act.16 前夜
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 艦長を筆頭に、ブリッジクルーの面々。
 そして実行部隊として、VGパイロット組と治安部特務を担う蒼の野生――黒のヴァイアに宿る神秘の生命体『スフィクス』と、非常に強い繋がりを抱く相葉昂冶という名の幼い顔立ちをした少年ら。
 彼らを中心として、全てが滞りなく、そして秘密裏に進められ。
 遂に、『灰奪還作戦』前夜と相成った。

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 ブリッジ、艦内時刻、20:00。

 沈痛な面もちでいるクルーの面々の視線の先には、決意を秘めた瞳をした、艦内における最高責任者、艦長のルクスン・北条がじっと皆を見据えていた。
「皆、よく聞いてくれ。
 分かってはいると思うが、遂に明日、その日を迎える」
 まさか間者が潜んでいるとは思わないが、それでも、告発を懼れる声は静かに、だが力強を秘めて響く。
「我々は軍人でもなければ、特殊訓練を施された兵士でもない。
 ――万が一にも戦闘ということになれば……、我々には身を守る手だては少ない。
 最悪の状況を想定しておく必要もある」
 悲痛な、口にするだけでも身を切られる覚悟の言葉。
「……だが、我々は作戦成功のために最大の努力を怠ってはならない。
 いや、作戦の完遂の為にだけではなく、我々が、生きる為の最大限の努力を皆に期待する……!」
 生きてくれ――それが、この場において最も相応しい決起の台詞であろう。
 高らかに声を張り上げる艦長に続いて、クルー達も繰り返した。



……幼き命等の未来に、幸、あらんことを。


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 最終的な詰めも済み、今更足掻いてみても仕方ないこともあり。
 ブリッジでの決起集会を終えた彼ら。
 ……硬質な黒髪と荒削りな魅力の顔立ちをした少年、VGにおけるエースパイロット兼リーダである相葉祐希と。
 同じく、パイロット部署を勤める甘いマスクに、更に巧みな話術が備わった二枚目、尾瀬イクミは。
 ……何故か二人して、申し合わせたように同じ場所にいた。
 ――その場所とは、
「…明日、か」
 両者が道ならぬ恋慕を寄せる唯一の人、――リヴァイアスにおける、おそらくは最も『無くてはならない存在』である、相葉昂冶のプライベート・ルームだった。
「…ついに来ちゃいましたって感じだねー」
 不安そうにする昂冶が思わず零したそれを、軽い調子で受け止めてイクミは肩を竦めて見せた。
「………うん」
 机に備え付けられている機能重視の椅子に腰掛けて、沈み込んだ声を出す兄に、向こう見ずで無鉄砲な性質を多分に持って生まれついた弟が、背中から抱きついた。
「…ンな顔すンなよ、兄貴。
 ――ぜってー、大丈夫だから」
「……ん。」
 根拠は無いのだろうが、傑出した才覚を誇るエースパイロットは、常に前向きで過剰なほどの自信家だ。それが、今は心強かった。
 心からのものではないにしろ、やっと笑顔を見せてくれた兄に安堵して、祐希はそっと抱き締めていた躰を放す。名残を惜しむように、首筋優しく辿りながら。
「…そういえばさ、ブルーとレインって……。
 ブリッジの集会に出てなかったよな?」
 と、ふいに昂冶は思ったそれを口にした。
 今朝、再度作戦の確認を行ってから彼らと別れて、それ以来姿を見ていないと心配する少年へ、気の利く親友が答えた。
「大丈夫っしょ、あの二人なら。
 ブルーの方には特に有事に動いてもらう手はずだし、色々準備とかあるんじゃないですかね」
「……そっか」
 実際、殊に戦闘となればブルーにその多くの部分を頼ることとなるのは必定だ。同じく、リヴァイアスにおける強者として肩を並べる祐希やイクミとて、それなりに腕に覚えは在る方だが、あくまで、アマチュアレベルだ。実戦――つまり、人の命を奪うというレベルの話では、ブルーは群を抜いている。
 潜在的な能力そのものは祐希とイクミの二人も、おそらく決して蒼の王者に劣りはしない。だが、潜り抜けた修羅場の数がその力に決定的な差を成しているのだ。
 互いの命を凌ぎ合う戦場に、孤高の獣は酷く様になる。
「それより俺としては昂冶くん達の方が心配ですー」
 こーんな可愛くて、万が一にも襲われたりしちゃったらと思うとー、と、冗談めかして嘆く友人に、昂冶はくすくすと笑い出す。
「なに言ってるんだよ」
 茶目っ気の多い親友の軽口には随分と慣れて、笑顔も一段と愛らしく、昂冶はイクミの言葉を受け流す。
「大丈夫、ネーヤもいるし。なんとか頑張ってみるよ」
 一人の犠牲者を出すこともなく、灰奪還作戦を完遂しなければならない。それには、昂冶と、黒のスフィクスの力が最も重要な役割を果たすのだ。作戦の中心には精鋭である彼ら、リヴァイアス三強があたるのだが、それも、後方の護りをしっかりと固めてこそ。
 いくら灰を奪還し作戦をを成功させたとて、黒のリヴァイアスを強襲されたのでは元の木阿弥になりかねないのだ。
 いや、人質の数が増えるだけ、互いに厄介になる。
 反政府組織としては、盾となる人間を数多く確保することは、ある意味意義がある。しかし、食料の確保などの彼らの生活に必要な最低限の資金。また、捕虜を多数抱えることによる、内部反乱の危険性など、問題も多発する。
 ――…諸々の事情を解決する策として最も簡潔な手だてが、捕虜を在る程度残して始末してしまう事、だ。無論、表だっては全員の無事を保証しておいてのこと。
 救出を望む側としては助ける人間の数が増えれば増えるだけ動きがとりにくくなる。例え百人中九十九名を無事に救出したとて、残りの一人が敵の手に陥れば問題となるのだ。
 それに、味方の全員無事を願う――それが例え建前であったにしろ――政府側としも、多数の人間が捕虜として捕らえられた場合の末路はよく理解している。
 迅速でありながら確実性を必要とする救出は、困難を極めることとなる。
 己の役割の重要性を、勿論、昂冶はよく理解していた。
 艦内の人間の安全は全て己の双肩にかかっている、と。
「なぁ、兄貴」
「ん?」
 と、何やら窺う声つきで、目つきも態度も口調も悪いが技量は天才的な少年が兄に呼びかけた。
「そのネーヤだけど、あいつ、兄貴に何でもかんでも言ったりとかすんのか…?」
「?? 何?」
 質問の意味を捉えきれずに聞き返す昂冶に、その気の短さと気性の荒さが売りのお子様が珍しいことに根気よく言い直した。
「…だから、あの女スフィクスなんだろ。
 艦内の人間の考えてる事とか『感じる』事が出来ンだよな」
「………? ああ、そうみたいだけど…」
 だからどうしたと言わんばかりの兄に、焦れ始め、祐希は性急となる。
「つまり、どいつがどーだとか、こんなこと考えてるとか。そういう余計な事言ってくンのかって事きーてんだって!」
「…何も言わないぞ?」
 一人で苛立ち始める弟を不思議そうに見遣りながら、昂冶はちょこんと小首を傾いで答える。
「何かあるのか??」
 そして、最も行って欲しくない切り返し方を。
「……別に、なんでもねーよっ!」
「……? ならいいけど…」
 到底納得し得るはずもないが、執拗な詮索は互いに好む所ではないので、昂冶は大人しく引き下がった。
 一方の、暴君お子さまこと相葉祐希は、そっと胸を撫で下ろしていた。
(……ったく、兄貴妙なところだけ聡いから…。
 にしても、助かったぜ…あの女、兄貴に変なこと吹き込んでねーで)
 黒のスフィクスにおいては、人のような『記憶』の成り立ちが可能であるかは疑問だが、己の気持ちを人外の生命体の口から曲解して伝わることは好ましくない。
 稀に正しくあったとしても、他者の言葉でというのはやはり気持ちの良いものではないのだ。
 それに、まだ――。
 この、兄弟としての時間を確かめ合うように大切にしていきたいから。
 例え今が、硝子細工のように脆く儚く、一瞬で砕け散る刹那の夢だったとしても――。
「えーいっ!」
「わ!! イクミッ?」
 ……と、それまで事の成り行きを見守っていたもう一人…イクミが椅子に座っていた昂冶をベッドのところまで連れて押し倒す。
「!! てめッ!!」
 無論、黙って見過ごしていられる穏和な性格じゃない弟は、カッとなり叫んだ。
「なんか、イクミ君仲間はずれで寂しいです〜」
 が、なんとも気の抜けた泣き言を言ってのけるので、振り上げた拳から力が失せた。
 昂冶はと見れば、突然の事に面食らってはいるものの、表情は柔らかい。
「ほーら、いい年した野郎がなーに可愛らしく『仲間はずれ〜』とか言ってるんだよ」
 ぽむぽむっ、と。
 小さな子をあやすかのような仕草で背中を撫でられる。その感触が心地よくてイクミは更に懐いた。元々、猫の仔のような性質を持つだけに、かいぐりされることには本能的に弱いらしい。
「んーっ。昂冶くんたら、床上手〜♪ 気持ちいい〜♪」
「…何言ってるんだか。ほら、重いから退く」
「いやーだよ〜ん♪」
 ごろごろごろ。
「………もぉ…」
 甘え上手の言い草に、昂冶は呆れ半分に溜息をついた。
 残りは『仕方がない』というそれ。
 普段から、無理も無茶も平気で口にしてくれる親友は、逆に相手に過度の負担となるような真似が全く無い。
 適度に甘えて、適度に頼って、それが向こうの苦痛にならぬ程度に。
 その辺の手綱の繰り具合は絶妙で、おそらく天性の素質であろうが、賞賛に値する。
 なのに。
 今はこうやって、少々強引で迷惑な程の甘えっぷりでいる。
「仕方ないやつ…」
「あはは、まぁねー。イクミくんたら、結構へたれなんですよー。知ってました?」
「知ってるよ。けっこー、しょーがないもんな?」
「ありゃま。ひどーい、昂冶くんたら容赦なーい。って、うわわわわ!?」
 甘やかな一時を楽しむ同僚の首根っこひっ掴み、穏やかに微笑む昂冶の元から剥いでみせるのは、背後に仁王立ちして迫る弟だった。
「……てめー、人が黙ってりゃ兄貴にべたべたしやがって! 調子にのってんじゃねー!!」
「やーだねー、祐希くんたら心が狭くて」
 思いっきり掴まれて皺のよった襟首を整えながら、イクミはぼやいた。
「こんなのが昂冶くんの弟だなんて未だに信じられないですー。
 どーせ、昔っから目つきと性格のわるーいお子さまだったんだろ。
 で、お兄ちゃんに迷惑かけ通し。間違いないね、うん」
「てめェこそ、昔っからそのにやけ面だろ」
 言われる義理はねーな、と、吐き捨てる祐希。
 バヂバヂッ、と、二人の視線上で火花が散ってゆく。
 だが、そんな水面下の戦いなど何処吹く風、ベッドの上で上半身を起こした昂冶は、その下の収納ケースをごそごそと漁りだした。
「…あのさぁ」
 そして、年期の入ったアルバムを取り出して開く。
「見る? 昔の写真あるけど」
「「!!?」」
 黒のリヴァイアスにおける最強の名を冠する二人の諍いを止めたのは、人畜無害を絵に描いたような少年の一言だった。
「見るみるみるっ!」
 実のない言い争いなど既に興味を失せて、イクミが飛びついてきた。その深みのある翡翠が好奇に生き生きと輝く。
「!!」
 半瞬遅れて、己の過去を暴露される事に気が付いた、珍しく反応鈍く天才が慌てた。
「ちょっ、ストップ! やめっ、」
「……………!!!」
 が、既に時遅し。
 目をまん丸くし、口を大きく開けたなんとも間抜けた表情で、二枚目の呼び声も高い尾瀬イクミがアルバムの前で固まっている。
「かわいいだろ。これが五つの時、近所のお祭りのやつ。こっちは水族館で撮ったのなんだけど…」
「…………」
「……? イクミ??」
「…………」
 昂冶が取り出してきた昔のアルバムに写る幼い兄弟。その片方は紛れもない相葉昂冶、その人。幼き時分より愛らしく、多少今よりもやんちゃな印象があろうか。今より背丈も体つきも余程小さく纏まっており、アルバムに残る姿は純粋に可愛らしい。
 が。
 問題は、その彼の隣りに写る子どもだ。
 癖の強い黒髪を肩辺りまで伸ばし、怯えるように兄の影に隠れて写真にいる子。その小綺麗に整った顔立ちからは性別は判別し難く、幼い子にある中性的な愛らしさがそこには写し出されていた。
「………えーっと?」
 見た限りでは、仲睦まじい兄弟の写真だ。
「……えーーーっと???」
 微笑ましい思い出の数々。普段ならば、今となってはこの目にする事の出来ぬ『過去の昂冶』の姿に、心を躍らせている事だろう。
「………、だれ?」
 だが、一切喝采を吹き飛ばす衝撃的な映像がイクミの思考を浚っていってしまった。通常ならば、他人の三倍は回転の速い頭はその機能を完全停止させていた。
「誰、って。祐希に決まってるだろ」
 可愛いよな〜。と、愛弟の在りし日の姿に幸せそうな顔をする、リヴァイアス一の人気を誇る少年に、イクミはぽつりと、
「…………………うそ」
 と、だけ呟き返す。
「こんなことで嘘つく必要ないだろ?」
 親友の深い驚愕には微塵も気付かずに、昂冶はちょこんと小首を傾げた。
「いや、でも……………可愛いんですけど……?」
「だろーっ♪」
 嬉しそうに破顔する昂冶も、殺人的な程に愛らしいのだが。
 いやもう、ホントに可愛い。
 確かに、昂冶の言う通り、この写真に残る姿は非常に愛らしく。現在の姿と見比べると、完全に別人だ。いや、顔貌における造作の美しさはそのままに、可愛らしさを全て引っこ抜いたような、成れの果て。
「……はーっ、人って変わるもんだなー。
 このまま素直に育ってくれりゃ、昂冶も苦労せずに済んだのに……、っ!!」
 まじまじとアルバムを見て呻るイクミだったが、背後の殺気を察知し、素早く回避行動をとる。
「っ、ちッ! 避けてんじゃねーよっ!!」
 と、忌々しげに舌打つのは今し方、愛らしい過去を披露してくれたお子さまだ。殴り倒す対象を見失った拳が中空で悔しそうに震えている。
 しかし、直ぐにも敵に興味を失せると、早々と兄の方へ向き直り睨みを利かせた。
「〜〜〜っ、兄貴っ! なんでこんなもん持ってンだよっ!?」
「……え、? あ。えと、………なんか荷物に混じっちゃってたらしくて……。
 …なんか悪かった?」
「………」
 弟の突然の激昂の理由が思い当たらずに、しぱしぱと瞬きを繰り返す昂冶。そんな仕草にすっかり毒気を抜かれた乱暴者は、無言でアルバムを閉じて取り上げた。
「…没収」
「………って、えぇっ!? 持っていっちゃうのかっ? なんでっ?」
「なんでもだっ! 兎に角、ここれは俺が預かる!」
「えー……」
 至極残念そうに不満の声を上げる兄に、しかし、こればかりは譲れぬと祐希は強行な姿勢を示した。
 天才の名を冠する無法者。
 その他大勢より抜きんだ才覚と傍若無人な性格が、在る者を魅了し、在る者を畏怖させ、そして、多くを従わせる強者。
 その名を知らぬ者はない、エースパイロット・相葉祐希。
 ――の、微笑ましいと言おうか、可愛らしい子ども時代の過去。当人からすれば、恥ずかしい過去が暴露されてしまう危険物だけに、見過ごすことは出来ないようだ。
「ありゃん、直しちゃうんですか? 折角可愛いのにねー」
 と、祐希の心中は充分に察している尾瀬――だが、分かっていて、十二分に理解しておいて、揶揄る性格の良さたるや、やはり彼も三強が内一人。
「だろっ♪」
 皮肉紛いのそれを、そうだとも気付かずに嬉しそうにするお兄ちゃんに、イクミも調子に乗って続けた。
「ほーんと、可愛いです〜♪
 ちなみにこの頃、祐希くんてば昂冶くんのことなんて呼んでました?」
「普通に『お兄ちゃん』だったよ。
 もーっ、それがさっ。俺の後ろちょこちょこ付いて回って可愛いかったんだって♪」
「あはははははっ、そーりゃ可愛い♪ いでっ!」
 大笑いする少年の頭が、アルバムの角にしたたかに打ち据えられた。
「〜〜〜〜ったーー……」
 後頭部をさすりつつ、ベッドに沈み込む灰褐色の頭。流石に角は痛恨の一撃だったらしく、言葉も無い。
「イッ、イクミッ? 大丈夫……」
 ではないだろう。
 おおよそ、力の限りに殴りつけられたその場所は大きな瘤になっていた。
「祐希っ! いきなりっ、なにす…る…」
 流石に声に険を籠める昂冶だったが、がっし、と両肩を掴まれ目の前に切迫した表情で詰め寄られ、その勢いに思わず口を閉じてしまう。
「…………あにきっ」
「? …なっ、何?」
「……マジで頼むから、昔のことを誰にも話すな」
「…あ、ああ。わかった」
 余りに真剣なのだ。折角可愛いのに…などと、少々の不平不満はあるものの、従わざるを得ないだろう。
 とりあえず、己の過去の多くを知る危険人物の口止めに成功したエースパイロットは、ほうと胸を撫で下ろして腰を椅子に据えた。
 ちなみに、アルバムの角というなかなか侮れぬ威力の凶器で頭を打ち付けられた同僚パイロットは、いまだに悶絶中。
「〜〜〜っ、ゆーきくんったら、容赦ない……」
「大丈夫か、イクミ。ゴメンな? 医局に行く?」
 冷水で絞ったハンカチを瘤の辺りに置いてやり、昂冶はそろそろと親友の灰色の髪を撫でた。
「いらねーだろっ、ンなもん。いつまでも弱ったふりしてんじゃねーよっ!」
 が、加害者である少年はいつもの調子で尾瀬を睨みつける。
「祐希ッ!」
 めっ、と、年上然とした態度で弟の傍若無人っぷりを諫めるお兄ちゃん。
「………」
 無論、こればかりは己の非を認めてはなるものかと祐希も無言だ。
「もー…」
「あー、いいっていいって昂冶。
 俺の方もからかって悪かったしね。ごめんね〜、祐希くん♪」
「………?」
 何故か物わかりの良い態度で引き下がる一癖も二癖もある同僚に、当然、祐希は胡散臭気な視線を投げかけた。
 この世渡り上手の策略家が素直に己の非を認めるはずがないと、疑惑が沸くが、親友のらしくない態度に微塵の疑いも抱かない兄弟は、しきりに謝罪の言葉を繰り返すのだった。

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 静まり返った艦内、疑似映像が投影される展望台。
 今はもう、目にすることの叶わぬ美しき惑星の姿。『地球』という名の、人類の母。深淵なる宇宙に煌々と眩い生命の輝きは、――限りもなく青かった……。
「なんか用か?」
 偉大なる母の遺影をぼんやりと紅眼に映し込み、レインは静かな口調で背後へ問いかけた。人気の無い展望台、微かに耳に触る空調の音、その静寂を乱さぬ落ち着いた声で。
「………」
「……用、無いならもう帰って休んどけよ。
 明日、キツイぜ」
「………」
「………」
 応とも、否とも返答せぬのを相手に淡々言葉を綴ってみても、これではまるで道化も同然と、灰のスフィクスは会話を切り上げた。
 黒のリヴァイアスにおいて、誰よりも荒事に通ずる者相手に忠告など、それこそ無意味であろうし。
「……訊きたい事がある」
 すると、漸く背中の闇と同化する来訪者は口を開いた。
「…なに?」
「…お前は他者(ひと)の死で満ちるのか…?」
「……………」
 長い沈黙の後に、はーっ、と、盛大な溜息を吐いてみせるレイン。その動作は芝居がかっており、真意は測りかねた。
「お前といい、尾瀬といい…。ヤーな質問してくるよな?
 もーちょっとこー、遠慮とか気遣いとか思いやりとか、そーゆーの持っとけ」
「………」
「…睨むなよ。」
 冗談の通じる相手ではないとわかっているだけに、レインも悪かった悪かった、と、何処か冷めた目の色をして苦笑する。
「…人が死ぬとな、場所を確認出来るだろ。
 …だから、…だろうな。……別に人の死に際とこみて愉しいわけじゃねーけど、…ああ、コッチ側だ、ってな」
 そう、軽く肩を竦めて、何事も無かったかのように無機質な映像に意識を戻してしまう。
「…………」
 時の流れより外れた異邦者の受け答えに満足いったのか、得心したのか、おそらくはどちらも否であろうが、苦い質問を投げかけた人物は言葉もなくその場を離れた。
 触れて欲しくない部分、踏み込んではならぬ場所。
 それを察して、好ましくない行動を慎んだのだ。
「……は…っ」
 完全に人の気配が消え失せるのを待って、レインは詰めていた息を吐いた。
「……。……なにやってンだろな」
 所詮は、今限りの繋がりで、作戦が終了すれば全てが瓦解する。いっそ、何一つとして築かなければ、喪失に怯えることもなかろうに。
 序章から終幕まで、緻細に書き込まれたシナリオでこなしてゆく。
 その義務だけを果たしておればよいが、不必要な程に求めてしまう。
 ……ココロが、渇いて仕方がない。
「――…恨まれるだろーなー…」
 人で在る以上、人であった以上、……人が恋しくなる。
 それは、人間が『人』であるが故の性か。
 理性と知性で抑え込もうとすればするほどに募り、情が狂気に染まってゆく。
「性分ってやつだな…ま、しょーがねェ」
 今は、遠くない未来の結末を思うよりも、目先の問題をどう処理してゆくか…それだけに集中しなければならないのだから……。

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 イタイ、 ?

 無機質な少女は、茫洋と呟いた。
 リフト鑑内のVGモデルの傍に、ぺたりと足を曲げて座り込んで。
 彼女の精神(こころ)は、自身のものではなく、他の誰かの感情に影響されていた。
 声もなく、大きく見開かれた瞳からは想いの滴が溢れて。
「……、…辛いノカ…。
 …だから、イッタのに……。ボクは、……後悔スルト…言っタだろう」
 抑揚のない台詞は、彼女の意志ではあるまい。
 何者かの感情に引きずられるようにして、美しき少女は淡々と綴る。
「……ダカら僕は――…ヒトが嫌いナンなンダ…、…」
 己の意志とは裏腹に、強引に押しつけられた狂おしいまでの切なさが、黒の戦艦に咲く可憐な少女の心を踏みにじった。
 溢れ落ちて、止むことのない痛みが、胸をキリキリと締め付ける。
「――…ッ!」
 生と死の狭間で交錯する人の、幾多の想いを受け止めてきたスフィクスは、今までとは全く様相の異なる感情に戸惑い、息を詰めた。
 やがて、浅い呼吸を繰り返し、繰り糸を失ったあやつりのようにだらりと、四肢を投げ出して虚ろに視線を彷徨わせる。

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 可哀想 。


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誰に手向けたものなのか、声なく囁いて……少女は、掻き消えた……。





 緊張が鑑内を支配する。

「ねぇねぇ、今日ってあれでしょ? なんか、ほら訓練があるって」
「部屋から出るなってやつだろ。対テロ組織の実地訓練だって話だぜ」
「なんでそんなのするんだろねー?」
「さー、でも違反者には罰則だろ。ちょっと物々しいよな」
「それだけ大がかりってことなんでしょ」
 似たような会話が、どこそこで交わされる。
 それでも、普段通りの食事風景。情報規制は完全に敷かれており、誰一人、ブリッジの発表を疑うこともない。
「あーあー、ついてねーなー。なんで俺達はリフト鑑待機なんだよー」
 そして、VGのサブパイロットを勤めるやんちゃな少年も、その内の一人であった。
「ニックス…しょうがないよ、訓練の協力要請が出てるんだし」
「わーってるけどさー、第一、アキヒロは物わかり良すぎなんだよなー」
 友人に宥められても、ふてくされた顔でぶちぶち文句を言い続けるお子さまに、アキヒロは困ったように肩を竦めた。
「ほら、早く食べないと時間に遅れるよ?
 第一、今回の訓練が終わったらちゃんと休暇が貰えるんだし、頑張ろうよ」
「……はぁ、しゃーねーなぁ。
 けど、俺達にまで声が掛かるって事はさ、イクミ達もなんだろうな」
 甘エビピラフの色鮮やかなグリンピースをつつきまわして、ニックスは名何気なく零す。
「そりゃそうだろうね、メインパイロットだし」
 食後の渋茶を味わいつつ、ふっくらとした体格の友人が軽く相槌を打った。
「メインの連中かー…、あつらも次から次へと大変だよなー……」
 当初、憧れだけでパイロット部署を望んだだけに、ハードな職務内容は少年にとって大いに不満らしい。俺、メイン目指すのやめよっかな、などとぼやいた時、艦内に女性の声が響いた。

『艦内のクルーに告ぎます。
 全員、すみやかに所定の場所へ移動して下さい。
 訓練開始はこれより一時間後になります。全員すみやかに所定の場所へ……』


「ほら、召集だよ。行こうよ、ニックス」
「あーっ、もー、しょーがねぇっ!!
 ほら、行くぞー! アキヒローーー!! トロトロしてんなよなっ!!」
「……はいはい。」
 今の今までぶちぶち文句をたれていた分際で、えらい豹変っぷりである。
 少々呆れつつも、いつものことなのでそう気に止めることもなく。人の良いクルーは、湯飲みと友人が食べ散らかしたピラフの皿、きれいによりわけられた緑の粒が残るそれを、食器返却口に戻して、リフト鑑へと急いだのだった。

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2007/07/15 加筆修正



公演ホールへ