act.19 発覚
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 見張りの気配を察し、薄暗い通路の陰に潜入者達は身を潜めた。
『……一人…か。
 …下っ端に見張らせるってこたー…ま、なんかあるンだろうな? 順当に考えて』
 どうする? と、肉食のケダモノのように鮮やかに紅い瞳に問われて、ブルーは軽く首を横に振る。
『騒ぎはマズイ、か。
 ま、メインさえ入れれば後は俺の方でどうとでもなるしな。O.K。違うとこから抜けようゼ』
 通路は他にもある。多少の手間にはなるが、安全な回り道を選び、兵士に気を配りながら二人は他の道へと――、
「………ッ、?」
 じわりと、得体の知れない何かが胸の奥から迫り上がってくる感覚。抗い難く捕らわれ、レインはその場に立ち尽くした。
『……どうした…』
『………いや、…なんか。
 ――…気持ち悪ィ』
『………』
『あ。お前今、不満そうな顔したろ。
 違ェよ、……あの部屋、気に掛かンだ。悪ィ、寄り道すんぞ』
『……リスク覚悟か』
『ああ』
 再度、念を押されるが、既に心は決まっているらしく灰のスフィクスはまんじりともせず見張りの様子を窺っている。
 鋭利な風貌の作戦パートナーは、そっと瞳を伏せ表情を僅かに歪めるが、異論を挟む気はないらしく自身も敵の動きを観察した。
『……すっげ、直立不動だゼ。
 マネキンみてー…』
『………』
 すると、敵兵士がまるで彫像の如く立っし、微動だにせずにいるのにレインは目を見張った。普通、こんな外れで一人見張りなどさせらていては、退屈で気が抜けそうなものだ。
 とても隙など見つけられそうにない。
 仕方がないと、漆黒を纏う青年は相棒に目配せした。
『………』
 凍えた海の眼差しが冷たく閃く。不満をあからさまにしながらも従うのは、スフィクスの直感を軽視するべきではないと判断したからだろう。
 行動開始の合図とばかりに、裏手でブルーの左肩を軽く叩く灰の青年。
 黒のリヴァイアスきっての実力者にとって、たかだか雑兵の一人、片づけるのは容易な事であった。
「おー、あったあった♪」
 気絶した兵士の懐からカードキーと小さな鍵を発見して、レインは無邪気にはしゃぐ。 無抵抗の人間を物色する姿が非常に愉しげで、ピリピリと周囲を警戒するブルーとは滑稽な程に対照的だ。

「ン、じゃ。ま」

 開けてみますか。
 扉の前で呑気に一人ごちるスフィクスを、その眼力だけで他者を圧倒する存在が睨み付けた。早くしろ、ということらしい。
「ああ、――わかってるって。悪ィな、手間取らせて」
 さりげなく感謝の言葉を口に、そして、レインは奇妙に心に引っかかった部屋の中へと足を踏み入れたのだった。

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黒の戦艦リヴァイアス。




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 やがて世界は死の海にのみ込まれる。
 数多の生命に等しき終焉を与え賜う母の内へ――還るのだ……。

 しかし、一度胎内より産み落とされた意志に対し、再び己の内に眠れとは酷な仕打ちではないかと。
 人類(こども)は母(うみ)の優しき腕(かいな)より逃れ続ける道を選んだ。

 そう、その為に。
 耐え難き代償を支払う事と、……なろうとも。


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(……大丈夫かな)

 ブリッジクルー達は緊迫した空気の中、昼食を摂ることとなった。
 調理する人間が居ないので、袋ごと温めるだけで出来上がりの簡易なレトルトカレーが、本日のメニューだった。
 色とりどりの野菜達が煮込まれた香辛料たっぷりのカレー。その中のジャガイモを探しだし、スプーンで潰してはかき混ぜるという、少々行儀の悪い行為を延々と続けているのは、心ここにあらずといった様子の少年。
 愛玩動物のように人懐こい容姿の彼は、食事を済ませるでもなく、ぼんやりとしていた。
(…こっちにいる兵士達に動きはないから……多分、見つかってはないだろうけど……)
 身柄を拘束され、おそらく今現在、ゲシュペントに監禁されているであろう実弟と親友。それに、今回の無茶な作戦の鍵を握る単独潜入中の蒼の王者に…強気なスフィクス。
 彼らの事が、気懸かりでならなかった。
 今回の作戦において最もその身を危険に曝されるのが、彼らリヴァイアスの実力者達だ。
 無論、黒のヴァイア鑑に待機するクルー達とて紙一重の平穏と均衡がいつ破られるとも知れず危険には変わりないのだが、敵地に赴く彼らを思えば、その比ではない。
(……レインがいるし…、なんとかなるとは思うんだけど)
 灰のゲシュペント。そのシステムを全て支配下へ置く灰ヴァイアの化身スフィクス。彼の存在は何よりも心強かった。言い換えればゲシュペント鑑内は彼の体内のようなものであろう。その彼が作戦に参加しているのだ。それに、リヴァイアス三強が加われば鬼に金棒。正に敵う者なしといった処か。
 ――…しかし、頭で解っていても感情はそう割り切れるものではない。
(……無事で…帰って来いよな)
 軽く嘆息し、原型を留めていた最後のジャガイモを潰すと、味気ないそれを昂冶は口元へ運んだのだった。

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 扉の先は、当然の如く闇一色に染まっていた。
 一歩足を踏み入れて、鼻につく錆びた異臭に僅か、眉を潜める。
(……ンだ、この………匂い)
 背後で周囲を警戒するブルーは動きを止めた青年に、どうした? と視線で問いかけた。
 それに何でもないと片手を上げ、レインは広さのある内部へ歩を進めた。
(……? 誰か……?)
 すろと、無機質な床の上で、何者かが仰向けて倒れている。
 見張りつき、施錠の扉の向こうの人物だ。おそらくは、人質の一人なのだろう。すると、この錆臭い匂いは血臭だろうか。
 視界の効かぬ部屋の中では、相手の輪郭すらおぼつかない。
「――おい」
 窺うように、呼びかけてみても反応は無かった。
 既に息絶え物言わぬ骸と成り果てたかと、灰のスフィクスはその肌に触れる。と、じっとりと汗ばんだ肌と、微かに胸が上下するのを感じ取れた。
 ――とりあえず、生きてはいるようだ。
 だが、触れた躰は命を否定する如く熱く、これが人の体温かと疑いたくなる。
(……に、しても。…一人だけか…?)
 人質を拘束しておくなら一カ所に纏めておいたほうが能率がよい。テスト飛行中に行方が知れなくなったゲシュペントには他、十数名のクルーが搭乗していたはずだが。
(他は殺したとか、そういう洒落になんねーことやってねェだろうな…)
 物騒な想像に、己自身で心を騒がせた。
 深いつき合いは無かったにしろ、灰のクルー達は誰も彼もが顔見知りだ。無意味な殺戮の対象とされて、気分のよいものではない。何より――…、
「ま、艦長をそうそう殺す莫迦もいねェだろうけどな」
 そう呟いて、レインは男に軽く呼びかけた。
「おら、生きンなら気力で起きろ」
 なんとも酷な言い草だが、その声音は不安そうに揺れている。決して、灰の青年心の内側(なか)が紡ぐ言葉通りではない確たる証拠だ。
「………ッ、ぅ」
 と、男が外界からの刺激で微かに覚醒し、未だ朦朧とする中、ただ一言呻いた。
「………、……兄…さん?」

 と。
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 昼食も終え、規制の所為で人気のない通路を重い足取りで歩く少年は、刹那、古傷を鋭利なもので抉られる感覚に襲われた。
「痛ッ、っ」
 堪らず、その場に蹲る。
「〜〜〜〜っ、ッ…、ふ」
 瞬間的な苦痛は徐々にその波を引かせ、昂冶は安堵に息を吐いた。
 何度か瞬きを繰り返し、右肩の感触を確かめる。そこには後遺症こそ残りはしたものの、すっかり完治した傷跡が在るだけで、一切、異常は認められなかった。
「………? やっぱり、ちゃんと診てもらった方がいいかな……」
 例えばこれが気圧の変化や気候の変化の激しい地球での事ならば、雨が降ると古傷が痛むだとか、寒さが傷に堪えるだとか、一般的に言われるのでそう気にも留めないだろうが。
 気圧や気温を常に一定に保つ宇宙艦の内部では、それらとの関係は皆無であろう。
「……うん、大丈夫」
 シャツの上から痩せた肩を撫で、再度、痛みの無い事を確認すると、幼い顔立ちをした少年はブリッジへ帰っていった。

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 ――驚愕と緊張は、ほんの数秒足らずの間であった。
「…カイリ」
 甘い響きを伴って相手の名を呼ぶ。
 触れる指先に、先程までの横暴さは微塵も感じられない。
「大丈夫か? 何処やられた」
「………足……を、撃たれて……」
 闇の中よくよく下肢を確認すれば右の太股にきつく布が巻かれてあった。湿った感触に紅眼を穏やかでなく細めるが、既に出血が無い事に心中で安堵する。
「他には?」
「……」
 大丈夫だと、答える代わりに弱々しく首を横にするカイリ。
「そか。
 今作戦中でな、悪ぃけど、このまま放っておくぜ」
「……ああ」
 額に浮かぶ脂汗を袖でそっと拭い、灰のスフィクスたる美しき存在はおもむろに捕らわれ人に口唇を落とす。
「………?」
 従順に熱い接吻を受け止めるカイリは、思わぬ異物に眉を潜めた。
「……痛み止めだ。少しは楽になるだろ。
 直ぐに助けてやる…だから、生き延びろよ…」
「……りょーかい」
 的の掌中に堕ちた灰のゲシュペント、その艦長たる涼しげな風貌の青年は、ふっ、と小さく微笑みその紫闇の眼差しを瞼の向こうへしまい込んだ。
「…灰の艦長か…」
 と、いつの間にか外を警戒していたはずの今作戦における急造パートナーが部屋の入り口に立ち、静かに問いかけた。いや、質問というよりは確認の意思が多分に含まれている。
「ああ」
「……兄と呼んでいたな」
「――…ほんっと、性質(タチ)悪ぃヤツ」
 軽く、おどけるように肩を竦めて、レインは事も無げに答えた。
「カイリは俺の弟だ。
 ……姓違うけど、ちゃんと血ィ繋がってンぜ? 腹違いでも種違いでもねー、正真正銘の兄弟ってヤツ」
「………」
 灰の謎多きスフィクスの衝撃の台詞にも、ブルーは微かに表情を歪めただけだった。既に興味を失せたとばかりに、通路の方へ足を向ける。
 告白者とて、それは予め想像していた反応だったのだろう。さして不満を抱く事もなく、何事か申し立てる事もなく、愛しい弟の頬を一撫でするとその場を去った。

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 右から左に。
 左から右に。
「ちょっとは落ち着いたらドウデスカ? 祐希君」
「……ルセェッ!」
 ギッ、と睨みを利かされて、やれやれと灰色の髪の少年は天井を仰いだ。
 余程煮詰まっているのだろう、それは此方も同じだと言いたいが、火に油を注ぐようなものなので賢明な判断で口を閉ざす。
(まぁ…そんなに大変な事にはならないと思うんだけどね。
 こっちには切り札のレインもいることだし)
 ゲシュペントにおける作戦遂行は、とにかく、メインの立ち上げにさえ成功したのなら、後は滞り無く事が進むであろう。
 何より、此方には最大のキーパーソン、灰のスフィクスの存在がある。
 どちらかと言えば、灰より黒のリヴァイアス本鑑の方が気懸かりだった。向こうの護りは愛しい人の手に委ねられている。彼の力量を疑っているわけではなく、純粋に、たった一人で戦わねばならぬ厳しい状況を案じているのだ。
 黒の戦艦にもその化身である神秘の少女が存在し、且つ、彼女は昂冶を心より慕っているとの事だが……やはり不安は拭いきれない。
(……アレだもんねぇ…)
 幼すぎる愛情で一人の少年に思慕を募らせるスフィクス。艦内に於けるその力はおそらく絶大で、彼女がもう少し、人と意志の疎通を計りやすい性質ならば問題は無かろうが。
(昂冶…)
 信じている、けれど、心配。
 待つしかない現状のもどかしさが、より、一層苛立ちを募らせる原因となってもいた。
 おそらく、目の前で歩き回る目つきの悪いお子様も似たような気持ちだろう。
「とりあえず、……ここでウロウロしてもしょーがないって。はい、落ち着いた!」
「ぅわっ? 〜〜ってめェ!?」
 無理矢理袖を引かれて、ソファの上に顔からダイブ。顔から突っ込んだ所為で、うちつけた鼻を片手で押さえながら、野性的な風貌の持ち主である少年は睨んでくる。
「〜♪ 〜〜♪♪」
 素知らぬ振りであらぬ方向に視線を流し、鼻歌を口ずさむ性質(タチ)の悪い同僚に、余計に祐希は怒り心頭状態。
「〜〜〜っ、ざっけンなよ!」
 しかし、どれだけ威勢良く怒鳴りあげようと、お兄ちゃんのお友達というスタンスを保つ少年からすれば、仔猫が毛を精一杯逆立ているようにしか見えない。可愛いモノだと涼しい顔だ。
「はいはい、悪かった悪かった。ゴメンネ〜」
「〜〜〜〜ッ」
 このいい加減な態度に、既に怒りを通り越し苛立ちすら失せる祐希は、チッ、と舌打ち丁度、鼻の頭を打ち付けたソファに乱暴に腰を落とした。
 そのま、軽く溜息を吐くと、不安気に群青の眼差しを潤ませる。
(……気になってしょーがねェ……、くそ…兄貴ッ…)
 確かに今この場で焦りを募らせたとて仕方ないと、頭で理解はしていても、どうにも気が急いて仕方がない。
「…バカ尾瀬」
「はいはい、バカでいいから大人しくしててね〜」
 苛立ち紛れに、同じく捕虜の身の上でありながら落ち着き払っている同僚に荒い口調で八つ当たり。だが、あっさりかわされる。
「………」
 これ以上無意味な問答を繰り返しても詮の無い事だ。憮然とした表情のまま、天才の名を欲しいままにするVGのエースパイロットは、ぼすっとソファに俯せ転がった。
 ……ヴッ、ゥゥゥン…。
「「?」」
 と、電子的な音がして、パイロットの少年達は何気なく発信源の方を見遣った。すると、その方向には、填め込み式の液晶画面が。勝手にスイッチが入った処から察するに、敵の趣向の類であろうか。
 不貞寝のようにしている祐希は億劫そうに、先刻より充分にくつろぎタイム満喫中であったイクミは退屈な時間の暇つぶしになるかと、興味深げに。それぞれ反応した。
 だが、画面はここいら一体の宙域に広がる磁気の所為か、酷く画像を乱していた。
 ザーッ、という耳障りなノイズは、ひたすらに不愉快だ。
「………消せよ。煩ェ」
「ゆーき君たら、横暴…。他人様にモノを頼む態度ってもんあるでしょーに」
「どーせ、テメェの仕業だろ」
「うっわ、濡れ衣〜。祐希くんたら、ひどーい」
 如何にも不機嫌そうに命令してくる、横暴というよりは我が儘の域を出ないお子様の要求に文句を垂れながらも従ってやるイクミ。画面の電源を入れたのは、同僚の仕業だとすっかり決めてかかっている台詞だ。
「しょーがないね、イクミ君はお兄さんだから動いてあげますよーだ」
「……カンに触る事言ってンじゃねぇよ」
 ソファの上に寝そべったまま動こうともしない祐希は、それでも声だけで応戦してくる。
 それを完璧に無視して、気のいい少年は画面の周囲を観察した。
「ん〜? 何もないんだけど…」
 しかし、綺麗に填め込まれる画面の周りは壁だけ。丁度、少し屈んだ位置で目線に合う高さに設置されているそれの周りを、とりあえずぺたぺた触ってみるが当然無反応。
「祐希君、その辺リモコンとか無い?」
「…知るかよ、てめーで捜せ」
「はいはい。我が侭大将に期待したイクミ君が間違ってました」
 最早、指一本動かす気の無い硬質な黒髪の少年パイロットに、それでも寛大な態度でいるのは年上の余裕か。元よりの性質の為か。
 ソファのクッションの合間にでも挟まっているのではと、そこいらを探り出した翡翠の双眸が美しい少年。と、その耳に、肌を泡立たせる異音がふいに届いた。
『鳥篭の気分はいかがですか、パイロット殿』
「「!!」」
 申し合わせたかのように、祐希とイクミの二人は声の方向―― つまり、画面を睨んだ。 相変わらず砂嵐状態の画面に、ノイズだけが消え失せハッキリと声を聞き取る事が出来る。
「………」
 本来ならばここで皮肉の一つや二つ吐き捨てて然るべきなのだが、か弱い無力な子どもを演じている最中の為に、迂闊な真似は禁物だ。当然、そのことについては祐希も充分に承知しており、短気を絵に描いたような直情型が憎まれ口の一つも叩かずによく耐えている。それもこれも、ひいてはリヴァイアス――兄の為だ。
『おや、口を利く気にもなれませんか。まぁ、宜しい。
 それより退屈ではありませんか? 此方でもご鑑賞いただければ、少しは気も紛らわせるかと存じましてね』

 ヴン、

 と、画面が呻りを上げ、画像が結ばれてゆく。
 どういうつもりかと、二人は警戒しながら動向を見守った。
「………!?」
 画面のちらつきが収まり、その先に写されたモノは、人、だった。
 医療ルームのような場所でベッドの上に寝かされている……いや、放置してあると言う方が語弊が少なかろう。
 その人間は右足から大量の出血の痕跡が、辛うじて息はしているようだが、酷い状態だ。その顔に見覚えは無かったが、勲章を戴く立派な正装を考えれば――、
(灰の…艦長?)
『そう、灰のゲシュペントの艦長殿です。
 抵抗をされましてね、致し方なく発砲したのですが。――いや、なかなか人というのはしぶとい。こうしてまだ生きている。害虫並ですね』
 少年達の考えを見透かすように、丁寧な口調は淡々と続けた。
『見張りをさせていた兵の脳内チップから反応が消えましてね。
 単なる故障かとも思ったのですが……なかなか勇敢ではありませんか。奇襲、とはね』
「「………」」
 動揺すれば相手の言葉を肯定してしまう。誘導尋問の可能性も在る以上は黙秘するしかないと。パイロット達は、ただ静かに相手の出方を窺った。
『……眉一つ動かさぬとは…正直、驚かされますね。敬服すべき精神力です』
 物言いこそ柔らかいが明らかに相手を侮辱するような色を籠めて、声が嗤う。
『して、将来有望な貴方方に質問があるのですが、宜しいですかな。ゲシュペント内部にどうやらネズミが紛れ込んだようでしてね。しかし、この鑑の操作は私等の手には負いかねまして、……あぶり出しに手間取っている処ですよ』
(……ブルー達か…っ)
(…の、バカッ! バレてんじゃねーかっ!!)
 じわりと、染みのように少年達の心に焦りが滲んで……広がってゆく。
『お恥ずかしい話、ネズミの数すら正確に把握出来てませんのでね。ここはご協力いただこうかと……』
 声が、優しく囁いた。
 すると、応じて画面に一人の兵士が登場する。その手には…アーミーナイフ。肉を容易く裂ける物騒な代物だ。
 ――まるで三文芝居だ。この先の展開なんて、お約束のお決まり。おそらくは……、
『……月並みですが、"この男の命が惜しければ知っている事を話せ"ですかね…?』
 ナイフの切っ先がまず、艦長の右腕へと近づけられた。
『ああ、安心してください。直ぐに喉を掻き切ってしまう真似はしませんよ。限りある命は有効に使わねばいけませんからね。
 ……決心がつくように、まずは指を一本ずつとかはどうです?』
「………」
 野性的な風貌の少年が緊張し、そのまま隣りに目配せした。当然ながら、灰色の髪をした少年の方も手詰まり状態で、祐希に迷いの籠もった視線を返した。
『さて、言う気にはなれませんか?』
「……俺達は何も訊かされてない」
『おや、見え透いた事を』
 VGを繰るリーダーパイロットの言葉を、苦し紛れの言い訳と見破りあっさり否定する。
『まぁ、此方としてもそう素直にお話して頂けるとは考えてませんから、構いませんけどね。さて…どこからイキましょうか』
「ッ、…! 止めろっ!」
 固唾を呑む少年達の、翡翠の瞳の一方が思わずといった体で声を荒げた。
「…尾瀬ッ!」
「――…かっ、てるッ! …くそっ!!」
 が、鋭く諫められ、悔しそうに舌打つ。こうなっては、無力なふりもなにもあったものじゃない。敵は既に、パイロットである少年達二人をも、作戦の実行者として目をつけているのだから。
 けれど、目の前で人が切り刻まれる様をまざまざと見せつけられるのは、筆舌に尽くしがたい苦痛。
 ――頭の中が、どうにかなりそうだ。

 人が――…ひとが死ぬのは、恐い。

 柔らかな春の息吹を感じさせる深緑が、傷にゆらめいた。
『決心がつきかねるようですね。
 それでは…悲鳴のひとつでもあげてもらうとしましょうか…?』

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 巡回兵の足音が駆け抜ける陰で、潜入者は身を潜めていた。
 先程から灰の内部が騒然とし始めていた。兵士が忙しく立ち回り、警戒が厳しくなった気がする。
『……バレたか?』
『………』
 頼もしき相棒は水底の色を湛えた眼差しを、ただ、閃かせる。
『…マズッたな、後少しの所まで来て…』
 既に艦の中央部にまで侵入することに成功していた二人組だったが、監視の目に阻まれ、どうにも身動きの取れない状況下にあった。
『けど、なんで急に…メイン切ってンだろ。監視システムは沈黙してるはずじゃ……。
 ………、…………。やっぱ…アレか』
 心当たりといえば、負傷した灰の艦長と接触を計った際に気絶させた兵士の事だけだった。あれから、全ての状況を元通りにし、兵士も扉の所に放置しておいた。巧くすれば、見張りの最中に寝ぼけたのだと思いこむのではと期待したのだが、……そうそう計画通りとはいかない。
『……急ぐ必要がある』
『…ンなのわかってンだよ。
 誰が好きこのんで野郎と暗がりにシケ込むか』
 周囲を窺いながら、灰のスフィクスは毒舌で応じる。事は急を要していた。敵に此方の動向が知れたとなれば、当然、灰の人質の身柄が危険に曝される事となる。
 最悪の事態として、人命を盾に動きを封じられたのなら、後は降伏の二文字しか選択の余地はない。相手が最終的手段を執る前に、是が非でもメイン動力部へ行き着かねばならなかった。

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「――おい」
 感じた不満そのまま声に険を籠めて、黒のリヴァイアスきっての実力者が一人、相葉祐希は同僚へと呼びかけた。
「……しょーがないっしょ、あの場合」
 何を言わんやを察して、先手を取る尾瀬の、その言葉の正当性を認めるが故に、尚更腹立たしくてならない。
「それで済ませンのか、テメェは」
「………」
 ふぅ、と。
 盛大な溜息を吐くと、翡翠の眼差しを猫のように細めてイクミは喉の奥で呻った。
「あのね、祐希君。
 先に言っておくけど。今、君と不毛な問答する気、無いから」
「…チッ、…」
 殊更優しげな口調に、毒の牙。
 こうなった尾瀬相手に何を言っても無駄だという事は、過去の経験上身にしみていた。不平不満の多くを呑み込んで、ぐっ、と堪える祐希。やり場のない怒りの矛先は、作戦に穴を開けた二人へと向けられる。
(……くっそ…、…どうにかしやがれッ! ブルーッ! レイン…!)
 待つばかりのこの身が、歯痒い。
「……チッ、クショウ…!」
 天才の名を冠する荒々しい印象の少年は、腹立ち紛れにテーブルに拳を打ちつけるのだった。

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2007/07/16 加筆修正



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