act.22 狂態
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 捕虜としての扱いに甘んじねばならぬはずの灰のクルー達。その彼らの思わぬ行動に深手を負いながらも、場を切り抜けた潜入者が一人は機敏な動作で敵の目をかいくぐりリフト艦へと向かっていたが、
(………)
 時折出くわす見回りの足音に、今も、物陰に身を潜めていた。
 奇妙に統率された組織の兵士達、不気味な死の匂いで充満する艦内。
 ――漠然と感じていた異常さも、カラクリを察した後ならば納得がゆく。
 いわば、彼らは生きた屍のようなものだ。
 人格を放棄した、いや、破壊された――思考も思想もポッカリと抜け落ちた殻、が、彼らなのだ。
 極寒の海の、鮮やかなまでの紺碧を思わせる眼差しが微かに揺らめく。
 人が『人』として存在するのに不可欠な、最たる『パーツ』が欠けた彼らの姿は、視界にあるだけでザワリと感情を撫でた。
(…――無理…か、? ――、ッ。)
 傀儡と成り果てた様を哀れむわけではないが、それでも元に戻す方法はないものかと思索する己の姿に気付いて、最強を冠する存在はふっ、と失笑する。
 甘く――なったものだと。
 第一、現在は作戦中であり、感傷に浸るような真似は控えるべきである。
(――昂、冶…)
 しかし、気に留めてしまうのは、己の核にまで浸透した至高の存在が故か。
 決して、天才的な技術も閃きも、先天的な話術や社交性も、ましてや戦闘におけるスキルが抜きん出いるいることはなく。
 逆に、不和の種を芽吹かせまいと己を過小評価し、かつ、自らの能力に枷をしくような有り様だ。
 全くもって他者との闘争に優れているとは言い難い少年が誰よりも、何よりも、黒の戦艦・リヴァイアスの少女に想われ、そして――、
 今なお、蒼の王者の心を捕らえて放さない幸福の群像……。
 無条件でその存在を護りたいと願い、あらゆる痛みから遠ざけて、腕の中で慈しみたく望むのに。
 優しき腕(かいな)は、自由の翼を絡める鎖のよう。
 想いが少年を縛り、傷付けるというのなら、愛しさは永遠の淵に沈めて。
 ただ、決して想いも願いも届かぬ海の底から、大空に力強く羽ばたくその姿だけ、見守っていよう。

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(へぇ…、コッチのは随分立派だねー…)
 灰のVGパイロットである二人は、その高い身体能力を駆使し敵の目を巧妙にかいくぐって、リフト艦へ乗り込んでいた。
 整備されたとはいえやはり、黒のリヴァイアスと灰のゲシュペントは、その規模や設備の基盤が大幅に違う。
 終焉の海――…ゲドゥルトに棲息する奇妙な生命体を素体とする兄弟艦であるはずだが、その基本構造に似た部分はあるもの、やはり灰の方が随分と……待遇が良い感じがする。
(……すげぇ…)
 黒のリヴァイアスにおけるエースパイロットですら、圧倒され無意識に感嘆の溜息を漏らしていた。
 VG、その操作において何者の追随を許さぬ実力者は、何もかもが物珍しげで落ち着きなく周囲を見回していた。
 ギラギラと敵を威嚇するだけの暴力的な双眸が、今ばかりは純粋な好奇心と興味に活き活きとしている。
 それもそのはず、黒の少女が宿るリヴァイアスではメイン部が、統率席を合わせて五台だけ。後は隣りの部屋に何十ものサブ席が設置されているだけなのだ。
 出航に備えてその内装や周囲設備は大きく改装されたが、基部は変わってない。
 それが――…、
 黒――いや、濃紺で満たされた四方の無機質なホール。
 パイロットポットは、メイン部が十名。副官席が二名に、総指揮を執る一名分が容易され、それらを中央に囲う形で補佐が置かれている。
 丁度、小型の音楽ホールのようだ。客席がサブ席に該当するわけだが。
 大仰な設備に、祐希ほどでは無いにしろ、淡い灰色の髪をした少年も目を丸くしていた。
(うはー…、感心してる場合じゃないケド、感心しちゃうねぇ。…ねぇ、祐希君。
 ………祐希くん?)
 茶化すように『君』付けをで親友の弟の名を呼ぶが、全くの無反応。
 おや? と、隣りに在る存在に若葉色の視線を流せば、心ココに在らずといった様子でで、ゲシュペントのVGを象った巨大オブジェを一心に見つめていた。
(……あや…)
 社交的で世渡り上手を自負する尾瀬にとって、VGのパイロットという役所は、何でもソツ無くこなす己の器用さが仇となって回ってきた損な役割という認識しかない。
 それこそ、他に適格者が現れれば大喜びで代わってやりたい位だ。
 しかし、好戦的で徹底した実力主義の少年にしてみれば、VGの部署は正に適任。本人の気性や気概もさることながら、基本的にこういった機械に触れるのが楽しいらしい。
 現に、黒のリヴァイアスとは比較にすらならないゲシュペントの仕様を前に、無邪気に心弾ませた様子だ。
(……んー、こういうカオしてるとカワイイんだけどねー…)
 普段は、それはもう絵に描いたような傍若無人のお子様なだけに、可愛いらしさなど微塵も感じないのだが。
 ふとした瞬間に見せる、年相応の無防備な表情は、確かに――…。
(全然違うみたいで、やっぱ兄弟ってコトなんですかね)
 顔立ちも性格も、見事に対照的な似ない兄弟と思っていたが、やはり本質を同じくする存在なのだろうと、一人でイクミは納得した。
 と、
(なに、ニヤついンだよ。テメェは)
 我に返れば、何時の間にやら此方を気味悪そうに睨み付ける短気王。
(いーえ、べっつにぃ〜♪ ただ、祐希くんたら、楽しそうだなぁって思いましてネ?)
(――…作戦中に楽しいもクソもあるかよ、アホ面下げて馬鹿言ってんじゃねェ)
(あっ…ほツラって、ガーン…。イクミくんのびゅーちほーフェイスになんて言い草…泣いちゃうから)
 よよよ、と、シナを作り、芝居掛かった仕草で泣き崩れる脳天気な相方に、はぁっ、と祐希は大袈裟に溜息を吐いた。
(……気持ち悪ぃ)
 本心から出た言葉らしく、うんざりと肩を落とした様子が実に印象的だったりする。
『…余裕あるじゃねェか、お前等…』
 と、そこへ聞き覚えのある声が、呆れた物言いで乱入してきた。
((レイン!))
 二人の少年の思考が重なる。
『よォ、リフト艦に着いたみてェだな?
 操作は基本的に向こうと一緒だ。まぁ…規模がコレだからな、ちっと手こずると思うけどなんとかしてくれ』
(なんとかしろって…、軽く言ってくれちゃって…まぁ)
 結構な重労働なんですけどー…、と、恨みがましげに呟くイクミに、灰の化身である青年は宥めるようにする。
『そう不貞るなよ、お前等じゃなきゃ出来ネェんだし。んじゃ、そろそろヤルぜ? 本艦からの防衛は任せた。ま、ガンバレ』
(はいはい、頑張らさせてイタダキマスってね)
 ジャレつくように言葉を返して、陽気な少年は刹那、その煌めく双眸から感情を殺した。
 かつて、絶対的な『力』を以てして黒の王国を支配した覇者の気配を纏い、尾瀬は、心地よい緊張と昂揚に包まれる自分を自覚していた。
 天才の名を冠するエースパイロットほど積極的に闘争を望むわけではないが、それでも、戦い――言葉を選ばぬなら殺し合い――は、得も言われぬ陶酔を与えてくれる。
 他者の魂の輝きを奪い取る事実に悦楽を生じさせるわけではない。
 本来――…残酷なまでに崇高たる少年は、他者の死を激しく悼むのだ。
 そうではなく……生死の狭間に己の命を晒し、光を嘱望し、生還を果たした瞬間にだけ。

 ――赦されているのだと、優しい錯覚に、魂が抱かれるから。

(……行くぜ、尾瀬)
(ああ、…了解)
 低い、声。
 挑み掛かる漆黒は、倒錯的な迄に美しかった。

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彼の混乱は、其れ即ち――少女の恐怖である。

藤色の儚い顔立ち、華奢な肢体、虚弱な精神。
彼女を支えているのは、安定した人のココロ。
其れを失えば、たちまち少女は崩壊してしまう。
彼女は、余りにも……未成熟なのだ。




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 大きく白のシャツをはだけられ、ベッドに軽く押さえ付けられるように姿勢を固定され、リヴァイアスの至宝は、ただ呆然と仮面の男を見上げていた。
 白く焼き付いた思考は空回りし、遠い場所で鳴り響く警鐘にすら反応しない。
「……な、に…を」
 声が喉に張り付いて巧く紡げない。
 剥き出しの膚を直接なぞられる感覚に、冷水を浴びせられたような衝撃が奔る。
 しかし、この如何ともし難い状況に於いてもまだ、黒のスフィクスの情を一身に受ける華奢な少年は、事態を穿っていた。
 まさか――そんな事があるはずがない、と。
「おや、……わかりませんか?
 寝所にオトコが獲物を捕らえたなら、自ずと察しがつきましょう」
 男らしいゴツゴツとした皮膚の感触が直に、晒された胸元に触れた。
「………ッ!」
 一瞬、激しく身を竦ませる昂冶に、得体の知れぬ男は満足そうに喉を震わせた。
「……抵抗しても構いませんよ。その方が、此方としても愉しいものですから」
「―――! ……ッなせ!!」
 悪寒が一層強くなる。
 脳天を裏側から金槌で容赦無く打ちつけられたような衝撃を感じて、仮面の使者の格好の嬲りモノとされる少年は、予想外の機敏さで男の腹を蹴り上げた!
「……っと、ぉ」
 思わぬ反撃に合い、もんどりうって後ろへ倒れ込むイデア。
 しかし、所詮は華奢な少年のすること、多少相手を怯ませただけでそれ以上の効果は期待出来そうもなかった。
「………っ」
 じりっ、と冷や汗を浮かべながら男を牽制しつつ後ろへ下がる獲物の、その無駄な試みを前に、暴漢と化した使者は実に愉しげだ。
「――…脅えて震えるだけかと思いましたが、ええ……これは面白い余興になりそうですね? 存分に暴れて貰って結構ですよ…どうせ、無駄ですからね」
 言うなり、使者は暴力的な行為に出た。
 逃れようとする痩躯を些か乱暴に床へ引き倒し、その上へ馬乗りになる。
「……うぁっ!」
 背中を思い切り床に叩き付けられて、一瞬、呼吸が止められた。
 短い悲鳴の後、何度か激しく咳き込む姿は何とも、自虐心を煽る光景だ。
「ッ、このっ…!! ――痛ッぅ!」
 無粋にも己の上に跨る不埒者へ、少年は精一杯の抵抗として拳を振り上げるが、追いつめられ恐慌状態に陥っていた為、すっかり腕の事を失念していた。
 突然、右肩を押さえて苦悶の表情をする、黒のスフィクスに最も愛される少年に、イデアはおやおや、と、微苦笑した。
「腕が痛むようですね、相葉昂冶君?」
 厭らしい物言いに、潤んだ空色の眼差しに険が籠もった。
「……ッ、放せ!」
 未だ、激痛の残る右腕は痺れたようになっている。残された左で必死に男の体を押しやるが、なんとも些細で愛らしい抵抗か。
 利き腕を使いあらん限りの力を振り絞ったところで効果も無いのだ、当然ながら、不気味な仮面の下、薄ら笑いを浮かべるだけの使者。
「――…こ、っのぉ!!」
 なんとか横に態勢を起こして、自分の上に乗り上げる男を振り落とそうと試みるが、状況は如何ともし難かった。
 今より耐え難き陵辱を受ける身である少年の、その必死の形相に歪んだ歓びを覚えていた暴行者は、暫ししてから、ひょいと己の体重を持ち上げた。
「……っ、!」
 何はともあれ負荷から逃れたか弱き獲物は、体勢を整えるべく慌てるが。
「――え。?」
 くるりと俯せられ、再び腰の辺りに男を乗せてしまう。
「な、にを…! 退けよッ!!」
 下向きに倒されたのを幸いに、なんとか両腕を使って起きあがろうとする昂冶だったが、その白く儚い腕に、軽く見積もっても六十s以上はある成人を持ち上げられるだけの力は秘められていなかった。
「……こうした方が犯しやすいでしょう?
 男は此方を使いますからね」
 哀れな生贄の抗いをモノともしない男の、酷く優しげな声音がねっとりと昂冶の首筋にまとわりついた。
 妖し気な台詞回しと共に、明らかに性的な目的意識を持った厳つい指先が、身動き一つ取れない状況の獲物の、その臀部を薄い生地の上から感触を確かめるように這い回る。
「………ッ、や、やめっ…」
「あぁ、言っておきますが。私に君を愉しませる義務も義理もありませんからね?
 ……勝手に嬲らせて貰いますよ…」
 そううそぶく男の武骨な手が、器用に獲物の下半身を剥いでゆく。
「いっ、いやだっ! いやっ!!」
 抵抗の悲鳴を上げる可憐な、そうして、可哀想な程に震える贄に、無論イデアと名乗る男は一片の情け容赦が無い。
 ぐい、と。
 無遠慮に下着を奪うと、滅多に人目に曝される場所ではない恥部が顕わにされた。
「……ッ、放せ! 放してッ!! いやだぁっ!!!」

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――― イ ――――――― ヤ ――。


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 少女は、恐怖の滲んだ紅の瞳を抱えて、その場にへたり込んだ。
 既に生命を断った物質に、呼吸の概念も必要もあるはずがなかろうが、何故か呼吸が荒い。――小刻みに、質感の無い躰も震えていた。表情も何時になく強張り虚ろであった。

イヤ。
厭ダ、いや。
やめ、テ

 理由も原因も、成熟に至らぬ遠い陽炎のような少女には追求出来るはずもない。
 純粋な恐怖の感情だけが、幼い自我を喰らいつくしていてゆく。
「イヤ…、いやッ…………いやぁ!!!」
 ひたすらに負へ傾いてゆく心に歯止めが掛けられないまま、黒のスフィクスは悲痛に泣き叫び、遠くへ――…己と似て非なる存在へと救済を求めた。

「厭………いや…………いヤ…。
 タスけ…て――」

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 コウジを―――助けテ……!


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「―――!!」

 それは、凄惨な慟哭(コエ)。
 制御されぬ感情は剥き出しのまま、深く繋る者達を鋭く抉った。
 特に――同族の徒である黒質の青年への影響は、甚大で。
『ッ……、ネーヤッ……落ち着けッ、』
 半狂乱となり否定と恐怖だけを顕わに、精神を掻き回す少女のココロは、大変な障害となっていた。
「………ッ、キツ…」
 これが、マーヤならば問題無く彼女の悲壮を理解し、対処も可能であろうが、如何せんオリジナルの人格では錯乱するスフィクスの混乱を一方的に受け止めるので精一杯だ。
 ヴァイア艦の化身であるスフィクスは元来、秀でた精神感応能力を秘めている。
 最悪、人の心を侵し、無惨な脱け殻へ変貌させる、諸刃の力。
 それが加減無しの暴走状態となれば、脆弱な人間の精神では到底、敵うものではない。
(……くっ、そ……。
 向こうで何か……、―――ッ、駄目だ――、ネーヤの悲鳴がッ……!
 ――…邪魔だっ!)
 黒のスフィクス――可憐な容姿に、望まずとも人を殺める不安定さと兇悪さを抱えた少女と、人並み以上に関係深い連中の様子が気懸かりであったが。
 流石――純血統の化け物。
 その混乱の影響たるや……予想の範疇を軽く越えていた。
 完全に此方の能力を喰らっている。
 ただでさえ、『今』の状態で灰のシステム制御はかなりの負担となっていた――ところに、この異常事態だ。
「〜〜〜ッ、クソ! 駄目だ、効かねェ……!」
 最早、ゲシュペントの完全制御はおろかリフト艦に待機する黒のパイロットや、単騎行動を行うエアーズ・ブルーとの連絡すら不可能だ。
 幾らネーヤの名を持つ少女が不完全とは言え、やはりスフィクスである以上、その脅威は計り知れないという事か。
「………ヤラレタ。」
 ゲシュペントの艦長席に疲労感を漂わせながら、レインは天井を仰ぎ沈み込んだ。
 まさか、最後の切り札として残しておいた黒の化身に、此方の計画を妨害されるとは、完全に予想外だ。
 灰のスフィクスとして、その能力で苦痛に泣き叫ぶ同胞に接触を試みるが、当然ながら無駄の一言。
「……」
 その生体においては解明されぬ謎が大部分を覆うヴァイアの意思――スフィクス。
 八方塞がりの手痛い状態で、しかし、灰を守護する美貌の青年は悠然とした微笑みを浮かべていた。
(――…慌てても仕方ねェし、考えようによっちゃ…千載一遇か)
 色素の薄い膚に埋め込まれた鮮やかな紅が、嘲りに――歪んだようだった。

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 灰のリフト艦を密かに占拠する黒のパイロット達は、有事に備え、操作確認を手早く済ませていた。
 規模の大きさはやはり多少の問題となったが、基本的に二人とも才気溢れる人材なのだ。
 特に、VGの操作に至っては、天才と騒がれる野性味魅力的な相葉祐希の右に出る者などいない。
「――…祐希、悪い。来てくれ」
「……なんだ?」
 何時になく真剣な面持ちで、灰褐色の柔らかい質感をした髪と甘い囁きが似合いそうな鼻梁の通った少年が、ディスプレイのエラーコードを睨みつけたまま同僚を呼びつけた。
「フリーズしたまんまの戦闘ソリッドがある…処理してみてくれないか」
「――あぁ、さっさとデータを寄越せ。バラしてやる」
 兎にも角にも時間が無いと、リヴァイアスが誇る天才は居丈高に指示した。
「いや、……無理だ。ロックが掛かかって……。ん〜…――駄目か…」
 苦戦する尾瀬のぼやきに、仕方ねェと、祐希は溜息を吐いて身軽に自分のコックピットから飛び出した。
 黒のヴァイアにて、VGチームリーダーとしての地位を戴く少年は、一際高い位置に構える総指揮官席に搭乗しており、連れのパイロットの傍へは十数段の階段を下りる必要があった。
「他に、問題箇所は無いのかよ?」
 一足飛びに駆け下りてくる少年は、その挑発的な容姿を裏切らぬ粗野な口調で尋ねてくる。
「――…ああ。
 まぁ、当面ってトコだけどな。……実際、動かしてみなきゃわかんないだろ」
「……まぁな」
 投げ遣りな言い草ではあるが、的を射てはいる。
「何にしても、最低限、基本動作はクリアしとかないとな…っと、またエラーか」
 祐希が此方へ来るまでに何度か自力での解決を試みているが、虚しく高い音が繰り返されるだけである。
 やはり、こういった類のモノは得意な人間に任せるに限ると匙を投げ、頬杖をつく。
 その―――刹那――……

 『      』

 それは、声無き悲鳴であった。
「……、…?」
 一瞬、怪訝そうに眉を潜めてみせる猫科の少年パイロットは、思い直し、もう一人の存在に声を掛けた。
「なぁ、祐希。……今、何か…――、祐希ッ!!?」
 視線の端に捕らえていた親友の弟の、横柄な態度と反比例するかのような意外に小柄な躰が、まだ高い場所から悪い夢のような奇妙さで唐突に体勢を崩したのだ。
 絶望的な悲鳴が喉をつくのと同時に、コックピットから弾かれるようにして飛び出す尾瀬。
 間に合うはずも無い――距離を、必死の形相で腕を伸ばす。

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「おぉ〜い、祐希君? だぁ〜ぃじょうぶデスカ?」
 ペシペシ、と。
 痕が残らぬ程度の力で頬を叩(はた)くと、不機嫌そうな呻り声。
「起きろー? ぅおーい?」
 ペシペシペシ。
 今度は少し強めに。けれど、後々煩く言われては面倒なので、多少の手加減は添えて。
「……ウルセェ」
 気がつけば、不愉快さを顕わにした黒の眼差しが、重い瞼の裏から尾瀬を睨んでいた。
「あや、起きたか。
 大丈夫ですか〜? どっこもぶつけて無いと思うけど――ホント、突然倒れるから寿命が縮んだ縮んだ」
 おどけて肩を竦める尾瀬の姿に、祐希は腑に落ちない様子で呟いた。
「――…倒れた…?」
 言われて始めて、自分が仰向けに寝かされている事を知る。
(……あぁ、そういや――急に、目の前が暗くなって……)
 半覚醒状態で、周囲に群青色をした瞳を巡らせた。すると、黒塗りの漆喰のような質感をした階段が目に止まり、一気に記憶を甦らせる。
 類い希なる明晰さを誇る頭脳で今し方の己の状況を反芻すれば、丁度、同僚に呼ばれてそこの階段を駆け下りていた途中だったと――。
 そこまで思い起こして、よく無事だったなと感心する。
 確か、結構な高所から崩れ落ちたはずだ。
 なのに――躰の何処にも負傷による苦痛の様子が見受けられなかった。
 最低でも頭部の強打は免れぬだろう状況で、この幸いは一重に、口八丁手上手、いっそ憎たらしい程に器用な性格の同僚の努力の結果であろう。
「………助かった」
 不可抗力とは言え、己の不甲斐なさに憮然とした顔色でいる祐希は、上体を起こしつつ、目の前の少年へ礼を言う。
 と、奇妙な事に灰褐色の毛並みをした人懐こい、そして――人の悪い飼い猫は、面白がる様に、悪戯っぽい光をその双眸に輝かせた。
「お礼なら、コッチじゃなくって後ろの方へドウゾ?」
「………は?」
 一瞬――…思考が止まる。
「あのタイミングで俺が間に合うわけないっしょ、祐希君?」
 ………。
「いい加減、退け。……腕が痺れる」
 嫌な予感に凍り付いたエースパイロットの、その予測を裏切らぬ低い声に。
「………ブルーッ!?」
 人生最大の屈辱と共に、思わぬ災厄に見舞われた少年は、己を助けた相手を正しく認識したのだった。

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 人道に外れたシナリオは、片方の意思と人権を踏みにじって進んめられる。
 密閉された空間で、暴徒と化した男の陵辱に耐える獲物は、小さく悲鳴をあげた。
「……ッ…嫌…だ」
 無遠慮な視線に晒されて、萎縮するばかりの秘部を、乾いた指が押しつけるように嬲ってゆく。
 その、恥辱的な行為に頭に一気に血が昇り、心は恐怖に冷え切った。
「――ふむ、手頃な道具が見あたりませんね。仕方無い…」
 華奢な躰の上に馬乗りになる暴漢は、少年の蕾を覗き込んで一人ごちた。無防備な場所を攻めるのに都合良いようにと、爪先まで緊張した足の方へ姿勢は変えていた。
「ッ……、ぅ」
 余りの事に、目眩がしそうだ。
 しかし、男の興味が後ろへ向いている事で、多少の隙が生まれる。
「……のっ!」
 渾身の力で以て、哀れな生贄は男を振り落とそうと藻掻いた!
「おや…往生際の悪い…」
「……い・やだっ!」
 しかし如何ともし難き体格の差が、少年のなけなしの抵抗を易々を抑えこんでしまう。
 それでも諦めずに足掻く、か弱き虜に、イデアは凶暴な笑みを浮かべた。
「ふふ…、可愛いモノですね…」
 そっと、厳つい手の平が己の昂揚と興奮を伝えるかのように、少年の右足を大腿部から先へと、その曲線を愉しむように辿ってゆく。
 慈しみすら感じさせる、奇異な行動であった。
「ですが――、少々目障りですよ?」
「………アァッ!!?」
 一層、優しげな表情と声で狂気の男は、獲物の足首裏――丁度、神経が集中する場所を狙って、凶刃を踊らせた。

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 コウジ

 凄惨と言うに相応しい、狂態。

 優しい真珠色の肌をした少女は、己の喉や頬を掻き毟り、醜悪な傷跡を残す。
 捲れ上がった皮膚は、まるで柘榴を割ったように生々しい。
 それでも肉体的な苦痛の無い彼女は、己自身への異様な仕打ちを、繰り返す。
 無機質な瞳は激しい喪失に、痛々しく歪められていた。

 コウジ――  コウ・じ 

 華やかに可憐な一輪のスフィクスは、鬼女の如き形相で――一際高く、慟哭した!

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……コウジ、のタメなら…… なんでも、スルの。




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2007/07/16 加筆修正



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