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「…こへいた…」
「……っ、 ちょ、 じ …っ」
はぁ、と熱い吐息で応える仕草が何とも艶めかしく、平素は淡泊ですらある己の中の劣情を煽られ、長次は思わずこくりと喉を上下させた。如何にもな様子で唾を呑みこむ自身の姿は客観的に見ればさぞや滑稽な見世物だろう。
「きつく…、 ないか …?」
口振りだけは気遣うように、しかし、内腿を弄る手は益々激しく。
長けた手淫に次々と快楽を呼び起こされ、小平太――忍術学園の最上級学年であり、その奔放で強引、しかし誰をも引き付けて止まない太陽のようなカリスマ性と、規格外の『体力』『筋力』でまさに台風のような勢いで学園を駆け回る姿から、
暴君。
と称される、体育委員長の七松小平太は、きゅう、と己を貫く男の着物の袖を必死に握り締めた。
「…ちょう、 あッ、 あ ふぁっ……」
色気や艶気から程遠い普段の姿からは、大凡考も及ばぬ、熱く蕩けた喘ぎは絶え間なく溢れる。
色街の花女(はなめ)達のように、男を悦ばせる台詞を口にするでもなく。
手練手管の遊女のように、長けた淫技で男を虜にするわけでもない。
ただ、彼はひたすらに、最も親しい男の暴力にも近しい行為に翻弄され、正体を失いながらも縋り着く。
そんな遊戯に不慣れな様子に、独占欲であるとか、征服欲であるとか。
男の業であろう浅ましい感情が、追い詰められるように掻き立てられ、
一層、強く腰を振るい、尖り切った凶器で奥を穿った。
「 も、 ……ちょ、 あ、 イッ …く……、 」
「……こへいた…、 こへ…っ 」
「あ、……っ、 ア、ァっ 、ああああああ!!!」
二人、幸福の絶頂の最中、彼岸の果てまで共に白く燃え尽く―――…、
「………」
ちゅんちゅんちゅん。
少しばかり気の早い雀達が、縁側でとんとんと爪を鳴らして可愛らしく舞い、清々しい朝を囀る。
障子から透ける影絵から、両羽を忙しなく震わせる様子が窺え、実に微笑ましい風情だ。
しかし、今の長次には、そんな心和む雀達の舞を堪能している余裕など無かった。
(………さいあくだ)
隣には、未だ豪快に夢の中の同室人の無防備な寝姿。
寝巻の着物を肌蹴け、布団を盛大に蹴っ飛ばして、更に敷き布団からはみ出す、という如何にもな寝相を披露しているのも、最早、同室になってから幾度も目にした朝の馴染みの光景だ。
唯一、違う事と言えば。
(……小平太が目を覚ます前に…、 洗って来よう……)
淫夢の末の爛れた欲望で、半端に濡れた褌の感触が気持ち悪くて敵わない。
そんな絶望的な事実が存在している事だけだった。
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「ちょーじっ! ちょーじ、ちょーじ、ちょーじっ!!
今日はどうして先に行ったんだ!? 寂しいではないか!!」
ふわふわもこもこに爆発した青髪をナナメに結い上げた不格好な、しかし何処か微笑ましい愛嬌のある姿で、わんわんきゃんきゃん、と。朝の賑わいを見せる食堂にて、実に物静かな風情で朝餉の箸を運ぶ図書委員長・沈黙の生き字引の異名で呼ばれる中在家長次へ、背中から全力で飛び付いたのは、忍術学園にその人在りきと囁かれる暴君・七松小平太だ。
「小平太、煩いぞ」
「どーせ、長次が起こしても起きなかったんじゃないの?」
6年ろ組の正反対の個性を持つ二人を見比べ、長次の正面で朝食を味わっていた6年い組が、それぞれの感想で台風のような存在感の男を窘めた。
「だって…! それに、私が長次に起こされて目を覚まさないわけないだろう!?
昔は兎も角、今はちゃんと起きられるんだぞ!!」
えへん!
堂々と胸を張られても、結局は一人で起きられずに長次を頼っているのだから、忍術学園最上級生としては情けない事この上無い。ただ、小平太が朝が苦手かと言うと、実はそうでも無い。夜遅くまで鍛錬と言い張っては、バレーや塹壕堀りに精を出していたり、体育委員会の活動と称しては、延々と走り込みをしていたりと。常識を弁える人間ならば感じる疲労の度合いにより制御するべき能力が、この暴君サマには欠如しているらしく、兎に角限界以上に――暴君の限界以上なのだから、常人ならば疲労で気を失っても良い位だ――活動して、毎日螺子が切れるように布団へ倒れ込むものだから、これで自力で起きられたら不思議な位だ。同室の者に起こして貰えば起きられる、と言うのも本来ならば充分称賛に値する状況であるのだろう。
「それはいいとして、…スッゴイ頭だよ。なにそれ、どーしたの?」
「不器用」
「…う"。な、なんだ二人して。
私は髪を結うのは苦手なんだ」
「まぁ、小平太はそういうの得意じゃなさそうだけど…、
でもそれじゃ、何時もはどうしてるのさ?」
「馬鹿、伊作。聞くだけ野暮だ」
「え? あ、そっか。長次に結って貰ってるんだ」
不運委員長こと保健委員長の善法寺伊作の疑問に、武闘派の用具委員長もとい学内修繕係の食満留三郎が、肘で横腹を突いて察せよ、と合図を送る。そうすると、飛び抜けての不運に救いようの無いお人好しが加味され、忍者としては不適格の太鼓判を押されるが、技術や知識と言った面だけならば意外と成績の良い伊作が、ぽん、と思い付いたそれを口にした。
「…自分じゃうまくいかないんだ」
「ほら、Bランチできたよー! 喋ってないで、早いとこ取りにおいで!!」
「あ、有難うおばちゃん!」
むぅ、と唇を尖らせて説明していた小平太は、注文の品が出来あがったと見るや同室の徒である長次の背中から離れ、食度のおばちゃんへ向け大声を張り上げながら駆け出し、お盆を受け取った。
朝餉の内容らしく、炊きたてご飯に出来たての豆腐の味噌汁、焼き立てが香ばしい黄金に輝くだし巻き卵に、新鮮野菜の小鉢、といった質素ではあるが心を尽くした品が並ぶそれを、当り前のように長次の隣に位置に腰を落ち着け、行儀良く手を合わせてから綺麗な箸捌きで次々と平らげてゆく。
知性や品性の方面の部品が絶望的に不足していると、格調高い雰囲気を漂わせる天才忍者(のたまご)六年は組の立花仙蔵から、常々揶揄られる暴君様だが、生家は名の知れた貴族らしく、時折こうして育ちの良さを覗かせて、しばしば周囲の者を驚かせる事がある。
――今も、正に"そう"であった。
「あれ、七松先輩。食べ方キレーっすね。ちょっと意外です」
ハキハキと歯切れの良く通る声が、意表を突かれた響きで、小平太の背後から掛けられた。
「ん? ハチ?」
「っす。おはようございます。七松先輩、中在家先輩――…」
くるりと体ごと振り向いた小平太に所謂体育会系の口調で朝の挨拶をするのは、五年ろ組で生物委員会所属の竹谷八左ヱ門だ。良く言えば大らか、明け透けに言ってしまえば大雑把な性格の為、日に焼けた髪は色が抜けてボサボサ、山野を駆け回る身体中に小さな傷が残る。体育委員会の暴君に次ぐ野性児の称号を獲る人物だが、下級生の面倒見は良く上級生へは礼儀正しい、六年生の面々からすれば、何とも理想的な後輩である。
「それに、善法寺先輩に食満先輩も、おはようございます!」
「オウ、はよ」
「おはよう、竹谷」
忍術学園上級生だけあり、四年生とはまた違う意味で個性的な面子が揃う六年生でも、下級生からすれば最も取っ付きやすい六年は組の二人が、それぞれ、笑顔で竹谷の挨拶に応えた。現・六年生は基本的に後輩を可愛がる傾向が強いが、常識的且つ平和的に世話を焼いてくれるのが『は組』である為、後輩から最も評判が良いのが、このは組コンビなのだ。
そんな安全パイな二名の気さくな台詞の影で、学年一の寡黙と博識を誇る長次が、もそもそと極小さな声で挨拶を口にするが、当然ながら小平太を除く誰の耳にも届かない。
「竹谷、どうかしたのか?」
「っす。学園長先生から、六年生の皆さんに伝言です。
今日は実技担当の教師が、一年は組の実習応援に行く予定になったそうです」
「え、は組って乱太郎の組だよね」
「しんべヱもいるな。六年の実技担当教師が駆り出されるなんざ珍しいな」
は組に可愛がる後輩が在籍している、6年い組の二人が不思議そうにお互いの顔を見合わせ、同じく一年は組に同じ体育委員会の最下級生の金吾がいる小平太や、学年一のドケチと名高い摂津のきり丸が同委員会の長次も腑に落ちないとばかりに小首を傾げた。
「それで、私達六年の野外実習はどうなるんだ?」
「それなんですけど、他の先生もちょっと手があかないらしくて。
予定を変更して、裏裏裏山の野戦場で各自自習しておいてくれって事らしいです」
「そうか、分かった。伝言有難う、ハチ」
「いえ。…それよりも、俺が言うのもなんですケド。その髪、どうかしたんですか?」
何時も以上に自由奔放に爆発して、更に斜め位置でグシャグシャに括られている、そんな惨状の小平太の高結いに改めて目を丸くさせる竹谷に、思い出したように学園の暴君はご立腹の怒声を張り上げた。
「そうだ! 聞いてくれ、ハチ!」
「えっ、はっ、はい?」
ぐ、と先輩に迫られ面食らう竹谷。おっかなびっくりの後輩の戸惑いなど何処吹く風で、自由奔放を絵筆にしたような男は、そのまま興奮した様子で両の拳を振り上げて続ける。
「長次が酷いんだ! 今朝、私を置いて行ったんだぞ!!
何時もはちゃんと起こしてくれて、髪に櫛を入れてくれるのに……」
訴えかける言葉に段々と勢いが薄れ、徐々に意気消沈した気配に取って変わる。己が如何に長次の被害者であるかを主張していたものの、そもそも同室の中在家長次は無骨な印象の外見に反して、非常に親切で面倒見が良い。そんな彼が理由も無く自分を見捨ててゆくだろうかと、今更に基本的な事実に気が付き、陽の光を受けて藍色に輝く二つの眼を、不安そうに長次へ向けた。
「……長次、私、何か怒らせるようなことをしたか?」
「……っ!」
飼い主に捨てられ悲しげに濡れた鼻を鳴らす仔犬の風情が、生物委員会所属の後輩の胸のド真ん中を貫いてゆく。忍術学園の恐るべき暴君として悪名高いくせに、その表情は反則だろうと頬を染めて固まる竹谷の目の前で、小平太の青頭が大きな掌に覆われた。
「… 悪かった。食事が終わったら……、結い直す、 ……から … 」
だから、機嫌を直してくれ、と。
詫びの代わりというように、ぽんぽん、と。
実に手慣れた様子で、小平太の機嫌を取りながら。
「 ……髪、 解いておく、ぞ 」
在る筈の無い犬の尻尾を嬉しそう左右に振ってみせる小平太の、不細工な結びの紐を解くと、まるで犬の仔を可愛がる仕草で手櫛で乱れた藍色の髪を撫でてやる。すると、途端に忍術学園に君臨する暴君は機嫌を直して嬉しそうに他愛ない会話に花を咲かせ始める。
そんな二人の何処か微笑ましい遣り取りを目にして、漸く石化の解けた生物委員所属の竹谷は、まるでヤンチャな犬とその飼い主のような絶妙な関係だなぁと感心しつつ、幸せそうなワンコ、もとい七松先輩の邪魔をしないようにと、そっと目配せと会釈で礼を払うと食堂を後にした。
その彼と入れ替わりに、現・最上級生の面々の中でも最も優秀な忍者であると将来を嘱望される立花仙蔵が、相変わらずの美貌に一部の隙も無い身形で姿を現した。一般的な朝餉の時間より多少遅めの登場なのは、彼が長年患う低血圧の所為だ。夜は強いが朝は滅法弱く、天才と称される彼の唯一の泣き所であると言っても過言では無い。それでも、自慢の黒髪の手入れを怠らない辺りは流石仙蔵といったところだろう。
「朝っぱらから仲睦まじい事だな、小平太、長次。
盛るのは夜だけにしておけ、折角今朝はアホ次郎の暑苦しい顔を見ずに済んだというのに。ガタイの良い男二人に食堂でイチャイチャベタベタくっつかれては、見苦しくて敵わん」
サラリと毒を吐きながら、食満の隣に席を確保する仙蔵だ。横で暑苦しいのと、若干斜め前でうっとおしいのと、脳内協議の結果真横で暑苦しいより正面で煩わしい方がまだマシかという結論に至ったらしい。
「あれ、そう言えば文次郎は? 今朝は全然見て無いけど」
仙蔵の台詞に引っ掛かりを感じた伊作が疑問を口にすると、あのアホの事など知らん、と無碍な言い様を返され、思わず苦笑を漏らしてしまう保健委員長だ。珍しく言葉に刺があるのは、同室のギンギン委員長を心配している証拠で、となると、懇意にしている仙蔵にも行き先を告げずに姿を消したのかと、伊作は心中で首を捻った。
「文次郎なら、昨夜遅くに学園長の部屋で見掛けたぞ。
何か急な用事なのかもしれないな」
キュンキュンと飼い主――、もとい長次に甘える小平太が伊作の疑問に応えるように口を挟み、
「――フン、あのアホの事なぞ知るか。
それより、小平太。いい加減、長次から離れろ。みっともない。
貴様、それでも忍術学園の最上級生か」
益々機嫌を下降させた仙蔵が、八当たりに近いレベルで癇癪玉を弾けさせて、相愛ぶりを見せつける六年ろ組に剛速球で投げつけた。
「なんだ、仙蔵。文次郎が居なくて寂しいのか!
かと言って、私に当たるのはいかんぞ?」
しかし小平太とて伊達に暴君などと呼ばれているわけでは無く。言の葉ひとつで人を再起不能に陥れる影の支配者立花仙蔵へ、少しも怯まずそんな事を口にするものだから、
「……良い度胸だな、小平太?」
「あっはっはっはっは、こりゃいいや!!」
「ちょっ…、だ、駄目だよっ。と、留さんっ…」
「……こへいた……」
「うん? どうかしたのか、長次」
フルフルと両肩を戦慄かせ暗黒の気配を燻らせる仙蔵に、悪びれずに喧嘩を叩き売る小平太、そしてそんな二人の遣り取りに大爆笑する食満。更には、仙蔵の怒りの矛先に脅えつつも、カラカラとした気風の好い笑い声に釣られて声が震えてしまう伊作。そして、無表情の面の下で、さてどうしたものかと困り果てる能天気ワンコの飼い主である長次。
居合わせた下級生達は飛び火を恐れそそくさと逃げ出す賢者と、好奇心に負けて少し離れた場所から興味津々と状況を見守る野次馬とに分かれ、憩いの場であるはずの食堂は一時騒然となったのだった。
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2010/5/26 初稿
こへ以外は互いの関係を知っている仲。
こへはS蔵とM次郎がそういう関係だと知らないけど
本能で嗅ぎ分けて発言するので、痛いトコ突いてきます