片恋 7



 気が付けば、窓の外が白みはじめていた。
(………)
 柔らかそうな黒髪に、少年らしい若木のしなやかさを描く体躯のナイツは、見知らぬ天井を数秒間、無言のままに寝ぼけ眼で見つめていた。
(……朝。……ゴハン、……作らなきゃ…)
 掴もうとすると直前で霧散する思考で、ここ最近の日課を思い起こして、何故かウェインは猛烈な使命感に駆られた。
「そうだっ、朝ご飯…!」
 掛け布団を跳ね上げる勢いで起きあがる少年は、しかし、直ぐさま脇を押さえて蹲ってしまった。
「〜〜〜っ、た」
 日常生活は可能な程度にまで治癒した傷口だが、今のような行動をとれば無論痛みに呻く結果となる。
「……わすれてた〜…」
 やがて苦痛をやり過ごした毛並みの良いナイツは、注意を払ってベッドから抜け出した。
 改めて周囲を見回すと、そこは数日間を愛しい人と過ごした比較的新しい邸宅ではなく、重厚な造りの建物だった。
「………?」
 状況判断に至らず呆ける事、数十秒。
「――……あ。」
 ようやっと起き抜けの頭で現在までの経緯を整理し終えると、一気に自己嫌悪に陥った。
「…なんか、忘れてた方が…よかったのかもしれない」
 同年代の者達と比較してもアルコールの類に弱い自覚はあるのだが、特筆すべきはソコではなく、泥酔し正体を無くした状態にあっても、前後の最中の記憶をしっかり覚えているという己の特殊な才能について、だ。
(……うわー、うわー、うわー)
 思い出された感触を確かめるように、指先が無意識のうちに、口唇をなぞっていた。
 そんな己の行動に酷い羞恥を覚え、ぼふっとベッドに丸まってしまう。
(――………)
 数分間程そうして悶絶していたウェインだったが、瞬間沸騰した頭が徐々に冷めてくると、今度は絶望的な不安が心をよぎる。
「……俺、ぜっっっったい嫌われた……」
 押し付けがましい、一方的な告白、果ては酒の勢いを借りたキスまで――…。
「最低だ……」
 文武両道に長け、一騎当千の武勇を謳われるだけでなく、知性や品位まもを資質として求められるインペリアル・ナイツの称号に恥ずべき行いを、ウェインは酷く悔いた。
 騎士として絶対的な憧憬の対象であるオスカー・リーヴスの忠告と助言を受け、それでも自らの想いを譲れぬモノと決意し、孤独の英雄の背中を追った事に、一欠片の後悔も無い。
 けれど、行き場の無い感情だけが先走って空転の挙げ句に、この様だ。
「………俺、」
 掛け布団を頭から、まるで花嫁のヴェールのようにして、ウェインは上半身を起こした。そのままベッドの上に座り込むと、俯き加減になり、沈み込む。
「………」
 華々しい栄光、その功績に相応しき富と名声。
 類い希なる美貌と才気を閃かせる宮廷魔導士を養母に、魔力グローシュの祝福を受ける世界最高峰の魔術師を養妹に、そして、自身は救世の騎士として名を馳せる。

 ――カーマイン・フォルスマイヤー。

「…微笑って…」
 世の人間が口を揃えて羨む栄華の一族。その後継者である彼は、何故、頑なに他者を拒むのだろうか。
 決して情の薄い人間では無いという確信がある分、その疑問は大きく膨らむばかりだ。
 かくもあらんばかりの絶世美、下界の汚れに染まらず孤高に一輪、天を仰ぐ姿は確かに美しい。しかし、天上の華がそっと足下に傾いで綻んでくれたのなら、それは、遙か昂みの高潔であるよりもずっと、きっと――。
「……微笑ってて、欲しいだけなんだ…けどな」
 孤独の闇に眠る月の華のような彼の人を、幸福の腕(かいな)で包み込んでしまいたい。
 世界的英雄として、救世の騎士として、彼が抱える悲壮や苦痛を、ほんの少しでもいい、癒せたのなら――。
 例え、インペリアル・ナイツの称号を戴いているにしろ、一介の騎士に過ぎない身分で、光の救世騎士に対しこのように意識する事は、烏滸がましいのかもしれない。
 単純に武道や魔術の腕だけを比較すれば、おそらく、ローランディアの英雄の足下にも及ばないだろう自分が、あの人を――、
「……護りたい、なんて…」
 どうしてか、思ってしまったのだ。
「………」
 ぽふっ、と。
 顔面からベッドのクッションにダイブし、そのまま大きなマクラを抱き込むようにして淡い黒の毛並みのワンコは低く唸る。
 そして、ふっと気の抜けた表情になると、吐息だけでその名を囁いたのだった。
「……カーマイン・フォルスマイヤー…、グローランサー…かぁ」



 宮廷魔導士サンドラ・フォルスマイヤーの、その肩書きには些か物足りない屋敷で、人の気配があるのは久々の事だった。
 生活感の薄れた居間で軽くインスタントのスープだけを腹におさめると、まるで時の流れに置き去りにされたように変わらない部屋の中を見渡す。
 まるで冗談のような大きさのピンク色のクマの右手は、不格好に捩れている。
 ネジ巻き式の大時計は、その右下の方から漆が剥げていた。
 ソファの上、無造作に並べられた子どもの手作りらしいクッション類。
 如何に己を形作る肉体が他者の複製であったとしても、この場所で確かに、十八年間を生きてきた痕跡がある、記憶が存在している。
 心は、見も知らぬ男の模造品では無いのだと――ふっ、と人外めいた美貌の青年は、安堵の吐息をついた。
「……いい加減、女々しいな」
 戦場であれば、死と生の狭間の昂揚が全てを忘れさせてくれる。
 生々しく鼻をつく夥しき血肉の異臭と、膨大な魔力の波による威圧感。抜き身の闘争本能に、引きずられるようにして理性は剥ぎ取られてゆく。
 何も――考えられなくなる。
 互いを屠り合う緊張感に正気を手放す瞬間が、代え難い悦楽を与えてくれる。
「…そのまま…、」
 その先を、その願いを、口にしてしまえば――それは、耐え難い裏切り行為に他ならない。
 等しく異形の身でありながら、死を厭い生を渇望しながらも、抗えぬ運命故に失われた同胞の命の重みを思えば、絶望の嘆きを変わらぬ微笑みの下に隠す隣国のナイツの事を想えば、赦されざる事だ。
「……今更、繰り言だ。けれど、俺は…」
 世界を未曾有の危機、絶対的な破滅の運命から救った英雄は、己の命を引き替えに世に救世の輝きを残したのだと、そんなお伽噺になれれば良かったのに。
「……俺、は…」
 不遇の少年王。
 その運命を忌まわしき魔神ケヴェルに玩ばれ、父をその手にかけ、母に異形として追い立てられ。悪夢のようなあの時を、それでも彼は、生を望んだのだ。
 彼の命を惜しむ絆の為に、己を信じた友の気持ちに報いるために、そして何よりも己自身の中に息づく魔物と戦う為――。
 そんな彼に、英雄と謳われる一行は『世界のために死ね』と吐き捨てたのだ。
 誰に望まれなくとも、ただ、生きていたいと。
 それだけを。
 それだけしか願わない一途な魂を世界を救うという大儀面分の下に切り捨てた。
「……リシャール…、俺はお前を…」
 やはり、その先を言葉にする事は躊躇われた。
 口にするのは容易いが、そうすることで、彼と彼の友人の想いを侮辱する気がした。



 トン、トン、ト、ン…。

「………」

 物思いに耽る救世の騎士を現実へと立ち返らせたのは、何処か心許ない足音だった。
 戸惑うように、探るように、一歩一歩と降りてくる。
 そんな頼りなさに、カーマインは微笑ましさを感じて、身を預けていたソファから立ち上がった。
「……ウェイン?」
 居間の扉を開けると、そこは二階へと続く階段の側面だ。
 そこから上へと呼びかけてみると、ピタリと相手の足が止まった。その、あまりに判りやすい反応に、知らず、しなやかな体躯の青年は苦笑を零した。
「…どうした、こないのか?」
 少し意地悪く問いかけてみると、躊躇う足取りながらも、最強を謳われる隣国のナイツ、その一員である少年騎士は降りてきた。
 意気消沈といった様子で、普段の覇気は見る影もない。
 俯いた眼差しは、所在無さ気であった。
「………」
 まるで、悪戯を主人に咎められる犬のようだと、そう連想すれば何故だか可哀想になってくる。
「――…ウェイン」
「ッ、は、はいっ!」
 名を呼べば、跳ね上がる勢いで姿勢を正した。
(……ナイツ、なんだよな?……)
 決してその実力を侮るつもりでは無いが、それにしても、目の前のワンコもとい、淡い黒髪と真っ直ぐな蒼の瞳の持ち主の印象が、既存のインペリアル・ナイツのそれを根底から覆すものであり、どうにも妙な気分だ。
 何と表現すべきか――圧倒的な武を世界に誇るバーンシュタイン王国の誉れであるナイツを、こう言うのは…問題なのかもしれないが。
(………可愛い…?)
 未だ、耳伏せしっぽ丸めの状態で、恋心を抱く隣国の騎士の言葉を待つウェイン。
 その寝癖のついた毛並みを、カーマインは幼い子かペットにでもそうするように、撫でててやる。
「………!!?」
 小柄なナイツは突然の出来事に硬直するばかりだ。
 己の身に何が起きているのかすら、把握出来ているのかいないのか。
「かっ、かかか、カーマ、イン…さっ!!!」
 やっとの事で絞り出した声は、当然のように落ち尽きなく、震えていた。
(………可愛い…犬、みたいだな…)
 耳まで赤くして目を回し混乱している姿は、非常に情けないのだが愛嬌があって、確かに愛らしい。
「ウェイン」
「は、はははは、はいぃっ!!」
 髪をキレイな指で梳かれながら優しく囁かれると、もう何がなんだか。インペリアル・ナイツの威厳も沽券もあったものでは無い。
「昨晩の事は、全部覚えているか?」
 しかし舞い上がる一方のお子さまを、一気に奈落へと突き落とす台詞が、愛しい人の喉元から滑り落ちて、ウェインは顔色を失くした。
「ッ、……は、い」
「…そうか」
 感情の籠もらぬ声で淡々と受け止められて、ウェインは居たたまれなくなる。
「…お、俺ッ、悪ふざけとか冗談とか、そういうのでカーマインさんにあんなこと…したんじゃないですっ!
 …………好き、なんです……。だからっ…!!」
 想いが次から次へと心の泉より溢れてくる、堪らず、年若いナイツは視線を上げた。すると、思いも寄らぬ距離に妖眼を認めて頬が熱くなる。
「かっ・カーマ、ッインさっ…」
「目を…閉じていろ…」



 ローランディアを守護する屈強な将軍と、今年度のグランシル武道大会優勝者である白の鎧と大剣がよく似合う、腕利きの傭兵は揃って、目の前の光景に呆然としていた。
「……カーマイン…?」
 おそるおそるといった様子で、白輝の鎧を身に纏った傭兵が彼の名を呼ぶ。
 すると、妖の如き艶やかな美貌を宿す青年は、優しい接吻から手元のナイツを解放し、平然と二人に応えた。
「…どうした」
 その腕の中には、華奢な体躯の少年が、耳裏や首筋までも真っ赤にして硬直していた。
「や…、と、その…」
 竹を立てに割ったような非常に男らしい性格のゼノスが、珍しくも口籠もる。
「いや、すまんな。カーマイン。邪魔したようだ。
 大した用事じゃないんだががな、ただコイツの優勝祝いで久々に飲まねェかって話になってな。お前を誘いにきたんだが…」
 流石、亀の甲より年の功。だてに長く生きてない。人生経験の分だけ、こういう突飛な状況に慣れているローランディアの猛将軍が、さらりと場を収めた。
 それを訊いて、ああ、と光の救世騎士も納得したようだ。
「…ウェイン。悪いが…少しアイツ等と出てくる」
「は、はい」
 少年特有のまだあどけなさを残す柔らかさと真っ直ぐな声が、カーマインの言い付けに応えて頷く。
 と――、
「……ウェイン?」
 奇妙に尻上がりな調子で、ゼノスが反応した。
「え、はい? あ。ゼノスさんっ?」
 確かに聞き覚えのある声だと、カーマインの腕の中で真っ赤な林檎のようになって俯いていた少年が、偉丈夫といった風体の傭兵を振り仰いだ。
「やっぱりお前か」
「お久しぶりです、ゼノスさん!」
 なんだ、知り合いなのか? と、横で訊ねる義眼の将軍に、ゼノスはまぁな、と軽く応じて、麗しの騎士の腕から離れた、小柄で細身という外見を見事に裏切り、充分過ぎる程の実力の持ち主であるナイツの前に立った。
「ああ。けど…なんでまた、インペリアル・ナイツのお前がこんなトコにいるんだ?」
「え…、と、その…」
 世界にその名を轟かせる、バーンシュタイン王国において最高位の騎士の位、インペリアルナイツを戴く少年が、隣国の英雄の自宅で目撃されたのなら誰であろうとも、疑問を感じて当然と言うものだ。
 しかし、質問の答えは極々個人的であり、どう申し開きをしたものかと、ウェインは当惑した。
「……色々とあってな」
「イロイロ? 何だそりゃ」
 困窮する少年を見かねて、救世の騎士は横から助け船を出す。しかし、基本的に好奇心旺盛で物事に首を突っ込みたがる性質のこの男の前には、逆効果だったようだ。
 野次馬根性に火がついたのか、詳細な事情を聞き出そうと食い下がり、それを年長者であるウォレスが宥めた。
「…まぁ、その辺はいいだろ。ゼノス。
 それよりも、特に問題がないようなら出掛けねぇか、そこの小っこいのも一緒にな」
「………え? いえっ、とんでもありません! ウォレス将軍!! 私は――、ぶっ!?」
「なぁーに、急にナイツ様ヅラしてんだよ、お前は」
「わっ、わっぷ。ゼノスさん、ストップ、苦しっ…ですって」
 それまで一貫して懐いた調子であったウェインは、流石にローランディアの猛将軍を前に。姿勢を正して、国の誉れとして非の打ち所の無いナイツの仮面を被ろうとして――気さくな傭兵に、それを阻まれた。
 ヘッドロック状態でかいぐられて、このこのっ、とジャレつかれては、ナイツとしてのお堅い口上も吹き飛んでしまう。
「…ゼノス、程々にせんと潰れるぞ」
 筋骨隆々と張った肉体に、失われた視力を補佐する紅の義眼、強面の風体からは想像し難いが意外に面倒見のよいローランディアの将軍は、呆れと揶揄りをまじえて溜息を吐いた。



 傭兵稼業の長い二人が選んだ店は、箱入り育ちの英雄と、所謂爛れたオトナの遊戯とやらに免疫の無さそうなナイツへの悪戯心もあって、少々下世話な感のある酒場だった。
 奥の舞台には薄布を纏ったしなやかな肢体の踊り娘が、官能的な演奏と口笛や野次を受けて、雄の劣情を誘う妖しげな舞を披露していた。
 余りの光景に、案の定、所在無さげに辺りを見回す隣国のナイツは、緊張の面もちだ。
 光の救世騎士といえば、年上二人のタチの悪い冗談に辟易しつつも、際立つ美貌の鉄面皮に感情を殺していた。
「さっあ、ジャンジャンやってくれ。ココは俺の奢りだ!」
 陽気に声を張り上げるゼノスは、円卓を囲む錚々たる面子に大して大盤振る舞いの気前の良さを披露する。
「…随分景気がいいじゃねェか、悪ぃが俺はザルだぜ?」
 久方ぶりに味わう傭兵時代の名残に、王国将軍の地位を暫し返上とゆくようだ。鋼のように鍛錬された見事な肉体を揺すって、ウォレスは忍び笑いを漏らした。
「年寄りの冷や水になんなきゃいいが、無理すんなよ。将軍サマ?」
「…若造が生意気言うじゃねェか、なんなら一勝負するか、ん?」
 面白がるように、義眼のセンサーが照り返しに紅く輝く。
「おうおう、いいねェ♪ 男の祝杯はこうじゃなきゃいけねぇよ。ぅよっし! 受けてたつぜ!!
 おい、カーマイン、ウェイン! お前等は審判役だ! 頼むぜぇ!」
「……好きにしてくれ」
 未成年者をこのような淫猥な場所まで連行した挙げ句に、勝手に盛り上がり始める成人二人にすがめた視線を送って、やたらと面積の少ない給仕衣装で店内を忙しなく動き回るウェイトレスを片手で呼びつけた。
「注文ね、いいわよどうぞ?」
 平素を装いながらも、大きく胸ぐりを開けたウェイトレスは、粘着質な視線で、この掃き溜めに不釣り合いな四人組を品評し、舌舐めずっていた。
「飲み比べだ、勝負に手頃な酒を持ってきてくれ」
「あらあら、素敵だわぁ」
 最も発達した体躯を誇る男は、その無骨な風体に相応しいだけの荒々しさと、不器用な優しさを併せ持つようだ。おそらく、色事の手管も老練しているに違いない。
「ウォレスのオッサン。負けた方が勘定を払うってのは、どうだ?」
「…面白そうだ、いいだろう乗ってやる」
「そうこなくちゃなァ!」
 真白く輝く甲冑姿も堂にいる、腕利き傭兵といった様子の明るい髪の青年は、如何にも男らしい精悍な二枚目だ。笑うとヤンチャな印象になるのが、更に魅力的だ。
「うふふふ、じゃあ持ってくるわね。
 それと――ボウヤはどうするの? オ・ト・ナの味を知ってみたい?」
「え――、い、いえ、俺はノンアルコールで」
 眼前で繰り広げられる男の勝負に呆気にとられていたウェインだったが、鼻先に突き付けられた、豊満に揺れる女の乳房に泡喰って注文を口にした。
「あらん、ザ・ン・ネ・ン。オネーサンが、手取り足取り、腰取り、いけなぁ〜いコト教えたあげようと思ったのにぃ」
 給仕の怠惰な色香を放つ女とて、初心な子どもをどうこうする趣味は無い。ただ、揶揄って反応を面白がるだけだ。しかし、一切の免疫抗体を保有しない純粋培養の少年ナイツは刺激が強すぎたようで、真っ赤になって硬直している。
「ぷっ。やぁーだぁ、かわいいーわぁー、この子〜。
 じょぉーだんよっ、ジョーダン。ごめんなさいね? ノンアルコールっと。そこのキレーなお兄さんは?」
「俺は――」
 浮世離れした美貌の青年は、そうだな、と憂える眼差しを伏せ、ほんの数秒考え込む。
「強いヤツを適当に、後、何か腹の足しになる物を頼む」
「はいはぁい、ご注文承りましたわよ。じゃ、少し待っていてね?」
 意図的に丁寧な口振りで応え、やたらな色気を振りまく女は、とりとめない注文を快く引き受けた。
 場所がら『適当に』といった類の客が多いだけあり、その扱いも手慣れたものだ。
「珍しいな、カーマイン。お前が飲むなんて」
「なんだ、ひょっとして下戸かァ? ウェイン」
 ウェイトレスが引き上げた円卓で、黒革の上下が異様に似合う猛禽のような男が、同胞の英雄に。
 武闘大会の優勝者として名を上げた、気さくな雰囲気の中にも猛獣の如き荒々しさを秘めた青年が、隣国の盟友に。
 ほぼ同時に、正反対の意図を孕んだ台詞を投げかけた。
「……ああ、たまにはな」
 カーマインは端的に返して、長い前髪をやるせなく掻き上げる。何気ない仕草ひとつが酷く扇情的だ。
 その一方ではまだ顔立ちにあどけなさを残す少年が、律儀な対応をしていた。
「下戸――じゃないと思うんですけど、余りこういう機会が無くて」
「あー、ダメダメ、全然なってねェなぁ。ウェイン。
 男ならこういう場所で後込みするもんじゃねェんだよ、今日は吐くまで飲め! な!」
「………は、はぁ」
 バンバンッ、と、強烈に背中を叩かれて、中性的な風貌のナイツは困惑しながらも頷く。
 ゼノスの余りの豪快さに多少傷が響くが、習い性故表情に一切の苦悶を浮かべない。
「『はぁ…』じゃねェ、いいかァ酒が飲めねェってコトはな、人生の半分は損をするってコトなんだぜ。特にな、俺等みてェな腕っ節世界でハクをつけたきゃ、目指すわワクだ、ワク! わかったか、ン?」
「……は、はい…。」
 妙に説得力のあるゼノスの迫力に圧倒されてしまう。
「よぉーし、わかったなら――」
 と、丁度そこに先程の給仕の女性が、注文の品を両手の盆一杯に並べた状態で、危なげなく運んできた。そこから、緩やかな曲線を描くボトルの中身をロックグラスになみなみとそそぎ込み、ウェインの真ん前に叩き付けた。
「一気にイケ」
「…………」
 無言のまま、眼前の透明な酒と、強引な男の顔を見比べる少年の顔には、ひたすら当惑の色が。
「……ゼノス、ほどほどにしておけよ…?」
 普段はこういった場面で率先して年長者の務めを果たすウォレスも、その諌言に面白がるような響きが伴っていた。片手にはとうに口を付けたグラスが。既にホロ酔い状態なのかもしれない。
「なーに言ってンだ、こんくれー()れなきゃ男じゃねェぜ!
 ガキだな、ガキ。お子さまだ!」
 奇妙に力説してくるゼノスの横顔は、まるでヤンチャなガキ大将のようであった。
 しかし、その言い草はいただけないとばかりに眉を寄せて、若きナイツは強靱な傭兵を軽く睨み付ける。
「……ガキ、って…」
 年齢よりも幼く見える自分の童顔や、鍛錬の結果が現れにくいカラダを、密かに気に病んでいるウェインは、ゼノズの評価に不満そうに唸った。
 難癖をつけ管巻いてくる相手が、そこいらの有象無象であれば、仮にも最高位の騎士の称号を戴くナイツが本気で戯言を取り合う事は無かろう。
 だが、かつての世界崩壊の折り、その危機を救った立て役者の一人である屈強な傭兵の言葉と受け止めれば、やはり心に留まりも、引っかかりもし、ムキにもなろうというもの。
「………」
 ガッ、と。
 透明な酒が縁の口まで満たされたグラスを掴んで、一気に煽った。
 見た目に反して強烈なアルコールが、未成熟な喉を無遠慮な奔放さで灼きつくす。
 反射的な嘔吐感を無理矢理に抑え込んで、その意思の強さを湛えた黒の両眼が潤んだ。
「〜〜〜っ、」
 空になったロックグラスを勢いつけ、円卓へと叩き付ける。
 数秒ほどだろうか、無言のままに口元を片手で覆い俯くと――些か取り繕った感はあるにしろ、ウェインは会心の笑みを浮かべた。その頬、目元は、既に赤みを帯びて、如何に少年がアルコールに対して免疫が無いかを饒舌に代弁していた。
「ぅぉっし、いい飲みっぷりだ!! それでこそ、男だぜ!!」
「ああ、大したモンだ。まァほら、呑め」
 だが、興の乗ったゼノスとウォレスの二人は、無謀をする若きナイツを諫めるどころか褒めそやして調子に乗せようと奸策する。
「………」
 やがて半時程過ぎてみれば、片手で嗜む程度にジンを味わうカーマインの前に、正体を失くした一団が出来上がっていた。
「優勝なんてしてみるとよ、いろーんなヤツがコナかけてきやがる。まァ、いい女に誘われるのは、悪ぃ気分じゃねェけどな、男としてよ。その辺、ナイツってェのはどうなんだ。 選り取りみどりってェやつかよ?」
 酔いの席での話題といえば、どうしても下世話な趣旨となるのが、世の常。
「う〜…、でもですね。
 俺、はぁ…オスカーぁ先輩みたいに…上、出身じゃないんですよねぇ……」
「ウン? 叩き上げってトコか?」
「……有り体にいえば、そぉです」
 結構な量を飲み干しているのにも関わらず、意識を確かにさせて訊ねてくる、渋みのある声。
 当人はしっかりと覚醒しているつもりかもしれないが、慣れない深酒に舌足らずになるウェインとはやはり、経験値が違う。
「……バーン、シュタインはぁ、基本的に懐古主義で……。ジュリア先輩がナイツとして認められたことで…前衛的な思想もぉ…少しずつ、浸透はぁしてきてるんですけどねぇ。やっぱり……俺みたいに、どこの馬の骨とも知れないヤツに……ナイツの称号を与えるなんて、って、ですねぇ…」
 特に、所謂上流階級と言われるような貴族連中が、実に懐疑的な視点で以て新たなナイツの存在に対して、異論を唱えるのだ。
「……言われてるから……」
 だから、ゼノスが思い描くような姿とは程遠いのだと、茫洋とした瞳にほんの少し翳りを滲ませながら、ウェインはグラスの中身を煽る。
「へぇ…、お前も結構イロイロあるんだな」
 こんなちっこいのに、頑張ってるなぁ、エライエライなどと、頭をわしわししてみせる。
 普段には、やはり頭の片隅かに少年の身分に対しての遠慮が燻るのか、決して口にしないような軽口が、ポンポンと飛び出てくる上に勝手に体も動く。
 口振りだけはヤケにシャンとしているが、やはり、白輝の甲冑に大剣背負った厳ついスタイルの傭兵とて、かなり酔いが回っているようだ。
「…まァ、その辺は仕方ねェな。バーンシュタインは歴史と伝統を重んじる国民性だ」
 ザル宣言は伊達では無いということか、まるで飲み水代わりというように酒を胃に流し込んでゆくウォレスは、達観したようなコトを言う。長年、傭兵稼業を続けていただけあって、人生の辛酸を舐め尽くした台詞だ。
「ま、アレだ。今日は、そういうイヤなコト全部忘れて、パーッとヤレよ! なっ!」
「はい〜…、ありがとぉ、ございますぅ…」
 陽気な口調でゼノスはウェインのグラスに酒をつぎ足した。
 トロンとした黒目がちの瞳は既に焦点を失って、まるで自動人形のように急ピッチで杯をあけてゆく若いナイツに、それまで静観の構えであった青年も、流石に不安に駆られて表情を曇らせた。
「……ウェイン、もう…止めた方がいい」
 口元に運び掛けたグラスを、その少年の手ごと握り込んで制する。
「………カー、マイン…さん?」
 すると、まるで幽霊でも見るかのように、人懐こいナイツは喫驚してみせた。
「……あれ、? え、ここ……」
 どうやら相当アルコールが回っているようだ、己が至る現在の状況を把握出来ずに、ただただ、目を丸くするばかり。平素の頭脳明晰さは何処へやら、真っ白に焼き付いた意識は、思考という名の空転を繰り返す。
「なーんだァ、白けるコトいってんじゃねぇよ。カーマイン。
 平気だって、これっくれぇ、な? ウェイン」
「………わ」
 無防備なトコロに、熱を残す勢いで背中に平手打ちを食らって一瞬息を詰めるウェイン。 この豪気で明朗な男に相応しい、少々乱暴な親愛の情だ。
 軽く噎せ、反射的に前のめりの姿勢を取った隣国の騎士は、しかし、そのまま円卓へと顔を伏してしまった。
「……ウェイン?」
 心配そうに横で覗き込む愛しい人に、大丈夫だと、その一言がどうしても紡げない。
 喉元にまで迫り上がる違和感は、泥酔による嘔吐の為なのだと、そう察した時には最早限界間近であった。
「――…悪酔いしたんだろ、外に連れていって全部吐かせてやればいい」
 青褪めて震える、あどけなさを残す横顔は酷く痛々しい。
「…ウェイン、立てるか?」
 淡い輝きを掌に集中させ、癒しの術を片手間で行使しながら、くだんの英雄は優しく少年を気遣った。
 これが、ザルワク対決中の酔狂共なら何処までも無関心を決め込むのだが、そんな彼らに無理矢理巻き込まれる形となった年少の騎士については、放っておくワケにもいかない。
「……ぅあい…」
 戦闘時における外傷を、対象が有する治癒力と生命力を一時的に活性化して癒すのが、一般的な治癒魔法ヒーリング。清冽な蒼の輝きが印象的なソレ。しかし、顔面蒼白となった少年の全身を包み込むのは、細波のような、淡い光。
 単純に物理的な苦痛を和らげる術では無く、精神的な翳りや、より総括的な肉体への負荷を和らげる、高等魔術だ。徐々に収まってゆく悪心に安堵を覚えつつも、ウェインはカーマインの助力を得て、店の外、入り口にある石階段の横へ腰を下ろした。
「――…大丈夫か?」
 無機質な妖の眼差しに優しさの片鱗を覗かせて、端正な面差しの青年は問いかける。
 膝を抱え込むようにしてしまったウェインを気遣う声は、何処までも穏やかだ。
 誰が彼を人形のようだと嘲ったのだろうか、感情の無い虚ろだと罵ったのだろうか、この人はこんなにも――。
「……は、い。も、だいじょぶ、です」
 辿々しく言葉を綴るのは、気を抜いたが最後、喉の下の辺りまで迫り上がったものが一気に逆流してきそうだからだ。
「…無理に話すな」
「………」
 『大丈夫』という言葉が、英雄たる存在への遠慮からであり、虚勢でしか無い事は明らかだ。軽く嘆息し、カーマインはそっと少年の隣に座り込んだ。
「…収まるまで、動かない方がいい」
「………はい」
 まるで、飼い犬が主人に寄せるような盲目的な従順さ。
 その素直さに、カーマインは知らず微苦笑を浮かべていた。
 武のバーンシュタイン王国。その力の代名詞とも言うべき存在、インペリアル・ナイツ。その当代無比たる戦闘能力は、既に人智を越えた処にあり、神が悪魔かと畏怖される騎士の一人が――コレだとは。正直なトコロ、少々、想像しにくい。
 かつて打ち倒すべき敵として、又は隣り合う盟友として、混沌とする世界の終焉を共に駆け抜けた誇り高き騎士達の英姿を思い起こして、比較してみれば、随分と印象が違う。
 洗練された立ち振る舞いに、気品溢れる面差し。身の丈ほどの大鎌と共に華麗に戦場に舞う、優しい死神。オスカー・リーヴス。
 その怜悧な美貌は、抜き身の刃の如く刹那に閃く。潔癖にて高潔。双剣にて敵を薙ぐ姿は、まるで修羅のように――アーネスト・ライエル。
 そんな彼らとは全く違った側面から、ナイツとして魅力的な少年の、その髪を優しく梳いてやりながら、古豪に吹く新しき風を好ましく受け止めていた。



バーンシュタインは質実剛健・武の国家
古き良き伝統を受け継ぐ国であるがゆえに
ウェインやマックスは逆恨みの対象になってます

このきれいなひとには何もかも敵わない気がする

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