act.3 心
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 相葉祐希は苛立っていた。
 原因も理由も思いつかぬ焦りが胸の内で消化不良を起こし、常に誰彼に殴りかかりたい衝動に支配されている。
 いつもの――…、いつものことだ。
 万年反抗期などと、例のお調子者に非常に不本意な表現をされたこともあるが、過去のそれとは多少の違いがある…気がする。
 昔は、リヴァイアス号事件以前は、ただ闇雲の腹立たしかった。何もかもに、いわれのない難癖をつけて否定したがった。まさに『第二次反抗期』そのものの兆候だ。
 けれど、現在(いま)は――…、胸が詰まる想いがするのだ。ココロだけが一人でに迷走してゆく。
 それも決まって、ある人物のことを考えると。
「……アニキ。」
 ピピピピッ…。
 IDカードからの不愉快な電子音を片手で止める。
 祐希は元々から鋭い目つきを更に剣呑とさせて、不承不承起きあがった。
「……ンだよ、休みじゃねーか」
 目覚ましのリセットを忘れたらしく、IDカード内蔵の電子タイマーは七時時きっかりに鳴り響いたようだ。
 そのままうだうだと寝床で微睡みの時間を過ごすという考えも一瞬脳裏を掠めるが、ここ最近の寝付きの悪さをおもうと、そういう気分でもなかった。
 選択の余地もなく、リヴァイアスきっての優秀なパイロットである少年は泥のように重い身体を無理矢理動かした。
 クセの強い黒髪をカシカシと乱暴にかき回すと、寝ぼけた頭を冴ますためにシャワーブースで湯を頭からかぶったのだった。

 
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 リヴァイアスにおける就業システムが未だベータ状態のために、食事時間のごったがえは相変わらずだ。
 搭乗から一週間までが部署変更申請時期なので、それを過ぎればこの混雑からも解放されると自分に言い聞かせて、食事のトレーと共に適当な場所へ陣取る。熱いスープをスプーンでかき回して、ぼんやりとする。
(明日、志願者と顔合わせって言ってたな…)
 十分に冷ましたカップスープを口許へ運んで、リヴァイアスが誇るエース・パイロットは苛立ちのままに舌打った。
(遊び半分の足手まとい野郎なら直ぐにクビにしてやる…!)
 不穏な決意を固める祐希くんだが、そこへ耳に馴染んだ声が二人分、届いた。
「昴治〜、こっちこっちv 空いてるぜ、早く♪」
「イクミ、判ったから。そんなに引っ張ると危ないって、も〜」
 !!
 どちらも、男性というには柔らかみを多分に含んだ透明なそれ。よく聞き馴染んだそれらを間近にして、意識を内へ向けていた祐希は飛び上がるほどに驚いた。無論、表面上は平静そのものではあるが。
 視線をあげて姿を求めれば、右斜め前の微妙な位置に声の主等が席をとっていた。
 ――昴治は、向こう側。連れの尾瀬イクミとは顔を見合わせる方向だ。そして、同部署に勤める快活なパイロットの少年が、一瞬、不敵な表情をしていたのは決して見間違いではない。
(……あの野郎ッ!)
 完璧に祐希の存在に気が付いている――というより、わかっていて故意に兄を自分の傍へ誘導したのだろう。性根の悪い友人に、嫌気がさす。すっぱりと縁を切りたい程だ。
 ちなみに、昴治といえば。親友の計算高い計画にも溺愛の対象である弟の存在にも全く感づくことなく、のほほんと朝食を味わっている。
 イクミの天才的なリードと、昴治の天然さが相まった結果とはいえ、相変わらずのぼけっぷりに、安心するやら腹立たしいやらの祐希だったりする。
「昴治って、あんまし食べ物好き嫌いないよな〜?」
「そう…かな? でも、イクミだって何でも食べるだろ。別に特別な事じゃないって」
「うーんにゃ、偉いって。食べ物を粗末にしない姿勢はなかなかですぞ〜♪」
「あ、でも。内蔵はダメかな…、身体には良いんだけどさ。成る可く食べたくないかな」
「じゃ、豚の足とか羊の脳とか、サルの手はいけます?」
「………そういう一般的じゃない食べ物について聞くなよ。第一、それはもうゲテモノだろ」
「あっまーい。ゲテモノといえば、蟻の躍り食いとか、水ゴキブリの姿煮とかあるんだぜっ、全然甘いね。昴治くんっ!」
「ゴキブリの………姿煮〜っ!?」
「あれ? 食べてみたい? 興味在り?」
 思いっきり首を横に振る友人の様子に、へらっと表情を崩すイクミだ。
「はぁ、もーっ。想像しちゃったじゃないか、飯時にンな話するなよなっ!」
「ごめんごめん。昴治くんたら繊細〜♪」
「普通の反応だろ、今のはっ」
 などと、ちょっとご飯時の会話としては疑問ではあるが。なんてことはない二人の日常的な会話が祐希の耳に届く。
 実に、四日ぶりの兄の声は心を波立たせた。
 VG組はソリッド作成と操作連動の確認でほとんどコクピットにカンヅメ状態で、緊急要請でも無い限りはブリッジからの通信も絶たれ、個人で自らの仮シフトにならって動いていたから…昴治の姿を見るのも、声を聞くのも本当に丸々四日ぶり、なのだ。
(兄貴…、本当に見かけなかったよな……)
 リヴァイアスに搭乗してからというもの、祐希は特に大人しくしていたつもりはない。以前のような無駄な諍いを自分からふっかけるバカな行動こそ減ったが、それでも初日のブルーとの一戦を皮切りに、日々、喧嘩に明け暮れていたのだ。
 なのに、兄は一向に姿をみせなかった。
 昴治は昴治で忙しかった所為もあるのだろうが、しかし、心許ない感傷に胸が締め付けられる。
 手の掛かる暴力的な弟の面倒など、もはや関わっていられぬと。切り捨てられたのだろうか…?
(って、俺なに考えてるンだよっ! 違うッ、俺が捨てたんだッ!! 兄貴なんて、要らねェ……!! 必要ねぇんだ!)
 ふるふると、軽く頭をふって弱気な自分を叱咤する祐希だ。
 そんな弟の葛藤を知るはずもなく、穏和な兄とその最も近しい友人は話題をこれからの予定へとかえていた。
「俺はこれから仕事だけどさ、イクミは何するんだ?」
「んー、コクピットでソリッド組みかな」
 暇が無さそうに見えて、意外に時間を持て余す少年がこれからの予定を話した。
「え…でもそれじゃ、折角の休みだぜ? 何もやることがないにしたって、部屋でゆっくりしたら?」
「やることがないって…、余程の暇人じゃないですか? それじゃ、俺。
 オリジナル・ソリッドを組んどきたいんだよね、戦力補強しときたいんだよねー。
 VGの操作効率とパターン効率を上昇させて戦力を底上げしたいんだよな」
「オリジナル…?」
 お気楽極楽ノーテンキがモットーの友人の言葉に、聞き慣れない言葉を発見して昴治がきょとんとしてみせた。
「そっだよ〜ん♪ 今のシステムってどうしてもタイムラグが長いんだよね、複雑な動作になればなるほど、ね。
 VGを動かしてるソリッドってその場で繋いで組み合わせてるんだよな。
 一度ベースソリッドとして組み込まれたデータは読み込みなおして復活させなきゃダメでしょ?」
「ああ…コンピューターが対応仕切れないんだろ。膨大な情報量だもんな、確か、データの復活にも時間がかかるんだろ?」
「そうそう、だから時間的なタイムロスがあってねー、どうしても後手になっちゃうんだよね。
 それを解決できないかなって、さ。
 瞬間的な動きが可能になれば戦略の幅も増えるし、危険率も下がる。色々な状況に素早く対処出来るからね♪」
 友人の心強い将来の展望をきいてきょとんと瞳を瞬かせる昴治に、イクミは、あれ? と困ってみせた。
「…もしも〜し? 昴治く〜ん??」
 おどけた仕草ながらも本心からの心配の言葉に、昴治は感嘆の溜息をついた。
「は〜、凄いよな。ちゃんと色々考えてるんだ、正直驚いたよ」
「そ? 自衛手段だし、こーゆーこと考えるのって当然じゃない?」
 謙遜するわけでもなく、友の賛美を自然に受け流すパイロットの少年に、ふんわりと昴治は否定を返した。
「考えたにしたって、実際そのソリッドを組むのって大変だろ。やっぱ才能あるんだよなぁ……」
 思わず昴治の口から零れた、羨望とも憧憬ともつかないそれへ、イクミは言い含めるようにした。
「…才能、か。俺はこんな能力より昴治の『強さ』の方がスゴイと思うぜ?
 そーりゃ、ちょっと人より器用かもしんないけどさ、なんてのかな…全然次元が違うってのかなー。こう、比べられる程度のものじゃない位、昴治は凄いんだよねv」
「なっ、なんだよ急にっ。照れるだろ、ンなこと真面目な顔して言うなよなっ!」
 言葉通り頬を赤くさせて軽く睨んでくる昴治は…とっても、犯罪的にカワユイ。
(……祐希くんに見せつけようと思って真面目に口説いてンのになぁ。ああもう、昂治くんってば、殺人的に可愛い)
 などと、愛しい人と共に過ごす時間を、存分に満喫するペルシャのような少年。当然、鼻の下は伸びっぱなしだ。
 気を取り直して、二枚目っぷりと内包する狂気で名を馳せた少年は、にこにこしながら軽口を叩く。
「怒んない、怒んな〜い♪ 愛してるよん、昴治くん♪」
「………はいはい」
「ガーンッ! 酷ッッ! 人の愛の告白聞き流すなんて〜!」
「もー、わかったから。早く食べないと時間に遅れちゃうだろーっ!?」
 …健全な視点から見たならば、ただの仲睦まじい友人同士のジャレ合いのそれが、周囲の人間からはなーぜか恋人同士のラブラブ会話に聞こえたり。
 無論、現在のリヴァイアスに搭乗する子ども等の多くは、当時の尾瀬の姿を知るだけに、我関せずの賢明な判断を行っている。
 そして、自覚のない究極ブラコンの弟。相葉祐希にも、同列の感想を抱かせていた。

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「尾瀬のヤロウッ!」
 バスッと、マクラに拳を埋め込んで、祐希は、今現在最たる怨敵の名を呟いた。
 リヴァイアス号事件の折には、友とは呼べないまでも仲間であったはずの少年に対して、今やブルー以上の嫌悪の感情を抱いている祐希だ。
「…第一、アイツ。あんなことしておいて、今更親友ヅラかよ! ざけやがってっ!!」
 無限に続く絶望の中で暴走を続けた尾瀬は、その力を、その牙を、護るべき存在へとむけたのだ。
 赦されるはずもない間違いだ。極限の状況だったとはいえ、裏切りの果てに、兄の命すら奪おうと銃を向けたのだから。
 なのに、昴治は再び尾瀬の手を取り、微笑んだのだ。
 信じがたい、事実だ。
 元の鞘に収まったというよりは、以前よりも二人の絆が深まった印象すら受ける。
 それがなおさら、祐希のカンに触るのだ。
「ムカつくっ…、尾瀬も兄貴も…っ、変じゃねーかっ、なんで何もなかった風なんだよッ!! 殺そうとしたくせに、殺されかけてっ…後遺症も残って…! なのになんでっ!! クソッ…バカ兄貴ッ!!」


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 リヴァイアスを降りてから。
 入院と通院で顔を合わせる機会が少なかったとはいえ、同じ屋根の下、同じ部屋、しきりひとつで隔たれた空間で生活して…。
 ――…昴治は一度も、自分の傷や黒のリヴァイアスで漂流した日々についても、祐希に語ることはなかった。
 以前と変わらぬ日常に溶け込んでゆく。そんな中で、リヴァイアスでのことは暗黙の内に禁忌となっていたのだ。
 ――ただ、何事もなかったかのように振る舞う。
 母も、気を使ってくれていたのだろう。悪夢の逃亡生活について、一切触れる真似はしなかった。
 以前とは、確実に違うはずなのに。それを無視してムリヤリ見えない場所まで押し込みフタをして、まるで全く変わらぬかのように家族を演じる。
 滑稽、だった。
(……兄貴には…俺を責める権利がある。あの時俺は…、俺はっ……)
 酷く、無様だった。
(死ぬかもって…、…わかってて……。俺・は…――!)
 アニキを、コロそうとした
 突如として、無機質な少女の声が広くもないプライベートルームに大きく響いた。
「!? なっ、ンだよテメェ!! どっから入りやがッた!?」
 驚いてあげた視線の先には、奇抜なメタリックピンクの衣装に身を包んだ美少女。膝ほどまでもある色素の薄い髪がよく似合っている、深い深紅の眼差しをした無表情な彼女へ、何処か異質な気配を感じて祐希は警戒を強めた。
 アニキがシぬ… イヤだ…… イヤだ
「……! …な…に…?」
 再び、彼女が口にした言葉に祐希は息を呑む。
 シなないで イヤだ……イヤ。イヤだッ…
 異常な少女の振るまいに、カンのよいエースパイロットはその正体を察した。
(――ンだよ、もしかしてこいつが…この艦のスフィクスか?)
 スフィクスが人の心を読みとる感応能力を有していることは、公式にも発表されている。特に、ヴァイア鑑のクルーは全員リヴァイアスの最重要事項『スフィクス』について頭にたたき込まれている。実際目にするのは始めてでも、目の前のコレがそうなのだと祐希は理解した。
(だとしても…なんだってんだっ、ウゼェな)
 心を暴かれる不愉快さに、祐希は苛立った。
「おいっ! テメェ、スフィクスなんだろ!? 勝手に部屋にはいるな、さっさと出ていけっ!!」
 語気を荒くする少年に、少女は軽く一瞥をくれると、祈るように胸の前で両手を組み囁いた。

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 シ なないで… スキ


   ―――ア、イシテ、……ル


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「………ッ!?」
 可憐なスフィクスは、まるで綻ぶ華の如く微笑んで。そのまま現れた時同様、ふいに空間に溶けて消えた……。
「今の……スフィクスだよな」
 何を思いついたのか、見る間にアウトロー少年の顔が赤く染まった。
 珍しくも激しく動揺し、辺りに他人(ひと)が居ないのを思わず確認してしまう。プライベートルーム内なのだから、他の人間が存在しているはずもないのだが。それにも関わらず、せわしなく周囲を見回す様は、喜劇的ですらある。
「くそっ、…なんなんだっ! なんで俺が、あんな…!! ンなわけねぇっ!!」
 ――…兄の背中を必死に追いかけていた記憶の中で、飽きるほど繰り返していた言葉。
 無邪気に、無条件に、それこそ何の見返りも求めず。
 両手に抱えきれないほどの想いを。
 いつからだろう…、それまで絶対であった彼の存在に、疑問と苛立ちを覚え始めたのは。
 原因も理由も、出所すら判然としない…若さゆえの反抗心は、今となっては自身ですら、手に余るほど。
 スキ――から、キライへ。
 キライ、から、憎悪が噴き上げた。
(…憎い…? ああ、そうだッ。俺は兄貴が憎かった…っ!
 大した能力も無いくせに、『兄』ってだけで、デカい面しやがって。何時もいつも、俺を見下しやがる!
 何かあれば、被害者ヅラして、へらへら笑って! そのくせ、俺が欲しいモノを横から掠め取ってッ……)
 ……俺が、欲しい…モノ?
 不快気に表情を歪めていた祐希は、ふと導き出された疑問を前にぱちくりと群青の瞳を瞬かせた。
 欲しいモノ、手に入れたいモノ。
 自問自答して直ぐに思い当たるのが、幼なじみの少女のこと。
 世話焼きで、気が強くて、ちゃっかりしていて…ほんの少し寂しがり屋の元気な少女。
(……そうだ…俺、あおいのことをッ…、……あおいの、事を?)
 考え込むのは、今まで当然のように感じていたそれが正しくないように思われたから。
 淡い恋心を抱いた相手である元気印な少女は、地球に戻ってからよく昴治と会っているようだった…。
 時には兄の部屋へ上がり込んでることもあった。端から見ても、仲睦まじい恋人同士。そんな二人を目にする度に、胸の奥がチリッと灼けた。なのに――?
(……俺…、コイツにのってから全然…あおいに会ってねーし。姿だって見てないってのに……)
 気にも、留めていなかった。
 それどころか、兄の動向を意識して、其方で手一杯になっていて。
 この現実に、そんな自分に、愕然とする。
 まだ、年端もゆかぬ頃の自分の、無心な愛の声が届く。
 瞬間、天才の誉れも高き野性的な少年は、ある結論に思い当たった。
 さーっ、と目の前の濃霧が晴れていくイメージ。
「………マジか…? マジ…だよな…。
 …………………………………………マジかよ……」
 本当に急激に理解してしまった自分の心。
 否定しようにも、そうであれば今までの暴走に全てに説明がつく。
 どうしようもない苛立ち、反発、暴力。
 これらの理由は、実に単純かつ明快な、一つの感情からもたらされたモノだと。
「勘弁しろよ…、キョーダイだっての」
 思い悩む青少年の脳裏に、先ほどのスフィクスの台詞が反芻した。
 それはとても、――美しい言葉。
「……云えるかって…バカヤロ…。簡単に口にだしやがってっ………ムカつく…」
 スネた顔に朱が混じる。
 的はずれな八つ当たりは、神秘の少女スフィクス・ネーヤの耳に入ることなはかった。

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2007/07/14 加筆修正



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