片恋 11



(……ここにもいないッ…)
 流石に狭い病棟の廊下で黄金の大鎌――悪夢(ナイトメア)を振り回しては邪魔になり、動きが制限されるため、常に具現化可能なように精神を集中させながら、ウェインは愛しき英雄の姿を捜し求めていた。
 緊急事態により、医療スタッフが避難を終えていることと、端金で雇われた捨て駒のゴロツキ連中がゼノスの活躍により既に捕らえられていることから、病棟は静まり返り、生命の息吹が感じられぬ世界は、薄ら寒い不気味さが漂っていた。
(くっそ、何処にッ……、早くしないと――カーマインさんがッ…!)
 気高く強く在り続ける孤高の華が手折られし所以が、己にあると自責の念を強くするが故に、若きナイツは後悔を噛み締める。
(俺が…、あんなコトで下らない嫉妬なんて感じなければ――、あんな風に拗ねて見せなければ、カーマインさんだってきっと…あんな……)
 今回の件は英雄の首を狙った暗殺事件、だと。巨体に似つかわしい大剣を繰る剣士が、そう言っていた。英雄暗殺の依頼など、その辺りの駆け出しのアサシンに任せる訳が無い。相手も相当の手練れだという事だ。だが、例えそうであったとしても――、
「……くっそッ」
 敵の接近に気付かず、のうのうと不意打ちを受けた己の不甲斐無さが情けない。その所為で、思慕の情を寄せる綺麗な人を危険に曝してしまっている現状が許せない。苦い想いが感情を締め、逸る心のままに足は急ぐ。
「何処に……ッ、カーマインさん…」
 と、暮れなずむ景色の中、何かが焦る思考の端を掠めた。
(……あの扉の周囲だけ…、グローシュの密度が――高い?)
 それはほんの微かな違和感であった。ただの一兵卒であれば、見過ごすであろう、針の先で突付いたほどの、日常の相違。しかし、武の大国として世界に名高いバーンシュタインが誇るナイツであればこそ、逆に、気付かぬはずが無い。
「……カーマインさんッ…!」
 右手中指に嵌めていた銀細工の指輪が、精神の昂まりに呼応して姿を現す。茜色に焼け付く空を照り返し、黄金の死に鎌は優雅に――容赦なく、空を斬った。



 紅く染まる病室に、一際長く不気味に伸びる影。それは、医師に扮した男の足元から牙を剥き、壁へと醜き獣の正体を曝していた。
「そう睨まないでも、貴方をどうこうしようという気はありませんよ。英雄殿」
「………」
 襟がよれ、皺の寄った生活感溢れる白衣を着込んだ暗殺者は、片手に注射器をかざしたまま、飄々としていた。赤銅に燃える髪の向こうで、狂喜に踊る瞳が三日月に臨む。
「確かに、私は貴方の暗殺を依頼されておりますよ。
 けれど――私は、酷く気分屋でして。実際、救世の英雄と謳われる貴方を見て、気が変わりました。天上の華とも、下界の婀娜ともつかぬ――貴方は、真実、美しい…――」
 己の容貌に対する賛辞など聞き飽きる程に受けている美貌の英雄は、暗殺者の恍惚にただ、不快気に形の良い柳眉を寄せただけだった。
「私は貴方を殺せない――しかし、貴方の苦悩はさぞ甘美でしょうね…。英雄、殿?」
 一呼吸、わざとらしく間を空けて、尤もらしく嘯く悪意の人形(ひとがた)に、カーマインは終始無言を通した。普段肌身離さず身につけている輪具も奪われ、魔導の技も封じられた以上、対抗手段は無に等しい。現状を打破する策が無いものかと巡らせる思考をせせら笑うように、闇と死に染まる暗殺者は言う。
「そう警戒することもないでしょうに。ちゃんと、告げたじゃありませんか。【私】は貴方を殺す気なんて、これっぽっちも持ち合わせておりませんよ」
「……なら、早々にこれを解いて帰れ」
 取り付く島も無い言い草に、錆びた髪色をした白衣の暗殺者は、クックッと喉の奥を震わせる。
「折角ここまで来て、何もしないで帰るのは。――無粋…」
 ドォォォォォォォォォンッ!!
「カーマインさんッ!!」
 男の、酷く芝居がかった口調の台詞が言い終わらぬうちに、凄まじい爆音が響き渡る。それと同時に、簡素な扉が、怨念すら篭る様で幾重にも貼りつけられた呪札ごと、見事に吹き飛ばされた。
「………ッ! ウェインッ!」
 爆煙のあがる中、部屋の中にグローシュが急激に満ちるのを肌で感じ取る囚われの美貌の英雄は、助けに現れた若きナイツに対し、鋭く警戒の声を上げた。
「――では、ありませんか。ねぇ、ナイツ殿」
「なッ…、」
 流石は英雄暗殺を任されるだけの暗殺者だ。気配の絶ち方は最早芸術の域に達する神業だ。完璧なタイミングでインペリアル・ナイツの背後を取り、その首筋に、細い針を埋め込んだ。
「……ッ、……」
「ウェインッ!!」
 得体の知れぬ薬物を投与され、ぐらりと前のめりに傾ぐ幼い肢体のナイツ。魔導の熱量で強引に縄を焼き切り、四肢の自由を取り戻した光の英雄騎士が、痛々しい拘束と、真新しい火傷の痕を残す両の腕を思い切り伸ばして、その己より幾分小柄な規格の体を抱き留めた。
「ウェインッ、……ウェインッ! ッ……、貴様ッ! 何を仕込んだッ!!」
 全身で受け止めた肉体は温かく、苦悶の様子も見受けら無いが、瞳孔を開いたまま自我自失の様相にて倒れ込む少年の様子に、感情の起伏に乏しくある救世の騎士が声を荒げた。世界を呑み込む暗澹と、命を慈しむ光明の、二つの彩に染まる双眸が、燃え立ち、その凄絶な美貌を際立たせた。
「大したモノではありませんよ。デルヒドロアルビノイドとキシテン、クレゲドトロを間接成分にて合わせただけの――ただの麻薬。即効性の殺人興奮剤【神殺し(デビル)】ですよ」
「……何…、だと?」
 明らかに専門的な薬物名称を馴染んだ口調で諳んじる暗殺者に、カーマインは絶句した。
 【神殺し】と、呼ばれる――麻薬。強烈な幻覚作用と殺人衝動で、人畜無害な者をも虐殺の悪鬼へと変形させる、正しく――痛烈なまでの、魔薬だ。
「――おやおや、随分と顔色が悪いようですね」
「……ッ、貴様ッ…」
 そして――ひとたび【神殺し】に喰われた人格は、二度と元に戻る事はない。
 主に裏組織での制裁用や殺戮の仕掛けとして用いられる、悪魔の所業――罪業の雫、贖いえぬ――殺人快楽。
「そう悲観することもありませんよ。仮にも、彼はナイツですし、ね? それに、今回のは私のオリジナルですから、本家と違って、毒性そのものは低い。巧くすれば、助かるかもしれませんよ」
「!」
 全身で重く圧し掛かる少年の体を受け止める英雄は、ギリと奥歯を噛み締め、男を射殺す勢いで睨み上げた。
「ふふ、そんな目をされて。ああ、それでも――貴方は、無上に美しい。まるで、天より堕ちた神の御使いのようですね」
精神に大きな欠陥を抱えた暗殺者が、仄昏い情動に満たされうっとりと微笑み、稀代の英雄から放たれる殺気にも近い怒りに、極上の美酒の如く酔い痴れた。
「それでは、愚者はこれにて舞台を去りましょう。英雄譚に語られし光の騎士と、彼を慕うバーンシュタインの若きナイツ。その、運命の討ち合いにて、さては女神は何処に微笑まれますか。私は、ただの観客として見守らせて頂きましょう」
「ッ、待てッ…! ッ、!?」
 不気味な暗殺者が恭しく開幕を告げ、深々と頭を垂れる。瞬間、酷い耳鳴りが世界を切り裂いた。と、同時に腕に抱く最強の騎士のものとしては少々幼い体躯が、共鳴するように、ビクリと大きく反射した。
「……、ウェイン…」
 一瞬で姿を消した暗殺者の行方も気がかりであったが、それよりも、今は【神殺し】の毒に侵される少年ナイツの容態が第一だ。呼吸を浅くし、何処か苦しげに眉根を寄せるウェインの青褪めた顔色を心配そうに覗き込み、カーマインは色を失くす薄い唇から、そっと彼の名を呼んだ。
「……カ、−…マイン、さ…?」
 淡い黒髪とつぶらに瞬く琥珀が不思議な色合いに瞬き、斜陽に酷く幻想的に煌いた――刹那! 黄金(こがね)に輝く刃が、無慈悲なまでの鋭さで、非業の英雄の頬を朱色に切り裂いた。



 ――綺麗、だな。
 雨露を含んだような漆黒の髪も、救世を齎す永遠の光も、終世を憂える破壊の闇も、まるで、人にあらざる神秘の如く神々しく、はたや妖艶に、紅紫に滲む視界に映えて。
 これ、は、なんだろう。
 酷く、脳髄が傷む。
 まるで、巨大な万力で頭を締め上げられるような、残酷な苦痛。
 内側からは、怨鎖の呪詛が、間断なく響く。
「……、ウェイン、無事か?」
「………」
 低めの、それでも何処か甘く、迫力のある声が、不安気に揺らめく。
 目の前に、綺麗な人。
「……ウェイ…ッ、!」
 これを、思う様蹂躙したのなら、さぞや――。



 東棟の捜索を終えたグランシル武闘大会の優勝者である剣士は、西棟を任せたナイツが未だ戻らぬことに異変を察知し、中庭を抜け、その入り口へと駆けた。
「何もなけりゃ、それに越したこたーねーんだが。クッソ…嫌な予感がしやがる」
 ひとりごち、厚いガラスで出来た扉に手を掛けた瞬間――、バヂッと火花が散った。
「いッ!!」
 思わず衝撃の奔った右手を押さえて後退さる。何事かと己の掌を伺えば、皮膚が一瞬で焼け焦げていた。侵入者を手痛く拒んだ扉は、今も、禍々しい紅の光が周囲に弾け飛び。まるで、敵を威嚇する毒蛇の様相であった。
「……ンだよ、こりゃッ…!」
 白の甲冑に身を固める剛の者とて、戦陣に赴く剣士として最低限の魔導の見識は持ち合わせるが、あくまで一般レベルだ。これまで一度も体験した事のない未知の力に、ゼノスは驚吃し、それと同時に、現在西棟で只ならぬ事態が起こっていると確信する。
「クッソ…!」
 決して魔導に精通している訳ではないが、それでも、数多の戦場を生き抜いた経験からこの手合いの術が剣技で破れる道理は無いと察する。焦燥に心を駆られながらも、無駄に力を消費するのは、敗者の理と己を律っし、ゼノスは病院周囲を警戒する兵士等の下へ急ぎ踵を返した。
「――ッ、ウェインッ!」
 鋭く繰り出される刃には一切の容赦が無く、それらを紙一重でかわしてゆく。流石に、年若くともナイツの称号を戴くだけはあり、少年の体捌きに無駄はなく、付け入る隙も見当たらない。光の救世騎士、世界の英雄と謳われ、畏敬と憧憬を一身に集める美貌の青年は、乱れる呼吸の下一縷の希望に縋るように、彼の名を呼んだ。
「……大人しく、してて下さい。カーマインさん」
 酷薄な笑みを刻み、くるりと右手にした巨大な悪夢(ナイトメア)を器用に回転してみせる。その余裕が、余計に不気味さを醸し出していた。
「ッ…、ウェイン…」
 【神殺し(デビル)とは、よく言ったものだ、と。心中で毒づき、天上華の艶にも劣らぬ美しさの英雄は、刀身の長い己の武器を構えなおし、思考を巡らせた。
(……通常の、【神殺し】の状態とは違う…。あれは、無差別快楽殺人鬼の人格発現を狙った麻薬――、本来の人格は失われ、代わりに狂気の如き力を手にする。そして、目に留まる存在全てが破壊の対象――)
「――戦闘の最中に考え事なんて、危険ですよ」
「ッ!」
 瞬間に間合いまで入り込んだ小柄な躰が、胸の底から琥珀の瞳で見上げていた。最早、直感的に左へ飛び退く、と同時に右の首筋に朱色が奔る。確実に急所を狙いにゆく冷徹非情なナイツの戦いぶりに、世界の光と闇の未来を託され生を受けし存在は、軽い高揚を覚えた。
 ――もとより、ケベェルの尖兵。己が創造主の為に、命を賭して戦い抜く宿業の人工生命であるが故に、本能的に戦闘に対して命の深きところが悦びの咆哮をあげるのを必死に抑え込み、麗しき救世の騎士は精神力により形を成した長身の剣、神狼(フェンリル)にて、ナイツの追撃を受け流す。
「……くッ…」
 軽やかな外観に似合わず重い一撃を放ナイツに、防戦一方の苦しい戦いを強いられながらも、カーマインは少年を救う手段を、己自身の記憶から探っていた。ウェインの様子が、通常の人格を保ちつつも、快楽殺戮者の悦びを琥珀の瞳に映しているのを感じ取り、無性に気が急いた。まるで――当人、そのものに悪意をぶつけられているようだと――。
「……戦闘中に考え事は危ないって、言いましたよね」
 ザシュッ、と、胸元を黄金の刃が掠めて、シャツが大きく肌蹴け、皮一枚が裂かれる。一撃に重みがあるだけではなく、身のこなしも一級品だ。普段の無邪気な姿を大きく覆す、無慈悲で正確な、目的遂行の為、必要あらば全てを切り捨てるインペリアルナイツの顔。
「…綺麗…」
 雪白の膚に鮮やかに刻まれた紅に溺れるように囁いて、悪魔に憑りつかれし若きナイツは、リン、と金色に反射する武器を共鳴させた。
「やっぱり…、ただ殺すだけじゃ――勿体無い」
「……?」
「俺で一杯にしてから、殺してあげます。カーマイン、さん」
「――ッ…、奔れッ!」
 満面の笑みで邪気も無く宣言され、その意図は測りかねたが、異様な危機感が募り、それまで躊躇していた魔導の力を使役する。言霊と共に指先から発現した複数の火炎は成人男性の拳程度の塊で、最大の難敵と成り果てた犬科の少年へと向かって放たれた。
「……百列戦陣、開、東門。土神血約、唸れ!」
 しかし、名だたる武の大国バーンシュタインが世界に誇る、一騎当千たるインペリアルナイツにとって、召術式が短文でしかない基本術式など、足止めにもならない。灼熱に燃え上がる火弾は呆気無く土塊に相殺され、朽ち落ちた。
「術式の文句無しで、撃てるんですね。魔法。流石、カーマインさんですよね」
「………」
「でも、忘れてません? 俺、これでもナイツですよ。あの程度、魔法使わなくても、コレで斬り伏せることだって、容易なんだって」
 にっこりと微笑んで、悪意の化身として襲い掛かる小柄な騎士は、ツウ…と我が獲物の、鎌の外側を、まるで犬猫でも可愛がるように撫で上げた。
「――…手加減、してくれてるんですよね。
 カーマインさんの本気はこんなもんじゃない。それくらいわかりますよ」
「……ウェイン…」
「俺って、意外と愛されてます? だったら、嬉しいな。俺、カーマインさんの事、愛してますから」
 全く同じ言葉を、全く同じ人物から、体当たりにぶつけられたのが、まるで遠い昔のようだ。あれほど情熱的に切実に響いた告白が、今はまるで、水底から見上げる月のように冴え冴えとし、空虚に木霊した。
(……ナイツ相手に、手心を加えての戦いは――厳しい、か…)
 可能な限り無傷なまま捕らえて、医者に診せたい。
この状況は、謂わば自分の存在が生み出したもので、一途な憧憬の念を寄せてくれる少年は、ただ巻き込まれただけの被害者なのだから。
「ねぇ、カーマインさん。俺、ずっと思ってたんです」
「……?」
 こうしていると、まるで【神殺し】の毒に狂わされていることなど、幻のようだ。口調も意識も正常で、ただ、精神だけが悪性の衝動に侵されるナイツは、酷く懐いた笑顔で、淡々と語りだす。
「カーマインさんって、優しいですよね。それって――どうしてですか?」
「……特に、自分の性格を意識したことは無いからな。悪いが、どう答えていいか分からない」
「――そうですね。質問の仕方が悪いですよね」
 悪びれない様子で黄金の大鎌を振りかざし、童心に返ったかの様な無邪気な笑顔で放つ、痛烈な一撃。それを俊敏にかわす綺麗な英雄の姿に見惚れながら、ウェインは囁いた。
「俺、カーマインさんのこと、すっごく好きなんです。
 だからかな…、なんとなく感じるんですよね。カーマインさんって、例えば、自分が犠牲になれば他の人間が助かるって言われたら、余り迷ってくれなさそうじゃないですか」
「……どういう…意味だ?」
「自己犠牲精神が強いってコト。同義語として、自分を大切にしてくれないってトコかな」
「買い被り過ぎだ。俺とて、命は惜しい」
「なら――、本気で俺に向かって来てよ。自分の命を大切にしてくれるんでしょ。くどいようだけど、俺、これでもインペリアルナイツですよ。加減した戦いで、俺が抑えられると思ったら、甘すぎなんじゃないですか?」
「………」
 ――確かに、悪魔に心を奪われたとはいえ、知性や理性はそのまま持ち合わせるだけあり、少年の指摘は的確であった。光の救世騎士として讃えられているとはいえ、相手は武の覇道を極める大国を代表する騎士だ。尋常たる勝負で無い以上、現状は、カーマインにとって不利過ぎだ。
「……、」
 しかし、はいそうですかと、ウェインを殺す気で刃を向ける訳にもいかず。どうする、と自問自答する合間にも、少年は間近に迫っていた。
「――やっぱり、迷うんですね。甘い…、甘すぎますよ。そんなんじゃ――…ッ、!」
 突きつけられる見事に鍛え抜かれた刀身の鈍い光、その中の逡巡を読み取り、薄く嗤う若きナイツの様子が、不意に一変した。
「ッ、う、あぁっ…」
 胸の辺りを掻き毟る動作の後に前のめりに倒れこみ、悪夢(ナイトメア)の畏怖の念すら抱かせる美しき黄金を支えにしながら、片膝をつく。
「! ウェインッ…!」
 通常のそれとは随分効能が違っているとはいえ、やはり裏世界で出回る、強力な快楽殺人薬を射ち込まれたのだ。無事なはずがないと危惧していた英雄の、怜悧な花の顔(かんばせ)が一瞬にして曇り、苦痛に蹲る少年の下へと駆け寄った。
「ウェインッ…、苦しいのか?」
 震える両の肩に華奢な指先を触れ、癒しの聖なる――淡い橙の輝光が年若いナイツの体全体を優しく包み込み、その苦悶を和らげるべく、働いた。
「……カ、カーインさッ…」
「辛いなら、話すな。気休め程度だが、何もないよりはいいだろう」
 治癒魔法(ヒーリング)の効果を、精神や肉体に直接的に与える高等施術魔法を、毒に侵される少年に与える気品高い青年は、具現化していた武器を指輪の形に収め、治療に専念した。このまま少し様子を見、少年が落ち着いたところで、外に救援を呼びに行こうと――考えを巡らせた、瞬間。
「……やっぱり、甘いですね。カーマインさん?」
 声色さえ変え、精神と肉体の苦痛のままに脆弱に震えていたはずの若きナイツが、不遜な表情を執る。そして、世界的英雄である光の騎士は無理に合わせられた口唇の感触に驚く間も無く、隙をついて入り込んだ熱い舌と、花の香りの強い甘ったるい何かに、酔わされた。



「ッ…!」
 鋭い痛みに眉を寄せ、一見、人畜無害な童顔のナイツは、そっと獲物を解放した。口許に滲む鉄の味を粘液質な舌先で舐め、愉しむ表情が、それこそ戦慄を覚える程に悪魔的で。
「……ウェインッ…?」
 乱された呼吸が、困惑気味にナイツの名を紡ぐ。紅潮した白雪の膚の中艶めいた瞳が、しっとりと長い睫毛の下で瞬きを繰り返して、己を蹂躙した若き雄を映し出す。
「……ここまでされても、抵抗に、甘さがある。
 それは余裕? ――…それとも、俺を男として見てくれてないんですか?」
「……ウェイン…」
 己よりも年も体躯も幼い同性に、男として、などと強く問われても困窮するばかりである。それも、相手が素面の状態であれば、此方も真摯に応じる構えがあるものの、完全に自我を暴走させている状況では、応とも否とも、答えがたく。
「……ッ、……?」
 と、急激な末梢の冷えを感じ、カーマインは息を詰めた。
「な、……に」
「流石、よく効きますよね。コ・レ」
 少年が悪戯っぽく琥珀の瞳を細めて取り出すのは、ローズマリーの色合いをした、液体を閉じ込める小瓶だった。性行為の際に局部に用いれば強い快楽を導く、軍内部で秘密裏に出回る恋の薬――催淫剤だ。そして、誤って直接口に含めば、一時的に四肢が痺れ、自由が奪われてしまう。一度、皮膚で温められたのなら成分が変質し、安全なものになるのだが。
「……ウェイン…」
 カクリ、と膝が折れ。永劫の夜の輝きを凝縮させたような麗しき英雄は、凄烈な眼差しで少年をねめつけ、声を絞り出した。
「……どうする、つもりだ…」
「分かり切ってること、訊くんですね」
 口許に嫣然とした微笑を浮かべ、餓えた雄の表情で、ウェインは己の獲物を銀の指輪へと収めた。そして、体内で燻ぶり始めた熱に悲鳴を上げる華奢な肢体に、そっと指先を這わせる。
「……ッ、」
 ビクリと、大きく反応を返す姿が小気味よく、残酷な蹂躙者は優しく、利己的な愛を注ぎ込んだ。



「どうだ、突破出来そうか?」
「…ウォレスのオッサン。いや、厳しいみてーだぜ」
「札呪術、とか言ったか。厄介なものを仕掛けてきやがったもんだ」
 部下の報告を受け、ローランディアの猛将軍であるウォレスも、英雄暗殺が仕組まれた現場へと駆けつけていた。しかし、西棟全体に外部からの侵入者を拒む結界が敷いてあり、これに完全に足止めを喰らっていた。
「中には、あの小僧がいるんだろう?」
「ああ、あー見えても、ナイツだからな。流石に、カーマインとナイツの二人が揃って敵にやられるなんざ、考えられねーんだが…」
 兎にも角にも、この障壁を破壊しなければ、どうにも手の施しようが無いと、重量級の堂々たる白輝の甲冑の勇壮たる剣士は、悔しそうに歯噛みした。
「……落ち着け、お前が苛立っても仕方ないだろう。
 この得体の知れん術は俺達の力や技では破れんからな、魔導技術の連中に任せるしかないだろ」
「…わーってるけどよ…ッ、クッソ!」
 抜き身の殺気は限界まで張り詰め、今や爆発寸前といったゼノスに、周囲の兵士は脅えて遠巻きにする。そんな様子に、やれやれと貫禄を増した立ち姿の将軍は、肩を竦めた。
「東方の珍妙な術とやらは、俺達にはどうしようも無いからな。そう、苛立つな。他のヤツラが脅えて仕方ない」
 ある程度の実践経験を持つ老練や熟達の兵士等ならば心配も要らないが、元々、この施設の哨戒は新人兵士に任されている。よって、若い兵士が多いのだ。実際の戦闘経験も無く、ただ、英雄譚に憧れて来ただけの若者も沢山いるだろう。
「……チッ、知るかよッ」
「まぁ、中は無事だと信じるしかあるまい。それより、な」
「あぁ?」
 手招かれ、ゼノスは不機嫌そうに眉を吊り上げる。
「今回の件――おそらく、暗殺の主犯を捕らえるのは無理だろうな。なにせ、光の救世騎士の暗殺依頼が来るような奴だ」
「……まーな」
 不本意ではあるが、ウォレスの指摘は至極最もであり、相手の手腕を讃えるような状況に釈然としないものを感じつつも、ゼノスは頷いた。敵は『暗殺者』なのだ。手段は問わず、確実に獲物の命を奪う、殺人の熟練者。その腕が上がり、知名度が増すほどに、闇の手口は巧妙化し、依頼達成後の逃走も確実だ。
「そうすると、今回の本来の首謀者を突き止める方が、俺には急務に思えてな」
「暗殺の依頼人(スポンサー)、か」
「おう、そうだ」
「その口ぶりじゃ、大方、検討ついてんじゃねーのか。オッサン」
 幸か不幸か、ゼノスの荒々しさに脅えて周囲に人気は無い。遠まきにする兵士等は、それぞれ忙しそうに立ち働いていた。それでも、幾分声を抑えるのは、話す内容が相応に不穏当であるから。
「救世の英雄である若造の台頭や、民衆の羨望を憎々しく思う連中は決して少なくは無いが――多くは、命まで獲ろうとは思わん。腐敗した連中とはいえ、この国は基本的には平和主義だからな。だが、今回は暗殺騒ぎだ。つまり、英雄の存在を『殺したいほど』疎ましく思っている奴の仕業である可能性が、極めて高い」
「……で、俺はどうすりゃイイんだ?」
 挑戦的にねめるける視線に、ウォレスは自虐を含んだ苦笑で応えた。
「なーに、スケベ笑いしてんだ。オッサン」
「…スケベってな、エライ言われようだな」
 余りな言い草に肩を落とす古馴染みの男に、ゼノスはケラケラと声を上げた。
「本当のコトだろ。で、何だよ?」
「いや、物分りが良すぎるってのも、善し悪しだと思ってな」
「手間省けて便利じゃねーか」
「…そう、なんだがな。余りお前に頼みたくもないんだが、他に適任者がいなくてな」
「アイツの為ってンなら、俺は無条件で何でもするぜ。ヘタな遠慮は止せよ。らしくねーぜ、猛将軍?」
「ああ、…すまんな」
 それから少しして、その場で大きな存在感を放っていたグランシル武闘大会の覇者は、救世の英雄の暗殺事件で混乱する現場から、煙のように姿を消したのだった。



ゼノスは元シャドウナイツなのでヤンチャな過去あり。
公式ではサラッと流されてますけど
そういう設定とか結構萌えたりします

英雄の光は――為政者には目障りで仕方ないもの

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