act.8 スフィクス
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ブリッジに必要な面々が揃い、トントン拍子に話が進むかと思えば、そうでもなかった。
案の定、一悶着、沸き起こったのである。
「あ〜あぁ〜、ねむいね〜」
通路の真ん中で大きくノビをして欠伸を噛み殺しているのは尾瀬イクミだ。少し寝坊したので、まだ頭がぼんやりとする。
と、通路の向こうを歩く見知らぬ少女達に、だらけた様子をクスクスと笑われてしまった。
甘い笑顔を振りまきながら、ひらひらとその方向へ手をふると、きゃあきゃあと華やかな嬌声があがり、ぱたぱたと少女たちは足早に去って行く。
この平和を得難いものだと感じてしまう辺り、かなり中身が老成してしまっている。
あのような極限状態を経験をしていれば、当然と言えるだろうが。
「なーんか昂冶くんとすれ違っちゃって、全然会えないなぁ」
つまんないねー、と、ぼやく。
「ま、いっか。ブリッジへ行けば昂冶くんとも会えるし? って、お?」
と、前方に蒼い物体を発見し、イクミは姿を追いかけた。
「よ。はよーさん、ブルー」
「………」
ジロリ、と。
肩越しに、鋭き一瞥をくれる相手は無言のままで先を行く。
「ありゃりゃ、君、相変わらず愛想ないよね」
いつものことなどで、尾瀬の方もブルーの反応を特に気に留めることもない。元より、明るい挨拶など期待していたわけでもなく、それこそ、現実となれば空恐ろしい。
「昨日、副艦長とブリッジでレインのデータチェックしたんでショ?
どうだったかくらい、教えてくれたっていいでしょーに」
後頭部で両腕を組み、斜め後ろを歩く尾瀬は軽い調子でぼやいた。
「……パーソナルデータには、顔写真と名前のみしか入力されていなかった。それだけだ」
「へぇ……」
流石、自分自身でミステリアス・ガイを名乗っていただけはあるなぁ、と。
その徹底ぶりを呑気に感心する緑翠の瞳の少年だ。
「やーっぱ、なんとなくなんですけどね。
タダ者じゃないカンジ、しない?」
「………」
急ぐわけでもなく、ただ淡々と先を進み行く治安特務の彼は応とも否とも、返答しない。
その無言を肯定と受け止めて、イクミは話を進めた。
「薄々さぁ、……感づいてるでしょ? キミ。
祐希クンなんかは、天才のくせに、さすが昂治と兄弟だけあって、どっか抜けてるから。
――…全然気づいてないけど」
「…上、か」
核心を避けるようにして話を進める尾瀬の、言わんとするを察してブルーは言葉少なに返す。
「そう、上。それも、結構な、ね。雲の上。
……やー、世の中、必要のない人間って多いよな〜。うん。
消えてくんないかなーとか思うわけ」
「…事実関係を確認したのか」
「うんにゃ、それはアッチだってねぇ。なかなかしっぽをつかませないわけよ」
「……だろうな」
慎重に言葉を選んで会話を成り立たせる。
そのどちらも、霞がかかったような要領を得ない内容なのだが。
「ンで、君はどう考えます〜?」
「どういう意味だ」
「有事の際の、最優先は何かってこと」
「…決まっている」
だよね〜、っと。イクミは頭の上で両腕を組む。
「まだ、航海は始まったばかりだし、猶予はあると思うんだけどねぇ」
「悠長なことだな」
「ずーっと張りつめてるわけにもいかないからねー。
それに上だって、そこまで頭が回らなくはないと思うしねぇ。
今すぐ、そーゆーことすっと、流石に時期が悪いってわかってるでしょ?
よっぽどの馬鹿じゃない限り――あぁ、あんま上いくと、よっぽどの馬鹿もいるか。んー、困ったなぁ」
「…場合によっては、形振りかまわずくるだろうな…」
「でしょーねぇ。やーだやだ、大人ってキタナーイ」
軽口を叩くうちに、ブリッジの扉の前にたどり着く。
そして――…。
「はいよ、お待たせ〜♪」
「………」
軽快な空気音と共に、黒のヴァイア鑑が中枢であるブリッジへと現れる二人組。
周囲が、何とも言えぬ気まずさを漂わせて彼らを見守るが、少々不審に思うだけで三強が内の二人はズカズカと中へ歩を進める。
そして、リヴァイアスが覇権を掌握した過去を持つ、それぞれの少年は、まず、問題としている謎の青年の姿を認めた。
「遅いぜ、お前等」
艦長席の近くに陣取る問題の青年が言う。
「はいはい。ごめんね、今日からヨロシク」
「………」
それから、尾瀬は気安い挨拶をかわし。ブルーは何事も言うことなく壁を背にし、両腕を組む。ここまでは、なんら変哲のない風景だ。
「こーじくん〜♪ おっはよ……」
だが、イクミが愛しの人。親友である相葉昂冶の姿を求めてオペレーター席にちらりと視線を上げた瞬間に、全てが凍り付いた。
「……!!」
オペレーター席には、茶金の柔らかそうな髪質の少年がちょんと座っている。
実に半日ぶりの逢瀬に、イクミは心を躍らせたが、背後にある物体に度肝を抜かれた。
朝っぱらからハイテンションに苦笑しつつ、昂冶は親友にひらひらと軽く手を振る。
その笑顔はまさに花が咲き綻ぶようで、いつもならそれだけで幸せなのだが。
笑顔を凍り付かせたまま、新緑の瞳を剣呑とする少年はズカズカとオペレーター席へと近づく。
「? イクミ?」
普段とは全く違う様子の親友に戸惑い、昂冶は名前を呼ぶが、相手の視線は少年を素通りし背後の者へと突き刺さっていた。
「……なーにしてるのかなぁ、祐希クン?」
「テメーに関係あんのかよ」
表面的にはにこやかに微笑んでいる碧の眼をした少年の、その瞳は決して笑っていない。が、兄の背にべったりと張り付くひねくれ坊主とて劣らぬ迫力で相手を牽制する。
「……関係ないわけないっしょ、君、お兄ちゃんにどんなことしたのか忘れたわけ」
「ンなの、テメーに言われたくねェな」
「俺はきちんと謝罪したんですけどね。こっちこそ、君に言われたくないね」
「ハッ、謝れば済む問題かよ! 面の皮が厚いにも程があるんじゃねーのかッ?」
「……そっくりそのままお返しするよ。キミの厚顔無恥っぷりには呆れも通り越すね」
バチバチバチィ!!!
二人の少年の間で、激しく火花が散る。
睨み合う二人に挟まれて狼狽えるのは、人の良い少年だ。
「ちょ、…イクミッ、祐希……」
険悪なムードの中、クルーの面々は巻き添えはご免とばかりに遠巻きにしている。
無論のこと意識の半分以上は、リヴァイアス三強同士の諍いに向いているのだが。
「おーおー、仲良いねー。あいつ等」
呑気に呟くレインは、片手にいつの間にか珈琲を。
お茶菓子ない? などと、カラボナに聞いている。
元々、レインに対し好感情を抱いている女性クルーは二度返事で菓子を並べてもってくる。それは香ばしい色合いのクッキーだった。
「はい、どうぞ?」
ほんのり頬を染める仕草が少女らしく、なかなか可憐だ。
「さーんきゅー。ん、美味いな」
「ふふふー、人気商品なんですよ」
「なになに? 俺もくれよ」
「いいわよ。ユイリィも要る?」
「あら、いいの? ん。おいし」
「え? なに? どれ」
わらわらと集まるクルー全員に菓子が振る舞われ、強者たちの荒そう姿を他所に、お茶の時間だ。
その間にも、二人のパイロットによる醜い罵倒合戦は延々繰り広げられている。
「だいたい、君ね。
いろーんな事スッ飛ばしてなんでその位置にいるわけ?
いくら兄弟だからって、余りに図々しくありませんか?」
「ふん、ひがみかよ。みっともねェな」
「ブラコンにンなこと言われるなんて心外だねー」
「なッ! テメーこそっ、親友面して裏じゃどんな腹黒いこと考えてるかわかりゃしねーぜ!! この、サイコ野郎ッ!!」
「自分の尺度でしか人を測れないって、いっそ、哀れだねー」
「なにえっらそうにッ!! ふざけンなよ、テメーッ!!」
一方。
「隠し味にチコリの葉っぱを使ってるのね、ふぅん」
「ユイリィお菓子作ったりするもんね、参考になる?」
「おい、ヘイガーお前も食べないか?」
「いいえ、勤務中ですので」
「堅いこというなって、お前も少しは歩み寄れよな〜」
「…大きなお世話ですよ」
ブリッジクルーの和やかな談笑が広がる。戦艦最強の少年たちの争いに巻き込まれたくないが故、意識的に不穏な空気が流れる場所に背中を向けていた。
なんともちぐはぐなブリッジの在りように半ば呆れつつ、ブルーは沈黙を守る。入り口の辺りの壁に背中を預け、外の喧噪とは一線を引いた。
「ちょっ、二人とも止めろよッ!!」
不毛な言い争いの仲裁に割っている昂冶の言葉にも、二人、耳を貸そうとしない。
「兄貴は黙ってろ!! こいつとも一遍、きっちり白黒つける必要があンだよ!!」
「そうそう。昂冶くんはちょっと待っててね〜♪
この我が儘坊ちゃんには、一度ルールってもん教え込む必要があるからさ」
「……なんだよ、二人して。俺が関係ないってンならこんな場所で言い合うなよな!
どっか出てやれよ、迷惑だ。仕事にならないだろ!!」
人を騒ぎの中心に巻き込んで置きながら、口を挟むなと。そのような、在る意味横柄な二人の態度に昂冶は、元々、遠慮が少ないこともあって怒りを顕著にした。
「………兄貴…」
「……昂冶……」
大切に想う相手の、思わぬ怒りに言葉を無くす二人は、呆然とする。
『昂冶』という存在が、まさか『自分』を否定するとは露とも考えてはいなかった、そういう表情だ。
「喧嘩するなら出てけよな」
あくまで突き放した態度を崩さぬ昂冶に、一気に立場を悪くした少年達は全く同じように思考を巡らせた。
『とにかく、謝ろう』 と。
どれだけの怒りに駆られようと、所詮は骨の髄にまで染み込んだ『お兄ちゃん気質』。素直に非を認めて謝罪する人間へのそれ以上の断罪を求めることはない。
それどころか、相手が素直に非を詫びたのなら直ぐに赦してくれる。それが、昂冶の美点であり、欠点でもある。優しさは時に、甘さだと切り捨てられるから。
「……昂冶ッ…! わっ!?」
「…兄貴! って、な!?」
イクミと祐希が同時に謝罪を口にしようとした、その時。
奇妙なことに、リヴァイアスの艦体が大きく揺れた。
あちこちから小さな悲鳴があがり、すっかりくつろいでいたクルー達は慌てて持ち場へとって返し状況を確認して回る。
「なにが起こったのっ!?」
声を張り上げる副艦長に対して、クルーは状況報告を行う。が。
「ピンガー反応ありません!」
「システムエラー、チェックします!
……オールグリーン、異常認められません!」
幸か不幸か、艦体に著しい影響を及ぼす異常は認められなかった。
「……なにかしらね」
不安を隠せずにユイリィは呟き、そのままクルーへ指示を行う。
「原因が解明されないままだと、今後の行動に悪影響を及ぼす可能性があるわね。
ソリッドの全体的なチェックを行う必要性があると判断するべきね。
それこそ生命維持に関わる重大なエラーがあれば大変なことだわ。
偶数番はソリッドに問題がないか詳しく調べてちょうだい。奇数番は操舵に集中してください。そして――相葉くん」
「え、はい?」
オペレーター席で、昂冶は返事をする。
「鑑内に、今の衝撃は原因不明だと。おって、事後報告しますと伝えて」
「え…でもっ」
情報の隠蔽による信頼感の喪失は経験上、痛いほど理解している。しかし、得られた情報をそのまま流すだけでいいのだろうかと、戸惑う昂冶。
クルーのほとんどが似たような不信感を抱いたのか、ヘイガーは率先して意見を述べた。
「よろしいのですか、副艦長。
確かに、情報を流さないことには問題がありますが、やたらに不安を煽りたくないと常々おっしゃっていたのは貴女では?」
「ええ、そうね。
けど――少なくとも信頼は損なわれない。皆で考えて行くことが出来る。無論、片っ端から情報提供するんじゃ話にならないわ。在る程度の規制は必要だけと私も考えています。そして、今の情報は公開します」
信念に満ちた少女の言葉は、以前のような理想高いだけの薄っぺらなモノから、深みと厚みのあるモノへと変貌していた。
そう、多くの学生達がそうであるように、彼女自身もまた精神的に急激な成長を遂げたのだ。
「…わかりました」
ヘイガーは了承の意を示して己の業務に集中する。
「あの…」
そこへ躊躇いがちにオペレーターが声を掛けた。ユイリィは一つ、大きく頷くと先程の指示通りに動くことを求める。
「了解、……全鑑放送します」
昂冶は艦内へ現状報告を一般クルーに向けて発信し始める。
「尾瀬くんたちはリフト鑑に行って頂戴。
周囲安全が完全に確認されたら解除指令を追って通信します」
「わっかりました」
「………ッチ」
リヴァイアス内の緊急事態対処はダイレクトにVGパイロットの二人に委ねられる。それは極当然のことであって、二人、不承不承ながらもリフト鑑へ向かう。
それぞれ、昂冶に後ろ髪引かれる思いを抱きながらではあるが。
そんなゴタゴタの中、カラボナはふいに、在ることに気がついてきょろきょろと辺りを見回した。
「…レインさん、いなくなってるわ……」
「おい! 何、ボーっとしてんだ! 反応から目を離すなよ!!」
「わっ、わかってるわよ!!」
先ほどまで人の輪の中止ににいた存在が、手にしていた珈琲カップの中身もそのままに、急に姿を消した事実に不安を感じはしたものの、業務に追われ、彼女はその疑問を口にすることはなかった。
そして、もう一人、蒼の王者たる少年の不在には誰も気がつかなかった。
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人気の無いコンテナ倉庫の暗がり。
よろり、と。
頭を抑えて、痛みに耐えるようにレインは倉庫の壁にもたれ掛かった。
大きく息つく姿が衰弱を知らしめる。
(……おい、どーなってンだよ。いッ……ッう)
頭の内側から金槌で打ち付けられるようだ。
痛い、なんてものではない。
(母船になんか……問題でも……。
〜〜〜っい、ったくて、考えまとまんねー……)
ずるずると崩れ落ちれば、ひんやりとした床の感触が気持ちよい。
ゆっくりと紅の瞳を閉ざしながら、レインは手追いの獣の風情でいた。そして、そのままの態勢で少女の名を呼ぶ。
「――ネーヤ」
非常用の照明しか点灯されていない倉庫内は、薄暗くオレンジに照らされている。その、幻惑的な光景の中、一輪の華が咲いてみせた。
「……マーヤ…」
「は、お休み中。
俺はレインの方、レインだ。レ・イ・ン」
「――…レイン、痛イ」
小首を傾げて聞いてくる様子は、愛らしさに満ちている。感情が無いスフィクスの表情が微かに陰っている。
「あぁ…、まーな。
ネーヤ…判るか? あっちがどうなってるか」
しかし、少女は。
レインの質問に首を左右にして、片手を空へ掲げた。
「何モ…判ラ、ナイ。タダ、イタイ、気持チつたわる」
「そーか……」
未熟な、それこそ目覚めを得たばかりのスフィクスに、高度な精神感応の技術を求めるのは無理というものだ。
「…政府の方から、いずれこっちにも連絡が来るだろ…。
あんな無能共でも……多少は……」
ズグズグと、頭が響く。
「はー…、冗談じゃねーって。
――アイツ、無事なんだろうな…」
痛い。
そのまま、冷えた床に倒れ込む同胞の姿をどう捕らえたのか、可憐な少女の形をしたスフィクスは暗い紅色の眼を揺らしながらゆっくりと宙に解けた。
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昼過ぎ。
本日の業務も終了し、戦体に大きく奔った衝撃の正体も知れぬままではあるが、一応、周囲の安全が確認されたためにブリッジ内部での非常警戒が解かれ。オペレーターである昂冶も通常通り解放された。
少し遅めの昼食にするかと、茶金の髪をした少年は第二食堂へ向かう。その後の時間の潰し方を検討しながら、のんびりと廊下を歩いていた。
「はー、けど結局あの人のこと、うやむやになっちゃたよな。
しょうがないけど…今度逢ったら、俺もお礼言っとかないと。祐希を助けてくれたんだし」
これからどうしよっかなぁ、と。
艦内案内を個人IDで確認しながら呟く。
新しく整備された黒のリヴァイアスには充分な娯楽施設が備わっており、そのどれもが魅惑的ではあったが、一人で楽しむ気にはなれなかった。
「……部屋でオペレーター操作のマニュアルでも読むかな」
妥当な案に落ち着いた昂冶が、ふと視線を上げると、丁度真正面に見覚えのある少女が不安そうな表情で立ちつくしていた。
「!? ネーヤ……」
読んだ訳でもない彼女がいきなりこの場へ現れ、流石に驚きを顕わにする昂冶だが。相手の反応の是非には構わず、ネーヤと呼ばれたスフィクスは片手を差し伸べて切なげに声を震わせた。
「………たすけて」
「!」
「来テ、お願イ……」
「ネーヤッ、何かあったのか?」
険しい表情で問いてくる昂冶へ、ひとつ、コクンと頷く少女。
「……コッチ…」
必死に助け手を求める少女は、ゆっくりと昂冶を先導したのだった。
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2007/07/15 加筆修正