act.11 無垢
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遙かなる星の海を旅行く黒のリヴァイアスで、治安部特務の任を受ける蒼き少年はレインと名乗る青年が姿を消した後も暫く昂冶の部屋に居座っていた。
沈黙がいたたまれず、昂冶はそわそわと落ち着かない。
何度も横目でちらりちらりとブルーを窺っては、何事か言うべきか迷っている。
「……あ、あのさっ。」
「………」
相変わらず、視線だけで人を射殺せそうな迫力だ。
無言の圧迫感に並の神経の持ち主ならば、その場に縫い止められて瞬きすら出来ないだろうが、しかし、相葉昂冶は特別なのだ。
「…レインさんのこと、なんだけど……。ブルーは、どう考えてる…?」
「――…信用するな」
一言、ぴしゃりと言い切られて、流石に穏和な少年も困り果てる。身も蓋も無い言い方だなぁ、と、内心で苦笑しながらも、彼らしい言葉が何処か懐かしい。
「全部デタラメとも思えないんだけど、…俺は」
軽くレインを弁護すると、ブルーは綺麗な海色の眼差に困惑に浮かべ、そして諦めを滲ませた。
そういう性格なのだ、相葉昂冶、とは。
凝り固まった正義感を振りかざすわけでもなく、暴力的なまでの独善を強いるわけでもなく、また、己の無力を正当化し他力本願や弱者の権利を当然の様に受け止めることもない。
ただ、そう……決して強くはないのに、綺麗で。
今まで見たどんな人間達よりも、人間らしいのに、酷く真白くて。
これまでに積み上げてきた価値観が、一瞬にして覆ってしまう。
それが、この…――。
「お前は、――…信用するのか、あの男を…」
「うーん、そんな信用とか信頼とかさ、そういう仰々しいものじゃないんだけど…」
反対に聞き返されて、昂冶は返答に詰まった。
理論的に弾き出された言葉ではない分、説明もし難い。
つまり、感情的な部分だけでレインの言い分が偽りばかりではないのでは、と、素直に判断しただけなので、そのことについて、理路整然と説いてみせろと言われても言葉に詰まるばかりである。
「ゴメン、巧く言えないんだけど。
――…似てるって、……思ったんだ」
「………?」
口ではなく、目で意図を尋ね返すブルーに対し、昂冶はますます困り果てた。
「その…目の色とか、雰囲気? かな。 …事件の時のイクミとか…」
孤高として、狂気紛いの正義を声高にリヴァイアスを統治した暴虐の覇者。
その眼差しは常に何かに追われ、憔悴し、そのまま昂みへと失われ消えゆく儚さと共に、死の影と悲しみの翳りにあった。
そして、
「……祐希に感じが似てる気がして……」
黒の戦艦を支配した権力者達の内部にあって、溢れんばかりの才気を輝かせていたエースパイロット。
何者をも懼れず、何事にも従わず、常に己の力で自由を掴み取る無法者。
けれど、まるで捨てられることを恐れる幼子のように。小さく丸まって、部屋の片隅で膝を抱えて、じっとこちらを窺うような、怯えた色の瞳を……抱えていた。
「だから、…って、短絡的だよな。こんなの直感みたいなものだし……」
「……ネーヤ」
「? え、なに?」
ふいに、ブルーはリヴァイアスに宿る少女の名を呟いた。
「……お前と、あの男が口にしていただろう。リヴァイアスのスフィクスのこと、か…?」
「……うん、ネーヤはこの鑑のスフィクスだよ。
俺も、始め会った時は、全然そんなこと知らないからさ。リーベ・デルタの生徒だとばっかり思ってて。変わった娘(だなぁ、とは思ってたんだけど。今は、前より仲良くなって。呼べば出てきてくれたりするんだよ」
「………!?」
にこにこと、てらいのない笑顔を向けてくる昂冶に、蒼き獣は顔色を変えた。
本人、全くの無自覚だが。今確かに、とんでもない告白をしてのけたのだ。
「……呼べる……? スフィクスを…、か?」
「え? うん。そうだよ?」
永久凍土の一欠片のような、綺麗な眼差しを閃かせてくるブルーの、その迫力に昂冶はキョトンとした表情で、相手の反応を窺うようにして言葉を綴る。
「………」
自覚が無いにも程がある。
リヴァイアスきっての実力者、エアーズ・ブルーは、いっそ、頭を抱えたい気分に陥る。
スフィクスとのリンクは危険を伴うとされ、意思の疎通を計ることなど、今現在、不可能だと位置づけられているのだ。
無論、クルーに与えられているスフィクスの情報といえば、実態とは程遠く、生体鑑におけるホスト・コンピューターのような存在だとしか公開されていない。
一級ライセンスを所有する一部のクルーには、それらが人の意識との繋がりを求める余りに、対象の精神を侵す危険性が在ることまで知らされてはいるが。
だが、それ以上の情報は隠蔽され、『詳細不明』を隠れ蓑に政府の一部の存在が全てを掌握しているという粗末な現実。
なので、スフィクスについての詳細を何一つ知らぬ人の良いクルーが、己に可能な範疇の全てを『普通』であると判断するのは当然とも言えるだろうが。
……それにしても、呑気な話だ。
「――なら、この鑑のスフィクスに直接あの男のことを訊く事は出来ないのか」
今更、相葉昂冶という存在の重要性を自覚ゼロの本人に説いても、埒があかないと、ブルーは話題を変えた。
「あ、……そっか。何かわかるかもしれないよな、ネーヤにきいてみれば。
じゃ、呼んでみるけど。来てくれない時もあるよ。先に言っとくけどさ」
そうして、何気なく。
まるで、友の名を呼びつけるような気安さで、昂冶は彼女を呼び寄せた。
ふんわりと、今度は雪のように、光のように。
質量もなく重量もなく、ただ、そこに映し出されているだけの、華麗な華が、愛すべき存在の声に応えて現れる。
「……コウジ」
「ネーヤ、ごめんな。急に」
「…平気。コージ、……ありが、とう……レイン…、」
「…ううん、こっちこそ。教えてくれてありがとうな、ネーヤ」
大好きな人からの感謝の言葉は、何より少女の想いの糧となる。心から嬉しそうに微笑みを浮かべるスフィクスに好感を抱きつつ、昂冶は、本題を切り出した。
「あのさ、ネーヤ。その、レインさんのことんだけど……教えて貰いたいんだ」
「なに、コージ…」
中空をふわふわと、逆さになったり、横に寝そべったりと落ち着かずに、ネーヤは昂冶の質問を促す。
「ネーヤと同じ、スフィクスかってことを」
すると、事によっては回答を渋るかもしれぬというブルーの予測は大幅に外れ、彼女はあっさりと事実を認めた。
「…そう、レイン……マーヤ、……同じ。
………ちがう、けど。オナジ…スフィ、クス……」
「違う?」
不思議そうに聞き返す昂冶に、こくんとネーヤは首を縦にふった。
「……チガウ…、マーヤ……嫌ウカラ。
スフィクス、ヴァイア、ネーヤたち、人、すき。心、しりたい。
でも、マーヤは…全部、キライ。真っ直ぐキライ。
レインのは……イタイ……いたいの…」
要領を得ない説明では何一つ正確な情報を得ることは出来ない。愛する人の困惑を感じ取ってか、ネーヤはほんの少し表情を切なくさせて、言葉もなく鑑へとけた。
「今のが…」
それまで影のように存在を殺し押し黙っていた蒼の獣が、少女の消えた場所を睨みつつ口を開いた。
「…う、ん。ネーヤ、なんだけど……。
いつもはもっと話してくれるんだけどな…、少し、様子が…」
おかしかったような気がする。
まるで、語ることを拒むかのような素振りが、常の彼女とはかけ離れすぎて。
言葉は足らずとも意思を伝えようと腐心する気概が感じられないのだ。
理解せぬなら、それでもよいと。
伝わらぬなら、構わぬと。
追求を避けるように、早々と姿を消したのが如実にその事実を物語っているようだ。
(……なにか、あったのかな?
――…そういえば、昼頃の艦隊衝撃。システムに欠陥は発見されなかったって話だったけど……)
レインの言葉を借りるなら、儚き少女はリヴァイアスの精神の代弁者。ハード面にエラーが無かったとすれば、考え得るのはソフト面――…つまり、ネーヤ自身に何か衝撃的な自体が起こったのではないかということだ。
無論、確信があるわけではないが。ヴァイア鑑におけるスフィクスの存在を思えば、可能性の一つとして考えるのが妥当であろう。
「……どちらにしろ、あてにならん…」
拙い会話、ちぐはぐな内容。
少女の外見とは裏腹に、おそらく精神は稚児程度しか発達していないのだろう。先程の、レインの言葉。それは、少なくともネーヤの件に関しては真実であったらしい。
しかしこれで、リヴァイアスのスフィクスに直接事の詳細を聞き出すのは不可能だという結論に行き着いた事になる。
「…うん、ゴメンな」
「お前が謝ることじゃない…」
沈み込む昂冶を軽くフォローすると、ブルーは颯爽と身を翻した。
「! ブルー…?」
そのまま部屋を後にしようとする相手に、少年は戸惑いのままその名を呼んだ。
「………」
何か用か、とばかりに、肩越しに鋭き一瞥をくれる猛々しき王者に向かい、しかし、昂冶は続く何をかを言の葉とするに叶わず。
「あ、えと。
………、………、……ご免、なんでもない。」
混乱のままにその場を濁した。
「………」
心優しい彼の迷いを感じ取ったのか、逡巡の後、ブルーは一言だけ言い捨てて場を去った。
尾瀬と、弟に、あの男の正体を話してみろ、と、だけ――…。
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食堂の相変わらずのごったがえにウンザリしながらも、リヴァイアスにおける名物クルー達はトレーにメニューを受け取るとそのまま部屋へと移動した。
艦内規約では、特に部屋での食事を制限する約束事は決められていないので、混雑を嫌うクルーがプライベート・ルームへ戻る事はさして珍しくもない光景だ。
それでも、大抵の人間は食器の後かたづけなどの手間を嫌がり、概ね食堂で三食済ませるのだが。
ちなみに、尾瀬も祐希も軽くシャワーを浴びてきている。
尾瀬がどうしても、と、我を通した結果だ。
部屋の真ん中に据えられたテーブルに、三人座って食事を摂る。
「………ンで、テメーがついてくンだよっ…」
心底厭そうにする天才少年の文句を取り合わず、イクミといえば甲斐甲斐しく親友の世話を焼いている。
「昂冶く〜ん。お茶のお代わり要ります〜?」
「あ、うん。ありがと」
「いーえいーえ、どーいたしましてー。あ、祐希くんは自分で煎れてね」
「…………」
怒りの余り二の句が告げれないエースパイロットを横目に、憎たらしい同僚はこれ見よがしに昂冶に懐いてみせる。
「昂冶の和食セットなんだ? なにこれ、白いの」
「ん? ああ、冷や奴だよ。上に乗ってるのは鰹節と黒ゴマと醤油。」
「へー…、あんまり和食って詳しくないんだよね。
今、結構、流行みたいだよねん? 和食って、ヘルシー嗜好とかいって」
「和食はカロリー控えめだから。ちょっと前から、ダイエット食とかでももてはやされてるよな? 食べてみる?」
深く考えることもなく話をふって、一口サイズに割けた豆腐を箸で挟むと、そのまま昂冶はイクミの方へ差し出す。
「いただきます♪」
躊躇もなく、昂冶の箸から直接豆腐を口で受け取る茶色の猫。もとい、尾瀬イクミ。
「!!」
「ッ!?」
ビックリして、箸を持ち上げたポーズのまま固まる昂冶と、思わずテーブルに両手をついて立ち上がりかける祐希。
昂冶としては、まるで今のような恋人紛いの真似をするつもりはなく、イクミが適当な小皿を差し出してくるだろうと予測しての行動だったのだが。
「………美味しいけど。
これって、調味料の味がなかったら全然淡泊なんじゃないですか?」
むぐむぐむぐ、と。
何事も無かったかのように振る舞う親友の姿に促され、昂冶ははたっと正気に返る。
「……口で受け取るなよ、口で」
「あれ? 悪い、汚かった?」
「そーゆーんじゃなくてっ……! …………っ、…………。」
一瞬、事細かに事情を説明しようと構えた少年だったが、その余りのバカバカしさに赤い顔のまま、もういいよ、と諦めの吐息を吐いた。
国際化――という言葉すら、既に耳にしなくなった時代。国同士はおろか、惑星間の交流の自由度が高まる気運において、人々はより開放的に快楽的に進化してゆく。
昂冶や祐希の生まれ育った国には、その国柄か民族性からか、未だに、伝統的な道徳や貞操観念が根強く残るのだが――…。
一般的な観点からすれば、どちらかというとイクミの方が普通なのだ。無論、個人によって程度の差はあるだろうが、今の行為を常識外れと詰る人間はまずいないだろう。
「……兄貴、貸せっ」
と、突然、天才との呼び声も高い少年が、兄の箸を奪い取ってそのままダストボックスに放り投げた。
「………ゆっ、祐希??」
暴走する弟は、呆気にとられる昂冶へ代わりの箸を差し出すと、むっつりとした顔のままで椅子にかけ直して食事を続ける。
「尾瀬菌が伝染る」
と、一言、痛烈な嫌味を付け足すのを忘れずに。
社交家のイクミとて、これには笑顔が引きつる。
「…百歩譲って、箸を捨てたのはいいとしても、人のことを『菌類』扱いってのは、どーゆぅことかなぁ〜? 祐希くん」
「そのまんまだろ。あんま兄貴に近寄ンな」
「………わーお、かっちーん。
祐希くんたら、喧嘩売ってます? 今なら、特別買い取りキャンペーン中。言い値で即座にお買いあげだよん」
「上等だ、サイコ野郎…ッ」
「……相手してやるよ、ブラコン王子」
祐希だけならいざしらず、遂に堪忍袋の緒が切れたらしいイクミが、かつての覇者の姿を彷彿とさせる気配を纏って挑発にのる。
「………喧嘩したいんなら、外でやれよな」
が、そこに鶴の一声。
加熱した二人の怒りは、昂冶の拗ねたようなそれに一気に沈静化した。
「…悪かった」
まず、自分から折れることなど滅多にない暴走少年が、極短く謝罪を口にして、すとんっと座り直す。それから、喧嘩を売りつけた相手が早々にのぼりを下ろしたために、イクミとしても一人で頭に血を昇らせていても仕方がないので、いつもの軽い調子を取り戻して席に着く。
「祐希くんに謝られたんじゃ、しょーがナイってね。ま、とりあえずよしとしますか。
……で、話は変わるけどね。昂冶、なんか相談したいことあるって、言ってたなかった?」
「! え、あ、うん。……その…」
既に食事を終えてゆっくりとお茶を啜っていた昂冶だったが、ふいに、話を振られて慌てふためいた。
まだ、気持ちすら定まっていないのだ。本当に、彼らに例の事について話してしまってよいものかどうか。
当人やブルーは肯定派なのだが、昂冶自身には迷いがある。本人がよいと言うのだから別に構わないのだろうが……。
「言いにくいことなのかよ、兄貴」
内心の不機嫌を隠そうともしない言い草で、目つきの悪いエースパイロットは訊ねる。
既に空になった皿に箸を置き直し、ぬるまったお茶を一気に煽っての言葉だ。
「うん…、あ、あのさ…。
――…レインさんの事についてなんだけど、さっきまで、この部屋で色々と話をしてもらってたんだ」
「「レインと?」」
二人の声が、仲良くハモる。
暴力的な性質に、不器用な愛情を抱くアンバランスさも魅力の一つである相葉祐希は、兄に近づく第三者の存在が気に入らないという、ただ一点のみで機嫌を損ない。
社交的で女性に優しい紳士さと、正反対の闇の部分を色濃く刻む脆さも人を魅せる尾瀬イクミは、昂冶に近づく全てを敵視する一方、レインの行為に純粋な興味を持つ。
「……あいつが、兄貴に何だってんだよ…」
「レイン、レイン・シルエねぇ…。んで、何だったんだ、昂冶」
静かな追求を前に、遂に、幼な顔の少年は観念して、覚悟を決める。他のクルーに内情を伝えるかどうかは別としても、ブルーと、そしてこの二人には事情を通しておかなければならない、そういった義務感のようなものを感じたからだ。
「……あのな…」
未だ、躊躇いは残るものの、一度決意したのなら全てを吐き出すつもりで、昂冶は言葉を綴ったのだった。
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展望台。
地球マザー<のデジタル映像が眼前一面に広がる場所だ。
星の海に浮かぶ、母なる惑星は、蒼く淡く、闇に輝いて幻想的な美しさを醸す。
他の娯楽施設が整っている事と、艦体の中心部よりかなり離れたスペースに位置することがネックとなって、一般開放されている施設にも関わらず人気がない。
「……マザーか、綺麗だよな?
なぁ、……思わないか、ネーヤ」
そんな場所にあって、夜と紅の色を纏う青年は、黒のリヴァイアスの神秘スフィクスを傍らに同意を求めた。
「………」
コクン、と。
糸の切れた繰り人形を連想させる動きで、ネーヤは気持ちを表した。
しかし、同族であるレインよりは些か陰の強い紅宝は、何事かを言わんとして揺らめいている。
「――…レイン、マーヤ…キラい?」
ふいに、言葉と成ったのは、幼い疑問だけで。
「? どした、突然」
「――…イタイ、冷タイ、……サミシイ。
マーヤ、ズット…沢山、キライ持ッテル……」
「…嫌いじゃないぜ、別に。第一、マーヤの精神()面は俺の影響だしな」
「エイキョウ…?」
きょん、と。
小首を傾げる仕草が酷く可愛らしく、稚児めいている。外見年齢にそぐわぬその行為は、彼女の無垢さを物語っていた。
「ネーヤ、…人間(ひと)が死に直面したときに何を考えるのか、知っているだろう?
お前はその『声』で起こされたはずだ」
「……コエ…」
「ああ、どんな声だった…?」
「………悲ソウ、悲ツウ、悲カン。コウ悔、ザン悔、
……コワイ。イヤ、ダ……。
――…シ・ニタク…ナイ
イキテ、イタイ……。イキテ……」
大きなうねりとなって少女の胸に呼びかけた、生への飽くなき渇望が。今をもってしても、鮮明に思い出される。
無機質な瞳で、ネーヤは口を閉ざした。
「……コレ以上、……イヤ」
「そういう事だ」
「………」
相手の言葉を正しく理解したわけではないだろうが、それでも何かを察してスフィクスの少女はこくん、と頷いた。
そんな彼女を、ちょいちょいっと黒髪の青年は自分の傍へと近寄らせた。無論、同族に対して無防備な程に警戒心を抱かぬネーヤは素直に寄ってくる。
「…それはともかく、さっきは昂冶連れてきてくれて、サンキュな? ネーヤ。
リンクを強制切除されて、ちょーっとシャレになんない位キツかったからなぁ。
死ぬかと思ったわ。マジで。まー、スフィクスに『死』の概念はないけど、な」
そんな彼女の手を引き寄せ、レインは先程の…己の為に人を呼んできてくれたというネーヤの行動に対して礼を述べる。
「……うん。」
すると、感謝の気持ちが純粋に嬉しかったのだろう、天使のように愛らしい容姿の少女は、はんなりと微笑んで、くるりくるり中空を舞った。
「レイン、平気、ヨカッタ…」
無垢の化身のようなスフィクス、彼女の精神はリンクする『人間(あいて)』に多大な影響を受け、また相当する者の心に甚大な弊害を引き起こす。
諸刃の剣のような存在のネーヤが、こうも真っ直ぐにいられるのは大きな謎だ。原因の一つに、彼女と繋がりを持つ『対象』が不特定多数に渡ることがあげられるが、それだけでは少女の汚れ無き自我の生成における説明のしようが無い。
多くの人間の精神とリンクするということは、それだけ多種多様な色を知ることとなり、自我形成においては枷となる。
しかし、ネーヤは多くの人の心を感じながらも、彼女自身をしっかりと確立させているのだ。
(……俺みたく、中途半端なとこで融合したってンなら…。
自己生成の基盤があるから、話は通じるんだけどな?)
ネーヤのオリジナルは完全に死を迎えていた。
なので、素体の精神を原型とした可能性も抹消される。
と、すれば、後は――…。
「なぁ、ネーヤ」
「? ナニ?」
「昂冶のこと、好きか?」
「――…スキ…」
問われて、少女は幻想を舞う蝶のように中空を泳いだ。彼女を包む発光は輝きを増し、薄い桃色に包まれて、そう、歓喜の感情のままの行為。
「……スキ、………大・スキ…………。
コウジ、……スキ……」
「昂冶の為なら、なんでもする?」
「………」
恥じらうかのように紅石をそっと伏せ、ネーヤはこくんと頷いた。
この様子だけ見れば、到底彼女が無機なる生命体スフィクスとは思えぬだろう。まるで、恋する乙女のような有り様だ。
「なら…――、 …っても?」
レインの言う意味を理解するまで、数秒。
ネーヤは何度か瞬きを繰り返し、そうして、また麗しい微笑みを可愛らしく整った容貌にはいた。
「……コウジ、…ガ……ヨココブ…なら」
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なんでも、スルの。

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同日、深夜頃。
黒の戦艦リヴァイアスのブリッジで、夜勤組のメンバーは生あくびを噛み殺しながら業務に向かっていた。
艦長であるルクスン・北条とて同じ事で。一方的な恋の相手、副艦長ユイリィ・バハナとどうしても業務時間が逆転することを不満に思いつつも、艦長席で大きな欠伸を繰り返す。
「ふぁ〜ぁ、異常はないかぁ〜、諸君〜」
油断すれば直ぐにでも落ちてくる瞼を擦り上げ、ルクスンは形だけの確認をする。
すると、クルーの面々も形式的に『異常ありません』と返すのだ。
が……、
「艦長…」
今日に限って、敢行通りに事は運ばなかった。
回線チェックを行っていたランが、小さく警鐘を鳴らしたのだ。
「ん? どうしたぁ、何か問題でも…。ふぁあ〜」
「艦長ッ!」
返事をしながらの欠伸という艦長の体たらくに、ランは鋭い眼光を飛ばす。
「!! なッ、なんだ? どうした」
流石にただごとではないと、ルクスンも背筋を伸ばし、彼女の傍へ駆け寄った。
「……政府と、――…おそらくは、反政府組織のものと思われる通信を傍受しました。記録しましたので、……どうぞ」
言って、ランは席を立つ。
代わりに艦長を椅子に促すと、その耳元に通信機を添えて記録を流す。
「……一体、なんだと…」
不審顔のままで耳を澄ませるルクスンの、その顔色が見る見る蒼白となって。
「………? ……………! ……………!! ……………………!?!」
余りの衝撃に身動き一つとれぬまま、額にどっと冷や汗が吹き出す。
「………て、
直ぐに……ブリッジクルー全員とパイロットに連絡を……。
――緊急召集をかける!! 早くするんだ!!」
「はッ、了解致しましたッ!!」
規律正しい敬礼を行って、ランは緊急連絡を行う。
大物なのか、ただの馬鹿者なのか、根拠の無い自身と余裕を持って我が道を往くルクスンの稀にみる慌てっぷりに、その場に居合わせたクルー達にも波紋が広がったのだった。
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2007/07/15 加筆修正