act.17 銀幕の中で
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リフト鑑には既に殆どのクルーが揃っており、メインパイロットを勤める三強の二人と、話題の新顔が、VGモデルの下で何やら深刻な顔をつき合わせていた。
しかし、そんな重い雰囲気など何処吹く風、やんちゃ坊主のレッテルを貼られる少年は、力一杯、年上の背中を叩き付けた。
「よぉーっス! イクミ!」
「うわっ!!」
「にっ、ニックス!! ダメだよ!!」
慌ててそんなお子さまの暴挙を止める苦労性の友人。
前からニックスと懇意にしている尾瀬には軽い冗談で済むが、他の二人…特に、眼光も鋭い黒髪のエースパイロットには洒落は通じないのだ。
案の定、敵意を剥き出しにした睨みを利かされ、温厚な人柄の少年は凍り付いた。だが、鉄砲玉のような友人はケロリとした顔だ。余程の大物か、バカかのどちらか――、
「なーに、野郎同士で顔つき合わせてんだよっ!
あ、ひょっとしてキンチョウしてんのか、キンチョー!! あっはははは、ダッセーー!!」
(………バカだ……)
断言可能なバカっぷりを露呈するニックスに、もはやアキヒロもフォローの言葉もない。呆れ返った後、一つ、溜息を吐いてサブルームへ。
「うぉっ! なんだよー、アキヒロ! 一人で先に行くなよなーっ!!」
と、置いてけぼりをくらわせられると知って、無闇に威勢のいいお子さまが慌てて友人の後を追っていった。
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「……ウッゼェ、ガキ」
一人で大騒ぎしていったお子さまに対しての感想を、パイロット部署の新顔は一言で述べた。
普段、何事にも享楽的で快楽的、開放的な性格だけに、他者に対してそれと判るような嫌悪を抱かないのが、レイン・シルエと名乗る青年の最大の特徴であるのだが。
どうやら、けたたましく騒ぎ立てるお子さまはカンに触ると見えて、柳眉を寄せ、気を悪くした様子でいる。
「…サブから外すか……」
だが、彼らパイロットのリーダーたる黒髪の少年は、レインに輪を掛けて不機嫌だ。何やら不穏な内容を呟くのを、気遣い上手な同僚は宥めに掛かる。
「あー……、あいつには俺からちゃんと言っとくから、勘弁してやってよね?」
VGのメインパイロット、更にその中でもリーダーの地位に立つ相葉祐希という人物には、パイロット人事における最大の発言権があり、先程の発言のような真似も可能なのだ。
「……次」
「?」
「同じ事したら、外すって言っとけ」
「はいはいっ、了解♪」
今のような、メイン同士での話し合いの場における、乱入の事を指しているのだろう。とりあえずは薄皮一枚で繋がった年下の友人の首に安堵しつつ、イクミは手元の見取り図を広げた。
「さーってと、んじゃ話の続きといきますか」
事前に、何度となく確認された事項を再度確かめる――作戦の最終チェックだ。
「在る程度こっちのシナリオ通りに事が運んでるみたいなんだけどね、ま、何処まで紳士的に対応してくれるのかはアヤシイけどね」
そうぼやきながら、灰色の毛並みをした猫はしなやかに言葉を綴る。
「基本的には手はず通り、トラブルがあれば各自の判断で対処。O.K?」
「適当じゃねーか…」
灰の奪還作戦が、このような杜撰さで良いものかと今更ながらに溜息つく祐希に、イクミは、からっとした笑顔を向けた。
「緻密な計画なんて立てれば立てるほどハプニングに弱いもんだからね、これっくらいでいいんでない?」
「……気楽なやつ…」
「あっはは、まぁね〜♪」
成績優秀で人当たりもよく、素行も素晴らしい尾瀬イクミという人物は、決して、その見かけ通りの優等生ではない。
したたかに世を渡る術を知る彼は、悪ぶっている同僚よりも余程、人が悪い。
なので、非常時においてはブルーと並び頼りになる事この上ないのだ。……素直に、そのことを賞賛するような真似は決してしないのが、相葉祐希という人間なのだが。
「で、お前等ジャレてねーで、こいつは頭にたたき込んでンだろーな?」
二人の会話に割り入って、レインがぺしっと見取り図を叩く。
「…当然だ」
「心配ご無用ってね」
「………」
黒の戦艦における実力者達、彼らの心強い返答に満足すると、レインは見取り図の描かれた薄っぺらいコピー用紙を携帯バーナーで四隅から燃した。
完全に灰となったそれを見送り、紅玉閃かせ、青年は不敵な笑みをその美貌の面に貼り付けた。
「じゃ、行ってくるぜ。巧くやれよ、お前等」
「そっちこそ、……ヘマすんなよ」
不器用ながらも、精一杯の気遣いの言葉を盟友へ掛け、祐希はそっぽを向いた。
(ゆーき君ったら素直じゃないなぁ……昔はあんなに可愛かったのにねぇ)
などと、同僚が隣りで苦笑いするが、幸か不幸か当人は少しも感づいてはいないようだ。
「! レイン!」
と、何を思ったのかイクミは去りゆく背中に向けて、呼びかけた。
「尾瀬?」
なんだ? とばかりに肩越しに振り返る華麗なスフィクスに、人の悪い笑い方をしながら、呼び止めた方が近寄る。
「ちょ〜っと、行く前に待ってね。これこれ♪」
背後からの胡散臭さ気な視線も取り合わず、尾瀬は己の影に隠すようにして何か紙らしきものを懐から探り出す。
「それがどうした………、………! ……っ!!」
突如、ふるふると肩を震わせるレインに、益々祐希は怪訝そうにする。
そんなリーダーたる少年の疑惑の視線をかわすようにして、尾瀬は例の写真を灰の青年へこっそりとお披露目していた。ご丁寧に、写真の裏に『祐希君、在りし日の姿。近所のお祭りにて』と黒いサインペンで解説が入れられている。
『かっ、……かわいっ……、……腹、いてェ……っ…!!』
『でっしょ〜♪ 実は、まだあと二枚ほど抜き取ってあるんだよね〜。
残りは、帰ってきてからのお楽しみってヤツで♪』
「こりゃ、意地でも死ねねェな。心残りで」
「そうそう♪ と、いうわけで。頑張ってね〜♪」
「??」
二人のやり取りの内容は、当然ながら祐希には見当もつかない。ご機嫌で帰ってきた尾瀬を不信そうに睨み付けると、両腕を組んだまま声を張り上げた。
「尾瀬! 早く定置に戻りやがれ!」
「はいは〜いっ、わかってるって」
「???」
尾瀬の掴み所の無さはいつものことだが、今日に限って何故だか一種の悪寒すら覚え、祐希はチッ、と舌打って、自分自身もコックピットへ乗り込んだのだった。
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作戦決行まで、後、二時間。
通常通りにブリッジへと出勤したオペレーターの少年は、キィン、と張りつめた緊張感の中で、心許なさに吐息をつく。
「………はぁ」
左手は、しきりに右肩をさすっていた。
(……昨夜も今朝も痛かったんだよな……、まぁ、直ぐに良くなるんだけど)
時折、酷く痛む傷跡。
それは、時に呼吸すら止めかねないほどの苦痛を少年のか細い躯に刻み込む。
念のためにクリフから横流ししてもらった強力な痛み止めは、幸いにも未だ使う機会無く済んではいるが。一応、今日も上着の内ポケットに忍ばせてある。
かつての事件で無数の針に撃たれた傷跡は、既に完治している。右腕を、肩より上に上げられないという後遺症こそ残りはしたものの、痛みを感じる事など無かったのだが。
(一度…ちゃんと看て貰った方がいいよな)
治療機械による、自己検診()では問題無しとされたが、痛みを伴うのは事実だ。
「………痛むのか…?」
と、ふいに、背後から耳に馴染む低い声が響いた。
「!! ブルー…、驚いた……」
蒼き孤高の野生――…何者にも屈せず、何事にも捕らわれず、ただ本能のままに生きる美しき狼。エアーズ・ブルー。
「――…辛いか?」
昂冶の驚愕には頓着せず、怜悧な獣はそっと少年の右肩に触れた。
「っ、だ、大丈夫っ…だから」
目を白黒させて慌てる昂冶に、ブルーは、そうか、と返す。
「けど、ブルー…。どうしてここに?」
何か用事でも? と、善意で訊いてくる無垢な少年に、蒼き獣は眼差しを優しく滲ませた。
(う……わ……)
いつもながら、この表情にはどきりとさせられる。
普段の酷薄なる氷の微笑とは全く趣の異なる、そう、まるで孤独たゆたう星の海から見下ろす地球の青さにも似た。
「……行ってくる」
「え、あ、はい。行ってらっしゃい…?」
何、だったんだろう…? と、呆然とブルーの背中を見送る昂冶は、はたっと今し方のやりとりの気恥ずかしさを自覚する。
(〜〜〜っ、新婚さんじゃないんだからっ……)
幸運を、とか、武運をとか、それでなくとも、気をつけてとの言葉を手向けるべきだろうに……己の間の抜けた性格を、頬を可憐に染め上げながら悔やむ昂冶だった。
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宇宙の傷跡と呼ばれる『天国への道(。
その宙域が近づくにつれ、ブリッジは言い得ぬ緊張に包まれていった。
磁場嵐により全ての計器類を狂わされる悪夢の場所へ足を踏み入れるとなれば、無理もない事ではあろうが。
他の技術者達よりも余程リヴァイアスの操舵に長けているクルー達とはいえ、やはり経験不足による未熟さと、若さ故の精神的な脆さは否めない。
艦長を始め、殆どのブリッジクルーは、そわそわと落ち着かない様子だ。
「艦長、作戦まで後一時間ほどですが…」
「う、うむ。そ、そろそろ鑑内放送をかけてくれたまえ」
「了解致しました」
艦内アナウンスが一般クルーの避難…表向きには訓練協力のための移動を知らせると、一層、ブリッジの緊張が高まった。
艦長の艦内放送の指示――それは、『天国への道』への突入の合図でもあった。
今作戦において重要な責務を負う少年も、ごくりと喉を鳴らせて顔を強ばらせる。
――…果たして、巧くゆくのだろうか……、一抹の不安をよぎらせる細身の少年の脳裏には、先日よりかわされ続けた作戦会議の様子がありありと甦っていた。
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人払いのされた小会議室。
黒のリヴァイアスにおける、おそらくは最大戦力の三人+灰のスフィクスを名乗る青年。そして、黒の戦艦の化身である少女と言葉をかわす少年。
更には、艦長と副艦長という、主要メンバーの揃った状態で作戦会議が開かれていた。
……ちなみに、レインについてだが、その正体を公にするわけにもかず。身分をゲシュペントのクルーと偽り、今回リヴァイアスに搭乗したのは、VGや黒の戦艦の実際稼働率を『灰のクルー』の視点から内部調査するためであったと弁明してある。
黒の戦艦の引き渡し場所、日時、交渉内容などの諸々について。
政府より詳細が伝えられたのは、作戦決行より四日前の、夜半過ぎであった。
それらを受け、再度、この面子での話し合いとなったのだが。
まず、艦長であるルクスンが、咳払いひとつの後、口火を切った。
「敵の要求の一つが、我々自身で『天国への道』の指定座標まで航行を行うこととある」
「このことについては、私たちの操舵技術に多少なりともの不安はありますが、難色を示すような無理な要求ではありません。
よって、私たちは現在も『天国への道』に向かい進路をとっています」
艦長の言葉を受け、副艦長の任を受ける凛とした印象の少女が補足説明を行う。
普段は、どちらかといえばおっとり天然タイプの美少女であるユイリィの、その公私のけじめのついた有り様は酷く好ましい。
彼女の言葉が終わるのを待ち、艦長は更に続けた。
「向こうが提示してきた条件はまだ幾つかあるのだが。
……その…だな。…非常に言いにくいのだが、VGのメインパイロットの身柄の…拘束を要求してきており…」
「………!」
その場において、それと判る程に動揺してみせたのは昂冶、ただ一人であった。元より白磁の肌は、更に血の気を失せ、固唾を呑んで艦長の次の言葉に耳を傾ける。
「…ま、そーなるだろうねぇ。危険因子を放っておくほど寛容じゃないってか、バカじゃないってとこだね」
「――ふん」
VG現パイロットの二人は、予想の範疇だというように事も無げな様子でいる。
「ま、でも好都合だな?」
そこに、レイン――灰の青年が口を挟んだ。
「……どういう…?」
ルクスンが理解しかねるといった風情で、顔を顰める。
「身柄受け渡しの、その小型艇に忍んで行けば労せずに灰本鑑に乗り込めるだろ? 灰のクルー連中もゲシュペントに監禁されてる。おそらくは――…」
「俺達もソコに監禁てやつ?」
茶化すように合いの手を入れる優しい灰色の髪のパイロットに、レインは軽く頷く。
「ああ。よかったな、VIP待遇だぜ」
「ちゃーんと、三食昼寝付きだといいんですケドね〜」
「……永遠に寝てやがれ」
ぼそりと、隣りで野生的な容姿の同僚が零したが、当然イクミは気にも留めない。
「小型艇で俺とブルーは『灰』に潜入する。
……構わないな? 艦長」
「――うむ、」
渋面を造りながらもルクスンは許可した。虎穴に入らずんば虎児を得ず。無謀とも思われる潜入作戦も、リヴァイアスきっての実力者――エアーズ・ブルーと、灰の設備構造に詳しい青年とならば可能性はある、と。
「で、まぁ。俺達は人質として連れてかれちゃって、ブルーとレインは単独潜入。
……って、ことは。必然的にこっちの護りは昂冶に頼ることになっちゃうのか……」
尾瀬は大きく息を吐いて、少し離れた場所に座る親友に話を振った。
「え……? あ、…そっか。」
愛弟と親しき友人を人質として敵に差し出すという事実、更に危険を伴う潜入作戦の前に、彼らの心配ばかりをしていた昂冶は、一瞬呆けるてみせた。
「こ〜じく〜ん、『あ、そっか』じゃないですよ〜」
道化めいた仕草で、カクッ、とイクミは肩を落として嘆く。
「――兄貴らしいけどな」
隣りで生意気な憎まれ口を叩く祐希に、天然仕様さが可愛らしいお兄ちゃんは、なんだよっ、と羞恥に染まった視線を寄越す。
「…話をすすめて構わないだろうか?」
周囲に張りつめた空気が一転し和んだ雰囲気に取って代わるが、艦長の一言が場に緊張を呼び戻した。
「一般クルーについては、航行に必要な最低限の人間を除いて生活圏から一切の外出を禁ずる事。ブリッジ、リフト鑑、また艦内各所には監視が与えられる、などな。
――細々した事については手元の資料の中にあるので、目を通していてくれたまえ」
「私たち、ブリッジクルーは敵の監視下におかれます――よって、あなた達への支援その一切を制限されることとなります」
副艦長という責任者の立場に在る少女が、辛く表情を歪めながら語る。
「自分たちでなんとかしろってことか」
難儀そうにするVGパイロットの一人に、ユイリィは『ごめんなさい』と、短い謝罪を口にした。
すると、尾瀬は愛想を良くして、大丈夫だと片手を振って寄越す。
「ま、なんとかなるっショ?」
との、コメント付きで、だ。
「…支援なんぞ最初()ッからアテにしちゃいねェさ。それよりも、こっちはとにかく大人しくしておいてくれ。下手に騒ぎになって灰の人質に危害が加わる事態を避けたいからな。
それに……万が一にでも情報漏洩で、集団パニックなんぞ、目も当てられねェ」
「わかってるわ、その点については私たちで最大限に尽力します」
凛と、清浄な気配を纏い副艦長の任を受ける少女は、はっきりと、力強く答えた。
「おい、リフト鑑にも監視がおかれるンだろ」
と、そこにVGリーダーたる少年が、鬱陶しそうに訊いてくる。
「ええ、そうよ」
「――…ブリッジの連中なり、保安部の奴らなり、事情を知る人間をおいとく必要があるんじゃねーのか?」
……何も知らないバカが、万が一にも敵に余計な手出しをするような真似を避けるために、此方側からの監視も必要だと。
そう提案するのは、硬質な黒髪と挑発的な青みがかった黒の眼差しが酷く似合う少年だ。
「そうね…わかりました。此方でも監視の人間を手配します。
艦長、構いませんか?」
「うむ」
ユイリィの判断に、艦長は頷く。
(みんな…凄く真剣だ)
着々と進む話し合いの中で、昂冶は一人――疎外感のようなものを感じていた。
既に、人々の記憶より薄れて久しい『リヴァイアス事件』の時にも、明確な『敵』の存在があった。しかし、それは一般クルーに過ぎなかった少年にとって現実味がなく、遠い世界の出来事であったのだ。
昂冶にとって、外に迫る敵よりも、閉塞された世界の内側に籠もる狂気が何よりの脅威だったのだ。
前触れもなく、全身を悪寒が走り抜ける。
平然と、作戦内容について論じている兄弟や親友――彼らの顔が、見知らぬ人のようで。
(――…っ)
身震い、した。
(……昂冶?)
そんな少年の異変をいち早く察したのは、気遣い上手な甘いマスクの親友。
「……そろそろ休憩しない?
もう、三時間もこうしてるぜ。根詰めたって、逆にいい案も浮かばないって」
「む? そうだな」
「わかったわ、じゃ、一時間の休憩にしましょう」
提案すると、あっさり受け入れられる。皆が討論に熱中していたが、それぞれ自覚の無いままに疲労を溜め込んでいたようだ。いつもは尾瀬の意見に憎まれ口ばかりを叩く祐希も、異論を挟まず指示に従う。
艦長のルクスンは小腹が空いたと零しながら小会議室を後にし、ユイリィも外へ出ていってしまった。
荒々しい性格のVGパイロットは机上で腕を組むと、突っ伏してしまう。頑固で意地っ張りな性格のために余程な事でも無い限り口に出さないが、随分と憔悴しているようだった。
ブルーはと言えば、何時の間にやら姿を消し。よくよく辺りを見回してみれば、灰のクルーを名乗るスフィクスの不敵な顔も見あたらなかった。
(ま、休憩中だしね)
何処へ行こうが本人の勝手だ。
自由時間の行動までを逐一制限する権利は此方にはなく、また、そのようなバカバカしい真似行う気にもならない。
第一、此方にも目的というものが存在する。
長引く話し合いに疲れた顔で、それでも『年上』の性分というものなのか、弟の様子を心配そうに見遣っている友人の元へとイクミは近づいた。
「こ・う・じっ」
「っ!」
ぽんっ、と、軽く肩を叩くと、びくりと身を竦ませる。
ほんの数秒間だけ、強ばった表情と戸惑いの色をした眼差しを友へと投げかけると――昂冶は普段通りの笑顔を浮かべた。
「なんだよ、イクミ」
「…んーにゃ、疲れてないかなーって思って。弟くんはしっかりヘバッてるしね」
「うん。どうしたんだろ、祐希」
「空き時間はにリフト鑑に詰めてる事が多いからね、……流石にしんどいんだろ」
「………そっか。」
無茶をしなければいいと、優しい兄はその身を案じた。
だが、知的でいながら甘やかさを併せ持った風貌の少年は、何より、友人の具合が気懸かりで。
「それより、昂冶…。顔色悪くない?」
「え? 別にどうもしてないけど?」
「それならいいんだけどね。辛くなるようだったら会議抜けて医局にの方にさ」
「ああ、わかってるって」
優しい、砂糖菓子のような言葉のじゃれ合い。
子犬同士のような体当たりなそれではなく、一歩退いて、だけど、心を寄せ合う温かさが互いに心地よい。
「んーじゃ、俺、飲み物でも買ってくるから。
こーじくん、リクエストとかあります〜?」
「んー、甘すぎないココア」
「……それって煎れてこいってコト?」
「ピンポ〜ン♪」
「はいはい」
頑張ってる祐希くんにも同じものを持ってきてやりますかね、と、呟きながらイクミは会議室を後にする。
(……昂冶…。なーんかやっぱ、変だよな?)
疑問を胸に抱えながらも、決して口にすることもなく。
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ほう、と。
淡い栗色の髪に、何処までも澄んだ空色の眼差しの色白の少年は息を吐いた。
広い会議室に奇妙に取り残される形となって、昂冶は頬杖をついて友人の帰りを待つ。
(…ダメだな、俺。……イクミのヤツ気が付いたかも……)
成績優秀、眉目秀麗、活発な社交家で、結構自慢の親友の、唯一油断のならない部分といえばその、勘の冴え。
少し離れた場所で仮眠を取る弟の方へ何気なく視線を流し、昂冶は再び嘆息した。
(…祐希もカンが鋭いと思うんだけど……イクミのは根本的に違うんだよな)
例えば、仔豹のような少年に内在するそれは、彼自身が『敵』と見なした者や事柄にだけ如何無く、そして等しく発揮されるものであり、常からのものではない。
しかし、尾瀬イクミという名の人間に潜在するそれは、何時如何なる時と場所においても、彼の人間性と共にあり、蜘蛛の糸のように周囲に張り巡らされている。
何気ない一言、些細な行動一つ一つに、過敏に反応する。
飄々として、何時も何処か人を喰ったようにしている割にその実、繊細で神経質だということは、彼と親しくなければ判明しない巧妙に隠された一面なのだ。
まるで、そう。
……愛される、ことに…怯えているようだと。

確信ではなく、漠然と感じて。
気持ちよさそうに寝息をたてはじめたある種『大物』な弟の姿と見比べ、お兄ちゃんは厄介だよな、と、微苦笑を浮かべる。
それは、己自身へ嘲りと戒めの混じり合ったものでもあった。
(ダメだよな、…こんなじゃ。
――みんな、必至なんだ。弱腰になってる場合じゃない。俺も、しっかりしないと…!)
余計な心配を掛けたくはない。
気を遣わせたくもない。
足手纏いに…なりたくない。
なら――ひたすらに、強く在らねば、と。
己の無力を痛感するだけに、固く、昴治は心に誓った。
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(強く…か)
ブリッジのオペレータ席で思索にふける愛らしい顔立ちの少年は、そういえば、と、疑問を抱く。
(…ネーヤには…『強さ』はどんな風に感じるものなんだろ)
艦内における全ての人間達と精神的な繋がりを有する神秘の生命。
拙い感情と幼い意思の少女。
彼女の感性が受け止める『ヒトの強さ』とは、如何様か。人外の存在であるが故に、ただの人間である少年には想像すらつかない。
(…今度、訊いてみようかな)
尋ねて、満足のゆく回答が導かれるかどうかはまた別問題だが。
「! 艦長っ! ダメです、計器類が全て狂わされています!!
これ以上の進行は遭難の可能性が…!!」
埒も得ぬ事柄をつれづれと思う昂冶は、女性クルーの悲鳴に近い報告に現実に引き戻された。
「う、うぬ」
艦長は低く呻き、指示を躊躇った。
代わって、副艦長を務める凛々しく美しい少女が問いかける。
「防護ソリッドは発動してないの? 組み込んだはずでしょう?」
すると、艦本体のメインソリッドの責任者である男性クルーは抑えた声で反応した。
「……ダメです。防護ソリッドそのものがエラーに……」
磁場嵐の宙域を航行するにあたって、一応、防護ソリッドなるものが開発されており。連邦政府から送られてきたそれを艦のメインに組み込んではいたのだが、所詮は試作品。
「艦長、このままでは指定ポイントに行き着くことはおろか、途を見失って帰還すら困難になります」
「う、うむ……」
闇雲に魔の宙域に突入すれば、結果は火を見るより明らかだ。
だからとは言え、ここで作戦変更を余儀なくされたと脱出を試みれば、今後、敵との交渉が困難になるであろう。
英断を求められ、艦の最高責任者であるルクスン・北条はしきりに頭(を振る。
ブリッジには、このまま進行する事を是とする強行派と、一旦は引くべきだという穏健派の意見が応酬された。
しかし、リヴァイアスにおいて最も権威を持つ二人は結論を考えあぐねているようだった。何事にも慎重な姿勢で臨む副艦長のユイリィが早々と穏健派に賛同しないのは、ある意味意外でもあり、らしくもあった。
(立ち往生か…)
予定の時刻まで多少の余裕はあるが、悠長にはしていられない。
手元の時計に目をやり、昂冶は行き詰まった状況に苛立ちを覚えた。
――と、
「ドウか……したノ…?」
「! ネーヤ…?」
前触れもなく、黒の戦艦の化身、淡い輝きを放つ可憐な少女が、昂冶の背中に甘えるようにしておぶさってきたのだ。
「コージ、……チクチクしてるの…どうシテ?」
多数存在する人間の中でも、取り分けお気に入りの特別な存在が、その心を常になく波立たせている。気懸かりになって少女は現れたのだろう。
ちなみに、オペレータ席はブリッジの端にあり、そう目立つ場所ではない。よって、突然に中空より降ってわいた彼女の存在に、誰一人として気が付かない。
「…ちょっとね、…約束の場所まで行きたいんだけど計器が狂っちゃったみたいなんだ」
「………ケーキ?……」
ちょこん、っと。
小首を傾げたのが気配で感じ取れる。
発音の微妙さから、昂冶はその違いに気付いて笑顔を浮かべつつ訂正した。
「ケーキじゃなくて、計器。機械だよ」
「……キカイ、壊レタの? ………こマッてる…?」
「とってもね」
一つ一つの問いに、昂冶は小さな子どもに噛んで含ませるかの如く、根気よく丁寧に答えてゆく。
そもそも、幼い子の相手というのは嫌いではないので、ネーヤと言葉を交わすのも苦痛ではなかった。
「……行キタい?」
こくんっ、と、首を傾いで尋ねてくる仕草は酷く幼い。
「…うん、行きたいんだけどね」
「……、いく、ね…」
黒のリヴァイアスにおける最たる謎、神秘の少女ネーヤの高らかな言い様に呼応するかのように、艦本体はぐぐっと傾いで方向を定めた。
「なっ? なんだ、どうした!!」
「わかりませんっ、いきなり航行システムが暴走を始めて……!」
「と、止めるんだ、途を見失うぞ!!」
「だめっ、ロストするっ!!」
「艦長ッ!! 無理です、受け付けません! 止まらないッ…!」
騒然となるブリッジには土星と悲鳴が交差する、しかし、直ぐに混乱は収まった。
「……か、艦長! 本艦、規定ポイントに向かってますっ!」
「計器、回復しました! ……どうして?」
乗り手の意思を無視し、勝手に航行を再会したリヴァイアスは、確実に規定ポイントへと進行していたのだ。
磁場によって全くの役立たずとなっていた計器類も、同時に息を吹き返す。
その場に巻き起こった奇蹟にも等しき出来事に、誰もがただ呆然とする中、昂冶だけは全てが黒の戦艦自身の意思であることを理解し、彼女へ感謝したのだった。
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そして、――『灰』の奪還は、その表舞台の幕を上げた。
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2007/07/15 加筆修正