片恋 8



 無茶なオトナのペースに付き合って悪心を起こした、バーンシュタインの少年騎士を連れて、美貌の青年が席を外したテーブルで、ゼノスは複雑な表情をしていた。
「なんだ、不景気なツラだな?」
 流石年長者の余裕といおうか、拗ねたような様子でいる白鎧の傭兵に、ローランディアの新たな将軍は、労るような口調で声を掛けてやる。
 すると、何処か恨めしげですらある視線がで睨みあげられて、ウォレスは軽く肩を竦める。触らぬ神に祟りなし、というヤツだ。
「なんだもクソもあるかよ、さっきのアレ。どういうことなんだよ」
「不貞るな不貞るな、しょーがねぇさ」
「……やっぱ、そういうことかよ…」
「そんなの、俺に聞いても仕方ねェだろ。第一、俺はあのちっこいヤツのこたぁ、よく知らねぇがよ。カーマインの奴が、どうとも思ってねェ相手とああいった真似するとは思えねェがな」
「……だよな」
 世の女性どころか、同性までもを強く惹きつけてやまない魔性の英雄。下手をすれば男のほうがより抗いがたく魅了される。挑発的でいて好戦的、そして儚げな風情を併せ持つ稀代のグローランサーは、その魅惑的な美貌とは対照的に酷く色恋に潔白なのだ。
 おそらく、自分が人から愛されるという実感がどうしても沸いてこないのだろうと、この目の前の男から言われたことを、ゼノスは思い出す。
幼い頃より無償の愛を受けた家族――天才魔導師の呼び声も高い母親と、その血を強く受け継いだ愛らしい妹は別格のようだが。元々『人間』ですらなかった自らを卑下する傾向にある救世の騎士は、人間の愛というものを自分に無縁だと思い込んでいるのだと。
「ホンキ…なんだろうなぁ…」
 キスの現場を目撃されても何処吹く風で飄々としていた姿が脳裏に甦る。いっそ憎たらしいほどの落ち着きぶりに、言及するのも躊躇われそのままなのだが。
「さっきのアレから察するに、無理やりってこたぁないだろ。お互いに」
「――まぁな、どうみてもカーマインのヤツが襲ってたしなー…」
 これが逆の構図ならまだ無理に割り込むことも出来たのだが、何より、カーマイン本人が嫌がっていないのなら、それ以上脇から口を挟む義理は無い。一度は、暗殺者としてのその命を狙った経緯のある相手ながら、今は、過去確執全てを水に流し、互いに気心の知れた中である。
 一度、戦となれば苛烈に前線に舞う戦神のような姿からは到底思いつかないが、救世の英雄と謳われる青年は、有事以外には結構ぼんやりとしていて危なっかしい。
 寡黙で思慮深く見えるが、ただ単に何も考えていなかったりする大物なところがあるので、どうにも目が離せない。
 時の権力者である宮廷魔導師を義理の母にもち、不吉な予言と異形と恐れられる双眸からの迫害を避けるために、箱入りで育てられた。故に、一般的な年頃の連中と比べて奇妙に純粋で常識の抜けたところがあるのだ。
 そんな彼だけに、カーマインと共に死線を潜り抜けてきた戦友である者達――特に、彼よりも年上の男達は誉ある英雄に対して、少々過剰なまでの庇護欲を持ち合わせていた。
 今までも美貌の英雄に対して不埒な行いにはしろうとした者はいる――どころか、実は結構な数だったりする。それこそ、カーマインが一介の騎士として今で言う『救世戦争』で戦闘に対する鬼才を揮っていた頃まで遡れば、最早、計測不能だ。
「今まで、向こうからってのはあったけどよ。カーマインから惚れてんじゃ、しょーがねぇよなぁ…」
「なんだ、随分と聞き分けがよくないか?」
 揶揄うような響きに、ゼノスはうるせぇ、と力なく噛み付いた。
「しょーがねぇだろ、アイツが選んだんなら。それに、何より相手がウェインだしな…」
「ああ、そういえばお前、あのちっこいのと顔見知りだったな」
「ちっとな、ゴタゴタがあって。そん時に」
「バーンシュタインのナイツらしいが。どうだ、強いのか? ん?」
「………」
 景気良く酒を開けてゆくオヤジを睨みあげ、年は若いがその実力に定評のある傭兵は無言で自分のグラスをあおった。
「性根の悪ぃ真似すんなよ。アンタくらいの達人になりゃ、アイツの力量なんて気配で分かるだろ。俺にわざわざ言わせんな。バカヤロウ」
「……そういうつもりじゃなかったんだがなぁ。まぁ、そう腐るなって」
 軍事大国バーンシュタイン王国で最高の名誉である『インペリアルナイト』の称号を授かっていることからも、その実力は窺い知れようというもの。戦時下において、幾度と無く刃を交わしたナイツ達の力は、両雄とも嫌というほど味わってきているのだ。
「…っきしょ。なんでよりによってウェインなんだよ。アイツじゃイヤガラセの一つもできやしねぇ…。他のヤツなら目一杯邪魔してやんのに……」
「えらく寛容だな。お前にしちゃ珍しいんじゃねぇのか?」
 今まで救世の騎士へ妙な色目を使う人間をことごとく張り倒してきたくせに、急に聞きわけがいいものだと、ウォレスは奇妙に感心していた。
「るっせーぞ、さっきから。第一、アンタはいいのかよ。ウォレスのおっさん」
「ん? 何だ?」
 失礼極まりないオッサン呼ばわりにも全く動じず、義眼の剣士は質問の意図を尋ね返した。
「カーマインだよ、カーマイン。俺より、アンタの方が業が深いだろ。顔に出てねーだけで、結構ダメージでかいんじゃねぇのか?」
「……そう見えるか?」
「いや、みえねーけど」
「そうか、俺も年相応だってことだな」
「………?」
「奪うより、見守る方が性にあってる年になったってことだ。そうだな――隊長を追い求めた若い時分の俺なら、きっと違う選択があっただろうな」
 隊長、の一言が、目の前の将軍の口から飛び出した事実に驚嘆して、ゼノスは言葉を失った。すると、気配でそれを察してウォレスはくっくっ、と肩を揺らす。
「どうした…、そんなに珍しいモンでも聞いたか?」
「……うるせぇな。アンタ、クソ意地悪ぃぞ?」
「悪いな、半分は八つ当たりだ。聞き分けのねェここがな、グズグズ未練がましく燻ってやがるからな」
 心の臓に右の親指を押し当てて、屈強の戦士として名を馳せた男は、生きてきた歳月の重みを感じさせる深い皺の寄った顔で低く嗤った。
「……アンタが本気になりゃ、ウェインには悪ぃけどよ…奪い取るなんて、造作もねェんじゃねーのか? 惚れて好いて、どうしようもねェくせに――アンタのそういうとこ、わかんねぇよ。俺」
「……いいさ、わからんでも。お前はまだ若いからな」
「それって、暗にバカにしてんじゃねぇの?」
 酒瓶の底に残った一滴を惜しむように煽ると、ゼノスは不服そうに唸った。
「バカになんぞするものか。それより、お前こそ、略奪とやらはしてみる気はないのか?」
「……未来ある若造を悪の道に誘い込むなよ、オッサン」
 自信に満ちた屈託のない笑顔と、その豪快で爽快な太刀筋で、異性だけでなく同性からも好意を受ける機会の多い白甲冑の剣士は、やはり不愉快そうだ。
「出来るわきゃねーだろ、俺はアンタほどアイツに好かれてる自信ねェよ」
「随分と弱気だな」
 常なら決して見られないゼノスの姿を肴に、ローランディアの猛将軍は、グラスで揺れる琥珀を飲み干した。
「救世の英雄様相手に強気でイケるヤツなんざ…、ああ、一人だけいたっけか」
 茫洋とした眼差しが複雑な色に翳る、想いが絡まって定まらない――そんな様子に、ウォレスも言わんとする人物を察して肩を竦めた。
「…オスカー・リーヴスか」
「名前言うなって…」
「なんだ、お前さんにしては珍しいな。――苦手、か?」
「……わっかんねー。別に嫌いじゃねェんだけど…なんつーか、」
 感情の色に相応しい言葉を捜す、元よりこの手合いの作業は不得手だ。更に、酒に溺れた思考は普段より随分と回転が悪い。幾分時間が掛かり、それで、漸く掴んだそれは、自分自身をも驚愕させるようなものだった。
「……怖い…?」
「………」
 乱反射する透明なグラスの中で解け残った氷片が、澄んだ音を奏でる。
「……? 自分で何いってんだか…わかんなくなってきた。なんつーか…、うん。アイツの目…怖いんだよな。俺…、嫌なヤツじゃねぇってのはわかってけどよ…」
 バーンシュタインという一大国家における有事の要、インペルアル・ナイツの長として、王国の陽の陰も知り尽くした男に本能が惧れを抱いたとしても、それはある意味正しき見解であり、決して理解不能な感情ではない。寧ろ、共感する部分もある。
 だが、ゼノスの言うそれが、そういう類のモノとは違うと、ウォレスは確信していた。
「…まぁ、わからんでもねぇな」
「――なんだよ、オッサン。アンタも怖ぇとか言うんじゃねーだろな」
「……怖い?」
 ふ、と口端を上げて余裕の笑みを見せるのは、救世英雄譚に語られる屈強な傭兵。
「違うな、これは――」



 半刻ほど座り込んでいただろうか、喧騒を背後にして、柔らかな黒髪をした少年騎士が、うつ伏せていた顔を、おそるおそると上げた。
「………」
 まだ酒気を帯びる頭は巧く回転していかないが、自我を食らうような気分の悪さは既に跡形もなく、全ては傍らのローランディアの騎士のお陰なのだと申し訳無さで一杯になる。
「…もう、平気か…?」
 さらさらと髪を梳いてやりながら、隣国の英雄に優しく問いかけられ、ウェインは小さく肯定の意を返した。
「俺はもう…大丈夫です。すみません、調子に乗って…ご迷惑をお掛けして…しまって」
「いや、それをいうなら興に乗りすぎたアイツ等の方に責任がある。気に病む必要は無い」
「……」
 圧倒的な武を誇るナイツでありながら、やはり、年相応に純粋で幼い面を持ち合わせる少年は、その一方的な庇護の心地よさに、ほんの少しだけ甘えた。
 両親の所在も生死の行方も知らずに孤児院で養われ、唯一の心の支えであるその場所も、救世戦争の折に失われ――絶望に打ちひしがれていたときに、希望の光となったのが、国の誉れインペリアル・ナイツの圧倒的で鮮烈な存在だった。
 ひたすらに光を求めて奔り続けて、障害となる全てを薙ぎ払い、漸くたどり着いた場所はしかし、安息の地にはほど遠く。願いには届かない。
 ただ――呼吸の出来る場所が欲しいだけ、それだけだった、はずなのに。
(俺、ホントだめだ。甘やかされて大事にされて――そういうの、俺がカーマインさんにしてあげたいのに…)
 救世の英雄騎士――おそらく、自分より能力的にも精神的にも、ずっと強靭な存在を相手に、傲慢が過ぎると世界に嘲笑われたとしても、それでも――。
 傷つかないはずなど、ないのだ。
(……気持ちいい)
 さらさらと髪を梳かれる感触が余りに心地よくて、このまま眠り込んでしまいそうな、そんな自分を叱咤してウェインはそっと起き上がった。
「俺、もう大丈夫です」
 ふと自覚すれば、想い人は目と鼻の先で。
 急に気持ちが狼狽えた。
「え、っと。み、店の中っ…ゼノスさんとウォレス将軍のトコに戻りましょう。あれだけのペースだと、今頃きっと潰れてますよ」
「…そうだな」
 夜目にもはっきりと分かるほど赤い顔で、取って付けたように二人の心配を口にするウェインは、そそくさと店のほうへ移動した。これ以上、この綺麗な人の傍にいて自分を抑制する自信は無かった。
 見っとも無くがっついて、手に入らないものを泣きわめいて欲しがる様は、まるで癇癪を起こす幼児も同然だ。バーンシュタインの誉れとしてその名に泥を塗る無様な真似だけはしないように、背筋を伸ばして緊張して生きてきたつもりなのに、と。少々自己嫌悪に陥ってしまう。
「…ウェイン」
「? はい?」
 店の扉に手を掛け力を込めたところで、後ろから低く耳を擽る色気を含んだ声で呼ばれる。姿勢はそのままで、顔だけ後ろに捻って長身の影を煉瓦の壁に伸ばす彼を窺って――、
「ざっけんな、おらァ!!」
 耳を劈く怒声、激しい乱闘で飛び交う器の類、転がる円卓、此方に向かって飛んできた酒瓶は幸か不幸か空だった。
「………」
「……全く」
 騒ぎの中心であろう猛者二人に、しっかり見覚えのある隣国の新人ナイツは、その場に固まってしまう。目の前の展開に呆気にとられているようだ。救世の英雄と旅を共にした勇者達が、うらびれた酒場で酔いどれの挙句に大暴れなどと、英雄譚に憧れる人間なら、相当の衝撃なのだろう。
 一方、こういった事態に慣れているのか、肝心の英雄といえば仕方の無い連中だと、艶めく妖眼に諦めを滲ませて壁に軽く身体を預けると、見物を決め込んだようだった。
「と、止めなくていいんですか?」
「別にいいだろう。理由も無く暴れだす連中じゃない」
「そ、れはそうかも、しれないですけど」
 確かに、ローランディアの猛将軍と謳われる筋骨隆々とした凄腕の戦士と、グランシルの武闘大会の覇者である傭兵の、その人柄はよく理解している。さして深い付き合いではないが、それでも、己の力を無闇に誇示したがる端下の連中とは格が違うのは感じられていた。確かに、相当する理由も無くこんな乱闘を起こす人物達ではないのだが。
「……向こう、大丈夫かな」
 多勢に無勢とあって、英雄譚の勇者である二人も結構容赦が無い。本気を出せばここいら一体を影形無く吹き飛ばせるだけの実力があるのだから、かなり抑え気味に戦っているのは確実なのだが。
 こうして事態を見入っていると、どうやら率先的に暴れているのはゼノスのようで、ウォレスは払いかかる火の粉を吹き飛ばしている、といった様子だった。
 と、ゼノスの豪腕に叩きのめされたゴロツキの一人が近くの床に転がって、うめき声を上げた。随分手酷くやられたらしく、青痣が右顔面にくっきりと浮かんでいた。
「〜〜〜く、しょゥ」
 そのまま素直に寝ていればいいものを、何故か妙に意地の強い男は壁を支えに起き上がり――傍観者の二人と目が合うと、途端、凶悪な笑みを浮かべた。
「よーーーっし、そこの二人それまでだ! 動くな!!」
 パチン、と軽快な音がしたと思えば、掌に収まるくらいの小さなナイフが切っ先を除かせていた。乱闘に使用するには心許ないが、人質の命を脅かすには十分な凶器だ。
「コイツ等、お前等のツレだろ? ん?
 美人に可愛いお稚児さんたァ、やるねぇー。何、どっちがどうよ? それとも、交代でヤりまくりってか? アァ!?」
 男の下劣な文句に、それまで悪鬼の如き強さを見せ付けていた白甲冑の傭兵の動きが止まる。黒皮の軽装に紅い義眼を持つ男も、やれやれと片手で持ち上げていた相手を放り出した。緊迫した状況だというのに、全く以って面白そうに、ではあるが。
「よーし、物分りがいいじゃねーか。
 そうだなァ、じゃ、まずはこの美人さんと稚児にケツ貸してもらおうか」
「………」
 男の科白に、美貌の主はうんざりとした様子で息を吐いた。
「俺を侮辱した罪だ。お前等のオンナは俺等で十分可愛がってやるよ。そこで指を咥えてみてやがれってんだ!」
 周囲の男の仲間から調子のよい口笛が飛ぶ、ギラギラとした欲望で研がれた視線が全身を貫いて、非常に居心地が悪い。
 それも、オンナだとか稚児だとか、随分な言われようだ。この奇妙な事態を引き起こした原因といえば、店の中央付近で降伏の姿勢を崩さずに、ニヤニヤとしている。
(…もー、二人とも性格悪くないか?)
 インペリアル・ナイツともなれば、その名が冠する栄誉と制約が付きまとう。たとえ、狼藉者相手であろうとも、そう易々と武に解決を見出すわけにはいかないのだ。バーンシュタイン王国における最高の名誉を戴く騎士は、困惑して隣を窺った。
「…ゼノス、楽しんでないで何とかしろ」
「いやー、ほら、人質を取られて動けないからな。うん」
「……ウォレス」
「すまんな、ちょいと張り切りすぎて疲れたみたいだ」
「……お前等」
 救世の英雄として謳われる絶世の騎士が、性根の悪い友人の悪遊戯に巻き込まれ、憮然とする。厄介事に対する感情は、怒りではなく、億劫さからの不機嫌が強かった。
「なにグズグズ言ってやがる!
 まずは、お前だよ。キレーな兄ちゃんよ。足開いて自分で腰振って、アンアンいい声で啼けよ。ほら、もったいぶってねェで、脱ぎやがれッ!!」
 小さな刃物が服の前合わせを掠めるように裂いてゆく、それを無感動に見下ろす刹那の英雄。事態に最も躊躇えるのは、心の優しい常識人な隣国のナイツだった。
「ちょっ、何するんですかッ!」
 世界の滅亡、その未曾有の危機を救った天下の英雄が、こんな場末のチンケなゴロツキにどうこうされるとは、心配性のウェインを以ってしても予想していない。だが、それでも心を寄せる人が悪漢に手を上げられれば、それを黙って見ていられないのが、騎士の騎士たる所以であろう。
「何するんですか、だってよ。あーあー、可愛こちゃんは、声までかーわいいなー。コッチの美人さんは慣れてるみてーだし、しっぽりシケこませてもらうがよ。
 安心しな、お前さんは見たところチェリーだからな。ゆっくり男ってヤツを教えてやるよ。俺ッ様のグレイトマグナムでな!」
「〜〜〜……ッ」
 ……とりあえず、殴り飛ばしたい。
 いやいやいや、仮にもここは国外、治外法権、ナイツの称号を戴く以上、他国での問題行動は即、国家間の問題に繋がりかねない。ダメだ、抑えるんだ俺。こんなの、母国のお貴族様嫌味三連コンボに比べたら、何でもない、何でもない。
 必死に自分自身に言い聞かせて、冷静を保つウェインだ。そもそも、小柄な体形と幼い顔立ち、仔犬のような素直さで、その本質を見失われがちだが、基本的にウェイン・クルーズという人間は血の熱い、猪突猛進型なのだ。
 悪夢(ナイトメア)の名を冠する指輪武装(リングウェポン)は決して伊達ではない。黄金の眩い輝きを鮮血に染め、戦場に血肉を求めて猛る姿は、黒夜叉の異名で以って敵味方なく畏敬の念を抱かせたものだ。
「兎に角、力で敵わないからといって、人質を取るなんて卑怯です。そもそも、喧嘩もよくありません。俺たちもう帰りますから、そこを通してください」
 カーマインを背に庇うようにして立ち、堂々とした振る舞いでウェインは半端連中を威嚇する。その口調はあくまで平和的な解決を目指した穏やかさに満ちていたが、しかし、所詮は場末の三流悪役。相手の実力も測れぬうつけには少年騎士の気遣いが、精一杯の虚勢にしか感じられなかったようだ。
「おーっとぉ、そういうわけにゃーいかんのよ。世の中は。わかるかぃ、お嬢ちゃん」
「まぁ、これから俺たちがそこんとこ、よーくカラダで教えてやるから、今後は精々気をつけるこったな」
「………」
 品性や知性の欠片も存在しない端役を前に、ウェインは困惑のまま、肩越しにカーマインを窺った。
「いいですか…、これ」
 面白そうに成り行きを見守っている性悪な大人二人は既に当てにならない。
「構わん…、何かあればアイツ等に責任を取らせる」
「了解です。カーマインさんはさがっ…」
 鋭い回し蹴りが頭上を掠めて、一瞬、混乱する。見れば、ナイフで手の平を串刺しにされ、ゴロツキの一人が床に悶絶していた。呆気に取られる周囲の悪漢どもをある者は鳩尾に深い膝を、ある者は踵蹴りを脳天に喰らい、次々と昏倒してゆく。
「え、え、えっ」
 包囲網を固める連中が、思わぬ反撃に色めき立つ間もなく、騒ぎは終結していた。



「久々にイイもんみたなー」
 悪びれる様子も無くカラカラと笑うゼノスに、ウェインは呑気なものだと小さく苦笑する。
 騒ぎを起こした連中は全員が、その場でお縄となった。何せ、喧嘩を売った相手が、ローランドの将軍だ。見逃してもらえるはずもない。見るからに末端の連中で、少しの事情聴取と三ヶ月ほどのブタ箱生活で釈放には違いないが。
「スゴかったろ、カーマインの蹴り。ブーツ履いてやがるから威力倍増で、逆に相手に同情しちまうよなぁ」
「…確かに、カッコよくて綺麗でしたけど」
 長い足で次々と敵を薙ぎ倒してゆく姿は爽快で、銀の装飾が施された剣を片手に戦場に血飛沫を描くカリスマの姿とはまた違う、カーマインの魅力を知って確かに得した気分ではあるのだが。
「だろだろッ、アイツ素手になると蹴りと手刀でやるからよ。なーに気障ったらしい戦り方してやがるって、最初はムカついたもんだがよ。無駄なく敵を沈めていくもんだから、ぐぅの音もでねェのな」
「…そうですね。すごくかっこよかったです」
 想い人を褒められて不快に思う人間はいない。綺麗な人の鮮やかな戦いぶりを絶賛され、根の素直な騎士は、次第に機嫌を良くしてゆく。
「俺なんて出番なかったですもんねー」
「あっはっはっは、残念だったな。イイトコみせらんなくて」
「…イイトコどころか、カーマインさんに迷惑かけてばっかりですよ。俺」
 思えば初対面ではユングとの戦闘で傷ついて昏倒したところを助けられて、次には酒に酩酊して介護を受けた。せめて降りかかる火の粉を払う役目でも果たそうと張り切ったところで、この体たらくだ。助けなど微塵も必要がないほど、救世の英雄は強かった。
「んあ? なんだ、お前ユングと戦り合ったのか?」
「あ、はい。カーマインさんの私邸の近くの森の奥なんですけど。そこで」
「そっか、まだ連中生き延びてやがるんだな。薬草摘みで近場の森にはカレンもちょくちょく行くみてェだし、気をつけるよういっとかないとな。
 にしても、ユングは苦手だゼ。あの連中毒もってやがるから、戦り難いんだよな」
 最愛の義妹を気遣うようにしてぼやくゼノスの言葉に、ウェインは頷いた。
「――確かに、厄介ですよね。アレって神経毒なんですか?」
「なんだ、お前連中の毒のことよく知らねーで戦ったのか? よく無事だったなー。
 連中のキバやらツメやらからは溶血性の毒で【血露】、体液――あの青い血に混じってる内臓を溶かす猛毒の【甘露】があってな。甘露のほうはヘタに口からはいったが最後、エライ目に合うぜ?」
 だから連中にトドメを刺す場合は、遠距離から正確に急所を貫くか、もしくは威力の高い魔法で瞬時に抹消するのが最良の策になる。目標に近接し、景気よく大剣を振りかぶる戦闘スタイルの自分には、相性の悪い敵なのだと。ゼノスは舌打ちながら、先の対戦に於ける怪物連中への実践的な知識に乏しい新人ナイツに、事細かくユングの特性について説明した。
「まぁ、要は口にはいらなきゃいいんだけどな。混戦してくっと、思わずペロッとなー」
「それって。普通に解毒できるんですか?」
「いんや。カレンのヤツが調合した薬湯で多少中和できるみてーだけど、元になる薬草自体が希少らしくてよ。基本的に【甘露】の解毒は不可能だと覚えといたほうがいいゼ。だから厄介だって……」
 なら、どうしてあのときユングの毒に倒れた自分は今無事でいるのだろうかと、ゼノスの説明に聞き入りながら、ウェインは疑問を抱く。
 丁度運よく、先輩ナイツのオスカーがその薬湯とやらを持ち合わせていたか、カーマインの屋敷に置いてあったのだろうかと、無難な答えに行き着く少年騎士。
 しかし、稀な幸運に恵まれたのだという結論は、少し先をゆく、夜の華の如き色香を纏う青年の背中を見つめ呟くゼノスのそれで、即座に否定された。
「そういや」
「どうかしたんですか?」
「ああ、カーマインのヤツの血に甘露の解毒効果あるんだっけな。詳しいことは訊いてねェけど、万が一のときに解毒が効くから連絡寄越せって言われたわ、前によ」
「……カーマインさんの…血に?」
 瞬きを繰り返して言われた言葉を反芻してみる。口元をそっと指先で覆い隠すようにして、感触を確かめる。あの時、解毒法が限られるユングの甘露に倒れた自分を救ったのは――甘い感触、羽のように触れた温もり。快楽の残滓。
「どうした、変な顔して」
「〜〜〜なッ、なんでもっ…」
 まさか、そんなはずがない。
 何度も何度も打ち消しては可能性として湧き上がる、その事実に。
 色恋に対して呆れるほど純情な、武の大国バーンシュタイン王国の新人ナイツは、見事に赤面してみせたのだった。



タチの悪いオトナは好みです。
悪漢に絡まれる二人をニヤニヤと見物。
そしてチュウひとつであわあわなワンコ。

初恋の人からのチュウ=混乱&赤面効果

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