が誇る美貌の聖堂騎士は、ベッドの上に転がったドニの藍酒の瓶を拾い上げ、窓辺に寄った。切り取ったような四角い夜空に、煌々と気高く銀の貴姫が輝いている。そよ、と頬を心地よい風が撫ぜる。美味い酒を遣るには丁度いい。窓縁に腰を掛け、片足を前に投げ出して深紅の衣の騎士は咽喉に酒を流し込んだ。咽喉を潤す芳醇な香りとまろやかな甘みに少しだけ気分が浮上した。
「少しは信じてくれたっていいのに」
拗ねたような口調とは裏腹に、当人は胡散臭い笑顔のままで、聖堂騎士団が誇る美貌の主は少年の様子を鼻先で笑い飛ばす。
「テメェの言葉も態度も『嘘』だろ。それで信じろなんざ、おこがましいな」
「俺は…――」
「『嘘』なんて、ついてない?」
ドキリと、した。
咎める口調ではなく、それは酷く楽しげな。
先ほどの意趣返しとでも言うように。
価値の高い果実酒であるドニの藍酒は口当たりが良く、度数の強さに反してぐいと飲み干せる。自覚も無いまま深酒してしまう代物だ。質が良いので悪心や吐き気などは起きにくいが、どうやら青白い光に照らされる麗人も例漏れず随分と酔いが回っているようだった。清廉潔白な神の使徒であるべき聖堂騎士は仄かな色香を纏い、月明かりに酷く艶かしい。
「――…どうしたら、信じてもらえるのかな」
しおらしい態度で俯く少年の声が、物悲しさに沈んで響んで響くのを、酒気を帯びた思考で受け止め、ククールは無言で酒瓶を傾けた。
聖堂騎士として最高の名誉である深紅の衣を戴く青年からすれば、成り行きパーティの年下リーダーの態度は不徳義でしかない。事情から公に口にするのは憚れるが、異母兄弟にあたる自身の兄・マルチェロに強引に迫りながら、弟である自分に愛を囁いてくる野郎なのだ。どれだけお人好しなら、そんなヤツを信じられるというのか。そんな人間が存在するなら是非その間抜け面を見物してやりたい位だ、と静かに憤慨する。
「ま、それは追々でいいよ。
性急に進めると、ロクな結果にならないって学習したし」
諦めたように溜息を吐くエイトは、無意識に己の肩を擦った。もう痛みは無いが、皮膚が削れたような醜い傷跡は残り、その場所に微かに痺れのような違和感を伴っている。蒼で支配された時の狭間、月読の世界を司る存在に訊ねてみたところ、どうやら月の呪いを受けたらしい。月読に穢れを振り撒いた者には『死』の呪いが掛かると、顔色も変えずの返答だった。生命の脈々たる巡り輪廻より遠く外れ存在する、孤独と静寂に満ちた陰の世界のクセに、物騒な事この上無い。
付け加えるなら、実際に呪われた者が過去から現在に至るまでの間に存在しない為に、呪いの詳細及び解呪の手段も不明と言うことだ。主でありながら随分と物を知らないのだと八つ当たり気味に詰れば、穏やかな微笑みでハープの音色を蒼の世界に響かせただけだった。
「…痛むのか?」
と、気付けばバツの悪そうな表情で旅の仲間である美貌の騎士が、眉を寄せていた。
斜に構えて見せてはいるが、聖堂騎士団が誇る深紅の騎士は、酷く優しくて繊細だ。度胸も腕もあるが、その反面実に細やかな気遣いも持ち合わせている。己を庇い受けた傷を気にせぬはずが無いだろう。先刻までの拒絶一辺倒の態度を変え、窓枠から腰を浮かし、近付いてくるククールにエイトは苦笑した。
「ねぇ、ククール。俺は、世界の王になるよ」
「…はぁ?」
唐突な言葉に、当然の事ながら銀月の麗人は面食らって足を止めた。
「だから、俺の傍にいて?」
「……話が全く繋がらねェだろ」
まるで話が見えない。支離滅裂にも程がある。絹白の手袋の上から額を押さえ、軽く頭を振る仕草でククールは溜息を吐いた。
世界の、王になる。
世界征服などというチャチな野望から口にしている訳ではないのだろう。
傍若無人天上天下唯我独尊の俺様。完璧なまでに捻じ曲がった性根の持ち主ではあるが、己以外を人とも思わぬ鬼畜外道とは、また異なる。その証拠というわけではないが、エイトの周囲には自然と人が集まる。滅多には無いが、時々見せる裏の無い自然な笑顔に胸を打たれる事がある。野心だけで天下を望む男が、そんな顔を出来るものではない。
「大好きだよ。ククール」
「へーへー、キモチだけ有難く受け取っとく。
それより、傷は――…」
軽くあしらわれただけにしろ、捧げる愛の言葉を頭ごなしに否定しなくなっただけでも、一歩前進だ。こうして心配されるのも気持ちいい。愛しいキモチで心が満たされるのを感じて、自然に顔が緩んだ。本当に、どうしてこんなに好きになってしまったのだろう。
「な、なに、ニヤついてんだよ。キモチわりぃな」
「秘密」
ぎょっとして悪態を吐く綺麗な綺麗な人に、エイトは悪戯っぽく返したのだった。
an ambitious personは、野心とか野望とか
そんなギラギラした意味です
エイトは良い意味で強欲で野心家です
そして、全てを手に入れる器もある
「ぼくは、せかいの、おう、になるよ」
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