片恋 5
治安の良さが有名なローランディア王国。
国民の生活水準が高いお陰で、生きるために犯罪に手を染める者が居ないのが、最たる原因だろう。
それでも、ぬるま湯に浸かるような平穏でも、自ら裏の社会へ足を踏み入れる者もいる。生活水準の平均が高いとはいえ、皆が皆一様に満たされ裕福なわけではないのだ。
他国よりは遙かに安全ではあるが、夜も更ければやはりそこは安心出来る場所では無かった。
繁華街に一人、退廃的な雰囲気にそぐわない少年がウロウロとしていた。
勝ち気そうな瞳に、そばかすの浮かんだ愛嬌の在る顔。――…バーンシュタイン王国の正騎士、ハンスだ。
「っか、しぃな〜。シャル、何処に行っちゃったんだろ」
直ぐ様同僚の後を追ったはずなのに、未だに姿を見つけられずに、ハンスはぼやいた。
「まさか、本気で帰っちゃったのかな〜。ホント、シャルって短気だよなー…」
可愛くて騎士としての腕も確かな同僚の少女だが、あの気の短さは頂けない。上流階級に生まれ育ったという事もあるのだろうか、……堪え性が無いのだ。
無論、必要に応じて耐えるべき所では己を律してみせるが、心が裏腹であることは一目瞭然で。直接の上司にあたるウェイン隊長が寛容だからよいものを、これが他の人間ならまず、騎士の位を戴くのすら難しいだろう。
騎士といっても所詮は宮仕え。
在る程度要領が良くないと、幾ら実力があってもなかなか出世出来ないのが現実なのだ。余程、よい上司に巡り会えたのならこの限りではないが。
「ふ〜……」
探索に疲れて、ハンスは路の脇にどかりと腰を落ち着けた。
「っしょーがないなぁ…もう。ホテルに一旦行ってみようかなぁ……」
もしかしたら、既にシャルが行き着いているかもしれないから。
とっくの昔に王都を後にし、街道はずれに野宿している可能性も充分にあるのだが、それならそれで仕方が無い。少女を捜し出す術も行方を知る方法も無いのだから。とりあえず、予約を済ませてあるはずのホテルへ向かってみようと方向転換した時。
――…聞き覚えのあるキィの高い声が、路地の隙間から聞こえた。
「っ……?」
まさかと思いつつも、そちらへ視線を遣ると、再び耳に届く耳馴染んだそれが響く。
「…シャルッ?」
慌てて、ハンスは路地に飛び込んでいった。
救世騎士に与えられたにしてはやけに寂れた土地の、その彼の屋敷の前で、一人、立派な佇まいのナイツが訪ねていた。
国と民を守護するが役目の騎士にしてはやたらと線が細く、華奢とも思われるような体格に、綺麗に整った容貌。
騎士というよりは、剣術は嗜み、戦場になど立った事もない貴族の子息といった様子だが、これで一騎当千悪鬼か修羅の如く敵を切り捨てるバーンシュタインのインペリアル・ナイツなのだ。本当に人は見かけに因らない。
現在のメンバーで最古参にあたる彼、オスカー・リーヴスは、旧知の仲である救世騎士の下へ残してきた重傷の後輩を心配して、こうして再びやってきたのだった。
呼び鈴を鳴らして、一応形式にのっとり数秒間だけその場に留まると、いつものように、勝手知ったる様子で館へ足を踏み入れる。手入れの行き届いた庭の緑の香が鼻孔を擽ってゆく。夜の気配が辺りを支配していた。
「………?」
と、凄いスピードで此方に駆けてくる足音に気付き、オスカーは其方を仰いだ。
「〜〜〜カーマインさんッ!!」
「?」
「……て、オスカー先輩……」
館の廊下を全力疾走して来た犬コロのような後輩は、目の前の意外すぎる人物にぽかんと間の抜けた表情をする。
「やぁ、もう随分元気そうだね。ウェイン」
そんなお子さまに、例によって必殺技・天使の微笑みを向けてくるオスカー・リーヴス。
「で、カーマインがどうかしたのかい?」
有無を言わせぬ笑顔攻撃で核心をつく質問をする辺り、色々な意味で彼は王国最強の騎士なのだ。
「………そ、れが。…突然、屋敷からいなくなってしまって……」
「いなくなった? 少し出掛けてるだけじゃないのかい?」
哀れなほどの項垂れ具合を披露する後輩に、美麗な騎士は優しく気持ちを慰めてやる。
「でっ、でも…っ!
今まで出掛ける時は必ず俺に一言あったんです!! いつ頃帰るからとか、何処に行くからとかっ!!
それが今回は何を言わずにいなくなって、もう五時間も帰ってこないんです!!」
「………」
「オスカー先輩っ、何か知りませんか! 何処かでカーマインさん見かけませんでしたっ!?」
可愛いワンコな後輩の狼狽っぷりに、オスカーは少しだけ考え込んだ。
幼い子が行方を眩ましたのでも、か弱い女性が姿を消したのでもないのだ。救世の騎士、カーマイン・フォルスマイヤーが、自国の己の館から少々の間いなくなった所で何ら問題が生じるだろうか。――否、である。
しかし、全てを承知した上でのウェインの狼狽えぶり。
「その様子じゃ、カーマインが消えた原因に、心当たりあるね?」
「!?」
さらりとカマを掛けるオスカー・リーヴス。
王国最高峰の騎士の彼は、笑顔で人を騙し討ちが出来ると影で専らの評判だけあって、酷く手強い。彼を欺くなどと以ての外、論外だ。
「……わ、からないです。
昼間、マックス…いえ、シュナイダー執政官と部下達が見舞いに来てくれたんですけど、…その時から、少し変だとは思ったんです。けど、具体的にどうとか、これが原因だとかいうのはわかんなくて…」
一気に捲し立て、声を詰まらせるウェイン。
「……ふぅん?
話を聞いてる限りじゃ、僕にも察しがつかないね」
「………そう、ですよね」
目に見えて落ち込む後輩の淡い黒髪をぽふぽふと宥めてやって、オスカーは極上の美貌に麗しい微笑みを浮かべる。
「心配いらないよ、ウェイン。
この時間になっても戻らないなら、多分王宮か前の自宅の方じゃないかな。心当たりをちょっと捜してくるから、大人しく待ってるんだ。いいね?」
「〜〜〜すみません…」
バーンシュタインの最強騎士に私用の人捜しを頼むのは流石に気が引けたが、ローランディア王国もローランドも初めてで土地勘皆無なウェインが、救世騎士の旧・自宅など知る由もなければ、王宮への道順も知ろうはずもなく。
「……俺、ホントに迷惑ばっかり掛けて……。………情けないです…」
結局、憧れの人である、王国の双璧と謳われたオスカーに頼るしかないのだ。
「気にする程のことじゃないよ、僕が好きでやってることだしね」
後輩の心中を察して、最強の称号を戴く騎士は声を優しく彩り、ウェインが自己嫌悪に沈み込まないように殊更、気を遣った。
「それじゃあ、行ってくるから。大人しくしてるんだよ」
「……はい」
言って、玄関扉の向こうに姿を消す騎士のシルエットを、ウェインは、待てを言いつけられた品の良い犬の様に、じっと見送るのだった。
上品な金糸の髪は豊かに流れ、そこはかとなく漂うあどけなさと、凛とした気品が魅力の美しい横顔を豪奢に縁取っていた。
身につけるものは、機能性を重視したそれであるとはいえ、素人目にも高価であることは明らかで。
良家出身のお嬢さまのお忍び、そんな妥当な線に落ち着いたバカ共が、バーンシュタインの正式な騎士である少女にコナを掛けてくるのは当然の成り行きだった。
もう、何回目になるのか、さっさと通り抜けようと考えていたローランディアで、少女、シャルローネは破落戸共の妨害にあっていた。
始めは三人、次は五人で、今回は十数名の集団だ。流石に分が悪いかと、無力なふりをしてやり過ごそうと考えたシャルローネだったが、
「もぉっ!! ちょっと、いい加減にしてよっ!!」
無遠慮に細い腕を掴んでくる男達の、その無礼さにカッときて、野蛮な男達の一人の急所を、容赦なく蹴り上げる。
「★@☆#%£#◎§!!!」
相手はか弱い女一人だと思って侮っていた男は、思わぬ反撃に悶絶し急所を抱え込んで泡を吹いた。
「ふんっ! なっさけないわね!!」
高飛車に言い切る少女の、ただ者ではない身のこなしに気付いて男達はたじろぐ。
「……このアマッ!」
「ふざけた真似しやがって!!」
しかし、たった一人のか弱い少女にいいようにされたとあっては、流石に無頼者なりの自尊心が傷つくのか、互いに目配せしあうと声を張り上げて獲物を取り囲んだ。
「…フン。ふざけた真似はアンタ達の方ね。あたしに無断で触れたこと、タップリ後悔させてあげるわ!!」
圧倒的不利な立場に置かれているのも関わらず、少女の高圧的な態度は変わらず、男達を挑発してみせる。
「ナメてんじゃねーぞっ!!」
ここまで馬鹿にされたのでは、界隈の悪党の面目丸つぶれだ。いきり立つ男共の中心にあって、シャルローネは酷薄な笑みを端正な造りに浮かべた。
そして、
「ナメてんのはアンタ達だわっ!! ……ブリザー…ッ」
「うっわー! ストップストップストップ!!!」
!!?
突如、沸いて出たそばかす少年の間の抜けた言い草に、その場の緊張感が一気に霧散した。
「なんだ、てめェはッ!」
「関係ねーヤツはすっこんでな!!」
口々に脅しかける破落戸共だが、しかし、少年は何処か剽軽(ひょうきん)な有り様で騒ぎの中心に陣取る少女へ声を張り上げた。
「何やってんだよっ、シャル! こんなとこで攻撃魔法使ったりなんかしたら、ただ事じゃ済まなくなるだろっ!!
人がわざわざ探しにきてやれば、案の定騒ぎになってるし…もうちょっと後先考えて行動した方がいいんじゃないか」
「…………ッ!!」
――その瞬間、シャルローネの中の感情が一気に爆発した。
「正当防衛でしょ! 正当防衛ッ!! か弱いレディが悪漢に囲まれてるのよ!!
アンタ、何処見てるのよ!? そっちこそ、状況判断が足りないんじゃないの、その軽い頭でよーく考えてから物言いなさいよね!!」
「かるっ…! な、に、がっ、正当防衛だよ!!
ブリザードなんて使ったら過剰防衛だろ、過剰ッ!! 第一、か弱いレディがローキックかましたり、啖呵切ったりするわけないだろ!! このじゃじゃ馬女ッ!! 暴れ牛女!!」
「!! なんですって! この軟弱者! 臆病者!! 惰弱者っ!!!」
「なっ、軟弱ってなんだよ、軟弱って!!」
「言葉通りよ、それとも自覚ないのかしらっ? 初陣で腰がひけてたのは、何処の誰だったかしら!?」
「ん、な、昔のこととっくに時効だろ!」
「あ〜ら、何でも一番始めが肝心よ!」
少女を取り囲む男達の輪。それの内と外とで喧々囂々、捲し立てる二人に呆気にとられる悪漢たち。この、子ども同士の喧嘩のようなやり取りを前に、戦意など根こそぎ奪い取られてしまっている。
すっかり存在を無視され呆然と立ちつくしていた悪党たちだったが、その内の一人が我に返り、そして沸々と怒りを覚えて、
「ファイアーボール!!」
と、上級レベルの魔法を放ってきたものだから、げっ、と、その場に居合わせた全員が泡喰って非難にかかる。
灼熱の炎球が対象との接触によって爆発を起こす炎魔法。その範囲は意外に広く、下手をすれば敵味方関係なく巻き込む恐れがある。魔法が、敵を識別して攻撃するわけではなし、蜘蛛の子を散らすように逃げだす悪漢達。少女と少年も、それぞれに鍛えた身体能力を駆使して魔法の効果範囲より逃れた。
爆炎魔法の直撃を受けた壁や舗装された街路は見事に瓦礫の山となってしまっている。
「もー!
なんで三流悪役にグローシュ使いが混じってるのよっ!!」
「んなの、オイラに怒鳴ったってしょーがないだろ!!」
危うく難を逃れた二人は、街路に仲良く腹這いになりながら、言い合う。
互いの罵倒合戦ですっかり周囲の状況を失念していただけに、後半歩敵の攻撃を察知するのが遅れれば、危ない処だった。
「まぁ、いいわ。
相手してあげるから、光栄に思いなさいよねっ!!」
しかし、敵の思わぬ力に怯むどころか少女は尊大に言い切って、立ち上がりざまに先程唱え掛けていた魔法を……、
「たっ、」
公使しようとして、痛みに呻いた。
「…シャルッ?」
ギクリと顔を強ばらせるハンス。
「……なんでもないわよッ!!」
いつもの強情で同期の心配を押しのけると、シャルローネは片足を庇うようにして危なげに立ち上がる。
「シャルッ、何意地張ってるんだよ! 挫いたんだろ、……逃げるからな!」
「!! イヤよっ、冗談じゃないわ! 敵前逃亡だなんて騎士の恥だわっ!! それも、こんな奴らに不覚をとるなんて!!
逃げるなら一人で逃げなさ……!」
舗装された街路が直ぐ傍で弾けて、石畳の欠片が飛散する。
馬鹿の一つ覚えというやつか、やたらと破壊力を秘めたファイヤーボールを所構わず撃ち放つ男。見境のない攻撃に、二人は身動きのとれぬ状況に追い込まれる。
「っ、く!」
乱れ撃った魔法の一つが、動きを封じられた少女を確実に範囲に捉えた。咄嗟に反転し、身を捩ろうとするが巧くゆかず、練り上げる前の純粋な魔力、グローシュで己の前に障壁を作りあげるのが精一杯だ。
――と、
「シャルッ!!!」
強い衝撃と、急速に収まってゆく魔力の波動を感じて、ハンスはおそるおそるに片目を開いて周囲を窺った。
「――…あ」
粉塵が風邪に薙払われ、そこには出で立ち麗しい光の救世騎士にて世界の英雄である、カーマイン・フォルスマイヤーが細身の長剣一振りを片手に、能面のような無表情で丁度、隣国の騎士達を庇う位置に立っていたのだった。
魔力を暴走させていた男は既に地面に倒れ込んでいる。おそらく、一瞬の合間に少年たちを護り、そして悪漢を倒したのだろう。
流石――としか、言い様のない。まざまざと見せつけられた『英雄』の実力。
「…おい、カーマイン」
ぽかんと大口を開けて、絶世の美貌を誇る華麗な騎士の有り様に目を丸くしているハンスだったが、突然現れた強面に、今度は肝を冷やした。
(うわわわわ??? な、なんだよ〜あの人っ、こ、コワソウ……)
厳つい体格に目元を覆う赤い輝きを灯すゴーグル。背中には、一撃で敵を粉砕出来よう物々しい戦斧と……巨大な投具が装備されていた。
「…ウォレス…?」
しかし、救世の英雄は臆することもなく、まるで旧知の友と言葉をかわすかのように気安く彼に応えた。
「――『ウォレス?』じゃ、ないだろ。お前は……。
発動済みの魔法の前に飛び出すなんて、どんな神経してるんだ全く……」
大仰に溜息をついてみせる大男は、安堵の入り交じった小言を吐く。
「……すまない…。
それと、後は…頼む」
「ああ。おい、こっちだ! 早く来い!」
遠くへと大柄な男が声を張り上げると、バタバタと数人の慌てた足音が駆けつける。
「はぁ、はぁ、はぁっ……。
う、ウォレス隊長っ…、…救世騎士殿、……一体…何が……」
「器物破損に暴行の現行犯だ。連れていけ」
隊長、と、制服姿の男達に呼ばれた義眼の剣士は、地面に俯せて気絶する男を顎でしゃくった。
「は? ………この男がですか?」
「ああ、そうだ」
「はっ、了解いたしました!」
敬礼を行い、部下、らしき彼らは男を縛り上げると、たたき起こして連行する。残った数人は、そこら中に散乱する瓦礫の撤去作業にはいる。
「…………」
「大丈夫か…?」
すっかり周囲に取り残され、呆気にとられたまま固まっている赤毛の少年へ、手を差し伸べる人物がいた。
ほけっとして見上げると、星霜の彼方より届く星の輝きとような、永劫の美しさの人の、
「あ、………俺は……大丈夫、です」
妖しげにも、心を捕らえて放さぬ色違いの対に絡め取られた。
元々、物怖じしない天真爛漫な性格であると自覚しているハンスだが、救世騎士の前では流石に緊張してしまう。
と、ガチガチになっていると、ふいに神秘の双眸をカーマインは曇らせた。
「気を……失っているな。
外傷はなさそうだ…、……障壁破りのダメージを喰らったか…」
(???)
何の事かと、目を皿のようにして英雄の言葉を聞いていたハンスだったが、はたっ、と、未だ腕に掻き抱く少女の存在を思いだして慌てた。
「! シャルッ!?」
すると、確かに救世騎士の言う通りに、少女は気丈な輝きの瞳を閉じてしまっている。原因の在処など、小難しいことは判らないが、しかし命に別状は無さそうだとハンスは胸を撫で下ろした。
と、そこに絶妙な掠れ具合が強烈な色香を纏う声で、光の騎士が気遣ってくる。
「……歩けるか?…」
「え? あ、はい。平気ですっ」
「そうか。……王宮設立の休養所まで行けば手当を受けられる。医者もいる。
………どうする?」
「あ、はい。…お願いします」
他国の人間であるだけに、土地勘は皆無だ。自力で医者を捜すのは困難であろうし、何より気絶した人間一人抱えて宿泊予定のホテルを探して回る芸当は出来るはずもない。ここは素直に好意に甘えるのが吉であろう。
やがて、怪我人を運ぶためのものと思われる簡素な馬車がやってきて、ハンスと気を失ったままのシャルローネは休養所にまで運んでもらったのだった。
擦り剥いた膝小僧に軽い手当を受けただけで診察室から放りだされた少年は、珍しそうにそこいらを歩いて回っていた。
やってきた休養所は灰味かかった白い壁の建物で、要するに、王宮兵士専用の病院といった処か。
「はー…、外見はちょっとボロいけど、内容(なか)は充実してるなー。バーンシュタインでも滅多に目に掛からないような最新機器とかあるし……」
武のバーンシュタイン王国に対し、ローランディア王国は智を重んじる伝統を持つ。無論、互いに残った方が酷く遅れているわけではないが、それぞれのお国柄から、特に力を入れる部分に違いが出てくるのは当然であろう。
武においては、やはり修羅の如き強さを誇る『インペリアル・ナイツ』や強靱な騎士団を抱えるバーンシュタインは比類泣き国家であり。
智において、才色兼備の宮廷魔導士『サンドラ・フォルスマイヤー』を筆頭に、多くの魔導士や技術者を要するローランディアは最高峰だ。
「…シャル、大丈夫かな」
「大丈夫だ。強制的な魔力介入の所為で精神疲労を起こしているだけだからな…」
「!?」
無意識のうちに零した呟きに、断定的な口調が返されて、ハンスはぎょっと声の方向を振り仰いだ。
「……あ。えーと、……。………!!
あ、あっ! も、申し訳ございません!! 救世騎士(殿!!」
一瞬呆けてみせて、ハンスはやっと己の非礼に気が付いた。
ただの民間人であればいざ知らず、隣国に在籍する者とはいえ、騎士の位を戴く身分なれば、友好国の英雄に礼を尽くすのは至極当然だ。
と、泡喰った様子の未成熟な少年に、ふっ、と光の騎士は苦笑いを浮かべる。
「……気負う必要はない。
…ウェインの見舞いに来ていた騎士、だな……?」
「はっ、はい!!」
覚えてくれたんだー、と、軽い感動を覚えつつ、ハンスは先程からどうにも気になって仕方のない事を思い切って尋ねてみた。
「あ、あの…、救世騎士(…どの…」
慣れない物言いに舌を噛みそうになりながらも、必至に言葉を紡ぐ若い騎士に、救世の英雄たる華麗な騎士は、口端を微か持ち上げた。
「カーマインでいい…」
「……え、−っと」
いいのかな? と、一瞬躊躇うものの、元々堅苦しい儀式儀礼の一切を苦手とする性格だけに、あっさり好意の提案を受け入れてハンスは質問を続けた。
「…じゃ、カーマインさん。……どうしてここに? 休暇中じゃなかったんですか?」
と、おのおのが異なる輝きを放つ妖眼に、僅か翳りがうまれた。
勿論のこと、単純明快にて素直なお子さま騎士に、そのような細微な心の動きが知れるはずもなく、不思議そうな顔をしてカーマインの答えを待っている。
「……人に、会いにな…」
「あ、それってさっきの恐そうな人ですか?」
歯に衣着せぬ言い方に、誰もを魅了する絶世の美貌の持ち主がふわりと柔らかく微笑んだ。思わぬ拾いものに、少年の心は騒ぐ。
ほんっっっっとーに綺麗な人だよなぁ〜、などと、感嘆の溜息を零すハンスだ。
「……ウォレスのことか」
「…ウォレス?」
間抜けな表情で、ハンスは艶やかな青年の言葉を鸚鵡返した。聞き覚えのある名前だと暫し考え込むようにしてから、はたっとなる。
「! ローランディアの猛将…!!」
「知ってるのか…」
年若い騎士が導いた答えを、静かな口調で肯定するカーマイン。
「………あの……人が…」
「見えないか?」
「はい」
「………」
「………? ………、………。………!! って、あぁっ!! …ち、違います!! その、…あの……っ!!
雰囲気が王国軍っぽくないっていうか、抜き身な感じがしてっ……あぁぁ、あのっ、別に変な意味じゃなくて、屈強っていうか、え、ええとっ!!!」
素直に『はい』と言ってしまってから、それをフォローしようとしてなんだか収集がつかなくなってしまっている。
混乱の余り、本人すら何を口走っているのか判っていないようで。狼狽えぶりを可哀想に思ってか、カーマインは、落ち着け、と、一言発する。
「…おい、何を騒いでるんだ」
と、そこに丁度話の種にあがっていた人物がやってきて声を掛けた。
一騎当千を謳われるインペリアル・ナイツや、救国の英雄たる騎士とは、また質の違った『力』を感じさせる風貌の男。
逞しく鍛えられた精悍な体つきは、男なら憧れるであろう一つの形を見事に再現している。その背にはやはり巨大な武具が。黒皮の上下に、僅かな防具だけを身につけたスタイルは、王国の将軍というよりはやはり熟練の傭兵といった感想を相手に抱かせる。
「…ウォレス」
そして、全身から躍動感溢るる男の体の中で、唯一無機質に存在するもの――紅いセンサーの輝きを放つ義眼。
見えるはずのないそれで、しかし、男はしっかりと二人の姿を捉えていた。
「まぁいい。それより、客だぞ、カーマイン。
中庭に通してるから会ってこい」
「………客?」
怪訝そうに眉音を寄せる夜の化身のような美しい騎士を、ウォレスは軽く急かした。
「ああ。急ぐんだな、待たせると煩いぞ」
「………?」
訝しがるカーマインだが、ウォレスはそれ以上の説明をせずに、傍にいる赤毛の少年騎士を手招いた。
「え? オイラ?」
きょとんとしながらも、呼び寄せられるがままハンスは厳つい男の傍へと寄った。
「一応、ここは軍施設だからな。一人でウロウロしてると、お堅い連中にとっ捕まって小言を食らうぞ? とりあえず応接間で大人しくしてるんだな。ついて来い」
「…は、はいっ…」
慌てて屈強な戦士の後を追いかけるハンス。
と、思いだしたようにくるりとカーマインの方へ向き直ると、振り千切れんばかりに両手を振って、
「さっきは助けてもらって、ありがとーございましたー!!」
全開の笑顔と心からの感謝の気持ちを手向けて、去ったのだった。
そんな、裏表のない真っ直ぐさが微笑ましくて、救世の英雄たる青年は柔らかな――そして、寂しげな笑みを艶やかな美貌に履くのだった。
ローランディアにおける、最も新任となる将軍の言葉通り中庭へ足を運んだ救世の英雄は、驚きに一瞬息を詰めた。
見間違うはずもない、優雅な佇まい。
優しい菫色の髪と瞳の貴族的な容貌に似つかわしくない、非情と冷酷を併せ持つバーンシュタイン王国最高峰の騎士の姿は、一目で他者を圧倒し魅了し、その魂の奥底にまで存在を刻みつけるのだから。
「……オスカー…」
探るように騎士の名を呼べば、既に此方の気配に気付いていたようで、
「…捜したよ?」
向き直って、一言。
「―………」
漆黒に艶めく青年は答えないが、元より返答を期待してはなかったのだろう。オスカーは言葉を続けた。
「ウェインがね、随分と心配していたよ? ――…どうして急に邪険に?
……あの子は素直で気持ちのいい子だよ。僕とは違ってね」
「……わかっている」
「………」
心苦しそうに頷くカーマインの様子だけで、オスカーは何事かを察して嘆息した。
「――…なら、何故…、なんて野暮な事は訊かないでおくよ…」
『英雄』としての虚像だけが一人歩きしてしまった事が、世界に光をもたらした救世の騎士の悲劇の始まりであったと言えよう。
世界に平和が訪れたのならもう『英雄』は用済みなのだ。
――その圧倒的なカリスマと実力により人心を揺り動かし、それこそ国一つを獲ることすら決して荒唐無稽な夢物語ではない『英雄』と呼ばれた存在は、それだけで国家を司る人間からは疎まれる。
そして――、
世界を未曾有の危機より救った、栄光ある救世の騎士とて……役目を終えれば目障りな若造に過ぎないということ。
「……若いナイツと過去の英雄の交流を…強突張りのタヌキ共がどう思うか……。
………想像…つくだろう…?」
「……良くて間者嫌疑、最悪謀反の疑いありっ…てとこ、かな?
けれど、…ローランディアの国王は前衛的で優れた君主だと聞き及んでいるよ。そう悲観的にばかり考える必要なないんじゃないかな」
救世の騎士たる青年の思いを、やんわりと、杞憂に過ぎないのではと諭すオスカーだったが、ゆうるりとカーマインは首を左右に振って見せた。
「…どちらにしろ、俺に関わればロク事はない……。
――…それに、あいつはやっと念願のインペリアル・ナイツに就任したばかりなのだろう…? 未来のあるヤツが………俺に関るものじゃない…」
悲哀の籠もった片違の眼差しが、切なげに歪められてゆく。
「…悪かったね、僕の方も迂闊だった。
バーンシュタインの方が落ち着いているからね、そちらも、さほどの状況ではないだろうと安易に判断していたようだね」
申し訳なさそうな表情で殊勝に謝罪され、いや、と、小さく応えるだけの反応を示すだけのカーマイン。
心ここにあらずといった様子が痛ましい。
「……ウェインといるのは苦痛…?」
「………」
言葉の代わりに、軽く首を振ってオスカーに答える救世の騎士。
「……悪いが、…早めにウェインをバーンシュタインに帰国させてやってくれ………。
その間、俺は昔の家を使っているから……」
「以前の自宅に?
……確か、今は誰も使ってないって言っていたね」
「ああ、…サンドラとルイセは王宮の研究所で生活しているからな。
………もう一つ、……後味の悪い頼み事なんだが………。
ウェインに…急な遠征討伐の任務が入ったと説明してくれないか……?」
寂しげに瞳を伏せる仕草に、オスカーは仕方がないと戸惑いがちに微笑んだ。
「……わかったよ、伝えておく」
もう行く、と、短く言い残して消えた救世の騎士。
彼の抱え込む宿業と運命の重さを思って、バーンシュタインが誇るナイツは一つ、嘆息した。
そして、
「――全部聞いたね?」
後ろの茂みに向かって、話しかけた。
いや、正確には闇に染まり、まるで一つの黒塊にしか見えぬ丈の低い木々の密集地に息を殺して潜んでいた人物に、だ。
「…………」
かさかさっ、と。
木の葉を揺らすのも遠慮するかのように、そうっと姿を現したのは――、
「…さて、どうする? ウェイン」
バーンシュタイン王国における新任ナイツ、柔らかな黒髪と華奢な体躯に似合わぬ巨大な黄金の大鎌を繰る少年騎士、ウェイン・クルーズ、その人だった……。
マックスは実はウェインを可愛がってると思います
でも、恋とか愛に発展する前の感じ
あわわわしてる親友を楽しんでる状況ですね
マックスが本気になったらヤンデレ化確実
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