act.18 潜入
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収納ボックスに、野郎二人で押し込められるのは居心地の良いものではない。意外にも内部構造にゆとりがあるのが唯一の救いだ。
避難用具や非常食のカモフラージュの影に隠れるようにするレインは、今作戦のパートナーである寡黙な少年の、その蒼い髪を目端に留め、再び間近に迫る天井を仰いだ。
「……随分、落ち着いてンな」
「………」
「こういうコト、経験あるンじゃねーのか」
「………ああ」
「そりゃ、頼もしいな? それとお前――人、殺せるか?」
「……必要なら」
淡々と返す言葉は、虚栄の一切を取り除かれた、揺るぎない真実。
誇大に吹聴するわけでもなく、謙遜に言い淀むこともない。
端的でありながら、要をしっかりと抑えた返答だ。
「O.K。じゃ、散々説明した通り、まずは灰のメインを動かさなきゃ話になンねェ。
メインブレインを封じられたままじゃ、身動き取れねェからな。
その間、敵に発見されて戦闘事態。どうにもならねェ大ピンチなんてことになったら躊躇うなよ」
「…後が面倒だ」
凍てついた海原を思わせる相棒は、感情の欠落した瞳でレインを肩越しに見遣った。
「…問題にはならねェよ、何があっても上が握りつぶす。
連中、そういうのだけは巧いからな」
「………」
了承の印とばかりに、ブルーは深き海を瞼の裏へ押し込め、口を噤んだのだった。
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指定ポイントに黒のリヴァイアスが到着したのは、約束の時刻より十分程前だった。
既に、ここ魔の宙域に突入を試みてから政府との連絡手段は絶たれ、戦艦の乗組員…幼さすら感じさせる少年少女達は、彼らだけの力で作戦を成功させねばならなかった。
一層高まった緊張感に、誰もが張りつめた表情だ。
普段は皆、積極的な態度で業務に取り組みながらも、ブリッジの雰囲気は和やかだったのが、今は同じ静寂でも、無数の針に刺されるような居心地の悪さだった。
「…艦長、ピンガーに単体反応です」
「――! 何者かが交信を求めてきています。チャンネルオープンにしますか?」
クルーの報告に、ルクスンは黙って首を縦にふった。
「了解、周波数を確認……、っ!」
冷静に業務を処理してゆくクルーの声が、驚愕に詰まる。
「……、………! かっ、…艦長ッ!! 勝手に…勝手に全回線が開かれます!!
このままでは、艦内にも通信内容が流されます!!」
!!?
一気に、ブリッジが騒然となる。
「止めなさいッ!!」
溜まらずに叫ぶようにして飛んだ副艦長の指示に、クルーは更に切迫した様子を顕わにした。
「――ダメですっ!! 止まりませんッ!! ……止まらない!!!」
何度何度も、耳障りなエラー音がブリッジ内に絶望的に鳴り響く。
反政府組織との通話――それを、何も知らされぬ一般クルーが耳にすれば、一気に艦内はパニックに陥る。そうなれば、灰奪還作戦は水泡に帰す事になり。いや、それどころか、自分たちの身柄すら敵の脅威に曝される事となる。
「か、貸してみてっ!」
ブリッジにおいて、黒のリヴァイアスに最も心酔し、その扱いに長けるクルーが己の持ち場を離れて、混乱する同僚を押しのけソリッド修正を試みる。
「……!! ………この、…止まれェッ!!」
己の持ち場から持ってきた何枚かのデータを挿入し、ソリッド修正を試みる。
同時に、オペレーター席にも指示が飛んだ。
「相葉くん! そっちのDIとEveをこっちに送ってッ!!」
「えっ、は、はいっ!!」
いきなりの事に面食らいながらも、指定されたソリッドを素早く転送する昂冶。日々の練習の甲斐があって、操作の手つきも随分と堂に入ったものだ。
「………、……………、…………。
…はぁ〜、もう大丈夫です。強制オープン沈黙しました」
ピリッ、と、緊張したブリッジだったが、その台詞を耳にし誰もが安堵の表情を浮かべた。
「……寿命が縮まるな……」
「よかった……」
艦長と副艦長は互いに顔を見合わせ、ひとまずの危機回避に対し僅かな微笑みを浮かべた。
見事、この事態を収めたクルーは他の者からもてはやされ、何やら和やかな雰囲気にブリッジ全体が包まれるが、直ぐにその場は極まった緊張に曝される事となった。
「! 艦長、……目標より通信です。チャンネル…宜しいですか?」
「――うむ」
許可を得て、通信回線が開かれる。映像はなく、音声だけの通話。
『…きこえているな。此方は、リ・ニオン。
ヴァイア鑑リヴァイアスを確認した。これより、誘導のために小型艦を差し向ける。
それに従え』
「――了解した。
それと、一つ確認をしておきたいのですが…」
『手短に言え』
「集団恐慌を避けるために、一般クルーに今回の事実はまだ伏せてある状態なのです。
400余名以上の人間が一気に混乱に陥れば、我々ブリッジの者だけでは鑑を御すことは極めて困難であり、よって、互いに無益な行動は控えていただきたい」
『……此方としても無益な犠牲を出すつもりはない。
――以上だ』
「まっ、……!」
一方的に回線を断たれて、言いかけた言葉を呑み込むルクスン。
「回線、強制終了されました。
此方からアプローチを試みますか? 艦長」
通信席を担当するクルーが淡々と指示を待つ。
「いや…、どうせ無駄だろうしな。構わない。それより、誘導船が現れる。ピンガー反応から目を離さないで……」
「っ、艦長! 正体不明の小物体が此方に近づいてきます!」
ルクスンの台詞が言い終わらぬ内に、ピンガーを監視していた女性クルーから報告が届く。
「! 随分早くはないか…?」
恰幅の良い体を艦長席に落ち着けなおして、ルクスンは小声でぼやいた。すると、隣りに立つ凛と際だった美貌の少女が静かに応えた。
「おそらく、始めからこの場所に小型船を待機させておいたのでしょうね」
「ああ、成る程」
得心いったとばかりに、しきりに頷いてみせる艦長。だるまのようなコミカルな体型をしているだけに、何かとその仕草は愉快さを帯びる。演技掛かった様子に思わず微笑を浮かべながら、副艦長であるユイリィ・バハナは声高らかに、
「目標物の誘導に従います。
操舵手は誘導船を見失わないように、また、障害物に気を払い、注意して艦体を進行させて下さい!」
指示を与えたのだった。
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不気味な静けさのリヴァイアス。
ブリッジは水を打ったように静まりかえり、規則正しい計器類の発信音だけが耳に付く。
ただでさえ『天国への道』での航行は危険極まりない。誰もが固唾を呑んで自分たちの運命の行き先を見守っていた。
「! 艦長ッ、これを!!」
ふいに、一人のクルーが声を上げる。そして、正面スクリーン一杯に、その光景を映し出した。
…それは、星の残骸に埋もれるようにして眠る―― 灰のヴァイア鑑『ゲシュペント』の勇壮たる姿であった。
「……ゲシュペント……、ついに…来たのだな」
万感の思いを込め、艦長席の人物は絞り出した。
敵に奪われた灰のヴァイア鑑がこの場にあるということは、敵本鑑も近くに存在してる。 それは、――真の意味での作戦の始まりを意味していた……。
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【リ・ニオン】と名乗った組織からは、数十名の兵士が送られてきた。
反連邦組織という名目には似つかわしくない、統率された軍装に装備。それは、どちらかといえば正規軍のようなイメージを、クルー達に与えた。
数十名の兵に、彼らを統括し上層部の意向を伝える役割の三名の使者達。彼らは先ず、ブリッジへと通された。
兵士の服装は全身を軽装の軍服に目深にした軍帽。それは、地球がまだ惑星より羽ばたく翼を手に入れる前の、旧時代の軍人の様子を思い起こさせた。――帽子の下は覆面という、奇妙な点を除けば、ではあるが。
使者達は、皆一様に白装束に顔の上半分を覆い隠す黒い仮面。
素顔を曝すまいとの出で立ちなのだろうが、それは異様な威圧感を若いクルー達に感じさせた。
「長旅、ご苦労様です。リヴァイアスの皆様」
しかし、彼らは意外にも――例え表面上のものであれ――紳士的であった。
兵士はブリッジの出入り口に横一列に控えさせ、使者の一人が艦長の前に進み出ての、最初の一言だ。
「――あ、いや」
有無を言わせず身柄拘束の可能性もあるのではないかと、密かに気を揉んでいた艦長だけに、余りの友好的な態度には面食らうばかりである。
「早速ですが――本題に入りたい。
まずは、VGのメインパイロットを此方に拘束させて頂きます。この処置は、我々の安全の為、ひいては、リヴァイアスの皆様方の安全確保の為の行為とご理解下さい。
決して彼らに、無暗な危害を加えるような事はありません」
「う、うむ」
「また、ブリッジ内には数名の兵士と使者一名を。各所にも兵士をそれぞれ配置させて頂きます」
「そのことについてたが。我々も事実を伏せたまま対処する以上、……配置の正確な場所と人数を把握させて貰いた…」
譲歩の態度を見せる使者に対し、ルクスンは更なる要求を突きつけようとしたが、突如、閃光の如き仮面の奥底の光に射すくめられて声を喉辺りで詰まらせた。
「――真に残念ですが、その要求は却下させて頂きます。
思い違いをされては困りますね。皆様は客人ではありませんよ。立場をわきまえて頂きたい。……相応に従順である限り、我々も皆様に危害を加えるつもりは一切ございませんが。少しでも抵抗の意思ありと判断すれば、……制裁いたします」
丁寧な物腰に慇懃無礼な口調で、容赦のない宣告をする使者。
その者の名は、イデア、といった。
そうして、――黒の戦艦リヴァイアスは、完全に敵の手により制圧されたのだった。
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VGを駆るメインパイロットの二人、現リーダーの相葉祐希と尾瀬イクミは連れだってリヴァイアス内の小型船へ移動していた。
その背後には使者一名と兵数名が、彼らの動向を監視する為に張り付いていた。
無力な『子ども』である事を強調し印象づけるために、二人は一切の無駄口を叩かず、ただ言われるがままに従う。
移動の際に彼らの姿は、事情を知らぬクルーの目にも留まるが、訓練の一環なのだろうとさして気にした様子もなく見送る。共にいる人間達の奇妙な服装に不思議そうな顔をする者も数多いが、口を挟む事はない。
「ふむ、此方ですか」
小型艇に乗り込んで、使者は一人ごちた。
「基本的な設計は『灰』と似通っていますね。
これなら、私どもでも大丈夫ですね。直ぐにでもあちらに移動しましょう。
――失礼」
そう言うなり、二人の少年パイロットの両腕に兵士達によって枷が掛けられた。電子ロック式の一般普及しているものではなく、金属製の華奢な手錠。
「ああ、ご心配なさらずとも……部屋の方に着きましたらその枷は外させていただきます」
仮面の下、酷薄な表情を浮かべるのが気配で伝わる。
(……うす気味悪ィ……)
(得体知れないねー…、下っ端もヤケに静かだし。
――野良のくせに統率されすぎてる? 王様のカリスマがそんなに凄いってことかな)
等の感想を抱きつつも、力無く項垂れ、大人しい虜囚の振りを続ける二人だった。
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――…動き出したな。
横に加わるG。加速を始める船。ぐん、と、世界に引きずられ、急激に重力の負荷が消え失せた。
宇宙(そと)に出たようだ。
いよいよか、と、懐の獲物の感触を確かめ、レインは深い紅の眼差しを燻らせた。
横目で今作戦のパートナーの様子を窺ってみれば、随分と落ち着いたものだ。場慣れしているのは分かっていたが、これでまだ十六なのだから、将来有望なことこの上ない。
……社交的に振る舞うのは極めて容易な事だが、無闇に愛嬌振りまくのは基本的に苦痛なのだ。
――寡黙な男は、嫌いじゃない。
これより救出の対象となる【人質】も、静動のどちらかで表現せよというなら、物静かなタイプだ。決して多くを語ろうとしない気質が好ましい――…、
(……カイリ)
無事、なのだろうかと。
常に冷めた色を湛える深紅の眼差しに、切なげな情炎が一瞬だけ揺れて……消えた。
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無機質な造形の通路は、兄弟鑑だけあり、確かに黒のヴァイアとの類似性を感じさせた。 前後を物言わぬ兵士に警戒され、二人の少年は的確に己の位置と現状を掴んでいた。
(……そうそう、でこっちが士官室か……ブリッジは…?)
(隔壁が結構あるな…チッ、解除コードあてになるんだろうな)
少年達は不安そうな素振りでキョロキョロ忙しなく周囲を窺っている、一見、年相応の怯えた様子だが、実際は少しでも敵側の情報及び状況を把握するべくの行為だ。
と、先導を行っていた男の足がピタリと止まった。すると、まるで申し合わせたような正確さで兵士達の動きもが静止した。一糸乱れぬ統率ぶりだ。
(…やっぱ野良連中とは一線を画した感じするなぁ…。実はどっかの軍とか言わないよな)
正悪は表裏一体。決して絶対的なものでも不動なものでも、あり得はしない。掌を返す如く安易に、正しきを信じていた全ては呆気なく面を裏返す。
……正義面した何処ぞの軍組織が、裏で手を引いていても少しもおかしなことではないのだ。萌ゆる緑の色をした少年は、自陣の裏切りの可能性を穿つ。
「さて、それでは此方で大人しくしておいて下さい」
そのまま尾瀬イクミ、相葉祐希の両名は士官室の一室へと押し込まれた。無常に閉ざされる扉。無論、ロックは掛けられているだろう。しかし両腕の枷は解かれ、部屋の中も随分と整頓されており、捕虜の扱いとしては破格だ。
自由になった腕の手首の関節を解しながら、灰色の髪の少年は一通り部屋の中を見渡して、やれやれと肩を竦めた。
「なんか、エラク待遇良くないですかね?」
「……あぁ…」
VGパイロット部署リーダーを務める少年も、腑に落ちないと怪訝な表情だ。
「ま、両手両足縛られていきなり牢屋とかに閉じこめられるよか全然マシだけどね」
からっと言い切ると、イクミはその辺のソファに腰掛けて天井を仰いだ。
(……監視カメラの類は……隠してあんのかな。とりあえず、それらしいのは無いね〜…。 それと…、…盗聴器は勿論あるだろうから迂闊な事言えないし……)
当然ながら出入り口は一つだけ、監視つきで鍵つきのそれ。後は密室状態で、外との連絡が取れそうなモノは一切見あたらない。
とりあえずは、向こうが事を起こすまで精々体を休めておくこと位しか出来そうになかった。
「はーっ、とりあえず祐希くんもコッチ来て座わったら。ンなとこで扉睨んでてもしょーがないッショ?」
「………」
不服そうに無機質な造りの白い扉を見据えて微動だにしないリーダーを、イクミは普段通りの調子で呼びつけた。到底、作戦中とは思えぬ有り様だ。軽薄そうに見え存外、肝は据わっている。
――彼が内在させる『強者の資質』はかつての暴走により理解しているつもりだったが。
内心の苛立ちを表すかのように、どかりと向かい合わせた場所に座り込む一つ下の無愛想な少年に、イクミは知らず口の端に苦笑を浮かべるのだった。
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『……いくぜ』
ただ一言で、直ぐ傍で瞼を下ろし不動に居た相棒は鮮やかに覚醒した。
切れ長の蒼が二、三度瞬いて、無言のままに立ち上がる。流石に長時間足を圧迫する姿勢でいた所為で少々の痺れを伴う足を、何度か掌で擦り上げる動作を見せてはいたが。
「………」
何時でもいける、とばかりに蒼の双眸は暗闇に閃く。
『――コッチだ、付いてこい』
己の分身だけあり、艦内の構造については誰よりも詳しいレインが先導し、潜入組の二人は暗がりに颯爽と身を翻し、行く。
「………」
的を射たもので、連れの王者たる威圧感とカリスマを他者へ与える少年は、無音に努める。気配を消し、呼吸音すら極力抑える。荒事のパートナーとしては最適任者だ。
互いの手には銃身が金属独特の鈍い輝きを放っていた。
市場に出回るニードルガンを改造して特に凶暴化させたモノと、光線銃。それに、懐には簡単に人肉を裂ける大振りのナイフと華奢な護身用のそれ。
後は逃走用の煙幕と閃光弾が何本かだけ。
単独潜入にしては少々心許ない装備とも言えるが、戦闘は避けるべき事態であり、あくまで眠り続ける『灰のゲシュペント』を起動させる事が主目的となるので、無用に派手な武装をしていては隠密行動が取りにくくなり、逆効果だ。
メインを切っている所為で、艦内は全体的に異様に暗い。補助電源を使用している所為だろう。最低限にまで絞られた照明は所々に陰影を造り、潜入作戦にはおあつらえ向きだ。
『……随分…手薄じゃねーか…?』
通路の陰に身を潜め、美貌の主は紅玉を不審に歪めた。
『――そろそろ鑑中央か、妙だな』
これまで一人も巡回の兵に出くわさなかった事実は幸運というより、奇妙な出来事として、ブルーの目に映る。
『奴ら俺等をナメてるだけなら……いいケドな』
そもそも、此方『ゲシュペント』は敵本鑑ではない。なので、警備の手が回っていなくとも確かに納得はゆく。ゆくゆくは敵の主戦力となろうヴァイア鑑だが、今のところは単なる収容施設としてしか使用されていないのだろうか。
『っと、………流石にこの辺には見張りがいるか』
遠くより足音が大きく反響しながら近付いてくるのに気付き、レインは通路の角へ身を沈めた。背後を窺えば、ブルーはとうに息を詰めて陰に潜んでいる。指示するまでもなく敵の動向を察して冷静に判断する相棒は、本当に動き易くて助かる。
『やり過ごすぜ。下手な騒ぎは勘弁だ』
「………」
そう囁けば、背後の気配は完全に闇へ同化した。見事なものだと内心で舌を巻くレインも、同じようにして敵が立ち去るのを待った。
巡回兵はその足取りに少しの乱れもみせずに立ち去って行く。定時の巡回、お決まりのコースは普段と変わらず殺風景だ。何一つ不審を感じることもなく、兵は過ぎていった。
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――傷が、熱と痛みに疼いていた。
粗末な手当しか施されていないのだ。当然、起こるべき事態だな、と。
朦朧とする意識の中で、男は力無い笑みを浮かべた。
なんとか失血死は免れたが、今度は高熱に襲いかかられ、息が上がる。
(…………)
疲弊し切った肉体が灼熱に灼かれる程に、自身は強烈な寒さに震えた。急速に奪われてゆく熱と、意思の光。
黒壁に周囲を取り囲まれた監禁部屋の闇より、更に深き場所へと堕ちてゆく。
緩慢な死を自覚した。
(…このままだと……ヤバイな…)
意識が消失してゆくのを感じる。
既に、痛みすら遠のきはじめていた。
(………レイ、ン)
これほど切迫した事態に於いても、いや生死の境にあるからこそ、脳裏にはあの奔放な灰のスフィクスの姿。余程惚れ抜いているなと、まるで他人事のように、苦しげな呼吸の下、呻き嗤う。
何事にも捕らわれず、何物にも縛られない、自由で気紛れな黒質の青年。
挑発的に閃く深紅の双眸は酷く淫靡で、けれど、何処か幼く汚れなく。抗い難く魅了する、魔性の存在。
神にも等しき孤高――毒の艶華。
(…レイン…、……に、ぃ…さん…)
『兄』と、彼の者を呼び慣わせば、一瞬にして目の前の青年が幼く成り代わり、世界は鮮やかな色を纏った。
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天涯にまで広がる星々の輝き。
『カイリ』
数え切れぬ煌めきに、想いを馳せ互いに誓い合った、幼い約束。
『この空の果てまで行こう』
輪郭すら伴わぬ夢に、ただ無邪気に胸を躍らせ。
『一緒に ――宇宙(へ行こう』
あの頃、遙か高みにのぞんだ星の海は、確かに希望の海原だった。
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……最も残酷な形で、優しい約束が壊されるまで……。
――…無限の夢をはらんだ、希望の海原だった。

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2007/07/16 加筆修正