イノセント・パニック 1
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俺の愛するマスター。
僕の大切なマスター。
僕の親愛なるマスター。
想いは常に一つだけ。
例え、この器が変わってしまっても、そう、貴方への想いは永久のものだと。
誓おう。
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仕掛け時計修理の仕事を持ってきた昔馴染みの友人に、黒髪の人形師は難しい顔をしてお茶を差し出した。
ガチャンッ、と、趣味の良い陶器の器が派手な音をたてる。
そんな様子に、応接間のソファーに陣取る紳士風の上品な方は、片眉を上げてみせた。
「なんだ、随分とご挨拶じゃないか。
折角の破格の美味しい仕事だぞ、礼は言われても文句を言われる筋合いじゃないと思うんだが?」
それに、そうしてると折角の美形も台無しだと揶揄文句も付け加え。
飄々とする友人に、マスターは沸々と怒りが沸き起こる。
「……あぁ、そりゃどうもありがとうなっ!
確かに仕事内容にすれば報酬は破格だし、本来なら感謝して当然かもな!
だけどな、こっちにも都合ってもんがあるんだ!
俺は明日からアイツと旅行に行く予定だったんだ!!
それをお前の急な仕事でキャンセルになったんだ、有難いことにな!
ど、れ、だ、け、迷惑掛けてるのか分かってるのか!?」
「……アイツ? なんだ、例のピノッチアと出掛ける予定だったのか。それは悪かったな、ルージェ」
「ルゼルシェ、だ。勝手に妙な呼び名をつけるな」
「いいじゃないか、可愛らしくて」
「可愛くなくて結構だ!」
なんとも間抜けな会話だが、本人達に至っては至極真面目だ。
「まー、ともかく。
引き受けたモノは仕方あるまい? 諦めて修理に専念してくれ」
「俺が引き受けたわけじゃないだろ!!
勝手に受けてきて、それで間に合わなければ俺の信用ガタ落ちなんだぞ!?
それをわかってて、カシス…、お前…っ!!」
旧友の怒りなど、何処吹く風。涼しげな顔で、
「それは悪いことをしたな」
いけしゃあしゃあと言ってのける。
謝罪の気持ちなど、一遍たりとも無いのが見え見えだ。
「けど、お前しか思いつかなくて、な。
この時計の細工、結構ややこしいらしくてそこらのチェーン店なんぞじゃ手に負えない気難しいシロモノでな。
俺のマダムキラーとしての名が懸かってることだし、三日後までに頼む」
「……はぁ。ったく、お前は……。
とにかく、この仕事は一応引き受けた。明後日の昼までには終わると思う。
けどな、貸しひとつだ。忘れるなよ。後、こういうのは二度とごめんだからな!」
「――了解。助かるわー。いや、流石腕利きだけあって仕事が早いな」
「茶化すな。
それよりお前…まだ、そんなことしてるのか?」
「…急に親友面して説教なんてご免だな、ルージェ。
俺の人生に口を挟まないでもらおうか、お前だって俺と種類は違ってもヤクザな家業だろ?
それに今は若い男をくわえ込んでるって、専らの噂だぞ」
「はぁっ!?」
とんでもない言い掛かりに、マスターは声を裏返してすっとんきょうな悲鳴を上げた。
「なんだ、やっぱり知らなかったのか。
お前昔っから男好きするからな、裏連中の間じゃエラク有名だぞ。
高嶺の華のお前が若いツバメを銜え込んでるってな」
「……っ! 誰が!!
冗談じゃないッ、そんな目で見られてるなんてっ!!
第一、あの子はそんなんじゃ……!!」
性的な事柄に対して非常に潔癖な部分のある青年だけに、激昂して両肩を震わせている。
「俺に言っても仕方がないだろう。
それより、修理の方頼むぞ。三日後にまた来る」
「……ああ、分かった」
友人の確約を取り付けると、カシスは用は済んだとばかりに立ち上がる。去り際に、今度お前のツバメを紹介しろよな、などという捨て台詞を残して行く悪友へ、黒艶の美貌が香る人形師は煩いッ、と声を荒げたのだった。
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性質の悪い友人に急に頼まれた仕事は、多少手こずる厄介さではあったが、生粋の人形師である青年にかかれば、一日で完璧に仕上げられるものだった。
それでも念を入れて他の故障部位を捜すと。
錆びた部品は磨き粉で輝きを取り戻させ、油を差し、害虫にやられた所々の小さな喰い後は特注のパテで埋め直した後補強を行い。
完璧を期して修理を終えた時計は、丁寧に仕事場の隅に置かれ。
約束の三日目の朝。
一本の電話が、かかってきた。
煩わしい呼び出し音に急かされて、惰眠を貪っていた人形師が寝ぼけた頭のまま手元のそれを持ち上げると、悪友からの、修理済みの時計の出前を頼む内容だった。
ふざけるなッ、と。
思わず受話器を叩きつけそうになったのを、寸での所で思いとどまったのはその後に提示された報酬上乗せ分の金額が、美味しすぎたため。
しとしとと、明け方から降り出した雨の中。
折角の旅行をお流れにされてまで直した品を、今度は持ってこいという、その友人の面の厚さにも呆れるのだが、自分も相当に人がいいのではないかと思いつつ。
そうこうして、準備をしている内に、同居する恋人が現れて何処へ行くのかと聞くのに、苦笑いしながら『カシスに頼まれて、商品の出前だよ』と素直に答えれば、一緒に行く、との言葉。
そこまでだから、と。
宥めるのを押し切って、どうしてもついてゆくのだと。
基本的に、この年下の恋人には甘い自覚があるマスターは、しょうがないと承諾して。
愛しい養い子、そして甘い関係にある相手と共にカシスとの待ち合わせの場所まで出掛けたのだった。
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明け方よりの雨のせいで、その日は少しだけ肌寒かった。
燃える朱色(あけいろ)の眼差しと、貴族女性の前でのみ発揮される極めて紳士的な態度に、甘いマスクと巧みな話術。
カシス・ブラッドは持ちうる技の全てを総動員して、一級品のマダムを陥落中だ。
その一環として、彼女のお気に入りの細工時計の修理を無理矢理友人に押しつけた。少々の罪悪感は感じているが、自分の野望の為なので多少の犠牲は仕方がない。
こんなことを言えば、俺は多少なのか! と、おそらくかーなりあの旧友を怒らせてしまうことは想像に難くないのだが。
修理を済ませた時計は、友人の人形師がそのままこちらまで運んでくる手はずとなっており、待ち合わせの喫茶店でカシスは霧雨にけぶる景色をぼんやり眺めていた。
この雨の中、ご苦労なことに走り抜けて行く馬車たちは、おそらくサロンの出場者が乗っているのだろう。かつてはあの融通の利かないダチも出場していたという例のヤツだ。優勝すれば結構な賞金が手にはいるという話だが、どうでもいいことだ。
金には不自由してない。
必要なときに、必要な程あれば十分だ。
過ぎる金と権力は、人を狂わせる。
とりあえずは、
「早く来てくれないと困るんだがな、ルージェのヤツ」
そう、ひとりごちるカシスの目の前を、再び猛スピードで馬車が過ぎていった。
「ったく、バカみてーにとばしやがって…。
人、轢くぞ。ありゃ」
ジャンクな言葉遣いで悪態をついて、懐の煙草に火を点す。女からの貢ぎ物の一つであるそれは、外国産の高級品と聞いたがどうでもいい。一時の口寂しさを紛らわせてくれるものなら後はどうでもいい事だ。
とりあえず、女の前では喜んでみせるが。
所謂、営業スマイルというやつだ。
「ふぅ……」
一見紳士的ではあるのだが、何処か気怠げな魅力に満ちた青年が一息つくと、もう何度目か大通りをこれ見よがしに飾り立てた馬車が走り去っていった。
「ンだ、今日は随分と多いな…?
それに皆がみんな大慌てでサロン会場に向かってるってのは……?」
ふと、そんな疑問をカシスが口にした丁度その時だ。
ガァッシャ ―――――――― ン!!!!
ガラガラガラガラカラカラ…………
ヒヒ――――――――ン! キャ――――――ッ!!!!
おい、誰か!!! 来てくれ!!!
人がッ………!?
息はあるのか!?
派手な物音に続いて、馬の激しいいななきに人の悲鳴。
雨に濡れる静かな通りが、一気に喧噪を増して。
案の定、予想できた結果にカシスは軽く肩を竦めて煙を肺の奥へと押し込んだ。
「に、しても。……遅いな?」
ダメだ! 動かすな、頭を打ってる!!
おい、こいつはっ…… 誰か、医者を呼んできてくれ!!
「ルージェは時間にきっちりするタイプだしな……?
俺の方も突然だったことだし、仕方ないのかもしれんが」
おのれぇぇぇっ!! ふざけるな、この庶民めが!!
今日という日が、どれだけ大切な日か!! それを……!!
(……フン。お貴族様は無事か、――死んでくれりゃ、世の害虫が一匹減ったのになぁ)
それもこれも、そこの男の所為だっ!!
この、この、この、この、このっ!!!
マスターに何をするんだ!! この悪徳商法ヅラッ!!
やめろ!! けがしてんだぞ!!!
うるさい!! 下賎な身分の者が私に指図をするなッ!!!
不快――だ。この上無く、見苦しい。
自分が世の中で一番偉いと思いこんでいる、貴族連中の中でも最低最悪のバカに、どうやら気の毒なことに、そういう厄介なヤツに引っ掛けられたようだ。。
ふんっ! 折角の衣装が泥まみれじゃないか!!
どうしてくれる、貴様!! 貴様のつれだろう!?
なっ!? なに言ってやがるんだ!!
アンタの馬車が歩道歩いてたマスターと俺ンとこにツッこんだんだろ!!
うるさいッ!!
庶民がのこのこ大通りなんぞを歩いているのがそもそもの間違いだ!
仕立て直せば済む服と人の命の重みが… 同じですか!?
はっ、そのような下等な民…死ねばよいではないか。
死して、私への詫びとするがよいわ!!
ギリッ、と、カシスは煙草を噛みきって、剣呑な眼差しを雨にけぶる外へ向けた。
「ウゼェ…」
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雨足が早まる中。
黒山の人だかりの中心で、一際大きな声で怒鳴り散らす成金趣味の服で細い体を覆ったいかにもお貴族様な、バカ男。
まだ、年は若い。
顔も、まぁまぁだ。
けど、性格に多大な難あり。
店の商品なら、傷物ってことで、割安で処分されるB級品。
そして、大きく横に傾き、車輪を大破させた、これまた趣味の悪い馬車。
全く有り難くもないことだが、顔見知りの相手だ。一応、結構な上客。
「ニーベル郷か…、成る程な」
さて、気の毒な『庶民』とやらは? と、カシスが物見高くしている野次馬をかき分けて中心へ向かうと、そこには。
打ち付ける雨のなか、頭部から大量の紅いものを零している、旧知の仲の青年が。
俯せになった姿勢のまま、ピクリともしないで。
「……ルージェ」
驚きに目を見張るカシスは、倒れ込む友人の回りを取り囲むようにして、三人の青年が居ることに気がつく。
どれもが、性質はそれぞれ異なっているものの結構な見栄えだ。その内の一人、赤毛の青年は特権階級に凝り固まったバカ男に向かい、思いっきり睨みを利かせている。
ともすれば、今すぐにでも殴りかかりそうな緊迫した気配を漂わせながら。
しかし、貴族のドラ息子といった風体の男は見下したような薄ら笑いを浮かべている。状況が一つとして呑み込めていない、どうしようもない阿呆だ。
「――どうした! その男の命で、お前等の神をも恐れぬ所行を許してやろうといっているのだぞ!! その男の命、助けることまかりならん!!」
声高に言う貴族を前に、駆けつけた医者も困惑の表情で焦りを滲ませている。医者としての信念と人間としての正義が、しかし、二の足を踏んでしまうのは、ある意味当然だ。
五百年、長きに渡り続いた王国の貴族階級。
その悪制度が改正されたのは、ほんの数年前なのだ。
貴族連中は勿論、一般の者すらも廃止された階級制度に未だ、戸惑うばかり。法的には特権階級制度が廃止され『平等』と相成ったとはいえ、貴族の権力は衰退の兆しすらない。そんな中で、権力に逆らうことがどれ程難しいか。
「ざ、っけんな!!!」
ニーベル郷の余りにあまりな言い草に、遂に堪りかねた赤毛の青年が拳を振り上げる。途端、若い貴族は恐怖に顔を引きつらせた。
「うわうわぁ!? や、やめろぉ!!」
情けない悲鳴に重なって、二つの青年の声が飛ぶ。
「やめろ!! いまはまだ駄目だッ!!」
「正義王道天の意思すべてが我等にあり!! いっけー! てっけんせいさい!!」
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「……はれ?」
間抜けな格好で固まり両腕で頭を抱える姿でいたニーベル郷は、一向に痛みが襲いかかって来ぬためにおそるおそる顔を上げてみる。
と、一人の見知った男が、いつもの無表情で赤毛の青年を抑え込んでいた。
「……ッ、なんだよっ!! 退けよ、テメェ!!!」
渾身の力を込めた拳を片手で軽々受け止められ、おまけに目の前のバカ野郎を殴り飛ばすことも出来ずに、まるで野犬のように青年が唸った。
「おっ、おお!?
お前、よくやった!! 知っておるそ、お前! 確か、ブラッドとかいったな?
うむ、私が許すッ! その狼藉者を痛めつけろ!!」
「………」
ニードル郷…いや、ただの阿呆男のこれ以上どうしようもなくバカげた言い草に、流石のカシスも脱力せずをえない。
しかし、この程度でへこたれていては貴族連中相手に商売なんぞ到底無理な話だ。
「……ニードル郷。
のままではお風邪を召されましょう。御迎えの馬車を屋敷へ遣わせます。それまで、ホテルで暖をとられては如何でしょう」
「う、うむっ?
しかしだなっ、特にそこの男は私を! この高貴なる私を、卑しき身分で殴ろうとしたのだぞ!!
これは国家反逆罪ではないか!! ただちに、然るべき処罰を行うべきであるぞ!!」
「なにをいうか、悪人の分際で!! 貴様に一片たりとて正義は無い!!」
「そうだぜ! 元はといえば、アンタが悪いんだろーが!!」
「…………」
ぎゃんぎゃんと吠えたくる……おそらくは、馴染みの人形師のツバメたち。折角の人のお膳立てを、と、頭が痛くなる。
「うぬぬぬぬぬっ!!
おい! ブラッドとやら、貴様!! やはりこいつらは許せん!! 拘束しろ!! 公開処刑にしてやる!!」
「――ニードル郷」
仕事にプライベートを巻き込むのは主義に反するが、この際仕方がない。
退廃的な美貌を誇る上等なスーツ姿の青年、カシス・ブラッドは、赤毛の青年の腕を放して後ろに軽く突き飛ばすと、ゆっくりとニードル郷へ向き直る。
そして、
「……そこに倒れている男、私の古くからの友人でして。
どうしても、と。
強硬なおっしゃりようであれば、わたくしも卿に対しての態度を変えざるを得ません」
なっ!? と、成金趣味丸出しのスーツに身を包んだ男が顔色を変える。
雨は一段と足を早め、周囲の人間にはやり取りの全てが雨粒に遮断され、成り行きを見守るしかない。
勿論、カシスの言葉はごく小さなもので、ニードル郷以外誰にも届かない。
「貴様…っ、貴様も私に逆らうつもりなのか…っ!?」
「とんでもないことです。わたくしごとき賤しき身分の者が、卿へ歯向おうなどと」
「……ふんっ」
カシスの迫力に呑まれたのか、はたまた言外に滲ませた不穏な空気を察したのか。
貴族の若い男は御者に怒声を飛ばしつつ、この場を離れて行く。捨て台詞一つ吐かずに去る引き際の良さは、バカにしては上々だ。
「さ、て……」
二人のやり取りをしるはずもない三人のツバメたちは、三者とも一様にぽかんとした表情でいる。
見物人たちも、呆気にとられるのみだ。カシスはそんな周囲に目もくれず医者を呼びつけた。
「そこのアンタ、早くこいつを看てやってくれないか」
「っ、! あ、ああ!! 勿論だとも!!
誰かタンカを用意してくれ! 怪我人を運ばなければならん!!」
医者の焦りを滲ませた呼びかけに全ての人間が我へと立ち返り、あわただしくその場が片づけられて行ったのだった。
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前
後
いのせんと・ぱにっく は、3人のピノ全員に
マスターが愛されれば言いなぁという
ただれた妄想で生み出された設定です
細かいところはスルーの方向でお願いします