戻れます

イノセント・パニック 4

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 食欲を刺激される香ばしい匂いがオーブンから漂ってくる。
 ホワイトソースのたっぷりのったグラタンの焼き加減を、カシスは銜え煙草のまま窺った。
「んー…、そろそろいい具合か?」
 そう一人ごちて、火を止めると同時に、玄関で呼び鈴が鳴った。
 誰かを確認するまでもない。そもそも、このこぢんまりとした我が家へ足を運ぶ客人など極限られている。
 有閑マダム相手なら高級ホテルのスィート。それでなければ、余所に構えた高級住宅と、逢い引きの場所は決まっているからだ。
 仕事とプライベートの使い分けはキッチリしておかなければならない。
 それが女性に夢を提供する男の義務であり責務でもあるというのが、カシスという人物の持論だ。
「さて、ツバメ共を迎えるか」
 熱を冷ますためにオーブンの戸を開き、目に鮮やかな深紅の長髪をさらりと掻き上げ、銜えた煙草の灰を傍のクリスタル皿に落とした。

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「――なんだ、二人だけか?」
 玄関を開けて迎えた客人は、予想に反して一人面子を欠いていた。
「マスターを一人残しておくのは反対だって最後の最後までランがごねたからな。仕方がないから僕たちだけだ」
 淡々と状況説明する耽美な容貌の青年。中性的な出で立ちは、その気の無い者でも惑わせる、独特の背徳的な色香を纏っていた。
「ランパートが一人か…? あれは直情型だろう、大丈夫なのか?」
「そうなんだが…かといって、アレン一人で…カシス、アンタの所に行かせるってのもなかなか無謀だろ。仕方ないな」
 普段、大宇宙との交信だとか彼方からのお告げだとか、奇抜な行動が目立つクラレンスだが、その点さえ覗けば三人の内で最も話を進めやすい。
 ランパートは素直だが感情的になりすぎて話し合いには向かないし、アレンは論外だ。確かに冷静な会話は成り立つが、冷えすぎて中途から毒舌合戦になりかねない。
 なので、確かにクラレンスの存在はカシスにとっては中和剤の意味で都合が良かった。
「そんなことより、……中、宜しいですか。カシスさん」
 早速ピリピリとした気を放ちながら、アレンが二人の間を割って玄関へと上がりこむ。
 頭からこれでさ先が思いやられるな、と。
 奔放そうに見え、実際は酷く繊細なココロの持ち主である紫闇の青年は、密かに嘆息したのだった。

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 狐色の焦げ目がついたグラタンが、丁度よい頃合いに冷まされて目の前に並べられた。
 カリカリに焼かれた表面を銀製のフォークでつつきながら、まず、夜の美貌の主が口火を切る。
「カシス…僕たちはマスターについて知りたくてここに来た。教えてくれ」
「――…まぁ…あらかた予想はついてたけどな」
 カシスといえば、自らの料理には一切手をつけず安物の煙草を燻らせている。
 記憶を失くす前の人形師に現在の状況を目撃されたのなら、おそらく、無言でグラスの水でも浴びせられるところだ。
『煙草の害は副流煙のほうが甚大なんだぞ、わかっているのか?』
 そう口酸っぱく言っていたルージェ本人も、数年前までは重度のニコチン中毒者だった。今ではすっかり紫煙と無縁の健康的な生活を送っているが、それも一重に、可愛い育て子の為だ。
 そう、愛すべき奇跡の存在故に――。
「アイツは…随分変わったからな……」
「―……きかせて、貰えませんか。昔のマスターについて」
 鮮やかな紅の双眸の先に、遠い記憶を甦らせるカシスへ、優雅な風貌の青年は真っ正面から願いを口にした。
 悲壮を籠めた真摯な眼差しを受けて止めて尚、想いを茶化すような真似は、流石の皮肉家とて控えるべきだと判断したのだろう。
 ふぅ、と、肺の奥にまで苦いだけの煙を吸い込むと、
「お前等の『マスター』のイメージってのは、どんなもんだ?」
 逆に、こう尋ねてきた。
「……僕たちの、ですか」
 切り返されて、戸惑うように瞬きを繰り返したアレンを横目に、クラレンスは一言、
「怒りっぽいな」
「君が、マスターを怒らすような真似ばかりするからだろう?」
 だが、間髪入れずにその不本意な評価を否定するのは、翡翠の眼差しも美しい青年だ。
 攻撃性を伴う台詞は、ぴしゃりと耽美な横顔に叩き付けられた。だが、些末な事に逐一慌てることもないクラレンスは、淡々と言葉を続ける。
「それと――愛される事を酷く苦手としている」
 その、興味深い発言に、アレンも口を噤んだ。
「アレン、気付いていたか。
 ボク達に愛されるマスターは、何時も心の空隙を抱えていた」
「……空隙…」
 思ってもみない言葉に、穏やかな美貌を凍り付かせる深緑の青年。
「ボク達が全身全霊でもってマスターを愛そうとも、おそらく、如何ともし難い傷」
 宇宙との交信だとか、電波受信だとか、普段から奇行が目立つクラレンスの、その深い観察眼に改めてアレンは驚かされた。
「カシス。その原因を、ボクは知りたい」
 洗練された立ち振る舞いの紳士と、小粋な皮肉家の二つの側面を持つ青年も、その洞察力を前に感嘆の溜息を吐いた。
「……そうか」
 伊達に何年も一緒に暮らしているわけじゃないのだな、と、奇妙に感心しなら言葉を続ける。
「ルージェの抱える――傷、か」
 少し俯いて、見た目よりも柔らかい紅の髪がサラリと流れる。
「――…まぁ、あれだ。
 その辺については、俺も知らないからな」
「……マスターとは、古馴染みのはずではありませんでしたか?」
 案の定、怪訝そうに品行方正を絵に描いたような青年が、聞き返してきた。
「古馴染み、っても、生まれた時からのつき合いじゃないしな」
 軽く肩を竦めてみせる、芝居がかった動作がいやに様になる男。
「俺は、あれこれ詮索するのは好きじゃねェし、ルージェも自分のコトを話したがらないしな。ま、……なんかあるんだろうケドな」
 ――確かに。
 アレンとクラレンスは、軽く落胆したが、カシスの言葉に納得もしていた。
 心より慕いあげる、黒曜の如き濡れた美貌の主であるマスターは、一年の間誰よりも身近にあった自分たちにも何一つ過去を語ることは無かったのだ。
「……ま、そこら辺は無理にしてもだ。
 俺が知る限りでのルージェの昔についてなら話してやれるさ」
「――…お願いします」
 容姿端麗品行方正を絵に描いたような、涼やかな顔立ちの青年が、真剣な面もちでカシスに礼をとった。
 基本的に、大切なマスターに多大な迷惑と厄介を持ち込む悪友『カシス・ブラッド』という人物に対し、悪感情しか抱いていないアレンにとって、それは酷く屈辱的だった。
 人当たりがよく穏和そうに見え、実は激情家の青年だけに精神的苦痛は計り知れぬが、全てマスターの大事であると耐え難きを耐える。
 そんな様子に苦笑を浮かべながら、深い溜息を吐き、ややあってカシスは語る。
「……色々とな、やってきてるからな……」
 彼らの保護者であり、恋人でもある青年達に、本人が語りたがらない過去を暴露するのはどうかと、悩むところではあるが。
「俺が、アイツに始めて会ったのは――十年以上も前になるかな。
 こんな片田舎の呑気な街じゃなくて、……ラグマイナの裏世界で、だ」
 これらを耳にすることで、ルージェに対する気持ちや態度を硬質化させるような程度の人間ならば、逆に早い段階で、その存在を抹消させねばならないだろう。
 透明な硝子細工(ココロ)が響いて、砕け散る、その前に――。

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 ――どうしろと…。

 感情の幅も少なく、自らの内面を晒す事に抵抗がある無機質な美貌の主は、傍目にもそうと感じて取れる程に混乱していた。
 泣き疲れて眠る、その逞しい肢体に不相応な『子ども』の精神状態を擁した青年に、何故か膝枕をしている、その状況に目眩さえ覚えていた。
 ソファの下は毛足の長い絨毯で、そこにぺたりと座り込んで、頭だけをちょこんと乗せている相手――ランパートの素直な赤毛を時折梳いてやると、感触が気持ちよいのか時折懐くようにしてくる。
「………」
 くしゃり、と、少しだけ華奢な指先に力を籠めてやると、純粋を湛えた琥珀が、そうと浮かび上がってきた。
「――…マス・ター…?」
 散々泣き腫らした所為で、瞼の辺りが紅く、声も起き抜けのためでなく掠れていた。
 ぼんやりとしている様子が、まるで無防備に寝入っていた子犬が目覚めて此方を仰いでいる姿を連想させ、――沸き上がる愛おしさに、息苦しさすら感じてしまう。
「……マスター、マスター…っ、マスター」
 と、ふいに力無い声で赤毛の子犬は、縋り付くように繰り返した。
「……どうした」
 俯いた、その垂れた耳でもついてそうな赤い頭をぽんと撫でて、ルージェは優しく返す。 この状況にあって、己の呼び名を咎めるのは流石に酷というものだろう。
 すると、存外に穏やかな反応に、安堵した様子でランパートは重ねて情を請いた。
「…マスター、俺を嫌わないで…」
 虚勢や警戒の鎧を剥ぎ取った、真っ新な願いを綺麗な言葉にして差し出してくる、その心身とも健康な青年へ、ルージェは一層の愛しさに囚われた。
「――…忘れるなよ…思いだして」
「………」
 喪失による焦燥が、黒曜の青年に自責の念を抱かせた。
 ココロの柔らかな部分に無数の欠片を呑み込むような痛みが、感情を乱してゆく。
「マスター……愛してる」

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 男の色香を纏う真紅の青年は、舌の上に残る苦みを楽しみながら紫煙を燻らせていた。
 銜えた煙草が落ちないように軽く噛み付くと、空になったオーブン皿を手際よく片づけてゆく。洗い場に陶器が擦れる音をさせて、香りたつカップを手にし、戻ってくる。
「俺の知る限りの事は全部話した。
 ――…後はお前等で考えることだからな、どうしろとは言わないさ」
 深刻な表情で俯くアレンと、その隣りで差し出された紅茶に口をつけるクラレンス、二人に向かいカシスは、ポツリと零した。
 彼らがピノッチアであった時分より知るマスターの、その、凄惨な過去を突きつけられ、やはり平常ではいられないようだ。
 ……無理も無い事だと、黒衣の人形師の数年来の友人たる男は嘆息した。
 目の前に並んで座っている、見目の良い元・人形達は、この世に生の祝福を受けた瞬間から、愛情深い『マスター』の姿を全てとしてきたのだ。
 夜の闇を凝縮し凍らせたような美貌の主の、その陰を知らず、暖かな日溜まりで穏やかな日々を送ってきたに違いない彼らに告げるのは、カシスとて相応の覚悟が必要だった。
 ――…奇跡のピノッチア達が受ける心理的障害もさながら、何よりも彼らのマスター、ルゼルシェ・トーンが、その記憶を取り戻した時に、いかほどの傷を負う結果となるのか、不安は尽きない。
 なんでもない、という素振りをしながら、傷を隠したがる癖はらしくて気に入っている。
 けれど、望んで目に掛かりたいわけでもない。
 高潔の魂を常に注意深く尖らせ、精神と肉体を酷く焦燥させながらも、気高く在らんとした過去の友の姿も、その痛々しさに歪んだ愉悦すら覚えたものだが――。
(…阿呆みてェに、ニコニコして、……サロンで優勝したとか、うちの子が一番可愛かったとか……。どーこの親バカだ、お前は。ってな感じだったけどなァ…)
 生き人形ピノッチア。
 それも、人の手で生まれた仕掛け人形のソレではなく、明確な意志を持ち身体的成長を見せる、神の御手によりいただいた、聖夜の奇跡の体現。
 彼らが舞い降りてからの旧友の変貌ぶりと言えば、筆舌に尽くし難いモノがある。
 突然の天(そら)からの贈り物が余程可愛いとみえて、纏う雰囲気は甘く、控えめなそれではあるが笑顔が頻繁に浮かぶようになり、全身から充たされていますとばかりの気配を漂わせているのものだから――最初の内は流石に面食らったが、慣れれば悪くなかった。
 いや、寧ろ――何かに苛まれるようにして、命を紡いでいる過去よりも、随分――なんというか、可愛くてイイと思う。
 こんな感想を平然と抱くあたり、自分も相当ヤキが回ってるとは思うが。
「…そろそろ帰らないと遅くなるぞ」
 柱に掛けられた鳩時計が間の抜けた鳴き声で、丁度、二十一時を知らせた。
 と、思い詰めたような瞳で沈み込んでいた穏やかな容貌の青年が、突如として立ち上がり、礼をとった。
「――お(いとま)させていただきます。
 お話、訊かせていただいたことには、深く感謝します」
 多くが消化されないままで混乱の渦中というのに、最低限の礼儀を弁える姿は流石としか言い様がない。躾の云々というよりは、天性のモノだろうと、とりとめもない事を思い浮かべてカシスは、ひらひらと手を振った。
「…あぁ、またな」
 が、もう一匹のツバメは、椅子に腰かけたまま優雅な手つきで紅茶をつぎ足している。
「……ナニ、優雅にしてンだ。紫の」
「クラレンス?」
 家主と、連れの不審そうな視線を同時に浴びても、クラレンス、と呼ばれた耽美な色香の青年は涼しげな様子だ。
「悪いな、アレン。ボクはもう少しココにいる」
「……クラレンス?」
 突然の事に、当然訝しげに表情を曇らせるアレンだ。
「構わないだろう、カシス。――ボクがいたら何か迷惑でもあるのか」
 手前勝手な言い分ではあるが、彼らの保護者兼恋人の古き友人である男に特に異存は無い。好きにすればいいとだけ残して、流し場の洗い物を片づけにいってしまう。
「クラレンス…」
 そんな二人のやり取りに不可解そうに眉をひそめていた翡翠の青年だが、これ以上に言葉を重ねても徒労に終わると悟ったのだろう、諦めて軽く肩を落とした。
「それじゃあ、僕は先に帰ってるから…」
「ああ」
 短く別れの挨拶をかわすと、アレンはブラッド宅を後にしたのだった。

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 愛している、と。

 請われて、望まれて、全身で欲されて。
 衝動的な、『何か』に突き動かされるようにして、そっと、口唇を合わせていた。

 意外な行為に一瞬怯んだ表情を見せたランパートだったが、直ぐに恍惚と絡まる舌の感触を愉しんで、更に快楽の淵へと誘い込む動きをする。
 互いを慈しむような優しい――けれど、官能を引き出そうとする意図を含んだ甘い接吻。
 散々に貪り合った後に、間近になった琥珀の瞳が欲情して濡れているのに、ゾクリとしてルージェは思わず眼を逸らしてしまった。
「…マスター…」
 媚び、甘えてくる仕草の赤毛の青年に、戸惑う。
「して…いい?」
 敢えて、具体的な物言いを避け、擦り寄ってくる大きなふさふさワンコ。
「………」
 その温もりは素直に気持ち良いと感じてはいるし、抱き合う感触も嫌いじゃない。けれど、性的な行為の意味合いで肉体(からだ)を求められる事に、どうしても嫌悪感が先立った。
 しかし――裏の無い真っ直ぐな(まなこ)に射すくめられると、拒絶を顕わにするのに苦痛を伴った。
 返答の無いマスターの態度をどうとったのか、ランパートは寂しげに、表情を陰らせた。
「――ゴメン、」
 悲しみに曇る心それだけをやっと紡いで、再び、その膝に懐く。
「……ランパート」
 その思いの外柔らかな手触りの髪を撫でてやりながら、ルージェは静かに呼びかけた。
「ん…?」
「俺は…お前達と肉体の関係を持っていたのか?」
 あけすけな質問ではある、『マスター』にしては珍しい言い様にドキリとさせられながらも、ランパートは頷いた。
「うん…恋人同士なんだしサ。今のマスターには実感ないだろうけど…」
「…そうか」
 暫しの沈黙――、そして。
「今の俺でも、お前は欲しいと思うのか…?」
「当たり前じゃん…マスターはマスターだし…、すっげぇ欲しい」
 続く、核心的な台詞にも怯まず、赤い毛並みの美丈夫は己の欲望を露吐した。
 照れも躊躇いも無く、真っ当から熱い想いをぶつけられて、過去の一部を喪失した麗人は困惑し、その端正な面差しに動揺の色を濃くした。
 乱れる心のままに、その漆黒の対は静かに揺らいでいく。
「――…正直、お前達の言葉を何処まで信用していいか…俺には判別が効かない」
 やがて、膝に甘えてくる形ばかり大きな仔犬の頭を、優しく撫でる掌が頬に添えられた。
 その冷えた感触を楽しむように、意思の強い琥珀の眼差しの主が、頬を擦り寄せた。
「けれど…、こうしているのは嫌じゃない」
 例えば、当たり前の者ならば心地よいと感じる生き物の体温、感触、鼓動。
 それら全てが、激しい嫌悪の対象となりうる自らの性質を省みたのなら、確かに、彼らの存在は【特別】たるのだろう。
「……うん」
 つい先程まで頑なであった態度が、徐々にほぐれていく様は素直に嬉しかった。
 欲を言えば、今すぐにでも肌を掻き合わせて甘美な一時を過ごしたくあったが、高望みはよくないと、自制するランパートだ。
「マスター、…愛してる…」
 そろそろと、美しき人の反応を窺うようにしながら、その手の甲に接吻を落として。
「もう休まないと、怪我に触るんじゃないのか…マスター」
 遠慮しながらも、距離を測るかのようにそっと指先を伸ばしてくる青年。
「…そうだな…」
 先刻までの無闇な警戒心は薄れ、渇いた大地に恵む雨のように、言葉が心を潤していった。

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「で、何が目的なんだ?」
 新しい煙草の一本に火を点し、ヒョイと口端に銜えながら男は単刀直入に訊いてきた。 鮮やかな紅の髪、斜に構えた臙脂の眼差し、上背につり合うだけの意外に鍛えられた肉体は、雄の色気を放っていた。
 外観の良さだけではなく、この逞しさが、貴婦人達を夢中にさせる最大の魅力であろう。 そんなとりとめもない思索を中断させて、クラレンスは豪奢な美貌でカシスを見据えた。
「マスターについて、訊きたい」
「――俺の話はさっきので打ち止めだぜ?」
 と、違うとでも言いたげに、人外めいた美しさの青年はそっと、憂えるかのように濡れる瞳を伏せた。
「ボクたちは皆、一つの魂を共有して生まれた存在だが、既に個体は確立し、その意思や意向が互いに無意識レベルで影響し合うような事態は無い」
 何から堅苦しい言い回しであるし、その意味を問い直したい単語も出ているが、カシスは黙って紫煙を燻らせる。
「だから、アレンやランパートが、今からボクが告白する事項についてどのような理論を抱いているのかも、推論すら敵わない。
 これはボクのあくまで個人的な意見であることを認識しておいて欲しい」
「……ああ」
 随分と慎重なクラレンスに怪訝な面もちながらも、了解とばかりに家主は軽く手を上げた。その掌をそのまま囓りついた煙草の先に移動させ、今にも落下せんとする灰の一滴を受け止めて渋い顔をする。
「ボク等は幸運にも【人間】へと生まれ変わることが出来た。
 けれど――所詮は【人形】だからな。
 ボクはカミサマの奇跡を手放しで喜べないんだ、カシス」
「………」
 カシスは心底意外そうに、何度か挑発的な臙脂の眼を瞬かせた。
「ボク等は、突然に【人】へと変化した――原因不明の、まさに【カミサマの奇跡】で。
 カシス、ボクは常々考えて止まないんだ。【奇跡】の有効期限について」
「……成る程、猶予期間か」
 それは――盲点とも言える、けれど、本質的な疑問ではあった。
 正直、余りに自然にピノッチア連中がルージェと共にいるものだから、考えもしなかったが――…。
「通常、ピノッチアの寿命は十年だ。手入れ次第で幾ばくかの延命は可能だけどな。
 ――……カシス、
 ボク達は、あと何年…いや、数ヶ月先も定かではないか」
 悲哀の籠もる紫水晶の眼差しは、一層美しさを増したように見えた。
 思い詰めた顔でいる青年の気持ちを宥めようと、けどな、とカシスは口を挟んだ。
「人間だって同じコトだろ、何時事故や病気で亡くなるとも知れねェしな?」
 だから、今を精一杯楽しむ必要があるだろう、と、冗談めかして言うが、やはりクラレンスの表情は晴れなかった。
「その通りだ、カシス。考えても詮の無いことだとボクも割り切っていた。だから、マスターを全身全霊で愛した…限りある時間(いのち)だからこそ、大切にしたいと思ったからだ」
 淡々と語る口調に、微か熱っぽさが混じる。
「けど――」
 しかし、直ぐに力を失い、言葉は翼をもがれたように堕ちた。
「カシス……マスターは、
 マスターはボク達を亡くしても幸せでいられるだろうか……」

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今日も、遥か遠くで、寂し気な鐘の声が鳴り響いていた。
あの鐘も、いつかは、聴こえなくなる日が――。


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ぴの部屋へ


ランパート=天真爛漫。アレン=鬼畜。クラレンス=繊細。
クラの変人ぶりは、繊細すぎる故だと勝手に解釈
まぁ、ゲーム本編のクラは
そんな乙女チックなわけもなく
かなりデムパなわけですけどね
(ちなみに、Mr.子安声です)