act.6 交錯
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 黒のリヴァイアスにおける覇者の一員として名高い、エースパイロットは、一人でいた。必要な物資を一時保管しておく第一倉庫には人気もなく、物音一つ無い。
 時刻は夕刻と呼ぶそれで。
 おそらく倉庫を一歩踏み出せば、人々の生活の音を感じることができるのだろうが、この場所は静かに冷えて肌寒くすらある。
 IDカードを確認すれば、時刻は19時を回ったところ。
 待ちわびる相手との約束は、20時なので、後一時間弱。
 心の準備をするためにも早めに倉庫へ着いたのだが、失敗したようだ。周囲の静寂が重く圧し掛かり、思考が悪い方へと転がってゆく。
(なんて言えばいいんだよ…)
 一旦覚悟を決めたこととはいえ、やはりどうにも心が定まらない。
(……謝るんだ。まず兄貴に謝って、兎に角今の状況をどうにかしねぇと…)
 実に今朝方自覚したばかりの感情とやらを告白する気はさらさらない。唐突過ぎて信じてもらえないだろう。それに、まだそこまでの気持ちの整理もついていないのだ。
 第一歩として、とりあえずの目標が『仲直り』なのだから。
 何もかも、それから。
 最初が肝心だ。まず、兄の顔を見たらすぐに頭を下げて謝罪して、甘い考えかもしれないが、おそらく昂治は許してくれるだろう。
 深くなった溝を埋めるには時間は掛かるかもしれない、けれど、最終的には兄は自分を受け入れてくれるだろう。その程度のうぬぼれは持ってはいいのではと思う。
 これからの命運が全て己の行動にかかっているとなれば、……気が滅入るのも道理か。リヴァイアスに搭乗されている対戦闘型のVGを駆り敵を薙払い、四百からのクルーを守って戦っていた時に感じていた緊張感は、却って気分を高揚させたものだが。
(……クソッ)
 心許なさに少年は黒の眼差しを揺らめかせるのだった。

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 少し早めに夕食を採り終えた昂治は、IDカードに記される時刻を確認してから、特大のため息をついた。
 黒のヴァイア鑑は上部に星と緑の『ヒーリングルーム』中央には各自催しの主催舞台となるふきぬけの大広間、後部には『リラクゼーションホール』と倉庫群という設計だ。その、倉庫の方へ足を向け、入り口の辺りで昂冶はウロウロとしては嘆息する。
「困ったな。こっちの倉庫って立ち入り禁止なんだ…」
 リヴァイアス搭乗からまだ一週間も経っていないこともあり、艦内規約上では一般の立ち入り禁止エリアがあることは知っていたが、その範囲に第三倉庫が相当する事は現在問題に直面して把握したのである。
「祐希、ここで待ってるんだよな? …どうやって入ったんだろ…?」
 これでもか、と言わんばかりに存在を主張する赤と黄色のストライプの看板には、KEEP OUT の大きな文字。
 ブリッジに連絡を入れて、といった手段も、緊急ならば使えるのだろうが、極々プライベートな問題でそれは無理な相談というものだ。
 途方に暮れる少年は、再度時刻を確認して、ちょこんと小首を傾げて考え込んだ。
 最終的な手段が、ないこともないのだが。
 流石に、といおうか。
 良心の呵責を感じてしまう。
 思い悩んだ末に、昂冶は彼女の名を呼んだ。
 リヴァイアスの化身とも言うべき神秘の存在、未知なる生命体『スフィクス』の少女の、その可愛らしい名前を。
「……ネーヤ」
 空調が完全に制御されている艦内において、起こるはずのない風が吹き抜け。
 生活感のない、倉庫までの冷たい通路に、まるで花が咲きほころぶ気配がして、ほの灯る姿で一人の少女が呼び声に召還された。
「コウジ?」
「ネーヤ、ごめん。ちょっといいかな?」
 少年の様子に、可愛らしい仕草で少女は小首を傾げた。
「なーに?」
「お願いがあるんだ。その…よくないことだとは分かってるけど。ここのロック開けてもらえないかな?」
 言葉も態度も控えめな、すっきりと愛らしい顔立ちの少年へ、ネーヤは不思議そうにした。両手を後ろに組んで大好きな人の、綺麗な眼(まなこ)をのぞき込む。
「ドウシテ…? 必要ないよ?」
「……駄目、かな」
 スフィクスの少女の思ってもみない拒絶に戸惑いながら、昂冶は頼み込むようにした。
 と、ネーヤは先程と同じに首を横にした。
「……違うの。コウジ、入れるの。ID、認識サレてるから」
「え…?」
「特別。……だから、必要ナイ」

 まさか、ネーヤが嘘を吐くはずがない。昂冶は驚きを隠せぬ表情で、おそるおそるIDカードをロックキーへ通してみた。
 と、ピピッ、という小気味の良い発信音の後、すんなり口を開ける黒色の扉。
「あ…、ホントだ。」
 仰天する昂冶へメタリックピンクの衣装に身を包んだ少女は、にっこりとした。
「ね?」
「うん、ありがとう」
「…んーん。こーじ、大すき」
「ありがとう、俺もネーヤのこと好きだよ」

「あり…がと」
 優しい言葉の与え合いに、心を愛情でいっぱいに満たして、彼女は幸福の中かき消えたのだった。

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 リヴァイアス艦内規約。
 そう、銘打たれた規則、言えば黒のヴァイアにおける法律であるそれに、尾瀬イクミはリラクゼーションホールでぼんやりと目を通していた。
 ホール内のカフェで軽食を注文し、備え付けの端末で己のIDに付加された能力を判定してみたのだが。
 ――随分と買いかぶられたモノだと嘲笑が浮かぶ。
「…Sランクねぇ、ほとんどの立ち入り禁止区域もフリーパスだし。緊急における権威は場合により艦長をも超えるものとする、か」
 はむっ、と卵サンドをくわえて、ホロ苦い珈琲と共に流し込んむと軽く首を左右にした。
「はぁ〜、それにしても昂冶くんはどっこに行っちゃったのかな〜っと」
 昼食後、ソリッド組み替えに奮闘し終えたイクミは昂冶を訪ね歩いたのだが、まるで神隠しにでもあったかのように姿を消していたのだ。
 結果、一人で寂しく夕食タイムと相成ったのだが。
 どうにも心許ないというのか、まるで胸にぽっかり穴があいてすきま風が吹くようだ。
「ねぇねぇ、聞いて聞いて! 私ねぇ、スッゴイもの見ちゃった!」
 ん?
 不意に、孤独に耐え忍ぶイクミの耳に、華やかなはしゃぎ声が届いた。
 おんや? と、肩越しに背後を伺うと、数人の少女たちがなにやら噂話に花を咲かせている様子。まるで小鳥がさえずっているような心地よい集いだ。これが男どもならこうはいかないだろう。やはり、女性という存在は潤いを与えるものなのだと、柄にもなく哲学的な思考を巡らせる。
「リヴァイアスの名物美形衆勢揃いだよォ!」
「えぇ!? いいな、いついつ!!」
「昼間ッ! 相葉兄弟の弟クンがいつものように暴れて、その時にねっ」
「話は聞いてるけど、なーんでそれで全員揃っちゃうの?」
 名物美形、と何ともくすぐったい総称だ。誰を指しているのか位、聡い少年は理解している。
 話題に自分も含まれているようなので、思わず耳をそばだててしまうイクミだ。
「も〜、見目麗しいったらぁ。しかもね、黒髪のすっごーーーーく綺麗な人いたのよ!」
「アタシも見たみた!! 知ってるよぉ、なんだかクールなの〜!!」
「えぇ〜っ、ズル〜〜イッ! ねぇ、その人名前なんていうのっ?」
「それはわかんないわよ」
「えぇ〜、もぉ。肝心なとこ抜けてるんだから、知りたーいッ!」
 ねーっ、と互いに顔を見合わせて華やぐ少女たち、そこへ――…。
「レインだ、よろしくな? お嬢さん方」

「………ッ!!?」
 ふいに、絶妙なかすれ具合のそれで名乗られて、彼女たちは一様に息を詰め突然の来訪者を見入ってしまう。
「レ、イン……さん?」
 一人が勇気を振り絞って、半ば自失状態で訊ねれば。
 ふわりと、魅惑的に微笑まれて、おしゃべりな小鳥たちは皆頬を染めあげ恍惚とし、言葉すら失ってしまう。
「わーぉ、ナンパですか。レインさんとやら。
 ……あーあー、色気と愛想振りまいちゃってェ。これは騒がれるなぁ」
 自分が座っているソファの背もたれに半分顔を埋める形で、背後の様子を実況中継する深緑の眼差しの少年。
 大きめの観葉植物がちょうど良い感じの陰を作り出しているのが幸いして、少女たちには感づかれていないが、娘たちへ向けられる華やかでいて蠱惑的な微笑みとは全く質の違う挑戦的な薄ら笑いを浮かべられ、一瞥される。
 やば、と思って慌ててクッションに沈み込むが、少女たちに別れを告げる相手の足音がこちらへ近づいてくるのを察して、イクミは観念した。
「よ? 覗き見に盗み聞きとは、いいご趣味だな?」
「……おかげさまで」
 はじめから存在に気がついていたのだろう。当然ごとく話をフッてくる青年に、尾瀬は軽く挨拶を交わした。
「ここ、座るぜ? それとも、先約でもあんのか」
「……どーぞ、お好きに」
 投げやり気味な返事に、くっ、と喉を鳴らしてレインはイクミと向き合った。
「なんかご用ですか?」
 わざとらしい敬語でパイロットの少年は伺いをたてる。すると、面白そうにレインは目を細めて返した。
「別に、…強いて言えば興味、だな」
「それは、どーも。俺も、アンタには興味あるけど?
 例えば、どーして、死に花なんて言われる花形部署にわざわざ申請してるのか、とかね」
 死に花を咲かす、と囁かれる。VGパイロット部署。
 こんな特異な職務を望む人間なんぞ、それだけで希有な存在だ。おまけに、申請希望したからといっても、能力が規定以上満たしていなければパスしないのだから。
 とりあえずは、自分や祐希といったレベルの技術を持ち合わす相手だと考えていいのだろう。
「興味があった。…それだけだな」
「それはまた、単純明快で…」
 互いに、腹の探り合いをするような会話が交わされる。
 そんな二人の様子を周囲の人間は、チラチラと伺っていた。
 リヴァイアスきっての名物美形が一人、甘いマスクと巧みな話術は無論のこと。彼が極限状態で曝した、鬼人(おにびと)にも等しき激情が人気に拍車をかけた尾瀬イクミと、謎の自信過剰な美青年が向かい合って、何事かを論じているとなれば、どうしても気に掛かろうというものだ。
「…なぁ、」
「なんだ?」
 右手にしたメニュー表へ視線を落としていた黒髪美形は、ぼんやりとした呼びかけに、そのままの姿勢で目線だけイクミへ流した。
「アンタ、事件当時の人間じゃないっしょ?
 なーんで、またこんな曰く付きの戦艦に乗っちゃったわけ。それも『興味』ってヤツ?」
 あけすけな物言いは、却って胸のすく印象を与える。
「まーな」
 お気に召す物が無かったのか、メニュー表を閉じながら、青年は挑発的とも捉えられる台詞を受け流した。
「ふーん?」
 世の中には色々な人間がいて、それぞれの考え方があることは十分に把握しているつもりだが、それでも物好きなヤツだと感想を持つのは仕方がない。
 まぁ、自分とてリヴァイアスへ再乗しているわけだから、他人ひとのことはいえないが。
 それにしても……。
 漆黒の艶闇と華々しい紅に彩られた美貌は、確かに美しいの一言。
 鼻筋の通った顔立ちに、血の通わぬような肌は透き通る程で、病的な程だ。一見儚い風貌だが、挑み掛かる眼差しとスラング語が絶妙にブレンドされて、なんとも掠れた色気を醸し出している。
 騒がれるのも、これでは無理はない。
「さって、と。じゃ、俺は行くわ」
「ありゃ、もうお帰りで?」
「…これじゃ、お前も落ち着かないだろ」
 苦笑するレインが指すのは、周囲の痛いほどの視線たち。
 初めこそ遠慮がちであったそれは、不躾なほど二人に突き刺さっている。
「なぁ」
「? 何だ」
 立ち上がった相手を押し留めて、尾瀬は言う。
「アンタ、VGのソリッドに詳しいのか?」
「そこそこな」
「ふーん、んじゃ。明日からでいいから、俺のソリッド組み手伝ってくんないですかね。
 ちょーっとややこしくてさ、手に余ってるんだよね」
 薄茶の猫っ毛をした少年は、明日からの同僚へ自分の手伝いを頼み込む。どうやら、尾瀬はブルーや祐希程に、レインに対して反発を覚えていないようである。
 意外な申し出に一瞬目を丸くして、幼い顔をしてみせたレインは、次の瞬間には、それこそ不敵に笑んで。
「ああ、いいぜ。また明日な」
 と、背中を向けた。

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 人気のない倉庫群は、薄暗く寒々しくあり、思わず昂冶は己の両肩を抱く仕草をした。
(さむぅ〜、ったく。祐希、第一倉庫とか言いったけど。その第一倉庫の範囲が広いんだっての、はぁ)
 無尽蔵にある倉庫群の中からたった一人の人間を見つけだすことは、困難を極めた。完璧なようでいて、どこか抜けている弟の性格が如実に現れていて、兄としては苦笑いするしかない場面ではある。
 カツ、カツ、カツ。
 靴音だけが黒の壁や床に反響して、無限の回廊を放浪している心地だ。
 このまま、闇が終わらないのではないかと不安に駆られる。
 ただの妄想に過ぎないとは判っていても、一度経験した死と隣り合わせの逃亡生活は、常に少年の心の片隅に居座り消え去ることはない。
「はぁ、ほんとに何処にいるんだか…」
 まさかとは思うが、ただの嫌がらせで自分をここへ呼んだのではないかという心配すら、してしまう昂冶である。
「兄貴」
「!」
 と、直ぐさま少年の不安は払拭された。
 十何年も共に過ごしてきた相手の声を聞き間違えるはずもない。
 たった、三日かそこら面と向かって言葉を交わすことが無かった、それだけで。
 何故か、胸をつく懐かしさがこみ上げる。
 鈍く尖った切っ先のような弟の、声。
 癖のある、甘えと自尊が複雑に絡み合ったそれに。
「祐希…」
 ふいに、前方のコンテナの影から姿を現した実の弟に向かい合い、昂冶は戸惑った。
 用事があるのは祐希の方だ。言い出すのはあちらの役目のはずだが、祐希は視線を己の足下へ落としたまま微動だにしない。
「………?」
 そうしたまま、五分も経っただろうか。とうとう、痺れを切らした兄は切り出した。
「話、あるんじゃなかったのか?」
「……あぁ…」
 そして、尚もだんまり。
 『兄』を長年勤めてきただけのことはあり。昂冶は、これが祐希の癖だということは分かっていた。
 言い辛い事。
 例えば、謝罪(ゴメンナサイ)。
 例えば、感謝(アリガトウ)。
 後は、自分の非を認める時。相手に屈服するように感じ、詫びを屈辱的に受け止めるのだろう、どうしても自分が間違っていたことを認めようとしない悪癖がある。
「……祐希?」
 こういう場合は、焦らず根気強く相手の言葉を待つのがコツだ。
 短気な弟あいてに、こちらも気を短く持てば、話はそこでおしまい。折角、あのとりつく島もない弟が自分の方から話があると持ちかけてきたのだから、兄としてはのんびりと構えて待つだけだ。
 なんとも気まずい沈黙が辺りを支配して、いい加減立ち通しにも疲れた昂冶は、背後の巨大コンテナへもたれ掛かって座り込んだ。
「………」
 意地っ張りな弟も、それに倣って隣りに腰を下ろす。
 すると、正面から向き合わないでよい体勢が功を奏したのか、やっと祐希が重い口を開いた。
「…なぁ、兄貴…」
「なんだ?」
「以前の航海のこと、覚えてるよな」
「……早々、忘れられるような体験じゃないだろ」
「…俺と尾瀬が…無茶苦茶やってさ」
「………あぁ」
「………俺は………あの時、……」
「祐希…。いいよ、それ以上は」
「―――ッ!」
 やんわりとした拒絶。
 祐希は、兄の言葉を否定的に受け止めて、表情に色を無くした。
 昂冶にしてみれば、今更、過ぎたことを蒸し返し弟の自尊心を傷つけてまで、謝罪を求める気持ちは無いのだと伝えたかっただけなのだが。
「あの時はみんなどうかしてたから、可笑しくなってたから…さ。
 ちゃんと解ってるから。だからいいよ、何も言わなくて。反省することは必要だけど、無闇に古傷を抉る真似はしない方がいいと思う」
 最早、昂冶の心の中ではリヴァイアスの悪夢は過去の遺物へと昇華されていたのだ。ふいに思い出される恐怖に足を竦ませることはあっても、昔に拘り続け後ろばかりを振り返ってしまう祐希とは、違う場所に立ち。かつ、歩き出しているのだから。
 同じ場所で足踏みだけ繰り返す自分とは大違いだと、初めて弟は兄の変化を感じ取った。
 成長しているのだ。それも、酷く、強く。優しく。逞しく。まるで、雛が大空に飛び立つような劇的な変化。
 昔よりもずっと落ち着いて、懐が深くなって、――何者にも囚われない自由な心を手に入れて。
「それじゃ、俺はもう行くから。
 お前も、いつまでもこんな所にいると風邪ひくぞ?」
 そして――その存在が、この距離が、果てしなく遠い。
 こちらを、振り替えしもしない兄を。
 まるで、うち捨てられた犬のように切ない激しい感情に襲われ。

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何をかを思う前に、背なから抱きすくめて、――いた。



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2007/07/14 加筆修正



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