act.10 灰と雨
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 リフト鑑。
 サブルームの要員は交代で入れ替わるが、代えのきかぬ貴重な戦力であるパイロットたちは、約五時間にもなる待機状態に、少々集中力を失っていた。
「は〜ぁ、退屈。何時までココにいなきゃいけないんですかねー」
 緊急態勢は既に一時間ほど前に解かれ、そろそろブリッジからの待機解除の連絡があっても良い頃合だ。
 リーダー席に陣取る黒髪の少年といえば、黙々と画面に向かい合っている。流石に疲労の色は見え隠れするものの、基本的にVGを繰る事を好む祐希はそう苦痛を感じている様子ではなかった。
(生真面目な顔しちゃって……、あーそれにしても、さっきは失敗したなぁ)
 最愛の人を、怒らせてしまった。
 やっぱりブリッジで言い合いしたのは不味かったよなぁ、と、今更ながらに苦い思いを噛みしめる。おまけに、未だに謝罪の言葉を口に出来ていない。
 誰にでも分け隔てなく優しく振る舞う親友は、しかし、意外に頑固だ。このまま有耶無耶にしてしまうよりは、キチンと筋を通して謝るのが上策というもの。
 昂冶の優しさは、反面、無関心の表れであるともいえる。
 なので、こうも怒りを顕著にするということは、情深く想われている事の証でもある。
 だいたい、どうしてあのような事になってしまったのか、と。
 事の発端を思い起こせば、負けん気の強そうな黒の眼差しの…パイロット部署におけるリーダーが、つい先日まで仲違いをしていた兄にべったりだった先程の情景が浮かび上がる。
「…………」
 記憶にあるそれを思い出すだけでも、結構腹が立つ。
 イクミは眉間に皺を寄せて、手元のボードを流れる手つきで叩いた。
 と、暫くして祐希がスタンバイするコクピットの画面から、微かな着信音が響く。
 メール、だ。
「………?」
 訝しがりながらも、念のためウイルスチェックを済まして開けてみる、一通り目を通した後……祐希は思いっきり同僚を睨み付けた。
 そう、メールは直ぐ近くにいる人物から送られたモノだったのだ。
 内容は、こう。
『祐希くん、ききたいことあるんですけどね。
 なんで君、お兄ちゃんと仲良しになっちゃってるわけ。青春真っ盛りって感じで反発ばっかしてたっしょ。
 今更、お兄ちゃんにくっついてんじゃないよ。邪魔だから、ホント。
 俺と昂冶の仲を邪魔しないでもらえます〜?』
 祐希がガンをたれるのも、これでは仕方がないと思われる。
 何事か物言いたげにしていた祐希だが、これ以上もめ事を起こして兄に絶縁されるのは歓迎しがたい状況だと。昔よりは幾ばくか冷静に物事を判断できるようになった少年は、それでも憤りをそのまま電子文に打って返した。
『ふざけんな、テメーこそ邪魔なんだよ。俺と兄貴の間に割り込むんじゃねぇ!
 俺は、もう昔みたいなガキじみた真似はしないって決めたからな、これからはテメーに付け入る隙なんてねェぜ!』
 軽い着信音。
 祐希へ挑発的な文章を送りつけた張本人は、そうくるだろうと踏んでいただけに苦笑して着信したばかりのメールを開く。
 そして、ザッと目を通して、ふむぅ? と、不思議な顔をする。
(ありゃりゃ?
 まぁ、仲直りしてくれるのは、別に……そりゃ、目障りだけど、昂冶の弟だし……。なにより、昂冶が喜ぶだろうし……)
 表面上、己の手を振り払って暴走する弟を切り捨てているように見えていた昂冶なのだが、その実かなりの甘々お兄ちゃんっぷりで。
 弟の暴挙を気にするまいと気丈に振る舞う姿がなんとも健気で、痛ましく。
 結局見捨てる事が出来ずに、とばっちりを受けることになっても、それでも『弟』だから、と困ったようにしていた。
 全く怒りが無かったかといえば、それはそれ、どんな人格者だって頭にくるだろう暴君っぷりだったのだから。
 それでも、そこまできても、最後の最後で手を振り払えないのが相葉昂冶の人間性なのだ。今更、そのことについて異論を唱える真似はしないが、甘やかしすぎだという不平不満はたらたらだ。
 たらたら、だが。
 仕方がないといえば、そう。
 ――…血の繋がった肉親、唯一の弟なのだから。

 でも、これは……?

(なんだろね、恋敵に宣戦布告されてるみたいな?)
 釈然としない気分のまま、とりあえず、猫科の少年は返信を打つ。
『いくら言っても負け犬の遠吠えってやつだよ。
 結局、君は弟でしかないからね。今更巻き返したところで、無駄な努力?
 サッサと抵抗を諦めてお兄ちゃんを渡しなさいね』
 わざと挑発的に書き立てられた文章に、祐希は噛みついてくる。
『俺は兄貴のことが好きだ! だから渡さない。
 テメーにも、ブルーにも、他のどんな奴等にもだ!! 覚えておけ!!』
 …………!
 正にその時、茶髪のパイロットは同僚の言葉の意味を正しく理解した。
 兄弟の情愛などではなく、家族の穏やかな愛情でもない、激情。そう、肉欲を伴う恋愛感情を、相葉祐希が兄へ抱いている事、に。
 元々、禁忌意識レベルの低いイクミだけに、その事実を察するのも早い。
(……ありゃ〜、思わぬダークホースだな〜。これは。
 昂冶も異様に祐希クンには甘いし、今までの反動もあるし、もしかしたらってことも……)
 これは、ブルー以上に厄介な恋敵の出現だと、イクミは頬杖をついてメールを睨み付けるのだった。

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 プライベート・ルームの方が人目にもつかず、話を聞かれることもないから、と。
 そう提案してきたレインへ、昂冶は自らの部屋を提供し、リヴァイアスの名物メンバー三人は医局より移動したのだ。
 今は、昂冶が用意した紅茶を前に、互いに顔をつき合わせている状態で。
 そんな中、レインが静かに口を開いた。
「で、……と。
 どっから話したものかな」
「――正体と行動目的を言え」
「…なんか、尋問されてるみたいだな?」
 必要な事を、最低限ほども話さないブルーの質問の仕方に、レインは苦笑を浮かべる。 そうしてから『ま、似たようなモンか』と。自己完結して、一呼吸置くと夜の気配を纏う青年は言う。
「ヴァイア鑑ってのは、必ずスフィクスが存在してことは知ってるな?
 この、黒のリヴァイアスには『ネーヤ』がいるように、他のヴァイア鑑にも当然それぞれスフィクスが居て然るべきだ」
 な? と、念を押してくるレインに、昂冶は素直にこくこくと頷く。
 ブルーといえば、だからどうしたと言わんばかりに眼光を鋭くしているのだが。
「で、お前等が前に宇宙を漂流してた時に最後に戦った戦艦……覚えてるか?
 あれは『灰のゲシュペント』ってな、呼ばれてる鑑だ。で――
 俺が、そこのスフィクスってわけだ」
 …………………………。
 何とも表現しがたい沈黙が、たっぷり三分は流れただろうか。
 固まる二人の少年たちを横目に、レインは昂冶が用意した紅茶をゆっくりと味わっている。
「……何の冗談だ」
 やがて、ブルーが常よりも更に声を低く詰めて言う。
 昂冶はまだ目を丸くしたままで、何のリアクションも出来ずにいるのだが。
「…ま、そうくると思ったけどな」
 予想していた反応に、レインは動揺する事もなく軽く苦笑する。
「信じる信じないはそっちの勝手だから、自由にしてくれ。
 俺は質問に答えるだけだ。で、後は目的だったか」
 上品な芳香を立ち上らせる紅茶を飲み干すと、レインは一言呟いた。
「今、暇なんだ」
「――ヒマ?」
 レインの言う意味をいまいち掴みかねて、昂冶は鸚鵡返す。
「そ、暇なんだよな。
 ゲシュペントのロボが完全に沈黙してて、リヴァイアスのVGに…ってか、お前等に無茶苦茶に壊されただろ?
 復旧作業が終わんないおわんない。お陰で出航も出来ずに鑑体はお蔵入り。
 ンな状態でスフィクスに何しろってんだって話だろ?」
 はぁ…と、なんとなく頷いて見せる顔立ちも愛らしい少年。
「で、あんまり暇だったもんで、こっちを覗きに来たわけだ。
 けどな、俺がスフィクスだなんてバレるわけにはいかないだろ、流石に。
 まぁ、ブリッジ連中には別に話してもいいかとも思ったんだけどな。一応、機密だしな。
 まぁ、気難しく考えるなよ。テキトーに楽しくやろうぜ、ここにいる間は仲間だしな」
 お気楽な言い草に、ブルーは眼差しを剣呑とさせた。
「――今の話を鵜呑みにしろとでも?」
「信用するかどうかはそっちで判断してくれ、これ以上俺からアプローチする気は無いぜ」
「………」
 思考を読ませない会話の巧みさが尾瀬と共通するな、と、感じつつも。何処か違う匂いを嗅ぎ分けてブルーはますます警戒を強めた。
 そのようなブルーの胸中など知る由もなく、リヴァイアスにおける影の王様はきょとんとした表情のまま、思ったことを口にする。
「あ、あの、…シルエさん?」
「レインでいいぜ、昂冶。で、何だ」
「えっと…スフィクスって……。
 俺、ネーヤのイメージ強くて……その、自我が発達してないというか。会話がきちんと成立しないっていうか……。成り立つ時もあるんですけど、ちぐはぐなことあるし。それで普通なんだって思ってたんだけど。その、――本当に?」
 まず、目の前の人物が『スフィクス』であるという事実からして、信じ難いのだろう。念を押してくる昂冶に対し、謎多き青年は軽く答える。
「ああ……、俺はオリジナルの方だからな。
 マーヤの方はネーヤより酷いぜ? 可愛げねーし。
 ま、他のヴァイアと比べりゃマシな方だけどな。
 なんたって、他のは宿主を精神まるごと侵食して――…っと」
「………???」
「ンだ、説明されてないのか?」
 不思議そうにレインの話に聞き入るまるで小動物のような少年の様子に、青年は紅い瞳を微かに苛立てた。
「――説明、って、……?」
「ああ。スフィクスに関して、とか。ま、色々」
「ヴァイア艦の意思のような存在だとは聞いてます。それ以外は…」
「そ、……っか」
 子ども達の無知と純粋につけ込む、大人の都合が何時の時代も世の中には蔓延していく。
 そういった有り触れた理不尽にいちいち目くじらを立てる程青臭いつもりはないが、それでも――…胸くそ悪いのは、仕方がない。
「……んー、……。ま、いいか。
 ゲドゥルトの海にいたイカを覚えてるか、あれがヴァイア鑑の材料だってこと位は知らされてるよな?」
「はい」
「ブルー、そっちは何処まで知ってる?」
「………」
 それまで押し黙ったままだったブルーに対して、レインは話題を振る。が、答えは無く、丹念に研がれた切っ先のような眼差しが返事の代わりとばかりに睨んでくる。
「答える気は無いってことか、ま、いいぜ? それでも。
 ヴァイア鑑には、それぞれスフィクスと呼ばれる存在がある。
 高度な存在になるほど、緊急時の自己判断を行ったり出来る…要するに、ヴァイア鑑のココロみたいなものだ」
 空になったカップを手の平で弄びながら、レインは言葉を続けた。
「心…」
「お前達が未熟な技術で宇宙空間を逃走し続けられたのは、半分はネーヤのお陰ってわけだな?
 防衛システムが勝手に働いたことはないか? 緊急時にラン前のソリッドが勝手に稼働したことは?
 そーゆうのは、全部ネーヤが自己判断の元で危機回避を行っていたんだ」
 ネーヤが関与する艦内における不可解な事項を思い出し、昂冶は得心がいったような顔で頷く。
「そう、なんだ…」
「で、だ。ここで問題なんだが。人の感情を読み取ったり、そこから望まれる行動をとったりと、高度な判断を行う『スフィクス』だが、イカそのものには感情や意思は無い。なのに、イカを媒体としたヴァイア鑑の化身とも言えるスフィクス…ネーヤには、拙いながらも自己が確立されている。
 ――…さて、何故だと思う」
「………え?」
 青年の意地悪い問いかけに、昂冶は大きな瞳を何度か瞬かせた。
 それもそうだろう、思っても見ない質問をされたのだから。少年にとってスフィクスとは全てネーヤを指し、彼女以外を知らねば、その存在の在り方を全てに共通とさせても仕方の無い事だ。
 わかっていて、わざと。
 小悪魔的な微笑みを魅惑の面に乗せながら、レインは言う。
「ええと、…んーと? …人に感化されたから、とか?」
「お。いいとこ突いてくるな。さすが、こーじ。
 正解は、オリジナルに人の死体を使用しているから、だ。スフィクスとなる時に対象の脳から多数の情報を読み込んで感情や意志を発達させる」
「……人の、死体?」
 思わぬ単語に目を丸くする、スフィクスに愛されし存在に、レインは苦笑した。
「ああ。ネーヤの精神が外見年齢に比例せず幼いのは、既に死亡した人間と融合している所為だ。
 活動を停止した脳では鮮明な情報を与えることが出来ないからな。記憶にある過去の出来事から得られる情報じゃ、遠くから絵本や写真を眺めるのと同じことで外界刺激が極めて少ない。
 そういった環境での目覚ましい自己覚醒は実質不可能で…結果的に、幼児レベルの自己確立しか可能ではなくなるわけだ」
 一気に説明を受けて、昂冶は次の言葉に詰まってしまった。
「え、…えと」
「ちなみに、ヴァイア鑑の化身であるスフィクスだが、既存の物質と融合する必要がある。そうしなければ、ゲドゥルトの海の外では存在出来ないからな」
 実際、ヴァイア鑑そのものにしても、無機物との融合によって成り立っているのだと。追加の説明までしておいて、レインは他に聞きたいことは? と、視線を投げかけた。
「あ――…、えと。………」
 きちんと、頭の中の整理がついていないのだろう。混乱しきった思考では巧く疑問点を導き出せるはずもなく、困ったように小首を傾げるだけの少年に、レインは失笑した。
「――…ま、別に今直ぐ考える必要はないぜ。聞きたいことがあったら、その都度聞けばいいしな。
 後、……俺の事、他のクルー連中には秘密な? パイロット組にはバラしてもイイケド」
「え? ……あ、はい。わかりました、けど…。」
 何故? と、言外に尋ねてくる少年へ、レインは不遜な笑みを浮かべた。その紅瞳は悪戯っぽく輝いていて、愉しげだ。
「一応、機密なんだぜ? ヴァイア計画におけるスフィクス詳細は。
 俺がスフィクスだって触れて回るのは、ちょっとアレだろ?」
 レインが、あくまで飄々としたスタイルを崩さず言のに対し。
「なら…どうして、イク…尾瀬や祐希には話してもいいなんて……?」
 昂冶は咄嗟に浮かんだ疑問を投げかけた。
 今、この場所で申し開きをしているのは、散々ブルーに嫌疑を掛けられたからだと。そう理解している天然育ちの少年としては、何故更に機密を暴露してもいいなどという態度でいるのか不思議だったのだろう。
 無論、人物限定はしてあるのだが。
「…あいつ等は、何があっても昂治の味方だろ」
 不意打ちに、レインは眼差しを優しく滲ませて、答える。
 元の造りが人並みはずれて美しいだけあり、急に、こんな綺麗な表情かおで微笑まれると、ドキリとさせられると、昴治は内心慌てた。
「え?」
「だから、構わない。別に、な」
「………?」
 少年の戸惑いには答えず、レインはただ構わない、とだけ、繰り返したのだった。

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 旧、土星圏周辺は、星屑舞う正に無法地帯と化していた。
 人類の希望であるヴァイア鑑の脅威と狂気によりて滅ぼされた紅き惑星。黄砂の大地は微塵に砕かれ、名残の星の欠片達が一面に漂う。
 かつて土星が存在した場所は大小無数の岩石が密集し、危険区域指定がなされてあるその空間は、特殊な磁場が発生し、ひとたび迷い込めば全ての計器が狂わされ生還不可能だと言われ。
 何時しか―果てなき宇宙(そら)を行き交う宙行士たちからは、『天国への道(ヘブンズ・ロード)』と呼ばれ怖れられた。
 そのような場においても、いや、だからこそ。
 天に牙剥く人間達にとっては、うってつけの潜伏場所でもある。
 永劫の闇の中、淡く輝く白の戦艦は、その全ての機能を奪われ宇宙の歪みとも言われる『天国への道』へと拘束されていた。



 静かな、無音の海で。
 まるで、墓場に眠るように――…。

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 既に緊急態勢の解かれたリヴァイアス艦内は穏やかな雰囲気を取り戻し、クルー達も通常業務に就業していた。
 六時間もの間、リフト鑑に詰めていなければならなかったVGのパイロット二人は、一様に疲労の溜まった顔色で本鑑へと帰っていた。
「は〜っ、結局何にも問題ないし。祐希くんはどう思います〜?」
「ウルセェ」
「…はいはい、すみませんね」
 同僚とのコミュニケーションに早々と匙を投げて、イクミは軽く溜息を吐いた。
 副艦長の少女の説明によれば、全てのシステムのチェックを、ブリッジスタッフ総動員して調べてみても何ら異常は認められなかったとのこと。
 念の為、二週間後に通過する予定であった冥王星で着地した後、総点検を受けるという話だが、無論反対する理由は何一つない。その際、クルーの多くが連休をとれるとか何とか、説明していたような。
「んー、つっかれた〜っ」
 生欠伸を噛み殺すイクミは、とにかく風呂かなぁ、と一人ごちる。
 ゴタゴタの中、そのままなし崩しになってしまった親友を怒らせてしまった事件を気にかけていないわけではないが、コクピットで六時間缶詰を味わった後だ。しっかり身だしなみを整えてから愛しい人に会いに行きたいと思うのは、洒落っ気のある少年としては当然とも言える。
 何より、――…二度と、優しい人を傷付けることがないように。
 想いのまま、望みのまま、行動することに、かつての覇者は恐怖すら覚え、避け続ける。
 心を突き動かす衝動に任せた果てに、取り返しのつかない障害を右腕に負わせたことは悔いても悔やみ切れぬ愚行。
 だから、酷く臆病に、道を確かめながら前に進む。
行くべき先を見誤ってはいないだろうかと、常に自問を繰り返しながら。
 性急に求めれば、必ず過ちを繰り返すだろうと。
 ――…わかっている、から。
 特に、昂冶の怒りを買ったなら、時間を置いて気持ちを落ち着かせる必要があるのだと。己の内に内在する無限の狂気を自覚するだけに、冷静に自己分析する。
「……ま、何にしても明日からメンバーが一人増えることだし、少しは楽になるかもね〜」
 お気楽に言ってのける同僚に、祐希は胡散臭そうな視線を寄越した。
「――あんなヤツ、あてに出来るかよ」
「信用出来るかどうかはともかく、腕はよさそうだけどね」
「……ふん、半端に腕のある方がタチ悪いぜ」
「ま、ね〜」
 しかし、君、機嫌が悪いよね? と、呑気に尋ねてくるイクミに、とうとう血の気の多いパイロット少年は声を荒げた。
「へらへらしてんじゃねぇよ! 言っとくけどな、テメーと馴れ合う気はないぜ!!」
 荒々しい挑発文句と同時に相手に掴みかからないだけ、成長はしているということか。それでも、元々の激しい性質が変わるわけではなく。
 あそこまではっきりと宣戦布告をしたにも関わらず、相も変わらず飄々とする尾瀬の心情は計り知れずに、遂に膨れ上がったフラストレーションが爆発したらしい。
「そんなトンガらなくても、今のところお兄ちゃん盗る気ありませんって」
 逆に、イクミといえば何時ものように掴みどころなく、まるで秋風にのる雲のよう。
「はっ、信用出来るかよ!!
 毎日毎日毎日、兄貴にべったりのくせしやがって!!」
「悔しかったら君もすればいーでしょうに」
「言われなくても、これから実行すンだよ!」
 目一杯毛を逆立てて威嚇する仔豹のようだと。
 長年仲違い状態であった兄にはその反動か素直だが、それ以外には全く変わらぬ態度を貫き通す祐希の様子に、苦笑いが零れ落ちるイクミである。
(なんつーか、変わんないよねー。祐希くんは。
 やっぱり、昂冶と兄弟だよな。頭良いのに、妙に抜けてたり行動パターン読みやすかったりするしね)
 思いっきり牽制を受けているにも関わらず、のんびりとした感想を思い浮かべる辺り。深緑の眼の少年もなかなかどうして、大物だ。
 と、誰もがとばっちりを恐れ避けて通る、リヴァイアス名物四人組同士の言い争う場に、その不穏な雰囲気を物ともせずに不釣り合いなほどのんびりとした声が掛かった。
「あ、居た居たっ。イクミ、祐希。こんなとこで何やってるんだ?」
 ぽてぽてっ、という擬音が相応しい足取りで、そう、現在、黒のリヴァイアスの覇権を諸手にする最強にて最愛の人が、やってきたのだ。
「昂冶?」
「兄貴っ!?」
 イクミは、目の前の障害物を避け、ひょいと右に首を突き出した格好で。
 祐希はくるりと360°向き直って、声の主を視界に捕らえた。
「ご飯、一緒に食べようと思ってさ。
 ……ちょっと、相談したいこともあるし。
 サブの人達に聞いたら、二人ともまだリフト鑑だって言うから迎えに来たんだけど…。
 何やってるんだ? 二人してこんな通路で……」
「兄貴ッ! さっきは悪かった!!」
 栗色の髪をした少年の言葉を遮り、その弟は飛び掛かるようにして華奢な肢体を抱きすくめて謝罪する。
「わっ!? ちょ、!」
 突然の事に面食らいながらも、全身で甘えてくる弟を拒絶出来るような性格をしてないらしいお兄ちゃんは、もういいから、と優しく背中を宥める。
「俺もさ、あんなとこであんな風に怒り散らしてさ。大人気ないよな、ゴメンな」
 大人しく頭や背中を撫でられている殊勝さが、先程までの威勢の良さとはかけ離れ過ぎており、見事な猫かぶりっぷりだと感心してしまう。
 いや、そんな場合じゃないのだけど。
「昂冶」
「? 何、イクミ」
 愛らしい両の(まなこ)を友人へと向ける少年に、艦内で最も女生徒の人気を集める愛想のよい二枚目は、一線、引くようにして距離をとる。
「……ゴメンな?」
 まるで、相手の反応を窺うようにして、目線を彷徨わせる。躊躇いがちに口にした謝罪は、拒絶を怖れ力無いものと化してしまっていた。
 常に風のように気紛れに、決して無責任なわけではないが。何者にも捕らわれず生きる親友の、珍しく落ち込んだ様子を前にして、昂冶はふっ、と口元を綻ばせた。
「別に謝る程の事じゃないし、俺も怒鳴ったりしてさ反省してる。
 けど――もうあんなとこで、俺を挟んで喧嘩するの止めてくれよなっ。
 どーしていいかわかんないだろ。何が原因かは知らないけど…、」
 その、余りにも無自覚な言い草に、同じ人物に懸想する二人のパイロットは心の中でがくり、と肩を落とした。
(……マジかよ、天然過ぎだぜ…兄貴)
(…昂冶くんたら、鈍すぎ……)
 同時に似たような感想を抱き、そして、二人とも『そこが可愛いのだけど』と行き着く辺り、相当末期的恋愛症状だ。
 気を取り直したのか、少しして復活したイクミがしつこくお兄ちゃんを抱き締める弟を無理矢理引き剥がして、にっこりと言う。
「さーて、あんなのはほっといてご飯、ゴハン〜♪ 行こうぜ、昂冶」
「え、あの…」
 上機嫌で腕に絡んでくる親友の、突然の行動に目を丸くする昂冶は、ちらりと後ろに投げ出された弟を心配そうに見遣った。
 案の定、祐希くん、怒髪天。
「テメッ、何しやがるッ! どさくさ紛れて、兄貴に触ってンじゃねーよッ!!」
「喧嘩すると、まーた、昂冶怒らせちゃうよ♪」
「………ッ!」
 首根っこを押さえにかかろうとしていた祐希だが、策士のぬけぬけとした言い様に、動きを止められてしまう。
「???」
 一方、昂冶といえばきょとんとした顔つきのまま。何故また、二人が言い争い始めたのかが理解できずに、呆然として。これも一種のスキンシップなのかな? などと、平和的に結論づける。当然、口にしたなら即座に当人達に否定されるであろうが。
「さーて、じゃ、行こうぜ。昂冶♪」
「あ、ああ……」
 ブリッジでのお返しとばかりに昂冶にべたべたとするイクミへ、それこそ、絶対零度の殺気を放ちつつ。
 それでも再び兄を機嫌を損ねたくないと、とりあえず大人しくしている辺りは昔よりも多少の成長の痕が見られるが。
 無論『後で覚えてやがれッ』と、祐希が復讐の炎を燃え上がらせたのは、言うまでもない。

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2007/07/15 加筆修正



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