act.20 隠された牙
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 灰のヴァイア鑑内部は、一時騒然となったが、暫くして元の落ち着きを取り戻していた。 忙しなかった兵士の足音も止み、時折、最低限の機械作動音が響くだけ。
 そんな中、終始辺りの様子を窺いながら活動する二人の潜入者は、敵の動きに対する一貫性を求められずに不審を抱きつつもメイン動力部前まで辿り着いていた。
『あれだ…』
『………』
『…どうした、敵が気になンのか?』
『――待ち伏せられている可能性が高い』
『まーな。…けど、ここでこうしていてもしょーが無いゼ』
『………』
 著しい動きを見せた敵の急な沈黙は、妥当に考えて――罠、の可能性が大だ。
 おそらく例の件で潜入者の存在に感づいた敵が、此方の動向を察し、ブリッジの連中に脅しを掛けたか、現在拘束中のパイロット組に尋問を掛けたかしたのだろう。
 もう、一刻の猶予も許されぬ。
『……行くぜ』
 言って、レインは動力室へと向かっていった。

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 シュンッ…。

 空気が弾かれ漏れるような音と共に、厳重に施錠されているはずの扉が開けられた。
「………?」
 何のつもりかと、現在、敵の手中に囚われの身である少年達は其方へ同時に目を向けた。
 と、そこには敵の兵士二人に抱えられた男が一人――その顔には見覚えがある。
「………!」
 激しく動揺し思わず立ち上がる尾瀬を横目に、祐希は平素から愛想の無い顔を険しくさせて、敵方の思惑を探る。
 兵士達は運んで来た人物を部屋の入り口辺りから中へと、無造作に投げ出した。
「!!」
 その、ぞんざいな扱いに、人の傷みと死に敏感な少年は、顔色を失くす程の怒りを胸の内奥底に渦巻かせる。
 兵士が無言でその場を立ち去ると、イクミは珍しく狼狽も顕わに倒れ伏す青年の元へと駆けつける。
 荒々しい気性を感じさせる黒髪の少年も、ゆっくりとした所作ではあるが灰の艦長と思しき人物へと近付いた。
「…どうだ?」
 その具合を尋ねると、余り芳しくはないようで、苦い声が返された。
「とりあえずは生きてるけど…大量に失血してる。このままだと多分……」
 皆まで言うまでもない事だ。一目で、金髪の青年が如何に憔悴しているかが分かる。
「とにかくこんなとこに寝かせとくわけにはいかないだろ。――祐希、手貸してくれ」
「……ああ」
 二人とも平均的な体格の持ち主ではあるが、それでも気を失った成人男子一人を抱えて運ぶのは難儀だ。なんとか苦労してソファに冷えた体を横たえると、苦しさを少しでも軽減させてやるために、窮屈な制服の上着を脱がせてやりそのまま上掛けにする。
「ま、こんなもんでも無いよりマシっしょ」
 いつもの調子で明るく言い放つと、部屋中のクッションを掻き集めそれ全部を昏睡する青年の上へ詰めた。
「……おい、埋めすぎ。」
 呆れたように呟く同僚は無視して。
 死の陰影濃い青年の顔に掛かるダークブラウンの乱れ髪を、微かに震える指先で払ってやる。
 先刻までの激情は最早影すらなく、悲哀の籠もった透明な翡翠が揺れていた。
(……とりあえず、頼むから死ぬな――…)
 切なき願いは暗き宇宙(そら)の片隅に融けて消えた……。

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 イデアと名乗った最も権威在る人物の他に、兵士とは明らかに異なる装束の使者は数名、リヴァイアスに乗り込んでいた。
 艦内の監視は概ね兵士が行っていたが、その統率役として使者達が遣わされているのだろう。兵は終始無言で己の任に忠実な姿勢でいるのに対し、奇妙な仮面で素顔を覆った使者達は、時折互いに耳打ち合ったりしている様子が見受けられた。
 その些細な事柄一つ一つに、艦内占拠が行われた直後は皆が皆、怯えていたものだが。恐怖の余り感覚が麻痺してきたのか、それともかつての忌まわしい事故の経験上、状況適応能力が磨かれたのか。既に無反応だ。
 航行の必要性も無い為、必然的に、クルーがブリッジでこなすべき業務は皆無だ。
 ならば、リヴァイアス内のソリッドのラン状況や、その内容、起動率のチェック等、細かな仕事はあるにはあるが、余計な真似は敵の不審を招きかねない。大人しくしておくのが最良且つ最善の手だった。
 これが奪還作戦の最中で無ければ、是非食後の腹ごなしに昼寝とでも行きたい程に、非情に不謹慎ではあるが、ブリッジ内は平穏且つ暇であった。
(……もう、結構経ってるよな)
 時間を持て余し、精神的な疲労感に襲われるクルー達は皆、作戦の行方について案じていた。そんな中、唯一、オペレーター業務に就く小振りな顔立ちの少年だけは、『作戦の成否』というよりは『作戦に参加する人間の安否』を気遣って、憂鬱な表情だ。
 敵の様子といえば、相変わらずだ。不動の兵士達に、声を潜めて話し合う使者達。なんら、変わった所も見受けられない。
(……どうなってるんだろ、今)
 作戦の状況も実行者達の無事も、ここ、黒のヴァイアに居る以上何一つとして知れないまま。
 ――…例え今、まさに、愛しい人々が窮地に立たされていようとも、この身は遠く離れて、限りに諸手を伸ばそうとも、触れる事すら叶わぬ願いと。
 想いは静かに、胸の奥に何重にも渦を巻いて疼くだけ。

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(やけに静か、だよな)
 メイン動力部まで辿り着いた侵入者は、周囲を警戒しながらコントロールパネルにそっと触れた。
 透明な強化硝子のケースの内でキラキラと輝き踊る超小型結晶が、目端を掠める。
 静寂の艦内、変わらぬ美しさの動力結晶。
 瞬間、今が悪夢の最中である事を念頭から失せそうな程に、今、何もかもが在りし日の姿であった。
(ノスタルジックに浸ってる場合じゃ…ねーか)
 幾重にも厳重をきしたセキュリティを正規の手続きに乗っ取って解除するが、最終パスを求められ、灰のスフィクスは微か柳眉に険を籠めた。
(そーくるか)
 ――『艦長』、つまりは実弟であるカイリ・朔原しか、この手動起動は許されず、その手段についても知られていない。また、第三者に情報を漏洩する事も許されないのだが。灰の神秘生命である『スフィクス』は人の律などに縛られない。
 ちゃっかりしっかりやり方をカイリから聞き出して、今現在、実践していたのだが。
 コレは流石に、訊いていなかった。
 パス自体は非常に明快であり、予め決められた文字数を入力するだけのシンプルなものだけに、逆に小細工による誤魔化しが効かない。
 レインは一瞬の躊躇を挟んで、指を滑らせていった。パスを受け入れる小気味良い音が耳に届く。
(はっずかしいヤツ…後で覚えてろ)
 微かに頬が染まるのを自覚しながら、灰の青年は心中で毒づいた。
 鑑の心臓部に息吹(いき)が吹き込まれる。
 と、同時に己の半身に命が息吹く感覚が生まれた。
(っ……、…)
 言葉にならぬ昂揚が心と体を巡り、陶酔に溺れてゆく、最中――…、
「驚きましたね、貴方の仕業とは」
 心地よい快楽の波にたゆたう意識を浚う、確かに、覚えのある声。
 狼狽する事もなく、ただ静かに黒髪をした麗人は瞳を向ける。
 待ち伏せは、ある程度予測の範疇だ。だがしかし、――…これは。
「まさか黒の方へ赴いているとは、意外でしたよ。半身を捨て置いてまで、何用でしたか?
 シルエ君、いや――スフィクス殿とお呼びした方が宜しいか」
 丁寧な物腰、やんわりとした印象の声、たったの一人で動力室にその姿を現した男。
「……(さかき)

 知性を秘めたダークグリーンの双眸、嫌味な言い回しに相応しい口元の笑み。
 赤味を帯びた癖のある髪に縁取られた、その顔――。
「暫くぶりです、――スフィクス殿。
 ご健勝で何よりですね」
「………」
「おや、どうしました?」
「……陳腐だが、一応訊いてやるよ。どうしてお前が『ココ』にいる。
 灰の副艦長であるお前が――その位置に立つのはどういう事だ」
「ふふ、本当に陳腐な台詞ですね。わかりきったことでしょう、スフィクス殿。貴方はとても賢しい方だ。……こんなにも、歴然としているではありませんか」
 レイン、――灰のスフィクスが『榊』と呼んだ人物は、あくまで紳士的な態度で応じた。
「………」
 殊更大仰に、黒髪に紅の閃きが美しい青年は溜息を吐いてみせた。
「今更訊いても仕方ないけどな、……何時からだ?」
「本当に今更ですね」
 にっこりと、人当たりの良い笑顔で榊は対応する。その姿はかつて、ゲシュペントで艦長であるカイリを補佐していたものと、少しの違いもない。
 往々にして、灰の戦鑑に乗務するスタッフの年齢層は低い。熟達した技術が必要になる宇宙航行だが、得体の知れないヴァイア鑑にはその希望者が当然の如く、皆無だった。
 それを、艦長であるカイリ・朔原の人望と人柄に惹かれて、必要人数が集まったという状態だったのだ。
 よって、他鑑に比較すれば格段にスタッフ間の人間関係は潤滑で、互いの信頼関係も強く結ばれている。そんな中にあって、特に艦長と副鑑という立場に身を置くカイリと榊は、尊重しあい、気を置き合う、最も良き関係に感じられたものだ。
「はじめから、ですよ」
「…だろうな」
 それら全て、偽りだと言うのなら。
 榊という人物は、人としてある部分が大きく欠けているのだろう。
「莫迦な真似をしたもんだな?」
 大きく息を吐き、レインは翳りを帯びた眼差しで男を静かに見据えた。
「――ふふ、そうとも限りませんよ。スフィクス殿」
「莫迦な真似だぜ。
 反政府組織を名乗っていても、所詮は三流芝居……全人類を敵に回して、破滅以外の途が残されているとでも?」
 うすら寒い程に穏やかな微笑を浮かべる赤茶けた髪の青年に、あくまで動じず灰の化身は応じた。
「全人類――ですか。
 ……いずれ、破滅が宇宙を襲う。どれ程の者が生き残るでしょうね。終焉に向かう惑星達の下で」
「――ヴァイア鑑の独占所有による人間の取捨選択、……ひいては人類への独裁、か。……確かに、絵空事じゃねェな。
 狡猾に、且つ、周到に万事を運んだなら――全人類の『覇王』となる事も不可能じゃない。けどな、やっぱり…莫迦な真似だぜ、榊」
 かつて、ゲシュペントの副鑑長と呼ばれた青年は、心外だとばかりに片眉を上げた。
「おや、そこまで理解してながら、私を否定されるのですか。スフィクス殿。
 やはり貴方も弟君(ぎみ)と同様、その精神に愚鈍な大衆の(けが)れを染み込ませてしまったのですね。残念な事です」
 貴方方のような優秀な人材は、我々にとって諸手をあげ迎え入れるべき存在なのですが。 そう、褒めそやして榊はくく、と、喉の奥を鳴らした。
「――…随分と詳しいじゃねーか」
 灰ゲシュペント、一スタッフとして籍を置いていた『レイン・シルエ』の正体は、無論、暴かれてはならぬ事だ。巧みな情報操作をかい潜り、頭脳明晰を謳われる副艦長は全てを正確に把握してた。
「ふふ、流石に骨を折りましたけどね。ここまで調べ上げるのは難儀でしたよ。
 貴方と朔原艦長が余りに私生活で親しげでしたのでね、気になって調べたのですが……まさか実の兄弟とは思いも寄りませんでしたよ、それに――」
 艦隊の起動に応じて、その輝きを何倍にも増したエネルギー結晶を見上げ、榊は倒錯の表情を浮かべた。
「スフィクス…ヴァイアの化身…、いえ、ヴァイアに捧げられた贄」
 そのまま熱に浮かされた視線をレインへ向け、
「古来より、神に捧げられる生贄は美しくあることが条件でしたね。ふふ、貴方は実に相応しい」
 感嘆の溜息混じりに、灰の副艦長の地位を戴く青年は零す。
「――三文芝居だな、寸劇につき合う気はないぜ」
「おや、ならば力づくで私の口を塞いではどうです? 『ここ』では貴方が有利でしょう」
 敵として対峙する男が、過去の記憶と比べても何時になく饒舌なのは、場を支配する緊張した空気の所為か。心地よい昂揚に榊は口元に笑みを履き、愉悦を覚える。
「厭な言い方すンなよ…」
 心より愉しげな榊とは対照的に、紅の眼差しに疲労の翳りを浮かべ、灰のスフィクスははーっ、と、長く息を吐く。
「他の連中はどうした?」
「殺してませんよ、ご心配なく。無意味な殺戮を我々は好みません」
「随分と上品な事だな、の割にカイリは重傷で放置か?」
「……弟君(ぎみ)がご心配ですか」
 カイリ・朔原――灰の現艦長である青年の名がレインの口から出た途端に、榊はそれまで纏っていた軽やかな気配を脱ぎ捨てた。
 口調が酷く冷えたモノとなり、その声に険と憎悪が混じる。あからさまな敵意に対し、灰のスフィクスは密かに驚愕を覚えていた。
「我々は無意味な闘争、殺戮、その他の残虐行為を好みませんが、必要とあらば致し方無いことでしょう?
 ――朔原艦長は大変実務に忠実で誠実、不正を善とせぬ素晴らしい人物です。己の命惜しさに『敵』へ機密を話すと思いますか」
 逆に尋ね返されて、人類の未来の灯火となるべき希望のヴァイアの化身は、微か、紅玉を細めて相手を睨んだ。
「幾らでも方法はあるんじゃねーのか、他のスタッフの命を盾にするとか、な」
「定番ですね」
 にっこりと、愛想よく榊は応えた。
「一応、試みてはみましたけど、なかなか…。私が言うのも何ですが、ゲシュペントスタッフの信頼の深さには目を見張るばかりですね」
「………」
「まぁ、一人か二人くらい殺してみれば朔原艦長の態度も多少の譲歩が見られたかもしれませんが……、実は、試してみたくなりまして」
 凍えた無邪気さで、青年は囁いた。
「試す…?」
「ええ、精神を侵す恐怖を目前にしてなお、高潔を保てるものかと」
「――で、どうだったんだ。結果は」
「時間の無駄でしたね」
 余りに予想通りで、逆に期待はずれでしたよ。
 つまらなそうに吐き捨てる榊の、その感情の起伏は酷く激しかった。
「――さて、何時までもこうしていても仕方ありませんね。我々に従って頂きましょうか。スフィクス殿」
「…あんまホイホイ言うこときく気分じゃねーんだけどな」
「ふふ、正直な事だ。
 しかし、貴方は本当に利口ですね。スフィクスの能力ならば『灰』のシステムを掌握し、私の身柄を拘束する事も可能でしょうに……ええ、実に察しの良いことですね」
「ヤな言い回ししてんじゃねーよ、相変わらずだな」
 無論の事、選択の余地はない。
 確かに『灰』のシステム全てを掌握し、榊の身柄を捕らえることは可能だが、その後の『黒』に保証はない。
 いや――保険はしっかり置いてきてあるのだが。
 いざとなればリヴァイアスの安全は華奢な印象の少年と、その彼に並ならぬ好意を寄せる神秘の少女の手で護る事は出来るだろう。
 だが、……今、この時は時期では無い。
 仕方が無いとばかりに、相対するかつての同胞の導きに従うヴァイアの化身は、せめてもの意趣返しに憎まれ口を叩く。
「ふふ、貴方の粗暴な物言いも相変わらずじゃないですか」
 しかし、意に介した様子もなく、理知的な顔立ちの青年は微笑みを返すのだった。

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「…………」
「…………」
「…………」
 重い空気に晒されて、身の置き場に困るリヴァイアスのエースパイロットは、そっと、息を吐いた。
 重傷を負い、血の気の失せた顔色でいる灰の艦長の傍で、何やら物思いに耽る様子の尾瀬を前に、此方も口を噤まぬわけにはいかない。
 元より、寡黙で無言実行を良しとする気質なので、沈黙そのものは決して苦痛ではないが。背中からのし掛かられるような圧迫感はいただけなかった。
(…くそっ)
 手持ち無沙汰な事もあって、すっかり気を滅入らせる祐希だったが、微かな物音を聞き取ってふいと整った貌を上げる。
「………!」
 一瞬目を見張り、驚きの余りに声も無い捕虜に向かい、相手は低く一言、
「行くぞ」

 と、告げた。
「ッ、ブルー?」
 己の内深くに意識を沈ませていた同じく、囚われの身のパイロットも、見知った、そして何より意外な人物の登場に目を丸くする。
 付け加えていうならば、扉からの堂々と侵入の様子だ。
 ――と、
『きこえるな、尾瀬、祐希。
 メインの立ち上げは成功だ。システムは俺の方で全て掌握してる、そのままお前等は灰のVGに待機。操船は俺の方でやるから、ブリッジは気にすんな』
 精神感応により、直接脳へ言葉を届かせる。
 その異質な能力を受け止めて、虜囚となっていた少年達は意気揚々と立ち上がった。
「よっっしゃ♪」
「……フン」
「って、レイン。悪い。レイン達のこと、向こうに話しちゃってるんだよね〜…」
『……だろーな。
 なんて言ったんだ?』
「侵入者は一人だけだよん、ってね♪」
『――O.K。上出来。
 後、こっちまだ取り込んでるから、成る可く敵の目を避けて移動してくれ。艦内探索してみたけどな、灰の方にはそう人員を割いてないからやれるだろ』
「んー、おっけー、おっけ♪
 それはともかく――こっち、見れます?」
 頭の中での会話という異様さに早々に対応して、尾瀬は言葉を交わす。その歯切れの良い物言いが、微かに澱んだ。
『……なん…、――、………』
 中途半端に台詞を切るレインに、深緑の眼差しがその利発さを窺わせる少年は呼吸を呼んで応えた。
「さっきこの部屋に連れてこられたんだけど、ね。
 知り合いっしょ? あんま、動かさない方がいいし、後、任せてへーきかな?」
『ああ…大丈夫だ』
「りょーっかい♪ じゃ、行こっか? 祐希くん」
「……ああ」
 三人共々に、灰のヴァイア鑑『ゲシュペント』の見取り図を頭にたたき込んである。VGを始動させるためのリフト鑑へまでの道順を惑うことは無いが……。
「――こいつもかよ」
 口数の少なさは折り紙付きのエースパイロットよりも、輪を掛けて寡黙な蒼の少年を顎でしゃくって、祐希は呟く。
 当の本人といえば相も変わらずの無表情ぶりで、関心の欠片すら示さぬが。代わりに、実質、作戦の指揮を握る事となった黒質の青年が答えた。
『いや、ブルーは監禁されてる灰スタッフに事情を訊きにいってもらう』
「……どういう、」
「あー、はいはい。祐希くん、ゴネてないで行くよ。ゆっくりしてらんないっしょ、今は。とにかくブルーは別行動!」
「〜〜〜だ、っれがゴネてなんかっ……!」
「はーいはい、ゴネてナーイねー。さー、いいから、いこいこ〜♪」
「〜〜〜〜っ!」
 まるっきり馬鹿にしたような口調を返す同僚に、怒りの沸点の低い少年は、ギラついた視線を尾瀬へ送る。
 一触即発の険悪な雰囲気だが、呆れを多分に含んだ声で仲裁が入った。
『そーゆーのは後でやれ、後で。
 説明は後だ、とにかく早めにリフト鑑に行ってくれ。万が一、敵に本鑑で攻められたら俺の手には余る。
 ブルーはもう動いてるぜ、お前等も早めに頼む』
 言われてみれば、何時の間にやら蒼の王者たるエアーズ・ブルーの姿は忽然と消えていた。
「ありゃま、素早いね」
「――ふん」
 素直に感心する尾瀬と、己の存在を視界の外に置かれて気にくわない祐希の反応は、実に好対照だ。
「じゃ、こっちも行きますかね〜」
「ああ、足ひっぱンなよ」
「ありゃ、いうね〜。祐希くんたら」
 何時の軽やかな調子を取り戻した甘いマスクの少年は、う〜、と大きく伸びをすると、昏倒し続ける青年へ気遣わしげな視線を投げかけ、行動を開始したのだった。

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(ここか――)
 颯爽と、ゲシュペント内部を疾る若くしなやかな蒼狼。
 俊敏な動作で敵の警戒網をかいくぐり、単騎、敵陣を駆け抜け、指示通りの場所へと辿り着いていた。
(………)
 本来なら施錠され開くはずのない扉が、軽く、ブルーがその手を電子ロックに触れただけで解除された。
 無論、これら全てが灰に宿るスフィクスの力に寄るものだ。
 さして広くもない一般クルー用の大部屋で、おそらく灰のスタッフと思われる人物達がそれぞれ床についていた。
(………)
 が、それにしても絶対的に人数が足りない。
 あからさまに異常を訴える現実を前に、闇に潜む侵入者は先刻、今作戦の鍵を握る人物より言い渡された言葉を思い出す。
『――…とっつかまってる他のクルー達のとこに行って、事情を説明してもらいたいんだけどな……』
 精神感応能力を使用すればいいのでは、と、眉を潜めたブルーに対し、レインは苦笑する。
『誰にでも使えるってわけじゃないんだぜ、下手すれば精神異常をきたしたりするしな。お前達とか、昂冶なら多分ヘーキだろうけど』
 なにせ、リヴァイアスの名物人間連中だしな、と。
 からかい混じりに言うのを黙殺し、綺麗な野生は鋭利な眼差しを閃かせた。
『スタッフ連中に作戦中って事とな、部屋から出ないように注意しといてくれ。後は、俺の方でなんとかする』
 了承の意を示すかのように、そっと瞼を伏せるブルーに、けれど、と、レインは付け足した。
『人数が………少なすぎるのが、な。引っかかるンだが…。
 本鑑の方に連行されてる可能性もあるけど――…な。そうするとお手上げなのがなー…』
 大体、最高責任者である鑑長の身柄をゲシュペントに拘束しておいて、一般クルーの一部を本鑑に連れて行く意図が知れない。
『こっちだとは思うんだが……。
 ま、とにかく今居る奴らにだけでも話を通して、一応、他の連中の行方についても訊いといてくれ』
「………」
 規則正しい息遣いと、僅かにシーツの擦れる音。
 静寂に満ちた薄暗い室内には、それらが微かに響いていた。
 無音の潜入者は、そうと、眠りにおちる一人の傍に膝付き、その肩に扉に合図するかのように、二、三度小突く。
「………?」
 しかし、余程深い場所に意識を落としてきたのか、全く反応が無かった。
 己の生命すら危うい条件下だ、通常ならば過度の緊張と恐怖でストレスを感じ、微少な刺激で覚醒して然るべきだが。
 余程の剛胆か阿呆かと、最初の人物を起こす事を諦め、ブルーはその隣りで眠る女性の枕元に立つと、同じようにしてみる。
「ん、……?」
 ショートボブの髪がシーツの上でぱさぱさと乾いた音をたて、少しして、女性は目を開けた。
「………!」
 一旦、微睡みより意識を見いだせば、後の覚醒は一瞬だ。
 女性はハッキリと目を見張り、脅えと戸惑いの混じり合った驚愕の表情でいた。
 敵意の無き事を知らせるかのように、ブルーはその怜悧な双眸を瞼の裏へと押し込め、静かに頭を垂れた。
「………? ………、…。」
 未だにその瞳に迷いを持つが、それでも女性は突然の訪問者を受け入れる姿勢を見せた。
 するとブルーは女性の手を取り、その掌に長い指先で文字を綴る。

『救出作戦中』

(…………!)
 女性は瞳を息を呑み、瞳を輝かせた。
 助けが来たのだと、その眦にはうっすらと涙すら浮かべて喜びを顕わにする。

『全員、外出禁止』

 こくこく、と、彼女は幾度となく頷く。
 どうやら確実に此方の意図を読みとっているようだ、と。ブルーは女性に他のスタッフの行方についても尋ねようとする。
 と―――、
「!!」
 短い衝撃の後に続く、鈍く熱い傷み。
「〜〜〜ッ、く」
 一歩、二歩、後ろによろめきながらも、襲撃者を突き飛ばす。
 その襲撃者は、今の今まで歓喜に震え微笑みすら浮かべていた女性の姿を――していた。

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2007/07/16 加筆修正



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