act.25 命のヒカリ
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騒然とするブリッジで、副艦長であるユイリィの指示で治安部の人間が集まってくるのを待ちながら、昂治は、冷たい床に腰を下ろし、背中を壁に預けていた。
右の足首に結んだ白のハンカチがじっとりと血塗れてくるのに、じわじわと不安が募ってゆく。強力な痛み止めの効果も、これだけ失血していればそろそろ切れてきても仕方が無いのかもしれない。
「コ、ウジ。イタい?」
黒のリヴァイアスにおいて最も強い絆を結ぶ存在の痛みを案じて、黒の化身はたどたどしく訊ねた。
「ん、大丈夫だよ」
じっとしていても足元に血溜まりを作る出血量だ、大丈夫、なはずはないのだが、人として未成熟な生命体は、優しい人の言葉をそのままにしか受け取れない。
「ヨ、かった。コウじ」
華が綻ぶような微笑にふんわりと心が温かくなるのを感じ、昂治は表情を柔らかくしたが、直ぐに苦悩を湛えたそれへと変化した。
「あのね、ネーヤ」
「……な、に?」
「さっき、俺を助けてくれたのも。今、ブリッジで怖い人から、みんなを守ってくれたのも、全部ネーヤの力なんだよな?」
「……チカラ…?」
「うん。ネーヤが、助けてくれたんだよね?」
愛すべき存在の言葉を、必死で汲み取ろうと珠玉の瞳が幾度も瞬きを繰り返す。
「………。
……コージ、が、イタイって。たくさんのコエが、タスケテ、って。……イウの」
「うん」
「…キもちが、いっぱいに、ナって。
………コワかった。コージ……」
「うん。ごめんな、怖かったよな…ネーヤ」
「今は、……ヘーキ。コウじ、イルから」
幸福の微笑を手向ける無上の存在に、儚さを増した姿で昂治は話し掛ける。
「……うん。あのさ、ネーヤ」
「……?」
不思議そうに、じっと愛しい人の言葉を待つ仕種がいじらしい。
「え、っと…、手加減して欲しいんだ」
「……て、かげん。なに?」
精神的な発達に乏しい少女には、間接的な言葉は正しく伝わらない。
無機質な紅の双眸は、闇に灯される松明の炎のように、揺らめいて、不思議そうに小首を傾げる。ふわりふわりと、質感も無く、傷ついた少年の周りを巡っては傍へと擦り寄ってくる。
「え、っと――ね」
なんと伝えればいいのだろう。
言葉の無力さに歯噛みしたくなる。
「……あのね、ネーヤ……」
「……ウン、なニ…?」
「痛いっていう気持ち、ネーヤはイヤだよね?」
「……うん、イヤ…。きらイ…だよ」
「その痛いのを、この艦にのってる人たちに、なるべく感じさせないで…欲しいんだ」
「………?」
謎掛けにも似た昂治の台詞に、黒の少女はぺたりと座り込んで大好きな人の表情を窺うように、目の高さを合わせた。
「うん、ごめん。少し分かりにくいよな」
「…イタイ、みんなニなければ…イイの?」
「……うん。怖い人たちを動けなくするのにさ………、………」
人の精神に感応する奇跡の少女の無垢さと繊細さ故に、その一言を口にするのは、酷く躊躇われた。百の言の葉を紡ぐよりも、的確に正確に意思は伝わる。けれど――。
「……コージ…?」
思い悩む至上の存在を気遣ってか、リヴァイアスの化身は桜色の唇をそっと、心優し気少年の胸元に寄せて吐息を吹きかけた。
「っ、ネーヤ?」
突然の行動に戸惑う愛しい人に、ネーヤははんなりと、微笑んでみせた。
「……コージの、…ここ、キュウ……って、イタい。
…だカラ――ふぅって、スルノ……」
「………ネーヤ…」
人類の希望になるヴァイア艦の意識を具現した少女は、基本的に生物であればなんであれ精神感応能力を発揮できる。おそらく、誰かの過去に今のような優しい記憶を見たのだろう。多少的外れではあるものの、その気遣いに素直に心が震えた。
「うん、ありがとう」
そして、少しずつではあるが人を理解しようと、そして歩み寄ろうとする異質なる少女、スフィクスの温もりと可能性を、昂治は信じた。
「ネーヤ、よく聞いてくれ」
「……?」
「人を、なるべく殺さないで欲しい」
「……コロ、さ、ない?」
「うん。殺さないで欲しい」
重ねて言う少年の口調は凛と張り、信念を以って熱く響いた。
「……コロ……す?」
しかし死の意味が巧く理解出来ずに、ネーヤはふるふると首を左右にする。
恐怖や歓喜の感情は芽生えても、生死を超越した存在であるスフィクスにとって、具体的な形で【死】をイメージするのは困難らしい。
「うん…、そっか。難しいかな…」
どう話せば伝わるだろうかと説明に詰まった昂治は、ふと、少女自身の言葉を思い出して、穏やかな口調でネーヤに向き直る。
「…ネーヤはさっき、蒼い光が消えてしまうっていったよな?」
コクン、と無機質な紅が瞬いて、昂治の問いかけを肯定した。
「その光――俺にも感じる?」
「……かんじる、コージは…あったかい、ひかり」
「祐希は?」
「……ユウキ…、コージの……だいじな、ひと?」
「うん。俺の大事な弟の、相葉祐希」
「ユウキ…は、アツイひかり…ツヨくて…‥、あつい」
「…一人一人違うんだ? 熱い光、か。祐希らしいよな。
あ、じゃあイクミは? 尾瀬イクミ」
こんな問答をしている場合ではないのだが、沸いてきた好奇心には逆らえない。どうせ保安部の人が来るまでヒマだから、と自分に言い訳をして、昂治は訊ねた。
「……クミ」
すると、祐希やブルーのときにはハッキリと光の種類を教えてくれた少女が、造りものめいた美貌に、戸惑いらしき色を湛える。
「いくミ…は…イタイひかり…、ネジレて、いたい」
「……痛い…光…?」
予想もしていなかった一言に、昂治は空色の瞳を戸惑いに見開き、ゆっくりと少女の言葉を追った。
「……いたイ。
……かなシイ、せつな…イ、――し、アワせ……、
ぜんぶ……イタイヒカリ」
「………そ、…っか。ありがとう、ネーヤ」
感情の起伏の無い紅玉が亡羊としたままで、他人の痛みを己のそれと同様に受け止める、優しすぎる少年が、表情を翳らせる様を映し出して、瞬く。
(……痛い、光……)
ぎゅ、と胸の奥が締め付けられる、圧迫感に息が止まりそうだった。
「……コージ…?」
「え、あ」
不思議そうに、悲しみに曇る空色の二の眼を、覗き込んでくる少女。メタリックピンクの服飾が、ヒラヒラと目端に踊る。淡い輝きが行ったり来たりを繰り返して、まるで熱帯の海を泳ぐ華やかな魚のようだ。
「なんでもないんだ。話を戻すけれどね、人の光を消さないようにして欲しいんだ」
「……ヒカリ、を…?」
「うん。ネーヤの護るこの艦の、人の光を守って欲しい」
「………」
無垢な瞳が瞬いて、コクリッ、絲の切れた人形のように精巧な美しさの少女は、大袈裟なほどに前のめりになって頷いた。
「……ヒカリ…、イノチ…、キエルと、コージ…かなシイ…、かナシい?」
「うん、悲しいよ」
幼い子どもに言い含ませる口調は何処までも穏やかで、全てを包み込むように温かい。
と、不意に黒の戦艦リヴァイアスの化身である、次元を別にするはかなき少女は纏う気配を一変させ、意思を持つ個体として瞬間だけの産声を上げた。
「コロさない…昂治が、そう願うなら。
昂治がよろこぶなら、なんでもする。どんなことでも、する」
「……ネーヤッ?」
突然の豹変に最も驚いたのは、精神的にも現世的にも彼女と心を分かつ立場にある、金色に透ける栗色の髪が、しまりすを彷彿とさせる少年だった。弾かれたように顔を上げ、息を呑んで少女の動向を見守る。
すると、異質でありながら人を知りたがる寂しがりやのスフィクスは、いつものようにたどたどしい口ぶりで、昂治に微笑みかけた。
「……コージ、大スキ…」
「……ネー…」
大きく戸惑いながら神秘の少女の名を呼びかけた昂治は、しかし、
「相葉君、保安部の集合が終わっているわ。そろそろいいかしら」
「あ、はい」
釈然としない思いを無理やり押し込めて、副艦長のユイリィ・バハナの指示に従った。
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――星霜を往く、戦艦ヴァイア、灰のゲシュペント。
それが移動始めていると気がついたのは、VGソリッドの解凍を試みている時の、ほんの気まぐれな偶然だった。
「……稼動、してる…? ッ、艦(ふね)を動かしてやがるのか!?」
「へ?」
「おいッ、尾瀬! どういうことだ!?」
「わ、ちょっ、俺に掴みかかってもしょーがないでしょーが、祐希君」
司令座席から一足飛びに階段を下りて、血気盛んな少年は、元より悪い目つきをより剣呑とさせて同僚へ詰め寄る。
それをなんとか宥めて、その優秀さからパイロット部署を勤める尾瀬イクミは、乱された首元を整えながら、新緑の瞳で先を促す。
「で、なんだって? 動いてんの、この艦」
「今、そう言っただろうが! テメェ、訊いてねェのか!?」
「はいはいはいはい、すーぐ喧嘩腰にならない。
第一、レインに訊いてみれば済むコトでしょ。なんで俺にヤツアタリするかなー」
「……返事がねェ。ッのヤロウ、どういうつもりだ…」
常に掴み処無く飄々として事態をお手軽に捉える、随分とお気楽な同期のぼやきに従って、すっかり頭に血を昇らせる乱暴な少年は、即、灰のスフィクスに呼びかけたようだ。
「返事がない、って…、何かあったのかね」
「知るかよッ…、クソッ、リヴァイアスは…兄貴の方はどうなってンだよ!」
「祐希君、君ね…」
何時いかなる場合であろうとも、最優先にされる兄への想いに、感嘆の念を抱くべきか。それとも、呆れ果てるのが人として正しい在り方か。
『おー、悪い悪い』
と、そこに音信不通となっているはずの当人から、事も無げに声が掛かる。
直接脳内へ響く精神感応の能力は、慣れてしまえば心身への負担も少ないが、それでも前触れもなく思考の内側を撫でられるような感触は、気分のよいものではない。
一瞬だけ悪寒に眉を寄せると、イクミは軽く頭を押さえながら、低く声を絞り出す。
「これ、動かしてるみたいだけど。今、どうなってるワケ?」
「おいテメェッ! 兄貴は…、向こうはどうなってんだ! 無事なんだろうな!!」
『一遍に話すな、一遍に。
リヴァイアスならこっちの動きに気がついて追ってきてる、問題ねェだろ。負傷者が数名、ってとこだな。それと、灰はこれから、現宙域を全速離脱する――と、いっても、ヘブンズ・ロード内を脱出するまでスピードはだせねーけどな』
「負傷者、って…まさか、その中に兄貴はいねェだろうな! テメェ!!」
『……そこまで知るかよ。作戦終了後に、自分で確かめろ』
「ッ、役に立たねェッ…」
あくまで兄への執着を押し通す気の荒い少年に、レインの返事も投げやり気味なそれになる。
『俺が役立たずなら、お前等なんて――っと、ああ、のんびりしてる場合じゃねェか』
「ん? なに、どーかしました?」
『それがな、灰が指示も無く勝手に航行始めて、折角手に入れた黒のリヴァイアスもそれを追って逃げ出しただろ? 敵本隊に気付かれて、今、追撃されてんだよな』
「…そりゃまぁ、向こうもバカじゃないし。気付くよねぇ…」
苦い口調で、どこか面白がるような輝きを翡翠の双眸に抱き、イクミが溜息をつく。
『この宙域さえ抜ければ、ゲドゥルトに潜行して敵を振り切れる。それまで、VGで背後からの攻撃を凌いでくれ』
「凌げって…、こんな悪航路じゃ向こうも手出しは無理っしょ。必要ないんでない?」
至極当然な疑問を口にしてみせる猫科の少年に、精神を繋げた先にいるであろう、血色に煌く眼差しも妖しい異質は、酷く優し気に年下の子らを諭した。
『敵が奥の手も用意せず、こんな魔の宙域を指定してくるか? 何もなけりゃ別にそれでイイけどな。――必ず仕掛けてくるぜ。
コッチは俺がどうにかする。お前等は、リヴァイアスを守ってやれ。……大切な人間が乗ってンだろ』
大事なひと、と訊いて、はっと顔色を変えるVGのパイロット達。
それまで灰のスフィクスの説明を胡散臭げに聞き流していた、天才の呼び声も高い少年は、無言になり素早く司令座席に戻る。真剣に物事に向き合わない、また、それが習い性となっている戦慄の二面性を抱く、銀褐色の髪をした少年も静かに、コックピットに腰を下ろした。
「…リヴァイアスを守れといわれたんじゃ、気合が入らないわけないね」
「当然だ。尾瀬、全回路オープンチャンネルに、各種ソリッド対応の最終確認。本格的な攻撃が来る前に、慣らすぜ」
「ラジャ、祐希君――じゃないやね…。そうだな。ちっと、マジメにしますか」
気の抜けた返答の後、春の息吹、母なる惑星の香りを運ぶ美しい新緑が――残酷な狂気を閃かせる。かつて、リヴァイアスを戦慄させた高潔の覇者の一面が、刹那、顔を覗かせた。ひとひらの正気が、危うい均衡を保つ。
「――了解、リーダー」
VG本体の起動システムを立ち上げると、操縦席がその天井を閉じて、360度の景観にかつての惑星の名残が散在する宇宙空間が映像として、表示される。
「システム、オールグリーン。問題は見られない、そちらは?」
「ああ、問題ねェ」
「先に言っておくが。祐希、俺は今後、基本的に指示を仰ぐ側になる。咄嗟の判断はこの限りじゃないが、リーダーであるお前の命令を遵守する。
……任せたぜ、リーダー」
「……はッ、上等だ。せいぜい役に立てよッ!」
暗に全ての責任がお前にあるのだと突きつけられて尚、挑発的に応じて、祐希は吐き棄てた。何処までも強気な天才殿に心の中でそっと溜息をつき、尾瀬は、冷静に事態に向き合った。
「…了解」
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――人類の希望、ノアの箱舟、命の取捨選択を可能にする、神の玉座。
それが、生命艦ヴァイア。
静寂なる海、ゲドゥルトに呑み込まれる命の惑星を離れ、人が空へと旅立つための、その美しくも醜き、異質なる翼を。
「我等が――手中に。
歪んだ人類は、母親(と共に滅びるべきだ」
理知的な横顔に倒錯の色が滲んで、恍惚と、彼は囁いた。
「……我等が至高の【楽園計画(】は、誰にも邪魔させない。我等が大望よ、永遠たれ」
薄く嗤って、終末思想に傾倒する男は、最後の手段として残しておいた崩壊のプログラムを、解放――した。
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「敵兵、全ての捕縛を完了いたしました」
ビシッ、と軍隊のような敬礼を受けて、居心地の悪さを感じる昂治は、ご苦労様です、と頭を下げる。
保安部の迅速な対応と、黒の化身である少女の活躍により、リヴァイアスの随所に配置されていた敵を、被害もなく全てを捕らえることが出来た。
呆気無く捕虜として身柄を拘束された兵士達は、反抗するでもなく、実に大人しく此方の指示に従っている。その異様な従順さに、得も言われぬ不気味さを感じながらも、昂治は、ほっと一息ついた。
「捕らえた敵兵についての処遇については、副艦長に窺いますが。よろしいですか?」
「え、あ、うん。お願いします」
「了解いたしました」
キビキビとした態度で、保安部の人間を纏める、堅物そうな印象の青年を見上げると、IDを使い今後の指示を副艦長であるユイリィに仰いでいるところだった。
「――了解です」
短い遣り取りを終え、青年は律儀に、一時的な指揮官となる少年へ向き直り敬礼をした。
「お疲れ様でした。これより新たに捕らえた敵兵は我々保安部の手により、ブリッジへ連行されます。――後は、我々に任せてお休みください、とのことです」
「……え?」
一瞬、言われた意味が理解できずに惚ける昂治に、実直な性格が言葉の端々に垣間見える青年は、疲労の色濃い少年を気遣った。
「足を、怪我されているでしょう。まだ出血も止まっていない。手当てを受けてください」
「……あ」
気付かれていたんだ、とばつの悪そうな顔をしてみせる幼な顔の少年に、保安部の責任者は苦笑した。
「それだけ出血していて、気付かないはずがないでしょう。
本来ならば早急に治療を受けてもらうところなのですが、スフィクスの協力を得られるのが、貴方だけですので…。無理をさせて、申し訳ございません」
「え、えっ、いえ。そんなッ」
深々と頭を下げられて萎縮してしまう昂治は、大きく慌てる。
「痛み止め飲んでるから、そんなに痛くないし。大丈夫ですよ。うん」
今回の作戦にあたって、治安部の数名にも事情を通していた。よって、一部の人間には、相葉昂治という存在が黒のリヴァイアスにおいて、如何ほどの重要人物であるかということが、しっかりと伝わっているのだ。
「それじゃ、えっと…俺、傷の手当て受けてきますね」
「お一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫です。心配要りませんからッ。後をお願いします」
無闇な気遣いがくすぐったく、頬を微かに紅潮させて申し出を断る昂治は、一礼の後、傷ついた右足を庇うようにしてその場を後にしたのだった。
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肉塊と成り果てたそれに、気を利かせた保安部の人間が青いビニールシートを被せ、視覚を保護していた。それでも、辺り一面に漂う醜悪な血臭には手立てがない。ブリッジクルーの多くは作戦遂行中とあり、皆が己の職務に集中していたが、それでも、多くの人間が口元を袖やハンカチで覆っていた。
「先行するゲシュペントを見失わないように、注意して進んでください。
どうしても気分が優れない者に関しては交代を許可します。申し出てください」
普段はおっとりとしている、ポニーテールも可愛らしい副艦長は、凛とした声を張り上げてブリッジ全体に行き届くようにと、指示を飛ばす。
そして、捕虜となっている敵兵の傍へと移動し、不穏な動きが見られないか、見張りの保安部に確認する。
「今のところは問題ありません」
「そう…みたいね」
操り糸の切れた人形のように、なされるがまま、抵抗の意思どころか個人の人格すら感じ取れない不気味な兵士を横目に伺い、副艦長ユイリィ・バハナは応じた。
「残りの敵兵もこちらで監視します。ディード保安部長が此方に向かっているそうなので、そのときはお願い」
「了解しました」
ビシッ、と軍隊のそれに倣った敬礼をして、保安部の人間は職務を続行する。
ひとまず艦内における敵の恐怖は取り除かれたと、ほっ、と息をついて、ユイリィは艦長席へと腰を落ち着けた。と、その動きで左肩の傷がズクリと痛む。簡単な止血だけ施され、抗生剤と痛み止めで苦痛をやり過ごしているそれは、少しの油断で強烈な痛みが、ぶりかえしてくる。
「……しっかりしなきゃ、しかっり…」
肉体的な痛みは容易く精神を弱らせる、しかし、己を庇い凶弾に倒れた艦長、そして危険な任務に赴いた者達、何より、傷ついた体をおして艦内制圧を行った少年に報いるためにもと、副艦長の立場にある少女は決意を胸に眼差しを前へと向けた。
と、そこに緊迫した声が飛ぶ。
「副艦長! ピンガーに反応がッ!」
「ッ! 敵!?」
反射的に叫び返す艦の責任者のソレに、場の緊張が一層高まる――が、報告を寄越した肝心のクルーは、あいまいな態度で応じた。
「……いえ、それが前方――灰のゲシュペントの方からの接近で…」
「ゲシュペントの方向から? 敵ではないの?」
「――わかりません、熱量の集中は確認できませんが…ッ、あ!」
大きく戸惑いながらも、ピンガー反応の正体をなんとか見極めようと苦心するクルーは、思わずといった様子で声を上げた。
ブリッジ正面のディスプレイ一面に映りこむ勇壮たる白き人型。黒に搭載される同系統のそれより倍近くは、その大きさに差がある機影が画像として送られる。場を圧倒する迫力。王者の風格を宿した、無双の人型兵器――白の武人。
白輝の甲冑を着込んだ騎士の如き兵器の登場に、一瞬、時が止まったかのように世界が静まり返る。皆が眼前の光景に固唾を呑んだ。やがて、溜息にも似た吐息が零れ落ち、副艦長を務める少女が、潤んだ声で囁いた。
「……ヴァイタル・ガーダー…。
ゲシュペントのVGだわ…」
純白の英雄は黒の姫君を背に庇い、仁王立ちとなる。
雄々しき姿に、何処からともなく歓声が上がり、ブリッジ全体が歓喜に包まれる。
「VGだ…! アイツ等がやってくれたんだ!」
「ゲシュペントの制圧にも成功したんだわ!」
連絡もないまま移動を始めた灰のゲシュペントを、その姿を見失わないようにと後を追い始めたのは、あくまで黒のリヴァイアスだけの判断だ。
灰の奪還、その成否については誰もが疑問を抱いていた。それが、白き人型武装の登場により、一気に晴れてゆく。
「お待ちください、万が一にもVGに搭乗するのが敵である可能性が、ないわけでは…」
浮き足立つリヴァイアスのブリッジクルーを、常に冷静さを身上とする人物、ヘイガーが穿つように副艦長に苦言を呈した。が、それも即座に杞憂だと吹き飛ばされる。
『あーあー、もしもしー』
かつては黒のリヴァイアスを恐怖の正義にて支配した強者の、すっとぼけた口調がブリッジに響く。
『なー、祐希くん。コレってちゃんとブリッジに繋がってんの? 反応ないんだけど。あ、一方通行だっけ、これ』
『…いいから、早くしろよ』
『もしもーし、えっと。なんかそっちも一段落してるみたいだから、連絡いれてるんだけど。マズい? マズいかな? どー思います、祐希くん』
『尾瀬、さっさと用件を言えッ!』
『祐希くんったら、短気〜。そんなこといって、コレ繋がってなかったら、イクミくんバカみたいじゃナイデスカ』
『ああ、もう、テメェはッ! もういい、俺が言う!!
おい、ブリッジの連中! 聞こえるか? ゲシュペントの制圧は、見ての通り成功だ。今後、この宙域を抜けて全力でゲドゥルトに突っ込む。そっちにはまだ認識されていねーだろうけどな、後ろから、敵の第一級巨大戦艦が追ってきてやがる。ソイツを振り切るためだ』
安堵に緊張を解したブリッジの空気が、敵という単語に騒然となる。
『磁場狂いのヒデェこの宙域で仕掛ける可能性は低いけどな、万が一敵襲があった場合は、俺達が戦う。お前等は、ゲシュペントを見失わないようにしてろ。いいな』
『以上、灰のVGより中継でした〜』
『尾瀬ッ、テメェ、ンなムダ口叩いてるヒマあンなら、手ェ動かせ!』
『はいはいっと、人使い荒いなー。んじゃ、通信キリマスよん』
一方的な通話が終わり、リヴァイアスのブリッジでは、誰もが一様に複雑な表情をしていたが、パンッ、と両手を打ちつけて気品のある顔立ちに、笑顔を浮かべ、副艦長であるユイリィ・バハナは皆を勇気付けた。
「みんな、前を向いて。大丈夫よ、大丈夫。心配要らないわ。
魔の宙域と呼ばれるこの場所で戦闘を仕掛けてくる可能性はほぼ皆無。ゲドゥルトの海に潜れるのはヴァイア艦だけ。灰のVGの護衛もついているのよ。
ここまで――問題もあったけれど、乗り越えたわ。
大丈夫、必ず巧くいく。もうひとがんばりよ。元気を出して!」
楽観過ぎる言い分ではあるが、しかし、確かに事態は好転している。少女の台詞には、皆の不安を払拭するだけの説得力に満ちていた。
もう少し――後少しだけ、今を耐えれば、血生臭い闘争より解放される。
黒のリヴァイアスの操舵を任されるクルーたちは、己の内に巣食う負の感情を振り払い、未来を見据えた。
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2007/07/16 加筆修正