片恋 4



 救世の騎士、カーマイン・フォルスマイヤーの屋敷で養生すること三日、元々の生命力の強さか、普通の生活には支障をきたさぬ程には回復したウェインは急激に憧れの人との距離を縮めていた。
 例えば、何時も何事か考え込むようにしているのは、ただぼーっとしているだけだとか。
 思慮深いように見えて、結構無茶苦茶だとか。
 きれい好きの片づけ上手で、掃除とか洗濯とかマメなくせに料理は苦手で、放っておくと毎食パンで済ましてしまうとか。
 他人に興味が無さそうに見えるけど、実は甘いとか優しいとか。
 神の彫刻美を体現したような存在が、意外に、身近で――…。



「カーマインっさん!」
「……ウェインか」
 館の端にある書斎に籠もって古代魔術に対する見識を広げている救世騎士に、バーンシュタインの新米ナイツは背中から思いっきり抱きついた。
 救世騎士は珍しく眼鏡なんてかけていて。華奢なフレームのそれが、儚い美貌に際だっている。
「何してるんですか?」
 恋しい人の手元をひょいと覗き込んで、ウェインは不思議そうに尋ねた。
「ああ、…フェザエリアンから借りた古書を読んでしまおうと思って。
 休暇が終われば直ぐまた討伐に行く予定になっているし、何時までも借りているのは悪いだろうからな」
 右肩に顎を乗せて懐いてくる少年の頭を片手であやしながら、青年は答える。
「ふー…ん?
 ……なんて書いてあるのか全然わかんないです。これ」
 その、素直な感想にカーマインは苦笑を零す。
「フェザリアン達の古代文字だからな」
「! カーマインさん、そんなの読めるんですかっ?」
 尊敬の眼差しで見つめてくる小犬。
 憧憬の想いはある種の陶酔をもたらすが、それよりも――。
 長くて綺麗な指先が、目元を彩るレンズを取り去って。澄んだ漆黒に目を奪われる少年へと差し出してくる。
「かけてみろ」
「?? ……はい。」
 意図を計りかねて頭の上に疑問符をまき散らすウェインだが、それでも黙って従ってしまうのはローランドの騎士の有無を言わせぬ美貌の為か、はたまた惚れた相手だからか。
「………かけましたけど、これが何……っ」
 無言のままに目の前に突き出される先程の解読不可能本。驚くべき事に、その内容が、頭の中に自然にはいってくるのだ。
「え……?」
 古書に表記されている文字そのものは、やはり意味不明な記号の羅列にしか過ぎないのに、文章の意味だけ何事かを思う事もなく汲み取れる。
「凄い……、どうしたんですか。これ」
「サンドラが造った翻訳機の試作品だ」
「…サンドラ様の……」
 ローランド王国・宮廷魔導士サンドラの名は、バーンシュタインのインペリアルナイツのように有名で、隣国に名だたる魔導士だ。
 その血縁――息子に救世騎士、娘に魔導の天才グローシアンを持つ彼女は、もはやローランドの国宝。彼女なくしては国の成り立たぬ程、重要な存在だ。
 このような不穏な事柄、口にするのは憚られるが。
 ローランドの宮廷魔導士である彼女がその気になれば、かつて世界を恐怖で支配しようと謀ったヴェンツェルなどよりも確実に簡単に、世界を獲れるのではないかと――。
「……どうした?」
「! あっ、いえ……。これ、返します。すみません、邪魔しちゃって。
 昼のリクエストを聞きに来ただけだったんですけど……何か食べたいものあります?」
 貴重な品だ。
 傷付けることのないように慎重に眼鏡を外して、カーマインの掌へそれを収めてから。少年騎士は、お日様のような笑顔で昼食について尋ねた。
 ………そう、まだ万全とは言えぬものの、すっかり体の傷を癒したウェインは、世話になったお礼に、おさんどんを申し出たのだ。
 元々器用なこともあり、料理そのものも嫌いではなく。迷惑を掛けっぱなしの心苦しさ。救世の英雄の、食に対する無関心っぷりと、館に滞在する間は使用人を入れたがらない彼自身の性格。これら相まっての提案であったのだが。
 カーマインは、自分から進んで食事をしようとしないくせに、用意をしてしまえば律儀に食べてくれるのだ。
 そんな事情で、しっかり食事当番状態、ウェインくん。無論、厭ではない――…どころか、絶世の美貌を誇る救世騎士を餌付けをしているような、妙な気分だったり。
「………昨日のクリーム煮が美味かったな…」
「昨夜の…。
 ああ、ホタテと野菜のクリーム煮ですね? 材料、まだ余ってたはずだし、じゃ、それ作りますねっ♪」
 と、料理を褒められたのが余程嬉しかったのか、鼻歌混じりに黒の毛並みの小犬は厨房へと向かうのだった。



 冷凍しておいたホタテを日当たりのよい場所で解凍させながら、若きナイツは片手に万能包丁。華麗な手捌きで切り刻む新鮮そのものの野菜たち。
「♪ ♪ 〜♪」
 実に楽しげに厨房に立つ姿はまるで新妻のソレだ。ナイツの凛々しさなど、微塵も残ってはいない。
「カーマインさんって、魚は苦手なんだよな。肉も、レアとかじゃないと食べたがらないし――…。あ、でも、貝類とか野菜は好きで……」
 夕飯の献立は何にしようかとか、そんな平和な事を真剣に思い悩みつつ、綺麗に切りそろえた野菜に火を通す。よもやこの少年が、鬼神の如き戦いぶりに他国はおろか同胞からも畏敬の念を抱かれるインペリアル・ナイツの、その一員であるとは、誰も想像つくまい。
「……リゾットとか、どうかな。シーフードにして……」
 トン・トン・トンと、リズミカルにまな板を鳴らす包丁は、丁度、ニンジンのしっぽ辺りで、ひたりっと止まってしまった。
「…………」

 ………インペリアル・ナイツとは。

 尊国尊王、忠を尽くし義に厚く。
 我が身を盾としても、民を愛し、君主を愛し、国を愛する『騎士』である。

 ……そう、騎士なのだ。

 如何に人心を把握せしめんとも、絶大なる力を掌握せしめんとも、彼は従属の御前にて恭しく(こうべ)を垂れる、一介の騎士。

 けれど――…救世の騎士(グローランサー)は?

 彼は、ローランドという国に縛られる騎士であると同時に、世界の英雄でもある。
 いいや、騎士である以前に英雄である、と言った方が的確かもしれない。
 素直に憧憬の念を抱き、彼に傾倒する人間ばかりではあるまい――特に、国の中心に居座るような人物は自身の中に潜む際限無き欲望へ堕落する者が殆どだ。
 権力が人を腐敗させるのか、退廃した人が権力を求めるのか、定かでは無いが。
 地位と名誉に群がる権力者達が、そう、何を畏れ何を拒むのか。
 ローランディアの国王は、功績の素晴らしきがあったにしろ、傭兵に将軍の地位を与えたり、強者共が集う闘技大会での優勝者に士官を許すなど、なかなかに前衛的ではあるが。 臣下が皆、君主と同じ方向を向いているとは限らない。
 救世の騎士として名高き英雄、国の誉れたる、カーマイン・フォスマイヤー。
 彼が、他人(ひと)を遠ざけるのは何故だろうか。
 王都の外れに与えられた、辺鄙な領地の、その屋敷で。
 人払いを行ってまで、他の人間を自らの傍へ置くことを嫌い、まるで隠者のように過ごし、勅命が下れば再び戦場へと還る。

 彼は――、

   ここで生きることが――…、


「…………」
 すとんっ、と。
 小気味のよい音を立て、ニンジンのしっぽが切り落とされた。



 鼻孔をくすぐる香りに、カーマインは古めかしい本から視線を上げて麗美な妖眼を休めるように、瞼を下ろした。
 ……さほど、空腹を感じていたわけではないが、こうして甘やかなクリームの芳香が漂えば、妙に食欲を刺激される。
 リクエスト通りのメニューをつくってくれているらしいウェインの、意外に似合うエプロン姿を思い浮かべてカーマインは知らず口元を綻ばせる。
「………」
 と、館主の耳に遠く届くのは呼び鈴の音。
 躊躇いがちなそれは、ひとつ、響いては間を空けて、再びひとつ響く。
「―――?」
 かつての『聖戦』の最中、背なを預けあった盟友(とも)達なれば、いっそ清々しし程の無礼さで勝手知ったる館へ足を踏み入れる。
 隣国の、最強の称号を冠するナイツならば呼び鈴の後、臆する事もなく屋敷の敷地内へと進入するはずだが。
「……国から、伝令の類か?」
 彼ら以外に、このような便の悪い場所にまで足を運ぶ人間には心当たりが無い。後は、火急の用件などで書簡を運ぶ伝達兵しか思い浮かばない。カーマインは億劫そうに立ち上がると、エントランスへと向かった。



 昨日の残りのフランスパンを軽くトーストして、牛肉のタタキをブラックペッパー等の香料で味を整え。弱火で煮込んだ鍋の中身は勿論、旬野菜とホタテのクリーム煮。
 出来映えに満足すると、バーンシュタインの若き騎士は黒のエプロンを外して、大きくのびをした。
「ん〜っ、さ…ってと。
 カーマインさん呼んでこないとなっ」
「しっしょぉぉぉぉぉぉぉっつ!!!!」
「!!?」
 どぉんっ! という衝撃音の後に、カラカラとそこいらの器具が散らばり落ちる。幸い、割れ物は混じっていなかったものの、おたまやらフォークやらに埋もれるようにしてウェインは横に引き倒されていた。
「〜〜〜〜っ、たた。
 ………………………………ハンス?」
 したたかに打ち付けた右肩をさすりながら上体を起こせば、腰に抱きつくようにしているのは赤い頭。それも、見知った人物の。驚きのまま裏返った声で相手の名前を呼べば、ハンスは悪びれない笑顔を返した。

「師匠っ、よかったぁ〜〜〜〜。生きてたんだ〜〜〜〜」
「……なんだよ、それ?」
 いきなり人に飛びついてきて第一声がそれかい!? と、流石のウェインも内心でツッこみをいれたくなる。
 すると、己の言葉が足りていない事を自覚して、
「オスカー様がさぁ、なんか師匠が重体だって言うから。オイラ、心配で心配で……!
 詳しいこと知りたくても、オスカー様忙しくてさー。無理言って、やっと連れてきてもらったんだぜ!」
 更に、ハンスは付け加えた。
「……連れてきて貰った、って……。
 オスカー先輩に? よく捕まえられたな……」
「あ。ううん、違う違うっ。オスカー様じゃなくて、マックスさん。師匠の友達のさ」
「え、マックス? ここに来てるのか?」
 目を丸くするウェインに、押し掛け弟子の少年はこくこくと頷いた。
「うん。客室で救世の騎士グローランサーの人と話して……、
 ………………あのさ、師匠」
「? なんだ?」
 いい加減重いから退かないか、と。
 腰に巻き付く腕を宥めて解きながら、言葉の調子を変えたハンスの様子を伺うウェイン。
「………すっごい、綺麗なのな。あの人。オイラびっくりしてさ〜。
 世界を危機から救った騎士なんていうもんだから、なんかごついの想像してたんだけど」
 微かに頬を染めながら、恍惚の表情をしてみせる赤毛の少年。『あの人』が誰を指すのか、察せぬほど鈍くはない。ウェインは態勢を起こしながら尋ねた。
「カーマインさんのことか? 前のパーティで逢わなかったか?」
「あー、あん時はオイラ食べるのに必死で…周りの人達もなんか雲の上ばっかだったし。師匠がナイツの称号受けた辺りまではちゃんと会場にいたんだけど……」
 その後は外会場の豪勢な食事の数々を片っ端から制覇していたと、続けるハンス。
「それがこうしてあの救世騎士の、おっ、お屋敷にまでお邪魔してさ〜。なんかオイラ、きんちょーするよ、師匠〜」
 バーンシュタインにおけるナイツのように、今や救世の騎士(グローランサー)は英雄と同じ、人々の尊敬と憧憬を一身にする存在なのだ。ハンスが落ち着かぬのも無理はない話で。
「あーゆーの『ゼッセイノビボウ』とか言うんだよな〜。シャルみたいなジャジャ馬とは大違いだよな、品があるっていうか……」
 うんうん、と、一人で頷く弟子に何と返せばいいのやら。苦虫を噛みつぶしたような表情(かお)でいる若きナイツは、ふと、何やら不穏な気配を感じて視線を上げた。
「………。」
 あ。
 というような、目の色で。
 けれど、目線の先の対象が、可憐な口唇にそうっと人差し指を立ててみせるものだから、とりあえずは沈黙を守る。
「だいったいさー、シャルがナイツを目指すのってどう思う? 師匠っ。実力とかそういうの以前に、オイラは品が足りないと思うんだよね。品が。
 ダグラス郷なんてすっごく品格が高いって感じだけど、シャルはね〜。この前なんて、ちょっと言い合いしてたら、足蹴りくらったんだぜ。
 とても、貴族の令嬢……ううん! もう女とは思えないよなっ」
 背後に迫り来る危機に何ら気付くことなく、思うままを口にしてゆくハンスの目の前で、師匠であり軍作戦行動時の隊長でもあるナイツが微妙に顔を歪ませている。
「あれじゃー、嫁の貰い手もないっての。
 そりゃ、見た目はちょっと位いいかもしんないけど、あんなキョーボー女……うわっ!?」
 突然、つらつらと零されていたハンスの愚痴が悲鳴に成り代わった。
 未だ、床と仲良くしていた赤毛の少年の目の前に、鈍く光るナイフの切っ先が突き立てられたからだ。
 そして、固まってしまったハンスに追い打ちをかけるように、底冷えする気配と声。
「………面白そうな話ね? あたしも混ぜてもらえないかしら」
 ぎっ、ぎっ、ぎっ、と。
 なにやらぎこちない動きで首を90°後ろへ回すハンス。
「…………………シャ、シャル?」
 厭な汗が額に大量に!
 それを合図にしたかのように、突如、豊かな金の髪をした少女が手元のナイフを振り回して相手に襲いかかった!
「だ・れ・のっ! 品が足りないって!? 凶暴ですってぇ!??
 大きなお世話よ、だいたい、アンタだって人の事言えるのっ? 何よ、如何にも庶民ですって感じで、格調高さなんてこれっっぽっちも持ち合わせてないくせに! あんたにだけは、言われる筋合いなんて無いわよ!!」
「うわっ、うわっうわっ!!? なにすんだよっ、あぶなっ……!
 だっ、だいたい! ホントのことだろ、自分でおしとやかだとか思ってるのかよ!!」
「………その減らず口っ、叩けなくしてやるわッ!!」
 火に油を注ぐハンスの発言。
 案の定、怒りを倍にして襲撃の手を激しくさせる少女だ。
「うわわわわわっ、し、師匠っ! 助けてくれよっ!」
 わらにも縋る思いで師に救いを求めるが、薄情なことに、若くしてナイツの称号を戴いた黒髪の少年は厨房のドアの所でひらひらと手を振っている。
「!! ひでぇっ! 見捨てるのかよ〜、師匠っ!」
 情けない悲鳴をあげて、ぎゃあぎゃあ恩師に向かい文句を言い立てるが、ウェインは巻き添えはご免だとばかりに素知らぬふりだ。
「なに甘い事いってンのよ!! 隊長に頼ろうなんて、軟弱なんだから!!」
「うるさい! お前みたいな、凶悪はねっかえり女、一人でどうにか出来るかっ!」
「はねっ……! 〜〜かえりで、悪かったわねぇぇぇっ!! この、すかたん男! 能なしの度胸無し!!」
「はんっ、オイラが度胸なしなら、シャルは胸無しだぜっ!」
「なぁぁぁぁっんですってぇぇぇぇっっ!!!?」
「どわぁぁぁぁっっ!!!」
 シャルローネの握る刃に、それまでとは比べようもない殺意が籠もる。
 しょうがないなぁ、と。
 それまで成り行きを見守っていたウェインも、流石にそろそろ止めないと不味いと判断して、二人の間に割り入ろうとするが、どうにも決意が鈍る。
 ……はっきりいって、端から見ればただの痴話喧嘩。
 二人がお互いを憎く想っていないのは周知の事実で、知らぬのは本人達ばかりなり。口にして尋ねてみたなら、それはもう、大変な剣幕で仲を否定するのは想像に難くないが。
 夫婦喧嘩は犬も喰わない。
 触らぬ神に祟り無し。
「――…何をやっているんだ?」
 とそこへ、呆れたというニュアンスを多分に含んだ声が耳を掠める。年はひとつしか違わないはずなのに、やたらと長身の親友――マクシミリアン・シュナイダーだ。
 決して大きくはないが、落ち着いたトーンのよく通るそれに、何処か懐かしさすら沸き上がってくる。
「……マックスっ」
 自然、てらいのない笑みがこぼれ落ちるウェイン。並の者なら二ヶ月はベッドの上の住人となる重体に、見知らぬ土地に見知らぬ屋敷。いくら、憧れの人の傍とはいえ、やはり無意識に緊張していたようで、募る懐かしさ。
「やぁ、ウェイン。久しぶり。驚いたよ、怪我をしたって?」
 記憶の中の情景そのままの姿で今、ここにいる親友へ、若きナイツは穏やかな風貌に苦みを足した。
「オスカー先輩にきいたのか?
 ……わざわざ来てくれてありがとう、マックス。職務が忙しいんじゃないのか?」
「まぁね。けど、友達の見舞いの時間位はなんとか工面するさ」
 とはいえ、バーンシュタイン王国とローランド。二軒三軒隣に邪魔しに行くのとはわけが違う。片道で数日掛かる距離だ。
 戦場に立ち、武の力を以てして人々を護る騎士の道より、政事にて国の安泰を計る政治家を目指した友は、その手腕を認められ今や国の要となるに至る。己自身で自由になる時間など殆どあるはずもなく、その辺りの事情を知るウェインだけに気遣いもある。
「うわぁぁぁっ!! 師匠っ、マックスさん!! たぁ〜す〜け〜てぇ〜〜!!」
「見苦しいわよッ!! 覚悟なさい!!」
「ぎゃああぁぁああ!!」
 と、なんとも形容し難い情けなさ一杯の悲鳴が二人の和やかな会話を引き裂いた。
「……助けてあげた方がよくないかい?」
「そうだな…」
 頭を抱えながら、ウェインは友人の言葉に頷いた。
 と、背後に馴染んだ気配を感じて、バーンシュタインにおける一騎当千の代名詞であるナイツは慌てて振り返った。
「――なんの騒ぎだ…」
 のぞんだ先には思い描いた通りの人物が、怪訝な面もちで佇んでいた。
 黄金と漆黒の対による、妖艶なる美貌。
 華奢な体躯に、強靱な精神と圧倒的な魔力を秘め、繰る剣技は一撃必殺、――…戦場のカリスマとも呼ばれた英雄、カーマイン・フォルスマイヤー。
 そして、
「カーマインさんっ」
 年若きナイツの想い人。
 その態度の差は一目瞭然で、ぱっ、と花が咲いたように綻んで見せるウェインの姿に、その場に居合わせた誰もが、おや? と成り行きを見守った。
「すみませんっ、煩くして。
 ほら、ハンス、シャルッ。失礼だろう?」
「はっ、失礼しましたっ、救世の騎士グローランサー殿ッ!!」
「あっ、は、はいっ! すみません、失礼致しましたッ!」
 まず、育ちの良さの違いかはたまた単純に性格に起因するものか、シャルローネが背筋を伸ばし敬礼をとる。半歩遅れて、ハンスも謝罪の意を表した。
「……構わない」
 その素っ気ない言葉通り、さほど気に障ってはいないのだろう。光の騎士・グローランサーは、直ぐに背中を向けた。
「あっ、カーマインさんっ?」
 折角ここまで降りてきたのだから食事にしないのかと、言外に尋ねて返すウェインに、妖の如き美貌を誇る青年は、部屋に籠もるので、後は好きにしろ、と。とりつく島もない言い草で二階へ上がってしまったのだった。
「……迷惑だったかな、一応、リーヴス郷には許可をいただいてるときいていたんだが……」
 シュナイダー執政官――マックスが、そう零したのは、グローランサーが去ってからしばし、奇妙な沈黙を破るようにしてだった。
「――…迷惑ってことも無いと思うんだけど…。どうかしたのかな、カーマインさん…」
 傍目にもはっきり落ち込んでいる様子が窺える、そんな師匠に対し、ハンスが両の目を輝かせながらチャチャを入れてきた。
「なぁっ、師匠〜♪ もしかして、あの人に惚れてるとか?」
「!! ばっ、」
「バカな事言ってないの!」
 赤い顔のまま絶句するウェインに代わって、シャルがハンスの鳩尾に肘を決める。いっそ、清々しいまでの容赦のなさにマックスが苦い顔をしているのにも構わず、
「ほら、隊長も無事だったんだし、そろそろおいとまするわよ。何時までも居座っちゃホントに迷惑になるわ」
 さっさと次の行動を決めて、ハンスの首根っこを掴む。
「え――、もう帰るのか?」
 その潔い決断に驚いてウェインがマックスを振り仰ぐと、長身に二枚目という同性の目から見ても羨ましいスタイルの持ち主である友人が笑顔を返した。
「…ああ、僕はそうもゆっくりしていられなくてね。けど、――…」
 途中で、マックスの言葉の先は騎士成り立ての二人に向けられた。
「君たちなら大丈夫じゃないのかな、隊長が休養中なんだしね? 折角だから休暇を楽しんで帰ると良い。王都にホテルの手配をしてあるから」
「えっ!? ホントですか、ラッキー♪」
「いえ、そういうわけにはいきません。シュナイダー執政官。
 我々は王国を守護する騎士の端くれとして、常に己を磨く必要があります。それを、他国で休暇を楽しむなどと、言語道断。バーンシュタインの名を汚す行為に他なりません」
 可憐な少女の外見とは裏腹に、志し高き騎士であるシャルローネがぴしゃりと言ってのけた。すると、同僚は隣で不満そうにする。
「ちぇ〜、なんだよ。じゃあ、シャルだけ帰ればいいだろ。オイラはギリギリまでローラドにいるもんね〜」
「! 何、ふざけたこと言ってるのよ? それでも騎士なの、情けないわねッ!!」
 当然のように怒りの火花を散らすシャルにちょっと怯んだものの、年相応の欲求が恐怖に勝ったのか、ハンスも負けじと言い返した。
「なんだよ、情けないって! 何時もバカのひとつおぼえみたく、鍛錬鍛錬って。休養だってたまには必要だろ、休めるときに休まないのはただの意地っりじゃんか!?」
「……年中休みっぱなしのヤツに言われたくないわよッ!!」
「やすっ…みっぱなしってなんだよ! オイラだってちゃんと騎士としての鍛錬積んでるし、そこまで言われる筋合いなんて無いだからな!!」
「――…ふんっ、その割には結果に繋がってないんじゃない?
 実にならない鍛錬なんて、やってないも同じ。そういう大口は、それなりの成果を見せてからいいなさいよ!!」
「言ったなぁぁ〜〜、シャルだって、ナイツを目指してるとかなんとか言って。あっさり隊長に先越されてるくせして、そんな偉そうなこと言えるのかよ!?」
「ッ!!」
「ハンスッ…!!」
 途端、、みるみる顔色を変えて言葉に詰まるシャルローネ。ハンスの過ぎた言いようにウェインの叱責が飛んだが、既に侮蔑(どく)は吐かれた後で、撤回するのは遅すぎた。
「……あっ、……じゃなくて。あのっ、ごめっ…」
 元々根が素直な事もあり、己の失言に気がついたハンスは慌てて取り繕おうとするが、既に少女の心は毒に浸されてしまい。
「………なによっ、悪かったわね」
 謝罪の言葉すらも、更なる嘲りとしてしか届かない。
「そうよ、あたしだって他人(ひと)のこと言えないわよ。散々、ナイツを目指してるんだって大口叩いて、未だに騎士の位だし……っ。
 なのに、隊長は――…あたしがあれだけ熱望したナイツの位を先に戴いて……年だって、そんなに違わないのにッ……。
 ――…いいわよ、好きにしなさい!! アンタが何処で浮かれていようと、あたしの知ったことじゃないわよ!!」
 屹然と、胸の内に秘めた全てを押し込んで、可愛らしい風貌の騎士は憂いを帯びた眼差しのままその場を去った。
「……隊長、シュナイダー執政官。
 私はこれで失礼致します、後は母国へ自力で帰還致しますので、お構いなく。お見苦しい姿と耳汚しの言葉、どうかお忘れください…」
 と、上官であるウェイン。それに、執政官に対し礼を尽くすのを忘れずに。
「………」
 呆然とするハンスの赤い頭を、ウェインは軽く小突いた。
「………?」
 生気のないまま、肘を食らった場所をさすり、騎士なりたての少年は隊長を仰ぐ。
「いいのか、追いかけなくて」
「え――…、! しっ、知るもんか! あんな自分勝手女!!
 オイラにはかんけーないねっ!!」
 変に意地になってしまって、本心では直ぐにでも彼女を追いかけたいというのがありありと見て取れるのだが、どうにもこの場を動こうとしないハンスだ。
 ふぅ、と。溜息をついて、ウェインはマックスに助け船を求める。すると、国政を司る青年は何でもないという風に一人ごちた。
「そうだね、彼女は騎士なんだし。それも、ナイツをめざしているのだろう?
 ローランドも夜になれば治安が悪化するし、危険が多いだろうけど、一人でもなんとかするだろうから気にしないでいいんじゃないのか」

 ぴくり。

「そうなのか? 俺、ローランドは治安良好国だとばっかり思ってたけど…」
「表向きにはね。けど、これだけの大国なら影の部分も色濃いのが世の常だよ。女性一人での旅ゆきなんて危険で仕方がないけど、まぁ、彼女なら大丈夫だろうね」

 ぴくぴくっ。

「そうだな、シャルなら大丈夫だよな。
 一人旅ってだけでも危険なのに、女の子なら、特に危ないだろうけどな」
「そうそう、なんたってバーンシュタインの騎士だしね。
 普通ならとてもじゃないけど追いかけていくんだけどね、ほうっておいても大丈夫だろうね」
 ぴくぴくぴくぅっ。

 これ見よがしな二人の会話に、面白い位素直な反応してくれる少年。
「そっ、そうだよな。シャルみたいなジャジャ馬一人でも平気だよなッ!!
 ところでさ…オ、オイラッ、えーっと。その…」
「ローランディアで休暇を楽しんでくるんだろう? 行って来いよ」
 え? というような顔で、師を見返してくる少年。
「手配してあるホテルの名前は『レイグランド』だよ、人にきけば直ぐ判るからね。僕の名前を出すといい。二人分、頼んであるから」
 更に、少年の背中を押すマックスの言葉。
「……へへっ。………師匠っ、マックスさん! オイラ、行ってくるよ!!」
 ぎゅっ、と、表情を引き締めてハンスは、カーマインの屋敷を元気良く飛び出していったのだった。



 騒がしいお子さま騎士達を見送ってから、落ち着いた雰囲気を醸し出す執政官は穏やかに切り出した。
「さて…じゃ、僕はおいとまさせてもらうよ。ウェイン。これでもなかなか忙しくてね、直ぐに帰らないと書類が溜まる一方だよ」
「ははっ、…大変だよな、国政を司るってのも」
 友の、心底厭そうに首を振る仕草が可笑しくて、ウェインは軽やかな笑い声を零す。それから、申し訳無さそうに声を落とした。
「…そんなに忙しいのに、わざわざありがとう。マックス」
「気にしないでくれ、僕が好きでやったことだ。それより、ウェイン?」
「? なんだ? マックス」
「好きなら早めに言っておいた方がいいんじゃないのかな」
「?? なんのことだ?」
 唐突な親友の言葉の意味を、正しく理解するに至らず何度か瞬きを繰り返す若きナイツへ、その能力の優秀さを認められるシュナイダー執政官は非常に真摯な眼差しを向けた。
「救世の騎士――フォルスマイヤー殿の事だよ」
「!?? えっえぇぇぇぇぇっっ!!!??」
 面食らう少年騎士に、マックスはしてやったりといった少し意地悪な表情をしてみせる。
「気付かれてないとでも思ってた? あれだけ露骨に顔に出してて」
「!! かっ、…お。でて…るか?」
 耳まで赤くなる初々しい騎士様は、ばっ、と、己自身の両手で顔を覆い隠すようにした。なんとも、可愛らしい事だ。
「スキスキオーラが出てるからね」
「〜〜〜〜っ」
 すっかり茹で蛸の友人をからかうのは充分に面白いが、しかし、本意は違う処にあり、マックスは揶揄りを早々に切り上げ真剣な面もちで語った。
「まぁ、…何にしろ。
 君も彼も騎士という立場にある以上――…常に、死と隣り合わせているだろう…? 無論。彼も君も充分に強いし、滅多な事は言いたくはないんだけどね……」

 後悔は、苦いものだから。

 そう言い置いて、マクリミリアン・シュナイダーは迎えの馬車で帰国していった。



 古めかしい香りが支配する空間で。
 夜の気配を纏う英雄は、冴え冴えとした美貌に険を込めていた。柳眉に眉を寄せ、無言のままに古書のページを捲るが、文字の羅列は意味を探る前に霧散して消えてゆく。
「……どうかしていた、俺は…」
 躊躇いもなく境界を乗り越え、領域に足を踏み入る新たなインペリアル・ナイツ。残酷なまでの無邪気さで懐かれる事は決して苦痛では無かったが、……いや寧ろ心地よく。
 それでも、この手を振り払わねばならないのだと、思い知らされ残されるのは苦い悔恨の痼。

「…………」

 その日の夕刻になって、
 何時まで経っても部屋から現れないカーマインを心配したウェインが、救世騎士の姿を求めて書斎を訪ねたのだが… …既に、その場はもぬけの殻となっていたのだった。



ハンスとシャルは和みカプだと思います
マックスがウェインに本気になったら
ヤンデレまっしぐらしか思いつかない

隙だらけのワンコナイツとヤンデレ参謀☆

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