act.9 指先
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人気の無い倉庫群にまで連れてこられて、昂冶は挙動不審者よろしく辺りを何度もうかがう。
目の前には神秘の少女ネーヤが、微かに淡く輝きながら先を急ぐ。
時折、背後の昂冶の存在を確かめるように顔半分だけこちらを向くのに、奇妙に、彼女の精神的な成長を感じつつ、少年は足取りを速めていた。
ネーヤが一体何に対して助けを求めたのか。
それは、判らない。
彼女へ直接訊ねたとしても、おそらくは、巧く説明することは出来ないだろう。ならば、百聞は一見にしかず。リヴァイアス内部のトラブルなら、IDでいつでもブリッジや他の人間と連絡がとれることであるし。
(けど…こんなとこに何が……?)
昂冶の不安に構わず、ネーヤはふわふわと中空をゆく。
緊迫した様子のスフィクス、静まり返る鑑内、絞り込まれた薄暗い照明。
否応にも、あの事件の事を思い出さずにはいられない。
絶望に足を止め、一筋の光もない深淵から、ただ足掻き続けた八ヶ月以上の放浪の記憶その光景は、今もまざまざと脳裏に焼き付いている。
忌まわしい思い出だ。
闇より救出され事件の全てが過去のこととなり、そうして振り返る時。それでも、あの事件を良い体験だったとは、口が裂けても言えそうにない。
多くの人命が失われた。
多くの心が壊された。
それでも、全てが終わった今。
得難い人生の経験をしたと。そう、冷静に思い起こすことは出来る。
(…もう、二度とゴメンだけどさ。あんなのは)
何処までも果てなく伸びる通路をたった一人で進んでいると、意識が自然に沈み込む。忌々しいそれを振り払うように少年はかるく瞼を閉じた。
と。
「コージ、ココ」
既に聞き慣れたスフィクスの可憐な声が、目的地への到着を知らしめる。
「え、…ここ? 何?」
暗がりに戸惑いキョロキョロと辺りを見渡す昂冶をどう思ったのか、ネーヤはすい、と、先へ空を泳ぎ、仄かな己の発光で僅かな周囲を照らす。
「レイン……うご、カナイ……」
「! レインさんっ…!?」
酷く悲しそうに言う少女の傍ら。
確かそう、――レインと名乗った人物が、血色の失せた顔色でぐったりと床に横向きに倒れていたのだった。
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レイン・シルエと己自身を紹介した男は、突然の事態に浮き足立つクルー達の注意の矛先が他へ逸れたのを見計らい、まるで影のように足音も立てずブリッジを抜け出した。
そんなレインの動向に、ブルーが不振を感じ、後を尾けたのは当然と言えるだろう。
他の人間達は艦体への原因不明の衝撃に瞬間的に、あの事件をフラッシュバックさせ恐怖に凍り付いたのだが、蒼の王者たるエアーズ・ブルーがその程度の事でおたつく道理などあろうはずもない。
死に近くあれば在るほど、精神は研ぎ澄まされ、より崇高となる。
それが、彼なのだから。
相葉の弟と尾瀬が愛しむべき存在激しく罵りあう事態にも、さして頓着しないブルーは、ただ一人。謎多き新メンバーだけをマークしていたのだ。
「………」
物も言わずに、すれ違うレインを見送ってから直ぐ、自分自身もブリッジを後にした。何かおかしな行動に出たのなら直ぐにでも実力行使が可能なよう、懐に忍ばせたニードルガンの位置を確かめながら。
だが――。
(………いない?)
タイミングを見計らってブリッジを抜け出してきたとはいえ、レインが去ってから一分と経っていない。ブリッジまでの通路は十分照明設備の整った一本道。早々、姿を消せるはずはないのだが。
「………チッ。」
危険人物だと決まったわけではない。確かに、不審な行動や発言は端々に見られるが、ならば却ってこれ見よがしすぎる。気の置けない相手であることはそうなのだが、マークしすぎて逆に伏兵にしてやられる危険性もある。
構い過ぎだ、と。
自覚はあるのだが、どうにも引っかかる。
神出鬼没の謎多き青年の姿を求め、ブルーは艦内へと足を向けたのだった。
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感情の起伏が非常に緩やかな少女は、同胞を心を寄せる相手へ預けると直ぐに姿を消してしまった。
そんなネーヤの行動に、昂冶といえば慣れたもので。
気にした様子もなく、『安心したのかな』と、一人納得してレインにそうっと触れてみる。
「あの…大丈夫ですか…」
軽く揺すってみるのだが、全く反応はない。
完全に意識を失っているのかと、昂冶はそうっと顔色を見るのだが、元々色白…とうより、病的な程に色が白いのだろう。真白い肌色に、やけに紅い口唇が印象的で。
(……はー、やっぱり綺麗な人だよなぁ……。
こういう人間もいるもんだ。
けど、祐希といいイクミといいブルーといい、天は二物も三物も与えたって感じだよな)
悪戯っぽい仕草で、綺麗な人の頬に指先をあててみる。本来、この愛玩動物のような少年は自ら積極的に他人との触れあいを求めたりはしないのだが、何故か考える前に体が勝手に動いたのだ。
「…うわっ!?」
と、思わぬ冷たさに昂冶は伸ばした手を反射的に引っ込めてしまう。
「…………」
じっと、己の指を見つめて昂冶は驚きの表情のままで何事かを考え込んだ。本能的に可笑しいと思ってしまってから、したくもない想像が心を占める。
(つめたい……、冷たすぎるよ、な……)
まさかと、自らの短絡的な思考を何処か冷静な部分が嘲笑いつつ、抱いた疑問は晴れることがない。
戸惑いながらも細い腕をとり、確かめる。
!?
驚愕の表情のまま、昂冶は再び脈をとった。
しかし、結果は同じ事だ。
念のため呼吸の有無と、胸に頬を寄せ鼓動を聞くようにし……少年は愕然とした。
「……うごいてない。」
普通に考えて、脈拍もなく呼吸も止まっているというのは。
「―――死んで、る……のか?」
現実感の無さに、昂冶は呆然とする。
どうしてイキナリ、ネーヤに連れられて、助けを求められて、こんな人気のない所までやってきてみれば死体が転がっているだなんて。
突拍子も無さ過ぎて。
「ど……しよ、え、と……」
思考が空回りして、何をするべきか何をすればいいか、わからない。
「ブ、ブリッジに……連絡…して。
あ、でも……こんなことみんなに知れ渡ったら…、大変……だよな」
知らず震え出す自分を叱咤して、外部との連絡をとるためにIDカードを握りしめるが、ブリッジへ直接話を入れるのはどうかと思い直す。
下手をすれば集団パニックだ。
「……………」
祐希やイクミにとも考えるが、今はリフト鑑で待機中だ。
仕事中に個人的な呼び出しは躊躇われた。本当の所は、プライベートの用件ではなく極めて重要なリヴァイアスにおける危機なのだが。
それを言える位なら、ブリッジへ事情を通した方が手っ取り早い。
「……そだ……、あ……でも…」
思い悩んだ末に行き着いたのが、蒼のイメージのクールな治安部特務。彼ならば仮にも『治安部』の人間であることだし、レインという人物の特殊性についても理解している。何より、こういう非常事態においては誰よりも頼りになる。
「……ブルー……」
「なんだ」
「っ!!!?」
そうと、該当する人物の名を呟くと同時に背後から予期せぬ返事。
それこそ、『心臓が口から飛び出すほど』驚いて、茶金の髪に怯えた瞳の少年はバッと声の方へ向き直る。
海の底を思わせる深い蒼の眼差しも鋭く、視線の先に佇んでいたのは確かに治安部特務の任を負うエアーズ・ブルー、その人物だった。
「ブルー…っ、なんで?」
当然の疑問を投げかける昂冶へ、しなやかなでいながら凶暴な野生を連想させる少年はサッと近寄って、片膝をつく。
「これは……、どうした」
「ッ、ブルー! あのっ、息ッ!」
ぐったりと横たわる、ブルーにとっては探し求めていた相手。
その彼が、リヴァイアスにおける重要人物であり人気者の一人相葉昂冶と一緒に…しかも、意識を失っているようなのはどういうことなのか。
全くもって、予想外の出来事だ。
昂冶といえば、突然の、しかし有り難い彼の出現に面食らうと同時に、慌てながら事情を説明し始める。
いや、とても『説明』と言えたものではないが。
「……息?」
不審そうに眉を顰めるクールな二枚目に、混乱する少年といえば、コクコクッ頷くことが精一杯だ。
幾らリヴァイアス号事件で極限を味わったとはいえ、目の前に死体が転がるような非常識を経験したわけではない。
パニックに陥ってしまうのも、それは当然といえるだろう。
ブルーといえば、不安一杯に見つめてくる昂冶の隣り、ぴくりともせぬ男の様子を確認しようとする。
が。
「うわっ!?」
「!!」
「……ちょっと休憩してたんだ。驚かせた」
背中から、肩を抱きすくめられるようにして、問題の人物が昂冶の耳元へ殊更低く詰めた声で囁くものだから。
随分と冷えた指先が丁度、首筋をなぞり上げるようにするものだから。
昂冶は驚いて大きく悲鳴を上げてしまった。
それは、異様な静けさのコンテナ倉庫中に反響して、再び少年の肝を冷やさせるのだが。
「あ……の、あれ……?
……だ、いじょうぶ。なんですか?」
肩越しに様子を伺ってくる、そんな少年の仕草が何処か小動物を連想させた。
「へーきへーき、驚いただろ?
ごめんな」
優しい声音で謝罪されると同時に、項に口唇を寄せて吐息を掛けられる。
「………っ? あ、あのッ、手を……っ」
困惑する昂冶だが、レインは一向に構わず、それどころかつけ込むようにして。
「手、が。何だって?」
するり、と。
ブレザー越しに、脇腹をなぞる。
「あっ、の……ッ?」
益々混乱する小動物、もとい、リヴァイアスのオペレーターかつ最重要人物、相葉昂冶。
これが、悪ふざけの好きな親友とか、最近仲直りしたばかりの弟の仕業なら強く咎めたり、同じようにじゃれたりもするのだが。
レイン、という人物がどういう人間なのか判らないので、対処の仕様に迷ってしまう。
しかし、セクハラ同然の青年の行為から、昂冶はふいに解放された。
「……わかった、悪かった。だから、そういうものはしまえって」
ゴリッ、と。
謎の麗人、レイン・シルエの頭部に突きつけられたニードルガンの、黒光りする銃身が、十二分に持ち主の怒りを表現していた。
「離れろ」
端的な命令に、青年は軽く嘆息して従う。
すこーし悪戯が過ぎたかと、けれど、こういう率直な反応を見るのもなかなか面白いので、止められない。
そして、そのまま億劫そうに巨大コンテナに凭れ掛かって、不敵な表情を浮かべる。
「あの、……ホントに平気、なんですか?」
尚も心配そうにする昂冶は、なかなかその場を離れようとしない。心音がしなかった事も確かに気に掛かるのだが、何より、ネーヤに頼まれたのだ。レインを助けて、と。あの切迫した雰囲気が嘘だとは思えない。
「ああ、へーきへーき」
「ならば、速やかに移動しろ。何度も言うが、ここの区画は一般クルーの立ち入りは禁止されている」
機嫌の悪さを声に滲ませるブルーだが、レインといえば臆せず己のIDを差し出してみせた。
「確認しろよ、俺のIDだ」
一見しただけでは一般のそれと区別のつかぬ仕様だが、一目見てブルーは眉間に深い皺を刻み込んだ。
そう、紛れもなくレインのそれは。
「………、Sランクカード……」
「そういう訳だ。わかったな?」
二人のやり取りに、事情を知らぬ昂冶はきょとんとした表情でいる。
「……好きにしろ」
どのような経路でSランクのIDをこの男が手に入れたのかは定かではないが、確かに存在する以上、彼の行動にむやみやたらと口を挟むことも出来ない。
艦長ですら、ランクは『AA(』とされている。ブリッジクルーや、それぞれの部署の管理責任者にはAランクのIDカードが。
一般クルーはナンバーレスとされ。
その中に置いて、Sランクは欄外。時には艦長権限を無視することすら可能な絶対権力。無論、何時いかなる時でも無上の権威を揮えるわけではなく。例えば、時間制限ありの無敵状態のようなもので。一刻の無法を許された後には、再度、艦長と副艦長の認可を受けるまで二ランク落とされてしまうのだが。
「ああ、好きにするさ」
吐き捨てた言葉に含まれる棘を、しかし、レインは頓着せずにのうのうと返してみせる。
「………」
虫の好かない男だと。
だが、この場で問答を繰り返したとて徒労にしかならない事を、重々承知しているブルーは早々に踵を返した。
有無を言わさぬ強烈な眼光で、昂冶を射すくめながら。
「ッ……!」
おそらくは、いや、十中八句『付いてこい』と言われているのだと察して、穏やかな容姿の少年はハッキリと戸惑う。
このままレインを置いて立ち去ることへの躊躇。
このままブルーの後を追いかけることへの不安。
惑う昂冶に対し、蒼の獣はその答えを待たず闇へと突き進んで行く。そうして……完全に彼が暗闇へと同化してしまうまで、少年は硬直したままで。
物言いたげな視線だけを、僅かに潤ませながら背中を見送るだけしか出来ない。
人目を浚う見事な蒼の毛並みが完全に視界から消え失せ、昂冶は大きく息を吐いた。緊張のあまり、呼吸すら忘れていたらしく。息を整える。
(……はぁ〜、ダメだ。
やっぱ緊張するな……ブルーの前だと)
過去のリヴァイアスでの秘め事。
忘れた振りで、素知らぬ振りで、そんなこと……出来るはずもないのに。
(でもブルーも全然気にしてない風だし、あれはあーゆー状況だったんだし……。割り切って忘れてしまった方がいいんだろうけど……)
どうしても。
意識、しないように、そうすればするほど。
(………どうかしてる)
そっと、己の冷えた口唇を指先で辿る。仄かに頬を染めてのその仕草は、非常に愛らしい。そんな昂冶を、レインは後ろから再び抱きすくめた。
「ぅわっ!?」
すっっかり、背後の存在を失念していた昂冶は飛び上がるほど驚く。
「なーに、一人で百面相してるんだ。昂冶」
「……………あ。」
そういえば居たんだ。
そんな風に、素直に心を読ませる純朴な少年がますます可愛らしくて、異様な色香を漂わせる青年は抱擁の力を込めた。
「可愛いよな、お前。
何、赤くなってンだ、恋の悩みか? 経験豊富な俺が相談にのってやるぜ?」
うひゃぁぁぁ!?
などと、色気も素っ気もない悲鳴を心の内で上げながら、昂冶は慌ててレインの華奢な腕を振り解こうとする、が――。
指先、が、
酷く凍えて、いて。
体温が、感じられなくて。
正体の知れぬ不安に駆られた少年は、そろそろと背後を振り仰ぐ。
「あ、あのっ……」
「どした?」
お前抱き心地いいな? などと、よくわからない誉め言葉にもメゲずに、昂冶は後ろの不埒者へ疑問を口にする。
視線を流した先でぶつかるのは赤い二つの眼。まるで猫のような瞳だな、と。
そんな、どうでもいいことが頭の端を掠める。
「手。すごく…冷たくないですか?」
「そか? こんなとこで休んでたからだろ」
――…はぐらかされた……!
天然ながらも核心においては鋭くある少年は、本能的に、そう悟って。
理由の知れぬ怒りが、瞬間、全身を悪寒のように駆け巡った。
昂冶はがっし、と、レインの両腕を掴み、無理矢理立ち上がった。
「???」
何事? といった様子の青年へ、普段はおっとりしているくせに、たまに妙に有無を言わせない迫力のあるリヴァイアスの中心人物が、白い腕を掴んだままくるりと向き直る。
「医務室行きましょう、凄く冷たいじゃないですかっ」
「……だーいじょうぶだって、心配すンな…って?」
「だ・め・だっ!」
空いてる左手のほうをヒラヒラとさせ、心遣いを杞憂だと否定するレインの台詞を遮って、昂冶は珍しく厳しく咎める。
「今倒れてたじゃないですかッ! 何が何でも医務室に連れてきます!! 手だって冷たいし体だって冷え切ってる!!
何を根拠に大丈夫だなんて言ってるのか知らないけど、ぜっっっったいに、大丈夫なはずないでしょ!? 俺と一緒に来てくださいッ!!」
剣幕に、レインと言えば思わず。
「…………」
こくこく、と。
目を点にしたまま、何度も頷いたのだった。
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(えーと、……どうするかな)
リヴァイアスの内部、最も人通りの多い中央通路を医務室に向かって歩く二人の人物は、周囲の注意をひきつけまくっていた。
一人は、リヴァイアスの真の覇者。キングとも、プリンセスとも、囁かれるまるで小リスか何かのような中性的で可愛らしい顔立ちをした少年。
更に、連れ合いといえば、現在最も注目の的。VGの新メンバー、謎の絶世の美青年。 これで人目を惹くなと言う方が無理がある。
ちなみに、レインがVGの新メンツだという事実はまだ公式発表されてはいないが、そこはそれ、人の噂。口コミであっという間に艦内へ知れ渡ったのだ。
その、噂の時の人といえば、現在、自分より年も背丈も小柄な少年に医務室へと連行中だったりする。
(…なンか……怒ってないか?)
目の前を、振り返りもせず突き進んで行く相手の背中から、ゆらゆらと立ち上る怒りのオーラが目に見える。
だが、何一つ思い当たる節はなく、とりあえずなんとなく従っているのだが。
黙ったままいくら思考を巡らせても埒があかない。
「なァ、昂冶」
「………なんですかっ」
お。やっぱり怒ってる。
「あの、な。別にわざわざ医務室なんて…」
「…………」
無言が痛い。
そもそも、どうしてこの穏和な少年を怒らせてしまったのかが不思議だ。
(……参ったな)
医務室は、すこーしだけ、マズイ。
下手なことを調べられても困る。
それに、面白いものがくっついてきてる事だし。ここはひとつ……。
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医務室のある区画へ通じる通路は、他のブロックに比べて静寂に満ちている。
基本的に五体満足な健康体の若者だけを乗せているので、病気や怪我などが無い限り世話になることもない場所なのだ。
それに、居住ブロックや就業区画にも簡易な医務室…いえば、保健室のような。そういう部屋が設けられているので、重篤なケース意外は大抵そこで処置される。
よって、医療ブロックに人気が無いのも当然といえる。
その、区画同士を繋ぐ通路で、レインは唐突、に。
「どうしてあんな場所に来たんだ」
足を止めて、尋ねる。
足音で青年が大人しくついてこない事を察した昂冶は、軽く眉を寄せながら振り返った。
「……あんな場所、って…」
「D区画。別にお前なら立ち入り自由だけどな、わざわざ足を運ぶ場所でもないだろ?」
「………」
確かに、レインの指摘通りだ。
ブルーはそのことについて何事も言及してこなかったが、重要な物資保管スペースのDブロック。立ち入り禁止区域だといえ、何か特別な施設があるわけでもない。そんな場所に一人でやってくること自体、妙なのだから。
「…その、ス…フィク……スの」
どう言ったものかと、言葉を選ぶ昂冶だ。
スフィクスの存在については、一般クルーにも、その存在だけは認知されており。例え、ネーヤの名前を出したとしても問題は無いだろうと考えられるのだが。
しかし、よく知りもせぬ相手にぺらぺらと話して回ることではないだろう。
そんな昂冶の内面における葛藤を知ってか知らずか、レインは事も無げに、
「ネーヤか…?」
あれほど、少年が口にするのを憚られた彼女の名をさらりと呼んでのけた。
「!」
どうして? と。
不審を隠そうともしない、いや…余りの驚きに、そのような余裕すらない昂冶へ青年は不敵なポーズで笑んでみせる。
「話、ききたいダロ?」
スフィクスが、ヴァイア鑑とリンクする謎の生命体であることは、公式発表もとうに済んだ、純然たる事実だ。
それは、確固たるもので揺らぎようがない。
けれど…!
(名前……ネーヤって、俺……一言も、いってない……のに)
「で、そこで人様のことを盗み見してる趣味のいいのは、どうする?」
「え?」
明らかに、第三者に発したと思われるレインの台詞に、昂冶は目を丸くした。と、少年達の背後、通路の影から潔く姿を現したのは――…。
「ブルー…?」
紛れもなく、先刻に二人を置いて立ち去った人物。
蒼の王者、その人だった。
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2007/07/15 加筆修正