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その日の野外実習では、今朝方の遣り取りで発露した怒りを持続させたままの仙蔵の手に拠り、執拗且つ容赦の無い『訓練』を六年全員が受ける事になるのだが、主に被害を受けたのは元凶である小平太と――、その彼を庇おうとした哀れな保護者。そして、案の定人の身には過ぎたる毒、稀なる不運を天命とした、薄倖佳人の保健委員長の三名だった。
「イタタタタ、伊作! 痛いっ!! 沁みるぞ、その薬!!」
「とーぜんだよ、消毒用なんだから。ホラ、じっとして」
「うぅ…、」
最も負傷の度合いが大きい左腕の火傷に包帯を巻かれながら、小平太は項垂れた。
堪え性の無い暴君な小平太とて忍の嗜みとして痛覚への耐性訓練は受けているし、忍術学園の最上級生ともなれば、腕一本失おうとも忍務を遂行するだけのプロ意識が育ってはいるのだが。
それでも――…、
「痛いのものは痛い。伊作、沁みない消毒薬はないのか?」
「そんな都合のいいものあるわけないでしょ。
て言うか、そもそもの原因は小平太が仙蔵を怒らせたからなんだよ。
お陰でぼくもこの有様なんだから。ちょっと位痛い目みて反省した方がいいと思うよ?」
眉を潜めて辛辣と共に溜息を吐く伊作の頬には、軟膏付きの湿潤治療用の白いシートが大きく存在を主張していた。肩を越す長さに伸ばされ後ろで高く結わえられた緩く曲線を描く亜麻色の髪のくるりと跳ねた尻尾のような愛らしい先は、僅かに焦げ落ちていた。
「うむ。済まぬな、伊作。痛むか?」
学園髄一のカリスマ暴れん坊は、刺々しい薄倖の雲雀の科白をカラリと笑って受け止め、闊達(かったつ)な物言いで友の不遇を労わった。暴君と称される粗雑な男の堂々とした生き様に、幼子の癇癪にも似た狭量を曝けた伊作は己の未熟さを慚愧し、長くはあるが浅い溜息を後悔の痞えと共に素直に吐き出した。
「ゴメン、…今の無し。もう、嫌だな。情けない…。
この位の怪我なんて日課だし、ホントは何て事ないから気にしないで」
「そうか?」
先天性に"陽"の気質を魂魄の根幹へ内在させる小平太は、向日葵のよう明るく屈託も無く笑う。
もう恨めしい程の健全さだと呆れの混じりの皮肉を胸へ落とし、沁みる痛いと散々に文句をつけられながらも消毒と軟膏を塗り込めた患部へ、くるりと白い包帯を巻き付けて行く。動き難いと不満を口にする我儘暴君へ、明日までの辛抱だと言い聞かせ、火傷用に特別調合した軟膏を手渡し、一通り、保健委員としての仕事を終える。そうしてから、二人きりの密室で誰ぞに聞き咎められる事も無かろうに、妙に落ち着かない様子で周囲を警戒したかと思えば、躊躇いを小さな問いとした。
「ね、小平太。文次郎ってまだ戻って無いよね?」
「む? そうだな、まだなんじゃないか。
少なくとも、私は見掛けていないぞ」
和竹製の薬筐の蓋を開け、原料である薬草の色なのか鶯色に練り込まれた軟膏薬の匂いを、まるで野生の獣がそうするように鼻先で嗅ぎ分けてから――直後に、うえぇぇぇ、と眉を寄せ――早々に懐へ薬を仕舞込むと、それがどうかしたのか、と訊ね返した。
「…そっか…、そうだよね。……まだかー」
「何だ、文次郎の事が心配か?」
「…ん? う、…ん。ちょっとね。気に懸って…、」
分かり易い落胆に力無く両肩を落とし、脚切りの文机へ突っ伏し重苦しい憂慮の歎息は人生初の長さを記録していた。
「文次郎のやつ、危険な忍務にでもついているのか?」
「うん…、いや。そういうワケじゃないよ。
大した事じゃないんだ。
少なくとも、"小平太"を巻き込むような事じゃ…、」
絶えず稀なる不運の憂き目に晒されながらも、困難な時代を生き抜く前向きさは、雲隠れの月の如く成りを潜め、人の善き心を賛え謳う愛らしき雲雀の囀りが失意に充ち地へ堕ちる今様を、
「伊作」
「ん? 何、小平…、 っ、 た、 え、わっ?」
"大した事では無い"と鵜呑める程、小平太は阿呆でも空者でも無く、
「隠し事」
学園が誇る豪力の化物――もとい、ヤンチャご無体な怪童は、同世代でも突出した野人的体躯ごと身を乗り出して、大きく円らとした瑠璃色の瞳を零れんばかりに、それこそ穴を開けんばかりの様相で、仄暗く翳る友の甘い輪郭の貌を、瞬きすら許さず凝視した。
「え…っ?」
端的過ぎる程に簡潔な。
しかし『馬鹿』の二文字がもれなく付き回る正直者にとっては、痛恨の一撃にも等しい。
「伊作、己を苦しめる秘事はイカンぞ。何れ、呵責に耐えきれなくなる。
私は伊作にそうあって欲しく無い」
「べ、別に隠し事なんて、…何も。」
「そうか?」
「そ、そうだよっ!」
稀代の天才忍者として将来を嘱望され、成績優秀・容姿端麗・品行方正、と片の指では到底足りぬ美辞麗句の称賛をうける妖艶なる美貌の習い忍者の、十中八九に八当たりでしか無い宝禄火矢の攻撃により負傷した火傷の痕を、包帯の上からペチリと叩いて、色素の薄い髪をふわりと揺らしながら伊作は在らぬ方向に顔を逸らした。
「うむ、分かった。伊作がそれで良いなら、構わない。
けれど、話したくなったら話せ。私は何時でも力になるからな」
「………」
「どうした、伊作」
学園一の暴君の何人をも寛容とする度量と、支配者級の魅力に圧倒され、その名の通り魂の根幹が『善良』の塊である――到底忍者には不向きな――忍術学園が最上級生がひとり、善法寺伊作は心中に湧き上がる複雑な感情と熾烈な戦いを。
「………はー。」
そうしてから、長々とした葛藤の末に降参とばかりに盛大に溜息を吐いた。
「小平太って、時々ものすごぉーく男前だよね」
「何を言うか。私は何時でも男らしいぞ!」
得意満面と胸を張る学友に、そうだね、と苦笑混じりの相槌を返し、そっと息と声を詰めた。
「いい? 絶対に、ここだけの話にしておいてよ。小平太」
「うむ…?」
最上級生の同期中でも、寡黙地蔵な図書委員長の次に大きな図体を誇る葵色の髪の青年を、ひょいひょいと手招きで自分の傍に呼び寄せて、心根優しき保健委員長は抱え込む憂慮をそうと耳許へ小さく打ち込んだのだった。
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「――と、言う事らしいんだ。折角の慶事であろう。
私は目出たいと思うんだが、伊作は妙に不安がっていてな」
「………」
伊作に『ここだけの話で』と釘を刺されたのではなかったか。
眉ひとつ動かさぬ寡黙な表情の下で尤もな突っ込みを入れつつ、破天荒なまでの奔放さが魅力的な同室の徒へ、中在家長次はもそもそと常人には決して聞き取れぬ言葉を紡いだ。
「ん? ああ、そうだな。どうやら、仙蔵も知っているようだぞ。
それで機嫌が悪いと言う事なんだが、私には理由が分からん」
「………」
それはそうだろう、と。
やはり口にはせずに、長次は胸中に苦い思いを噛み潰した。
年頃の男子であれば当然に興味を持つ色恋や女人への関心が、天晴れとしか言いようの無い程に潔く抜け落ちている天真爛漫な――と言えば聞こえは良いが、単純に性的発達が遅れているのだろう――天然ぶりを無邪気に披露する忍習いの少年は、学友の不憫を理解出来ぬ様子で、首を大きく傾げた。
「…… 小平太、 …動くな。 ……やり難い ……」
「お? ああ、すまん。何時も面倒を掛けるな、長次」
つい、一時間程前まで、鍛錬と言う名の球遊び――と言うには語弊が生じる程の命懸けの遊戯ではあるが――に興じ、泥と汗にまみれた身体を風呂場で流してきたばかりの小平太の髪は、湯殿の水気を含んで何時もよりも色身と重さを増し、真っ直ぐ垂直に畳へ流れていた。
放っておけば、濡れ髪のまま布団へ潜り込んでしまう親友(とも)の小袖を引き、自分の前へ座らせたのはつい五分程前の話。生渇きの髪を放置しておいては、翌朝、多大な苦労を強いられるだけだ。絡まってしまった小平太の髪は本人の気性に反して、非常に強情で頑なだ。
一度など、どうにも手に負えずに、くの一に負けず劣らず化粧(けわい)小物を揃える、美の探求へ熱心な仙蔵へ相談したのだが、その余りの手強さに面倒だと怒りを買い、根元からバッサリと切り落とされそうになった事さえある。
無論のこと、保護者が全力で以て死守した。多少ひとより手間は掛るが、小平太のふわふわとした毛束の髪は長次のお気に入りだ。無残な扱いを受ける位なら地道に解いた方がマシだと踵を返し、半日を掛けて絡まりを解消したのは、苦くもとも良き思い出のひとつだ。
そのような諸事情から、小平太の髪の手入れは保護者の務めとばかりに、長次に一任されている。しかし、世話を焼かれている側の暴君サマとしては全く以て手持無沙汰であり。羽のように優しく触れてくる小器用な櫛歯や指先の感触に、うとうとと気が緩んで眠りこけそうになる。己の意思に反して目の上から容赦無く下りてくる来る重い目蓋と格闘しながら、口にした話題が、
「……、 縁談は、急ぎの話、なのか… ?」
塩江文次郎――互いに凌ぎを削る忍術学園が各委員会に於いて、共通の敵――もとい、会計委員長を務める気性の暑苦しい男の縁談話であった。それも、辺境の一国を治める姫君からのそれで、生家の身分が人生の大半を占める時代にあって、棚から牡丹餅・奇跡のような逆玉の輿だ。
「先方の姫君が相当文次郎を気に入っているという話らしくてな。
ホラ、少し前に文次郎が単独で受けた要人警護の忍務があっただろう?」
「…… ああ 」
あれか、と思い出してひとつ頷く。
何万石もの財力と権力を掌握する有力大名であれば、自城に優秀な子飼い忍者を囲っているのが当然であるが、地方領主にはそこまでの余力は無い。最低限の諜報・偵察用の忍者を常駐させていれば良い方だ。そういったところから、忍術学園へ要人警護を主とした依頼の話が来るのは、然程珍しい事では無いのだ。
嘗ては 大川 平次 渦正 その人あり、と名を馳せた天才忍者が創立の学び舎だけあり、見習いとは言え忍術学園の生徒達の実力は折り紙つき、と口伝えに世間に膾炙(かいしゃ)している。
そこに『学園』という何処の勢力にも属さない中立的立場も相まって、名産品や交易品価格調査と言った遣い程度のそれから、統治領土を荒らす山賊・海賊退治の相応の危険が伴うもの、果ては合戦の明暗を決する重要文書の運び手という死間の覚悟が必要なものまで、実に様々な内容の依頼が日々持ち掛けられる。
無論、あくまで『生徒の実習』の範囲で行うのであるから、その分依頼料も相場より七割程度の安価。その上、任務の成功率は非常に高く。『忍術学園』の名を、そこに学ぶ生徒の実力を世へ知らしめていた。
文次郎が受けたのは極めて平凡な忍務のひとつで、然したる危険も無く、学園の最高学年ともなれば野戦の課外授業よりも余程容易い内容であったと聞いていた――…が、道中に問題が起こり当初予測されていたものよりも随分と困難な忍務になったらしい。
年も然して変わらぬ若き忍の見事な活躍と己への献身ぶりに、俗世を知らぬ箱入り寵姫が胸を高鳴らせ、仄かな恋心を抱くのも詮無き事ではある。ただ、実際に縁談の話にまで発展する事は非常に稀な事だ。常であれば、身分の差や立場の相違など世間への体裁や柵(しがらみ)に縛られ、喩え想い合っていたとしても『所詮は叶わぬ恋』であるとの暗黙の了解の下に、互いに未練を断ち切るのが多くの場合である。
「 …… 、 」
社会通念に囚われない自由な発想や行動力を鑑みれば"深窓の姫君"という訳では無さそうだが。塩江文次郎はどちらかと言えば古風な風習や思想に重きを置く人柄で、何も言われずとも男の後ろを三歩下がって歩く慎み深い淑やかな女性を好む。男を尻に敷くじゃじゃ馬姫を伴侶に――…など、到底不可能だろう。
「 ……… 」
いや、在る意味現在進行中で尻に敷かれてはいるのだが。
相手は文次郎が望むような貞淑な淑女とは程遠く、その美貌だけは並みの女性よりも余程美しくはあるが、触れなば折れんとの夢想の水連の如き風情を見事に裏切り、何とも不遜に咲き誇る鮮血色の毒の婀娜花。
誰人をも是非無く服従させる高潔――、いや、いっそ猛々しき無残純白の女郎狐。
尻へ敷かれれば、寧ろそれが本望とばかりに喜悦して腹を見せる下僕の群れの中で、ひとり、屈するものかと挑発的な侮蔑の視線を寄越す男がいれば、自然と興味も膨れ上がろうというものだ。
その意味では、塩江文次郎という男は晴れの舞台に勝ち戦、誰もが羨む存在と言えるのだろう。
……当人が現状に不満を感じているか、否かは、この際二の次として、ではあるが。
「文次郎が一国一城の主なんて、凄い話じゃないか。
相手方の姫をチラリと見掛けた事もあるが、可憐だったぞ。
まさか仙蔵に限って文次郎への嫉妬もあるまいし、何が気に入らんのだろうな」
取りとめも無い思考は、無駄に学園一な在り余る底無し体力を誇る いけどん体育委員長の不可解そうな呟きに断ち切られた。
「…… …… 」
その、まさかの『嫉妬』が原因であると小平太に伝えたら、どのような反応をして見せるのだろうかと。
思慮深く寡黙である図書委員会の責務を誰よりも全うする賢き者は返す言葉に迷い押し黙る。
但し、同じ果であっても因は天と地程の差異がある。惚れた腫れたの色からくるそれは、如何な人間にも酷く厄介なもので、十年に一度の逸材として注目を浴びる天才・立花仙蔵その人とて例外ではないらしい。
「――…、 仙蔵には、……文次郎は、特別だからな ……」
ややあって、告げた回答は正とも誤とも。
『特別』
敢えて明言を避けたが、謂わば恋(いと)し恋(こい)しの睦み合いの仲で。
子孫繁栄、と言う大義名分に保証される男女のそれよりは、幾分少数派ではあるが、同性同士の婚姻と言うのも決して珍しく無い時代にあって、
「うん? む…。そうだな、仙蔵は特に文次郎と仲が良いからな。
私も、もし長次が急に婿入なんて事になったら、寂しくて反対してしまうだろうし」
全く、そういった可能性に気が向かないのは、最早奇跡にも近い天然ぶりだった。
「……。 ……終わった 」
ぽん、と。
風呂用の吸収率の高い手拭いで拭った髪に、存分に櫛を徹し終えると、自他とも認める(と言うより認めざるを得ない)小平太の保護者兼飼い主兼公私共々の相方である寡黙な男は、極めて簡潔な一言を漏らし、柔らかな葵色の毛並みを撫でながら、終了の合図とばかりに肩を叩いた。
「おお、すまない。有難うな、長次」
そんな感謝の言葉も言い終わらぬ内に、何を思ったのか小平太は身体ごと、くるりと長次の方へ向き直って、十五の齢(よわい)を数えるとは思えぬ意外な程に幼い仕草で、緩く合わせた単衣姿の友の胸元を勢いつけ左右へ大きく割ってみせた。
「………!?」
思いつくと同時に身体が動く自由奔放な暴君の突飛さや、時と場合を力技で捻じ伏せる過剰接触には、完璧に慣れているはずの長次も、"風呂上り"という不利な条件下の予想外の行動にギシリと思考を錆つかせ、石のように指先までも緊張させた。
「やっぱり。火傷の痕が残っているぞ、薬は塗らないのか?」
最高に機嫌の悪い迫力美形の八当たりを受けた寡黙な被害者の腹には、薄くではあるが赤く腫れた火傷の名残が認められた。目敏く"それ"に気付いた小平太が友の怪我の様子を案じて具合を確かめただけに過ぎないのだが。
「 …… 必要無い …… 」
ぼそり、と。
だから離れてくれないか、と言外に訴えてみても無駄だ。
相手は人の心の機微を解さぬ、無邪気な幼子の精神で培われた怪物だった。
「いかんぞ、長次。私だって我慢して伊作の手当てを受けたのだ。
あの程度の傷なら舐めていれば治るのに、それじゃ駄目だと怒ったのは長次だろう。
それなのに長次だけ逃げるなんてズルイ」
「 ……… 」
むん、と誇らしげに胸を張りながら、清潔な包帯で巻かれた左腕を胸元高さまで持ち上げ見せつける小平太に、どういう理屈だと困惑しながらも、そんな子どもじみた暴論すら愛しいと思う自分の末期さ加減を再確認する長次である。
「と言うわけだから、薬を塗る事にするぞ。長次」
「………!」
にん、と、そこいらの薬師よりも余程博識な保健委員長特製の軟膏を左手に、桔梗の華色を想わせる色合いの毛並みの大型犬は、喜色満面といった得意気な表情で飼い主へと飛び掛った。
「 小平太 …っ 」
幾ら上背がある長次とはいえ、怪奇的な腕力を誇る暴君の体当たりに、成す術も無く仰向けに転がるしかない。既に寝床を用意しておいて良かった。布団の上に転がりながら長次は心中で溜息をひとつ。強かに打ちつけた背中と尻がそれでも痛むのだ、もし床へ押し倒されていたなら、巨大な青痣を不名誉な場所へと作り上げてしまうところだった、と。
「よーし、覚悟しろ。長次!」
朗々たる声は実に明快に楽しげ、親友を布団へと強制的に寝かせて、悪戯小僧は悪びれた様子も無く腹筋辺りへ堂々と馬乗りだ。
「む、これでは塗れないな」
丁度、探るべき患部を自身の身体で覆い隠す格好になり、小平太は更に後ろ――長次の大腿の付け根の辺りへとずり下がった。
「……っ!」
その、大変に衝撃的な体勢に。
そう、大層に挑発的な角度に。
「 小平太ッ… 、… そこから…退けっ 」
まるで手酷い恥辱を受けたような心地であった。
それが己の過剰な被害妄想が生み出した負の産物であると、彼方の理性は嘯いていたが。
視覚と触覚の暴力に、沈黙の生き字引と称される沈着な男は一瞬で平静を欠いた。
幼い時分より、無感情の冷血鉄面皮と陰口を叩かれ続けてきた面に、顕著な狼狽が浮かぶ。
心持ち語気を鋭くして足掻けば、くるりと罪無き無垢瑠璃が不思議そうな色を灯した。
「うん? 重かったか?」
「……… そういう問題じゃ … 」
無い。
重量など、そうでは無く"位置"が最大の問題だ。
性に全力で無頓着な小平太は、丁度長次の股の間に尻を置いていた。
男児の勇ましき象徴が潜む箇所へと、躊躇無く跨るのは積年の想いを募らせる恋しきかな。
「…長次?」
息を詰め四肢の末端まで硬直する親友(とも)の緊張に、鈍感が服を来て闊歩する暴君とて、流石に異常を察して こてん、と小首を傾いだ。
嗚呼、そんな仕草すら煽られるから、本当に性質が悪い。
「 小平太ッ…、 ――、! 」
単衣を通して伝わるのは、浅ましき劣情を募らせる親友(とも)の内腿や尻肉の感触。
今朝方、下帯を濡らした淫夢が下劣な欲と共に脳幹を巡り、理性に致死量の毒が廻る。
心殺無情を鉄則とする忍見習いであるとは言え、多感な年頃の心身共に健全である男子に。幾ら、智慧者としての才華を大いに評価される不動心の主であったとしても、これは――…、
「…え、長次?」
不意、に。
悪気無く親友の恥部へと両脚を割いて跨る小平太は、突き上げる感触に驚き目を見張った。
「………」
「………」
致し方無き生理現象と言うもので、此の先の過ちとて誰人も咎められぬ若さ故の暴走の結果である。
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2010/8/20 初稿
139が機嫌悪いのはアレです
万が一、文次郎が仙蔵の存在を振り切って婿入りなんてしたら
自分達の関係をも否定される気がしているからです
伊作は時々繊細で傷つき上手だったりします