act.2 囁き
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リヴァイアスは二十四時間フル稼働だが、当然人間には適度な休養や食事など、生物としての生命維持に直結する活動時間というものが必要となる。
四交代制を導入し、かつ、週休二日というなかなかの待遇は、一重に黒のヴァイア鑑に搭乗する人間の多さだ。完全なシフト制の導入は生活にゆとりを与えてくれる。
部署の決定が未だベータ状態のために、細かな混乱や混雑はそこかしこで見て取れるものの、リヴァイアスによる新たな船出は今のところ極めて順風満帆と言えるだろう。
他所の手狭感はあるものの、全室個室で、各々ユニット・バスまで設置されている。男女の生活スペースの分断も完璧に管理されていた。必要な事とはいえ、なかなか実現出来るものではない。随分と、快適に生活できるように設計されたようだ。
二重ロックに守られた部屋のプライベートは、多少のことでは破られそうもない。
八ヶ月以上の放浪生活は共同スペースで行われ、プライベートなどほとんどないも同然だった。その件をふまえての政府の心遣いなのだろうことは、容易に想像が付く。
……こんなもので、あの凄惨な体験への贖罪に足りるわけではないが、しかし確かに一人部屋は他人の目を気にしなくて言い分気が楽だった。
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ヴァイア鑑の一室で、パソコンのディスプレイに向かっているのは小柄な感のある少年だ。
優しい色の瞳は、地球からの母の便りを追い。それに対しての返事を送っている所だ。
(俺は元気にしてます。
リヴァイアスでの生活は思ったよりも快適で、それ程の不自由もありません。
暫くは忙しいと思いますが、落ち着いたら週一で連絡します…)
「……っと。」
んーっ、とデスクチェアにかけたまま、昴治は大きく胸を広げて息を吐き出す。
「はーっ、母さん心配性だからな。毎日メールを出せなんて言うんだから…勘弁してくれよな。もーっ」
もう一人の息子が全くと言って良いほど連絡を寄越さないものだから、余計に聞き分けの良い長男に無理を通してしまうのだろう。
IDカードを確認すれば、23:03との表示。
明日も業務がある…約束はしたものの、なかなかやってこない友人に昴治は焦れた。
てしっ、とノート型のパソコンを閉じてホーム(母星)から持ち込んだ荷物を触る。
もともと、大した準備はしてこなかった。それに、事件の経験から何時でも迅速に行動できるように必要なモノをまとめる習慣がついてしまっている。おかげで、バッグは何時も一杯で、部屋は妙に生活感に乏しい。
「んー、もう少し出した方がいいかなぁ」
時間潰しもかねて、昴治が荷ほどきを始めようかとした時に、来訪者を告げるコール音が部屋に響く。
待ちかねた人物がやっと来たかと、フォンごしに訪問者の確認をとる。
「イクミ…?」
「遅くなりまして〜、こんばんわ〜、昴治くん♪
悪い、話明日にしよっか。VGの連動にちょっと手間取って遅くなったし。昴治、明日も業務あるだろ?」
「…変な気の使い方するなよ。別にいいよ、少しくらい」
凄惨を極めた傷跡――リヴァイアス事件以降、優しい親友の態度に変化が現れてるのを、少年は、しっかりと読み取っていた。
ちょっとしたことでも、確認をとる。
こちらの意思をきいて、次へ進む。
昔のように強引でマイペースな道化を演じながら、その実、奇妙なほど臆病に。一歩踏み出しては、その足を直ぐに引き戻す。そして、つま先だけを今度は踏み出してみる。そんな、異常なまでの慎重さ。
「ども〜♪ お邪魔します」
呑気な挨拶をしながら、イクミは部屋へ入る、と。何やらしきりに感心している様子。
「はぁ〜っ、随分キレイに片づいてるなー。
片づけ上手のお掃除好きなんて、昴治くんたら、いいお嫁さんになれるよん♪」
「…『お嫁さん』になってどーすんだよ、バーカ」
「俺が貰います!!」
「……あ、そう」
イクミの軽口を右から左へと聞き流して、昴治は紙コップにお湯を注ぐと、フィルム状の紅茶を一枚溶かして差し出した。
「ほら、インスタントだけど。紅茶ダメじゃないよな?」
「へーきですぅ。サンキュ、昴治」
ベッドサイドに腰を落ち着ける昴治は、適当に座れよ、とイクミを促した。
薦められるままに、紫紺の髪の少年は友の右隣へ座った。
「はーっ、美味しいですv」
「そう?」
「何処のメーカー?」
「さぁ? あおいに貰ったから。あいつ、こーゆーの結構ウルサくてさ」
一口、二口。
上品な香りを楽しむと、VGパイロットをつとめる、才能豊かな少年は、どこから説明すべきか唸った。
「昴治、今度の航海の危険性とかってのは…聞いてる?」
「…? ネーヤ……スフィクスとのリンクのこと?」
「そーれは、表向き。ま、そっちも危険っちゃー危険だけどねん。んー…」
言葉を選ぶ様子のイクミに、昴治は待ちの姿勢のまま紅茶を味わった。下手に急かすのもよくないと、のんびりと構える。
「リヴァイアスって、人類の希望ってやつじゃない?」
「ああ…」
「じきに、世界はゲドゥルトの海へ沈む。けど、ヴァイア鑑があれば、人類は滅亡しなくて済むかも知れない」
「……そのために俺達がここにいるんだろう?」
裏のない、真っ直ぐな想いに、イクミは哀しそうにした。
使命感でもなく、安っぽい正義感でもない。ただ、感情の赴くままに『そうであること』が正しいと声を上げる。
人の、優しい部分だけで出来たような愛しいひと。
そんな真正直な彼を、裏切る現実が疎ましい。どうしようもない程無力な己が、憎くすら在る。
「…つまりさ、ノアの箱船ってヤツ。知らない? ほら、聖書の中の有名な話」
「………そりゃ、なんとなくなら知ってるけど。」
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奢り高ぶった人間に神の怒りは大洪水となって襲いかかる。
「ゲドゥルトの海に沈む世界」
人の純朴な青年が、神に言われて造った一隻の船。
「死が支配する海原を、自由に往く、ヴァイア鑑『リヴァイアス』」
青年は神の言いつけ通り、つがいの動物たちを船に乗せ
「ヴァイア鑑の内でしか、生きられない人類」
新たな世界を造る
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「『新たな秩序』を創りだすには、うってつけの舞台だと思いません?」
「……よく、わからないけど」」
大きな瞳をしぱしぱとさせ、困惑するばかりで、理解には至らない昴治の純真さは逆に嬉しくもあった。
きっと、この綺麗な魂は、強欲な罪の存在すら知らぬのだろう。
それは甘美な ―― 絶対普遍的支配。
「つまりね〜、俺達が頑張って調べたヴァイア鑑のデータそっくり盗んで、政府のそれは壊してしまおうっていう悪い人間がいるんだよね〜」
先ほどまでとはうって変わって、ケロリと軽い調子で言ってのけるイクミに、昴治は尚も不思議そうに首を傾げている。
「そんなことしたら、自分たちだって…」
「ん〜、そうそう。そこなんだけど。
地球連邦政府に反感持ってる連中っているんだよね、そいつ等が、今の政府をひっくりかえすのに、ヴァイア鑑っていうのは切り札になるんだ」
わかる? と優しく覗き込んでくる翡翠石の眼(まなこ)が二度、三度瞬いて、ハッと昴治は息を呑んだ。
「? ……、! ノアの…箱船……。人間の取捨選択……ッ!?」
「ピーンポーン♪ 大正解です、大当たり、オメデトウ、オメデトウ。」
何かの番組でみたようなマスコットの物真似をするイクミに、昴治は深刻な顔をして詰め寄った。
「なんだよ、それっ! 本当なのか!?」
「…確証はないけどね、ま・間違いないんじゃないの? そういうわけで、ブルーみたいな危険人物を治安部において艦内に目を光らせたり、祐希クンみたいな大暴走する青春十代をVGパイロットのリーダーに据えたりして、リヴァイアスの戦力を高めてるわけだよん。
と、いうわけで。祐希はともかく、ブルーやら俺には部署変更の権利はないわけ」
どういうことかと、目を見張る昴治に、イクミは困った風に微笑んだ。
「……色々あるからさ、でもイヤじゃないから別にね。おかげで昴治を守れるし?」
「…泉を、の間違いだろ?」
揶揄る昴治に、イクミは参ったな、と神妙に口を開いた。
「こずえとは、もう終わってるよ」
「……え、そう……なんだ?」
「ん、あっちから言い出したことなんだけどね、お互い納得して別れたから。
――正直、まだ気まずさとかはあるけど。
でも、お互いの道を生きようって約束したから、さ」
「………そう」
「今は、これでよかったと思ってる」
「……うん」
苦い想いと共に、イクミは年の割に幼い仕草と顔つきの、甘え上手な彼女の別れの言葉を思い出す。
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ねぇ、ちゃんと、別れよっか。私たち。
どうして、って…。訊くのはズルイよ。分かってるくせに。
私たち、お互いを、好きだと思い込んでいただけだよね。
私、ちゃんと好きだと思ってた。
でも、違った。
あの時、イクミを止めたのは。
止められたのは ―― 私じゃ、ないよ。
ホントは分かってるんだよね。
私ね、イクミの事は大好き。
勝手な事ばかり言って、ごめんね。
今まで、ありがとう――。
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「オンナのコは強いよな。うん、偉大だわ。俺なんて、殴られて責められても、文句言えないのに」
「……イクミ。御免、俺…」
「あーあー、全然だいじょーぶ。昴治が気にすることじゃないって。さ、てっ、と」
飲み終えた紙コップをダストボックスにほうり投げて、イクミはそのまま後ろへ倒れ込んだ。ベッドのスプリングが気持ちよく弾む。
「あーっ、疲れた〜っ!! こーんな時間まで働かせるって、労働基準違反だと思いません? 無茶苦茶だよなぁ、ったく」
「おつかれさん。…明日は何時から?」
「明日はオフだよん♪ パイロット組は全員休日なり。緊急要請に応えられるようにはしておけって言われてるけどね〜」
「ふーん? けど、本当にこんな時間まで根を詰めてやんなくちゃいけないのって、さっきの話が関係してる?」
「まぁね。何時なんどきって、ね。基本動作のソリッドと、緊急時のそれ。一応、実戦に対応できるだけのモノは組み上がってるよ」
どうやら本気で疲れ切っているらしく、一度ベッドに横になれば泥のような睡魔が襲いかかる。
「実戦…か。穏やかじゃないよな……、今度の旅も」
「こんな曰く付きの船に乗る以上、仕方がないんでない?」
「そうだけどさ…。今の話、みんなには話さないんだろう?」
「――様子をみてからだよね、そういうのは。相手が攻めてきたら、ちゃんと説明した方がいいし、何もないなら黙ってるべきなんじゃない? 何処にスパイが混じってるかもしれない状態なんだし…」
諜報員、という単語に昴治はリヴァイアスの重要性と危険性を今更ながらも、実感する。
思い詰めた表情で俯く少年の、蒼の眼差しは翳り不安に揺れていた。
一度、味わってしまった恐怖を。絶望の中で足掻いた煉獄の記憶を、思い起こしてしまったのだろう。
あんなことが。
――…再び、起こってたまるものか、と。
そんな親友の気持ちを汲みとってか、ただ単に沈黙に耐えきれなくなってか、いきなりイクミがジャレついてくる。
「こぉ〜っじくん♪ はい、ゴローン♪」
「は? え? うわっ!?」
歌い調子の台詞通り、イクミは昴治の両肩に背中から抱きつくと、後ろへ引き倒した。
ばふ。
平仮名で書いたような、間抜けな音と共に、ベッドが二人分の重みで沈んだ。
「〜〜〜〜っ、イキナリ何するんだよっ」
「まーまーまー、はい、ねてねて♪」
小さな子どもをあやすように、昴治の背中をぽふぽふと軽く叩くイクミだ。
「無茶苦茶いうなよ…ったく」
猫科の親友に呆れて溜息をつく。
「明日はオフだし、もうこのまま寝ます〜」
「って、……コラ、眠るなよ。着替えもしないで寝るなって、イクミッ」
「昴治くんのケチ……」
「そういう問題じゃないだろ、ダメだって…、もーっ」
ベッドにへばりついて動こうとしない親友に仕方がないなぁ、と、困った顔をして見せて。
それでも、疲れているのかと心配するのは骨の髄まで染みついた『お兄ちゃん気質』のためだろう。
「もぉ…、じゃ電気消すからな」
「はいは〜い♪」
「……はぁ」
お許しが出て、上機嫌にイクミは返事を返すが。呂律がちょっとアヤシイ。そういえば、よく寝ぼけるタチだったなぁ、と。友人の悪癖を思い出す昴治。
お互い、まだ成長過程の身体つきなので、寝床はそう窮屈でもなかった。もともと、将来のことを考えて少し大きめにデザインされているのだ。
二人で潜り込んだ寝台で、寝心地のよい位置を探る昴治に、イクミが半分眠りこけた声で囁いてきた。
「あしたさ…朝ご飯、一緒にいこうぜ。昴治」
「? 別にいいけど…、オフじゃなかった?」
「そうなんですけどね〜、色々。やっておこうかと思ってて。ほら、後輩も来ることだし、先輩としては、びしーっと…やることやって………」
「ふーん…?」
既に睡魔に捕らえられつつある親友の先輩としての心意気とやらを、昴治はさらりと受け流し、眠りにつこうと目を閉じた。
「おやすみ、イクミ」
寝ぼけ始めた相手に聞こえているかどうかは定かではないが、とりあえず、そう呼びかける昴治に、意外な質問が投げかけられた。
「なぁ…、昴治。ほーせんとつきあってるのか…?」
「え……?」
驚きにぱちくりと両目を瞬かせれば、闇に慣れた視界の中に、不安そうな緑の対が揺れていた。
「なんだよ…急に?」
「……言わなきゃ、泣くぞ」
「……………泣くぞ、って。なんだよ、それ。も〜」
十七にもなった。
しかも、VGのパイロット部署を担当する極めて優秀な男が口にする台詞とは思えずに、昴治は思わず苦笑した。
「あおいとはつきあってなんか、いないよ」
「……………ホントですか、昴治くん」
「本当だって。幼馴染みの延長で仲良くしてるけど、それだけ。大切だけど、友人としてだよ」
「そっか……、よかった…」
ほっと胸を撫で下ろしたイクミは、そのまま心地よい誘いのままに意識を手放す。
「けど、なんでそんなこと尋きたがるんだよ、イクミ……、イクミ?
……寝てるし。なんなんだかなぁ、もぉ」
とっても幸せそうな友の寝顔に、勝手なものだと呆れつつ。
それでも、毛布を肩口まで掛けてやる様は、面倒見の良い『兄』そのものだ。
もしかすると、弟へ向けられるべき愛情が行き場を無くして、周囲の人間に自然に与えられているのかも知れない、が。
今はただ、よい、夢を。
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こども達の、明日を信じて
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2007/07/14 加筆修正