籠檻


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重く圧し掛かる天井に、息が詰まりそうだ。

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 そう感じたのは、もう過去の事だ。
 実際には、なんてこともなく。
 イカレた日常を過ごしている。

 竜騎士以上が立ち入れる区域から、屋上へ続く階段を上がると、展望台になっている。
 疲弊し、絶望に嘆く地下街を高みから見下ろしても、空虚しいだけで。
 滅多に足を運ぶ者の無い場所だ。
 視界の端に映る銀灰色の髪に、不意に足を止めた。
 痩躯に銀色の髪、苛烈な程鮮やかな緋色の瞳。
 竜騎士連中の間では知らぬ者など居ない、例の人物だと直ぐに気付いて、アトリは興味が鎌首を擡げるのを自覚した。
 銀髪緋眼の『カラス』と言えば、群を抜いた戦闘能力の高さと、その能面のような感情の無さが有名だ。
 何処の誰かも覚えてはないが、まるで対・傲慢な王(シャングリラ)の戦闘マシーンのようだと噂していたのを思い出す。

 ――青年は、酷く華奢に見えた。

 素粒子化したラクリマ時空界では外観的な頑強さは、力の有無の指針にはならない。
 だが理屈を理解していても、やはり、人は印象を視覚に左右される面が大きい。
 竜騎士に名を連ねる者の中でも、一、二を争う実力は。
 その、痩せた綺麗な背中からは、感じ取れない。
「…よぅ、なにしてんだ」
 ヴン、と独特の足音をさせて近づいた存在を、射抜く緋色が激しく牽制した。
「っと、こえーこえー。ンなに睨むなよ。
 声掛けただけだろ? それとも何か、名高い『カラス』殿には、話しかけるのも番犬の許可がいるのか? ン?」
「……番犬? 何のことだ」
 揶揄る台詞には一切乗らず、不明な単語に焦点をあわせて質問を返す。
 成るほど、これは確かに優秀だと、アトリは胸中で揶揄った。
 冷静沈着を絵に描いたような男だ。
 しかも、警戒心が強く隙が見当たらない。
「フン。知らぬは本人ばかり、か。
 一部じゃ有名だぜ。高嶺の花の『カラス』殿の前には、屈強な番犬が立ちはだかってるってな。デカくてゴツくて片目の潰れた猛犬だよ。わかるだろ?」
「…フクロウ、か?」
 虚ろの如く淡々と言葉を返していたのが、声に、微細な色が混じる。
 灼けつくような敵意に満ちた緋眼が、ほんの少しだけ、柔らかい光を灯して。
 その変化に気をよくしたアトリは、ニッと口角を上げた。
「ああ、アイツだ。
 アンタとよく一緒にいるよな。付き合い長ぇのか?」
 踏み出す動きに合わせて、ヴン、と足音が反響するが。
 先ほどのような、肌を刺す空気の鋭さは感じられない。
 どうやら、目の前の美人騎士は、一連のやり取りで無闇な警戒を弱めたようだ。
「腐れ縁だ」
「…へぇ、幼馴染ってヤツか?」
「そうだな。…随分ガキの時分から、一緒にいたな」
 不意に、銀髪の青年の胸を郷愁の想いが締め付ける。
 過ぎ去りし思い出のを生きた子ども等にとって、当然のように、そこにある日々。
 退屈で平和な日常には、ガラクタ同然の価値しか見出せずに。
 陳腐な言い回しだが、大切なモノ程、二度と取り返せぬようになってから。
 その存在の大きさに打ちのめされるのだ。
 明日が当たり前に来ることも。
 隣人と笑い合えることも。
 愛しい人を、愛しいと想うことも――。
「いいな」
「?」
 唐突な言葉が、何に対しての感想なのか。
 意図を測りかねて、カラスは二歩分の離れて手摺に背凭れる青白い印象の男を見遣った。
「付き合いがなげぇって事は、ンだけ生きられたってことだろ。
 俺は、生まれた国が生まれた時から戦争中でな。みんな、死んじまってる」
「……」
 特異な素粒子の輝きで、鮮烈なまでの色彩に染まる竜騎士は、ただ口を閉ざした。
 元々、弁の立つ性質では無い上に、無神経な同情は、逆に傷を抉り出すと知る故に、全ての言葉を飲み込む。
「ああ、――でも、こんな未来(トコ)じゃアレか」
 アトリは灰色に澱んだ空の瞳で、く、と皮肉気に喉の奥を震わせた。
「地獄のような場所を必死で逃げ回って、生き延びて――結局、ジリ貧の世界へヨウコソってな。フザケたモンだぜ」
 世界は、一寸の狂いも無く、破綻している。
 面識も無い隣の男の嘆きは、真っ当なものだ。
「……それでも、俺は」
 彼女の命が紡いだ世界を、最期まで、守り抜きたい。
 それが、ただの自己満足に過ぎないとしても。
 もう、それしか残されていないのだから。
「アンタ、知ってるか。
この紛いモンの世界ってなァ、女が一人で作り上げたんだって
「……」
 暗闇に潜む夜叉のような金色の髪をした男は、不意に、口調を変えた。
 不穏な気配がひたひたと侵食する。
 この男は、何を言おうとしているのか。
「傍メーワクな話だと思わねェか。
 化けモンのカラダになってまで生き汚く世界にしがみ付いても、結局、シャングリラに攻め込まれて全滅ってな。ハナからの負け試合だ。
 わざわざ人身御供になってまで、尊い自己犠牲だなんだと崇めたてられて。
 結局は、犬死にでクソの役にも立っちゃいねェ」

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――血が、沸騰して 世界が赤銅に、染まったのだけを、覚えて いる


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 ヴン。

 足音の独特の反響は、竜騎士の証。
 素粒子化技術によるデータ転換が生み出した、異能のツバサの化け物達。
 わざわざ、この冷えた独房にやってくる酔狂といえば、ヤツだけだ。
 確信に近い直感で、カラスは澱んだ彼岸の瞳を上げる。
「よォ。派手にやったらしいな」
「………」
「お前、バツが悪ぃと、だんまり決め込むクセ、ちっとも変わんねーなぁ」
「…ウルサイ」
 臍を曲げた物言いに、隻眼の男は愉快そうに肩を揺らした。
「アトリの奴は、システム管理室に収容された。一週間ほどはデータの復元に時間がかかるそうだが、まぁ、アレくらいでどーにかなるタマじゃねェから大丈夫だろ」
「………」
 死ななかったのか。
 安堵では無く、無味乾燥なそれが浮かぶ。
「お前は、明日には解放されるそうだ」
「――…随分、早いな」
 上の決定に異論を挟む気は無いが、それにしても、気味が悪い程の寛容な措置だ。
 何か裏があるのではないかと、即座に勘繰るカラスに、男――フクロウは苦笑した。
「まァ、アレだ。
 お前以外マトモに【飛べ】るヤツがまだいねーからな。
 テメェの命も懸かってンだ。貴重な戦闘員を何時までも拘束する程、バカじゃねーってこったな。おエライさん連中もよ」
「…保身か。即物的だな」
「まー、そー言うな。お陰で早めに出れるんじゃねーか」
 ふてぶてしい笑顔は、無遠慮に照りつける真夏の太陽を連想させる。
 図々しいまでの存在感が様になる男だと、カラスは軽く息を吐く。
「なら、明日から精々二人分働くさ」
「気合入れすぎで、ぶっ倒れンなよ?」
「――…イサミ」
「? ユウ?」
 晴れ渡る空のような曇りの無い笑顔を浮かべていた傷の男は、不意に幼い名を呼ばれ、表情を引き締めた。
 独房の奥で、床に座り込み片膝を抱える親友は、綯交ぜの感情に揺らぐ瞳を寄越す。
「…どうした?」
 殊更優しく問い返せば、いや、と視線を逸らされた。
 そんな顔しておいて、何も無いわけがないだろうと。
 今にも空より墜ちてゆきそうな、銀灰の鳥の、そのツバサに触れたくて。
「――愛してるぜ。ユウ」
 届かぬ腕の代わりに、残酷な愛の言葉を投げ掛けた。


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