ひだまりの手
冥界――…、師匠である芭蕉や、この奇妙な世界で出会った聖徳太子や臣下である少年、そして、冥府の主である閻魔大王の秘書と名乗る人の姿に似た鬼と離れ、曽良は一人で天を見上げていた。
地上のように、月や星といった天体は見えずに、ただ広がるのは無限の闇。これが、冥界の常であるのか、それとも冥府の王が不在であるが故の異常であるのかは、人の身である曽良には無論判別は出来ない。
「…風流とは程遠い眺めですね。これでは、ますますあのヘタ男のスランプが酷くなります」
俳聖と世間から持て囃される師は、年中スランプだが時折神がかり的な作品を生み出す。美しい言の葉、鮮やかに世界を彩る俳句(うた)は、厭世的な青年を俗世へ繋ぎ留める絲でもあった。
少し肌寒い空気に、心地良さを感じて、曽良はもう一度、天を仰ぐ。
何処までも真っ黒な闇に塗り込められた、冥府の空は――『空』と呼ぶものなのかすら、伺い知れぬところではあるが――果ても無く続いている。黒、闇、死と孤独を連想させる色は、美しく、青年にとっては好ましいそれではあったが、師である芭蕉には到底似つかわしく無い光景だ。
(…バカ面晒して笑ってるのがお似合いですね。あの人には。
まぁ、泣き顔もそそりますけど…、)
倒錯的嗜好の強い曽良にとって、愛する者が自身の無体な行動に脅え、涙目で赦しを請う姿は、この上無く甘美な感情を与えてくれる。歪んだ悦びである事はとうの昔に自覚済みではあるが、矯正するつもりなど、毛頭無い。好きだから、苛める。愛しているから、酷くする。それが、曽良にとって、最上級の愛情だった。
「…さて、おかしな気配も罠が仕掛けられている様子もありませんし。
そろそろ戻りますか。でないと、あの弱じじいが煩いですしね」
広範囲一斉攻撃可能な曽良にとって、この周辺の魔物程度であれば一人でも難なく対処出来るが、それでも単独行動が危険な事に代わりは無い。君子危うきに近寄らず、だ。
「そーらくーん!! いたいたー!!」
「……チッ。」
くるりと踵を返した途端に向こうから駆け寄ってくる師の姿が視界へ入り、曽良はあからさまに不快そうな顔つきで、舌打ちをした。
「ちょっ、ねぇ、今、舌打ちしなかった!?
え? 何、この仕打ち! 私、君の師匠だよね? ねぇ?」
「まぁ、そんな事はどうでもいいじゃないですか。
それより、どうしたんですか。芭蕉さん。
こんなところまで一人でウロウロして、魔物に襲われたらどうするんです」
愛弟子のあまりな態度によよよ、と泣き崩れる師を、まるで卑めるように見下ろす曽良。
第三者からすれば、この鬼畜青年が何故故に芭蕉を師と敬い――普段の態度には敬いの欠片も感じられないが、子弟関係を結んでいる以上は、多少なりともそのような感情があるのだろう――苦難の道中を共にしているのか疑問で仕方がないだろう。
「曽良君の姿が見えないから、心配して探しに来たのに…」
「僕が、この辺りの雑魚に後れを取るわけがないでしょう。
貴方が一人でノコノコ出歩く方が余程心配ですよ」
「それはそうだけど…」
元より――残酷な程に完璧な造形を誇る弟子は華奢な容姿を裏切り、結構な武闘派だ。断罪チョップが好例だろう。素手でも野生の熊や猪を狩り取れるのではと本気で思ってしまうのに、どこから用意したのか、鋼鉄の繰糸を両の指先に編み付け、無駄も隙も存在しない見事な体裁きで眼前の障害を無慈悲に討つ姿は、阿修羅のように美しい。
「…まぁいいや。
それより、こんな処で何してたの?」
何時までもしゃがみ込んでいても、鬼弟子が手を差し伸べてくれるわけでも無い。寧ろ、サッサと起きろと蹴りのひとつでも入れてくる頃合いだと、長年の付き合いで危険を察知して、芭蕉は着物の裾をパタパタ払いながら立ち上がった。
「…気になりますか?」
「えぇ…? それは気になるけど…」
微妙な言い回しに芭蕉は思わず警戒態勢を取る。無意識に身体が後ろへ逃げを打つのは、最早、脊髄反射的なものなのだろう。琥珀の瞳に宿る脅えに満足そうに口元を歪めながら、曽良はスッと自身の右手を刃のように振るって見せた。
「……そ、そらく、ん?」
弟子の余りに唐突な行為に面食らいながらも、怖々と様子を窺う俳聖へ、曽良は魔王も裸足で逃げ出すような暗黒の微笑みを浮かべた。
「断罪チョップの練習です。毎日欠かさず行わないと、キレが悪くなるものですから」
「……へ、へぇ……」
日々の研鑽の結果が全て我が身へ災難として降り掛かるのかと思うと、素直に感心出来ない芭蕉である。どうして師匠を苛める方向の努力は常に怠らないのだろうか、大体、そんな真似をしなくても充分――、
「…あ、そうだ。敵にそれ使えばいいんじゃないの? って、いったぁーーーー!!!」
我ながら妙案だと胸を張る師匠を、曽良は無言で一刀両断した。
「ちょっ、曽良君ッ!! てーか、いたっ!!
背骨折れた、背骨〜〜〜、ひひぃぃぃん〜、痛いよぅ〜〜〜、うぇぇ〜〜〜ん」
弟子の容赦の無い断罪チョップをくらって真横へ吹っ飛んだ芭蕉は、抗議と共に立ち上がりかけたが余りの苦痛に地面にもんどりを打って泣き転げる。
「すみません。なんかちょっとイラッとしたものですから」
「ちょっとイラっとしただけで、師匠の背骨折らないで!! お願い!!!」
「ああ、そうですね。じゃあ、ちょっとムカッときたものですから。すみません」
「意味一緒じゃん!! もうヤダ、恐い!! 弟子男が恐ろしいよ!!」
「………」
「……曽良君?」
普段の曽良なら、ここで煩いと不遜な物言いでもう一発位食らわせてくるところだ。それを理解していながらギャンギャンと喚いてしまうのは、弟子の一撃が何時もに比べても尋常な威力では無く、その辺りをしっかり抗議しておきたいのと、かなりバイオレンス行為ではあるが、これもある意味スキンシップなのだと、曽良の行為を受け止めているからなのだが――…。
「曽良君…?」
――…回復の術を自らに施しながら、もう一度、弟子の名を不安気に繰り返す芭蕉。
そんな師匠の懸念を杞憂だと嘲るかの如く、漆黒も美しい慧眼を冷えた世界に閃かせる曽良。
「…どうしました? 帰りますよ。芭蕉さん」
「……う、うん…」
と、地面へ倒れ込む芭蕉の視点からは丁度死角になる弟子の背後で、ウォォォォオオ、と呪わしげな悪霊の断末魔があがる。咄嗟に身を竦ませる師匠を脇目に、鬼畜の名を冠する青年は、情けない、と大仰に溜息を吐いて見せた。
「今更、こんなものに脅えてどうするんですか。しっかりして下さい。芭蕉さん」
「…あはは、そうなんだけど。どーしてもねー、生理的にっていうか。
私はアレなんだー、ダメなんだよねー、お化け屋敷とか。
絶対、驚かされるって分かってるのに、恐いの。それと一緒な、かん…、 じ 」
ぽた。
よいしょ、と腰を上げた芭蕉の目の前で、赤く赤い、生々しい色が零れ落ちてゆく。
「え?」
ぽたぽたぽたぽた。
「え? ええ?」
状況を掴み切れない俳聖を置き去りにしたまま、ぬるついた赤は次々と地面へ注がれ、その先はもはや血溜まりと化していた。
「……そ、 そらく …」
勿論自分は怪我なんてしていない。
――弟子の過剰なスキンシップである断罪チョップは食らったが、打ち身で流血なんてしない。
冥界を事の発端にする一連の騒動で湧き出した悪霊や魔物の類のものであるなら、黒や青といった、明らかに人とは様相を異にする色合いであるはず。
「曽良君ッ!! 怪我!!!」
なら――…導き出される答えはひとつだけだ。
顔面蒼白で狼狽える師匠の姿に、曽良は事も無げな様子で、大丈夫ですよ、と淡々と返した。
「でも、凄く血が出てるよ! 怪我したとこ診せて!!」
「…本当に大丈夫です。少し掠っただけですから」
普段から殆ど感情を外へ表さない弟子の"大丈夫"ほど、当てにならないものはない。芭蕉は鈍痛に悲鳴をあげる背中を押さえつつも、小走りで曽良へ近寄って――…愛らしい琥珀の瞳を大きく見開いた。
「ちょ…、曽良君! これ、大丈夫じゃないよ!!」
左肩から――…二の腕に掛けて、大きく抉り取られ裂ける傷口に、芭蕉は息を呑む。弟子の白い着物はすっかり血濡れて酷い有様だ。一瞬、呆然としてみせるものの、直ぐに我に返り、己の中に宿る癒しの力を掌に集中させて、生々しく赤黒い血の噴き出すその場所へ慈悲と慈愛を注ぐ――、ひだまりのような奇跡のひと。
「…芭蕉さん。もう、大丈夫ですから」
珍しく神妙な態度でいる一番弟子に、芭蕉は力の行使を続けながら、段々と眉間の皺が深くなるを自覚した。見た目が派手で無くとも、命を繋ぎ巡らせる重要な血管傷つければ大量出血は免れない。失血によるショック症状で亡くなる事だってある。目の前で普段と何ひとつ変わらぬ涼しい顔でいる弟子が、その無頓着が、いっそ憎たらしくて仕方がない。
「…大丈夫じゃないよ…。ばか。曽良君のバカ…」
「誰がバカですか」
ムッと、声のトーンを落とす曽良に、しかし芭蕉は譲らずに、キッと視線を上げた。
「バカだよ! なんで私なんか庇ってるの!
私なんて放っておけば…こんな事にならなくて済んだのに…!!
しかも、こんな怪我しておいて、なんで隠そうとするの!!」
「…その理屈で言うなら、貴方の方がバカですよ」
愛らしいばかりの琥珀の瞳を潤ませながら詰め寄る師へ、曽良は呆れたといった風情で溜息をひとつ。
「……え、」
そして無事な右腕で、多少強引に小さく丸まる背中を己の胸の中へ抱き寄せた。
「そ、そそそ、そらくんっ!??」
――自分から触れるのは平気な癖に、相手からの接触に動揺するのは、相変わらず。
「なんですか」
「な、なんですか…、って……、
その、そのッ、ほら、ち、治療がまだ……っ」
「そんなの、もう必要ないでしょう」
心配症な師からの過剰な治療を受け、裂傷は既に完治していた。自然治癒に頼るのであれば確実に傷痕となろうだろうに、人の身に過ぎる力は怪我の痕跡すら消し去って、まるで何事も無かったかのようだった。
「………そ、そらくん〜」
ただし、無残に切り裂かれた白の着物は、当然の事ながら破けたままだ。
互いの吐息が感じられる程の距離で、素肌に密着――…だなんて、流石に居心地が悪い。気恥しくて仕方がない。夜の閨での蜜事。最中の愛し子の艶姿を連想してしまい、思わず赤面してしまう芭蕉。何とかして曽良の腕の中から逃れようと身を捩るが、残念な事に体力も腕力も弟子に遠く及ばない。……師匠として色々と情けないが、事実は曲げようがない。
「…好きですよ。芭蕉さん」
「……ふぇっ!?? そ、そそそ、そらくん???」
弟子の突飛な行動に振り回されてばかりの偉大なる俳聖は、思わぬ言葉に、遂に処理能力を越えて目を回す。
「好きです…」
「わ、私も…、す、好きだよ?」
「………」
「曽良君?」
分け与えるばかりで、愛を受け取る事に慣れない不器用な大人は、戸惑い、そして――…、
「大丈夫。好きだよ。大好きだから、曽良君」
"不安"を両の掌で包み込みながら掬いあげて、精一杯の愛で抱き締める。
「………」
あと少し。
ほんの少しだけ。
このままでも、ゆるされるだろうかと。
腕の中の小さなひだまりを惜しんで―― 艶やかな黒髪、憂いと陰りを帯びた黒曜石の双眸、堕落の毒で無意識に雄を陥落させるその美貌とは裏腹に、心を歪に欠けさせる青年は、そっと目蓋を伏せた。
公式で確定していたらごめんなさい
なんとなく、曽良君はB型で、芭蕉さんはO型(80%)
太子はAB型で、妹子はA型っぽい(60〜70%)
鬼男君もO型、閻魔はA型かな(90%)
%は相性診断。結果が結構良くて、満足
勿論、同性同士の相性ですよ
太子&妹子の相性診断詳細にちょっとウケました
「仕事上ではうまくゆくが、プライベートになると
A型男性は、AB型男性の行動の理解に苦しむ為
余程の事が無いと一線を越えた付き合いは難しい」