act.23 異質な者
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――…視界一面に広がる鮮血を前に、何が起こったのか……解らなかった。


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 その部屋は、永遠の星の海を航行する戦艦にとって、余りにも不釣り合いであった。
 禍々しい内容物で満たされた試験管が林立し、得体の知れない薬瓶の類が異様な様相で処狭しと並べ立てられる。
 どこからか、定期的に漏れる空気音。
 断続的に響くのは微かな水音と、泡の弾けるそれ。
   面長の整った造作に輝く、切れ長のダークグリーンが無感慨に細められた。
 何処か超越した雰囲気を纏う知的に冷静な青年は、同時に、他者を侮蔑の対象として捉える異常面を備えていた。
 神経質そうな細い指先が、トントンと、何度かデスクを叩く。
「……暴走か、成る程」
 傀儡の脳内に埋め込まれたチップからの反応が失せ、制御不能となってしまった。
 あの程度、所詮は使い捨て分だ。多少の被害は許容の範囲内で問題にはならないが。
「――…あの少年の存在は、……危険か」
 かつて、灰のヴァイアにて副艦長の座でその才覚を奮っていた青年は、全身が総毛立つような底冷えの眼光を閃かせたのだった。

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   慌てて動くと頭痛と目眩に襲われたが、不快感を振り切って、無理矢理に粗野な魅力の少年は立ち上がった。
 グラリと、一瞬視界が揺れるが、鋼の意思を以て踏みとどまる。
 此処で更に恋敵の手を借りたとなれば、一生の不覚として己の内に刻まれるだろう。
 理由はどうあれ、昏倒から回復して直ぐに起きあがるなど、不屈の精神だ。
 同じパイロット部署に勤める尾瀬など、呆れ半分感嘆半分といった様子で、意地っ張りなお子さまの頑張りを見守っている。
「………っ、ンで、テメーがここにいンだよ」
 不満そうに――…いや、実際に不服なのだろう。
 元から世辞にも良いとは言えぬ目つきに、更なる険を籠め、祐希は命の恩人と感謝して然るべき相手に毛を逆立てた。
「………」
 だか、そんなパイロットの様子など微塵も気にした風でなく、ブルーは無言で起きあがる。感覚を確かめるように右手に拳を作り、ゆっくりと開く。納得がゆくまで二、三度、繰り返すと、適当な壁に背中を預けて腕を組んだ。
「……おいっ…、テメッ」
 完全に眼中に無いとばかりの横柄な態度に、当然、祐希はカッとなった。
「あー、はいはいはい。祐希くん、それよりコッチが先。喧嘩は後。それどころじゃないっしょ、今は」
 が、そこは適度に気の回るもう一人のパイロットが即座に仲裁に入って場を収めた。
「………チッ、コールドしてンのはどいつなんだ」
 憎々しげに舌打ちする天才少年は、仲間内で揉めている場合では無いだろうと諫める尾瀬の言葉に耳を傾け、早々に彼のコックピットへ興味を移した。
「これなんだよねー、色々やってるんだけど…巧くいかなくってね」
 ぼやいて、キーボードに指先を滑らせる。一切、手元に目線を送らぬ華麗さ。それは、如何に彼らパイロット達が、現職に精通しているかを物語っている。
「……ケーウティオ型は…? 二番と六番を入れ替えてみろよ」
「やったんだけどねー…、ってなワケで。はいパス。ヨロシク?」
「――…あぁ。退いてろ…」
 ディスプレイを食い入るように見つめる年下のリーダーに、奇妙な頼りがいを感じてしまい、苦笑するしかない尾瀬だ。
(に、しても……今の…)
 祐希の邪魔にならぬようにとコックピットの外に出て、一つノビると、ほんの少し外に撥ねた前髪が印象的な甘いマスクの少年は、事の奇妙さに疑問符を投げかけた。
(なんか聞こえたと思ったら、イキナリ祐希はブッ倒れるし。
 ――…レインからの連絡は無いし……)
 そのまま足先は、颯爽と登場した孤高の王者の元へと向けられる。
 直ぐ傍まで寄ると、凍えた蒼の対に睨みを利かされた。どうやら、あと一歩で届く距離がこの獣の縄張りらしく、無言の圧力が掛かった。
 気高き存在の、温情ある警告を無視する程尾瀬とて底なしの阿呆では無い。不可侵と定められた領域を踏み荒らさぬよう、注意深く距離を保った。
「首尾の方は?」
「……問題が起きた」
「どういう?」
「――…推測だが、敵の多くは洗脳を受けた連中だ」
「…そうきたか…」
 苦悶の表情を一瞬だけ浮かべるパイロットは、即座に顔つきを切り替えた。
 正体を掴ませぬ飄々としたスタイルで、嗤ってみせる。
「んーじゃま、下手に手心なんて加えてる場合じゃ無いってコトか。…やーれやれ」
 軽い調子で溜息を吐いて肩を竦めるのは、朗らかな人格の裏に狂気を内包する少年だ。と、不意に彼の眼前に、見慣れぬモノが差し出された。
「――…武装しておけって?」
 一を以て十を解するだけに、一切の説明も求めない。
 手渡された黒光りする銃身をクルクルと指先で弄びながら、尾瀬はぼんやりと呟く。
「――ところで、大丈夫?」
「………」
 当然、言葉での問い返しは無い。
 極寒の海の煌めきを思わせる双眸が、一瞬閃いただけで。
「俺さ、ケッコ鼻効くんだよね。今ので酷くなったりとかさ、してない?」
「………」
「問題なければ詮索しない」
「――何の事だ」
「……O.K」
 あくまでシラを切るつもりかー、と。内心苦笑いの尾瀬だったが、無関心を装った。
「ん、で。祐希くんには渡しとかなくてイイのかな」
 手元の冷えた感触を確かめながら尋ねてくる抜け目の無い少年へ、ブルーは僅かに頭(かぶり)を振る。静謐の否定だった。
「……一応、持たせといた方が良くないですか?
 あ、予備の武器がもう無いとか――」
 充分に武装を施して来たとは言え、基本的に隠密行動であり、行動を制限するような武具の類は邪魔になるだけだ。だとすれば、祐希に渡す武器が無いのも得心もゆく。
「――武器ならある」
「…あや?」
 しかし、尾瀬の予測を真っ向からうち消す二つ目の銃。
 無造作に投げ寄越されて、慌てて受け止めると胸を撫で下ろした。
「んじゃ、俺が渡しとけばいいのかな。……ん?」
 自分から渡したのでは、あの無鉄砲暴走お子さまが素直に受け取るまいと、その辺りを思慮した上での行動かと予測をつけた尾瀬だったが、どうやら相違があったようだ。
 相変わらずの鉄面皮に、微か、迷いの険が浮かぶ。
「――…お前が判断しろ」
「って…え?」
 急にそう言われても、と、戸惑う尾瀬に構わず孤高の蒼き王者はリフト艦の入り口辺りへ移動してしまう。
 ――…どうやら、此処で防衛に徹してくれるようだが。
(…どういうつもりなんだかなぁ…)
 小型ながらも充分な殺傷能力を有する二つの銃を手に、思案顔のパイロットだ。
 何かしらの思うところがあり、ブルーは鼻っ柱の強い少年に銃を持たせるのを躊躇っていたようだが。
 残念ながらスフィクス連中のような、他者の心を読みとる能力は備わっていないので、その心中は計り知れない。
 自衛手段は多いに越したことはないのだ、用心を重ねて然るべきではある。
「おい、尾瀬。尾瀬!」
「あ、はいはいっと。終わった、祐希くん?」
「ああ、後はテメェでやれ」
 コックピットに押し込めていた体をほぐすと、祐希は自分と同じくVGパイロットの肩書きを持つ少年の脇を抜け、階段を駆け昇って行く。
「了解、リーダー」
 開いた座席に軽やかに滑り込むと、真剣な表情でディスプレイを睨み付ける尾瀬は、
(……渡しそびれたなぁ…)
 と、一瞬だけ気が逸らしたが、直ぐに目の前の問題に集中したのだった。

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「………ぅ」
 拍動と同時に、裂かれた場所が疼いた。
 血管でも傷付けられたのだろう、夥しい出血に、気の弱い者ならそれだけで失神しそうだ。
 乱された衣服を、掻き合わせるように直して。
 匍匐前進でもするような格好で、その場から逃れようと試みる。
 暗色の紅が、一筋の跡を残すが、構わない。
 そんなもの構わないから――…。
「ふ、……ぅ」
 やっとの事で上体を起こす。腕が小刻みに震えていて、巧く力が入らなかった。ともすれば、崩れ落ちてしまいそうだ。
「……やだ…」
 目眩がする、早すぎる心臓の音が耳障りだった。
 後ろを――振り向きたくなかった。

 コウ、ジ ?

「……ぁ、ネー…ヤ」
 拙い愛情の全てを捧げる無二の存在の、崩壊の予感に、黒のスフィクスは愛らしい姿を中空に咲かせた。

 コウじ、  ど シタノ ?

「………だいじょうぶ、だよ」
 繊細で儚い少女を脅えさせないように、優しく、微笑んだ。  巧く笑えて、いるだろう、か。
 幼く無垢なままの黒の化身を、悪戯に刺激したく無いから。

 ドウシテ コワイの こウジ

 しかし、幾ら上辺を取り繕うとも、相手はヴァイアの分身。高度な精神感応の能力を有していればこそ、無意味にしかなりえない。
 とは言え、惨劇を目の当たりにしたばかりで平常を保てる豪気さは持ち合わせが無い。

 モウ  こわい ナイよ  ?

「………、?」
 チリッと、肌を灼く悪寒。
 これを、不安という名で呼ぶのだろうか、心の臓が冷えていくと同時に、脳髄は鈎棒で掻き回されるようだ。
「……ネーヤ…」
 喉は緊張と恐怖の連続で乾ききっていた、声が掠れて空気が漏れるようしか聞こえない。
 しかし、人より遙かに異質な存在であるスフィクスにとって、声は音としてではなく、直接精神で感じるモノなのだ。
 大切な、大切な人に呼ばれて嬉しそうに表情を綻ばせる、淡い色彩の少女。
 中空での舞いを披露して、そっと昂冶の傍へと降り立った。

 ドウシタ の ?

「………」
 血流が遡ってゆくのがわかる。
 一際大きくなった拍動音が、耳元で煩く騒ぎ立てていた。
「………ネーヤ…今……」
 必死で言葉を捜す。
 まるで、妖精のよう。可憐で純真な神秘の少女の、脆弱な心を不用意に傷付ける事の無いように。
「………ううん、なんでもない。
 ……それより…、…誰か人を……」

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純真無垢たる、ヴァイアの化身。
汚れ無き永遠の少女。
朽ち果てはしない、永劫の華。

彼女の美しさは――まるで剥製のよう。

少女は、ただ想うだろう――。


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……コウジ、のタメなら…… なんでも、スルの。


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「全員射撃準備!」
 号令と共に、肩に抱えていた銃の照準が子ども等に向けられた。
 突然の事に黒リヴァイアスに搭乗する若いクルー達は、顔色を失っていた。
「なっ、どういうことです!? 武器を収めて下さい!!」
 副艦長を勤める凛々しい少女が、毅然と対応した。
 リヴァイアスの最高責任者であるルクスン・北条はそのコミカルな体をずっしりと椅子に沈み込ませたまま、成り行きを見守っている。
 ブリッジクルーの面々は、確実に自分らへ向けられた銃口を前に竦んでいた。
 黒のリヴァイアスを占拠する反政府組織は、指令を受けるだけの顔の無い兵士達と、不気味な黒質の仮面で素顔を覆った数名で取り仕切られている。
 その、指揮系統の頂点であったと思われる『イデア』と名乗った人物は、リヴァイアスのオペレーター相葉昂冶を連れて姿を消していた。
 その代わりだろうか、仮面と白のローブで統一された衣装の中の一人が、包囲網より一歩前に出ると、意外に若い声で応じた。
「抵抗の一切を控えて戴きたいと、警告したはずですね」
「え、えぇ。ですから、私たちは――」
「ゲシュペントに何やらネズミが潜り込んでいるようですが、心当たりが無いとでも?」
「―――ッ」
 いけない、と。
 頭の隅の冷静な部分が、己の失態を詰る。
 ここで言葉を呑めば、相手の言い分を肯定してしまう事になるのだ。
 軽い混乱に襲われながらも、副艦長は必死で考えを巡らせる。
「…そのような事――言われましても…、私たちには何の事か…」
「おや、…往生際が悪いですね」
 しかし、使者の男は最初から、少女の弁明などに耳を貸す気は無いとの硬質な態度だ。
「まぁ、ですが――先刻も申し上げましたが、全員射殺というわけにもいかないのですよね、これが。黒の操船に支障が出ては面倒ですから」
 ふぅむ、と一人ごちる。
「しかし、我々に抵抗の意を示す以上は報復を受けて頂かないと――これからも下手な希望を持つ輩が出て来ないとも限りませんからね」
 あくまで紳士的な口調に、洗練された応対。
 だが、それらに反して不穏に満ちた使者の言葉は、一瞬の間も空けずに実行された。
「………ッ!!」
 小さく息を呑む、悲鳴は喉の奥で詰まった。
 左肩を、熱く疼く場所を庇うように一、二歩、後ろへ下がる。
「………」
 はぁ、と。衝撃に詰めていた呼吸を取り戻せば、一気に痛みが襲ってきた。
「ユイリィッ!!!」
 女性クルーの鋭い悲鳴がブリッジホールの天井へと高く突き抜ける。
 気色ばんで席を立ち上がり掛ける彼らを、しかし、無機質な銃口が有無を言わせぬ圧力で以て黙らせた。
「おやおや、随分此方のクルーは仲良しこよしなのですね。
 彼女を見捨てればひとまず自分等の身の安全は保障されますよ、約束しましょう。
 ですから大人しくしていて下さいね、皆様」
 副艦長の身分を表す真白い制服が、見る間に肩口から紅く濡れてゆくのを満足そうに一瞥し、男は手元の銃で手遊びを始めた。
「目障り、でしてね」
「………」
 突出した能力を有するものの、その性格は人当たりよく社交的。そんな少女の過去に銃で撃たれるなどという物騒な人生経験が刻まれるはずもない。
 ともすれば、失神してしまいそうな激しい痛みに、ユイリィは限界を超え正気を保っていた。
 苦悶の下、男の意図を読みとろうと視線は真っ直ぐに向けられる。
「――…あぁ、そうです。その目ですよ。
 私は、そういう目をする人間が嫌いなんですよ……」
 男の手にした凶器が、少女の、その透き通った双眸に狙いを定めた。
「………あ」
 視線の先にヒタリと据えられた黒々とする筒。
 そこから弾丸が弾かれて飛んでくるのを、まるで悪い夢に揶揄られるように、少女はコマ送りで見ていた――。

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 ――…ア。

 上着のポケットを探ってIDを取り出した少年は、その愛らしい容貌で黒の化身である存在を見上げた。
 まだ腰が抜けているので歩く事は困難だが、なんとか上体を起こして、ぺたんと座り込んだ状態で。キョトンと可憐な少女を見上げる姿は、異様な可愛らしさだった。
「ネーヤ、……どうかした?」
 黒のリヴァイアスの意識体である儚き少女は、自信を慈しむように抱き締め、切なげな表情で上を仰いだ。
「ヤ……やっ――イタい……」
 黒のリヴァイアスの意識体である儚き少女は、自信を慈しむように抱き締め、切なげな表情で上を仰いだ。
「ヤ……やっ――イタい……」
「ネーヤッ……――あ、ッぅ!」
 黒の戦艦の化身である神秘の存在が、その高すぎる声で悲鳴上げると同時に、右足に深い傷を負う少年は更なる苦痛に襲われた。
「〜〜〜ぅ」
 右肩――とうに完治した古傷が、灼け爛れるように疼いた。
「何ッ……、痛ッぅ」
 思わず蹲って息を止める、傷跡をブリッジ専用の白地に青のラインが入った制服の上からキツク押さえ付ける。
(………痛ッ、)
 激痛に気を遠くさせながらも、昂冶はある可能性に辿り着いた。
(もしかして……ネーヤの感情に反応してる…ッ?)
「イタ……い、痛イ――や、だ。……」
 狂気の色に染まる紅の双眸が、悲痛と悲壮を謳いあげるのを、昂冶は絶えない痛みの下喘ぐように目にした。
(………、………ッ)
 彼女を、黒のスフィクスの混乱を収めねばならなかった。
 儚き輝きを抱く少女の、その精神の乱れはそのまま艦隊へと多大な影響を及ぼしてくる。
 どうにかしてネーヤの気を落ち着かせ、彼女の心を引き裂く何事かを突き止めねばならない。
 しかし、灼熱の鉄棒で膚を灼かれるような苦痛は、到底、華奢な少年の体に受け止められる範疇のものではない。
 息を継ぐのすら困難を極める状況下に――少女を気遣うだけの余力など微塵も残されていなかった。
「ダめ、だめ…ヤめて…」
 虚ろな願い、切なる慟哭。
 「いっ、……ヤァァァッッ!!!」
 少女は喉裂けんばかりに叫び上げた。それは、断末魔の絶叫にも似て、残酷に、美しく。
 直ぐ近く、何かが、潰される音が――した。

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「ルク……スン…」
 綺麗な栗色の長い髪、可愛らしさを損なわぬ整った顔立ち、女性クルーとしては、リヴァイアスでも最大の人気を誇る副艦長のユイリィ・バハナはただ呆然としていた。
 撃ち抜かれたのは、胸、心の臓の辺り。
 崩れた恰幅の良い体を反射的に支えた少女は、受け止めきれずに共に床へ倒れる。
 伸ばされた腕、その袖が見る間に己のモノとは違う、しかし同じ色をしたそれで染まっていった。
「……カッ、はっ…」
「ッ! ルクスンっ、ルクスンッ…しっかり……して……お願い…」
 極小さく呻いて呼吸を紡いだ艦長に、ユイリィは弾かれたように我に返った。
 完全に即死状態と思われたが、どうやら弾丸は巧く内臓を避けてくれたらしい。しかし、庇った少女へその凶器が届いて無いところを察するに、肉体に埋まったままか。
 下手に動かせば――状態は悪化する。
「……ルクスン…どうしてっ」
 夥しく広がる紅の溜まり池、思わず滲んだ涙が一滴落ちて、波紋となる。
「……駄目、しっかりして。――駄目よ……お願い」
「おやおや、とんだコトになりましたね。副艦長殿」
 余りに弱々しい、副艦長の肩書きに不相応に取り乱す少女の姿を、しかし、その場の惨劇を生み出した男は嘲った。
「本来ならば、最も目障りな貴方を抹消する予定でしたが――流石に、艦長亡き後、副艦長まで殺してしまうのは、少々難がありますねぇ」
 統率者を失い、混乱した人質達に暴動でも起こされては多少面倒ですからね、と。
 嘯くオーバーな身振りで、やれやれと首を振る男に、ユイリィは静かに願い出た。
「――…直ぐにでも緊急手術を、許可願いします」
「助かりませんよ」
「……許可願います」
「どうせ直ぐ死ぬだけでしょう。往生際が悪いですね。
 大体、貴方は喜ぶべきではありませんか、そこのバカな艦長殿が犠牲となってくれたお陰で貴方の安全は保障された。
 しかも、彼が勝手に行った事だ。貴方に一切の責任は無い。完璧ではありませんか。生贄の死へ素直に歓喜を感じればいい。それが人として自然な事ですよ」
「……誰がッ! 誰が人の死で喜んだりするものですかっ!! 第一、ルクスンはまだ生きているわ、医療スタッフを此処に呼びます、そこを退いてッ!!!」
 無神経な言い草に、やはり、年相応に多感な心を持つ少女は感情も顕わに叫んだ。
 普段穏和な物言いに常に他者への思いやりを滲ませるユイリィという人物にしては、珍しい激昂の仕方であった。
「……無駄な事を」
 気味の悪い様相を醸す仮面で正体を隠した使者は、ふとその言葉尻に嫌悪を匂わせた。
 そして、手にした凶器を無造作に構える。
「『まだ』生きている、ですか」
「――…や、め…」
「死は、想像以上に身近にある。教えてさしあげますよ、勇敢な副艦長殿?」
「いっ、……ヤァァァッッ!!!」

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 生物は須く、覚えのない音に過敏だ。
 それは弱肉強食を生き残る本能であり、生態系の輪の外へと弾き出された人とて、獣であった太古の名残か、やはり同じ反応を示す。
 それは、酷く耳障りな音、としか表現の術が無かった。
「きゃぁぁぁぁぁっ!!!」
 一瞬の空白を挟んで、女性クルーの悲鳴がカン高く響いた。
 緊迫の静寂が、一気に乱されてブリッジは騒然となる。
 余りの事に呆然とするだけの者、椅子から立ち上がり掛け逃げを打とうとする者、座席に突っ伏して怯え震えるだけの者と、皆口々に意味を成さぬ声を上げていた。
「………あ。」
 左肩が、ズクズクと拍動し痛みを訴えて、少女に正気を保たせた。
 目前に迫った死の恐怖は失せて、代償とばかりに全身をそぼ濡らす赤、赤、赤。
 己自身の深い傷と、彼女を庇って倒れた艦長の、その左胸の辺りから溢れる鮮やかなそれ。更には、弾けて飛んだ肉片混じりの血の雨を。
「…いや、も、いやっ……」
 非現実的な、かけ離れた現実を前に。
 理知的で、冷静、常に毅然とあれと己へ言い聞かせる副艦長の少女が、遂には耐えかねて極々小さくではあるが、苦痛を言葉にして吐き出した。
 混乱するばかりの波立つ感情が、遂には堰を切って、頬を濡らしてゆく。
 例えば、敵対勢力による武力を以てする恐怖には、彼女は毅然と立ち向かっただろう。しかし、今ある、凄惨な現実は、明らかに人外の力が働いているとしか――。
 ――…ッ!
 徐々に冷えてゆくルクスンの肉体を、その命の重みを支えながら、栗色の髪をした美しい副艦長は、はっと瞳の色を変えた。
(……まさ…か)
 人を理解しようと貪欲な、その執着が対象者を殺す、無垢なる探求者――人智を越える存在。
「…そんな、……いいえ。
 ………あり得ない……」
 切ない程に優しいあの彼が、黒の化身である少女にこの惨劇を望んだとは全く以て信じがたい。
 それに、今はこの腕で失われゆく輝きを護るこそが最優先事項だ。
「……医療チーム『W』に連絡を入れて下さい、重傷者がいるため、至急ブリッジへ来て欲しいと」
 その一つを空席とするオペレータに向かい、ユイリィは落ち着いた声で指示を飛ばした。
「緊急用のホットラインを使用して、情報漏洩にはくれぐれも注意してください」
「は、はい」
 勝手な行動は慎めと、他の使者からの警告があるだろうかと周囲を気にしながらの言葉は、しかし咎められる事はなかった。
 それは、不気味な静けさだった。
 唐突すぎる惨劇に、一欠片の動揺すら見せない敵は、不動にて黙するだけ。
 奇妙な静寂に、クルーの事務的な声が響いた。

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 キィ……。
 背もたれを軋ませ、知的な風貌の青年は感情の欠落した目をして、嘆息した。
「こう次々と壊されては…少々問題か」
 周囲に張り巡らせられた、まるで生物の血管を思わせる青と赤の無数のコードを一瞥し、
「幾ら代えがきくとはいえ、手間には違いないからな」
 キィ。
 カン高い音が、間延びして響く。

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「――面倒、ですねぇ……」
 その、如何にも億劫と言わんばかりの呟きに、ユイリィ・バハナは発言者を凝視した。
「面倒ですよ、仕方の無い事ですがね」
「………?」
 目の前で、仲間が体内から爆発を起こしたかのように弾け飛んだのだ。
 それなのに、この使者の落ち着きぶりは常軌を逸していた。
 微塵の狼狽すら無い――最早、常識では捉え切れぬ敵の異常性に、副艦長は膚が泡立つのを感じる。
「――…全く、面倒ですよ…」
「ッ!!」
 最早ぼやきにも近い言葉、それと同時に男は右手を肘から直角に上へ上げてみせる。
 何事かと息を呑めば、再び周囲の兵士が一斉に銃口を向けていた――。

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2007/07/16 加筆修正



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