想い
ニャンコの家出



 血統書付きの黒猫。
 我が子の一見したところのイメージが、それだ。
 幼い姿からいきなり『ソレ』へ成長したときには、いやはやどうしたものかと困惑したものだが、なんのことはなく、全く中身はお子さまで。
 口を開けば、おかしなことばかり言い出すし。直ぐ笑うわ怒るわ、くるくると表情を変えてゆく、本当の子どもよりも余程それらしいピノッチアに翻弄され続け。
 目まぐるしく、日々は過ぎ。
 何時までも、自分の後をついてくるばかりだと思っていた幼い子は、一人で旅立ってしまった、のだ。
「はぁ…」
 年頃にして、十八位。
 すっかり青年の姿となった育て子を送り出して、二月過ぎただろうか。
 一週間毎に旅先で送られてくる手紙を読みふけるうちに、懐かしさが込み上げてきて昔の写真の整理を始めた黒髪の青年は、つまらなそうに溜息をついた。
 突然、旅に出ると言い出したのには流石に驚いたが。
 昔っから唐突でつかみ所のない性格をしていた、何を言いだしても不思議な子じゃなかっただけに、何故か止めることも出来ずに見送ってしまったのだ。
「今頃、どうしてるんだか…」
 エッグ祭で、普通は卵のきぐるみを着るところを、何故か一人で鶏のきぐるみを上機嫌にかぶっている写真を手に、苦笑を浮かべるマスター。
「普通にしてればいいんだけどね、どうもあの子は妙な所があるから」
 実は、少し引っかかることがあった。
 一週間毎に送られる手紙。
 それが、可愛い息子との唯一の連絡手段だったのだが、ここ二週間音沙汰がないのだ。無論、郵便事故の可能性もありえるが、何事かの事件に巻き込まれたのではないかと心を痛めてしまう。
「はぁ……、全く」
 吐息をつき、そっと口唇を指先で押さえる。
(………あんなことまで、しておいて…。勝手、だよ。クラレンス)
 キスと告白。
 雪の降るテラスで、ふいの口づけと愛の言葉をくれておいて。
 応えてもらえなくてもいいんだ、と、自己完結。それは、体のいい拒絶の言葉。だから、何事も言うことが出来なかった。
 青年期にまで成長したクラレンスは、幼い時期の何処か艶めいた少年の色香から一回り成長し、男性独特の色気と中性的さを持ち合わせ非常に、非常に――…。
(……カッコよかった……よな。…少し、親代わりとしては情けない感想だけど)
 元々、人の外見の美醜については頓着しない性格なのだが、それでも成長後の我が子を前に思いっきり赤面してしまったことは、忌まわしい思い出だ。
 勿論、中身は全くといっていいほど変わっていないだけに、その外観のギャップが激しかった。
「………困った子だ、本当に」
 旅立ちの日、その夜。
 それまで、あの時のことを忘れたかのように振る舞っていたのに、再び唐突に口づけを。
『ね、好きだ。マスター』
 唇、触れあうだけの、心許ないそれ。
『好きなんだ、本当だよ。
 でも、行かなくちゃ…僕は、そうしなきゃいけないらしくてね』
 儀式めいた、額への接吻。
『行ってくる…サヨナラ。マスター』
 春の風が、酷く冷たい夜の事、だった。



 次の日から。
 毎日、昼過ぎに来る郵便配達を待って、マスターは扉の傍に腰を下ろしていた。
手紙が、届かないのだ。
 一日、二日、三日過ぎ。
 また、一週間が経った頃。
 配達人が、小包を届けた。
「…一体、誰からかな」
 受け取り領収にサインをしながら、マスターは零す。すると、顔なじみとなった年輩の配達人は破顔して、言った。
「あんたの可愛い子どもからだよ、なんていった? ほら、クリスとかクレアンとか〜?」
「クラレンスからっ!?」
「あぁ、そうそう。そのクラ〜なんとかから。
 ほら、依頼人の名前ンとこにちゃーんと書いてあるだろ、よかったなぁ。あんた、随分と心配してたみたいじゃないか」
「ああ、ありがとう!」
 礼もそこそこに、マスターは部屋へと駆け込んだ。
 リビングのガラステーブルの上に荷物を置くと、ナイフを探し出して包装を解く。厳重に包まれた郵便物は、一枚、一枚、その覆いをとかれてゆくのだ。
 そしてついに、黒髪の青年は弾んだ気持ちで中身を取り出した――。
「………」
 木の香りの強い上品な箱に丁寧に寝かされていたのは、人形、だった。
 幼女がよく抱いているサイズの、木彫りで出来たぬっぺらぼうの人形は、取り出せばカラカラと左右に振れて、安っぽい音を鳴らした。
「これ…は?」
 不思議に思い、よくよく注意を向けてみれば、非常に精巧に出来ていると気がつく。関節の部分が、一つ一つ細かい細工がなされてあり、酷く繊細に造り込まれている。
「………?」
 こんなものを送りつけてきた、その意図する所を全く解する事が出来ずに、マスターは眉根を寄せてまじまじと人形を見分した。
「どういうつもりなんだか」
 箱には、人形の他に手紙の類は同梱されていない。
 訳が分からずに、マスターはとりあえず送られてきた人形を、クラレンスが使っていた子ども部屋の寝台へ置きに行く。
 誰も、使わない部屋。
 養い子が旅に出た時のままの形で残されている部屋は、ひんやりとして生活感に乏しかった。
 クラレンスが出立してから早、二月半。
 まだ、たったそれだけしか時間が経っていないのに、この部屋に可愛い育て子が生活していたのが、遙か昔の事のように思える。
 のりのきいた、清潔な白のシーツ。
 さわり、と。
 手の平で撫でて、そのまま横になった。
「……本当に、よくわからない子だ……」
 人形を寝台の隅に、じっと見つめながら、マスターは春日に誘われうとうとと微睡んだのだった。



 そこは、ぬるい光の中に居る感覚だった。
『ねぇ、マスター』
 ?
『好きだよ、マスター』
 クラレン、ス……?
『けど、僕は人形だから、…無理だ』
 何処にいるんだ、クラレンス。
『ずっと、一緒にいられたらいいのに……』
 早く、帰っておいで?
『ずぅっと、マスターといたかった』
 クラレンス?
『さようなら、マスター』
 どうしたんだ、クラレンス!
『もう、逢えない』
 待ちなさい、クラレンス、クラレンスッ!
 クラレンスッ!!

「………!!」

 自分の声に驚いて、マスターは飛び起きた。
 見慣れない天井。
 キョロキョロと辺りを見渡せば、宇宙モノや電波系の珍妙なセンスを取り合わせた部屋。紛うことなき、クラレンス…養い子の個室だ。
 火星人のぬいぐるみから、二等右辺三角形の窓まで。
 なんとも、常人には計り知れないセンスだが、部屋の主は異様に気に入っていた。
「…………………ゆめ」
 マスターは、ほうっと息をついて再び寝台に倒れ込む。
「妙に縁起の悪い夢だな…」
 もう逢えない、だなんて。たとえ夢だとしても聞きたくない言葉だ。幼い時期から手塩に掛けて育てた可愛い子ども。確かに、その期間は一年と短いものだったが、その分濃密に時を重ねたと自負している。
「どうして…あんな……」
 気にしすぎだと、マスターは頭を振って不吉な予感を否定した。
 と、我が子が送りつけた謎の人形が目に付く。
「………」
 そのまま手に取ると、青年は己の早まった鼓動をおさめるように胸元へ掻き抱いた。
「………どうして、あんな事言うんだクラレンス。
 もう、俺のところへは戻って来たくないのか…?」
 ならば、仕方がないとは思う。
 元は自分が育てたピノッチア人形とはいえ、今となっては立派に人格を備えた一人の人間だ。その意思を尊重するのは至極当たり前のことで、彼が、独り立ちを望み親元への帰郷を嫌うのならそれは仕方がない。
「俺は…逢いたいよ」
 例え、そう願ったとしても。
 想いも願いも、決して、届くことはない……。



 もう、傍に居ることは出来ない。
 そう覚悟して、生まれ育った家を飛び出した。行くあてもなく、かといって還る場所もない、放浪の旅。
 例えどれ程純真な祈りを捧げたとしても、神は人の祈りは聞き届けたとしても、人形の願いを聞き入れてはくれないだろう。
 神様、は、好き。
 綺麗で優しくて、何もしてくれない神様。
 どうして、僕を――…。
「……寒いな」
 春とはいえ、北への旅人には決して気持ちの良い時期とは言えない。相変わらず頬を嬲る風は冷たく、時折春一番が吹き抜ける。
 人目を惹く風貌を沈み込ませ、まるで一つの輝石のような青年はふぅ、と嘆息した。
「……先のことは何も考えてない、か。
 無計画にも程がある、僕はこんなにバカだったか」
 当面、というか、この先豪遊などという放蕩さえ行わければ十二分に食べていける金はある。サロンで稼いだ優勝賞金を、マスターはほとんど使わず蓄えていてくれたから。
 旅に出る、と。
 我ながら突然に言い出したものだと感心する。
 それを驚きながらも許してくれたマスターも、結構剛胆だ。普通は止めるだろう。いくら生後一年少しとは言え、それくらいの一般常識位持ち合わせている。
 旅立ちの夜の、少しだけ寂しそうにしていたマスターの顔が思い出の中を駆け巡り、どうしようもない焦燥感に襲われるのを、クラレンスは必死で宥めた。
「……ダメだ、会えない。会っちゃいけないんだ。
 僕は人形だ。人の体を手に入れたとしても、この先マスターを縛り付けていい理由なんてない。例え…愛していても。
 この気持ちすら、本物かどうか分からないのに……」
 人の手によって造られた『ピノッチア人形』。
 人の心は神様から贈られた物だと言うのなら、その人に産み出された人形は…?
 人形(カラクリ)に人の心とはおこがましいにも程がある。
「…止めよう、考えても仕方のないことだ。
 僕は人形……あの人は人間。それだけだ…たった、それだけのことだから」
 クラレンスはいつものように、ふらっと行き着いた先で一泊の宿を取り。味のしない食事に箸をつけ、そうして眠りに落ちる。
 けれど、その日は。
 その夜は……違って、いた。



 ――すぐ隣りに、マスターの寝顔があって、心臓が跳ね上がった。
  (………っ!?? なんだ、ここはっ??)
 混乱する思考を嘲笑うように、指先一つ動かすことが出来ない。視界に映り込むのは、あれほど再会を願ったマスターの姿。それも、無防備な寝顔だ。
(……ここは、もしかして?)
 体の自由が効かないためにハッキリと断言することは出来ないが、確かに懐かしい。ここはそう。
(僕の…部屋、か?)
 だとしても、何故子ども部屋のベッドの上でマスターが警戒心の欠片も無い姿で眠ってしまっているのか、甚だ疑問ではあるのだが。
 そんな冷静な疑問も何もかも吹き飛んでしまうほど、マスターの無垢な寝顔はくらくらキてしまう。
(マスター、……少しやつれた、か?
 ちゃんと食べてないんじゃ……、仕事に根を詰め始めると食事も睡眠も採らないような人だし……)
 禁忌だと自らを戒め、切り捨てたはずの存在が、こんなにも気にかかる。
 愛おしくて、切なくて、見ているだけではすぐに物足りなくなる。
 触れて、求めて、奪い去って。
 貴方の全てを。
「……ン、っ」
 ただ近く、マスターの寝顔を見守っていたクラレンスは、その彼が寝苦しさからか小さく呻いて表情を苦くしている事に気がつき、オロオロとする。
(マスターッ? 苦しいのか?)
 だが、いくら心で念じようとも四肢の自由は効かず、それこそ『見る』事しか出来ない。
「ん、レン、ス」
 痛々しい表情で、何事かを呟くマスターの、そんな顔は今まで目にしたこともない。おそらくは『保護者』の仮面を取り払った彼の素顔なのだろう。
 弱さや脆さを剥き出しにした、それ。
(マスター…、くそッ!)
 腕を伸ばして。
 どうにかして。
 ――貴方を、抱き締めたい。
「レンスッ……、どし……て?」
(っ、マスター。何が言いたいんだっ、何故そんな顔をするんだ……ッ!)
 僕はもう、貴方の傍に居ないのに。
 この距離が、
 この無力さが。
「…………クラ、レンス……ッ、いくな……」
(――――ッ!?)

 ………もどかしい。

「ッ!! あ、――ゆめ……? ……。
 妙に縁起の悪い夢だな…」
 長く息を吐き出すマスターは、ほんの少しの間呆然とし、ベッドの隅の人形に手を引き寄せると胸元へ掻き抱いた。
(………ッ!? マスターッ?? なんだ、どうなってるんだ???)
 すっかり混乱するクラレンスだ。
「帰っておいで……」
 しかし、軽いパニックに陥っていた青年は、愛しい人の切ない願いを耳にして途端に大人しくなる。
「俺は、逢いたいよ……クラレンス」



(……………!!)
 うすぼんやりと、見慣れない天井が浮かんできて。
 馴染みのないそれが、ここが住み慣れたあの家では無いことを如実に物語る。
 朝日も昇らぬ今時分に目覚めた事実に多少の驚きを覚えつつ、今し方の夢とも現実ともつかない出来事を反芻した。
「…マスター」
 起き抜けのくぐもった声で、そっと彼の名を呟けば、先程の夢がよりリアルさを増す。
「逢いたい……、マスター」
『逢いたいよ…クラレンス』

 ―――ッ!!

「貴方に会いたい…っ」



 愛しい養い子からの連絡が途絶えて久しく。
 それでも、黒髪の人形師は毎日、郵便配達の時間に合わせてドアの所で便り待つのが習慣となっていた。
「残念だね、今日もアンタとこの子からの手紙はないよ」
 すっかり馴染みとなった配達人から、ダイレクトメールが概ねの手紙の束を受け取り、マスターは寂しそうに愛想笑いを浮かべる。
「そうですか…」
「えー、あー…。
 ほら、なんだっ、便りがないのは元気な証拠っていうじゃないか。な、元気だしなって。こっちも、よっく気をつけとくからな」
「…すみません、お世話をかけます」
 感謝の言葉を述べて、仕事があるからと早々に立ち去る配達人の背中を見送り。郵便物の束を何気なくめくる。
(……確かめるまでもないんだがな……)
 ぱらり、と。
 ダイレクトメールに混じって、仕事の報酬振り込み証明やサロンで知り合った貴族からの招待状などというモノもチラホラと見受けられるが、目的の手紙はやはり見つけられない。
 わかりきっていた事とはいえ、軽く嘆息して肩を落とす。
「……今、お前は何処に居るんだ…? クラレンス」
「マスターの目の前だよ、マスター」
「ッ!?」
 ばっ、と。瞬間的に顔を上げる黒曜の華のような青年に、その滑らかな唇に啄むように優しく同じモノを重ねて、……直ぐに離れる。
「会いたかった、マスター」
 そうして、常に何事か含みのある笑みを浮かべる電波問題児のクラレンスにしては、珍しく裏のない笑顔で言う。
「…………クラ、レンス」
 呆然と。
 いきなりの、しかも、真っ昼間の屋外での接吻に怒り出すわけでもなく。突然、何の連絡も入れず帰宅したことを咎めるわけでもなく。
「どうして…」
「会いたかったから、マスターに。
 どうしても会いたかった。
 諦めようと、何度も何度も決意して、旅にでてもみて。もう、帰らないつもりだった。けど……やっぱり、僕はマスターが好きだ……」
 あの雪の日の答えを、今ここで貰ってもいいだろうか。
 不安気な紫水晶の瞳で覗き込んでくる様子が、いつものハチャメチャな姿からはかけ離れており、まるで借りてきた猫のようだと思い浮かんでしまってから瞬間。マスターは発作的に吹き出した。
「! まっ、マスター? ちょ、どうして笑うんだッ??」
「…………く、くくっ、〜〜〜〜ゴメンッ、けど……」
 なんだか、殊勝な顔が余りにも不似合いで。どうにも笑いが収まりそうにない。
「〜〜〜〜マスターッ、笑ってないで…っ」
「くくくっ、わかったゴメンッ………アッハハハハ」
 なんだかよく分からないが、なんとなく面白くないのは決意の上、一世一代の告白をしてのけた青年だ。なんだろう、これが理不尽を感じるというヤツなのだろうか。
 やがてなんとか零れる笑みを噛み殺しつつ、マスターは、そうっと両手で帰りを待ち続けた相手の両頬を包み込む。
「おかえり…クラレンス」
「………ただいま。」
 すこ〜しだけ不機嫌なのは、今し方の酷な仕打ちのためか。
 子どもっぽい表情で拗ねるそんな青年に向かい、マスターは極上の笑顔を差し向ける。
「中に入りなさい」
「って、マスター…っ」
「返事はそれからだよ、聞きたいんだろう?」

 俺の答えを。

 挑戦的な眼差しが、酷く愉しげに、そして雄弁に物語る。
 らしくもなく鼓動を早めて、
 クラレンスは、長らく留守にした懐かしい我が家へと戻ったのだった。




クラレンスって難しいですよね。
口調とか性格とか、ゲームのまんまだと話が作れない・・・
ゲームはまぁ、変人な性格が強調されていましけど
実際変人ですけど。でも、繊細だと思うんですよねー