片恋 3



 森は闇に閉ざされて、時折強く吹きつける風に鳴る梢に神経をすり減らしながら。
 バーンシュタイン王国の新任ナイツ、ウェイン・クルーズは未だ動けずに、いた。
(…マズイ、な。
 くそっ、……血、止まらないッ)
 魔術の力で人の生命活動を高める回復の呪文を詠唱するのだが、ユングの爪先から何か毒でも混入されたのだろうか、じわりじわりと滲む脇の傷にウェインは苛立った。
 初歩の解毒魔法も試すものの、効果は無きに等しく、滲み出る血彩に衣服が染まり徐々に重みを増す。
 近くに、姿は見せぬども感じる獣の気配。
 抜き身の殺気がピリピリと肌を灼く、少しの油断で命を無くす、そんな緊張感の中にあって流石のインペリアルナイトとて精神は消耗し焦りがちらつき始める。
(ッ、やばい……。
 これ以上失血すれば気絶する危険が…)
 危惧を抱いた途端、ぐにゃりと視界が揺れてウェインは片腕を地面につき、肩で息をする。痛みが……灼熱を飲み込んだように熱かった傷口がぼんやりとした鈍さしか感じられなくなっている事に気が付き、本能で己の生命危機を感じてリングウェポンに集中する。
(ダメだッ、これ以上は保たない……!
 強行突破しか…!!)
 僅かな輝きと共に、無音で大鎌の刃が形を成す。
 すらりと伸びた、一見不気味な風体の武器を構えてウェインは気配を窺った。



 徐徐に深まる夜の闇に紛れ、戦闘の痕跡を発見した騎士二人は互いに目配せをし合う。
「――ユングだな」
「それも二体…だね。血の匂いはこの亡骸からだったのかな……?」
 生命線が失せれば、痕跡さえ残さず溶けてなくなるだけのサンドゴーレム達とは違い。ユングは死して大地へと還る。ゲヴェルより産み出された異形とはいえ、血と肉を持つ存在なればこその、摂理だ。
 夥しい血痕と無造作に切り捨てられた白の甲殻。
 既に事切れたユングの体に残る痕跡を、オスカーは優美な指先で辿り確かめる。
「この傷…間違いない、ウェインのナイトメアだね」
「…悪夢(ナイトメア)?」
「ああ…ウェインの武器の名前だよ、リング職人がつけたらしいね。ほら、傷がね、普通の刀傷とは違うだろう? こう暗いと何も見えないだろうけど…」
 カーマインは隣国の騎士を真似て、ユングの甲殻の切り傷をなぞると、それの正体をピタリと言い当てた。
「――…大鎌か?」
「ご名答、よくわかったね」
 珍しく裏の無い驚いた声を出すオスカー・リーヴス。
 と、救世の騎士は、親指で己の左肩を指した。
「…身をもって経験してるからな」
「あれ、それは皮肉?」
 妖艶な微笑みを軽やかに転がす上品なナイツに、カーマインは金銀の眼差しを柔らかくする。
「……好きに解釈すればいい。それより、そのナイツ…」
「ウェインだよ。彼が、この森に入って、ユングと戦ったことは間違いないね。
 けど――…、一体何処に……、」
 ふいに、一塊の闇と化した森が激しく呻った。
 奥地より吹き抜ける荒々しき風に香り届くのは、懐かしき戦場いくさばの空気。
「……戦闘の、気配…」
「まだ奥なのか…、……急ぐぞ…!」
 ローランディア王国の外れの森は広大で、更に奥地へ踏み込めば空間の歪みが何カ所も点在する危険区域となっている。
 その事情を知る漆黒の青年は、些か焦り気味になって、夜の森を急いだ。



 リングウエポンが微かな共鳴を繰り返すのは、極限にまで高揚した精神状態が影響している所為であろう。
 完全に物質化した大鎌・ナイトメアの柄を握りしめると、一層、一体感が増す。
 輪具は持ち主の思念に呼応して武具を具現化させる画期的な道具であり、主人の魂に応じてゆくのは当然の理だ。
(……殺るなら一撃で…狙いを外せば次は無いな……)
 大鎌を扱う以上、その利も不利も心得ている少年騎士はじっくり五感をとぎすませる。 こういったゲリラ戦紛いの戦闘は最もウェインの不得手とする処だ。
 真っ正直過ぎる戦闘訓練、分かり易い系譜での戦闘経験の数々。それに、最たる原因は本人の性格か。
 騙し討ちや暗部仕事などを嫌う――というよりは、その存在すら知らぬ若々しく正義感溢れる少年騎士にとって、このような消極的かつ精神的苦痛を伴う戦いというのは、全くの未経験。
 知識として理解してはいるものの、やはり致命的なのは経験の浅さであろうか。未熟さを天賦の才で補ってはいるが、それも限界があろうというものだ。
 どうしても、焦燥や疲労や不安といったそれらに追いつめられて、冷静さを欠くと共に太刀筋は鈍り、戦闘への集中力を失う。
(焦るな…、落ち着け。ゆっくりだ………静かに…)
 敵の間合いの傍まで、ウェインは距離を詰めた。研ぎ澄まされた感覚を頼りに、足音どころか気配すら巧妙と葉擦れに紛らわせ、万全を期す。
 始めの一体を一撃で倒せるかどうかが、勝負の分かれ目であり、生き死にの際でもある。今あらん限りの力尽くしたならば、後、もはや時の運だ。
(……――いや、運を掴むんだ!
 こんなっ……こんなトコで、……何にも言えずに…。死ぬなんてまっぴらだっ!!)
 ユングの、ねっとりとした息遣いが感じられるまでに距離を詰めて、ウェインはリング・ナイトメアの漆黒の柄にそっと口づける。
(……死ぬものかっ……!)
 戦いの場へと赴く騎士の瞳に生への強き渇望を抱いて、若きナイツは刃先を踊らせた!!



 血が――止まらない。

 弱り切った獲物を前にして、すっかり気を緩めていた魔物は、思わぬ反撃を受け何をかを思うより先に絶命を余儀なくされた。
 白の甲殻に突き立つ悪夢の一欠片(ひとかけ)、ナイトメア。
 形振り構う間などなかったとはいえ。
 全身に浴びた夥しいまでの返り血は、騎士の視界を奪い嗅覚を鈍らせ、更には強烈な匂いで己の位置を敵へと知らしめてしまう。
(……クソッ…。これじゃ、俺がここにいるって教えてるようなものじゃないか……)
 目にまで飛沫いた血糊を手の甲で拭いつつ、黄金の刃を無惨に引き裂かれた遺骸から無造作に引き抜く。
 陽の光の下で気高く輝くナイツの武器も、闇と紅に濡れて、今や見る影もない。
 緩慢な死へと誘う優しい毒は、徐々にウェインの体力を浚ってゆく。
 既に、大振りな己の武器を構えるのも辛く、満身創痍となった少年騎士はやっとのことで態勢を整える。
(…………………)
 腹の辺りが、ずぐずぐと疼いて。
(………血……)
 ともすれば、途切れそうになる意識を保つ、蜘蛛の糸となる。
(………………止まら…………ない……………)
 ユング一体倒すのに、手痛い代償だ。
 人智を越えた身体能力を以てして王国を守護する剣となり、盾となる、インペリアル・ナイトなればこそ、反動で起こる肉体への負荷は計り知れない。
 傷口が、まるで灼けた鉄棒で抉られたような感覚を訴えている。
 脇腹から腰を伝い、大腿へ。

 ――…血が、とまらない。

(……ッ、………!!)
 風下より一際高く、獣の咆哮が。
 酷く興奮した様子が、狂ったような遠吠えからもはっきりと判る。同胞(はらから)の死に憤怒するのか、単に血の香りに心を震わせているだけか、定かではないが。
 枯れて降り積もった土色の葉を踏みしだき、生い茂る木々にも頓着せず、全てを薙ぎ倒して真直ぐに此方へ突進してくる魔獣。
 迷いもなく、惑いもなく、確信の突撃。
(――…やっぱり、…ここだって、バレてるか……)
 ナイトメアに魂を込め、ウェインは敵を迎え撃つべく構えをとる。

 ガァァァァァッツウツツ!!!!

 周囲の大気を切り裂くような咆哮に、眼前の大木が右に、ユングの怪爪によって大音響と共に伏した。
 闇に、直、赤く、狂気の双眸。
 一撃だ。
「………来いっ、化け物!」
 心臓部を狙い、確実に息の根を止めなければ。
 人の言葉を解するわけではあるまいが、ユングはまるで獲物の挑発に乗るかのようなタイミングで牙を剥く。
 グァァァァゴォガァァァァッ!!!

 ――…今だッ!!
 一閃!!
 勝負は瞬きの合間で、最強を冠する王国ナイツの黄金の刃はユングの体を貫き、深く懐に潜り込んだ小柄な騎士は敵の血飛沫に全身を血濡れる。
 巨体から、大きく振りかぶった敵の爪と牙をかわし、機敏な動きでユングの心臓部を射止める、正に閃光の如きか。
 沈み行く敵の重みをナイトメアに受け止めながら、ウェインは、浅く息をついた。
(……なんとか、全部……倒せた……)
 インペリアル・ナイツの在りようとは到底思えぬ苦戦に、少年騎士は自らを叱咤した。
(オスカー先輩や…ジュリア先輩なら、こんな無様な勝ち方なんてしないよな……。俺、傲ってたかもしれない……うかれてたらダメだ…。
 もっと、鍛えないと……)
 とりあえずは、待ち合わせの場所にまで帰らなければ、と。
 ウェインは、約束を思い出し、武器をリングの形へ戻して指に収める。そして、全身をそぼ濡らす褐色味を帯びた血液を払いながら、傷口の痛みに耐え、森を抜けようと踵を返した。
 返り血が、どうやら口にも入ったらしく。異臭を放つ割には、存外甘い味のそれを吐き出しつつ、一歩、二歩、足を踏み出して。
 しかし。
「……、? ………………は…ッ!!」
 全身に灼けた鉄棒を押しつけられる錯覚、酷い疼痛を伴う目眩、その場に膝ついて蹲ると、続く内臓から爛れる感覚に悲鳴すら上げられず、呼吸を荒げる。

 『毒』

 瞬時に、一単語が脳裏に浮かび上がる。
 ユングの爪先に含まれていた、化膿性と溶血性の比較的軽度のそれとは程度と種が全く異なる、強烈な内毒。
 対象の細胞を、おそらくは『喰らう』のであろう。
 内側から食い荒らされる、異常過ぎる感触に、精神すら蝕まれる。若木のような瑞々しい少年の真っ当な神経に耐えきれる程度の代物ではない。
「……く……ぅ、………ぁ……!」
 並の人間ならば、苦悶に這い回り、悶絶し、絶叫する灼熱に、ウェインは黙して耐える。
 体中から吹き出る脂汗と血糊で、肌に張り付く布地が気持ち悪い。
 ――…気持ち、悪くて……、………。



 横薙になった木々たち、自らの存在を誇示する獣の爪痕、踏みならされ引き裂かれた大地には、はっきりとユングの足跡が残る。
 後先考えない如何にも獣の暴走の痕といった無惨な森の姿に、気品溢れるバーシュタインの騎士は顔を顰めた。
「随分と派手に……全部で何体いるのかな…」
 暴漢や雑魚モンスターを相手にするのとは全く勝手が違う、白の甲殻はあらゆる魔法を弾き返し、黒の爪牙は常に毒を持つ。半端な攻撃は自己修復能力によって無効化され、却って相手の戦意を煽る結果となる。
 なにより気懸かりとなるのは、ユングの体内で精製される猛毒『甘露』。
 直接口に含んだりしなければ問題ないのだが、ユング相手ではどうしても接近戦となる。下手をすれば、何も知らない若い騎士のこと。敵の血をそうともしらず、口にしてしまう可能性は充分に考えられる。
「――やけに過保護だな…。
 そいつもナイツだろう、ユング相手に早々殺られる程ヤワなのか…?」
 一騎当千と謳われる王国、いや、大陸最強の騎士達『インペリアル・ナイツ』。いくら新米とはいえ、その称号を受けるのだ。実力は推して計るべし。
「……うん、そうなんだけど……。
 これがただのモンスターならね、でも、ユングは普通じゃないから……。やっぱり心配だね。彼の力を侮るつもりじゃないけど……」
 普段は無邪気に懐いてくる可愛い後輩も、戦場ではナイツとして豹変してみせる。ナイトメアを諸手に、無慈悲なまでの圧倒的な力で敵を断罪する死神となる。
 そう、ウェインも。
 彼もやはり、ナイツに選ばれた人間なのだ。
「……でも、」
 救世の騎士として名高い青年としては、オスカーの不安が杞憂としか思えないのだが。
 と――…、
 ユングの体液だろう異臭が強く鼻につき、カーマインはその方向へ視線を泳がせる。
「………!! オスカーッ!!」
「――…っ、ウェイン!?」
 暗闇にやけにくっきりと浮かび上がるユングの残骸、そして、我が身を抱くようにして蹲る少年の、痛ましい姿。
「ウェインッ! ……生きているかい、しっかりしなさいっ」
 癒しの術で後輩の肉体を包み込みながら、オスカーは呼びかける。
 必死の呼び声が耳に届いたのか、癒しの魔術が功を奏したのか、少年騎士は僅かに顔を上げ、喉から枯れた声を絞り出した。
「……スカ、……センパイ…?」
 死の淵へと立たされた者の、最後の言葉にも酷似したそれ。
 辺りに敵の気配がないかと、そして、力尽きたユングが完全に断命しているかを確認していた救世騎士も、並々ならぬ様子に慌てて駆けつける。
「――毒か…?」
「そう、みたいだね。……全身に返り血を浴びてるから……誤って、口にしたんだね」
 元々、戦闘のスペシャリストであるナイツだ。最低限の自衛手段として回復の魔術を心得てはいるが、『甘露』の解毒など、到底可能であるはずがない。
 打つ手を無くして惑うオスカーに、しかし、漆黒の百合のような青年は華奢な腕をすい、と差し出し、その腕を己の剣で躊躇い無く傷付ける救世の騎士。綺麗な切り口からは、鮮血が溢れてゆく。
「……カーマイン…?」
 訝しがるオスカーを余所に、妖眼の青年は己の血を舐めとって口に含み、そのまま――…。


 ふわふわしてる……?
 なんだっけ、俺、どうしたんだ……?

『ウェインッ!!』

 オスカー先輩?
 あ、思い出した。
 オスカー先輩に、カーマインさんの屋敷に連れていってもらったんだったよな。
 明日からカーマインさんが纏まった休みに入るからって、俺にも丁度長期休暇を予定しててくれて。
 流石に迷惑かな、とも思ったんだけど。
 けど、まず会って俺の事を知って貰わないことには何も始まらないから。
 先輩の言葉に甘えて、とりあえず、少しだけでも話がしたいなぁって。

 …………あれ?
 それから――…どうしたんだったかな……?



 ぼんやりとしたまま、柔らかい黒髪をした少年は寝台から上体を起こして辺りを窺った。
(………?)
 特に豪華な造りではないが、品の良さを漂わせる屋敷の一室で、少年…ウェイン・クルーズは現状を把握するべく周囲の様子から情報を得ようとするが、――どう見ても、ただの寝室だ。
 そのまま起きあがろうとして、脇腹の痛みに気が付く。
「――ッ、傷……? あ……そうだ、俺……」
 夜の森、闇の中での戦闘。
 ユング四体を相手取り、辛くも勝利を収めたものの、その後猛毒に身を灼かれたのだ。
「……どうして、俺…」
 そういえば、オスカー先輩の声を聞いた気がする、と。
 思い出すと、一気に緊張が解けて安堵感に力が抜ける。
(………俺、助かったのか……。けど、どうして……?)
 ぽふっ、と。
 シーツに沈み込んで茫洋とする姿は、悪鬼の如く戦い抜いた騎士の姿からはかけ離れすぎて、無力な子どもそのものだ。
 そのまま暫く、なんとはなしに見慣れぬ天井を見上げていると、ふいに部屋の扉が開いて思わぬ人が現れた。
「――……ッ、カッ、カーマインさんっ!? っっ、〜〜〜〜〜!!」
 怪我のことも忘れて飛び起きるウェインは、案の定、痛みに前のめりになる。声もなく苦しむナイツに、救世騎士カーマイン・フォルスマイヤーは微苦笑を浮かべた。
「……急に起きあがるな、傷に触る…」
「は、はい……」
 近づいてくる、その人が、この情景がまるで夢のようだ。
 痛みをやり過ごすと、ウェインは顔をあげて、呆然と漆黒の美貌に魅入る。
(……月の下でも凄く綺麗な人だと思ったけど……、こうして光の中で見ても綺麗……)
「………? どうかしたのか…」
「え、あっ、いえっ。」
 放心したかのような少年に、カーマインは少々戸惑って声を掛けた。すると、ベッドの住人は慌てて首を左右にする。
「そのっ、…ここ、どこかなって…」
「……俺の屋敷だ」
 と、短く説明しておいて、そこで青年は肝心な事を言い忘れていることに気が付く。
「――…俺は、カーマイン・フォルスマイヤー。
 ローランディアの騎士で、宮廷魔導師サンドラの血縁の者だ。オスカーは今はバーンシュタインに戻っている。
 付け加えれば、森での一件から今日で二日目だ」
「……二日。
 ――…あの、すみませんっ。俺、迷惑を掛けてしまって。直ぐにでもバーンシュタインに戻りますっ。
 お礼は後ほど、改めて……っ、――!」
 折角の長期休暇だときいていた。
 自分が世話になってしまったせいで、何かしらの相手方の予定を台無しにしてしまったのだと、そう思うと居たたまれなくなって、ウェインは慌てて出ていこうとする。
 本来、このような一方的で非礼な出会いは望んでいなかったのだ。
 勿論想いを叶えたいという気持ちは強いのだが、それ以上に相手の負担になりたくないという願いが大きいから。
 けれど、思ってもみない力で寝台に押し戻されて、ウェインは目をまん丸くした。
「……あっ、あの……?」
 片方ずつ色の異なる妖眼を間近にして、鼓動を早め、頬を赤らめてしまう。
「……莫迦を言うな、…休んでいろ……」
「……………………………は……い」
 このまま見続けていれば、自分はとんでもない行動に出てしまうのでは、と。自らの理性の限界を感じたウェインは、視線をふいっ、と逸らせて、殊勝に頷いたのだった。



オスカーも帰国しての二人っきり。
やっと一目惚れの英雄とのご対面。
ウェインは延々ヘタレでいいと思います

きれいな人なのでドキドキします

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